複数の経路 上座から宗薫が名をなのり、これをうけて舌右衛門が面(おもて)をあげ一通りの挨拶をした。
「お付きの方はどうなされました。ご一緒にお話ができれば、と思っておりましたが」
「あれは忍びの者にございますれば、庭に控えさせております」
「今日はよろしいではございますか。忍びの方もマカオでは大変なご活躍だったとか。せめて縁の上にでもあがって、お顔をみせていただけませぬか」
「いえ、忍びには忍びの分と役割がございますゆえ」
ということで、二十畳の間では宗薫と舌右衛門の一対一の対話が繰りひろげられた。それは、対話でもあり、知恵者同士の腹の探り合いでもあった。
「では、改めて御礼申し上げます。このたびのマカオでの大任、まことにご苦労さまにございました」
「いえ、大事な資料を賊に奪われてしまい、まことに恥ずかしい限りにございます」
「いやいや、下呂さまが御生還なされたことがなによりでございますぞ。昨夜、お預かりした直筆の文書を拝読いたしましたが、見事なものでございますな。中身も新鮮で興味深いものでしたが、下呂さまの文体は独特な抑揚がございます。戯作者にでもなれそうなお方だと拝察いたしましたぞ」
「とんでもございませぬ。ただの田舎侍にございます」
「下呂さまはどこで学問を修められましたのですか」
「京で十年あまり漢学を学びました。師匠が近江の方でして、そのつてもあり、近江に所領をもたれていた池田長吉さまに仕官することになったのですが、関ヶ原の後、転封になりまして・・・」
「ご出身はどちらですか?」
「父は播磨の者ですが、わたしは因幡で生まれました」
「それでは郷里に戻られたというわけですね」
「おかしな縁で時間がまわっておりまする」
雑談もひととおり終わり、核心めいた部分に話が及んでいく。
「下呂さまは2度お命を狙われたと聞いておりますが」
「はい、国元でいちど、マカオでいちど、あわせて2度襲われました」
「今日を境に、もうそのような危険な目にあわれることもなくなるでしょう。ご安心くだされ」
「なぜでございますか」
「下呂さまの集めた資料はすべてこちらでお預かりいたしました。とりあえず電信で大要は大御所(家康)さまにお知らせいたしますが、文書は至急何通か筆写し、複数の経路を使って確実に駿府にお届けいたします。これから先、下呂さまが生きようと死のうと、昨日いただいた文書は確実に大御所さまの手に渡るのですから、敵方は下呂さまに刺客を向ける意味がないのでございます」
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- 2008/04/22(火) 11:07:24|
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市中の山荘 慶長十五年九月十六日の夕刻、舌右衛門と伸太をのせた船は堺の湊津に着岸した。今井宗薫の手の者十名以上が二人を湊で出迎え、厳重に警護し、堺市五ヶ荘花田の今井屋敷まで導いた。宗薫は関ヶ原の功により河内・和泉二国の代官を命じられており、豪商であると同時に武家でもあった。その屋敷は織田有楽斎から譲り受けたもので、東西29間(約55メートル)×南北32間(約61メートル)の規模であったという。
離れの一部屋に二人は案内され、重要な資料はすべて大番頭風の男に手渡した。その日はすでに夜が更けていたので、宗薫との面会はないと伝えられた。大番頭風の男は、
「夕食は何になさいますか、なんなりとご用意いたしますが」
と舌右衛門に訊ねた。舌右衛門は湯漬けを所望した。大番頭風の男は呆れたような顔をして目を見開き、
「そんなご遠慮なさらずとも。獲れたての魚もございます。刺身でも煮付けでも・・・」
と説得したが、
「いえいえ、ほんに湯づけが食べたいのです。沢庵と梅干と塩昆布をつけてくださいませ」
と舌右衛門は念を押した。マカオで毎日食べてきた中華料理とポルトガル料理にも飽き、日本に帰ったら、とりあえず湯づけを食おうと決めていたのである。舌右衛門と伸太は、沢庵と梅干と塩昆布を湯漬けに混ぜて、何杯も腹にすすりこみ、「日本人に生まれて良かった」としみじみ語り合った。
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- 2008/04/22(火) 00:00:40|
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