知恵くらべ 家康のとった複数経路による情報収集策が当然のこととは思いながらも、自分たちがワン・ノブ・ゼムにすぎないことを改めて知ってしまうと、マカオで死んだ利蔵のことが急に不憫になってきた。うつむき黙ってしまった舌右衛門に宗薫が「どうなされましたか」と問う。
「いえ、ふと討ち死にした忍びの顔が浮かんでしまいまして・・・」
「・・・・そのことについては言葉もございません。お悔やみ申しあげます」
「いえ、あれが忍びの宿命であり、本分を遂げたといえばそうなのです」
「ところで、マカオの賊は赤影に扮装していたそうにございますな」
「はぁ、妖艶で身軽な赤影でございました。ただし飛騨の忍者ではなく、甲賀の忍者であるところが漫画とは異なっておりましたが・・・」
と答えた瞬間、宗薫の目が獲物を狙う鷹のようにキラリと光った。
「その赤影の正体、身に覚えはございませぬか」
「・・・ございませぬ」
「下呂さまを仕留めることができたにも拘わらず、資料だけ奪って逃げたのですから、おかしな賊でございますな?」
と繰り返される問いに、舌右衛門はうすら恐ろしいものを感じた。
(この男はなにもかも見抜いているのではないか。自分よりもはるかに深いことを知っているのかもしれない・・・)
凍てりついたような空気を和らげようと、宗薫は話題を変えた。
「国元への土産はたんと買われましたかな?」
「はぁ、奥が病んでおりますゆえ、漢薬、西薬を問わず薬を大量に仕入れました。また医学書、薬学書もたんと買いました。ほかにも大量の書物と、趣味で弾いておりますギターラを1台・・・・」
「薬はいざしらず、それでは下呂さまのものばかりではございませぬか。ほかには何か?」
「好物の白葡萄酒を箱買いして帰ろうと思ったのですが、堺までなら運べても、国元まで陸路で運ぶのは容易ではございませんゆえ、瓶で3本だけ持って帰って参りました」
「それは少なすぎますな・・・この屋敷には蔵が十棟ありますが、じつはそのうちの1棟はワインセラーにしております。わたしが10本ばかりみつくろって、お国元へ送らせましょう。書物も大変な量でしょうから、こちらに置いていってくださいませ。あとで葡萄酒と書物をまとめて荷駄で送らせまする」
「・・・かたじけのうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます。」
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- 2008/04/23(水) 00:43:55|
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