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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

弾け!サンバースト(Ⅳ)-六弦倶楽部第6回練習会

竣工建物03背面01

 作戦を練るのが甘かった。まだだれにも言っていないのだけれども、26日(土)の夜、わたしは松江にいた。夕方まで寺町の下宿で練習し、夜になってから車で松江に移動したのである。なぜ松江に泊まったのか、というと、自分が設計監理した「八雲立つ風土記の丘」の奈良時代復元建物(庶民住居)が竣工しているはずで、それをひと目見たかったのだ、情けないことに・・・
 27日の朝、寝坊して駐車場料金を200円余計にとられた。米子に12時集合だというのに、ホテルのチェックアウトは10時半になってしまい、残された時間があまりにも短い。車を飛ばして「八雲立つ風土記の丘」へ。天気は最高、路ばたに躑躅が咲き乱れている。広場ではゴールデン・ウィークの余暇を過ごす子ども連れの家族や老夫婦がぽつりぽつり。2004年に訪れたイングランドの遺跡風景を思い起こした。遺跡を利用する人が多ければいいというものではない。
 復元建物は竣工していた。出来がよいのかわるいのか、わたしには判断できない。評価は第3者にゆだねるしかない。チラシのような説明書を貼り付けた仮の案内板が立っていたが、建物のまわりにロープがめぐらされ、中には入れなかった。展示館に立ち寄って、旧知の方々に挨拶さえすれば、なんの問題もなく、建物の内部をみせていただけただろう。しかし、時間がない。ここは急ぐしかない・・・と思いながら、すぐ近くにある神魂神社に久しぶりに参拝したくなって、それを実践し、おかげで、社務所に貼ってあった出雲大社遷宮のポスターをみてしまった。
 ここで、わたしの運命は転変する。そういえば、ご神体を仮殿に遷した出雲大社の本殿をGW中に公開しているではないか。なぜ気がつかなかったのだろう。あらかじめ気づいていれば、最初から大社本殿視察を含んだスケジュールを組めたのに、自分が設計監理した建物のことで頭がいっぱいになってしまっていたのである。

竣工建物02平側02アップ01

 高速を飛ばし、12時に米子駅前のカントリー・パブハウス「」についた。六弦倶楽部第6回練習会の会場である。代表を始め、メンバーはまだ数人しか来ていない。わたしは急ぎ104を通して出雲大社の電話番号を調べた。そして、社務所に電話し、旧知の某宮司様に電話をとりついでいただいた。受付は午後3時半までだが、午後4時までに来られるならば、ご案内いただけるというお返事をいただき、わたしはチョトロク代表に頭を下げた。練習会を午後2時すぎに抜けさせていただきたいので、できれば早めに演奏させてください、とお願いしたのである。代表ほか皆様には、わたしの我が儘をお許しいただいた。
 このほかにも、いろいろチョンボをしている。チューニング・メーターの電池が切れてしまってmifuさんにお貸しいただいたり、足踏み台を地下駐車場の車内に置き忘れたため、パブのマダムに廃棄物となる直前の風呂椅子を貸していただいたり、代表に10部おわたししようとしてもってきていた加藤家のパンフレット第4回練習会の写真が3枚掲載されている)をやはり車内に忘れてしまったのであった。神魂神社でわたしの頭のスイッチは「風土記の丘」から「出雲大社本殿」に切り替わってしまい、他の大半の事象がデリートされてしまったのである。

キヨシさん全景



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  1. 2008/04/27(日) 23:52:46|
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魔法の山 -久松山決死隊記

20080501201507.jpg

 前回のプロジェクト研究1&3で3班に分かれての久松山探索が決まった。わたしは同窓のノビタ君とともに、1年生のT君とM君の2名、さらに新3年生のK君とO君のあわせて4名を引率した。わたしたちの班は十時半に県立図書館に集合し、「西坂」と呼ばれるコースを登っていった。西坂は県立博物館の裏手から松ノ丸と鐘ヶ平を抜けて山上ノ丸の西側に出るコースであるが、「鳥取城跡附太閤ヶ平」パンフレットなど一般の観光案内図には見学コースとして紹介されていない。市の坂田さんやノビタ君からは、「草が生い茂っていて歩きにくい」とか「標識ロープ(黄色と黒で編まれた縄)伝いに登る」などと聞かされており、一筋縄には登れないらしい。こういう条件もあり、西坂コースに挑む我が班は「決死隊」と呼ばれた。

西坂の注意書
↑西坂登り口にある立て看板

 西坂は噂どおりの辛い道で、その雰囲気は修験道に似ている。道なき道をロープを頼りに登っていく。ここのところ雨の日が多く、足場の悪さを気にしていたが、思っていたよりは良かった。ただ、落ち葉が多く、これに足をとられることが多かった。道が倒木で塞がれている難所もあった。そこはスリムな人なら倒木の下を這って抜けることができた。だけれども、私みたいに太い人は倒れた樹をよじ登って越すしかなかった。もう登るのに余裕はない。松ノ丸で「まだ半分も来ていないのか」と思い、鐘ヶ平で「あと3分の1もあるのかよ」と思うほどであったが、なんとか山頂の山上ノ丸に着くことができた。そこからの眺めはすばらしく、見通しのよさは興奮ものだった。旧鳥取市域を見渡せるのだから気分は爽快になり、疲れも吹き飛ばしてくれた。

道なき道
↑西坂の道なき道      ↓風景は樹木越しでしか見えない
市街地を望む

      
松ノ丸石垣
↑松ノ丸周辺に残る石垣


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  1. 2008/04/27(日) 23:51:56|
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本家魯班13世

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