十神林道班 私たちは谷口ジローの『魔法の山』に描かれている久松山に登り、鳥取城跡の遺跡を調べながら山登りすることになった。13:00に鳥取県庁に集合し、鳥取西高校横の門より山に入っていった。前回のプロジェクト研究は鳥取城の歴史を市役所でお話を聞かして頂きました。私たちは鳥取城のこと、久松山のこと、仁風閣の歴史をこれまでの演習で学んできた。今回は、今まで学んだ知識を頭に入れながら実際に久松山に入ることになった。実際に登山するのは初めての人がほとんどで、不安な気持ちと好奇心がいっぱいだった。
私たちは、まず鳥取城二の丸に足を踏み入れた。そこからの眺望で鳥取市を見渡すことができた。二の丸には桜の木が生えていて花見で賑わう場所だ。桜は散っていたが、ツツジは満開で、鳥取西校の生徒たちがまとまってお弁当を食べていた。

私たちはお稲荷さんの赤い鳥居をくぐり、山に入っていった。足場に石段が作られているが、天守閣があった元禄ころまでにはできていた山道なので、足場がの状態が良いとは言えない。登山している人が多く、何人もすれ違って挨拶しあった。私たちは登山を目的とするのではなく、遺跡の調査を目的として山に入ったのだから、周りに目を配ってデジタルカメラでの撮影や配布された地図にメモを書き込んだりしながら進んでいった。最初おもっていたよりも石垣は数多くあり、山の中で平らになっている「郭」には建物が建っていたのだろうなどと話をしながら進んでいった。自然の岩盤なのか人工的な石垣なのかを見極めるのが難しかった。おそらく、自然の岩盤を利用し、それを石垣で補いながら「郭」を作っていったのだろう。

↑中坂5合目あたりの石垣跡 ↓石段も文化財。8合目の「山伏の井戸」
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- 2008/04/30(水) 23:00:28|
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4月29日は子どものころ「天皇誕生日」として国民の祝日であった。今では何と言う休日なのか知らない。さきほどみたTVニュースで「昭和の日」だと言っていた。初耳である。「昭和の日」があるのなら、「大正の日」や「明治の日」があったって良いと思うのだが、現実にはないのだから、「昭和の日」がなければならない理由はない。先日も「飛鳥」のオヤジが「休日が多すぎる」とぼやいていた(最近、巨人が弱すぎて機嫌が悪い)。わたしは二人の子どもを大学に通わせているが、GWのスケジュールは真反対で、姉の大学では全休、弟の大学では全出である。環境大学はというと、28日(月)のみ授業あり、以下休日(職員は出勤)。
今年の「昭和の日」は素晴らしい快晴であった。13時県庁集合。わたしはジャージ姿でビアンキに乗り県庁へ。すでにP1&3の大半のメンバーが集まっていた。27日に「決死隊」として登山した1・2年生2名(1名さぼり)をのぞく7名の1・2年生に加え、3・4年生も4名加わった。新3年生も全員集合。まずは、前夜、4年の部長とエアポートが作成してくれた地図等の資料と画板を全員に配布。

「今日の山登りの目的は山登りにあるのではないよ。久松山に登ることに
よって、久松山という城跡の自然と歴史に関するデータをえることが山登り
の目的です。だから、配った資料にたくさんメモを書き込んで! 写真を
撮った位置。珍しいものを発見した記録などね。こういうフィールドワークを
することが今日の目的です」
と、いきなりお説教がましいことを述べた。27日の「
西坂」登坂記事を反面教師としないければならない。決められたコースを歩き、「修験道のような登山」だと言って感想を述べても、なんの意味もない。どこに石垣の痕跡があり、どこに瓦片が落ちていて、水場や抜道をどういうふうに確保して、どんな植生に囲まれていたのか、記録すべきことは山ほどある。山登りをしながら、その「山ほどある情報」を記録にとっていない。2期生二人には面倒をかけたが、卒業後3年めの大先輩が引率しながら、引率された1・2年生が可哀想に思えたのである。

「昭和の日」、二の丸と天球丸の間の道を登りはじめた。上月棟梁のプレハブの前で、いきなりK教授にばったり(↑)。幸先のよいスタートを切った。まずは二の丸で市街を俯瞰。そこから、全員が大手にあたる「中坂」を上って山頂の天守跡に至り、「十神林道」班と「長田神社」班に分かれて山を下りた。各班のメンバーは、デジカメ撮影担当と地図への書き込み担当に分かれた。あとで長野県からきたMさんの書き込み地図をみせてもらったが、1年生とは思えぬ立派なものになっていた。また、兵庫県から来た同じ1年生のIさんは分厚い植物図鑑を持参していた。入学したての学生諸君がこれだけの準備をし、きっちりとした記録とりをしてくれたことがわたしはとても嬉しい。
さて、2班の構成を記しておく。
長田神社班: 2年Kさん・Kくん・Yくん、3年Oくん・Kくん・Uくん、4年部長
十神林道班: 教員A、1年Iさん・Mさん、2年Oくん
十神(とがみ)林道班の人数が少なかったのは、班分けの際、GW帰省する県外出身者で構成したことと、迎えのノビタ車に乗れる人数に制限があったためである。
以下、じゃんけんに負けた各班代表者のレポートを2回にわけて記す。

↑↓5合目の「久松中坂大権現」と周辺の郭?
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- 2008/04/30(水) 00:14:31|
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