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Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

奈良放送局での収録

収録01遠景

 金曜日に突然、NHK奈良放送局の記者さんから電話があり、土曜日午後2時から奈良放送局で短い収録をおこなうことになった。
 この話は前からあったのだが、連絡がないので立ち消えになったと思っていたところ、正式な依頼がきた。上下の写真の背面に映っているパネルは御所野遺跡(岩手県一戸町)の復元住居である。この収録のために壁に貼ったものだろう。テーマは「焼失建物」なんだから。
 このテーマなら、わたしが主人公になって然るべきなんだな。わたし以上に焼失住居跡について理解している人物がこの世にいるとは、勝手ながら、思っていない。しかし、わたしは今回、エキストラに近いチョイ役での出演にすぎない。
 話はややこしい。この3月末、ある有名な考古学者が奈良の研究所を退官した。かれの最後の仕事は「焼失建物」の全国資料集を作ることで、47都道府県のうち8道県の資料集がまもなく刊行される。記者は東京時代に考古学者に大変お世話になっていて、その恩返しにこの資料集について報道したいと考古学者に提案した。その後、まもなく考古学者からわたしに協力の依頼があり、報告書のゲラが大学にすべて送られてきた。わたしはその中身をまったく読んでいない。読むような時間的余裕もないし、読まなくても内容はだいたい分かっている。その後、記者からニュース番組への出演以来があった。それは連休前のことだったように記憶する。
 収録の前に報告書のアブストラクトを読ませていただいた。中身は予想されたとおりだった。基本的には正しいことが書いてあるが、やはり建築的な理解は甘い。その点は、わたしたちが今編集している「知の財産」報告書のほうがはるかに優っている。ただ、全国の統計というのもおそろしい作業で、そういう作業をしたいか、と問われれば、決してやりたくないから、考古学者に任すことにしよう。ただ、考古学者はもう少し建築の基礎を学ばなければならない。屋根が寄棟か、入母屋か、切妻か、などいう発想でとまっていても、竪穴住居の構造は解けない、ということに気づいてほしい。

収録02近景


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  1. 2008/05/31(土) 23:26:32|
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模型搬入(Ⅳ)-智頭町散策

P1170452.jpg
 
 智頭枕田遺跡の復元模型を智頭町役場に搬入し、智頭宿を散策し、板井原でゼミをしました。
 3年生は設計演習が佳境にさしかかっている(〆切を過ぎている?)ため、残念ながら今日のゼミには参加できませんでした。そこで、4年生と院生の5人で午前10時40分に大学に集合し、まず智頭町役場に復元模型を搬入しました。担当のKさんに模型やパネル、報告書類を渡し、お返しに智頭枕田遺跡のパンフレットを2種をいただきました。搬入した模型は6月19日から智頭町公民館で展示されるとのことです。

 その後、ゼミの時間まで先生が授業でこられないので、5人で智頭宿を散策しました。まず、お腹を満たすために「もみの木亭」でお昼ごはんを食べました。私はおすすめだという中の一つ、ぶっかけうどんをいただきました。とっても美味しかったです!! 
 また、「もみの木亭」は国登録有形文化財ということで、お店のおかあさんにご説明いただきました。2階の船底天井を見させていただき、座敷の窓の下の部分が開けられるなどの特徴も教えていただきました。通りから見るだけでは分からなかったのですが、庭が開けていて、とても開放的な印象を持ちました。

 お腹も満ちたところで、「石谷家住宅」を見学しました。石谷家住宅は参勤交代のとき陣屋として使われた大邸宅です。ただし、現在の主屋は大正時代に再建されたものです。ともかく、大きくて立派な家なので、中に入った瞬間、太い梁・桁が目に飛び込んできて、そのサイズにびっくりしました。中をまわってみると更にびっくり! いくつも部屋や廊下があり、大きな庭には池も滝もあって、なんだか迷子になりそうに感じました。また、2階へ上がる階段は2つあり、ひとつは普通の階段でしたが、もう一つは螺旋階段になっていて、更にそこには部屋へ入るための太鼓橋が架かっていました! 家の中に太鼓橋があるなんて・・・と、スケールの大きさにただただ驚いてばかりでした。

P1170544.jpg



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  1. 2008/05/30(金) 23:46:11|
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第7回「魔法の山」 -谷口ジローの風景-

カンサイタンポポ

 今日は学校の13講義室でそれぞれの班が中間報告をしました。どの班もまた久松山で調査した成果の発表でした。
 私の所属する自然班は日曜日に久松山に行き、そこで『魔法の山』に出てくるシーンの場所を探し、見つけた植物や動物を写真にとってきました。しかし、動物はなかなか見つけられなかったり、見つけたとしても捕まえられなかったり写真に撮れなかったりで大変でした。また、川のある場所がどこなのか分からなかったので、たまたま同じ時に久松山に来ていた漫画班にここではないかという場所を教えてもらいました。途中で雨が降ってきたため、漫画に出てくるすべての場所を回ることはできなかったことが残念です。
 発表は動物班と植物班に分かれて行いました。動物班は久松山に行ってそこで見つけた虫、博物館にいるオオサンショウウオについてなどをパワーポイントにまとめて発表しました。植物班(わたし)は久松山で見つけた植物を図鑑やネットなどを使って調べ、それぞれの特徴について発表しました。しかし、これじゃ前回までしていたことと大して変わらないし、先生にやってくるように言われていた、漫画のコマを切り取ってそれと同じ場所の写真を撮ってくるというデータシート作りの作業ができていなかったのでダメ出しをくらってしまいました。

シロツメクサ

 漫画班はデータシート計36枚をワードを使って作り、それを印刷して一人に数枚ずつ配りました。また、その写真には漫画のコマに写っている健一だったりお父さんだったりを、メンバーのうちの誰かに置き換えて撮影していました。先生には勉強しながら遊んで楽しくやっている感じでよいと好評だったし、わたしも見ていてとても楽しく、漫画と見比べたときに実際はこんな感じになるんだなと思えてよかったです。このように、自分たちが楽しみながら研究を進めていくことも、このような研究をしていく上ではとても大切なことだと思いました。
 歴史・遺跡班も漫画班と同じくデータシートをしっかり作ってきていました。中には漫画班と同じコマでありながら撮影した場所が違っていたものが3枚ほどありました。やはりどちらの班も、ここだという場所を探すのにとても苦労したようです。出来上がったデータシートは、すべての班が共有していきます。

スカンポ




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  1. 2008/05/29(木) 23:53:55|
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ユスラウメの実

 最近、ジャムに凝っている。始まりはタクオが出雲でくれた生姜入り蜂蜜のジャムだった。なんでも、藤原紀香御用達のジャムということで、大変な人気を呼んでいるとか。
 この生姜ジャムは炭酸水で割って飲んだ。出雲古代歴史博物館の生ジンジャーエールほどではないが、なかなか刺激的な味がして、家族にも好評だった。
 次に、西宮名塩パークで「ゆず茶」をゲットした。ゆずのマーマレードというよりも、ゆずの蜂蜜付けで、これも炭酸水で割ると美味しい。「ゆず茶」を初めて飲んだのは、倉吉看板建築調査の昼休みであった。喫茶店で「ゆず茶」を頼んだ。ジュースもおいしいが、底に残る皮付きのゆずを食べると甘酸っぱくて爽やかで疲れがとれた。「ゆず茶」の元のジャムを西宮名塩パークで発見したのである。
 次に青谷の物産館で「びわジャム」をゲットした。青谷の名物なのだそうである。びわジャムは飲料にはできない。もっぱら、ヨーグルトのトッピングにした。「ゆず茶」もヨーグルトによくあう。我が家のヨーグルトは、プルーンとジャムをミックスしてトッピングする。

ユスラウメ01

 昨日、「ゆず茶」と「びわジャム」が同時に切れた。代わりに良いものを庭先で発見した。ユスラウメ(イシランメ)の実だ。残念ながら、昨年ほどの収穫は見込めない。どうやら、剪定屋さんが庭の植木をみな苅り揃えてしまい、実のついた枝を失ってしまったようだ。
 夕食のデザートに、ユスラウメの実をトッピングしたヨーグルトを食べた。テレビでは、日本対パラグアイの試合を放送している。残念ながら、つまらない試合だった。深夜、プレミア・リーグ2007-2008の総集編をみたが、彼我の差は絶望的なほど大きい・・・・

  1. 2008/05/28(水) 17:52:56|
  2. 食文化|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅢ)

辞職

 長吉の急死は世間を驚かせたが、その一年と八ヶ月前の慶長十八年(1613)一月には、長吉の兄で姫路の藩主、池田輝政も急逝していた。一方、若桜の山崎家盛は長吉逝去の一ヶ月後、やはり若桜鬼ヶ城で急死する。大阪で豊臣方の動きが活発化し、家康も駿府を発ち大坂に向かうちょうどそのころ、家盛は死んだ。その2ヶ月後には早くも冬の陣の講和が成立する。
 大阪冬の陣を控える時期に、豊臣家恩顧の大名であった池田輝政・長吉兄弟、山崎家盛がこぞって急死したのだ。一方、この3人に縁の深い天球院は寛永十三年(1636)まで生き延びる。
 姫路では池田利隆、鳥取では池田長幸、若桜では山崎家治が家督を継ぎ、いずれも徳川方として、大阪の陣で戦功をあげた。大坂夏の陣を経て豊臣方の勢力は完全に掃去され、年号の変わった元和の元年(1615)、一国一城令が制定される。一国一城令により、因幡・伯耆は一国とみなされ、若桜、鹿野、倉吉、米子など諸城の藩主はいっせいに転封の運びとなった。
 が、元和二年、徳川家康が大往生を遂げたからであろうか、実際の転封は翌三年(1617)まで持ち越された。若桜の山崎家治は備中成羽城3万5千石、そして鳥取城の池田長幸も備中松山城6万5千石への加増転封が決まった。この両藩は、いまの岡山県高梁市にあって隣接している。鳥取城には池田輝政の嫡孫にあたる池田光政が因幡・伯耆32万5千石の領主として、まもなく着任しようとしていた。
 舌右衛門は富士屋の旦那、伸太とともに薬研堀の茶屋にいた。もちろん鮎が席についている。富士屋が話を切り出した。

   「下呂さま、とうとう備中松山への移封が決まりましたな。引っ越しのご準備など始められましたか」
   「いや、松山へは行きません」
   「えっ、どういうことでございますか」
   「じつは今日、藩校に辞表を出してきたのです」
   「鳥取に残られるのですか」
   「はい。奥もそれを望んでおりましてな。京の近辺ならいざしらず、山間部の松山で晩年を過ごすよりも、住み慣れた故郷の鳥取で暮らすほうがよいと考えました。海に近くて、魚も美味いですからな」

 不安気に話を聞いていた鮎の目が一転光った。

   「それでは、これからも、この茶屋に通っていただけますね。鮎は嬉しうございます」

 舌右衛門はしばらく間をおいて答えた。

   「禄を失ったのだから、茶屋通いもままならぬであろうな・・・」

 鮎はその返答を打ち消すように、言葉を足した。

   「下呂さまなら半額でかまいませんよ。ほんとはタダでもいいんだけど、そこまですると、まわりがうるさいから、とりあえず半額で。これからは、伸太さんにもちゃんと割勘でお支払いいただけばよいのです。割勘ですよ、伸太さん! かわら版で儲けているのですから・・・」

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  1. 2008/05/25(日) 00:31:26|
  2. 小説|
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旧美歎水源地でのゼミ

水源地01

 鳥取市に所在する建造物で3件目の国指定重要文化財となった「旧美歎水源地水道施設」を見学した。参加者は浅川研の9名で、またしても、鳥取市市文化財課のSさんとMさんにご案内していただいた。じつは、旧美歎水源地は教授が研究所時代に調査し、その成果を含む報告書『鳥取県の近代化遺産』を1998年に編集されている。

 旧美歎水源地は水源地のシステム全体が残る土木遺産である。施設は大正4年(1915)に竣工、大正7年9月の大雨により堰堤が決壊、大正11年に現在の堰堤に改修された。それから約50年の間、鳥取市民に水を供給し、昭和53年(1987)に水源地としての役割を終えた。現在、堰堤は平成10年に改修工事を経て砂防ダムとして機能している。

20080523224454.jpg



20080523224501.jpg
<旧美歎水源地のろ過池施設>


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  1. 2008/05/24(土) 00:07:54|
  2. 建築|
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第6回「魔法の山」 -谷口ジローの風景-

藤02

 先週は、三つの班全員が五月十八日に山に登ったようです。自然班と文化班は午後一時から一緒に行ったのですが、漫画班には出会わなかったので、彼らは午前に行ったのだと思います。
 動く動物を探したり、写真を撮ったりするのは難しかったですが、一度目に登ったときよりも多くの動物を見ることができました。植物も、注意して見ることで、気付かなかったことも多く発見できたと思います。例えば、標高によって生育している植物が異なっていたり、葉に病気を持っている木などが見られたりしました。生育している植物の葉を採取してかえりました。しかし、今日のゼミで先生が言っていたように、動植物の分布を調べたりするのは、すでに先人たちがしてきたことですし、膨大な時間と労力がかかると思います。「魔法の山」という作品との関連性も薄いように感じられました。
 文化班の方々は、山頂付近で出会った壮年期層の男性に城跡の話をいろいろとしていただいたそうです。山頂は人の手が加えられているというのがよくわかります。ロープウェー駅舎や休憩所などをつくるために広範囲にわたる樹木の伐採が行われ、生物の生態系に変化が生じているそうです。

水たまり01

 帰り道、山頂にあった小さい堀のようなところは、ほとんど生物の住める環境ではありませんでした。おそらく、その閉鎖性から、BODが高く、水が腐化していると思われます。棒で底を突くと気泡が上がったため、メタン等が発生しているとみられます。よく見てみると、ヒルのような生き物が蠢いていました。
 長田神社方面の道を通って帰ってきました。途中、カエルの鳴き声がしたのですが、姿は見えませんでした。川の水を含んで、足場がぬかるんでいました。川の水で湿っているせいか、倒木にキノコが生えていました。途中、池に通じている脇道があり、そちらに行きました。池は、『魔法の山』の洞窟の中の聖泉とは違いますが、何か住んでいるように思えました。池の周辺でヘビを見かけました。帰る間際に、池の水が跳ねたので何か住んでいるようです。水が黄土色に濁っていてよくみえませんでした。
 元の道に沿って、水のきれいな川が流れていました。人も飲めるようです。下りてきました。

水たまり02


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  1. 2008/05/23(金) 12:30:10|
  2. 環境|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅡ)

お断り

 『薬研堀慕情』ⅩⅩⅩⅩⅠ「秘薬」、同ⅩⅩⅩⅩⅡ「快楽」については、文学作品の連載上、必要欠くべからざる部分として公開しましたが、当初より「短期間の公開」と決めておりましたので、ここに非公開とさせていただきます。
 なお、本作品につきましては、単行本化の準備を進めておりますので、非公開部分については、単行本をお買い求めの上、お読みいただければ幸いです。




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  1. 2008/05/22(木) 00:00:22|
  2. 小説|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅠ)

お断り

 『薬研堀慕情』ⅩⅩⅩⅩⅠ「秘薬」、同ⅩⅩⅩⅩⅡ「快楽」については、文学作品の連載上、必要欠くべからざる部分として公開しましたが、当初より「短期間の公開」と決めておりましたので、ここに非公開とさせていただきます。
 なお、本作品につきましては、単行本化の準備を進めておりますので、非公開部分については、単行本をお買い求めの上、お読みいただければ幸いです。







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  1. 2008/05/21(水) 00:10:57|
  2. 小説|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩ)

依頼

 舌右衛門はさらに問う。

   「この3年半、茶屋にも出ず、何をしておったのだ?」
   「マカオから帰ってきて、なんだか茶屋にでるのが億劫になってしまいましてね、ただ梟(ふくろう)の仕事だけしておりましたよ」
   「梟?」
   「お城の警備と忍びの本業です。ほとんど夜しか動かないから、梟って呼ぶんです」
   「わしのことも調べていたのか?」
   「下呂さまだけじゃありませんけどね、倭文の御屋敷にも何度かお邪魔してますよ」
   「うちの伊賀者3人はそなたに気づいておらんのか」
   「あの3人はね、いつもロフトとかいう天井裏できゃあきゃあ騒いでいるだけで、わたしがロフトと座敷の間の小屋梁の組んである暗闇にいても、まったく気づきませんね」
   「そうなのか・・・」
   「それにしても、奥様の闘病と殿の看病には頭が下がりました。いいご夫婦ですね。わたしゃ、胸を打たれちゃってね・・・この一家を不幸にしちゃいけないって決めたんです」
   「・・・・」
   「あんなに奥様を大事にされる殿方はそうそうおりませんもの。わたしも女ですから、普通なら嫉妬心がわいてくるところなんだけど、奥様の闘病ぶりをみてるとそんな気持ちはぜんぜん起こらなかった。なんで、ああいう女に生まれなかったんだろうって、つくづく思いました。仏のような奥様じゃございませんか」
   「・・・・」

 舌右衛門は、最後にどうしても訊いておきたいことがあった。

   「かわら版の件は、どこまで押さえておる?」
   「あれは、一本取られましたね。ノーマークだったんです。下呂さまも看病に集中されているし、まさか大層なことやらかさないだろうと思いこんでたんですが、とんでもないかわら版がでちゃった。やられたって、思いましたよ。証拠らしい証拠はまったく残ってませんしね・・・ところが、その晩に伸太さんと富士屋の旦那が浮かれた顔して茶屋にあらわれるじゃないですか。わたしゃ、近づかないことに決めたんです。下手に話を聞いてしまうと、長吉さまに知らせなきゃいけなくなりますからね。だから、伸太さんを無視したんです。ところが、あのお二人、飲んでわいわい騒ぎ始めて、それとなく事件のことを漏らしたらしいんですよ。茶屋にはわたしと妹以外にもくのいちが何人もいますからね、そのうちの一人が長吉さまにお知らせしたみたいです」
   「・・・捕まるかの、あの二人?」
   「分かりませんけど、最近の長吉さまは普通じゃないですから、いきなり捕まえて拷問ってことになるかもしれません。甲賀の首領ですから、伊賀者は大嫌いですしね・・・でも、ご心配なさらなくても大丈夫ですよ。もし、あの二人が捕まったら、あたしが二人を始末してさしあげます」
   「なんと」
   「だって、あの二人、拷問をうけたら、下呂さまのこともゲロしちゃうでしょ。そうなると、下呂さまだけでなく、奥様やお子さまたちにまで災いが及びますもの」
   「・・・・」

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  1. 2008/05/20(火) 00:37:44|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅨ)

正体

 舌右衛門の太刀が振り下ろされる瞬間、鮎は身を反らせて太刀をかわし、そのままくるりと反転して、縁の上に跪き、身構えた。猫のような身軽さである。一連の敏捷な動きが、鮎の正体を証していた。

   「・・・・だんな、あたしを殺そうってんですか」

と鮎は舌右衛門を睨みつける。舌右衛門は、にこりと笑い、

   「すまん、すまん、これは竹光じゃ。わしが命の恩人のそなたを殺そうと思うわけなどないわ。ただ、くのいちであることを証明してみたかっただけだ」

と答えて、竹光の太刀を鞘におさめた。

   「命の恩人?」

と鮎は問う。

   「あぁ、命の恩人だ。マカオに派遣された賊がそなたでなかったら、わしは殺されておった。生かしてくれたことを心から感謝しておる。利蔵の件は残念だが、伊賀者と甲賀者の斬り合いなのだからな、仕方あるまい・・・」

 鮎はたちあがって、向拝の階(きざはし)をおりていった。芝居も終わった、という諦め顔をして舌右衛門に問う。

   「下呂さま、あたしが甲賀のくのいちだって、いつから気づいたんですか?」
   「この境内で襲われたときから怪しいと思い始めた。あの夜、刺客を送った主犯はだれか、と考えたのだがな、池田長吉以外はありえぬ、と直感した」
   「どうしてですか?」
   「わしがマカオに行くことを知っていたのは、柳生の密書を受け取った長吉だけなのだ。それに、分身の術を使う忍びが甲賀の者であったからな。池田長吉は鳥取城に移封される前は近江甲賀郡水口城3万石の城主であり、水口でわたし自身、短期ながら宮仕えしていたのだからな・・・当然、長吉は甲賀の忍びを大勢囲いこんだまま鳥取にやってきたと考えるべきであろうが」
   「長吉さまと甲賀が結びつくのは分かりますが、茶屋までは結びつかないでしょう?」
   「襲われたのが、茶屋をでた直後だったからな。茶屋でおなご衆はわしらの話をいくらでも聞けるのだから、こちらの動きが茶屋を通して長吉に筒抜けになっておる、とあのとき感じとったのだ」
   「そんなに早くからお気づきでしたんですね。たしかに、あの夜、わたしは本堂の屋根の上で決闘の一部始終をみてましたよ。予想以上に手強い相手だって思ってね、倒すには研究が必要だと」
   「どうして、みだれ髪を使わなかった? 髪を黒く染めていたのに」
   「あの日は風向きがわるくてねぇ・・・」

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  1. 2008/05/19(月) 00:16:30|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅧ)

告白

 いつもなら、人気者の鮎はいくつも席をまわって贔屓客の相手をするのだが、この日は客足が少ないこともあり、おそらく女将からも指示を受けているのであろう、舌右衛門の席を動かなかった。二人は4時間ばかり二人だけで話をした。話はいくらでもあった。舌右衛門はできるだけ鮎の話を聞いてやるように心がけた。
 閉店時間も近い子(ね)の刻、鮎は女将に呼ばれた。「ちょっとだけ別の席に行って、すぐに戻ってくるから」と言って鮎はいったん消え、代わりに、遥香という鮎の友だちが席についた。鮎の仲良し友だちではあるが、やはり鮎のように話ははずまない。そのころから舌右衛門はあることで悩み始めていたのだが、閉店時間も迫っていたので、ふっきれたように決断し、遥香に「お愛想を」と頼んだ。
 すると、鮎が飛んで駆け戻ってきた。

   「もう、帰るんですか?」
   「閉店時間だからね、そろそろって思ったんだけど・・・もう少しいようか」

 さきほどまでの悩みがまたぶり返してきた。鮎の顔をまともにみられない。鮎は「どうしたんですか、気分がわるいんですか、それとも眠いの?」と心配気に訊く。舌右衛門は口に出そうか、出すまいか、さんざん悩んでいたひと言を、だれにも聞こえないように小声で漏らした。

   「鮎どの、怒らんで聞いてくれ」
   「はい」
   「・・・そなた、甲賀のくのいち・・・であろうが?」
   「えぇ~っ、なにをおっしゃいますの!?」
   「まぁよい。これからわしは店を出て、寺町明慶寺の境内でそなたを待っておる。茶屋の片づけが終わったら境内まで来てくれぬか」

 鮎は困ったような顔をしていたが、まもなく、

   「・・・分かりました」

と答えた。

 舌右衛門は茶屋をでた。小雨は上がっている。薬研堀沿いに北上して寺町の明慶寺境内に入り、石畳の参道を本堂に向かった。かつて甲賀の忍びに分身の術で襲われた場所である。向拝で合掌一礼したあと、本堂の縁にどかりと腰をおろした。鮎が来てくれるのかどうか、わからない。少し冷えるが、それは辛抱して、ただ待つしかなかった。
 丑(うし)の刻を半刻ばかり過ぎたころ、柳腰で歩くおなごが境内に入ってきた。鮎だった。少しふてくされたような顔をしている。鮎も向拝で一礼し、本堂の縁に腰掛けた。

   「下呂さま、お呼び出しなさるなら、せめて小料理屋かどこか、もう少し暖かいところにしてくださいな。今宵は冷えます・・・」
   「いや、話が話なので、まわりに人がいては困るのだ」
   「やっと口説いてくださる気になったんですか」
   「いや、口説き落とせるような自信はない」
   「じゃぁ、やっぱりわたしが、甲賀のくのいち・・・ってお話ですか。そんな戯れ言は聞きたくありません」
   「伸太から、そなたが茶屋に帰ってきたと聞いたのだがな、茶屋に行く予定はまったくなかった。かりに茶屋で出会うことがあっても、この件は黙っていようと思っていたのだが、そういうわけにもいかなくなってきたのでな」
   「わたしは茶屋のおなごです。甲賀のくのいち、なんかじゃありません」
   「いや、そなたがマカオでわしを襲った赤影であるのは分かっておるのだ」
   「ちんぷんかんぷんです」
   「忍法みだれ髪はよう痺れた。でもな、あの幻術の弱点は、みだれ髪が敵方の体に巻き付いて残ってしまうことだな」
   「・・・・」

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  1. 2008/05/18(日) 00:03:47|
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恩師来鳥 -蓮如の道

西川先生01尾崎家01

 大学時代の恩師が出雲大社の公開で昇殿され、鳥取経由で帰京されるという連絡が一月ばかり前にあった。先生は日本都市史のパイオニアで、とくに蓮如が各地で築いた「寺内町」の研究で知られている。毎年、研究室の成果物を送っているのだが、とりわけ『尾崎家住宅』の報告書に注目された。尾崎家住宅に残る仏間、すなわち堅田門徒の「道場」をみたいということなのでご案内した。
 先生は16日の夕方に駅前のホテルにチェックインされており、某准教授、某助教とわたしの3人でお迎えに。ホテルから懇親会場の「匠」にお連れした。まもなく県庁からM女史も合流。
 何年か前に来鳥された際も懇親会は「匠」だったのだが、前回は2階で魚料理、今回は1階でしゃぶしゃぶとした。肉は河原の和牛とのこと。美味しかったな・・・7時から始めて10時過ぎまで先生は間断なくお話しされた。とくに記憶に残ったのは、中国の連邦国家制のお考えである。
 ほかには、中国とロシアのおかげで、マルクスはいい迷惑を被ったというお話。つまり、マルクスのいう社会主義は資本主義が高度に発展した段階でようやく到達するものであり、イギリスとか北欧諸国あたりが採用すれば結構うまくいったかもしれないが、中国とロシアという封建国家がいきなり社会主義を飛び越えて「共産主義」を唱えたばかりに、マルクス主義の中身がマルクスの主張とはまったく異なった悲惨なものになり、「マルキシズムは駄目だ」という烙印を押されてしまった・・・中国とロシアのおかげで、マルクスは大変な迷惑を被った・・・・たしかにそうかもしれない。
 「匠」をでてホテルまでお送りし、残る3人とお茶でも、と思ったのだが、まぁいいか、と考えなおし、「茶屋」へお連れした。というわけで、3人は鮎殿のモデルさんとご面会。ここでも話は弾みましたね。鮎殿とM女史と助教は同世代で、とくに女性ふたりで「占い」の話に熱中してました。それはさておき、M女史はどうしても出雲大社本殿の公開に行きたいというのだけれども、あそこは結婚前のカップルが行くと御破談になる神社として有名だから気をつけるよう諭しておきました。

西川先生01尾崎家02仏間01

 翌17日、9時にホテルにお出迎えし、まずは加藤家住宅へ。ここでエアポートが待っていたのだが、まだ雨戸も開いていない。肝心のパンフレットも届いていない。どうしてか、と訊けば、

   「ホカノさんがまだ・・・・」

とのこと。自分のゼミの恥を公開することになるから書かないほうがよいのだろうが、やっぱり書く。

  これまでいろいろな人類と出会ってきたが、ホカノ以上に学習能力のない
  人物がこの世にいるとは思えません。

 この日と同じような遅刻はすでに何回あったか分からない。20回は優に超えている。叱ろうと、ゼミで退席しようと、F判定をしようと、何をしても変わらない。なにより、宮本制作の模型が滅茶苦茶に壊れてから2週間しか経っていない。

 わたしはどうすれば良いのだろうか。いきなり、真剣に悩んでしまった・・・またまたまた、悩んでしまった。今年、かれは頭を丸めた。自らを戒めているのだと信じていた。だから、こういうことがおきないはずだった。しかし、現実には、この2週間で3回連続して、類似の事件をおこしている。

庭と民家



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  1. 2008/05/17(土) 23:52:50|
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模型搬入(Ⅲ)-下味野童子山遺跡SI-01

搬入01展示室


2008/05/16
 
 昨年、浅川研の4年で卒業論文として3つの竪穴住居を当時の2年2名と3年のピヴォさんと4年のケンボーさんの計4名で復元模型を制作した。復元模型を作ったした遺跡は、智頭枕田遺跡、下味野童子山遺跡、クズマ遺跡の3つです。私も当時2年のプロジェクト研究4で製作に携わり、多くの苦労とよい経験をさせていただきました。自慢ではないですが、かなり味のある模型で、仕上がりもすばらしくできています。
 その内、下味野童子山遺跡SI-01の復元模型を埋蔵文化財センターに常設で展示していただけるということで、今日は3年生3名と院生のOさんと先生で鳥取県埋蔵文化財センターに搬入に行きました。

3年3名

 そして、いざいってみると、なんとガラスケースでコーナーを一つ丸まる用意していただいており、たいそうよいところに模型を展示していただきました。県の施設に常設で展示していただけるだけでもうれしいことなのに、学生の模型がこんな目立つような場所におかれていいのか?と思い、恐縮してしまいました。模型にパネルをつけてもらえるようで、更に展示がよくなるのだと思います。まるで、娘を嫁に出す親のような心境でして、あとは埋蔵文化財センターのかたがたにお任せし、「よくしてやってください」とお願いするしだいであります。
 模型搬入が終わると県庁と市役所の文化財課に加藤家のパンフレットを100部ずつ納品しに行きました。そのあとは帰りに若桜橋の大幸というたこ焼き屋さんでたこ焼きと小豆アイスを買って食べました。小倉アイスお勧めですね(^ー^)v。 (3年U.K)

搬入02展示室


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  1. 2008/05/16(金) 23:54:47|
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模型搬入(Ⅱ)-クズマ遺跡5号住居

くずま01


2008.5.16.Fri 

 本日は模型の搬入日。以前からの計画によりやっと搬入に至ります。下味野童子山遺跡SI-01と倉吉クズマ遺跡5号住居の復元模型の受け渡し日です。下味野童子山は教授、院生O先輩、3年生3名により鳥取県埋蔵文化センターに、倉吉クズマはわたしが倉吉市教育委員会文化財課に搬入することになりました。なお、クズマの模型は倉吉市博物館で展示されます。
 私、地元が倉吉でして、これまで何度も受け渡し場所周辺を訪れていたので地理には自信がありましたし、何より「近いからお前いけ」という教授の指示により決定しました。また、この倉吉クズマ遺跡5号住居模型は去年卒業されましたケンボー先輩の卒業研究の制作模型でして、その制作に私も加わっておりました。ですから、この模型には少なからず思い入れがあります。最後のお別れの日に私自身が立ち会えることになったのはホントに嬉しいことです。

 搬入。事前のコンタクトにより文化財課Oさんと待ち合わせ。16:00ジャスト、O様とご対面です。「はじめまして」のご挨拶をすまし「こちらへ車のほうを回してください」とのご指示のもと車を移動。行き先には何やら建物が。

   「えっ? ここ?」

と思わず言ってしまいそうになった私でしたが、まさかここが文化財課だったとは…。私幾度となく、この周辺を訪れていたのですが、今の今まで人のいない空き建物?だと…ホントに失礼いたしました…。と、まあびっくりスタートではじまった模型搬入ミッションでしたが、模型を私の車からOさんとともに文化財課の階段をのぼって運び終え、加藤家のパンフレット・パネル・ROMデータをお渡しし、最後に記念撮影をパシャ☆っと撮り終え、無事、受け渡しを終えました。
 文化財課の皆様、ありがとうございました。 (ピヴォ)

くずま02福井

  1. 2008/05/16(金) 23:02:32|
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模型搬入(Ⅰ)-加藤家ロフト

2008.5.15.Thu

 久しぶりにブログ上げます、ハンドルネーム「左SH」あらため「ピヴォ」です。よろしくお願いします。GW前から3期生のY先輩が制作した加藤家住宅骨組模型をロフトに展示することが決まり、わたしが模型台の制作を行いました。5月15日、プロジェクト研究1&3の時間に搬入が終了しましたので報告させていただきます。

模型台20080515235459


模型台の制作にあたって
 我が研究室のモットー「セルフビルド&ゼロエミッション」に即して、材料はすべて廃材を使用しています(ネジ・蝶番を除く)。この模型台の材料はわたしの祖父に提供していただいたものです。祖父は日曜大工が趣味なもので今回の模型台の制作について話をしたところ、こころよく廃材を提供してくれました。一応、祖父の工場(軽トラの荷台)がありますので、作業設備は完璧です(笑)。ということで準備もできたし、さあ作ろう!と、ここまではよかったのですが何せ祖父はやりたがりの性分。私が作業しているのを最初は横目で眺めていたのですが、

   「ちーと俺がしてみたるがな(ちょっと手伝ってやる)」

と道具片手に自慢の腕さばきをしてみせる。ノコ引き・カンナ掛け・釘うち・ネジ締め…と、まさに職人技。いや本当にうまいです…。苦笑
 終いには

   「俺がココ切ったるけぇお前そこもっとれぇーや」

と、もはや我が作品。私はアシスタントにまわります…笑。とまあ何はともあれ完成。それなりにしっかりとしたものが出来上がりました。作業が終わり私が片付けをしていると祖父が一言。

   「お前がよーテゴ(手伝い)するけ仕事が早いわい。ご苦労さん!!」

もう、分けわかりません。笑 
でも、そうやって私の課題につきあってくれた祖父には感謝していますし、よい勉強にもなりました。

  じーちゃん、ありがとう。

 5/15<木>の模型代搬入日、加藤家のロフトに展示した模型台とその模型写真+加藤家の写真を祖父に見せたところ実に満足げな表情をしていました。

   「うん、ええ具合だがな。この加藤家っちゅうところはなかなかおもしれぇ所だな。ええところだ。でもなお前、この模型の写真、もうちーと(もう少し)ええのないだかいや(いいのはないのか)?俺ならもっとええ具合にとるじぇっ!!
ははは!!笑」

 祖父は写真も趣味です…。 (ピヴォ)

福井20080515235447


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  1. 2008/05/15(木) 23:58:57|
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第5回「魔法の山」 -谷口ジローの風景-

加藤家05庭

お座敷ゼミ

 今日は久しぶりに加藤家住宅でゼミをおこなった。研究室としては今年度2回め、1・2年のプロジェクト研究1&3では初めてである。
 庭が綺麗だった。躑躅は終わろうとしているが、池の縁に咲く菖蒲の黄に目を奪われる。家紋のような白い円形の文様をもつ黒揚羽蝶がそこに飛んできた。梅雨に入る前のいちばんよい季節になったと思う。
 今日のブログは、1年生のMさんがあたった。まだメールの送受信に慣れていなくて、さきほどまで四苦八苦していたみたいだが、「今夜は勘弁してください」との連絡があった。勘弁しちゃいますよ・・・明日お願いします。ちなみに、Mさんは長野県からやってきてくれました。「植物」に興味があり、今日の発表では数冊の図書を紹介してくれたんですが、「毒草」と「食べられる野草」の図鑑を借り出してましたね。このまえ一緒に山登りしたとき、「山菜で天麩羅を食べよう」とわたしが口を滑らせたものだから、真剣?に対処してくれたようです。

加藤家01ロフト説明01

 ゼミは、まず上級生が最新パンフに基づいてロフトやイロリの案内。それから、いつものように屏風をスクリーンにしての学生の発表を聞いて、最後は、またいつものようにトウモロコシを焼いて食べましたね。
 今日のわたしは、行き帰りの車に4人の女学生をのせておりまして、

   「たまには学校ではなくて、外でゼミするのもいいでしょ?」

と訊ねたところ、嘘かホントか知らないけれど、

  「こっちのほうがいいです・・・」

とのお返事を頂戴しました。加藤家で山菜の天麩羅をする日が来るといいな・・・

 では、Mさんのブログ記事はあとで「続き」に掲載しますので。

加藤家02座敷ゼミ02




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  1. 2008/05/15(木) 23:30:55|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅦ)

再会

 舌右衛門はいったん城下の下宿に戻った。腹が減っていたが、何もつくる気力が湧かないので、湯漬けをすすって小腹をおさえ、しばらく座敷に寝ころんでいた。思考が停止している。
 初めて出た山上の丸の評定は、予想をはるかに超えて苛烈なものだった。なんともやりきれない気持ちが体内に渦巻いている。だれかに癒やしてもらわなければどうにおさまらない。
 舌右衛門は、薬研堀の茶屋に行く決心をした。めずらしく一人で行こうと決めた。茶屋の暖簾をくぐると、左方向手前の席に鮎がいて、すぐに目があった。鮎は無視するどころか、舌右衛門をみて驚いた顔をし、笑みを送った。ただちに女将が寄ってきた。女将も久しぶりの来店に驚いている。「おひとり?」と言って人数を確認すると、いちばん奥の一人用の席に舌右衛門を案内した。
 女将はほんのしばらく舌右衛門の相手をしたが、まもなく鮎が席についた。じつに3年半ぶりの再会であった。舌右衛門は鮎が目の前にいることが信じられない。鮎も同じような眼で舌右衛門をみている。二人は、なんだか照れくさかった。
 目の前にボトルが置かれた。それは3年半前に入れたスコッチで、底に1センチほど酒が残っている。

   「これ、まだ処分されてなかったんだ」
   「え~っ、これ、あのときのなんですね。そんなに来てなかったんですか」
   「あぁ。全然来なかった。そなたがおらぬと、この店に来ても退屈でな。それに・・・」
   「それに?」
   「倭文の奥が倒れてしもうてな」
   「えっ、奥様が?」
   「あぁ、倒れたときは死ぬかと思うた。それほどの重症だったのだが、最近、ようやく回復してきた。ただ、脳をやられて右半身は麻痺したままじゃ・・・」
   「そうでございましたか。それでは茶屋遊びなどしている場合ではございませんわね」
  
 舌右衛門は幻視かと思った。「奥が倒れた」と話したとき、鮎の瞳が少し輝いたのだ。

   「それにしても、いつ茶屋に戻ったのだ?」
   「三月前にございます」
   「伸太が無視されたと言っておったぞ」
   「そんなことありませんよ、あの日はお客さまが多かっただけです」

 少し前から小雨が降り始めた。

   「おもて、人、歩いてました?」
   「いや、少なかったな・・・雨が降りだしたからな」
   「まぁいいわ、今宵は下呂さまの貸し切り、決ま~り!」
   「おいおい、いいのか、そんなこと勝手に決めて。女将に叱られるぞ」

 鮎の笑顔は疲れ切った舌右衛門の精神をほぐし始めた。「お疲れのようですね」と鮎が訊く。
  
   「なんで、この店に来たかっていうとね、今日の会議は滅茶苦茶でな、5時間以上も続いたのよ。もうへとへとでね、ともかくだれかに癒やしてもらわないと眠れない、と思ったのだわ。ひとりで茶屋に来るのは怖いのだが、勇気を出してきてしまいましたぞ!」
   「なんで怖いの、ここが?」
   「だって、だれも相手してくれんときがあるのよ。ほったらかしにされると淋しいものだわ・・・」
   「今宵は鮎がべったりお相手しますからね。で、どんな会議だったんですか?」
   「ひとり狂っている人物がおってな、まわりがどれだけ反対しても、言うことを聞かない。採決すれば決まってしまうのだが、採決すらできない。無茶苦茶な会議だわ・・・」
   「まぁまぁ、もうよろしいではございませんか。鮎と楽しいお話をしましょうね」

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  1. 2008/05/14(水) 00:00:09|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅥ)

評定半日

 ピーンと張りつめた空気を断ち切るように、嫡男の長幸が口を開いた。この日の評定を仕切っているのは長吉ではなく、長幸であることを重臣たちは頼もしく思っている。長幸は粘り強く舌右衛門から情報を聞き出そうとした。
 
   「西洋の事情をもっともよくご存知の下呂どのは、大坂方に付くという藩主のお考えについて、どう思われまするか」
   「その件についての意見を述べるのは控えさせていただきます」
   「なぜですか?」
   「わたしの役目は、マカオで見聞した西洋の事情をお伝えすることでございます。その事実に基づいて、皆さまがたがご判断いただければよろしいかと。ただ、そう思っております。もっとも、わたしの述べることが、すべて大嘘だと申されるのでしたら、わたしの存在意義などありませぬが」
   「いやいや、さきほどは父上も興奮のあまり口がすべったとお考えくだされ。多少なりともご意見をお聞かせいただけませぬか」
   「いえ、こういう状況で江戸方に付くべきだとかりに述べたとしても、幕府の間諜だからだと非難されれば、それで終わりにございます」

 舌右衛門は意見を述べぬといいながら、いま意見を述べたことに出席者は気づいている。長幸はこれを喜びながら、さらに問うた。

   「意見を述べたくない、ということでしたら、なにか、もう少し参考になる事実はありませんか」
   「今井宗薫さまのお屋敷で、今井さまと一刻ばかりお話をいたしました」
   「ほう・・・」
   「お互い腹を割って話したわけではありませんで、腹の探りあいに終始いたしましたが、今井さまはこのたびの事態を深く見通されているように感じました」
   「と申しますと・・・」
   「つまり、今井さまはこの藩の企みも、わたしを襲った賊のことも何もかもお見通しであるような発言を何度かなさいましたのでございます」
   「ということは、駿府の大御所も同じだと言われたいのですな」
   「さようにございます。大御所さまは、鳥取藩池田家に謀反の動きありとお察しのことと推察いたしました」

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  1. 2008/05/13(火) 00:12:55|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)

幕府の間諜

 嫡男の長幸は、父親の態度を謝罪するかのように、やんわりと本題の質問に移り始めた。

   「下呂どのは慶長十五年の秋にふた月近く、マカオに出張しておられますが、それはどういう経緯であったのでございますか」
   「はい、駿府の大御所さまからの依頼でございました。南蛮は南蛮が強いと言い、紅毛は紅毛が強いと言うが、いったい西洋の事情はどうなっているのか、最新の事情を調べてきてほしい、という依頼でして、藩主の長吉さまには柳生宗矩さまから派遣の許可を求める書状を送られたと聞いております。」

 ここで長幸は父親の顔を覗きこんだ。長吉は、その通り、という顔をしてみせた。結局、何が分かったのですかな、と長幸は質問を続ける。

   「まずはイスパニアの無敵艦隊の実態を知りました」

と舌右衛門は答えた
 ここで長吉の表情はくすみ、重臣一同は目を見開いた。舌右衛門は、サラと二人で学んだ内容をそのまま伝えた。すなわち、アルマダの海戦でスペインの大艦隊は壊滅的な打撃をうけ、イギリス人がその弱さを揶揄して「無敵艦隊」と名づけたという事実を披露したのである。重臣一同、この返答に驚愕した。

   「とすれば、無敵艦隊は無敵ではなく、エゲレスの海軍よりも弱いわけですな」

と長幸が問い、

   「そういうことでございます」

と舌右衛門は答えた。問答は続く。

   「ということは、イスパニアの艦隊が日本に押し寄せる可能性は薄いということではございませんか」
   「ほとんどありえないだろうと、わたしは思っております」
   「その理由は?」
   「いま西洋でいちばんの強国はオランダでございます。とりわけ、インド洋から東シナ海にかけての地域では、オランダ東インド会社が圧倒的な力をもっておりまして、かりにスペインが日本に艦隊を派遣しようものなら、まずはオランダとの海戦を覚悟せねばなりません。オランダ海軍を打ち破るのは並大抵のことではないのですが、その一方で、大西洋ではイスパニアとエゲレスが制海権を競っており、かりにイスパニア艦隊が日本に進出した場合、大西洋の戦力が低下してしまうので、エゲレスの進出を防げなくなります。イスパニアは現状の勢力を維持するのが精一杯というところではないでしょうか」
   「その状況を駿府の大御所さまはすでにご存知なのですな」
   「はい、堺の今井宗薫さまから柳生宗矩さまへ伝令が走っておりますので、大御所さまは3年以上前にこの事情をお知りになったと思います」

 重臣一同、舌右衛門の説明に聞き入っている。ただ一人、長吉だけが苦虫をかみつぶしたような顔をしており、問答に割って入ってきた。

   「伊達政宗どのは、その事情を知っておられるのか」
   「今井さまのお話ですと、時期を見計らって、大御所さまが伊達さまにお告げになるとのことでございました」
   「伊達の使節がローマに向かったことについて、その方はどう考える?」
   「私見ではございますが、大御所さまはイスパニアの艦隊が日本に来ないことを確信したからこそ、仙台藩の遣欧使節をお許しになったとしか思えません」
   「伊達どのはイスパニアの事情を知りならが、船を出したのか?」
   「船が石巻を出る前には、ひょっとすると、ご存知なかったのかもしれせん。ただ、大坂の陣を控えるいまとなっては、おそらく大御所がお話しになっていると思われます」


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  1. 2008/05/12(月) 00:33:52|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)

伊賀者の末路

 舌右衛門は藩主の池田長吉と会ったことがない。マカオから帰国の後、マカオでの活動を文書で報告していたが、とうとう長吉に呼びだされることはなかった。もちろん山上の丸での評定に加わったことなど一度もなく、このたびの出席依頼には驚いたが、いずれこの日が来るであろうことも予期していた。
 舌右衛門は澪にこの件を伝えた。最初の脳内出血からすでに一年半が経過しており、この半年のあいだに澪は順調に回復し始めていた。右半身の麻痺は進行し、歩行には杖が必要で、右手はほとんど動かず、右眼の視界も狭くなっている。しかし、言葉をよく話すようになった。そして、記憶もかなり戻ってきている。舌右衛門が、

   「山上の丸で、ついに藩主と意見を交えるときがきた」

と言うと、澪はやさしく微笑んで、

   「あなたは負けないでしょう。自信をもって評定に臨まれませ。澪も見守っております」

と述べて、舌右衛門を勇気づけた。

 慶長十九年(1614)五月十日の午後、山上の丸での評定が始まった。山上二の丸大広間の会議の場で、田中という家老が広縁で待機する舌右衛門を部屋に呼び寄せ、一通りの紹介をした後、舌右衛門は型通りの挨拶をして末席に着座した。
 いきなり、長吉が強烈なジャブを飛ばしてきた。

   「下呂どの、そなたは京ではそこそこ名の知れた漢学者らしいが、伊賀者を雇っておるらしいな。漢学者がなにゆえ伊賀者を養っておるのかな?」
   「あの者どもは伊賀者というよりも、元伊賀者と呼んだほうがよろしい者どもでございます。織田信長公が伊賀討伐をされた際、服部半蔵一門のみ家康公がそっくり抱え込んで今に至っておりますが、その他の忍びは皆殺しに近い惨状でした。それでも、討伐から逃げ落ちた忍びもおりまして、京や大坂で乞食同然の生活を営むようになったのでございます。わたしは京で漢学を学んでおりまして、まだ少年だった元伊賀者数名と河原で知り合いました。以来、かれらと付き合うようになりました。鳥取に移封になるおり、京で乞食をするか、因幡で下男をするか、と問いましたところ、5人の若者が因幡に行くと答え、わたしに付いてまいりました」
   「伊賀者と付き合う理由は何なのか」
   「忍術に興味があるのでございます。忍術の起源は、密教や修験道の呪術にあると言われておりまして、古代の印度仏教を学んでおった関係上、伊賀者がどのような修行をしているのか、知りたかったのでございます」
   「藩校の学者ではたいした禄もなかろうに、どうしてその者どもが養えるかな」
   「普段は下男と同じ扱いにございます。倭文の屋敷まわりの田畑や、妻の実家の田畑を耕作いたしますし、屋敷内では薪割、風呂焚き、洗濯、家畜の世話など、なんでもこなします。そのような作業に対して飯を食わせ、寝場所も用意してやりますが、給金と呼べるようなものは与えておりません。ただし、あの者どもは大工の技術をもっておりますゆえ、民家の普請などを依頼された場合は仕事にみあう給金を与えております」

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  1. 2008/05/11(日) 00:31:48|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)

賞金首

 キリシタン鬼姫と天主閣を描くかわら版は、ただちに重臣を通して長吉の元に届けられた。重臣たちは、それみたことか、という顔をしている。
 長吉は即座に対応策を指示した。城下の辻という辻、それに橋の袂に高札を掲げて、以下のことを記すように申し述べた。

  一、かわら版の内容はまったくの出鱈目であり、鳥取藩を窮地に
    陥れようとする策謀にほかならない。
  一、天球院は熱心な臨済宗の信者でキリシタンとはなんの係わり
    もない。
  一、天球丸に天主閣を普請するなどという計画もまったくない。
  一、かわら版の作者について情報をもたらす者には褒美を与え、
    犯人を知らせた者には金十両を与える。

 かわら版は舌右衛門と富士屋の共作であり、それを売り歩いたのは伸太であるから、この3人の首に十両の賞金がついたことになる。賞金首になっただけの効果は十分にあった。長吉は、事実上、天主閣の造営を断念せざるをえなくなったからである。結果としてみれば、このかわら版事件は藩の家臣や領民に大歓迎されたと言える。
 長吉は警戒感を深めざるをえなかった。大坂方に付くという意向が表面化すると、また新しいかわら版が頒布される可能性がある。今回の記事は「嘘だ」ということで誤魔化せたとしても、謀反にかかわる新たなかわら版が出たとなれば、幕府もこれを見過ごすわけにはいかなくなるであろう。ことは慎重に運ばなければならない。

 かわら版事件は長吉に警戒感を抱かせ、諫言を続ける重臣団に有利に働いたが、長吉は野心を捨てきれずにいた。大坂方に付いて功をなし、姫路以上の城の主になりたい、という気持ちは揺らがない。かわら版事件の後始末に関わる評定でも、長吉はあいかわらず、

   「わしの言うとおりにすれば、バラ色の未来が待っておる」

という主張を繰り返した。なんの根拠もない構想に重臣たちは辟易するしかなかったが、それに従えば、お家断絶は必至であり、なんとしてでも長吉を改心させねばならなかった。
 
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  1. 2008/05/10(土) 00:43:02|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)

富士屋のかわら版

 山上の丸での評定については、山下の丸で勤務する下級武士には伝わらぬようにするという掟があった。しかし、今回の評定は藩を揺るがす大事であり、意固地な長吉の策謀に反感をもつ重臣たちは、酒の席などで、自分の家来にしばしば不満をぶちまけた。しぜん噂が噂を呼んで城内に浸透し、家臣一同に混乱をもたらし始めている。
 舌右衛門が城内で作事方の清水多久左右衛門と出くわしたとき、多久左がしみじみと語った。

   「殿が飛鳥でお話しになった憶測が、まさに現実になろうとしておりますな・・・困ったことにございます」
   「・・・どういう噂を聞いておる?」
   「長吉公はいったん天主閣の建設を保留にされたのですが、仙台藩が遣欧使節を派遣したという報せをうけて、また普請熱が高まり、天球院さまもまた一刻も早く天主閣をみたいと熱望されている由」
   「ほかには?」
   「山上の丸の評定で諫言を繰り返した筆頭家老が隠居を命じられました」

 舌右衛門は少し俯いていたが、何かを思いついたらしく、顔を上げ、「かわら版を使ってみるか」と呟いた。多久左が「どういうことでございますか」と問う。

   「伸太がな、最近仕事がないので、富士屋という刷り物屋で働いておるのよ」
   「そこでかわら版を刷り、天主閣の件を触れまわるということですか?」
   「あぁ・・・」
   「あまりにおふざけが過ぎますと、身に危険が及びますし、なにより藩のお取り潰しの材料として幕府に使われませぬか?」
   「いや、まぁ、藩がどのように火消しするか、試してやるわい」

 舌右衛門はそのまま富士屋を尋ね、旦那に挨拶した。旦那は宮部時代、藤原西右衛門という武家だったが、関ヶ原後に禄を失い刷り本屋となった人物で、長吉の施政には不満をもっている。

    「景気はいかがでございますかな?」
    「はぁ、このご時世でさっぱりでございますな」
    「ちとおもしろい企てがあるのですが、お耳をお貸しください」
    「伸太どのはどうされますか?」
    「あぁ、あれも呼んでくだされ」

 3人はひそひそと密談を始めた。富士屋の主人はこの企てに大乗気になった。

    「下呂さま、ワクワクしますな。藩のお偉方の鼻をあかしてやりましょう。版画の腕をふるいますので、おもしろい文面を考えてくださいまし」
    「あまり派手にやりすぎると、藩がお取り潰しなって、わたし自身が禄を失いますがな」
    「禄を失ったとしても、わたしと同じ身の上になるだけではございませんか」
    「まぁ、そうです。問題は伸太の演技力だがな、おまえは変装できるのであろうな」
    「はい、これでも忍びのはしくれでございますゆえ、変装の基本は学んでございます」
    「で、だれに化けるつもりだ?」
    「かわら版屋といえば、コロッケですが・・・」
    「なるほど、それでいくか」


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  1. 2008/05/09(金) 00:38:43|
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第4回「魔法の山」 -谷口ジローの風景

 GWもあけ、プロジェクト研究1&3が再開した。連休中の課題は『魔法の山』の感想文。ワード1枚にみな力作を書いてきてくれた・・・1年生の3名はまだ手書きでしたがね・・・
 その後、2回めのアンケートをおこなった。

1.久松山に登った感想を書いてください。
   登った日にち   月   日

2.久松山に関して興味のある分野に順位をつけてください。

    歴史 【   】
    遺跡・景観(石垣・郭跡など) 【   】
    植物 【   】
    動物 【   】
    地形・地質  【   】
    漫画「魔法の山」と風景の対比  【   】
    谷口ジローの漫画論 【   】  

 上の2の順位に基づいて、以下の班割が決まった。

   A.自然班  A-1 植物班: 入江、宮島
            A-2 動物班: 伊藤、北村

   B.文化班  B-1 歴史・遺跡班: 岡、山崎、岸本、(荒川)
            B-2 漫画・風景班: 谷口、前田


 A班の決定事項 

 私の班は自然班で、その中で植物と動物について調べることにしました。どちらの方もまず本・インターネット・図鑑などで、久松山の動物・植物を調べ、次に実際に久松山に登ってどんな植物・動物を見つけたかを記録していこうと考えました。そして、どの植物のところにはどういった動物がいるかということを自然班の大きなテーマとして研究することにしました。
 しかし、私たちはこのプロ研のタイトルである「魔法の山」に沿っていませんでした。なので、オオサンショウウオについて調べたり、魔法の山に出てくるような植物について調べたりしていこうと思います。19日には山に登り、調べてきたいと思います。

目的・内容
 動物班
  *来週までに文献を探してくる(博物館・図書館など)
  *水辺で生き物探し(魚・両生類)
  *昆虫・鳥・爬虫類を見つけたら図鑑で調べる。
  *足跡を見つけたら、その動物を調べる。
 植物班
  *来週までに文献を探してくる。
  *調べた植物を見つけたら観察し、調べていなかった植物については調べる。
  *どういう植物のところにどんな動物がいるか。

日程
 18日(日)に久松山に登る。その前に博物館やインターネットで調べる。

課題「魔法の山とどう結びつけるか」
  *オオサンショウウオについて調べる
  *城跡の壕でザリガニを採ったり、山で蝉を採ったり・・・
                      (環境政策学科2年K.Y)


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  1. 2008/05/09(金) 00:24:42|
  2. 漫画|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)

天下分目

 慶長十八年(1613)年の九月半ば、伊達政宗の家臣、支倉常長以下百数十名は、イスパニア人の宣教師ソテロを案内役にして石巻を出港した。表向きは通商交渉を目的とする遣欧使節だが、イスパニアのフェリペ国王に軍事協力を要請することがソテロと支倉に託された密命である。
 遣欧使節出航の報せを聞き、池田長吉は驚喜し、ますます意気軒昂となった。さっそく重臣たちを集め、山上の丸で評定を開いた。

   「みたか、わしの言ったとおり、伊達の使節はイスパニアに向けて船を出したぞ。もう1~2年もすれば、イスパニアの無敵艦隊が日本列島を包囲する。この流れに乗らずして、なんとする。イスパニア艦隊の大砲が徳川幕府を壊滅させればな、日本はキリシタンの国に生まれ変わるのだぞ。そのためにも、天主閣の普請を進めねばならぬし、大坂方と密に連携をとらねばならぬ!」

 重臣たちは、なお慎重であった。代表して、長吉親子が「爺」と呼ぶ最長老の筆頭家老が発言した。

   「伊達の使節がイスパニアに向かったのは確かではございますがな、その船が途中遭難することもありえますし、かりにイスパニア国王に謁見できたとしても、国王が無敵艦隊を日本に派遣するとは限りませぬ。ここは、慎重にことの推移をみてから動くべきであり、すくなくとも天主閣の普請は控えるべきでございます。かりに大坂方に付くとしても、その動きを察知されるようではことはなしえませぬ」

 長吉は興奮していた。

   「爺も分かっておらぬ。わしのもとには、多くの密書が届いておるのだ」
   「伊達さまからは届いておるのでございますか?」
   「伊達政宗の署名した書はないが、伊達の息がかかった者からの密書は届いておる」
   「それでは、ますます危険にございます。伊達どのも状況を見極めようとされているのではありませぬか。ことを急いで荒立てても、気がつけば、梯子を外されて四面楚歌の苦況に陥ってしまいますぞ」
   「もうよい、ともかく、わしの言うことを聞いておれば、バラ色の未来が開けるのじゃ。おぬしらは、わしに付いてくればよい!」


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  1. 2008/05/08(木) 00:43:45|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)

天球院入城

 舌右衛門が藩校を休職していたほぼ一年のあいだ、城内に台風が吹き荒れていた。まず、若桜鬼ヶ城から鬼姫が鳥取城の天球丸に移り、正式に「天球院」と号した。ここに台風の目がある。
 台風の目では風が吹かない。重臣たちは鬼姫の受け入れに異論を唱えなかった。天球院を受け入れることで、姫路から城郭整備の経費が出資されるという条件は悪くないからだ。鬼姫が天球院として鳥取城に入るころ、天球丸の造営は六割方片づいていた。
 しかし、八角円堂風の高層建築の建設は「保留」とされたまま動かなくなった。慶長十七年の四月、藩主の池田長吉は天球院がじつは隠れキリシタンで、八角円堂風の建築が「天主閣」と呼びうる高層建築であることを重臣にあかした。その目的が、キリシタン大名として大坂方に付くことであることは言うまでもない。
 重臣たちはこぞってこれに反発した。長吉の意向は徳川幕府に対する謀反にほかならない。徳川家康を敵にまわすことの恐ろしさを、どの重臣もよく知っている。ふだんは藩主に媚びへつらう親長吉の一派でさえ、江戸を裏切り、大坂に付くという長吉の決断を受け入れることはできなかった。
 長吉は頑なに持論を主張し続ける。

   「わしも四十三歳になった。人生五十年、残された時間は短い。このまま因幡の田舎大名として一生を終えることに耐えられぬ。こんどの大坂の陣は、勝っても負けても、わしにとって辞世の戦になる。わしは姫路に劣らぬ城が欲しい。たしかに、家康は手強い。が、家康とてまもなくあの世に召されるであろう。そうなれば、天下の形勢は伊達になびく。家康の六男、松平忠輝も伊達と組んで、大坂城に入ると言うておる。それにキリシタン大名であることによって、イスパニアが身方につく。いまにみておれ、難波と鳥取の湊をイスパニアの軍艦が往来するようになるぞ!」

 主君と重臣・側近の評定は、山上の二の丸でおこなわれる。山上の丸からは日本海があたかも目の前にあるようにみわたせる。長吉は、その港湾にイスパニアの軍艦が停泊する日を夢見ているようであった。
 通常の評定では、長吉が意見を述べると、大半の重臣は沈黙し、ごく少数の血気盛んな者だけが反論を述べる程度だが、この大博打ともいうべき長吉の暴挙に対しては、重臣一同が大反対で、評定の前から重臣同士で内々に打ち合わせを重ね、評定の場では何人もの側近が反論を申し述べ、諫言を繰りかえした。

   「仙台の伊達政宗さまが謀反を起こされるという保証はございませんし、かりに謀反に走られたとしても、徳川幕府に勝利する可能性は高くはありません。殿にとっては、大坂の陣は最後の戦かもしれませんが、家臣数百名には未来があります。殿に対する忠義の心は、もちろん、みな深うございますれども、あえてお家断絶の道を歩む必要などないではございませぬか。それよりも、幕府方として功をあげれば、鳥取藩6万石から加増され、どこぞ気候のよい地へ転封になることもありえましょう。ここは家臣数百人が無駄死にしたり、禄を失わぬようにするのが主君の務めではございませぬか」


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  1. 2008/05/07(水) 00:36:27|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)

田七人参

 慶長十六年九月のある日、舌右衛門が藩校で講義を終えた直後に急報が入った。澪が倭文の家で倒れたという知らせであった。舌右衛門は即刻、馬を飛ばして帰宅した。
 3人の子どものうち、下のふたりは泣きわめいている。ただ、長女の久美はしっかりと看病にあたっていた。グスクとガキが早馬を走らせ、かかりつけにしていた町方の医師を拉致するように倭文に連れ帰っていた。
 澪は奥座敷で床に伏せっていた。意識は朦朧としている。ときおり嘔吐するらしい。舌右衛門は、床に伏せっている澪に言葉をかけた。澪はぼんやりながら舌右衛門を認知したらしく、「あなた」とだけ答えて、また昏睡に落ちた。舌右衛門は医師に症状を問うた。医師は辛そうに答える。

   「奥様は生死の境におられます。前から申し上げておったとおり、右半身に麻痺症状がでているということは、左脳になんらかの異変があり、脳を腫らしていたのでしょうが、とうとう左脳の内側で血管が切れてしまったようでございます。」
   「脳内出血ですか?」
   「さようでございますな」
   「打つ手はなにかございますか?」
   「飲薬と坐薬を併用してみようと思います。飲薬だけだと、奥様は吐いてしまわれるかもしれませんので」

 舌右衛門はマカオで買い集めてきた薬品のうち、どうしても使ってみたい丸薬があることを医師に告げた。それは「田七」という野生種に近い人参の生薬であった。雲南の東南部から広西にかけての高原地帯で少数民族が焼畑栽培する人参だが、その根は人参というよりも芋のような格好をしている。この丸薬は漢方薬の中でも最高の値がついており、めったに手に入らない。町方の医師が問う。

   「高麗人参とはまた違うのですな?」
   「高麗人参の兄弟のような種だとも言われていますが、田七こそが人参の原種と主張する学者もおるそうです。中国南方の高原地域で少数民族が栽培しているのですが、取り入れまで7年もかかる。だから、田七という名がついておるのです。7年かけて畑地の栄養分を吸い尽くしてしまうので、その畑地は雑草も生えないような荒地と化し、同じ場所での連作はできません」
   「下呂さまは、その生薬を服用されたことはあるのでございますか」
   「えぇ、もちろんあります。明国留学中に原因の分からない体調不良に陥り、発熱がおさまらず、モノを食べてもすぐに下痢をして、どうにもならなかったのですが、医師の薦めで田七の丸薬を買い求め、それを少しずつ削って服用しましたところ、半月あまりでその病が癒えました」
   「そうですか、それは試してみる価値がありそうですな。脳の腫れを抑える効能があれば言うことはありませんが、少なくとも奥様の体に滋養を与えることはできそうですので」

 田七人参の丸薬は長辺約2センチ、短辺約1センチの楕円状の固形物で、これを少しずつ小刀で削って粉にする。そして、熱湯に溶かして冷まし口から飲ませるとともに、液を綿に染みこませ坐薬とした。3日めになって、ようやく澪は意識を回復させ始めた。看病をしている医師や家族が何を話しているのか、だいたいのことは分かるらしい。ただ、澪は言語能力を大きく減じており、何かを話そうとしても語彙が滅茶苦茶になっていて、意味が通じない。親族の名すら思い出せないでいた。
 医師は言う。

   「このまま脳のなかの出血が自然吸収して消え失せ、脳の腫れがひいてくれば、言葉は少しずつ話せるようになっていくでしょう。ただし、右半身の麻痺は進んでおりましてな。右手は使えず、右眼はみえず、ということになります。血液が脳の神経を切ってしまったのですから、その回復は不可能ですので、この点はお覚悟ください」

 澪は、とりあえず生死の境からこの世に戻ってきた。日がたつにつれ、嘔吐はなくなり、粥やみそ汁を口からとるようになっている。言葉も少しずつ通じるようになってきた。

 舌右衛門は藩校に休職願いを出した。最初は2~3ヶ月でかたがつくだろうと思っていたのだが、その後、半年のあいだに澪はさらに2度の出血を繰り返した。そのたびに、右半身の麻痺は進んでいく。ときに舌右衛門は発狂するのではないか、と思うことがあった。澪のいない余生を考えると、頭がおかしくなりそうだった。
 暗く、寒い夜、イロリ間でひとりギターラをつま弾きながら、舌右衛門は澪と知り合ったころの想い出に浸ることが多くなった。

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  1. 2008/05/06(火) 11:47:46|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)

鮎のいない茶屋

 一刻半ばかりの重い話も一息ついた。席を替えて、薬研堀の茶屋へ参ろう、と舌右衛門が切り出す。ここで着兵衛は暇を乞うた。許嫁の屋敷に挨拶に行き、明日はまた若桜城に出仕するという。高堂が別れ際に着兵衛に言った。

   「おぬしは良いのぉ・・・鬼姫さまが鬼ヶ城を去れば若桜藩6万石は安泰じゃ・・・それに引き換え、鳥取藩6万石は風前の灯火・・・・」

 着兵衛はいつもの笑みを絶やさなかったが、ことの重大さをわきまえ、

   「いえ、いま鬼姫さまは鬼ヶ城に居られ、天久庵という天主堂に日参されているのです。いまお取りつぶしの危機にあるのは若桜藩のほうにございます」

と答え、割烹をあとにした。

 茶屋で遊んだのは、マカオにわたる直前の八月末が最後で、季節は十月末になろうとしていた。旧暦の十月末だから、すでに冬が間近に迫っている。外は寒いが、茶屋はあいかわらず大勢の客で熱気を帯びていた。ただ、鮎の姿はない。
 女将がさっそく挨拶にきて、大きめの部屋に案内した。部屋と言っても、建具をあけっぱなしにした続き間の一画で、まわりの動きが見通せるようになっている。女将はどこかよそよそしい。「鮎はどうした?」と訊ねるのもはばかられたが、舌右衛門は懐から派手な布袋を取り出して、女将にわたした。

   「マカオの土産じゃ。姉妹に一つずつ買ってきたのでな」
 
 女将は「あっ、嬉しい!」と言って袋の中を覗き込んだが、土産物の実体を知り、きょとんとしている。「まったく、この腕白坊主は困ったものね」と子どもを叱る母か姉の表情に近い。袋の中に納められた十字架のネックレスを恐るおそる取り出しては、すぐ袋に仕舞い、

   「もう・・・こんなもの買って帰ってきて、わたしたちが捕まったらどうするの!?」

と舌右衛門を責めた。舌右衛門はただにやにや笑っていて、「ちゃんと、鮎にもわたしてくれよ」と念をおした。

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  1. 2008/05/06(火) 00:33:46|
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月太郎さんへ(Ⅲ)

 月太郎さん、じゃなかった、ディランさん、先日の六弦倶楽部第6回練習会では午後2時で退席してしまい、大変失礼しました。月太郎さんの古いフォークが聞けなかったのが、とても残念でした。
 さて次回、一緒に演ろうということで伺ったのは、高田渡の「夕暮れ」とシバの「淋しい気持ちで」でしたよね?
 高田渡の「夕暮れ」は、わたしの大好きな曲です。以前、ブログのタイトルにも使ったことがありますよ。

    夕暮れの街で   ぼくはみる
    自分の場所から  はみだしてしまった
    多くの人びとを・・・

 さきほど『高田渡読本』で確認したところ、楽譜がついてますね。Aキーの3拍子で、ギターは6弦Dドロップとのこと。高田渡の曲では「仕事さがし」も好きですね。シバさんが歌っている「仕事さがし」を聞いて、渡さんは「いい曲だね」っていったそうですが、シバさんが「これ、渡さんの曲だよ」って答えたっていう逸話をご存じかと思います。

 シバさんの「淋しい気持ちで」のほうは、ずっと聞いてなかったので、シバさんと武蔵野タンポポ団のCDを各1枚注文しました。楽譜もありませんが、たぶんコード進行は単純でしょうから、コピーしますが、なにかよい資料があれば教えてください。

 さて、上の2曲、キーはどうしますか。また、わたしはフラマンですか、それともバンジョーでしょうか? また、フラマンの場合、コードストロークでしょうか、トレモロでしょうか? 指示してください。

 チョトロク代表: わたしと月太郎さんだけでなく、代表やマコトさんも加わって、ジャグバンド風に演れると良いですね。ベース、カホーン、ハーモニカあたりが加われば、ずいぶん賑やで楽しい音楽になるんじゃないでしょうか?
 「わたしの青空」もいいですね。エノケンをジャグバンド風にやるの最高ですよね。どなたか、女性がアコーディオンを弾いてくださいませんかね?

 マコトさん: いちど加藤家の座敷で音あわせしておきましょうか?

  その他の六弦倶楽部メンバーのみなさんも、ぜひとも何かの楽器で参加してください。めざすはジャグバンドです! なんちゃって、書いていいのかな、月太郎さんの断りもなく・・・・



  1. 2008/05/05(月) 08:20:30|
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薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)

郭の天主閣

 着兵衛の指摘は正しい。西洋天文学にくわしい舌右衛門からみれば、天球丸という郭の名は、キリスト教的世界の表現以外のなにものでもない。

   「とすれば、わたしが加工している建物は八角円堂ではなく、・・・」

と高堂が語り、

   「天主堂ということでございますか?」

と多久左右衛門が舌右衛門に問うた。舌右衛門は肯きながらも、少しだけ首を横にふった。

   「高堂が加工している材の寸法を聞く限り、平屋の天主堂というよりも、2階建の天主閣とよぶべき高層建築ではないかの・・・」
   「天守閣ではなくて、天主閣?」
   「さようじゃ」
   「櫓のような教会が天球丸に建つのでございますか」

 弟子の3人は、ようやく師匠が思い描く筋書きの全貌をとらえつつある。すなわち、鳥取城藩主の池田長吉は、若狭鬼ヶ城に住む隠れキリシタンの妹「鬼姫」を城内に迎えるために天球丸の普請を始め、その郭のなかに高層の教会である天主閣を建てようとしている、というわけだ。いつもは穏やかな多久左右衛門がやや興奮気味に問う。

   「この、伴天連追放令がでている世の中で、キリシタンであることを公言するような郭を造営すれば、徳川幕府が黙っているはずはありません。このまま普請を進めれば、お家取りつぶしは必定。長吉公はいったい何を考えておわしますのでしょうか!?」

 舌右衛門は少し間をおき、仕方ないか、という顔をして自らの推量を開示した。

   「池田長吉は大坂方に付こう、としているのであろう」
  
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  1. 2008/05/05(月) 00:02:01|
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