日曜日に素麺をつくった。麺をゆでただけではない。ちゃんと出汁をとって、麺つゆもつくった。世のなかには、「出汁」をとったことがない、という人妻がいて、イリコで出汁をとるといかに美味しいみそ汁ができるか教えてあげたところ、あとで「ほんと、美味しかったですよ!」と感嘆されて、恐縮するというか、呆れるというか、おかしな気分になったことがある。
素麺つゆだって、おんなじだ。素麺やざる蕎麦のつゆをつくったことがない、という人妻はほかにも少なくありませんな・・・今日はイリコが切れていたので、昆布と鰹節をベースにして、干し椎茸をちょいと混ぜてぐつぐつ。お酒は多めに、味醂は少なめにした。ざるそばの汁は濃いめがよいに決まっているが、素麺汁は薄くうすくのばして、薬味に生姜をたっぷり効かせると、いくらでも素麺が喉を通る。
素麺はお中元でいただいた小豆島麺匠「甚助」の特級品「島の光」。ここで、みなさんにお断りしておきます。このようなお中元をお送りいただくのは、今後お控えください・・・と言いたいところですが、現実には大歓迎でございます。なんたって、貧乏してますからね、日々食べるものにもこと欠いておりまして・・・
さてさて、いよいよユーロ2008決勝のホイッスルが鳴る。ドイツ対スペイン、だって。聞けば、ブックメーカー1位と2位の対決だとか。つまんないねぇ・・・大波乱、大番狂わせの連続でわれわれを驚喜させた今大会も準決勝で軌道修正されてしまった。
ともかく、ドイツは負けなさい! 大負けしろ!!
ドイツが勝ったら、ピヴォに焼き肉をゴチせんといかんというのは、まぁどうでもよい。ドイツというチームがわたしは好きではないのね。以前はいちばん好きだったんだ。1974年のドイツW杯の優勝メンバーはいまでも全員暗記している。システムは1-3-3-3で、メンバーはマイヤー、ベッケンバウアー、ブライトナー、シュヴァンルツェンベック、フォクツ、ボンホフ、オベラーツ、へーネス、グラボウスキー、ミューラー、ヘルツェンバイン。とくにベッケンバウアーとオベラーツがお気に入りでね。でも、いつごろからか、ドイツのサッカーが嫌いになっていった。とくにマンツーマン対策としての3ー5-2システムがヤでね。前回のW杯からドイツもようやく3-5-2を捨てたが、4-4-2のゾーンに切り替えたとはいえ、まぁ良いチームとは言えなかった。
2年前の、あの若かったチームが成長したのは間違いないだろうが、できればトルコとの延長戦がみたかった。一方、スペインはですね・・・ロシア戦に関しては完勝でしたね。不思議なもので、キックオフ直後の5分でだいたい勝敗の行方がみてとれる。オランダ対ロシアは開始5分でロシアのゲームだと思ったし、スペイン対ロシアもやはり開始5分でスペインのゲームだと思った。ただ、前半の途中までにロシアは一度盛り返した。ところが、ビジャが足を痛めて退場。これでゲームが決まった。代わりに入ったセスクがゲームをコントロールし、ゴールデン・エイジのポルトガルを彷彿させるようなスキルと球回しをスペインの中盤はしてみせた。4-1-3-2から4-1-4-1へのシステム変更により、ロシアのマラドーナ、アルシャービンもまったく機能しなくなり、ロシアは攻手を失った。
イタリア対スペインの試合は、イタリアのペースだった。イタリアが勝つパターンの試合だったのに、今のイタリアは1点をとる力がない。トニもカッサーノも2流のフォワードだ。イタリアのストライカーは2人だけで点がとれなければならない。そういう一瞬の隙を狙う攻撃ができない。退屈になって、わたしは眠りに落ちた。目が覚めたら、PK戦でイタリアは敗れ去っていた。
スペインは「勝負弱い」ことでよく知られている。しかし、今回は最大の苦手イタリアを下したのだから、自信をもってドイツ戦に臨んでほしい。まず、シュバインシュタイガーを葬り去ろう!
シュバインシュタイガーは相手チームの選手を病院送りにしても平気な男だ。あいつを囲い込んで、振りまわして、いらつかせて、レッドカードでさようなら、という展開にならないかな・・・
- 2008/06/30(月) 00:35:18|
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今月18日にアップした江口さんの哀悼文には結構アクセスが集まった。問い合わせのメールも二、三あった。ご逝去の報をまったく知らなかった、どうすればいいのか、というような内容である。
とあえず、「御霊前」のたぐいは一切お受け取りにならないので、遅ればせながらではあるけれども、弔文をお送りするしかないのではないか、とわたしは答えた。問い合わせをしてくる方がたは、江口さんの住所を知らない。
江口さんの住所か、・・・そういえば、この春に葉書を頂戴したぞ。江口さんには毎年賀状をだしているのだが、江口さんは年末年始をカメルーンですごされるので、お返事はいつも帰国後になる。
今年の葉書を観察すると、4月21日に投函されていた。表面の下側にイベントの紹介がある。
きたる5月4日(日)14時から16時まで、京都市北文化会館で、
『だれもきいたことのない アフリカのおはなしと音楽』に音楽家
ジェセフ・ンコシさんと共演します。ぜひ、ご来場ください。
その裏面を下に公開しよう。これが江口さんとの最後の接点になってしまった。
- 2008/06/29(日) 00:14:28|
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鳥取環境大学環境デザイン学科(2009年度より「建築・環境デザイン学科」と改称予定)では、「建築・インテリア分野」および「ランドスケープデザイン分野」の専任教員を募集しています。こちらは「ランドスケープデザイン分野」の募集要項です。
「ランドスケープデザイン分野」募集要項採用職名・人員 教授、准教授または講師のいずれか1名
所属 環境情報学部・環境デザイン学科(「建築・環境デザイン学科」と改称予定)
専門分野 ランドスケープデザイン分野
担当予定科目 「庭園の歴史」「ランドスケープデザイン」「環境デザイン演習」「プロジェクト研究1~7」
また、可能であれば「測量学及び測量実習」
応募資格 次の1~3のすべてに該当する方。また4の資格および5の実務経験を有する方が望ましい。
1. 博士の学位を有する方、または同等以上の実績・能力を有する方
2. 学生指導および校務に情熱と誠意を持って当たっていただける方
3. 採用後は、鳥取市もしくはその近郊に居住できる方
4. 建築士、技術士、造園技能士、測量士のいずれかの資格
5. 造園・ランドスケープデザイン分野における計画・設計等の実務経験
※年齢不問、ただし定年制あり(教授68歳、准教授65歳、専任講師60歳、満60歳定年退職者の再雇用制度あり)
※国籍不問、ただし日本語で講義が可能な方
提出書類 1. 個人調書(写真貼付のこと。「学歴」欄に学位記記載内容の詳細「学位の種類」「学位記番号」「学位授与年月日」「学位授与大学名」を明記のこと。)
2. 教育研究業績書
3. 業績資料〔主な著書3冊以内、主な論文の抜刷3冊以内、主な作品(資料や写真等)など
4. 着任後の教育研究および学生指導についての抱負(A4判・2000字以内)
※年齢不問、ただし定年制あり(教授68歳、准教授65歳、専任講師60歳、満60歳定年退職者の再雇用制度あり)
※国籍不問、ただし日本語で講義が可能な方
個人調書および教育研究業績書の記入方法応募〆切 平成20年
9月30日必着採用予定日 平成21年4月1日
給与 本学給与規定による
応募書類提出先 〒689-1111 鳥取県鳥取市若葉台北1-1-1
鳥取環境大学総務課教員採用担当
*封筒に「専任教員募集(建築・インテリア)応募書類在中」と朱書のうえ、簡易書留かEXPACK500で送付してください。
[教員募集のお知らせ(Ⅱ)-ランドスケープデザイン分野]の続きを読む
- 2008/06/28(土) 00:20:47|
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鳥取環境大学環境デザイン学科(2009年度より「建築・環境デザイン学科」と改称予定)では、「建築・インテリア分野」および「ランドスケープデザイン分野」の専任教員を募集しています。まずは、「建築・インテリア分野」の募集要項をお知らせします。
「建築・インテリア分野」募集要項採用職名・人員 教授、准教授または講師のいずれか1名
所属 環境情報学部・環境デザイン学科(「建築・環境デザイン学科」と改称予定)
専門分野 建築・インテリア分野
担当予定科目 「居住空間インテリア計画」「家具のデザイン」「環境デザイン演習」「プロジェクト研究1~7」等
応募資格 次の1~4のすべてに該当する方。また、5の実務経験を有する方が望ましい。
1. 博士の学位を有する方、または同等以上の実績・能力を有する方
2. 一級建築士または二級建築士の資格を有する方
3. 学生指導および校務に情熱と誠意を持って当たっていただける方
4. 採用後は、鳥取市もしくはその近郊に居住できる方
5. 家具・インテリア設計分野または建築設計分野の計画・設計等の実務経験
※年齢不問、ただし定年制あり(教授68歳、准教授65歳、専任講師60歳、満60歳定年退職者の再雇用制度あり)
※国籍不問、ただし日本語で講義が可能な方
提出書類 1. 個人調書(写真貼付のこと。「学歴」欄に学位記記載内容の詳細「学位の種類」「学位記番号」「学位授与年月日」「学位授与大学名」を明記のこと。)
2. 教育研究業績書
3. 業績資料〔主な著書3冊以内、主な論文の抜刷3冊以内、主な作品(資料や写真等)など〕
4. 着任後の教育研究および学生指導についての抱負(A4判・2000字以内)
個人調書および教育研究業績書の記入方法応募〆切 平成20年
9月30日必着採用予定日 平成21年4月1日
給与 本学給与規定による
応募書類提出先 〒689-1111 鳥取県鳥取市若葉台北1-1-1
鳥取環境大学総務課教員採用担当
*封筒に「専任教員募集(建築・インテリア)応募書類在中」と朱書のうえ、簡易書留かEXPACK500で送付してください。
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- 2008/06/28(土) 00:18:32|
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今日は久しぶりの加藤家ゼミで、まずピヴォくんが茶室の修復計画を、私ヒラが限界集落+板井原集落+私の所属するサークル「中山間地域応援隊」を絡めた発表をしました。
まずピヴォくん。今日までにホカノさんと現状を調査しており、ゼミメンバーそれぞれに合った担当を振り分けていきました。メンバー全員適材適所に決められてあったので、なんとかプロ研発表のあとの打ち上げに間に合わせようと思います!
さあ、今年も
カマドウマと仁義無き闘いだ!!
そして来ました私の発表。発表内容は以下に記します。
―――――――---
『限界集落の今とこれから』
1.限界集落
-1 集落区分
-2 限界集落とは
-3 中山間地域とは
2.板井原集落(智頭町)
-1 板井原集落とは
-2 伝統的建造物群保存地区(伝建地区)
-3 伝建地区と文化的景観
おまけ 喫茶店・野土香
3.赤波川渓谷(用瀬町)
赤波川渓谷甌穴群
4.これから
―――――――---
集落人口の半分以上が65歳以上の高齢者である集落のことを「限界集落」と言うのですが(長野大学大野教授の定義)、2006年の調査によると、全国で7878もの集落が当てはまることになるそうです。しかも、そのうちの423の集落は、今後10年以内に消滅する恐れがあるとか。
この「限界集落」というのは、中山間地域と離島を中心に増えてきているのですが、ここで先生の目がキラリ☆
・・・そう、私は中山間地域応援隊(MAB)なるサークルに所属しており、幾度となくサークルを優先してきたため、そこまで熱中するのはなぜかと興味を持たれていたよう。
満足いくほどの説明は出来ませんでしたが、どんな活動をしているのかせっかくなので少々語らせてもらいました。(中山間地域でイベントをおこなったり、農家さんの作業の手伝いをしたりしてます)
それから、
5月30日に行った智頭町の板井原集落についても。ここは現在県の伝建地区に選定されていますが、そうではなくて国の「重要文化的景観地区」に選定されるべき「限界集落」では・・・?という疑問があがったところで今回の発表はおしまいです。
あとはこれからこれから。
正直、わたしは「文化的景観」や「限界集落」に関する知識が乏しかったので、まずとにかく読み調べメモ調べメモ読み読みメモ・・・の繰り返しでした。しかし、それによって新たな興味や疑問があがってきたので、今後はそれらを解決すべく、また読んで調べてをしていこうと思います。
あ、そうそう。発表後のティータイムの時に北海道や岩手、滋賀に愛媛などさまざまな地名が飛び交いました。
今年の夏も忙しい・・・いえいえ、大変充実した日々を私たちは過ごすことになりそうです!!(ヒラ)

イロリでだんらん♪
- 2008/06/27(金) 23:26:02|
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今週の日曜日に、動物班は博物館に行ってきました。受付の人に尋ねたところ、生物の担当の人がおられたのでお話をうかがいました。その方のお話では、
標本のオオサンショウウオは漫画に出てくるものではないそうです。科学博物館(旧仁風閣)のときにも、漫画のように生きたオオサンショウウオを飼っていましたが、現在標本になっているほうは他の所から引き受けたものらしいです。
その日は雨が降っていたので久松山には行かないことにしていたのですが、ホカノさんから3時頃からなら会えると連絡があったので、連れて行ってもらいました。十神林道に渓流はありましたが、流れが速くて調査するのは難しそうでした。足場はシダ植物で覆われていました。川よりも少し手前の所に小さな池がありました。ホカノさんが池に入って網で掬い取った泥の中に、アカムシ、ヤゴ、オタマジャクシが紛れ込んでいました。オタマジャクシ以外は
カスミサンショウウオの餌になりそうでした。
植物班は久松山には行かず、その日は漫画と植物をどう結びつけるかを考え、まとめに入ろうとしていました。山の遠景と『魔法の山』という題名から見た植生について考えたそうです。前者は漫画のコマに描かれている風景から考え、後者は『魔法の山』の舞台である久松山の魅力を形成する植生について資料を参考にまとめました。日曜日以降も、西坂に登ったときに撮った写真と採集してきた葉っぱを二人で分けて夜遅くまで調べていました。シダ植物の標本は作成中です。

今日は漫画風景班の人々が発見した横穴を見に行きました。漫画の風景に合わせて写真を撮りました。上下の2枚が横穴の写真です。西坂はもっと急な斜面だと思っていましたが、大丈夫でした。上のほうはもっと険しいのでしょうか。下るときの足場が少し悪かったです。
先生は
幽霊がいなくて残念そうでした。私は、
先生の鮮やかな服は魔除けだと思っていました。先生はスリランカで買ったという長い線香を何本も入口の地面に突き刺し、火をつけて呪文を唱えていました。横穴は線香の香りがしました。思っていたよりも小さかったです。コウモリがいました。3・4年生の先輩方を中心に横穴の寸法を測りました。先生は、戦時中の防空壕ではないか、と言われていました。漫画班は、この横穴についての聞き取り調査をすることになりそうです。

来週から、動物班はまとめに入ります。博物館で聞いたことやオオサンショウウオ、カスミサンショウウオのことを漫画と結びつけ、うまく落とし前?をつけられたらいいと思います。植物班は再び久松山に登ります。以前採集した葉が枯れてきたので、新しい葉を採集しに行くそうです。
発表まで残り一か月になってしまいました。このプロジェクト研究は忙しいと思いますが、他ではできない体験もできたと思います。まだ慣れない部分も多々ありますが、考える力や情報収集能力、プレゼンテーション能力などは数か月前よりも身に付いたような気がします。そして友達ができました。難しいテーマですが、このプロジェクト研究でよかったと思います。最後まで頑張りたいです。ありがとうございました。(環境政策学科「動物班」I.A001)

↑↓このページに掲載されている写真のうち4枚は漫画「魔法の山」のコマを再現したものです。
[第11回「魔法の山」 -谷口ジローの風景]の続きを読む
- 2008/06/26(木) 23:44:19|
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アローハ!
みなさん、すでにお気づきでしょうが、今回の練習会でわたしが纏ったシャツは故江口一久さん
遺品の一着であります。たぶん、カメルーンのシャツだと思いますが、とりあえず、アローハ!
今回、わたしがソロで演奏する予定であった3曲は、
1.イサ・レイ(インストルメンタル)
2.京都慕情(ヴォーカル付)
3.ムーンタン(インストルメンタル)
でした。が、セッツァンが連れてこられた女性ボーカリストIさんと素早く交渉し、「京都慕情」を歌っていただくことになりました。心配だったのはキーですが、幸か不幸か、わたしの出番の前で休憩となり、音あわせしたところ、やや低めだったかもしれませんが、大きな問題はなく、一度だけの練習で本番に臨むことになりました。
1.イサ・レイ Isa Lei では、もう一度、アローハ!
わたしがハワイアン・スラッキーギターに興味を抱き始めたことは、本年
2月15日の記事でお知らせしている。あのころはケオラ・ビーマーの教則DVDしかもっていなかった。その後、2冊の教則本(楽譜付)を取り寄せた。かつて述べたように、ハワイアン・スラッキーギターの調弦はワヒネ(女)系とタロパッチ(タロ芋畑)系に大別される。後者はオープンGチューニングなので、あまり興味が湧かなかった。前者は開放弦でmaj9thもしくはmaj7thの響きがあり、なんとも心地よく、今回はFワヒネ・チューニング(CFCGCE)の曲に挑戦した。
「イサ・レイ」はフィジーの代表的な民謡。どうやら送別の曲らしい。そんなことも知らないまま、トップにもってきた。アレンジはケオラ・ビーマーで、教則本
Keola Beamer Teaches Hawaiin Slack Key Guitar の1曲め。5弦と4弦の開放弦を反復させるドラミングのようなオルタナティヴ・ベースの前奏からすでにポリネシアンの匂いがぷんぷん漂っている。
演奏は簡単なようで、そうでもない。基本的に3コードの曲だが、Fコードポジジョンは開放弦の位置ながら、B♭コードはFコードを5フレットに平行移動したセーハが基本であり、その結果、7フレットや9フレットを小指で押さえるフォームとなる。これが結構きつい。小型のギターを使おうとも考えたのだが、今回は久しぶりにモーリスS92にご登場いただいた。弦も張り替えた。おかげで、低音がよく響いた、と思っているのだが、客席でどう聴こえたのかは分からない。
譜面台に楽譜をおいて演奏したのだが、まったくみなかった。おかげで、少し間違えてしまった。
2.京都慕情 どういうわけか、ある日突然、演奏したくなる曲がある。たとえば、第4回練習会で披露した「
やさしく歌って」がその代表かな。また一時期、スティーリー・ダンの「ドゥ・イッ・アゲイン」か「ドクター・ウー」をギター1本で演れないものか、と研究していたのだが、なかなかうまくアレンジできなかった・・・
今回も、ほんとに、ある日突然、「京都慕情」が演奏したくなった。なぜ「京都の恋」ではなく、「京都慕情」なのか自分でもよく分からない。
じつは、この曲を紹介する際、「一人ベンチャーズを演ります」と言って、客席をドキリとさせようと思っていたのね。たいていのアコギ・フリークなら、古川忠義の『Solo de VENTURES (ひとりベンチャーズ)』のなかから1曲演奏すると思うでしょ。ありゃ、なかなかのもんですからね。しかし、実際はそんな難しい曲を演奏するわけではなく、渚ゆう子の「京都慕情」の弾き語り、という落ちにしたかったわけ。ところが、セッツァンが素晴らしい女性ボーカルを連れてきちゃってまして、ちゃっかり出演交渉をしたら、いったん躊躇されたんですが、なんとかOKをいただき、休憩時間に音あわせして準備完了。
若い読者のために説明しておきましょう。「京都慕情」("Reflections in A Palace Lake")は林春生作詞、ベンチャーズ作曲で、1970年に渚ゆう子が大ヒットさせた歌謡曲です。恋をした切ない乙女心を京都の名勝地に絡ませて歌う哀愁のバラードなんですが、ベンチャーズの作曲だけあって演歌っぽくないのね。欧米人が日本の歌謡曲のスケールやコード進行を学んで作った演歌風ポップスってとこかなぁ・・・
[京都慕情(Ⅱ)-六弦倶楽部第7回練習会]の続きを読む
- 2008/06/25(水) 00:32:41|
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クロアチア対トルコの試合がPK戦に持ち込まれたため、この日眠りに落ちたのは、たぶん朝の6時半をすぎていた。目が覚めたら11時半・・・
その前々日、「魔法の山」プロジェクトに参加している1年生のMくんがクラシックギターを学んでいて、わたしより高価なギターをもっていることが分かった(わたしのギターが安物すぎるだけ?)。そこで、六弦倶楽部第七回練習会のことを知らせたところ、二つ返事で「行ってみたい」とのことで、当日は12時半に合流。わたしの愛車スウィフト(軽自動車のような普通自動車)の後部座席は、クラシック・ギター2台、フォークギター1台、バンジョー1台、フラットマンドリン1台の計5台の弦楽器のほか、譜面台などの小物入れの籠でぱんぱんになった。
途中、コンビニでピヴォに電話した。かれはクロアチアの敗戦を知らなかった。
賭けの初戦は、とりあえずわたしの勝ちだ。それにしても、あんな凄い試合をみないなんて、バカだね、あいつは・・・なんのためにWOWOWを引いたのか。
さて、今回の練習会場はいつもと違う。皆生温泉(米子市新開)にある「カフェサース」というイタリア・レストラン。会場に着いたのは午後3時半ころで、いちおう設営のお手伝いをしたが、なにぶん機材に弱く、かえって邪魔になったかもしれない。ただし、Mくんは事務局として、集金や楽譜のコピーに奔走してくれた。多謝!
設営が終わり、月太郎さんと2曲、チョトロク代表と1曲、音あわせをした。こうして、バンジョーやフラマンの伴奏依頼がくることは大変嬉しい。もともと古いフォークが大好きで、今回はみんなで楽しくジャグバンド風にやりたい、と思っていて、その念願が叶い感一入です。なんてこと言いながら、バンジョーとマンドリンは加藤家住宅の
第4回練習会以来弾いてなくて結構心配だったな。じつは、弦を一度も変えてなくて、錆びてましたね。おかげでチューニングがうまくいかなくて、お二人にはご迷惑をおかけしました。

さて、本番は午後5時半スタート。今回は会場がおしゃれなカフェだったからだろうか、家族連れ、友人連れが多く、3~4割を聴衆の女性が占めるという異例の会となった。雰囲気はとても良い。六弦倶楽部は大きく成長していますね。
演奏者は11組で、月太郎さんは3番、代表は8番、わたしは10番。なお、今回から一人が3曲続けても良いし、2回に分けてもよいことになった。
では、まず月太郎さんの伴奏から。
1.夕暮れ ご存じ、高田渡晩年の名曲です。わたし、この歌、好きでしてね。マンドリンで伴奏してくれ、と依頼された瞬間、緊張しましたよ。この深いふかい歌の伴奏をどうすべきか、はたまた間奏をどう入れたらいいのか・・・
原曲のキーはAで、高田渡はドロップDチューニングでギターを弾いている。月太郎さんはCキーを指定してくださった。もちろん、マンドリンにとってはCキーのほうがありがたい。3コードの曲とはいえ、ほんとうに難しいですね。高田渡の曲には詞に力がある。これがほかのフォークシンガーとは決定的にちがうところで、惚れたはれたのいい加減な世界ではなく、「人間」をみつめている深い言葉が連続する。その言葉が月太郎さんの口からでていくわけで、これを絶対に弱めてはいけない。だから、極力控えめなトレモロを基本として、いつ前にでるかを考えていた。間奏になる直前、月太郎さんから「はい」とかけ声をかけられるのだが、ほんと辛いね。「夕暮れ」という曲にふさわしい間奏は、時間をかけて考えなきゃいけないと思います。ここはもう仕方ないので、歌にちかいメロディをアドリブで弾くしかなかった。
ちなみに代表はカホーンでバックアップ。3拍子のリズムが歌を後押しした。
いや、それにしても、良い曲ですね・・・
2.淋しい気持ちで こちらはシバの代表的なブルースナンバー。以下の4人編成で演奏した。
月太郎さん: ギター&ボーカル
チョロロク代表: カホーン
マコトさん: ハーモニカ
小生: バンジョー&カズー
キーはCで、わたしは5カポのGキーで演奏した。間奏は1回めがマコトさんのハーモニカ、2回めはマコトさんのハーモニカにカズーを絡ませた。とても楽しく演奏できた。ほんとうはバンジョーよりスライドギターのほうが良かったかもしれませんね。ところで、わたしの
スライドバーはどこにいったのかな??
カズーは「
駅前の楽器屋さん」で仕入れましたが、あんな小さな楽器が650円もするんだから。その割に、唇で濡れると滑って落ちちゃうんだから、結構大変だ・・・
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- 2008/06/24(火) 00:06:37|
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いや、恐れ入った。ロシアは優勝候補最右翼のオランダを3-1で下し、ベスト4へ進出した。かたちだけは延長戦まで突入、ということになっているが、実質上はオランダの完敗である。120分間、つねに優位に立っていたのはロシアだった。
オランダは主力をルーマニア戦で温存し、休養十分。なのに、まったく動けない。対して、中2日で試合に臨んだ白いユニフォームのロシアはグラウンドを縦横に駆けめぐった。
画面をみていると、よく分かる。オランダはボールをもっていない選手がみな歩いていた。ロシアは必死で走っている。この差は致命的にみえた。延長になったら、ロシアは疲れて動けなくなるだろうとも思ったのだが、結果は逆で、オランダの足が完全にとまってしまった。
わたしは昨日の予想で、ロシア対オランダ戦はオランダが勝つと予測した。これは、ドイツW杯における決勝トーナメント1回戦、オーストラリア対イタリアが頭に残っていたからである。いくらヒディンクが率いていても、1枚も2枚の上の相手をそうそう簡単に下せるものではない、と判断していたのだ。
ヒディングは韓国代表、オーストラリア代表のいずれの場合でも、後半25分すぎから、ディフェンダーを削って攻撃的な選手を次々に投入し、相手チームを逆転ノックアウトし続けてきた。しかし、この作戦はイタリアに通用しなかった。イタリアの場合、90分中、意識的に攻撃しようとする時間は限られている。おそらく80分前後は守備に徹しているので、いくら攻撃的な選手を相手が増やしても効果がないのである。
イタリアの伝統は4-4-1-1システム。この4-4というのは、やや大袈裟ながら、4バックが2列並んでいると思えばいい。パチンコの釘が自軍のあちこちにはりめぐらされているようなもので、どんなに攻撃的な選手をたくさんつぎ込んでも、どこにもスペースはなく、かならずどこかの釘でボールははねかえされるようになっている。そして、わずかな隙を狙い、1点を取りにいく。これで試合は終わる。イタリアは退場者を1名だしながら、ヒディングのオーストラリアを葬りさった。それは知恵くらべで、リッピがヒディングに優ったということにほかならない。
しかし、ファンバステンはリッピではなかった。ファンバステンは試合前の会見で、「いつものように攻撃的な試合をして勝てればいい」とだけ述べていた。余裕綽々のコメントだ。ヒディンクの戦術は見事だった。
今回のロシアは攻撃的なチームだ。しかし、ただ攻撃的というわけではない。自分たちのアタックが終わった瞬間、1トップを残す他の全員が疾走して自軍にもどる。ここで、あたかもイタリアのカテナチオのような守備組織を作ってしまう。釘だらけのパチンコ型守備網が完成し、スピードのあるオランダの選手がまったく機能しなくなってしまった。その代表がカイトであり、カイトの交替で出場したファンペルシーであった。ロッベンは出場機会さえ与えられなかった。
[続・ユーロのロシア]の続きを読む
- 2008/06/23(月) 00:26:27|
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どうですか、みなさん、ちょっとぐらい自慢させてもらってもいいでしょう!?
ヒディンクの
ロシア、ユーロでベスト8に進出しましたよ。グループリーグの初戦で、スペインに1-4と大敗したときはどうなるかと思いましたが、レーハーゲルのギリシアを1-0で下し、最終戦のスウェーデンも2-0の圧勝。 ロシア対スウェーデン戦は、ほんと楽しみにしていたんですね。早朝3時半のキックオフをまちかまえていたんですが、WOWOWは何を考えているのか、スペイン対ギリシアを放送するんだから、呆れかえって、わたしゃ途中で寝てしまいました。WOWOWはセンス悪いな・・・ヒディンクが率いた韓国やオーストラリアが強かったのはヒディンクのせいだったのか、そうでなかったのか、ロシアを指標に検証できるというのに、あんな消化試合を放送して・・・視聴料返せってんだ、ったく。
で、翌日、対スウェーデン戦の録画をみました。ロシアは非常によいサッカーをしていますね。わたし好みのパスサッカーです。ダイレクトパスを多用し、遅くとも2タッチで球を離し、ビルドアップしていくサッカー。シュートは、要するに、最後のパスでいいんだ。
言い換えるなら、わたしはドリブルの多い試合があまり好きではありません。だから、C.ロナウドもロッベンも好みの選手ではないのね。
オランダは、オランダ本来のパスサッカーをすでに失っているけれども、ヒディングの指揮するチームでオランダ流のパスサッカーがみられるのはありがたい。もちろん、わたしはロシアなどという国家もチームも応援しているわけではないが、ヒディングが2年かけてどんなチームを作ったのか、についてはとても興味があった。監督が変われば、ロシアはもとの弱いチームに戻るだろうが、監督がヒディングである限り、目を離せないんだけど・・・WOWOWはそんな常識にも気づいていない。
今朝のドイツ対ポルトガル戦はおもしろかったね。C.ロナウドを動けなくする方法を、バラックがドイツチーム全員に指示していたんじゃないかな。同じリーグで2度も優勝を争ったチームのエース対決だからね。ロナウドをあんな中途半端なポジションにうろつかせた理由がもう一つわからないな。フェリペは何を考えていたのだろう。フィーゴのように、局面に応じて、左右どちらのサイドでも自由にプレーさせていたら、と残念でならなかった。ともかく、ロナウドはドイツ戦で消えてしまっていた。そして、ポルトガル代表チームも消えていった。
この原稿を執筆している時点で、まだクロアチア対トルコは始まっていません。「予約投稿」です。で、昨日ゼミがあり、かのピヴォ君と残り試合の勝敗について賭けたんですよ。負けたほうが、焼き肉をおごるという条件です??
結果は以下のとおり。
クロアチア 対 トルコ (ピヴォ=クロアチア、教師=トルコ)
オランダ 対 ロシア (ピヴォ=オランダ、教師=オランダ)
スペイン 対 イタリア (ピヴォ=スペイン、教師=イタリア)
優勝 (ピヴォ=ドイツ、教師=オランダ)
というわけで、ロシアはオランダに敗れるというのが、わたしの予想です。どちらが好みのサッカーかと問われればヒディンクのロシアですが、なにぶん
今回のオランダのタレントは凄まじい。あのエネルギーを止めるのはなかなか難しいでしょう・・・
さて、どうなるか??
- 2008/06/22(日) 00:34:15|
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西坂から東坂の植生 自然班は先週の日曜日に、動物班と植物班に別れてそれぞれ活動しました。
動物班は歴史班とともに前回も行った紅茶店「ダウラ」のマスターに久松山にいたというカスミサンショウウオについて詳しく話を聞きに行きに行き、その話をもとに長坂を登って山頂付近にある井戸に行ったようですが何もなかったそうです。
植物班は
ホカノさんと
エアポートさんに一緒に来ていただき、西坂から久松山を登りました。話ではかなりの急斜面できつい道のりだと聞いていましたが、思ったほどきつくなかったので良かったです。
上りの道には多くの照葉樹林がありました。私たちはそれらの木々の葉やキノコ、シダなどを写真に収めたり採取したりしながら進みました。また、それら植物のあった場所の標高をGPSで記録を取りながら進んだのですが、途中山頂に着いたような頃になって急にGPSに表示される標高が20mくらい高くなり、実際の標高が分からず、折角取っていた記録も当てにならないということが分かり少々ショックを受けました。

下りは東坂を長田神社に下りていきました。その道にはシダ植物が多くあり、上りのとき同様写真を撮ったり採取したりしながら進みました。その途中にある井戸の中でオタマジャクシを見つけ、後から動物班の人に聞いた話ではそこがダウラのマスターが話してくださった井戸だったということですが、やはりカスミサンショウウオの姿を確認することはできませんでした。
登り終わってみると上りの道では41個、下りの道では104個もの植物を採取していたことに気づきました。これら全てを調べていくのですが、多すぎて今日の中間発表までに半分も調べることができず、今週は次回発表までには、照葉樹を中心に、それらの植物を調べていきたいと思います。
(環境政策学科1年「植物班」I.E)
- 2008/06/21(土) 00:25:11|
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井戸さがし 私たちは、今週の15日(日曜日)に山上の三の丸東側にある井戸を探す目的で久松山に足を踏み入れた。
今回は動物班と合同で登った。前回、動物班は長田神社の近くにある喫茶店「ダウラ」のオーナーさんに井戸のお話を聞いたそうだが、我われはダウラに行けなかったので詳しくはわからない。まずは今回もダウラに行き、井戸のお話を聞かせていただいた。ダウラのオーナーさんは、かつて井戸の付近で遊んでいたそうだ。その頃にはハコネサンショウウオとカスミサンショウウオが両方いたそうだ。この話を聞き、動物班は今でも井戸にハコネサンショウウオやカスミサンショウウオがいるんじゃないかと推測し探しに行った。
ダウラのオーナーさんのお話では、8合目から9合目あたりに井戸があるという。私たちは中坂から8合目まで登り、8合目から登山道を外れて竹やぶの中を探してみたが井戸らしきものはみつからなかった。ただし、中坂の8合目と9合目の間に「山伏の井戸」がある。オーナーさんが言っていたのは、この井戸のことじゃないか。あとで『鳥取県史』第六巻を読み、調べてみると、「山伏の井戸」の横に水溜りのようなものがみとめられる。そこが昔は井戸だった場所だろうか。
ダウラのオーナーさんに教えられた井戸を探していると、以前にも出会った50歳くらいの男性に再会した。その方のお話では、中坂には「山伏の井戸」しかなく、北側2~3ヶ所に井戸があるとのこと。

それから、私たちは山上まで登った。そこで、男性二人に出会いました。男性二人は天守櫓の北西の竹やぶの中に防空壕があると話を聞いた。私たちは、興味があったので探してみることにした。とても険しい道で斜面もきつかった。天守櫓から北西30mくらい下りるとあるらしいが、探し出すことはできなかった。後日、インターネットで調べると、男性二人が言っていた防空壕らしき写真が掲載されていた。
私たちは少し休憩した後、北側の井戸を探すことにした。そこの道も険しく進行が困難だった。残念ながら、こちらの井戸も見つけることはできなかった。
次に、今回の目的である東側の井戸を探しに行った。やはり井戸らしきものは発見できなかった。後日調べてみると、今まで何回か通った山上「三の丸」の下にある水溜りが汲み置きの井戸であることがわかった。前回までは「三の丸」の下にある水溜りが「御箱井戸」だと思っていたが、『鳥取県史』第六巻によると、「御箱井戸」は西坂を少し下った天守の背面にあるとのこと。
前回、「箱井戸にはカスミ山椒魚がいると鳥府志に書いてある」と述べたが、『鳥府志』には「豆州箱根の駅にて、山椒魚なりとて販(ひさ)ぐものと同種ならん歟」とあるので、ハコネサンショウウオの可能性もあるだろう。
来週からは、今まで調査してきた結果をまとめる予定です。歴史班としてロープウェイの建設中止の真相についても調べます。気付けば発表まで残り1ヶ月ですが、良い発表になるように協力してがんばります。(環境政策学科2年O.S)
- 2008/06/20(金) 15:29:29|
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先日は、いろいろ資料をお送りいただき、まことにありがとうございます。郵便局の封筒に入っていて、ちょっと笑ってしまいました。
第7回練習会、いよいよ明後日になってしまいましたね。正直、まだバンジョーもフラマンも、まったく練習していません。まぁ、当日、ちょっと音あわせすればなんとかなるだろうと思っていたのですが、代表からの連絡によりますと、「当日練習が出来るかどうかはわかりません。会場は貸切ではないので・・・・、天気さえ良ければ、駐車場で出来るかもしれません」とのこと。こりゃ、えらいこってす。
まぁ、伴奏はなんとかなるでしょうが、間奏とコーラスとなると、ちと心配ですね。マコトさんにも連絡しているのですが、ハーモニカがなかなか上手く吹けない、ってことでした。
なんとかなりますかね・・・
ところで、シバの「淋しい気持ちで」のコード進行が、
C → C → F → C →
F → C → G → C
となっていますが、この曲はブルースですので、以下のように変更するほうが良いと思います。
C → C7 → F/F7 → C →
F → C → G7 → C
これで一気にブルースっぽくなりますよ! 和製
ミシシッピ・ジョン・ハートだ!!
正直、今回の「間奏」については、あまり自信がありません。ジャグバンド風にするなら、カズーで間奏も悪くないか、なんて思ってまして、土曜日は久しぶりに「
駅前の楽器屋さん」に寄って、カズーがあれば買って行こうと思っています。ともかくできるだけ早めに行きますので、会場設営の手伝いをした後、駐車場だろうが、軒先だろうがどこでもいいので練習しましょうね。
それでは、当日、よろしくお願いします!
草々
- 2008/06/19(木) 09:51:26|
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13日の金曜日、ゼミで私たち3年生3名はデザイン演習4の課題1「樗谿幼稚園+α」の発表をしました。敷地は先生が先日ホタルを見にいった樗谿(おうちだに)公園の一画です。「+α」とは「地域との交流」を示しています。詳細は下の要項をクリックしてお読みください。
1.のら幼稚園 稲作・畑での作物育成や飼育小屋での動物の世話をすることにより、生命の大切さや命の循環を感じる心を育める幼稚園として設計した。ミニ棚田を地域とのふれあい農園とし、収穫の喜びをみんなで、分かちあえるようにした。園舎は空間の行き止まりをなくし、囲むことによりどこにでも目が届き易いようにした。デザインは生命の循環サイクルをイメージをして考えた。「のら幼稚園」というネーミングは、野良仕事を楽しみながらやることで自然っ子としてたくましく、のびのびと園児たちに成長してほしいと願ったものである。
感想
コメントををたくさんいただき、作品の設計を詰めきれてないことに気づかされた。しかし、多くの先生方や学生に評価してもらい、票を入れてもらったときはうれしかった。集合住宅の課題では、指摘されたことに気をつけて良い作品を設計できるように頑張りたいと思う。(黒帯)

[樗谿幼稚園+α]の続きを読む
- 2008/06/19(木) 00:19:02|
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安らかな死顔だった。これまでみたことがないほど穏やかで、安らかで、満足気な、寝顔のような死顔だった。
「江口さん、あっちでもええ酒さがしといてね。また、どんちゃん騒ぎしましょうよ・・・」
と、棺のなかのかれに語りかけてはみたものの、もちろん返事はない。
13日の夜、わたしは軽い脳梗塞で入院している母を見舞った。母は中国縦貫道沿いの小さな町に住んでいる。小さな町の小さな病院で小一時間、病床の母と語らい、たしか9時半過ぎに病院を出た。しばらくして、携帯が鳴った。西宮名塩パークに入って車をとめ、メールを確認してひっくり返った。
もうご存じかもしれませんが、国立民族学博物館名誉教授の江口一久先生
が本日、お亡くなりになりました。(以下、略)
「もうご存知」なわけはない。だって、わたしは鳥取に住んでいるのだからね。
江口一久先生(66)は、ひと言で言えば、民族言語学者である。大学院時代は中国とチベットの言語学的研究をめざしていたが、文化大革命の影響で中国にわたることができず、フィールドをアフリカに切り替えた。以来、毎年数ヶ月カメルーンの村落で過ごし、言語と昔話と音楽の採集を続けてきた。
江口さんは、マルチ・リンガルで知られた学者さんでもある。英・仏・独語などは朝飯前、ヨーロッパなら、どこの国に行ってもその国の言葉で流ちょうな会話ができる、とある高明?な学者が絶賛していた。ほかにアラビア語も、スワヒリ語も、ベトナム語も、カメルーンのフルベ語もなんでもできた。中国語は、もちろんわたしより遙かに上手い。発音が違うのだという。わたしの中国語はモンゴル人か香港人が話す北京語によく似ているそうだが、江口さんの発音は北京語そのものなんだと、北京の偉い女性官吏が教えてくれた。
なにより豪傑だった。キン●●の小さい官僚のような学者が増える一方のご時勢にあって、江口さんはみんぱく(民博)が世界に誇る「野獣」であった。とても優しく、思いやりのある天衣無縫の「野獣」だった。
1980年代の終わりから1990年代の前半にかけて、わたしは江口さんとともに貴州のトン族やミャオ族、あるいは雲南のナシ族やモソ人の調査をした。江口さんは、わたしたち建築学者とは真反対の行動をした。わたしたちは昼間、黙々と調査をした。1日のノルマを決めて、何棟か実測し、ヒアリングする。夕食前に宿舎中庭にテーブルを出して食前酒を飲み始め、夕食をみんなで食べる。そのあとはデータの整理である。
江口さんは、昼間、寝ている。仕事は夕方から始まる。わたしたちと酒を飲み、夕食をとった後、ふらりふらりとあちこちの民家を訪ね歩き、言葉や昔話や音楽について聞いてまわるのだ。問題は、どちらが深く「文化」を理解するのか、ということであり、わたしたちが江口さんに敵うはずはなかった。
御所野遺跡のイベントに江口さんを招待したことがある。江口さんはカメルーンの民族衣装を身に纏い、アフリカ人のドラミングをバックに、フルベの昔話を聞かせてくれた。御所野から大阪まで一緒に帰り、京橋だったか、どこかの場末で飲み明かした。そのとき、結構ストレスが溜まっているようで、驚いた。自由人には自由人の辛さがあるのだな、と思ったものだ。
最後にあったのは、3年前の退官直前。民博まで挨拶に行った。あの場末のストレスはどこかに消えていて、「楽しい研究生活だった」と満足気に話してくれた。ちょうどそのころ、わたしはバリとボロブドールに行く予定があり、
「おい、ジャワ更紗のな、えぇシャツ1枚買ってきてくれよ」
と頼まれた。おっしゃる通り、ボロブドール見学のあと、ジョグジャカルタの市場で結構高級なジャワ更紗を買って帰り、垂水の自宅まで郵送でお贈りした。ささやかな退官記念の品である。
そのシャツが何倍にもなって返ってきた。
[哀悼 江口一久先生]の続きを読む
- 2008/06/18(水) 00:43:51|
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5月30日に
搬入した智頭枕田遺跡(縄文時代)復元模型の展示が始まりました。当初の予定だと、6月19日(木)からだったはずですが、少し早まったのでしょうかね?
会期と会場は以下のとおりです。今回搬入した復元模型のうち、枕田だけが常設展示ではありません。限られた期間での展示になりますので、ぜひとも智頭町に足を運び、ご覧いただければ幸いです。
会期: 7月11日(金)まで
会場: 智頭町総合センター ロビー(智頭役場横)
それにしても、倉吉はどうなってんのかな?
博物館での常設展示のお知らせが届きませんねぇ・・・
- 2008/06/17(火) 23:19:24|
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ユーロの初戦でイタリアがオランダに0-3の大敗を喫した事実を知らないまま、イタリア対ルーマニアの試合を見始めた。
イタリアは重症だ。ワールドカップ優勝チームとほとんど変わらないメンバーだということになっているが、じつは核心的な部分は大変わりで、監督はリッピではない。ドナドニ監督はW杯直後、新メンバーで何試合か戦ったが、戦績は芳しいものではなく、結局、W杯メンバーを呼び寄せてユーロの予選を勝ち上がった。
しかし、ルーマニア戦をみる限り、イタリアはすでに別のチームに変わっている。イタリアが強い理由は世界屈指の「堅守速攻」にあるのだが、「堅守」もなければ「速攻」もない。カンナバーロが負傷欠場と言っても、かれもすでに30代後半?になっているはずだから、いつまでも頼り続けるわけにはいかない。前線では、トップにデル・ピエロが復活していた。引退して当然の選手を、こうして呼び戻さなければならないところに、イタリアの苦境がありありとみえる。
中盤ではトッティが消えてしまった。じつはあの選手はどうでもよくて、問題はガットゥーゾだ。ガットゥーゾはどうした? あの吠えまくる噛みつき狼は第2戦では交替出場すらしなかった。あぁいう選手は絶対に必要なんだが・・・
オランダ対フランス戦は衝撃だった。フランスの監督はドメニクでW杯と変わっていない。が、ジダンとヴィオラがいない。リベリをジダンの後継者とマスコミはもてはやしているけれども、これはジダンに対して失礼というものだ。ドイツW杯を振りかえってみても、「トップ下」というポジションで激しいマークにうち負けず、自在にボールを操った選手はジダンただ一人である。
一方、オランダもメンバーはW杯時とほとんど変わっていない。ドイツW杯で、わたしはオランダを酷評した。クライフが創造したトータルフットボールから遠く離れたエゴイスティックで青臭いプレーしかできなかったからだ。そのエゴイスティックで青臭いプレーヤーの代表がロッベンだった。ボールをもったら離さない。組織で守備を崩すという意識がまったくない。ドリブルしてシュートすれば満足、という単細胞の典型だと思っていた。また、ファンバステン監督とファンニステルローイの確執も深刻だった。ファンニステルローイをベンチにおく采配を不可解に思う観戦者も少なくなかっただろう。
今回のユーロで、ファンニステルローイはCFにどかんと構えている。また、青臭かった若者たちは着実に成長した。ロッベンやファンペルシンは先発を外れているが、これはこれで脅威だ。前半のオランダは組織的で安定感があり、後半になって、相手が疲れたところで、高速のサイドアタッカー二人を投入する。この戦略にフランスは翻弄され、1-4でオランダに惨敗した。
前回のW杯で酷評したロッベンの切れ方は異常だ。あれぐらい切れれば、エゴも許されるというぐらいに切れている。ちょっとやそっとのディフェンダーではとまらないだろう。
今回のオランダは強い。最終的にはポルトガル、スペインとの争いになるだろうが、イタリア、フランスにいずれも3点差で勝利した力をもってすれば優勝も決して夢ではない。
15日の明け方までわたしは上の2試合をみていた。そして、夕方からは日本対タイの試合をみはじめた。足首を痛めて、まともにボールを蹴れないという中村俊輔を先発で使わなければならないほど、岡田は追い込まれていたのだろう。前半、トゥーリオと中澤がCKからヘッドで2点をきめて試合は終わった。以前、アジア杯のベトナム戦でコメントしたように
制空権の差である。
ユーロを見慣れてしまえば、アジアの第3次予選なんて退屈きわまりなく、わたしは後半途中でテレビのスイッチを切り、
神戸に向かって移動を始めた。(続)
- 2008/06/17(火) 00:28:08|
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NHK大和路放送局のY記者から、いまメールで連絡があった。
3週間前に
収録した「焼失住居」のニュースが、あす(17日)の朝のニュース「おはよう日本」で全国放送される、とのこと。
ただし、・・・岩手・宮城内陸地震の関係で、何時台で放送するか直前にならないとわかないらしく、いまのところ、午前4時半から午前8時15分までのいずれかでの放送で、午前6時台のような感じがするのだそうです。
もちろん、夜行性人間のわたしが視ることなどありえませんね。
ご報告まで。

↑15日の「父の日」。わたしがなんでこんなにカラフルでエスニックなシャツを着ているのか、については、
こちら をクリックしてください。
- 2008/06/16(月) 21:31:29|
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ほら穴の吸いつき婆!? 漫画・風景班は、漫画『魔法の山』に載っている風景と実際の風景をできるだけ多く比較し、それをデータシートにまとめました。同じ風景がいくつかあって、使い回しをされているコマもありました。2コマ分使って、一つの風景を表現しているのもありました。久松山が部分的に描かれているコマなど、本当にこの場所であっているのかという不安がありました。そういう場所は結構アバウトに撮りました。他にもまだ場所が特定できていないコマがありますが、そういう場所も特定できればいいと思います。漫画『魔法の山』の時代は昭和42年なので、今は町並みの風景は変わってしまっていると思われます。町並みの風景など特定したかったけれど、特定するのが難しく、できませんでした。それが残念です。

現在はほら穴について調査して比較しようとしています。
6月10日(火)に久松山に登りました。目的はほら穴調査です。前回、6月1日(日)にほら穴がどこにあるか探した際、ほら穴らしきものを3ヶ所発見することができました。その中で最も深いのが今回調査したほら穴です。先輩の話によると、そのほら穴は防空壕として掘られたものらしいです。そのほら穴は西坂入口から山道に入り、ロープ伝いに少し登り、尾根伝いにしばらく進んだところにあります。 そのほら穴の入口付近に近づくと、
ピターン ピターン・・・・・・
と水滴の落ちる音が聞こえました。
それまで登って歩いて熱くなった体がだんだんと冷えてきました。そして、ほら穴の内部に入り、懐中電灯で照らしながら、デジカメで写真を撮影しました。そのとき撮った写真をすぐに確認したら、写りもしないはずの白い同心円の球体が何個か写っています。上と下は同じ写真ではありません。同じアングルから撮った別の写真ですが、複数の球体が違う位置に映し出されています。クリックして拡大した写真を確認してみてください。
後で調べてみたところ、それは、空気中に漂うチリやホコリの粒子・水滴などが、フラッシュや日の光などに反射したものであるという説もあったし、死んだ人の霊魂であるという説もありました。
ところで、ほら穴に入っていくと、首と背中の間あたりになにかの感触があったことには驚きました。最初は虫かなにかが落ちてきたのかと思いましたが、虫のような類は近くにはいなかったので、気味が悪くなりました。漫画『魔法の山』に出てくる「吸いつき婆」が本当に出てきたのではないかと思いました。
私たちは、恐怖で先に進むことができませんでした。我ながら情けないと思いました。まさに『魔法の山』で出てくるほら穴の状況と似通っていました。谷口ジローは実際に今回調査した場所に赴いて、そのときの体験をもとに漫画『魔法の山』を描いたのかもしれません。今回は怖くて数メートルしか入れませんでしたが、次回は勇気を出して奥の方まで調査してみたいと思います。(環境デザイン学科1年M.T)

↑ほら穴の霊魂(吸いつき婆?)についてスピーチする漫画・風景班。
- 2008/06/16(月) 00:00:32|
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2008年6月8日の調査を6月12日に発表
【御箱井戸】
歴史・史跡班の2名は、久松山に再度出かけました。今回の目的は【御箱井戸】です。『鳥府志』によると、この井戸の中には、山椒魚(カスミサンショウウオ)とみられる異形の物が住むと記されています。今回は、闇雲に歩き回るのを防ぐ為、事前に調査をして行きました。
事前調査によると、
①【御箱井戸】は、山上の「三の丸」下の東側にある。
②時代
)宮部継潤時代
)池田長吉時代
③湧水ではなく、汲み置き型の井戸
④城の直北真下の円護寺集落の者が当番で山頂まで水を汲み上げていた。その代わり、諸役を免除されていた。
この調査を元に久松山へと向かいました。しかし、一向に井戸らしき物は発見できませんでした。次回は動物班と合同で【御箱井戸】を探しあてたいと思っています。

【五輪塔】
じつは、【御箱井戸】の調査へ出る前に、右膳の丸にある【五輪塔】を見に行きました。ここには、漫画『魔法の山』のあるコマに描かれている灯篭に類似したものがあります。
推測:霊の目撃情報が多々ある久松山…。
五輪塔(お墓)と霊を結びつけて、「吸い付き婆」を生み出したのでは?

【洞窟】
豊臣秀吉による「渇殺」の際、鳥取城(吉川経家側)に味方した人びとによって、麓と城をつなぐ秘密の地下通路が造られたという噂がある(http://www.orange.ne.jp/~kibita/jp7/local6.html)。
推測:この噂を聞いた作者が、主人公・健一たちが入る洞窟の参考にしたのでは?
以上のような推測を裏付ける証拠を集めていきたいです。 (環境政策学科2年K.U)
- 2008/06/15(日) 00:49:07|
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カスミサンショウウオの幼生 先週日曜日(8日)、自然班は植物班2名と動物班1名で久松山に調査に行きました。植物班は漫画「魔法の山」のいくつかのコマに描かれた場所で植物採集しました。動物班はわたし一人でしたが、大学院生のホカノさんに手伝ってもらい、東坂登口の渓流でカスミサンショウウオの幼生を7尾も捕まえました。
大学に戻り、生物学のK教授にお話を伺ったところ、「本来ならカスミサンショウウオは12月~4月に卵を産み、もう孵化して陸上にいるはずなのだが、山地の川の中で水温も低かったから、まだ水中で生活している状態だったのではないか」とお教えいただきました。
近年は、温暖化?の影響で、孵化は早まっているそうです。にもかかわわらず、6月になってから、カスミサンショウウオの幼生がみつかって良かったです。このプロ研の目的に一歩でも近づけて、うれしいです。
次の日曜日には歴史班と一緒に山頂近くの井戸を探し、成長したサンショウウオを探すことになりました。8日の調査後、先生と入った長田神社近くの紅茶の店「ダウラ」のマスターは、ちょうど谷口ジローと同年代で、子どものころよく久松山で遊び、カスミサンショウウオも捕ったそうです。カスミサンショウウオは山頂に近い竹藪のなかの井戸にたくさんいたというので、今度の調査までにもう一度ダウラを訪れて、マスターに詳しい話を聞き、噂の井戸を探しだしたいと思っています。
今回の調査ではいい結果を残すことができたので、次もこれにつなぐよい発表がしっかりできるようにしていきたいです。(環境政策学科2年 K.U)
[第9回「魔法の山」(Ⅰ)-自然班]の続きを読む
- 2008/06/14(土) 00:03:07|
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昨年末、紀要への投稿者が少ないからだれか原稿を書いて欲しいという依頼があったのだが、師匠も走る大晦日にそんな時間的余裕があろうはずはない。いったん無視を決め込んだのだが、そういえば作夏、登録文化財申請のために調査した常忍寺本堂の申請原稿・図面・写真一式があることを思い出した。わずか
二日ばかりの調査で、その原稿も歴史沿革は市の専門家に任せ、肝心の建築部分はエアポートに書かせて校閲し、いったん
ブログに連載した。それを編集しなおして文化庁への申請書類を作成したのである。この申請書類は、学術的にみれば、レベルの高いものではないが、それにしてもお蔵入りさせるのはもったいない。とりあえず、紀要に投稿してみようということになった。投稿にあたっても、エアポートが大車輪で動き、レイアウト、和文要旨、英文要旨の叩き台をつくった。
年があけて、査読結果が舞い込んだ。若干の修正要求があったけれども掲載は「可」で、ただし「論文」ではなく、「報告」の扱いにするという判定であった。内容からして、「報告」という判定にまったく不服はない。以下に、文献の基礎データを示す。
浅川・佐々木・岡垣 「常忍寺本堂」『鳥取環境大学紀要』第6号:p.49~56、
2008年3月
和文要旨: 鳥取市行徳に所在する常忍寺は、江戸時代後半に建立された日蓮宗の寺院である。国の登録有形文化財の申請にむけて、本堂および客殿の緊急調査を2007年8月におこなった。本稿はその概要報告である。本堂は中規模の日蓮宗本堂で、19世紀前期の再建・改築時の様式や部材をよく残しているが、客殿は1階を大改修していう。本堂は火災や地震などの災害が頻発した鳥取市街地にあっては例外的に保存状況の良好な木造建造物で、国の登録有形文化財としてふさわしい価値をもつ近世寺院建築と評価できる。
【キーワード】 常忍寺、本堂、日蓮宗、近世社寺建築、登録文化財
どういうわけか、全頁カラー刷りとなっております。抜刷を50部頂戴しておりますので、ご希望の方はご連絡ください。
最後に、ささやかな願いを記しておこう。この「報告」をもとにお寺さんか鳥取市で、登録文化財「常忍寺本堂」のパンフレットを作ってくださらないだろうか。編集は、もちろんお手伝いしますよ。
- 2008/06/13(金) 00:48:30|
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昨日はまた重たい会議で時間を浪費した。この日の主人公はわたしだった。わたしは組織改編にあたって「人権蹂躙」に近い扱いを受けたので、国に対して異議申し立てをしており、その件で激しい論戦が繰りひろげられた。ここで仔細を述べるつもりはないが、名の知れたバイオリニストと同姓同名の人物は、人権蹂躙に近い行為を反省・謝罪するどころか、
「教員にそこまでの自由はない」
と開き直った。
わたしは事務局に対して、 「教員にそこまでの自由はない」という発言を議事録に正確にとどめるよう要求した。あとで確認したところ、議事録は「速記録」に近いものだから、必ず記録としては残るという。この記録は、いつの日か、必ず日の目をみるだろう。
もうひとつ腹立たしかったのは、新入りのメンバーが「あなたは大人になれ!」と説教してくれたことだ。ことの経緯をなんにも知らない人物が、「大人になって辛抱せよ」と説得するありさまに接し、わたしではなく、別のメンバーが切れて反論した。
べつに「大人」になんか、なりたくありませんよ。大人になれ、と言った新入りの面構えをみていると、「大人」とは「腹黒い」ことと同義だな、とつくづく思った。あんな腹黒い顔にはなりたくないよな。こちら、「大人」になれない不良で結構でございます。
さて、この不良中年、水曜の夕刻には飲みにでることになっている。午後8時に店に行くと、いつもガラガラで、ヘルシーな料理を食べながらゆったりとリラックスした時間を過ごせるのだが、9時半ころから混み始める。いつもはもうしばらくいるのだけれども、流石に体調が崩れていて、この日は早めに退席した。
帰宅してベッドに横たわって休んでいたところ、こんどは学生から電話があり、樗谿(おうちだに)にいるという。もちろんホタル鑑賞のためである。わたしは酔い冷ましに樗谿まで歩いていった。鳥取に赴任して8年めになるが、樗谿のホタルをみたのは初めてのこと。
幻想的だった。なんとかデジカメで撮影したいと思ったのだが、あの幻想的な光景を画像として再現するのは不可能だな・・・
ホタル鑑賞のあとには「
蛍」に行くべきだった。

↑ホタルの軌跡がわかりますか?
- 2008/06/12(木) 10:10:51|
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先週金曜日の3・4年ゼミでアサヒコンサルタント空間情報室のみなさんに
デモンストレーションしていただいた3次元レーザスキャナの計測成果がjpg形式の画像で3枚送られてきました。
わずか2時間ばかりのあいだに、これだけの範囲で3次元測量ができ、色つけまでしてあります。上の写真は演習室の内部パースですね。
なんかシュールですよね? ポスターに使えそうだな。
一方、下は計測器がとらえた窓外の風景です。実験棟や大学の裏山が綺麗に映し出されていますね。

・・・世のなか便利になりました。
やはり今、県内でいちばん有効に使えそうなのは、
美歎水源地(重要文化財)の劣化したコンクリート建築じゃないでしょうか。あれを3次元で計測し、その復元CGを制作してみてはどうかな。市の関係者のみなさん、ご検討ください。

↑屋内外の全景です
- 2008/06/11(水) 00:42:26|
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先日、トマトさんが研究室にあらわれたらしく、お土産のおまんじゅうが置いてあった。いったいだれが対応したのかな・・・
で、昨日は、チャックからメールが入った。ようやく職場のメールアドレスをもらえたとのこと。
チャックは文化財保存のコンサルに就職した。千葉に住んで東京に通っている。よくみると、職場は一ツ橋だな・・・えっ、岩波書店のビル・・・岩波書店はテナントビルをもってんだ・・・チャックの所属は「遺跡整備室(仮称)」で、役職は「技術員」だそうな。メインの仕事は神奈川県相模原市の縄文遺跡整備。わたしが指導にいったら、大変だな。ぜんぶひっくりかえしてしまうもんな・・・
メールによると、「ワードやエクセルはもちろんのこと、インデザイン・イラストレーター・AutoCAD・ベクターワークスなどの多種多様なソフトを使わなければならず、毎日解説書とにらめっこしているような日々です」とあるが、これらのソフトのなかで、ASALABにないのはAutoCADだけだ。
チャックといえばCAD嫌いで有名だったが、まぁ大丈夫でしょう。
新入社員に言うのもはばかられるけれど、職場は辛いよね。
隣の芝生が青くみえるから。
そういえば、チャックに報告しなければならないことがある。悲しい出来事なんだ。
おまえさんが愛用していた
リファーレンいなばモデル500が壊れちゃったのよ。
六弦倶楽部第4回練習会で「銭がなけりゃ」と「自転車にのって」を弾いた、あの懐かしいモーリスMC100。500円で買ったMade in Korea のモーリスさ。形あるものは壊れていく。色即是空・・・
1週間ばかり前、なんかの勢いでばたんとギターが倒れたんだけど、そんなことしょちゅうだったから、気にもとめなかったのね。ところが、いつものように「ムーンタン」の出だしを弾こうとしたら、弦高が1.5センチぐらいになっていて、とても演奏できない。で、裏側をみるとネックの根本に見事なヒビが入っておりました。
いや、辛いわ。ほんと辛い・・・どうして葬ってやろうか、思案中です。

- 2008/06/10(火) 02:20:03|
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倉吉から直接津山にでて中国縦貫道にのれば速いに決まっている。が、高速代が高くなる。ガソリン代は謂うにおよばず・・・政治が悪い、社会が悪い、大学も悪い・・・
高速代を節約しようと、人形峠から佐治を経由して用瀬にでた。ここで、ばてた。佐用まで車を走らせる元気がなくなり、わたしは鳥取の宿舎に戻ったのである。そのあいだ、じつは何本ものメールと電話のやりとりがあった。
それにしても、ワールドカップ予選の試合をBS1で放映しないとはなにごとか!
わたしの家には地上波の
アンテナがない。宿舎のテレビでみられるのはBS1、BS2、WOWOWの3局だけであって、くりかえすけえども、ワールドカップ予選という国民的行事を民放(今回はTBS)が独占するとはなんたることか。海外にいる日本人は、ワールドカップ予選が見られないではないか。政治が悪い、社会が悪い、NHKも悪い・・・
というわけで、わたしは「飛鳥」のカウンターに陣取り、14インチの小型テレビに映る日本対オマーン戦にかじりついていた。
今回の引き分けは良し、としなければならない。
開始5分で、先発陣のユニフォームはまるで水着のようにべとべとになった。噂に聞いていた摂氏38度の猛暑のなせる技である。気温が摂氏38度ということは、芝生上では摂氏50度近くまで上昇しているだろう。これほど熱いのに、日本は攻め続けた。
攻めすぎてはいけない、と思っていた。こんな気候で攻め続けると、攻め疲れする。攻め疲れするとどうなるのか。攻め上がった中盤の選手が守備に戻ってこれなくなる。結果、ディフェンスラインと前戦との距離が大きく開く。こういう状態を「アコーディオン」とわたしたちは呼んでいる。
オマーンはこの大きくあいた中盤を使う速攻に狙いを定めていた。前半、その作戦が奏功し、日本は手痛い先制点を許してしまう。その後も、日本は攻め続けるが、1点を奪えそうな気配がしなかった。とくに中村俊輔のプレースキックが不調だった。コーナーからあげるボールはすべてキーパーにキャッチされてしまう。
後半、サイドアタックが増えて、日本は好機をしばしば演出した。そして、玉田がPKをとった。瞬間、
「遠藤だ!」
とわたしはカウンターで声をあげた。ここで、中村俊輔にPKを蹴らせていたら、この試合は落としていたかもしれない。
遠藤のPKは見事なものだ。相手ゴールキーパーの重心が動くのを確認した瞬間、その反対側にボールを転がす。遠藤のトリックにひっかからないようにするためには、ともかくキーパーは動いてはいけない。しかし、そんなことのできるキーパーがこの世に存在するだろうか。
それからまもなく、オマーンがPKをとった。いやな流れだったが、わたしはカウンターで、
「オマーンに遠藤はいない」
と呟いた。すると、みごとに楢崎がPKをとめた。オマーンのキッカーは楢崎が動く前にボールを蹴っている。
それからの攻防は見応えがあった。できれば、早めに松井を下げたほうがよい、と思っていた。松井のようなドリブラーは猛暑の気候で疲れやすい。ボールは疲れないのだから、ボールを早く動かすサッカーをすべきであって、このアウェー戦ではドリブルは必要ないと話していたら、大久保がレッドカードを頂戴した。
これはこれでいいだろう。こういう試合では、10人になったほうが有利に働く場合もある。ところが、大久保と同時にオマーンの選手も一人退場になっていた。喧嘩両成敗。アウェーにしては、中立的な笛を吹くレフェリーだった。ただ、その前後、日本は2度、PKをもらえるチャンスがあった。レフェリーはこれを2度とも流した。さすがに、アウェーでは、2本も3本もPKはもらえない、ということだ。
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- 2008/06/09(月) 00:11:36|
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ふりそそぐ太陽の光。梅雨の合間の天気は、なおいっそう山々の木々の緑を濃くし香りを強くする。そんななかバイクにまたがり風切れば、季節の移り変わりに心地よさを感じずにはいられない。吹く風もどことなく夏めいてきた。気がつけば、もう6月である。
バイクを西へ約50キロ。心配していた天候も良く、教授のお誘いで倉吉の重要伝統的建造物保存群地区へ向かった。第6回「鳥取県内建築系関係者の交流会」に参加するためである。「くら用心」で記念講演を拝聴し、牧田家住宅の修理現場を見学した。懐かしい池田住研の大工さんたちが顔を揃えている。くら用心から牧田家へ移動する際、本町通り商店街を通った。
昨年、倉吉町並み調査
報告書の刊行とほぼ同時に、本町通り商店街のアーケードは老朽化のため撤去された。話には聞いていたものの、それがなくなった後の町並みを見るのは今日がはじめてである。ご存じかとは思うが、ここ本町通り商店街をテーマにして、昨年は4期生のトマトさんが「
谷口ジローの風景」について、一昨年前には3期生のモリさんとアッコさんが、「
倉吉本町通りアーケード商店街の町並み分析と再生計画」について卒業研究をおこなった。3期生の
調査には、当時2回生であった私も同行し、真夏の照りしきる太陽の中、毎日のようにここを訪れアーケードのもとで幾棟もの建物の実測をした。あの日は暑かった。

到着しておどろいた。そこに、ハルさんが描いた倉吉の報告書の表紙の風景は無く、おびただしい数の昭和レトロな看板建築が日の光を浴び、ただただ軒を連ねていた。何処から何処までが商店街だったのか、一昨年の記憶がなければ辺りの住宅とほとんど変わらぬ風景にすべてを忘れさせられる。アーケードはやはり町並みの一つであり、歴史がつまったカプセルであったのだ。というのも、数多くの看板建築はアーケードと軌を一つにして普及し発展してきた建築物だったからである。またそれらが醸し出す昭和の雰囲気をアーケードはひっそりと封じ込めていた。あきらかにアーケードの存在は、ここに一つの空間を生み出していたといえる。それゆえ隣接する重伝建地区との歴史的雰囲気の相違はこの町並みに緊張感を与え、また時代の連続性と断続性の両面を感じ取れた。

とはいえ、アーケードが撤去されたことで町並みが崩壊したとは言い切れない。なぜなら看板建築の「看板」の裏側には、町家であった当時の軒がそのままちゃんと残っていることが一昨年前の調査で明らかになった。これから、本町通り商店街ではその「看板」を少しずつめくり、町家本来の外観を恢復すべく努力してほしい。そうすれば重伝建地区との一体性が強まり、重伝建地区の拡張が実現するであろう。
ところで、作日デモンストレーションしていただいたアサヒコンサルタントは、教授が希望していた西町アーケードの3次元測量をしているとのこと。教授は報告書の最後に主張した、アーケードの部分的復元による「昭和レトロ街」の創出がそのデータによって可能であると市の担当者にお話しされていた。それは「谷口ジローの風景」の再現にもつながることであろう。

ふと考えると、私が今まで見てきた商店街の町並みは既に記憶となり、思い出となっていた。こうして自分も谷口ジローのマンガを読んで懐かしく思う人物のひとりとなったのだ。学生時代に調査でひと夏訪れた町は時が立つとともに変化し、また同時に私も歳をとっていく。いつかまたここを訪れたとき、私は彼のマンガの主人公のように、気がつけば懐かしさと思い出に飲み込まれ、調査をしていた学生時代にタイムスリップさせられるかもしれない。あぁ、あの日は暑かった…、と。(Mr.エアポート)
- 2008/06/08(日) 19:09:30|
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本日の3・4年ゼミは、アサヒコンサルタント株式会社空間情報室のスタッフに3次元レーザー計測のデモンストレーション講演をしていただきました。アサヒコンサルタントは教授のお父さんが創業された会社です。3次元レーザー計測は、
池田家墓所の光仲墓唐破風で馴染みあるものですが、今回のデモと池田家の測量は方法が違うようです。私は池田家墓所の測量に立ち会っていなかったので、作動している器械を見るのは今回が初めてで、非常に楽しみでありました。
講演では3次元レーザー計測についての概要、長所・短所、活用事例をお話しいただきました。3次元レーザー計測の器械は、ライカのScanStation2で、レザースキャンに加えてCCDカメラで撮影を行ないます。スキャンで得られた3次元データに、CCDカメラで撮影した画像をソフトウェア上で合成することで、色付きの3次元モデルを構築していきます。事例としては、倉吉市の鳥飼家住宅(県指定保護文化財)、崖崩れ現場、砂防堰堤、招き猫をみせてくださいました。計測、モデル作成に掛かる所要時間は招き猫で2時間ということです。計測した3次元データは、ソフト上で任意の距離を計測できるし、任意の場所で輪切りにでき断面をみることができます。
このほか、小物向けのレーザー計測器として、コニカミノルタのVIVIDもご紹介いただきました。こちらは土器などの計測に適しています。ただし、器の内部まではレーザーが届かず計測できないようです。

↑3次元レーザー計測器本体(クリックすると大きく表示されます)
講演中にデモンストレーションとして、ゼミ室の内部と窓越しから見える屋外の風景を計測してくださいました。CCDカメラでの撮影は講演が始まる前(室内に人がいない状態)から行ない、レーザースキャンは発表中(室内に人がいる状態)に進めました。講演終了後に合成したモデルを見せていただきました。驚いたことに、ゼミ中の室内景観や屋外の風景が早くも色つき3次元でモデル化されていました。室内に人がいない時点での写真を合成に使ったため、人のモデルには壁の色がついてしまいましたが、これは仕方のないことです。このように写真撮影とレーザー計測に時間差があると、思わぬものに仕上がることがネックだそうです。

↑デモで計測したモデル(左側が室内、右側が屋外)
教授は「
文化的景観」に関わる研究で、3次元レーザー計測を使えればよいが、とお話しになっていました。また、
美歎水源地の劣化したコンクリート造建築なども、3次元計測が有効ではないか、とコメントされていました。
たしかに、自然地形を含む広範囲な場所を計測するのに大変長けていると思います。ここまで凄いモデルを仕上げることできるものかというのが、素直な感想です。そのくらい驚異的でした。なにより、私が苦労して作ったハロン湾の景観モデルより、圧倒的に迅速かつリアルなモデルが仕上ることにため息がでた次第です。(某大学院生)
- 2008/06/07(土) 00:53:54|
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NHK奈良やまと路報道室のY記者から連絡が入った。
先週土曜日に
収録した「焼失建物」のニュースは、まず6月9日(月)午後6時10分から奈良ローカルでの放送となるそうです。当日、わたしはたぶん奈良におりませんが、奈良県在住で興味をおもちの方は是非ともご覧ください。
みなくてもよいけどね・・・
- 2008/06/06(金) 00:19:34|
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6月5日 木曜日 雨のち晴れ
今日は、国史跡「
鳥取藩主池田家墓所」へ行きました。池田光政と御国替で岡山から入封した初代藩主となった池田光仲(64才で没)から十一代藩主の池田慶栄(17才で没)までの墓をはじめ、夫人や重臣の墓が多数ありました。そこで、修復の話や説明を聞きながら見学しました。
その後、休憩舎でプロジェクターを使い、各班で成果を発表しました。漫画班は漫画「魔法の山」に出てくる抜け道を調査してきていました。、「魔法の山」にかかせない場面の調査成果です。まず、漫画の抜け道が出てくるコマを写し、それと、調査で撮影してきた映像を比較しました。久松山で3ヶ所、丸山のほうで1ヶ所、計4ヶ所の横穴を映してくれました。自分達「歴史班」が発見出来なかった場所なので非常に参考になりましたし、また、とても面白く良かったと思います。

自然班(植物班・動物班)は漫画に出てくる風景の樹木や植物について学名つきで発表しました。また、動物班は漫画のコマに描かれたいた小川に入り、水中動物をつかまようとしたのようですが、なにも獲られなかったそうです。このほか、「押し花」の植物標本についても発表がありました。自然班は女子ばかりですが、漫画のコマを再現する写真を撮っていました。しかし、登場人物が男なのに、写真に映る人物が髪の長い女性というのはおかしいので、こんどはプロ研のメンバーでいくつかのコマを映しなおそうということになりました。
先生が注目したのは「鳥府志」にみえるカスミサンショウウオの記載でした。「鳥府志」では、鳥取城内の井戸に住むカスミサンショウウオを「異物」と記しているのです。谷口ジローはこのことを知っていたのではないか。博物館に展示されていたオオサンショウウオと『鳥府志』のカスミサンショウウオのイメージを重ねあわせて、「魔法の山」の精霊のイメージができあがったかもしれない、と先生は推測されていました。

↑漫画班の発表。横穴の位置を地図で示しているところ。
[第8回「魔法の山」-谷口ジローの風景]の続きを読む
- 2008/06/05(木) 23:12:36|
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