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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

第13回「魔法の山」-谷口ジローの風景

 今回はめずらしく13講義室でのゼミとなりました。3つの班ごとに発表しましたが、歴史・史跡班と自然班は「まとめ」の作業に入っています。歴史・史跡班はとくにプレゼンテーションが上手く、とても解り易く感じました。動物班は、地域によって違うサンショウウオを示していました。植物班は、久松山の植生分布について整理しています。ただ、先生のいう久松山の「遠景」を「円形」と聞き間違えているところがおもしろかったです。歴史班、植物班ともに、よくまとめられていたと思います。今回のゼミの最後には、発表会での順番とテーマを決めました。次回は、発表会に向けてのプレゼンテーションを全員がひとりずつする予定です。

プレゼンの順番


 漫画・風景班がこの1週間でおこなったことを書きます。
 漫画『魔法の山』で描かれている風景と実際の風景を照らし合わせたデータと、デジタルマップをほぼ完成させました。はじめは、デジタルマップを作る上で、完成への見通しが立たなかったのですが、院生のホカノさんに手がかりを教えていただき、ほぼ完成させることができました。感謝しています。
 漫画『魔法の山』で、ほら穴とお化けのことで知りたいことがあったので、7月7日(月)に、聞き取り調査に行くことになりました。まず、久松地区公民館と連絡をとりました。幸運にも、「久松山を考える会」会長の岸根さんとお話ができることになりました。岸根邸は裁判所の近くにあり、190年の歴史のある建物でした。岸根邸の茶室は、以前環境デザイン学科の1期生が卒業研究のテーマにしていたそうです。私は、私たちがどんな研究をしているかを説明しました。岸根さんはそれを聞いて、感心していたようです。「久松山を考える会」がどんな活動をしているかを聞きました。久松山の西坂道は、「久松山を考える会」が舗装を行ったそうです。ロープを取り付けたのも「久松山を考える会」です。他に、何枚か資料をもらいました。その中には、「久松連山ルートマップ」という地図も含まれていました。中坂道、西坂道以外にも、久松山の周辺には何種類か登山道が存在します。まだ登ったことのない道があるので、登ってみたいと思いました。
 さらに収穫がありました。谷口ジローのお母さんがご存命で、樗谿神社をよく散歩されているのをみかけるそうです。近い将来、谷口ジローのお母さんのお話を聞ける機会があるかもしれません。
 肝心の、ほら穴、お化けのことについてのはっきりとした回答が得られなかったのは残念でした。そのことについて岸根さんは、「わからない」と言っておられました。久松山に詳しい「考える会」の会長さんがなにもご存じない、ということは、ほら穴の中にひろがる空間やお化けの話は、谷口ジローの創作なのではないかと推測されます。今回の調査を元に、発表へとうまく繋げられたらいいと思います。(環境デザイン学科1年「漫画・風景班」M.T)


  1. 2008/07/11(金) 00:34:48|
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楼観と邪馬台国山陰説??

 9日の午後、県庁で某委員会があり、出席した。研究所時代の先輩が二人も同席する会議で、会議後の喫茶店で「太ったな、デブだな、なんとかせんかい」とのお叱りをさんざん頂戴してしまった。まぁ、事実だもんね。今夜はもう山登りもできないし、ビアンキも漕げない。残るは室内バイクだけか。ペダル踏んでみますかね・・・
 さて、同じ会議の委員で鳥取の情報誌を編集されている方もいる。その情報誌の第3号を頂戴した。地方で編集したとは思えない都会的な紙面デザインや構成力に驚かされる。エネルギーを感じさせる雑誌だ。
 そのような雑誌を、なんでわたしが1冊頂戴できるのかと言えば、青谷上寺地遺跡の建築部材で復元した「楼観」のCGを提供しているからです。

 その雑誌には、恐るべき特集が組まれているのです。「学会騒然の大仮説 邪馬台国山陰説」だって。勘弁してくださいよ・・・ずいぶん以前から「出雲王朝説」を主張する研究者はおりまして、この点については、なお検討の余地がなきにしもあらず、と思っていないことはないけれども、「邪馬台国山陰説」なんて成立するわけがない。いま古代史や考古学の専門家の大半は、邪馬台国は大和にあったと考えております。北九州説は風前の灯火か、灯火が消えたか、という状況でして、これを権威の名のもとに信望せよとは口が裂けても言いませんが、「邪馬台国山陰説」はないよね。いちおう特集は読みましたが、とくに目新しい視点もデータもありゃしない。たとえば、山陰に素晴らしい遺跡が多いったって、近畿や九州はもっと多いんだから、その点をはっきり述べてもらわんと話になりません。
 執筆者は在野の研究者ですね。古代史マニアから、こういう研究者に変身し、著書を出してらっしゃらる方は日本全国にたくさんいます。なにせ古代の文献資料は限られているし、考古学の資料はモノであって、どんな解釈でもできるから、アマチュアの方でもオリジナリティの高い「仮説」が呈示できないことはありません。しかし、繰り返しますが、特集を通読した限り、なにも新しい視点なんかありませんね。「邪馬台国は山陰にあったんだから、あったんだ」としかわたしには読めませんでした。
 で、ともかくちょっと迷惑なのは、「邪馬台国山陰説」の根拠の一つにわたしたちが復元した楼観CGを使われていることです。あんな貧相な物見櫓が、邪馬台国にあったはずはないのです。復元した本人が言っているのだから間違いない。唐古・鍵遺跡で出土した土器絵画・掘立柱建物跡・柱根などをみれば、大和にあったであろう邪馬台国の楼観は、もっともっと豪壮なものだったに違いありません。鳥取の楼観だから、あれだけ木が細くて、背が低いのね。ああいう貧相な楼観しかないこと自体、青谷あたりに邪馬台国がなかったことを雄弁に物語っているのです。

邪馬台国山陰説


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  1. 2008/07/11(金) 00:12:40|
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asa

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