
真夏のオープンキャンパスです。昨年8月のオーキャンは暇でひまでヒマで仕方なかったですが、今年はかなり盛り返してきた感触がありますぞ。これも、マスコミのバッシングがなくなったからだ。冗談じゃありませんよ、ほんとにそうなんだから。
というわけで、鳥取環境大学環境デザイン学科は来年度より「建築・環境デザイン学科」と改称の予定でありまして、2日の土曜日、
2年ぶりに研究室公開し、「建築・環境デザイン学科」を受験生にアピールしました。さて、なぜ学科名を改称することになったかというと、例の姉葉事件の余波で建築士の受験資格が厳しくなり、在学中に受講すべき科目が増えたことが一因であります。しかし、本学環境デザイン学科の特徴は文化系・芸術系の学生が建築や居住環境を学ぶ場であることから、以下の2コースを設定しました。
1.「建築・インテリア」コース
2.「環境デザイン」コース
1の「「建築・インテリア」コースは上記建築士受験資格の強化に対応し、「建築施工」等あらたな科目を増設し、1級・2級建築士の受験に対応すべくカリキュラムの再編をおこないました。2の「環境デザイン」コースは、まちづくり・ランドスケープ・造園・遺跡環境整備など、より広域的な環境を対象としたカリキュラム編成で、新たに「測量学および測量実習」などを導入します。建築士の資格にこだわる学生も、それにこだわらずひろく環境保全などを学びたい学生も多様な選択肢を準備しております。

わたしは昨夜から、水出し飲料を3つも準備しておりました。ひとつは無印良品の「水出しアールグレー」、もうひとつは同じく無印良品の「水出し珈琲」、そしてもうひとつは彦根で仕入れた「水出し番茶」。これを一晩、冷蔵庫で冷やしてお客様をお待ちしたのです。嬉しいことに、研究室OBたちからもたくさんお中元が届いておりました。上の写真、左が社長、右上がとまとさん、右下がモリさんのお中元です。みなさん、ありがとうございます! それに引き替え、ほかの連中、なにしとんのかな??
下は岡山からのお客様です。お母様同伴の高校2年生女子。わたしは自ら「水出し飲料」をサービスしております。なんでも、この学生さん、エコの建築に興味があるそうで、加藤家のパンフをお見せし、裏山の「茶室」の話をしたら大変興味を示されたので、某院生くんが茶室まで案内してくれました。そういえば、みなさん、某院生くん、なんと就職の「内々定」が届きましたんです。もう、スキップ踏んでますからね。ルンルンルン、ルンルンルン・・・・
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- 2008/08/04(月) 00:47:13|
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在原の茅葺き民家集落 高島市のマキノ町に在原(ありはら)という茅葺き民家集落がある。「
望雁」でカレーを食べて珈琲を飲み終え、マダムに所在地を訊ねたのだが、彼女は右往左往してしまい、代わって馴染みのお客さんが答えてくれた。マキノのスキー場近くにあるらしい。
そのとき京都新聞滋賀版の1面に「
限界集落」の記事を発見したのだ。滋賀県中山間地域高齢化問題研究会の調査によると、65歳以上の高齢者が過半数を占める「限界集落」は県内に44、55歳以上が過半数を占める「準限界集落」が99確認されたという。限界集落の内訳をみると、多賀町(16)、高島市(10)、大津市(5)、余呉町(4)であり、湖北・湖西地域に集中しており、いま歩いている高島市が典型的な過疎地であることを理解できた。

在原は予想以上に素晴らしい茅葺き民家集落であった。おそらく茅を露出させている民家が20棟以上、鉄板で茅を覆う民家を含めれば30棟前後が集中して残っている。この保存度からみれば、国の重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に選定されたとしてもまったく不思議ではない。しかし、在原は重伝建地区になっていない。もちろん重要文化的景観保全地区に選定されているわけでもない。おそらく住民が、そういう「制度」に縛られるのを嫌がっているのだろう。そう感じたのは下の看板を発見したからである。「近年、人の出入りが多くなり、集落は迷惑している。だから、かくかくしかじかの点をきちんと守っていただきたい」という注意を呼びかける看板である。ただし、文字がずいぶん剥落しているので、「近年」というのがいつのことなのか、よく分からないのだが・・・

それにしても、なにがどうなって、これだけの茅葺き民家が残ってしまったのだろうか。上の看板をみる限り、住民は観光客の来村を望んでいない。重伝建地区に選定されていないのだから、国や自治体からの補助金はでない。とすれば、住民が自ら茅葺きの維持管理を推進していることになる。この場合、いちばんの問題は茅葺き替えの経費だ。ひょっとすると、在原ではススキを自給自足して材料費をゼロとし、茅の葺き替えを結(ゆい)のような惣事として今でもおこなっているのかもしれない。じっさい、空家のようにみえる民家の茅葺き屋根が新装されていた。
ふと
神護のことを思い起こした。すでに神護では、大規模な開発により茅葺き民家を取り壊してしまったが、数年前まで茅を露出した民家がよく残っていた。なぜ茅葺き民家がよく残っていたのかと言えば、殿ダム開発と関わる複雑な利権が絡んでいたからだ。ここだけの秘密にしておいて欲しいのだけど、当時の神護は、砂防指定のなされている神護川をあえて付け替えることにより、故意に民家を破壊して賠償金をばらまくという自民党的政治の舞台になっていた。われわれの税金が、ああして一部の土建屋や不動産所有者にばらまかれている。県民はもっと怒らなきゃいけません!
当時の神護では、上の事情もあり、「一部の住民」は観光客の訪問を毛嫌いしていた。観光客を煙たがるという点において、神護と在原は共通しているが、在原でまさか神護のような暴力的開発が突発的におこることはないだろう。いまの知事は、そこまで愚かではないはずだ(あのころの鳥取県知事も愚かではなかったのだが)。

↑茅を葺き替えたばかりの民家。空家かも??
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- 2008/08/03(日) 00:48:11|
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高島市海津・西浜・知内の水辺景観 滋賀県湖西地域のほぼ全域を占める高島市は、近年の市町村合併で高島郡の安曇川町、今津町、新旭町、高島町、マキノ町、朽木村が合併して誕生した。総人口5万5千人足らずの過疎地域ではあるけれども、夏はビーチとキャンプ、冬はスキーで賑わうリゾート地としても知られている。
近江の二日め、今津の湖岸近くでカレーの専門店を発見した。店の名は「望雁」という。望雁とはMorganの当て字らしく、店内の壁には至るところにモーガン社のクラッシックカーの写真が貼ってある。また、この店の売りは「薪ストーブ」で、店の中央にどしりとストーブが置かれ、店外前庭には薪が山のように積み上げてあった。長閑な雰囲気のなかに、冬の寒さ、厳しさを想わせる。ここで京都新聞の滋賀版を目にした。いきなり一面に限界集落の話題がでている。滋賀県内に44の限界集落がある、という記事だが、これについては次回の話題としたい。
「望雁」から北上すると、まもなく滋賀県で二番目の重要文化的景観「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」地区の南端に達する。まず芝生の浜地に出る。キャンプ地のようにもみえるが、キャンプは禁止されていた。道路(集落)側から湖に向かって突堤が伸びる。その突堤もすでに芝生のなかに埋もれている。こういう突堤や石組護岸をみると、近代化遺産の調査を思い出す。近代化遺産の調査には「土木遺産」として突堤や石組護岸も含まれていたからである。これらは、たしかに土木遺産であるけれども、同時に文化的景観な要素だというところが重要なポイントであり、土木遺産なら「点」だが、文化的景観なら「面」になるというところがすさまじい差異だということにも気付かなければならない。
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- 2008/08/02(土) 00:00:32|
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近江八幡の水郷 まずは鶴翼山の山頂をめざした。豊臣秀次が築いた八幡城跡である。べつにロープウェイに乗りたかったわけではないが、「魔法の山」プロジェクトで
ロープウェイ基地の廃墟を探索した懐かしさが湧いてこなかったわけでもない。ともかく、近江八幡の市街地と水郷と西の湖と安土城跡の全体がみわたせるポイントに立ちたかったのである。
わたしの思惑は大きく外れた。週末からの大雨の名残が霧雨となって視界を沮んだ。それでも西の湖まではなんとか見通せた。しかし、その向こうにある安土城が煙っている。この春には、安土城の
見寺址からみた西の湖の景観に感動したが、両者の関係を俯瞰することは叶わなかった。
「近江八幡の水郷」は2006年1月に「重要文化的景観」の第1号に選定された地区である。当初の範囲は、西の湖・長命寺川・八幡掘と周辺のヨシ地だったが、同年7月に円山・白王の集落、さらに2007年2月には円山・白王の里山と周辺の水田が追加で選定された。まさに「文化的景観」の理想的なあり方を示すエリアだと思う。
史跡としての鶴翼山や安土城があり、重伝建地区の近江八幡商人街がある。これまではそれだけだったのだが、この史跡と重伝建地区を包み込むように水郷・湖・ヨシ原・水田・集落が広範囲に保全の対象となっている。こうしてみると、「文化的景観」の制度は、従来の「文化財保存」を「地域保全」あるいは「地域環境の保全」へと脱皮させているようにもみえる。これだけ広域的な景観の保全をはかるためには、地域住民の同意が必要なことはいうまでもないが、近江八幡はそれを実現させ、日本で初めての「重要文化的景観保全地区」になったのである。

ロープウェイで山を下り、麓の日牟礼八幡宮を参拝して、八幡掘の岸辺を歩いた。もちろん気分はいい。たまたま入った「喜平」というレストランの郷土料理がとても、とても美味しかった。13時から円山(まるやま)の水郷を手こぎ船で遊覧する予約をいれておいた。
年老いた船頭さんがニコニコしている。
「中国のお嬢さんがな、ふたり船に乗るいうてな」
手こぎ船が動き始めた。二人の女性が話している言葉を聞いて、
北京語ではないことがすぐに分かった。広東語だろう、と思ったのだが、はっきりとは分からない。しばらく待って、日本語で、
「どこから来たんですか?」
と問いかけてみたが、舳先を向いた彼女たちは何の反応もしない。もういちど日本語で訊ねた。
「日本語は話せるんですか?」
やはり二人の女性はまったく反応しない。仕方がないので、北京語で話しかけた。とたんに二人は、こちらを振りむいた。二人は香港の女性だった。中国に返還される前の香港人は北京語を話せなかった。こちらが北京語で話しかけても、イヤな顔をして英語で答えるのが当たり前だったが、いまや正式に香港は中国の領土であって、国語(北京語)を学び、話さなければならない。
[近江の文化的景観を往く(Ⅰ)]の続きを読む
- 2008/08/01(金) 00:12:55|
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