どこかの出版社が耳にしたら激怒しそうな話だから秘密にしおいていただきたいのだけれど、わたしはお盆休みのあいだ、「今日こそは原稿を書き始めるぞ」と何度も決意しながら、そのたびごとに臀部から根っこが生えだしてソファをまったく動けず、ただひたすらオリンピックをみていた。そして、仕事がはかどらないまま、東北行脚の旅に出てしまいましたよ。
おそらく多くのかたが同じ心境だと思うのだが、今回のオリンピックでとくに興味を惹かれ、興奮し感嘆した競技はバドミントンと卓球だった。この両種目における日本選手の進歩は目をみはる。女子バドミントンダブルス、女子卓球団体、男子卓球団体はベスト4の戦に残った。みごとの一言である。とくに卓球というスポーツの心理戦と運動神経については、ただただ圧倒されて見入ってしまうしかなかった。
世界のベスト4に進んだバドミントンと卓球の3種目は、昨日までにすべて敗れ去った。メダルに手が届かなかったことを、選手もファンも悔しんでいることだろう。しかし、世界3位を争う順位決定戦まで進んだことを誇りに思ってほしい。メダルをとった、とらない、なんて、どうでもいいことです。そんなことはマスコミがやっきになって報道すればよいのであって、問題はどんな内容のゲームをしたかに尽きるのではないかな。ソファに根を張って、熾烈な戦いを見続けたわたしたちスポーツファンは、一部のメダリストよりもあなたたちの戦いに間違いなく痺れたのだから、もう堂々とばんばんに胸をはって凱旋帰国していただきたい。いまのところ、ロナウジーニョよりも、コービー・ブライアントよりも、ベスト4に残ったみなさんのほうが断然輝いています、間違いなく!
さて、なでしこJAPANもいよいよ準決勝だ。さきほど視た「ヤベッチFC」では、監督も選手も、メダル、メダルと騒いでいたが、くりかえすけれども、メダルなんて意識しなくてもいいから。すでに十分みなさんはわたしたちを満足させています。大事なことは、いい試合をすることですよ。無欲で、いつも通りの試合を心がければ、結果は自ずとついてくるから。その結果は「負け」かもしれない。バドミントンや卓球がベスト4という大きな壁にはね返されたように、女子サッカーもまた世界3強との差をみせつけられる可能性も多分にある。でもね、もうみなさんは世界のベスト4になったんだ。ベスト4になったから、まだあと2つも試合ができる。オリンピックという晴舞台で、6回も試合できるチームは世界で4ヶ国しかないんだから。これはもうすでにメダル獲得に値しています。だから、問題はゲームの中身なんだよ。前にも書いたけど、塚田さんの柔道決勝だとか、卓球女子団体の香港戦だとか、ああいう試合をしてくれるならば、わたしはメダルの獲得なんてどうでもいい。
だってね、歴代の日本A代表(男子)でも、わたしがいまなお最も愛しているのは「ドーハの悲劇」のチームなんですからね。あの日のことは一生忘れない。ワールドカップやオリンピックの本戦でだらしない敗戦を重ねる代表チームよりも、「ドーハの悲劇」のチームのほうがはるかに素晴らしかった。
もう一度書きます。なでしこJAPANのみなさん。メダルを意識せず、試合に臨んでください。世界は甘くない。あなたたちは打ちのめされるかもしれない。しかし、問題は打ちのめされる、その中身です。打ちのめされてもかまわないから、わたしたちを痺れさせてください。
- 2008/08/18(月) 08:13:27|
- スポーツ|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
神保町の夕暮れ
そもそも、これは私に来た話ではなかった。この時期に4年生がインターンシップに行くのは珍しい。卒論を控え、私の場合、見寺コンペも控えている。はっきり言って、欲張りだったと思う。インターンシップとは、就職活動を来年に控えた3年生が企業とはどのようなところかを実習を通して知る為のものであり、最近では2年生の参加も少なくない。時間の余裕はなかった。しかし私は知りたかったのである。私の進みたい世界は一体どのようなもので、どのような考えで、何をしているのか。その最先端に触れてみたかったのだ。
現在、文化財保存計画協会は東京都内全域の
近代和風建築の調査を委託されており、インターンシップ最終日を控えた3日間は足立区の近代和風建築の調査をおこなった。足立区は、江戸時代の五道の1つである日光街道が南北に通っており、江戸から真直ぐ日光を結んでいた。千住・草加など23宿があったとされており、街道沿いは宿場町として栄えていた。しかしながら東京大空襲の被害により当時の様子を残す建物は少ない。現在は、日光街道跡に商店街が軒並みをそろえている。
まずは調査の下調べである。調査前日に足立区から提供していただいた近代和風建築のリストをもとに、「グーグルマップ」を利用して所在地を調べる。また航空写真だけでなく、先週よりサービスが始まった、パソコン上で街を実際に歩いているかのような映像である「ストリートビュー」をもとに、調査対象建築をざっと探した。とはいえ、恥ずかしながら私は近代和風建築については全く知識がない。明治から昭和20年代の建築が対象といわれても全く年代識別が出来ないのだ。準備が終了した後、ミーティングで調査担当のOさんから簡単に近代和風建築について教えていただいたが、言葉では簡単そうに聞こえるが、実際は複雑であった。

調査当日、Oさん、狩人、私の3人で、北千住駅から日光街道を北上し商店街内にある近代和風建築を探した。午前中はOさんのレクチャーを受けながら調査をし、目で見ながら近代和風建築を理解するようにつとめた。やはり街道沿いはほとんど新しい建物に変わっており、対象建築はなかなか見つからない。しかし街道を数キロ歩いて商店街を抜けると、一変して住宅街がひろがる。そのなかにちらほら古そうな民家や町屋、土蔵を発見することが出来た。この日は午前中から日差しが強く、文字通り滝のような汗が皆の額から流れる。こうしているとモリさんの倉吉の看板建築調査を思い出す。あの日も地図を片手にシラミつぶしに伝建地区周辺の看板建築を探した。しかし、今回は棟数も範囲も桁違いであった。何せ足立区は広い。東西に約10キロ、南北に約10キロ広がっており、徒歩で探すのには限界がある。
そこで、午後から狩人と私は別行動で動き、荒川を境に北側を狩人、南側を私が担当した。南側は範囲は狭いが古地図を見ると日光街道沿いに街道が発展していたことから、対象建築物が多いと睨んだ。北側は範囲は広いため、今回は環状7号線周辺までに限定して調査した。南側は古くからある店の土蔵や町屋、住宅が点在しておりそれらは路地に集中している。一歩踏み込めはノスタルジックな世界なのだが、迷路のような道に住宅地図を持って歩いていても時々現在地を失う。そうして足立区を練り歩き、気がつけば夕暮れ。本日歩き回った成果は2人合わせて99棟に達した。
[神保町インターンシップ(Ⅳ)]の続きを読む
- 2008/08/18(月) 00:19:33|
- 研究室|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0