ギターを抱いた渡り鳥 福島でおかしな辞令を頂戴した。委嘱状の期間が「平成20年8月1日から調査・検討の終了するまで」なんだって。これまでの最短期間は北見で頂戴した「平成19年2月1日から平成19年3月31日まで」という
60日未満の委嘱状であったが、福島の場合、ひょっとすると、死ぬまで専門委員なんだろうか。困ったべや・・・
さてさて、およそ5年ぶりに宮畑遺跡を訪れた。現場では、いったん埋め戻されていた焼失住居跡(縄文中期末)を再発掘調査していたが、週末の雨で水替えがやっとの状態。宮畑にしては珍しく、炭化材と焼土が両方ほどよく残る遺構なのだが、とても観察できる状態ではなかった。

それから、ご覧の記念撮影。宮畑遺跡が全国に名を知られるようになったのは、直径90㎝の柱根をもつ掘立柱建物跡(縄文晩期)が出土したからで、市民公募の「じょーもぴあ」という愛称の刻まれた直径90㎝の1本柱が記念碑のようにそびえ立っているのでありました。で、みてくださいよ。あっしはギターを肩にかついでるんです。なにせ六弦倶楽部の練習会が間近に迫ってきて、また3曲演奏しなきゃなんないわけで、ホテルでオリンピックみながら運指の練習しようて魂胆でしてね。ワイフには「もってくの辞めなさい」って言われたんですがね、車で近鉄の駅まで送ってくれた息子は「もってったらいいやん」というのでもってきたんです。これは結構効果がありますね。
えっ、隣の部屋がうるさいだろうって。関係ない、関係ない。どの部屋もみんな相当な音量でオリンピックを視てるはずなんですが、隣の部屋のテレビ音なんか、まったく聞こえてきませんからね。わたしはミュートを効かせて弦を弾いているので、テレビの音声にギター音をかき消されてます、あきらかに。
福島から北行。午後1時半ころ平泉についた。ギターとバッグは駅前の土産物屋さんに預けたんですが、そのお店の女将さんが「野球が9回で勝ってるよ」と教えてくれたので、わたしはお寺めぐりをとりあえずほっといて、お店の畳部屋にあがり込み、カナダ戦の9回表裏をきっちり視たのです。いや、やっぱり上原は国際試合によく似合う。上原なら、キューバが相手でも最終回をきっちりおさえてくれるでしょう。それに引き替え、打線はオーラがないね。国内リーグでやってりゃいいよ、君たちは。ノーアウト2・3塁とか、ノーアウト3塁で打点なし。これがプロの選手の仕事でありましょうか。前途多難だわ・・・

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- 2008/08/19(火) 02:42:19|
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