馬尾 15日午後、学会の合間を縫って、中国社会科学院考古研究所を表敬訪問した。が、昼休みだったので、旧知の研究員はだれも居なかった。受付に何冊か贈呈する報告書を預け、楊鴻先生に電話連絡してもらった。
楊鴻先生はわたしの恩師である。中国で、わたしは二人の学者に師事した。一人は同済大学時代(上海:1983-84)の指導教官だった陳従周先生。中国庭園史の大家で、書・画・詩の才に長けた「最後の文人」でもあった。過去形で書かざるをえないのは、陳先生がすでに身罷られてしまったからである。楊先生は、学術振興会の特別研究員として考古研究所で学んでいたときの指導教官(1991)。専門はずばり「中国建築史」だが、発掘調査された遺構から上部構造を復元する達人であり、その点において「建築考古学」の専門家という見方もできる。楊先生は奥様とともに河北の保定におられた。携帯電話につながって、明日(16日)に北京に戻ってくるから、もう一度連絡をとりあおうということになった。
さて、考古研究所の門前に書店があって、文物考古関係の書が山のようにそろっている。考古研究所附属の書店といっていい。4人の女性店員がいて、とても親切にしてくれた。昨夜のホテルでは、レジストレーションからチェックインまで、とても段取りがわるく、ホテル・カウンターの女性たちの愛想も良くなかった。結果、「中国は変わっていない」という印象を強くしたのだが、考古研の書店でその悪印象が覆されたのだ。女性たちは、みな人民服を思わせる上着を着ていた。それだけで、十分、あの寒々しい80年代の人間関係を思い起こさせる。しかし、彼女たちの態度は
80年代とはまったく変わっていた。ともかく「本を売ろう」という意欲が感じられるし、買い手に対する物腰がとても柔らかで気持ちよい。
その書店には、中国の建築史、造園史、都市史に関する本がずらりと並んでいた。今日は根性をいれて本を買うことに決めた。この冬に
広州を訪れたときには、本を買うことにずいぶん躊躇したが、今日は本を買いたくなった。ここは一般の本屋ではなく、プロのための本屋だ。8年ぶりに北京を訪れ、この8年間にどれだけ新しい専門書が出版されているのかを目の当たりにしたわたしは、体内に残っている中国研究者としてのDNAが騒ぎ出してしまったのである。
日本には世界に誇る中国建築史の研究者が1名いる。でも、1名だけなんだな、世界に通用する研究者は。わたしは、兄弟子ともいうべきその研究者に追いつきたいと思ったことが何度もある。が、どうしても「文献研究」という世界に馴染めなかった。わたしはフィールドワーカーだ。研究室に閉じこもっているわけにはいかない。そう思って、文献学的中国建築史の世界から離れていったのだが、日本が世界に誇るその研究者の後継が育っているとはいえない。その状況はいまも変わっていない。わたしを追い越していった若い世代がいるのかどうか・・・
なにがいいたいのか、というと、要するに、思いっきり本を買ったんですよ。わたしが中国の専門家であった時代と同じように、欲しいと思ったり、必要だと思った本を全部買った。もちろん、手で持ち運べる量ではないから、船便で送ることにした。わたしの触覚が大きく中国に反応したとはまだ言えない。しかし、これだけ買えば、8年のブランクはそこそこ埋まるだろう。それだけの量の本を買った。
書店の女性たちとは、とても仲良くなった。人民服のような上着は、懐かしく、とても新鮮で、80年代ならば髪型も男子に似た短髪だっただろうが、今日は4人のうち二人が
ポニーテールにしていた。人民服とポニーテールのアンバランスはなんとも魅力的で、いや、ほんとに、ここだけの話にしておいていただきたいのだけれども、わたし、
ポニーテイルに弱いのね・・・で、ついつい口を滑らせて聞いてしまったんです。
「その髪型、中国語ではなんていうんですか。日本では英語の外来語でね、
ポニーテイルって言うんですよ、子馬の尻尾、っていう意味なんだけど・・・」
すると、彼女たちは笑いながら答えた。
「そうそう、馬尾(マーウェイ)よ、馬の尻尾ね、中国でも」
さて、午後7時からレセプション。あまり得意ではない。
- 2008/10/15(水) 23:51:57|
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