「大根」から読み解く板井原 11月27日(木)のプロジェクト研究2は、学内で行われました。今まで外に出かけることが多かったので、少しさみしい気もしました。今回はこれからの発表に向け、自分たちはどんなことをやりたいのか、何をしていくのかについて話し合いました。
話し合いの結果、私たちは「人口変遷」を主なテーマとして、限界集落を調べていくことになりました。
1)以前、鳥取県立図書館でコピーした板井原と中津の地図から人口変動を分析。
2)山間集落実態調査の資料から鳥取全土の限界集落について調査。座談会から現地の人々の思いを分析。
ということを今後やっていきたいと考えています。そのためには、まず資料収集をしなければなりません。先生や先輩方にいただいた資料や書籍などを使っていきます。その他の必要な資料を的確に探し出せるのか心配です。これらを分析して、問題点や課題を話し合い、解決策を見つけていこうという流れです。
また、板井原特産の沢庵「板井原ごうこ」をテーマとして、景観や土地利用についても調べていきたいと考えています。この大根は焼畑をして栽培されていたということや、板井原の代表的郷土食ということで特色のあるものです。大根というと、ただの野菜と思われてしまいそうですが、食文化にとどまらず、土地利用や景観の変遷を理解するのに欠かせない存在です。一度は作られなくなった時がありましたが、今では沢庵が復元されるという歴史も持っています。人びとの生活のさまざまな部分に関係しているのです。
発表まであと5回しかないことが分かり、時間のたつ速さに驚いています。1月には発表の形がとれるように、ということなのでこれから忙しくなりそうです。前期のプロ研では、作る作業が主だったので、資料の分析など、私にとっては難しいことが続きそうです。
板井原は、観光などによる人の出入りがあります。一方、中津では以前は紅葉などの観光により栄えた時がありますが、ある時を境に急激に減少しているそうです。それが何故なのか、観光を取り入れているという違いについても調べられたらいいなと思います。限界集落は悪いイメージに捉えられがちですが、外部からの影響が少ないので、すばらしい景観が保たれています。限界集落の持つすばらしい景観は、いつまでも残っていて欲しいと思います。
最後に板井原と中津の地図をコピーしたのですが、うまくつながらない部分がありました。早速、課題が見つかったようでした。
先輩方にはいろいろなアドバイスをいただき、本当に感謝しています。
ありがとうございました。 (環境政策学科1年N.Y)
- 2008/11/30(日) 13:24:55|
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今年度採択された
鳥取県環境学術研究費助成研究「文化的景観の解釈と応用による地域保全手法の検討(Ⅰ)-伝統的建造物群および史跡・名勝・天然記念物との相補性をめぐって-」については、このブログでも随時情報を発信してきましたように、智頭・若桜などで着実にフィールドワークを重ね、二つの卒業研究として実を結びつつあります。また、2006年夏以来続けているハロン湾水上集落の文化的景観に係わる研究についても、修士論文として形がみえてきました。
そこで、12月8日(月)に智頭町板井原の「
火間土」を会場にして第1回「文化的景観研究会」を開催し、学内外関係者の交流をはかることにしましたので、ここにお知らせしておきます。この研究会は公開するものではありません。クローズド形式のミニ・シンポジウムのような研究会ですが、成果については、このサイトで随時発信してまいりますので、ご了解ください。
日時: 2008年12月8日(月)16時半~(視察は15時~)
会場: 「火間土」(智頭町板井原)
次第:
15:00 板井原~赤波川 視察 16:30 「火間土」で研究会スタート(兼夕食)
ごあいさつ(浅川)
16:35~16:50 (発表1)岡野泰之
「水上集落と文化的景観 -世界自然遺産ハロン湾のケーススタディ」
16:50~17:00 (発表2)今城 愛
「文化的景観としての中世山城と城下の町並み
-若桜鬼ヶ城とその周辺環境を中心に-」
17:00~17:10 (発表3)木村 歩
「限界集落と文化的景観
-智頭町板井原と三朝町中津のケーススタディ-」
17:10~ 講評と討論 講評1 平澤 毅(奈良文化財研究所主任研究員)
講評2 中原・濱田・松本(鳥取県教育委員会歴史遺産室)
講評3 張・山田(鳥取環境大学環境デザイン学科)
講評4 「板井原集落保存会」有志
事務局:鳥取環境大学 浅川研究室
- 2008/11/28(金) 12:45:03|
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安土城見寺再建学生コンペ公開審査会受賞の記者発表に伴い、優秀作
「仏を超えた信長」のCGデータを配信していましたが、時間となりましたので配信サービスを終了いたします。今後は解像度を下げての掲載となりますのでご了承ください。


↑全景パース ↑骨組
なお、CG画像をご使用の際は、必ず以下のクレジットをつけてください。
CG制作: 鳥取環境大学 浅川研究室
- 2008/11/27(木) 15:00:00|
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大根と植林杉の関係 11月20日(木)。 智頭町の板井原に行ってきました。1年生は2回目の訪問です。まず初めに「火間土」まで挨拶に行きました。その後、紅葉や植林などの板井原の景観を写真を撮りながら歩いて観察しました。板井原の紅葉は葉っぱが真っ赤に染まっていてきれいでした。とくに喫茶店「野土香」の茅葺屋根にツララができていて、近くの川に紅葉の葉っぱが流れていた光景には秋を感じました。ただ、周りを山に囲まれて太陽の光が少ないのでとても寒かったです。

歩いている途中、大根を外に干している民家があって、その光景も「文化的景観」のひとつだと思いました。自分が想像していたのと比べると、大根は半分くらいの大きさで、小さくてかわいかったです。かつては、山林を焼いた焼畑に大根を植えて、できた大根を土がついたまま干したそうです。そうすると、非常にコクがあってとてもおいしい「
板井原ごうこ」ができると聞きました。
現在は、もちろん焼畑をすることはなくなりました。しかし、焼畑という生業と現在の山林景観には関係があります。かつて山を焼いて畑にしていた土地が杉の植林地に変わっていったのです。板井原の紅葉は、神社近辺をのぞくと、谷間には多くありません。谷間の斜面はほとんどが杉の植林地となっていて、緑が一面にひろがっているのです。杉の植林地の向こうに落葉広葉樹の紅葉を遠景としてとらえることができます。

板井原の少し奥まで歩いて行くとススキがたくさんあり、夕暮れ時に揺れていてとても秋っぽかったです。前回来たときに咲いていたきれいな群青色の
リンドウの花はすでに刈り取られていましたが、茎や葉は紅葉に色づいていました。赤波川の支流にあたる板井原川の上流には「板井原の名水」と書いてある看板があって、階段をおりていくと、水が飲めます。郡家の保険所で検査したことがあって、人が飲める水であることがすでに立証されています。
[第8回「限界集落」アンソロポロジー]の続きを読む
- 2008/11/26(水) 19:57:45|
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11月22日、ついに運命の日がやってきた・・・
安土城考古博物館にて安土城見寺再建学生コンペの公開審査会がおこなわれた。公開審査会の次第は以下のとおりである。
13:00~13:20 はじめの挨拶・主旨説明
13:20~14:50 発表者プレゼンテーション
14:50~15:00 休憩
15:00~16:30 審査討論
16:30~16:40 表彰・総評
17:30~ 懇親会(@見寺仮本堂)
「(自分は参加したくないけど)コンペに参加する、しないは、岡垣の判断に任せる」
思い起こせば今春3月29日。
現地説明会にて教授のこの一言から私のSOUKENJIプロジェクトは幕を開けた。私は学内以外で競ったことがない。いわば「井の中の蛙」である。来年、大学院に進学するにあたり、今の自分は果たして学外でも通用する力をもっているのだろうか、「大海」を知るべくこのコンペへの参加を決意した。
公開審査当日、他大学の発表や作品に接し、模型の規模、パネル、設計コンセプトにおいても私のものよりはるかに優れて見えた。これらの緊張に私の闘志は押しつぶされ、発表はおろか質疑に対する回答も散々なもののように思えてしかたがなかった。やはりまわりはレベルが高い。その中にあっても、一部の審査委員の方がたから強い支持をいただき、信長のご神体である「盆山」に関する理解についても高い評価を得た。
その評価には、正直驚いた。発表も質疑も散々なものであったし、前日には教授のイメージする復元案をようやく理解し、そちらのほうが面白いと気づいてしまったからである。それゆえ、発表後は不安で仕方がなかった。しかし、建築史や考古学を専攻する審査委員から支持や評価をいただき、そのうえ「優秀賞」を獲得することができ、感無量である。
今回コンペに提出した復元案については、私自身もまだ不完全なものだと感じており、今後の卒業研究でさらに煮詰めていきたいと考えている。

公開審査を終え、会場を後にした瞬間、すべてが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。コンペが終わったことも、優秀賞に輝いたことも、正直、まだ実感がわかない。おそらく、これから徐々に実感がわいてくるのだろう。
コンペはこれですべて終わった。しかし、これで終わりではなく、私の研究はこれから本番である。
教授の厳しくも暖かい言葉を始め、最後の最後まであきらめずに模型制作を手伝ってくれた後輩たち、相談に乗ってくれたり、図面の仕上げや印刷を手伝ってくれたゼミの仲間達、ありがとう。またこのSOUKENJIプロジェクトにご協力くださったみなさま、本当に感謝いたします。
登録上、鳥取環境大学でコンペに参加したのは私一人であったが、じつは多くの方々に支えられていたことは決して忘れてはならないことであり、「優秀賞」に輝いたのは私一人の力ではなく皆さんのおかげです。本当にありがとうございました! (Mr.エアポート)
- 2008/11/25(火) 12:52:59|
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昨日お知らせしましたように、岡垣頼和くん(鳥取環境大学環境デザイン学科4年生)が「安土城見寺再建学生コンペ」の「優秀賞」を受賞しました。ついては、下記の日程・会場で受賞に係わる記者発表をおこないたいと思いますので、マスコミ各社にはご参集いただきますようお願い申し上げます。
日時: 11月27日(木)14時40分~
会場: 鳥取環境大学4409演習室
内容: 受賞作「仏を超えた信長」の紹介、および見寺本堂模型制作状況の公開等
なお、以上については、昨日、県市の記者クラブにFAXを送信してお知らせしています。また、明日、環境大学入試広報課からも情報提供があるはずです。
学生諸君は木曜日P4の時限に記者発表と模型制作の公開がありますので、その準備を進めてください。そのあと、打ち上げかな?
- 2008/11/24(月) 15:29:58|
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速報でお伝えします。
昨日(22日)午後1時より安土城考古博物館にて
安土城見寺再建学生コンペの公開審査会がおこなわれました。6月30日段階での登録は21チームでしたが、最終的に作品を提出したのは10チームで、3時間以上におよぶ厳正な審査の結果、鳥取環境大学の岡垣頼和くんの作品
「仏を超えた信長」が優秀賞に輝きました。
結果は以下のとおりです。
最優秀賞 滋賀県立大学Aチーム(賞金 80万円)
優秀賞 鳥取環境大学(賞金10万円) 佳 作 東京大学大学院(賞金5万円)
佳 作 滋賀県立大学Bチーム(賞金5万円)
観光協会特別賞 九州大学大学院(賞金5万円)
岡垣くんの作品は、信長が創建した見寺本堂とほぼ同年代の類例を徹底的に渉猟し、そのデータを紡ぎあわせるオーソドックスな「復元」の手法によるもので、考古学・建築史研究者から強い支持をうけました。また、信長のご神体である「盆山」の配置に関する理解についても高い評価を得ました。将来、本堂が復元されることになれば、おそらく最優秀賞以上に実施設計案に影響を与えるでしょう。
岡垣くんを始め、図面作成・模型制作等で協力してくれたゼミのメンバーに心から感謝します。
とりあえず、打ち上げだね!
- 2008/11/23(日) 01:28:16|
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板井原でカマド飯をたらふく食べて大学に戻ったら、ノビタがいた。結構、元気にしている。なんしに来たのか、と思ったら、エスカップ1箱差し入れだそうで、模型制作で徹夜続きの学生諸君は喜んでいたようです。
ノビタはしばらく教授室にもいた。そのあとわたしはまた椅子を横並べにして、3~4時間爆睡したのだが、目覚めると体調がおかしい。風邪の初期症状だと感じた。
日が変わっても、その症状はおさまらず、仕方ないので、薬局で風邪薬を買った。葛根湯と新薬を調合した風邪薬で、初期症状に効くのだという。でも、なぜ風邪をひいたのだろう。板井原まではなんの変調もきたしていなかったのに、教授室で爆睡した後に風邪の症状がでたのだ。あとで学生から聞いたところ、ノビタが「風邪をひいた」と言っていたらしい。なるほど・・・板井原と爆睡のあいだに存在したエイリアンはノビタしかいない。やつがエスカップとともにウィルスを大学にもちこんだ可能性はきわめて高いな。
昨日は2隊に分かれて安土に移動した。1隊は模型運搬の足軽隊。さぞかし気を使ったことだろう。さいわい破損等はなかったみたいだ。夕食は
八幡堀近くの「蔵屋」。重伝建地区内の町家リニューアルJAZZバーです。足軽隊は夜も模型制作作業を続けるという。
ホテルにチェックインするや否や睡魔に襲われ、早朝未明に目がさめた。さきほどまでネットを彷徨していたのだが、ショックを受けてましてね。ローラン・ディアンスが来日してたんだな・・・ちょうど葬儀の前後でリサイタルを聞きにいくのは難しかったとは思うけれども、情報をもってなかった自分が情けない。やっぱりこまめにギター関係の雑誌を立ち読みしないといけませんね。反省!
さてさて、いよいよSOUKENJIコンペ公開審査が午後1時より始まります。ぼちぼち気楽にいきたいものですが、できれば「蔵屋」での飲代ぐらいは稼いで帰ってくれないものかと・・・
- 2008/11/22(土) 11:13:13|
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雪を心配していた板井原でしたが、ごらんのとおり、快晴でして、紅葉を堪能しました。なにしに板井原に来たのか、というと、プロジェクト研究2「限界集落アンソロポロジー」の第8回でありまして、本来なら学生がレポートを書くはずなんですが、担当のH君からまだテキストが送信されてこないので、とりあえず、こうしてわたしがイントロを綴っている次第です。
今日(20日)の目的は、まず第一に紅葉の景観を撮影することです。ただ、撮影しただけではありませんよ。最近購入したGPS連動の一眼レフデジカメで撮影し、画像に経度・緯度情報を埋め込む作業もしました。1時間ばかり紅葉と残雪と花と干し
大根などを写しまくり、「
火間土」へ移動。この日の第二の目的は板井原の郷土料理を味わうことです。いや、美味かった。生まれてきて良かった。幸せでした。
ここで献立について話すのは控えます。H君が景観の問題と重ねてあわせ、食文化について語ってくれることになっておりますので、しばしお待ちください。
そうそう、来たる12月8日には、この「火間土」でミニ研究会を開催することが決まりました。スピーカーは研究室の学生・院生3名ですが、コメンテーターはかの、
ひらちゃんであります。乞ご期待!
詳細はおってお知らせします。

この日はH.Sさんが病欠だったため、車中(ホカノの7人乗り大型車!)では歌合戦も俳句大会もありませんでしたが、往きはいつものようにH君がかまびすしくしておりました。ところが、帰りはおとなしい。聞けば、車に酔ったらしい。まっ、要するに食べ過ぎた罰でしょうけれどね、そんなH君を励まそうと、わたしはマイクをとって「タイガーマスク」の替え歌を熱唱したのです。
白いマットの ジャングルに
今日も嵐が 吹き荒れる
ルール無用の 悪党に
正義のパンチを ぶちかませ
ゆけ! ゆけ! タイガー!!
タイガー ジェット シン
帰学すると、下の状況であります。SOUKENJI本堂の骨組模型のラスト・スパート。プロジェクト研究4の2年生も半日つきあってくれてます。
いざ、安土へ出陣!
- 2008/11/21(金) 12:46:36|
- 景観|
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先日の
名建築ツアーで、半年ぶりに尾崎家住宅を訪れた。いつものことながら、尾崎家の建造物と名勝庭園「松甫園」には感銘をうける。学生たちも喜んだことだろう。それにしても、松甫園の「陰陽五行の松」は何度説明をいただいても、完璧に理解することができなくて、頭脳の衰えを思い知らされるのだが、2年のYO.TOさんがレポート課題に選んだので、明々快々に解析してくれることを期待している。
尾崎家を去る際、新しく購入したデジカメで主屋の正面をとらえようとしたところ、広角機能がたちまち効果を発揮し、黄色くいろづいた大銀杏(イチョウ)の樹が画面におさまった。こういう風景を未だ写真に納めたことがなかったので、全員での記念撮影の背景に使おうと即座に決めた。
で、余計なひと言が口からでてしまったのです。
「これだけの大銀杏(イチョウ)ですから、銀杏(ギンナン)もたくさん獲れるでしょうね?」
奥様はきびすを返すように主屋に戻られ、ビニール袋にぱんぱんに詰まった銀杏をもってこられた。もちろん、お土産に、というご好意である。いや、申し訳ありません・・・ありがとうございました。
で、翌晩から銀杏三昧となったのです。銀杏はフライパンで煎ってから塩をまぶすもんだと思ってたのだが、狩人くんがひと言ぽろり・・・
「あっ、それ茶封筒のなかにいれて、レンジでチンすればいいんですよ」
なんでも、狩人くんの妹さんが銀杏好きで、その作り方をみていたから、とのこと。封筒に適量の銀杏をいれて、塩をふりかけて封筒をシェイクして銀杏と塩を混ぜ合わせ、蓋してチン!
これが美味いのなんの。模型制作用のペンチを使って皮を割るとこがまたよいのですね。上海蟹の食べ方を思い出させる。わたしのような初老のオヤジだけが好む味かと思っていたところ、学生諸君はあまねく銀杏の虜になってしまいましてね。
さて、銀杏とくれば、もちろん清酒が飲みたくなる。ガード君が夏休みの岩手インターンシップで仕入れてきた「南部美人」がまだ少し残っていて、それをおちょこでちびちびやってたんですが、そういえば、そういえば、お盆にあらわれたという2期生のキム・ドク(別名タイガー戸口)がおいてった純米大吟醸「猩々」が未開封のままだった。猩々(しょうじょう)は中国の古典『礼記』にでてくる想像上の動物で、酒飲みだった。その容姿は猿にそっくりだから、のちにオランウータンの和名になった。で、どういうわけか、奈良県吉野の地酒の名前に採用されたんだな。
おい、キム1号、この記事を読んだなら、なんで吉野に行ったのか教えて頂戴!
外は雪が舞っている。
いったいどこが地球温暖化なんだろうね。11月17~18日に初雪ですよ。車の窓ガラスいっぱいに雪が降り積もっているんだから。日が変われば板井原に行くんだけど、心配だな、あの坂道で立ち往生したことあるからね。天気予報では、朝まで雪で、後は曇りということだけど、智頭で晴れていても、板井原は別世界だから。雪が消えてない可能性は十分ある。
でも、まだスタッドレスには変えていないんだ。
- 2008/11/20(木) 14:40:17|
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ご無沙汰しております、ASALAB所属 3年の狩人です。昨夜から鳥取では、雪が降っています。寒い!!
でも、冬は大好きなのですよ。鍋の季節ですから(笑)。
さて、見寺コンペの公開審査(22日)まであと4日、4日しかありません。2回も言ってしまった。プロジェクトに関わるメンバーだけでなく、ゼミ内外の方々をも巻き込んでやっているのですが、いかんせん・・・終わりません。助けてください! なんていってもしょうがないですね。すいません頑張ります。(6度めの朝日を拝みました ←ちゃっかり頑張りをアピール!)
私たち3年はエアポートさんが復元設計した見寺本堂の
骨組模型を作っているのですが、制作開始から約3週間たった今、予定では垂木をかけ始めているハズだったのに、まだ組物が仕上がりません。どこまで完成しているかというと、初重・二重とも小屋組が部分的にできている状態で、虹梁などの部品も完成しています。予定というものは何故かくるってしまうものですね。それはきっと組物が出来上がらないと先に進まないからなのです。
しかし、しかしですよ。ここで救世主があらわれました。秘密兵器「Mr.シリコーン」と「Mr.キャスト」の登場です(↑)。どういったものかといいますと、「型取り用シリコーンゴム」と「注型用ウレタン樹脂」なんですが、シリコーンで型を作り、その中にウレタン樹脂を流し込んで固めて複製するものなのです。これらは某模型店にて手に入れました。
他ゼミの「人間国宝」H先輩が制作した組物をまったく同じかたちで複製するために購入したのですが(我々ではあの細かい作業は難あり)、なんせ我々も使うのは初めてなわけで、半信半疑、実験という形で使ってみたのですが、複製(↑)を見た瞬間、
「スゲーー!!」 「ウォーー!!」
という歓喜の声が湧き起こりました。やってみると意外と簡単にでき、初めてでも問題なかったです(教授はいちど別のもので実験してからでないと危険だと心配されていました)。完成した複製品は白色でとてもカッチカチです。そのため変形しにくく、色を塗ることで木材に似せることができます。しかし、油断していると失敗してしまいます。また、型から取り出すときに欠けたり、割れてしまうこともあります。組物はやっぱりデリケートな部品で、失敗すると時間がもったいないからとゆっくり慎重になりすぎると、あまり効率よく進みません。時間に余裕があれば、心にも余裕があるのですが…。
4日後には発表です。無事間に合うようフル回転で4日間頑張ります。 (狩人)
チェスト!!

ただいま模型完成度 70%
- 2008/11/19(水) 20:09:01|
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11月17日(月)、プロジェクト研究4「建築と都市の歴史」応用編の番外授業として「鳥取県中部の名建築ツアー」を催しました。ツアーのおおまかな流れは以下のとおりです。
09:30 鳥取環境大学
10:50 尾崎家住宅と松甫園(国指定名勝)
12:30 三徳山三仏寺(国指定名勝・史跡・国宝・重文等)
14:00 倉吉市打吹玉川地区の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)
20:00 鳥取環境大学

このツアーの成果については、プロ研4のメンバーが各自のテーマでレポートを書いてくれます。ただし、各レポートは教授の厳しい審査を受けることになっており、その審査をパスしたレポートのみ本ブログに掲載される予定です。どうぞ、ご期待ください。
当日の天気予報は降水確率50%で、三徳山に登山できるかどうか心配されましたが、なんとかかんとか投入堂を拝観することができました。曇り空、あるいは霧雨の紅葉も、なかなか見ごたえがありましたよ(↑)。
ツアーの最後に立寄った倉吉では、まず倉吉市教育委員会事務局文化財課を訪問して
報告書『山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究』をお納めいたしました。文化財課のみなさまには、報告書に掲載している
「倉吉市クズマ遺跡5号住居跡の復元」や
シンポジウム記録「弥生建築の実証的復元はどこまで可能か」で大変お世話になりました。大変お待たせしたことをお詫び申し上げます。
なお、倉吉最古の町家「牧田家住宅」(市指定文化財)が保存修復工事を終えました。ついては、「2008 住まい・職人の技inくらよし」と題したイベントを催すとのことで、以下のチラシを頂戴しましたので、ここに転載させていただきます。ぜひ参加してくださいと勧められましたが、みなさまにも周知お願い申し上げます。(某大学院生)
2008 住まい・職人の技 in くらよし
日時: 11月22日(土)11時~11月24日(月)15時
会場: 倉吉市東岩倉町 倉吉淀屋(旧牧田家住宅主屋)
※ 詳細は、下に掲載しているポスターをクリックしてご覧ください。


- 2008/11/18(火) 12:46:08|
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また、教授室の椅子を四つ並べにして、ぐうぐう寝てしまった。学生たちに聞くと、3時間以上の熟睡だったらしい。
16日(日)の朝は9時半起床。わたしの生活時間としては、猛烈に早いんです、この時刻は。だって、朝まで起きてるんだからね。昨夜から雨が降り出して、ネットの天気予報によれば、この1週間はずっと雨模様だったはずなのに、晴れている。車にのって西に向かった。朝ご飯は9号線沿いのファミマと決めていた。白兎海岸手前の
船小屋がひろがる浜の対面にたつファミマ。2年前にモリさんやアッコさんたちと倉吉や尾崎家の調査をするときにいつでも立ち寄った、あのコンビニですが、・・・閉店していました。仕方がないので、1キロ先のローソンまで移動。いつものように、納豆の細巻を朝食にした。
そして、9号線を逆行。5分ばかりで、リファーレンいなばに到着した。「
エコフェスタ in 2008」はもうはじまっていた。天気が良かったことを関係者はみな喜んでいる。さっそくパワーポイントのセットを済ませ、いったん控え室へ。まもなく11時になり、3階の講演会場へ戻った。

聴衆は全然いない。まぁ、数えてみれば10人ちょいか・・・しばらくして、お客さんは少しずつ増えてきて、最後に、なんとコロポックルズのうちの一人があらわれた。なんでも、グリコ(グリーン購入会)の活動でリファーレンに来ていたみたいだ。プレゼンの配布資料は、加藤家住宅の
パンフレットを50部用意して、いま数えたところ、9部に減っているので、41名の聴衆がいたことになるが、パンフだけとってさっさと消えた人が多かったんじゃないかな・・・だって、客席に人がいないんだもの。
講演の演題は、「廃材による家づくり -環境大生の挑戦-」。前半が「廃材でつくる茶室」プロジェクト(2004~2005)、後半が「加藤家住宅修復プロジェクト」(2006~)で、最後はピヴォ君が現在取り組んでいる卒業家研究「
続・加藤家住宅修復プロジェクト-縁の修復と裏門の復元-」を紹介した。前半を終えたあたりから、対面に坐っている主催者側の理事長(司会)が居眠りを始めて、やる気がどっと失せてしまったが、なんとか50分ばかりでスピーチを終えた。
コロポックルズのIさんが大きな拍手をくれた。ほんと、いい娘だねぁ・・・
[あるゆるものは美しい]の続きを読む
- 2008/11/17(月) 20:15:45|
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ご心配をおかけしましたが、父の
葬儀と初七日を終えました。すでにお知らせしましたように、父は白寿を迎えており、明治(末年)・大正・昭和・平成の4代を生き抜いての大往生でありました。父の人生において、最も苦しかった時期は、満州出兵からシベリア抑留の数年間ですが、その苦境を生き抜いた生命力が父をこの大往生に導いたのではないか、と思います。父の大往生は目出度いことであります。目出度いことでありますので、葬儀屋さんのお薦めに従い、会葬御礼の品に紅白のおまんじゅうを潜ませました。ところが、そのおまんじゅう。じつは、おまんうじゅうではなくて、紅白のパックに収まった砂糖であったらしく、一部の女性陣ががっくりしていたりして・・・
ほんらいならば忌引きは1週間いただけるのですが、世の中は世知辛くなっておりますね。告別式から出棺し、お骨拾いが終わって式場に戻るや否や、こんどは「初七日」の儀。11日の逝去から13日の告別式~初七日を経て、14日の金曜日には職場に復帰し、以後また凄まじいスケジュールで時間が動いています。

さて、性懲りもなく、ネタを一つ。どうですか、みなさん、葬儀屋さんが用意した仏壇の派手なこと。仏堂から回廊がのびてその端に楼閣が聳えています。建築史を学ぶものなら、だれだって「平等院鳳凰堂」を思い浮かべるでしょう。敦煌の壁画に描かれた浄土変相図の立体化という見方もできるのですが、まぁ難しい話はやめましょうか・・・ただし、この仏壇は決して平等院鳳凰堂の直写ではなく、近世風な賑やかさをもった姿に変わっています。たとえば、中堂は鳳凰堂よりもはるかに大きく、神社本殿でいうところの
八棟造。正面に千鳥破風と軒唐破風のつく宮殿(くうでん)です。これと左右両端の楼閣を結ぶ回廊には屋根の上に手摺りがみえますね。鳳凰堂ではこの2階の手摺りの上を屋根が覆います。つまり、回廊が上下2層になっているわけで、こういう空中廊下を中国では「複道」もしくは「閣道」と呼びます。中堂と楼閣の組物は禅宗様の詰組・・・なんとまぁ賑やかですね。

火葬場も立派な施設でした。いまは複数の市町村が合同で建設するらしく、ずいぶん経費がかかっています。とくにロビーやお庭(↓)が立派です。遺体の焼却に1時間半~2時間かかるので、そのあいだの待ち時間をすごすための演出に贅を尽くしていると言ったら言い過ぎでしょうが、ずいぶん工夫がなされていました。左の写真は、ご存じのように、
マッキントッシュの椅子です。これは床の間の飾りのようなものですが、火葬場の施設で出会うとは思いも寄りませんでした。
- 2008/11/16(日) 12:47:20|
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第6回: 見寺本堂模型制作に苦しむ 2年生のTO.YOです。
まず最初に申し訳ありませんでした…。忙しさにとりまぎれてというか、それは言い訳ですが、レポートを書くのをすっかり失念していました、ごめんなさい…。というわけで、先週の自分を思い出して11月6日(木)の見寺本堂模型制作についてレポートを書きたいと思います。
4年生の大先輩の卒業研究でもある「見寺本堂コンペ」の模型制作を手伝わせていただきました。見寺の歴史やコンペについてはこの前の週にレクチャーいただいたのですが、歴史好きの私としては聞いているだけで楽しかったです。お寺が建てられた経緯を聞くだけでうきうきします。…もしかして私だけですか。
今期のプロ研は、環大近辺の名建築を観に行くのと、先輩方の模型制作に参加させていただくのがメインなわけですが、正直言うと、私は模型の制作は苦手です…。苦手だからこそ克服しなければいけないと決意だけはしていたのですが、大学の名前さえかかっているコンペの審査会に提出する模型を手伝うことになるとは思ってもいなかったので、いろいろな意味でご迷惑をおかけしそうな予感がし通しで、すごく不安でした。

まず見寺本堂の復元図面をいただいて、私達2年生は土台?を作ることになりました。とは言っても、手本になるよう先輩方が前もっていくつかパーツを作ってくださっていて、それを見よう見まねで作っていったのですが…。今まで模型制作では主にスチレンボードしか使ったことがなく、この見寺の模型では木の細い材を使っているので、まずカットに苦心しました…。でも作業が終わるころには、のこぎりさばきが上達しました。何事も挑戦ですね。チェスト!
鳥取では模型材料の種類があまり多くそろっていないということで、長さに合わせて切るだけでなく、太めの材を削って細くしたりという作業も行ったのですが、模型が苦手な人間としては、ここまでの作業はまだぎりぎりついていけました。問題は、切り出した(削りだした)各部材を接着するときです。今回は木工用ボンドとアロンアルファの2種の接着剤を臨機応変に使うべし、とのことでした。それぞれの弱点と利点は、木工用ボンドは完全にくっつくのに時間がかかるが一度くっつくととても強いのに対して、アロンアルファはくっつくのは早いが耐久性は木工用ボンドに比べれば弱い……ですよね?間違っていたらごめんなさい…
それで私はほとんどボンドを使っていたのですが、これが…うまく…いかず…。そのあとアロンアルファを使ってもきれいにくっつけることができなかったので、けっして接着剤のせいではなく、使っている人間が不器用なだけなのですが、現に横で他の二年生が、私が1本くっつけている間に10本くらいくっつけていました…。皆とても頼りになります。ありがとうございます。接着をするときには、当然のことながら、接着剤がはみ出て外から見えたりしないよう、きちっと量を調節することも重要、ということでした。でも、だからそれが難しくて…って私の話はもういいですよね…。
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- 2008/11/15(土) 15:46:50|
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不動院岩屋堂と茗荷谷集落の文化的景観 2008年11月13日木曜日、プロジェクト研究2の日です!
先日、私は某紅葉狩りスポットに行って参りました。そこには、70代後半と思われる夫婦もおられました。ふたり紅葉の下で、お弁当を食している姿が、なんともほのぼのしていました。その姿を見ている私も、幸せな気分になりました。「こんな夫婦になりたいな、なれたら幸せだろうな」と、またひとつ新しく、私の夢が増えました。
さて、それでは本題の、今日のプロジェクト研究2の内容等に移ります。今日のプロジェクト研究2は、
前回の室内作業とは打って変わって、大自然の中でした! 鳥取県若桜町に行って参りました。今日、先生はお父様のご葬儀のため欠席、先輩方にすべてお世話になりました。 若桜町までの道のりは、先輩の車に乗せていただきました。先輩、いつもありがとうございます。その道中は、今回は歌合戦ではなく、俳句大会になりました。一句詠みたくなるくらい、周囲の山々が綺麗だったのです! 俳句を考え始めると、案外楽しいもので、ポンポン考えが出てきますそうしているうちに、若桜町に着きました。
まず、重要文化財の不動院岩屋堂です。不動院岩屋堂は、不動明王を本尊とする真言宗醍醐派のお寺です。岩でできた洞窟の中にある「舞台造」の建物です。昭和28年11月14日に国の重要文化財に指定されました。 私の一目見た感想は「うわぁぁぁあああ!」でした。言葉にならない言葉というのでしょうか。まず、その高さに驚きました。建物が、地面に建っているのではなく、ある程度の高さに、しかも洞窟の中にあるのです。「どうやって建てたの?!」という疑問と「なぜこんなところに?!」という疑問と・・・。案内をして下さったYさんに伺ったところ、「冬に雪が積もりにくいところだから」とお答えくださいました。その場所を見回してみると、沢山の樹々が覆っていました。「なるほど」と思いました。 不動院岩屋堂には、沢山の動物も住んでいました。私がすぐに発見したのは、テントウ虫です! 大小さまざまなテントウ虫が、数十匹いました。その建物にくっついていたわけではなく、周りの洞窟の壁にはりついていました。これだけ数がいたら寂しくないだろうと思いました。不動院岩屋堂には、火災報知機も設置してありました。少し違和感を覚えた私ですが、「火災になっては元も子もないよね」と思い直しました。重要文化財にも火災報知機があることを、初めて知りました。
Yさんが、誇らしげに話して下さったことがあります。それは、若桜町の杉です。若桜町の杉は皇居の中のある部屋の天井にも使用されているらしいです。大工さんの話では、「カンナの滑りが他の杉とは違う」らしいです。誇れるものがあることを素晴らしいなと思いました。
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- 2008/11/14(金) 00:30:23|
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どうも、アシガルです。最近はめっきり寒くなり冬の到来を感じますね。鍋がおいしい季節ですね。Lablog愛読者のみなさま、お風邪など引かぬようぬくぬく温かく過ごしてくださいね。
さてさて、ASALABに配属され2ヶ月がたとうとしております。ゼミの先輩方は皆、優しくしてくださって毎日楽しさで一杯です。皆さんご存知ないかもしれませんが、私、アシガルはMr.エアポート先輩の見寺本堂コンペに提出する1/50の構造模型制作のリーダーに任命され、今月の22日の審査会までに完成を急がなくてはなりません。(正確には20日に完成予定)
お寺の知識などゼロに等しいこの私。自分なりに図書館から本を借りて頭を抱えながら構造の理解に苦しむ毎日…。模型になど出来るのかと不安が多く最初の夜は眠れない日々が続きましたよ。まぁ、なんだかんだ言いながら3年生+2年生+他ゼミの人間国宝(選定保存技術者?)の方がたの協力を得まして何とかここまで建ち上げることが出来ました。
とりわけ、他ゼミの人間国宝(選定保存技術者?)のH先輩には超難関の組物を作って頂いて本当に感謝感激雨アラレです。先輩の模型の技術は本当に素晴らしいですね。卓越した刻書家のようです。
見寺本堂の模型制作を始めてから時間の経過が早いですね。もうASALABに1年ぐらいいるのじゃないかと錯覚します(笑)。結構、模型を作っていてたまに心が折れそうになるんです。「これ、出来るのか?」とか手は傷だらけだし、生活習慣は乱れるし。
でも、そんな時に教授に教えていただいた「チェスト」という言葉を思い出して、ここを乗り越えないといけないと思うのです。ここを乗り越えて脱皮して新たなアシガルへと成長を遂げるのだと!! ここで諦めるわけにはいきません!!ここが、正念場です。
それでは、最後に皆さんご一緒に、「チェストーーーーーーーー!!」
- 2008/11/13(木) 00:00:36|
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父が急逝しました。白寿の大往生。
通夜、葬儀は近親者のみの会としておりますので、
弔電、香奠の類はお断り申し上げます。
しばらくブログは休みます。
(学生は書くかもしれませんが)
- 2008/11/12(水) 01:16:28|
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大学院の講義と言えば、通年の「地域保全論」で2006年度に西村幸夫『
都市保全計画』(2004)、2007年度前期に石毛直道編『
環境と文化 -人類学的考察』(1978)、同後期にユッカ・ヨキレット『
建築遺産の保存 -その歴史と現在』(2005)を輪読した。昨年は大学院担当の教員が一気に増えたこともあり、全員隔年講義が決まって、まる1年お休みさせていたいたが、今年は後期配当の「東アジア建築史」で再び輪読を再開した。講読している本は以下のとおり。
劉 敦(田中淡・沢谷昭次訳)『中国の住宅』(鹿島出版会、1976)
この書は、中国住宅建築史の嚆矢ともいうべき劉敦の名著『中国住宅概説』(建築工程出版社、1957)の和訳本である。原本もたしかにもっているのだけれど、どこにあるのかみつけられず、先月の
北京訪問の際、リプリント版を入手した。
訳者の田中さんは、いまでは中国建築・庭園史の大家となられたが、当時はまだ30歳の若手研究者で、京都大学人文科学研究所に入所されて3年足らずのころのはず。わたしは、そのころまだ20歳だった。まさか中国建築を学ぶことになろうとは思ってもいない。当時、吉田神社に近い博文荘というアパートに住んでいた。隣の部屋にいた先輩が中国文学を専攻していて、恐ろしい量の文献を購入し、毎晩凄まじいエネルギーをかけて漢文を読み続けておられたが、あっしには係わりのねぇことでござんして、ひたすらサッカーとギターに打ち込んでおりました。
それがね、その5年後に中国に留学することになっちまうんですよ・・・はぁぁぁ、いまでも思うな・・・どうしてあんな人生を歩むことになってしまったのか・・・
というわけで、わたしが『中国の住宅』という名著に出会うのは、おそらく1981年まで下るのです。本をめくりかえしてみると、まぁ、よく読んでいる。何色ものボールペンやラインマーカーがたくさん残っていて、とても古本屋さんは買ってくれないだろう。
なんでこの本を選んだのか、と言うと、来年度から本格的に中国建築史の講義を大学院で始めようと決めたから。来年、どのテキストを使うのかは未定だが、中国語の原文を読む予定。そのイントロダクションとして、今年度後期は日本語で書かれた中国建築史の本を読んでもらおうと決めた。院生たちに何冊か紹介したところ、いちばん読みやすそうだということで、『中国の住宅』を輪読することになったのである。
この講義には、院生だけでなく、一部の教員も参加しているのだが、即座にみんな『中国の住宅』の古本をネットで購入したというから、驚いた。よく買えたよな・・・わたし、何度検索しても、「売り切れ」状態なんだけど・・・ちなみに値段は原価の4倍近くまで跳ね上がっている。
これまでの講義は、第1回「オリエンテーション」、第2回「訳者解説」、第3回「中国住宅の発展-概説-」前半 まで進んでいて、第4回は以下の予定です。輪読はオープンにしていますので、興味のある方はどうぞご参加ください。
日時: 11月14日(金)午後2時~
会場: 31講義室
担当: 井出くん
講読: 劉敦(田中淡他訳)『中国の住宅』
「中国住宅の発展」の後半部分
- 2008/11/11(火) 00:00:07|
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入試業務も終わり、ふらりふらり、ふわふわと紅葉を見に行ってきました。てか、じつはちょっとした下見なんですが、ごらんのとおり、11月になって山々は一気に色づいてます。天気は良くなかったんですが、それでも、これだけの迫力なんだから。
ここ、どこかって?
いまは秘密ね・・・そのうち分かるから。
どこか分かる人はコメントください。賞金あり、なんちゃって・・・
では、おやすみなさい。

- 2008/11/10(月) 02:05:54|
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入試関係業務のため週末を鳥取で過ごしている。土曜(8日)だけかと思ったら、日曜(9日)もだってんだから、人使いがあらいよなぁ・・・
仕事が終わり、早起きの後遺症がでた。いつものように教授室に
椅子を4つならべて、ぐうぐう眠った。目覚めたらお腹がすいている。「
ダウラ」に行こうと決めた。
スリランカ紅茶のお店ね。あのお店は
「魔法の山」プロジェクトのときに、何回か学生とお茶した以外では、ワイフしか連れてったことないから、ほかの女性と行ったりするとまずいんだな・・・なんちゃって、だれも付き合ってくれる人いないから、一人淋しく「ダウラ」に行ったわけ。
ドアをあけると同時に「今日は一人なんです」って言うと、マダムは「あらっ、付いてきてくださらなかったんですか?」ってニコニコ笑ってる。「だって、ワイフは奈良に住んでるんですからね、連れてこれるわけないでしょ・・・」と言い訳して、窓際のカウンター席に一人腰掛けた。マダムは、憐れんでくれている。「一人横につけましょうか」と言って、わたしを慰めた。もちろん、自分がそこに腰掛けるつもりはさらさらなく、白髭のマスターがお相手しますよっ、て意味でして、チッ・・・ったく、落ちぶれたもんだぜ、おいらも・・・
で、キーマカレー・セットを注文。ここのキーマカレー、美味しいですよ。鳥取のカレー100選だったか、なんだか忘れたけれども、あんなんより、全然こっちのほうが美味しいから、どうぞ一度ご賞味にいらしてください。しばらくして、なんか、聞き覚えのある音声がするのね・・・綺麗な北京語と北京語もどきの言語が交錯して聞こえてくる。一人の若い女性が北京語を話していて、「鳥取から北海道まで何時間かかるんですか」って質問してるんだけど、まわりを囲む3人の日本人はちゃんと答えていない。いちばんお年を召した男性が、なんとか北京語らしき言語を話そうとしているのだけれども、中国の女性とのあいだで会話が成立していないことはすぐに分かった。
で、まぁ、しゃしゃりでたんですね。
「あのぉぉ、わたし、北京語できますから、通訳しましょうか?」
「えっ、あなた、上海の人??」
「いやいや、日本人ですよ。以前、北京と上海に留学したんです」
「北海道までここから何時間で行けるの?」
「東京経由になりますよ。飛行機で東京まで1時間、そこで飛行機を
乗り換えて、札幌までなら2時間足らずでしょうね」
「あ、そうなんですか。謝謝!」
みなさんにお話を伺うと、彼女は昨日、鳥取に来たばかりで、今日はホームステイの日なんだそうです。たしか3日ばかり前に東京に着いて2泊し、鳥取に移動して、3泊ほどしてから姫路に向かい、さらに北海道に行くんだとか。帰国は22日ころだったはず。なんでも、中国各地から集まった30人ばかりの代表団の一人で、鳥取でのホームステイは若桜のNさん(日本共産党町議)一家が引き受けることになった。ダウラでは、Nさんご夫婦と通訳の男性が彼女を囲んでいた。通訳の男性は、中国で終戦を迎え、戦後もしばらく中国人の家で暮らしていて、中国語を体で覚えたのだという。
会話はもっぱらわたしとのあいだで弾んだ。
「あなたはどちらの方?」
「北京に住んでいるけど、実家は吉林省です」
「あぁ、そう・・・わたしは、吉林と寧夏と青海だけ行ったことないんです。
他の省は全部行きましたよ」
「へぇ・・・、ぜひ吉林にも遊びに来てくださいよ」
「吉林には行ってませんが、お隣の黒龍江にはなんども行きましてね。
朝鮮族の村や、オロチョン族、エヴェンキ族の調査をしたんですよ。
ハルピンだけで5回は行ってますからね」
黒龍江省の省都ハルピンは美女の産地として知られている。中国の客室乗務員(スチュワーデスって言ったらいけないんでしょ?)のコンテストで、毎年のように1位になるのだとハルピンの人たちは自慢する。中国一のリゾート地に成長した海南島の大きなホテルでも、わざわざハルピンの女性をカウンター係にスカウトするのだと聞いた。たしかに、ハルピンの女性はエキゾチックな美しさを備えている。「混血」の産物であろう、という見方が強い。漢族、満州族、そしてロシア人の融合がハルピンの女性を美しくした。たしかに、道理はある・・・
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- 2008/11/09(日) 00:32:45|
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恋の季節 2008年も、残すところあと僅かになりました。と言っても、まだ1ヶ月以上ありますが・・・。世の中は、クリスマスケーキ予約のポスターでいっぱいです! そして、ここ数日で寒さの質が変わってきたと感じています。紅葉が楽しみで仕方がない、今日この頃です。前々回のプロジェクト研究で訪れた、板井原の紅葉は、格別だろうなと、感じています。是非、紅葉シーズンに訪れたい場所です!
さて、そんな中、今回(6日)のプロジェクト研究も学外で行われました。ですが、前回までの自然に囲まれた場所ではなく、人工の建造物内で行われました。鳥取県立図書館です。少し残念な気持ちを隠しながら、先生の愛車でそこへ向かいました。先生、いつもありがとうございます! そして、鳥取環境大学から鳥取県立図書館までの車内では、第2回歌合戦が行われました。あまりにも歌に夢中になりすぎて、先生は道を間違えてしまうほどでした。
さて、本題です。今回、鳥取県立図書館へ向かった目的は、「ゼンリン住宅地図」の複写です。端的に言うと、「地図のコピー」です。ただそれだけなのですが、様々な手続きや事件が起こりました。
手続きの方法は以下の通りです。私はなかなか理解できず、質問が多くなりました。
1.個人情報が記載されているため、本棚には並んでいません。カウンターに行き、住宅地図閲覧の許可をもらうため、閲覧許可書を受け取る。そして記入し、提出します。
2.複写は1冊につき、一人、見開き2ページの片側のみ可能です。「1冊=1著作」とするため、見開き両面の複写は出来ません。
3.別の年のものなど本が異なっていれば、一人で何冊でも一枚ずつ複写可能です。
4.複写を失敗した場合は、カウンターに申し出ます。
一見簡単そうに見えるこの作業ですが、トラブルが多々発生しました。まず、地図の見方です。私は、板井原を探す担当だったのですが、板井原があまりにも狭かったため、発見するのに時間がかかりました。はじめに、その地図帳全体のページがあります。そこで、板井原の位置を確認します。そして、区画のページ番号がその区画ごとに打ってあるので、その番号のページを改めて探します。すると、全体図より大きなものが見ることができます。そして、それを閲覧許可書に記入します。あとは、前述の通りです。
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- 2008/11/08(土) 00:11:19|
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とうとう断念した。
わたしは学術振興会から小さな科学研究費の助成をうけている。テーマは「文化的景観としての水上集落論 -世界自然遺産ハロン湾の地理情報と居住動態の分析」(
萌芽研究)で、平成19~21年度の助成だから、最終年度は来年なのだが、最終年度の経費たるや、印刷費限定のわずかな額でしかない。
昨年度は初年度のハロン湾調査を終えたばかりで、まだ成果らしい成果はなかったから、新たな大型申請にトライするには早すぎた。だから、新規申請はパスした。今年度は懸案だったホカノの景観シミュレーション
CGアニメが完成し、
論文を3篇発表し、
北京での国際学会でもスピーチしていて、すでに十分成果はあがっている。よっしゃ、今の研究を一段ステップアップさせた大型の研究費申請にトライしようという思いがあったのだが、体と頭がついていかない。結果から言うと、週末に奈良に戻ったのが致命傷となった。
先月末は修羅場だった。報告会や座談会が目白押しで、
見寺コンペの〆切も迫っている。わたしは何度もエアポートの復元案にダメをだした。エアポートは10月30日のコンペ〆切日にスーパーはくとに乗って滋賀まで作品を提出しに行った。そして、〆切5分前、30日の23時55分に事務局に作品を受け取ってもらったのだという(なぜ〆切を「消印有効」ではなく、「必着」にするのだろうか。不平等ではないか)。そのころわたしは、中国縦貫道をひたはしり、母の入院するリハビリ病院を経由して奈良に向かっていた。
いつにも増して、疲れ果てていた。コンペ〆切に絡む多忙さがその原因といえばそうなのだが、それだけがわたしの気力と体力を弱めていたのではない。累積赤字なんだな。夏休みの東北・北海道行脚から東南アジアに飛んで、まもなく後期が始まり、こんどは北京に飛んだ。そのあいだ、D社の原稿に追われ、もちろん各学年の教育活動もとまらない。母は倒れ、病院を替えた。何度も見舞いに行った。親族のなかで見舞いに行った回数はわたしが最多・・・そうそう六弦倶楽部の準備と
本番にかけるエネルギーもなかなかのものだ。
週末は2週間ぶりに奈良で過ごした。4泊もしたのだが、あせって木曜の深夜に車を飛ばしたため、かえって疲労が蓄積した。オリンピックを見続けた
お盆休みのように、わたしの体から根っこが生えてソファに絡みつき、まったく動けなくなってしまった。
[科研が書けん(Ⅲ)]の続きを読む
- 2008/11/07(金) 00:00:27|
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結果から申し上げますと、
6月に最高アクセスを記録した後の夏休みはアクセスが漸減しました。で、いまは11月ですが、10月中旬から一気に挽回がはじまりまして、ユニークアクセス(UA)はまたしても新記録を樹立しました。では、7・8・9月の
ユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)の変化をお示ししましょう。毎度のことですが、以下の表記は、月総数(1日平均)をあらわします。
2008年7月 UA=5750(185) TA=11137(359)
8月 UA=5414(175) TA=10453(337)
9月 UA=5060(169) TA=9679 (323)
今年度の
1~4月ころのアクセスと近い値と言えましょうか。みんなオリンピックに熱中して、あんまりブログをみくれなかったのかな・・・
つぎに、ヤフーやグーグルなど検索エンジンによるアクセス総数の推移をみると、
7月:2993 8月:2949 9月:2908
となっています。これを都道府県別にみておきましょう。左から7月→8月→9月のパーセンテージを示しています。
1位 鳥取22.26% → 鳥取23.37% → 鳥取 22.94%
2位 東京16.88% → 東京13.89% → 東京12.49%
3位 島根08.38% → 大阪08.26% → 大阪08.46%
4位 大阪06.88% → 島根06.22% → 島根06.90%
5位 京都06.78% → 兵庫05.51% → 兵庫06.00%
6位 兵庫04.60% → 神奈川04.07% → 京都05.16%
7位 神奈川03.46% → 京都03.80% → 千葉03.42%
8位 千葉03.31% → 千葉03.36% → 神奈川03.42%
9位 愛知02.69% → 愛知03.30% → 愛知03.42%
10位 埼玉02.27% → 埼玉03.03% → 北海道02.22%
ここ半年ばかりのデータと代わり映えがしませんね。ところが、この傾向が10月以降ドラスティックに変化し始めています。まぁ、それは次回のお楽しみということで。
続いて、検索エンジン使用のサーチワード順位をみてみましょう。左から7月(8月)[9月]のパーセンテージを示しています。
1位 t 1.30% (浅川研究室 1.22% ) [t 1.65%]
2位 塩崎綾 1.17% (t 1.18%) [浅川滋男 1.16%]
3位 江口一久 1.00% (浅川滋男 1.08%) [lablog 1.13%]
4位 浅川滋男 0.77% (塩崎綾 0.78%) [鳥取環境大学 浅川 1.03%]
5位 鳥取環境大学 浅川 0.77% (lablog 0.74%) [塩崎綾 0.96%]
6位 浅川研究室0.73% (江口一久0.67%) [出雲大社復元模型 0.92%]
相変わらず、「t」と「塩崎綾」が強いですね。江口さんのご逝去については、このデータをみる限り、8月で一区切りついたのかな、という印象があります。
次回をお楽しみに。
- 2008/11/06(木) 00:00:28|
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板井原での
座談会からはや一週間。喫茶店「野土花」の先代オーナー(今日も「花」オーナーと略称させていただきます)から、お便りが届きました。封筒を開けてみると、座談会のお礼を綴ったお手紙のほかに、絵はがき5枚セット「ここは智頭町板井原」と2009年カレンダーが同封してありました。いずれも「うさぎとかめのふたりごと」シリーズです。うっすらとした水彩で描く絵と文字は少しずつ色を変えて和紙から浮き上がってくるようにみえます。
座談会に出席していただいただけでなく、こんな素敵な贈り物までいただいて、ほんとに感謝です! ありがとうございました。
じつは、わたしも絵はがきを一枚もっています。「花」オーナーの絵はがきの言葉と絵にはいつも心を落ち着かされますね。今まで何度か拝見してきましたが、改めて手にとってみると、絵はがきのもつあたたかさに、心がほんわかとなりました。
カレンダーも、絵はがきと同じように「うさぎとかめのふたりごと」が淡々と描かれています。月ごとに絵が変わり、言葉も変わる。その言葉が、ゆっくりと胸にしみ込んでいきます。まるで禅の教えのようだ、と先生もおっしゃっていました。左のページがわたしのお気に入り。ぜひ、みなさんにも味わっていただきたいですね。こうしてカレンダーの一部を転載するのは不謹慎かもしれませんが、一人でも多くの方にこのカレンダーを飾っていただきたいと願ってのことですので、なにとぞ不躾をお許しください。
ちなみに、絵はがきはセットで500円、カレンダーは714円です。絵はがきにはいろんな種類がありますよ。板井原の「野土香」でも販売していますので、立ち寄られた際には必ず手にとってみてくださいね。
[2009カレンダー「うさぎとかめのふたりごと」]の続きを読む
- 2008/11/05(水) 01:06:47|
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ある曲のアレンジを考えていたところ、「パッヘルベルのカノン」に行きあたった。「カノン」は「輪唱」と訳される。パッヘルベルのカノンも3つのパートの輪唱になっているのだが、厳密にいうと、コード進行を同じにして別のメロディで追唱する場合も少なくないので、カノンは必ずしも「輪唱」と同じではない。ここまで話したのだから、聡明な読者ならば、わたしが何を料理しようとしているのか、すでにお察しであろう。
それはさておき、ユーチューブで「パッヘルベルのカノン」の音源を探していたところ、「カノンロック」の存在を知ってしまった。じつは、ホカノがちゃんと知っていて驚いたんだけど、わたしは初めて聴いて仰天!の一言。編曲は台湾のジェリー・Cというミュージシャンだそうで、まぁ、よくここまでカバーが出回っているもんだ。13歳の韓国人少年とか、セーラー服を着た日本の女子高生(コスプレかな?)とか、もちろん凄腕のプロまで枚挙に暇がないとはこのことですわね。恥ずかしながら、タブが欲しいという本能が即座に働き、ネットをまたしてもあら探しした結果、なんとかダウンロードできた。そのデータにはgp4という拡張子がついていて、なんのことやら分からなかったのだが、「Guitar Pro ver 4.0」というソフトに対応していることがホカノのアドバイスで判明した。そこで今度は「Guitar Pro ver 4.0」を検索してパソコンを動かし続けていると、どういうわけか、「Guitar Pro ver 5.0」のデモ・バージョン(フリーソフト)がダウンロードされ、そのソフトからTABデータを開いて印刷した。すると、譜面上を斜めに横切る demonstration という英語がプリントされた。でも、譜は読める。音符とTABがセットになっているおかげで、demonstration の文字に消されるのはどちらか一方だけ。だから、このデモTABは十分役にたつ。その後、「カノンロック」のTABは海賊版がでまわっていることも分かった。しかし、ちょっと危ないサイトだったりして・・・
なんだ、おまえ「カノンロック」演るのかって? どうしようかな・・・これでもエレキは
フルアコとセミアコの計2台もってるから、後者を使えば演れないことはない。たぶん超高速弾きのところ以外なら対応できるはず・・・そうだ、カラオケはどうしたら手に入るんだろ・・・??
さてさて、「カノンロック」を検索し続けた余波で、韓国のアコギ少年にでくわした。ユン・スンハ君が「Canon in D」を両手奏法で弾いている。押尾コータローのアレンジじゃないですよね、これは。ただ、チューニングはコータローと同じダブルドロップDでしょ、たぶん(でなければDADGAD)。いまは中学生になっているはずですが、この演奏はたぶん小学生のときのもので、その技巧には驚かされるが、「Canon in D」そのものの出来はあまり良くない。ただ、「More than Words」「With or Without You」なんか、なかなか聴かせてくれます。
ユン君はアコギのプロになるのが夢なんだそうです。嘘かホントか知りませんが、Andy Mckeeというアコギストの影響が大きいんだとか。わたしはAndy Mckeeなんて人、全然知らない。ほかにMichael Chapdelaineとか、Doyle Dykesとか・・・ほんと全然知らんわ・・・勉強しよっ。とりあえずヨークを
卒業したわたしの一番の関心は(前からなんだけど)ローラン・ディアンスなんですが、ここでも韓国のギタリスト、恐るべしでしてね。イ・ビョンウというギタリストの演奏はディアンス自身の演奏よりも評価が高かったりしてね。対して、村治香織はディアンスに比してあきらかに劣っている(弟の奏一はディアンス編曲のジャズ系ナンバーを巧みに演奏してますが→なかなか凄いよ!)。
韓国という国は人口が少ないのに、各分野に優秀な人材を輩出してきますね。負けられんな、ユン君に負けないように頑張ろう。
チェスト!
- 2008/11/04(火) 00:15:29|
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研究室の1期生、タクオが卒業論文として取り上げ、後に2期生の宮本が編集して見事な
報告書に仕上げた琴浦町河本家住宅(県指定保護文化財)が『共済広報とっとり』10月号(2008、№558)でとりあげられました。先月、琴浦町教委から電話とメールがあり、報告書の写真・図面を転載させてほしいという依頼を受け、もちろん即座に快諾しました。
先週、『共済広報とっとり』10月号が大学に届いたのですが、他のブログ記事も目白押しでして(昨夜はひどいメにあったんですよぉ)、今日までアップが遅れてしまいました。表紙(↑)のほか、8~9ページに特集記事(↓)が組まれており、10月27日~11月3日まで秋の特別公開について広報されています。えっ、いままさに公開じゃないの・・・なに、嘉永年間の巨大
家相図まで公開するって・・・先週アップしておくべきだったな。申し訳ありません。でもまだ間に合いますよ、最終日の文化の日に、みなさん、河本家にどっと押し寄せましょうね。
鳥取県の民家で、あれだけの書院と欄間をもつところはありませんよ。まだ見てない方は、あの蔦の家紋と唐草の欄間をぜひ眼(まなこ)でとらえてください。生まれてきて良かったと思うから、ほんと、ぜひ!
- 2008/11/03(月) 00:25:41|
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板井原の座談会ビデオをみて 10月30日(木)のプロジェクト研究2は、28日(火)に板井原で開催された座談会「限界集落と文化的景観」のビデオを観ました。この企画は板井原の居住者や喫茶店経営者と対話し、文化的景観がどの程度集落の再活性化につながるか検討するというものでした。座談会は「火間土」という、オーナー夫妻のお宅をそのまま使っているかまどめしのレストランの中で行われていて、映像を観ているだけでも民家独特のあたたかい雰囲気を感じることができました。
私が映像を観ていく中で印象に残ったことは、板井原で昔から行っている祭りを開く際に普段は地区にいない人にも呼び掛け、手伝ってもらうという点でした。やはり、この集落で長年続いていると思われる行事をなくしてはならない、という気持ちから手伝いに来るのかな、と思いました。祭りでは竹を割って作るやなぎというものを使うそうです。それを背負い集落内を回り、祭りが終わったあとにその竹を各家に持ち帰るということでした。それを輪にして屋根の上に置く、柿の木などに吊るすと魔除けや豊作のためのお守りになるそうです。この間、板井原に行ったときに見た、屋根の上や木に引っかけてあった輪はこのお祭りで配られたものでした。初めて見たときにあれは何だろう、と疑問に思っていたので分かってよかったです。

板井原は焼畑、養蚕、炭焼き、角材の搬出などが生業だったそうです。 40~50年前までは焼畑があり、最初の年の作物は大根を育て、次の年は小豆やそばなどの違う作物を育てるということでした。しかし、山火事の恐れがあるということで、焼畑はどんどん行われなくなっていったとのことです。この地域では養蚕の為に、明治の初めから昭和40年頃まで蚕を飼う農家が多くあったとのことです。この稼業により、家を改造し、専用の空気抜きの屋根を付けたりしたそうです。養蚕も栄えたのですが、一番の収入源は炭焼きということでした。材木の相場がよかったそうです。炭焼きや角材の搬出は、周りに木がたくさんあるのでなんとなく分かるような気がしました。しかし、焼畑が生業になっていることに驚きました。私も焼畑のことを聞いた時に山火事の心配はなかったのだろうか、と思ったからでした。
火間土のオーナーさんがお店をやってみようと思ったキッカケは、水車小屋や養蚕の人におにぎりを出していたのが始まりだそうです。お店は日曜日だけの開店で、しかも1日に1度だけ、かまどでご飯を炊き、その炊いたご飯が無くなったらもう終わりだそうです。でも、お客さんの中には待っているので炊いてほしいという方も少なくないそうです。長い時間でも待てるのは、この板井原の素晴らしい景観のおかげということを聞きました。お客さんは自然に親しもうと来られるので、待つことができるのではないか、という事でした。確かに、都会や街中では長々とは待てないと思います。炊けるのを待っている間に散歩や、色んなとこを見るのも待っている時間というのに、とてもいい気分転換になりそうです。
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- 2008/11/02(日) 00:38:20|
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10月28日(火)、智頭町板井原で下記のような座談会を開催しました。今回の座談会は過疎化が進行する鳥取県山間地域の代表例として板井原集落をとりあげ、板井原集落にそれぞれ異なった関わり方をしている3名の方と対話をすることで、「文化的景観」の制度がどの程度集落再活性化への可能性をもっているのかを検討することを目的としています。
座談会「限界集落と文化的景観」 会 場: ごはん処「火間土(かまど)」
参加者: 喫茶店「野土花」の先代オーナー(2002~2005経営)
喫茶店「野土香」の現オーナー(2005~経営中)
板井原集落保存会長(「火間土」のオーナー、2004~経営中)
司 会: 教授
事務局: 鳥取環境大学環境デザイン学科浅川研究室
次 第:
15:30~15:40 自己紹介
15:40~15:45 趣旨説明(教授)
15:45~16:00 卒業研究概要プレゼンテーション(部長&ヒラ)
16:00~ 座談会
「限界集落と文化的景観」と題する卒業研究を進めているわたし(ヒラ)が、夏休み後半から連絡を取ってきていた座談会がついに開かれました。座談会といえば、昨年も加藤家住宅のパンフレット作成のために同家のロフトでおこないましたが、今回はそのときと違い、最初から最後まで自分が調整係でして、てこずりました。また、面識がほとんどない方に「自分がどういう者で、何をしており、どういう目的で、何をしたいのか」を分かりやすく伝える難しさも学びました。いろいろ収穫のある会でした。

会場の「火間土」は2004年にオープンしたお食事処。民家の所有者ご夫妻の経営です。日曜日以外は予約日しかあけていませんが、水車で精米し、村の水を使って炊くご飯はとても人気が高く、県内のみなならず全国からお客さんがやってきます。「火間土」のオーナーは「板井原集落保存会」の会長もされています。もう10年以上も会長をされているとのことでした。今回は急遽奥様も参加してくださいました。ご夫妻は今回の座談会では、唯一板井原集落で生まれ育った参加者であり、発言に重みがあります。板井原の歴史・民俗・生業などをくわしくお話しいただき、古写真の複写も許可いただきました。
喫茶店の初代と二代目のオーナーにもご参加いただきました。喫茶店の名前は「のどか」と読みますが、初代は「野土花」、今の二代目は「野土香」と別の当て字を使われています。この記事では先代を「花」オーナー、二代目を「香」オーナーと略称させていただきません(ごめんなさい!)。
まず初代「花」オーナーは兵庫県尼崎市出身なのですが、以前から自然に親しむ生活に憧れがあり、板井原集落にIターンという形で2001年に移住していらしたそうです。そして、その翌年かに喫茶店「野土花」をオープン。3年後の2005年、結婚を契機に経営から手をひくことになりました。ただ、いまでも智頭町の那岐地区に住まわれています。現在の「香」オーナーは県内八頭町出身で、10年ばかり関西で生活されていたそうです。その後、鳥取に戻ろうとしていたとき、新オーナーの募集を知って応募。Jターンという形で2005年から喫茶店を「野土香」と改称して再オープン、今に至るとのことです。なお、メニュー等の受け継ぎは初代と二代目でなかったと聞きました。
[板井原での座談会 -居住者との対話]の続きを読む
- 2008/11/01(土) 02:33:36|
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