FC2ブログ

Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

第5回「限界集落」アンソロポロジー

ロフトP1010720ビデオ


板井原の座談会ビデオをみて
 10月30日(木)のプロジェクト研究2は、28日(火)に板井原で開催された座談会「限界集落と文化的景観」のビデオを観ました。この企画は板井原の居住者や喫茶店経営者と対話し、文化的景観がどの程度集落の再活性化につながるか検討するというものでした。座談会は「火間土」という、オーナー夫妻のお宅をそのまま使っているかまどめしのレストランの中で行われていて、映像を観ているだけでも民家独特のあたたかい雰囲気を感じることができました。
 私が映像を観ていく中で印象に残ったことは、板井原で昔から行っている祭りを開く際に普段は地区にいない人にも呼び掛け、手伝ってもらうという点でした。やはり、この集落で長年続いていると思われる行事をなくしてはならない、という気持ちから手伝いに来るのかな、と思いました。祭りでは竹を割って作るやなぎというものを使うそうです。それを背負い集落内を回り、祭りが終わったあとにその竹を各家に持ち帰るということでした。それを輪にして屋根の上に置く、柿の木などに吊るすと魔除けや豊作のためのお守りになるそうです。この間、板井原に行ったときに見た、屋根の上や木に引っかけてあった輪はこのお祭りで配られたものでした。初めて見たときにあれは何だろう、と疑問に思っていたので分かってよかったです。

座談会08古写真01 板井原は焼畑、養蚕、炭焼き、角材の搬出などが生業だったそうです。 40~50年前までは焼畑があり、最初の年の作物は大根を育て、次の年は小豆やそばなどの違う作物を育てるということでした。しかし、山火事の恐れがあるということで、焼畑はどんどん行われなくなっていったとのことです。この地域では養蚕の為に、明治の初めから昭和40年頃まで蚕を飼う農家が多くあったとのことです。この稼業により、家を改造し、専用の空気抜きの屋根を付けたりしたそうです。養蚕も栄えたのですが、一番の収入源は炭焼きということでした。材木の相場がよかったそうです。炭焼きや角材の搬出は、周りに木がたくさんあるのでなんとなく分かるような気がしました。しかし、焼畑が生業になっていることに驚きました。私も焼畑のことを聞いた時に山火事の心配はなかったのだろうか、と思ったからでした。
 火間土のオーナーさんがお店をやってみようと思ったキッカケは、水車小屋や養蚕の人におにぎりを出していたのが始まりだそうです。お店は日曜日だけの開店で、しかも1日に1度だけ、かまどでご飯を炊き、その炊いたご飯が無くなったらもう終わりだそうです。でも、お客さんの中には待っているので炊いてほしいという方も少なくないそうです。長い時間でも待てるのは、この板井原の素晴らしい景観のおかげということを聞きました。お客さんは自然に親しもうと来られるので、待つことができるのではないか、という事でした。確かに、都会や街中では長々とは待てないと思います。炊けるのを待っている間に散歩や、色んなとこを見るのも待っている時間というのに、とてもいい気分転換になりそうです。


[第5回「限界集落」アンソロポロジー]の続きを読む
  1. 2008/11/02(日) 00:38:20|
  2. 講演・研究会|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1

asa

10 | 2008/11 | 12
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search