

週末には青谷上寺地の委員会が青谷であり、そのまま東京に飛んだ。翌日、多摩にあるTM社の模型制作工房で
宮畑の指導をした。竪穴住居はなんとかなりそうだが、大型掘立柱建物は苦戦しそうだ。そもそも、縄文時代の大型掘立柱建物を「復元」すること自体、資料的に不可能なことなのだが、いくらそれを主張しても、考古屋さんは「復元したい」という。「復元したい」という気持ちだけあって、あとは建築の専門家に任せればなんとかなると思っているのだから困ったものだ。資料がないものをどうして復元できるのか。
その大型建物はすべて1間×1間の4本柱構造で、柱の直径が60~90㎝の一群と、25~40㎝の一群に大別できる。不思議なことに、直径の大きなグループのほうが柱間はややみじかい。柱径が細くて柱間の長い遺構と柱径が極太で柱間がやや短い遺構の上屋をどのように差別化するのか、正直、思案にくれている。今年度が実施設計だというのに、模型制作の進捗は遅々としたまま・・・
多摩のウナギ屋で昼食をとり、新横浜にでた。いまは、すべての「のぞみ」が新横浜で乗れるようになっている。新横浜から2時間ばかりで京都に着き、奈良に戻ったら、あちこちからお歳暮が届いていた。そのなかの一つが上の写真である。「北から来たの」さんから贈られてきた「デンドロビューム」という蘭で、そのあでやかさに驚いた。それにしても、なんでわたしに蘭なのだろう。正直、わたしには不似合いだと自覚しているが、ワイフや娘はとても喜んでいる。ありがとうございました!
帰宅直後から我が家のメンバーはテレビに釘付け。待ちに待った浅田真央のフリー演技のまっ最中に携帯が鳴った。タクオが奈良に来ているのだ。サッカー部同期の
リベロが奈良で挙式し、その2次会に呼ばれ、キャプテンだった聡とともに山陰から車を飛ばして駆けつけたのだという(我われの世代には「2次会」という感覚が分からない)。岡村も来ていた。みんなサッカー部1期生なのだ。
そして、日曜日の昼にわたしも加わって
奈良ファミリーのウナギ屋で会食した。結婚式とはなんの関係もない。ピヴォが苦しんでいる
加藤家住宅ツノヤの縁の修復について資料をみせ、協議したのだ。すでに大工になって4年がたつ岡村にはとくに有益なアドバイスがしてもらえるのではないか、と期待していた。その場に、どういうわけか、鳥取市文化財課のSさんも同席していた。Sさんは奈文研の「中世城館」の研修で2週間近く、西大寺に滞在していたのである。かくして、環境大学サッカー部OB(1期生)3名とSさんとわたしの5名で2時間ばかり話が弾んだ。そして、解散。
夕食もお歳暮を食べちゃいましたよ。西河夫妻からいただいた「鳥ミンチ寄鍋」。おいしかった。スープの味が抜群で、最後の雑炊が決まりましたよ! 西河夫妻は研究室にもビール1ケース贈ってくれました。まさにOBの鏡ですね。何度も書いてきたように、こういうお歳暮、お中元のたぐいは今後いっさいお控えいただかなくても結構でございます。OBのみなさん、西河夫妻を見倣いましょうね。わたしは現役学生とノビタにお小遣いをしゃぶりつくされ、寒い寒い冬を送っています。
まだ冬は終わっていません。今ならまだ間に合うよん!

- 2008/12/15(月) 13:08:26|
- 研究室|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0