父の四十九日が終わりました。閻魔大王の裁きを終え、父は極楽浄土に旅立ったはずです。
法要の会場は葬儀と同じでしたが、今回の仏壇は
平等院ではなく、夢殿風の六角円堂でした。
母が父の衣服を形見分けでもって帰れ、と言って座敷にどさっとひろげ、兄弟姉妹みなうろたえながら形見を選びました。正直、着れるものは少ない。わたしの腹には入らない、という物理的限界の問題が一つにありますが、いくらなんでもこのファッションはまだ早いな・・・・でも、おもしろいので、明治男の象徴たる褌とステテコを頂戴しました。ふんどしは布巾として使えそうなので、そっと研究室においておこうかな、と。部長やキム姉がなにも知らずに使う姿が目に浮かんだりしてね・・・

法要には長女も東京から駆けつけて、一家五人が勢揃い。いま二人の娘は母親の部屋でくっついて眠っています。母親はリビングのストーブの前で眠っている。というわけで、いよいよ年末年始の休暇・・・・だが、わたしたちに正月はない。これから原稿、書きますよ。鳥取県埋蔵文化財センターのみなさん、ご安心ください。メールで催促がきましたが、入札は1月上旬とのこと。
1月上旬って、10日までだよね。
卒論・修論を書いている学生に負けず、目標を設定します。
1月2日: 脱稿
1月3日: 図版揃え
1月4日: 参考文献、註など仕上げ
この際だから、宣言しておきます。2006~2007年の青谷上寺地建築部材の調査研究以来、いままで講演録2冊(
楼観&
最長垂木)と
報告書1冊を刊行してきました。今回の県埋蔵文化財センターによる建築部材「考察編」は4冊めであります。この「考察編」は上記3冊の集大成と呼べるものになるはずです。一方、ここ2~3年の活動により、他の4つの機関・出版社より弥生建築に関する執筆依頼が寄せられました。ありがたいことではありますが、今回の「考察編」をもって、弥生建築に関する原稿の執筆はいったん打ち止めにいたします。研究の進展があれば別ですが、基本的にしばらく弥生建築に係わる文章の執筆は控えるということです。

理由はいろいろあります。まず、研究者たるもの、何度も同じ内容の原稿は書けない。これは研究者の倫理に係わる問題です。焼き直しの文章をあちこちに書いて原稿料を頂戴し、業績の数を増やすのもおいしい話ではありますが、それは恥ずかしいことでもあります(じつは原稿料なんて、最近もらえないんですがね。出版社からの現物支給が当たり前の時代になりました)。それに、焼き直しと言っても、時間とエネルギーを消耗します。なにより、わたしにはほかに取り組まなければならない
大きな宿題が残されています。まもなく、M尾くんやM次さんに編集者として最後の催促通知をだしますが、年度末はその仕事に集中したい。
あとはですね、考古学的な仕事に偏向したくない、とも思っています。わたしは考古学者ではありません。しかし、考古学の方がたは、わたしが縄文と弥生の専門家だと勘違いしている節がある。縄文・弥生にはもちろん興味はありますが、それはわたしにとって興味の一部にすぎません。正直、考古学的な論文を書いているとき、わたしはあまり知的な興奮を覚えない。われながら退屈な文章を書いてるな、と自嘲気味になることが少なくないのです。青谷の仕事は、その点かなり例外的ではありましたが、同じことを繰り返し書けば退屈になるばかりです。
というわけで、今日は四十九日の法要という一つの節目を終えて、年末年始返上の執筆宣言をしました。静かに書斎でキーボードを叩きますので。
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- 2008/12/29(月) 00:00:54|
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