川越視察の前夜、さいたまスーパーアリーナに行ってきました。浦和レッズと大宮アルディージャのフットサルの試合があったんじゃありませんよ。ジェフ・ベック&エリック・クラプトンのジョイント・コンサートがあったんです。いつかお話ししましたが、ワイフからの誕生日プレゼントというのは、このコンサート・チケットのことだったのですよ。チケットはさておき、旅費も大変な額になりますが、ANAのマイレージがたまってましてね。マイレージも使い方が難しくて、いざ使おうとしても、マイレージ用の席が切れていたりするもんで、結構早くから予約しなきゃなんないんですが、今回はうまくいきました。
モノレールからJR環状線、同高崎線と乗り換えて、さいたま新都心に近づいていくときの、あのワクワク感はなんだったんだろう。ほんと久しぶりの胸躍る高揚感に自分でも驚いてました。学生時代、大阪でみた全盛期のニール・ヤング以来じゃないかな。だって、ベックとクラプトンの正式な共演コンサートは世界で初めてなんですよ。これまで一方のバンドに他方が飛び入りしたなんてのはありまして、それをユーチューブでみることもできますが、そういうんじゃないですからね。結果として、まず言えることは記憶に残る「
人生の一日」になったということです。

さて、わたしは、もともとロック・ファンというほどではなくて、聞き手としてはフォークからジャズに飛んでしまったアコースティック派です。とくに、ブリティッシュ・ロックは、ビートルズを例外として、そんなに好きじゃありません。高校時代の友人たちが狂っていたツェッペリンもエマーソン・レイク&パーマーもピンク・フロイドも、そしてジェフ・ベックもどうでもよくて、ブリティッシュと言えば、なんと言ってもペンタングルでしたね。これは何度書いてもよいですが、ペンタングルは世界最強のフォーク・バンドです。おそらく、ジミー・ペイジですら一目おいていたバンドだと思います。
個人的には、やはりアメリカ音楽が断然好きでして、ディランはパスなんだけど、CSN&Yとか、『オン・ザ・ボーダー』までのイーグルスとか、スティーリー・ダンとか、ジェイムズ・テイラーなどがお気に入りでした。英国ロック3大ギタリストの代表とも言えるクラプトンも、アメリカで再生し音楽的に大成長を遂げたミュージシャンですよね。デレク&ドミノスも、461オーシャンブルーバードも、アンプラグドもよく聞きました。作曲は素晴らしいし、歌は年々うまくなっていって(加山雄三みたいだね)、作曲と歌とギターを総合させた大音楽家になりました。ただ、ギターの奏法を「進化」させようとはしなかった。むしろ、純粋なブルースを学ぼうとして、今回のライブもそうだったんですが、アコギでブルースの弾き語りを追及していきましたね。これはすごく好感がもてる。
一方、ジェフ・ベックもルーツはブルースですが、途中から
ジョン・マクラフリンなどの影響を受けて、ジャズっぽい要素を取り入れ、『
ブロウ・バイ・ブロウ』で大成功を納める。その後の進化は、もうギター一筋。今回もほんと驚愕のひと言でして、世の中にこんなギタリストが実在することを感謝しなきゃいけない。作曲もしないし、歌もうたわない。ただギター道を究め続ける64歳。
さて、コンサートは3部構成になってました。第1部:ジェフ・ベック、第2部:エリック・クラプトン、第3部:ベック&クラプトン。なんでこうなったのかは単純でして、第2部のクラプトンのバンドがそのまま第3部もうけつぎ、そこにベックが加わることにしたからです。言い換えるならば、クラプトン・バンドのゲスト・ギタリストにベックを迎えた格好なんですが、これがこれが・・・それで済まないところがジェフ・ベックというギタリストの恐ろしさでして、これについては次回以降に述べましょう。
第1部のジェフ・ベックで早くもぶっとびました。これでコンサートが終わっても、わたしはそんなに文句は言わなかったでしょう。それぐらいジェフ・ベックの演奏は凄かった。演奏曲目とメンバーについては、「続き」の文末に掲載しています。残念ながら「ベックのボレロ」で始まらなかったんですが、激しい曲とバラードを巧みに織り交ぜてのみごとのステージングでしたよ。「哀しみの恋人たち」「レッド・ブーツ」「グッバイ・ポークパイハット」などの名曲が、目の前で演奏されていることが信じられない。とくにベックがどのようにしてギターを弾いているのか、それを知りたいから、ステージはどうでもよくて、目を点にして、大型のスクリーンに集中しました。ひたすらスクリーンに大写しになった指使いを追ってみたものの、これはとても真似できない、と諦めるばかりです。ベックのコピーはできない。右手の4フィンガーと振動アームの使い方は神業に近いものです。なにをどうやって、一音一音トーンを変えているのか。しばしば、ボリュームやらトーンのスィッチにも触ってました。

何曲めだったか忘れたんですが、中程にスライド・バーを使う曲があって、チューニングはあきらかにレギュラーですから、弾きたい弦の上下のミュートが大変だろうな、なんて思ってみていたら、とんでもない奏法が始まったんですよ。スライド・バーを左手の指からはずして、右手でもち、ピックの代わりに使うんです。ピックというよりも、バイオリンの弓のような使い方といったほうがよいかもしれません。左手は6~7フレットあたり(B♭?)のセーハ・コードでがっちり固めたまま動かさない。最初は人工ハーモニクスの応用かとも思ってみてたんですが、違いましたね。ご存知ように、人工ハーモニクスの場合、左手と右手を12フレットの間隔で平行移動させなければなりませんね。しかし、何度みても左手はセーハコードで固定している。で、右手のスライド・バーはブリッジに近いあたりで弦をなでながら上下させ、メロディーを奏でていくのですよ。こんな奏法、みたことない。たぶん、固定した左手は「ブリッジ」の代用品で、反対の右手側はフレットレスの三味線状態になってるとしか言いようがない。ギターの左右を反転させてるんだ!
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- 2009/02/28(土) 00:17:00|
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2月25日水曜日 天候は曇り
どうも、お久しぶりです。アシガルです。 安土城見寺本堂コンペ以来のブログです。
Lablog愛読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
コンペが終わったボクは、そのままエアポート先輩の卒業制作に向け模型のバージョンアップやMAYAソフトによるCG制作などをお手伝していました。「光陰矢の如し」とはまさにこのことです。
さてさて、今日は
2009年度卒業研究・修了研究展の初日でした(
3月1日まで)。3年を代表してボクが見に行きました。午後5時頃に行ったのですが、遅い時間にもかかわらず一般の方がいらっしゃっていて盛況でした。

やはり、見寺コンペをバージョンアップされた「仏を超えた信長」が気になり、一番先に拝見しました。エアポートさんの技術とプロフェショナルさには驚きを隠せないです。ボクの制作したCGも大きく使って頂いてありがとうございます。今回の見寺本堂復元研究を通して多くのことが学べました。ありがとうございます。そうそう、見寺の復元については見事なパンフレットも印刷されていました。限定60部の印刷で、結構費用がかかったそうです。この資料をお持ち帰りの際には、感想をご記帳の上、御布施を少々お恵みください!

そして、となりに展示していたピヴォさんの「続・加藤家住宅修復プロジェクト」には驚きました。なんと、模型があるではないですか!!前のブログで教授が「作品を展示会場に持ちこめないのが、とても残念」とおっしゃっていたので、ピヴォ先輩のサプライズに感激でした。パネルもとても見やすく分かりやすくて素晴らしかったです。(個人的に金、銀、銅、のどれかに入るのではないかと思っていますが……。)
裏側には論文部門がずらりと並んでいました。部長さんとキム姉さんの「文化的景観」パネルの美しさに惚れ惚れ…粋でカッコイイパネルに仕上がっていました。部長さんの実測のトレースなどを手伝いましたが、不慣れでてこずったんで、出来に不安がありますが、アレでよかったでしょうか…。
ボクがASALABに加入した一番最初の課外活動が板井原での調査や座談会でした。これを機会に、ASALABの本当の意味でASALABの一員になれた気がしました。ボクは、論文やレポートなど、文章を書くのが苦手で御二方の文章力をこれからも見習いたいと思います。
そして、院生のホカノさんのパネル「水上集落と文化的景観-世界自然遺産ハロン湾のケース・スタディ」はASALAB在籍7年間の集大成とも呼ぶべき出来に仕上がっています。パネル4枚に加えて、モニターに映すCGアニメーションにより、一般の方にも分かりやすい展示になっていると思いました。ホカノ先輩にはお忙しいなかMAYAの使い方などを教えて頂き、ありがとうございました。
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- 2009/02/26(木) 02:36:27|
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全国いたるところに「小京都」と呼ばれる風雅な町があります。この近辺では、倉吉、鹿野、松江、津和野、津山、高梁、尾道、竹原、萩などはみな「小京都」を自称しており、わたし自身、たくさんの「小京都」を訪問してきました。けれども、「小江戸」と呼ばれる町があることを知らなかった。「小京都」は「しょうきょうと」と読むのに対して、「小江戸」は「しょうえど」ではなく、「こえど」と呼びます。「大江戸(八百八橋)」に対して「小江戸」がある、というわけでしょうか。
埼玉県の川越市は「小江戸」を代表する町だそうです。真っ黒で分厚い大壁で家中を囲い込んだ「蔵造」の町並みは、明治26年(1893)の大火後に築かれた防火町家群であり、文化庁編集の文化財パンフレットでは「重要伝統的建造物群保存地区」のページにグラビア扱いで掲載されています。わたしは講義で「重要伝統的建造物群保存地区」を説明する際、このページをそのままスキャンして使っております。馴染み深い町並みの風景なのですが、恥ずかしいことに、未だ行ったことがなかったんですね。

川越駅前の観光案内所でパンフレットを頂戴し、川越が「小江戸」を代表する町であることを知りました。「小江戸」は埼玉県川越市、栃木県栃木市、千葉県佐原市、神奈川県厚木市など、やはり関東に集中していますが、西日本では滋賀県彦根市がこれに含まれるようです。流石、井伊大老の城下町だけのことはありますね。おもしろいのは、栃木市が「小江戸」とも「小京都」とも呼ばれていることです。行ったことないので、なぜだか分かりませんけども。なお、平成8年から川越市が中心となって、「小江戸」サミットを開催しているとのこと。
平成11年選定の重伝建地区では、サインボードに「現在の東京ではみられなくなった、江戸のたたずまいを彷彿とさせる町並み」と紹介されていましたが、上に述べたように、町家はすべて明治中期以降のものであり、「江戸時代の江戸」のたたずまいをあらわすものではありません。大火後の明治町家群が文化庁パンフを飾る重伝建地区の代表選手だという事実は、わたしを勇気づけてくれました。だって、
若桜の中世城下町(=近世宿場町)エリアの町並みが明治18年の大火後のものですからね。若桜だって重伝建地区になる資格は十分あるということです。
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- 2009/02/25(水) 01:34:05|
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今年度実績報告の第1弾は鳥取県環境学術研究費助成研究(課題番号B0807)です。今年度からの
新規採択でして、以下に研究題目とサマリーを記します。
「文化的景観」の解釈と応用による地域保全手法の検討(Ⅰ)
-伝統的建造物群および史跡・名勝・天然記念物との相補性をめぐって-
初年度は「世界遺産と文化財保護法における<文化的景観>の概念の検討」「国内外の<文化的景観>事例の視察及び比較検討」「鳥取県内における<文化的景観>ストックの掘り起こし」「智頭町板井原の集落景観、若桜宿の町並みに対する<文化的景観>としての再評価」「鳥取城跡、若桜鬼ヶ城などの史跡を対象とした「文化的景観」としての再評価」「史跡における遺構と復元建物の景観シュミレーションCGの制作」などに取り組んだ。フィールドは若桜と智頭が中心となったので、ここに概要を報告する。
1.若桜町の景観計画 若桜町の景観計画には、二つの重要文化的景観をモデルとして位置づけた。一つは北海道平取町の「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」、もう一つは滋賀県の「近江八幡の水郷」である。前者は過疎地の振興を町ぐるみの景観保全に託そうとする取組である。平取は町の全域を景観計画区域に設定し、そのなかの6ヶ所のエリアを重要文化的景観の候補として申請し、文化庁によってそれが認められた。若桜も過疎の山間部を中心に文化遺産が点在し、質の高い文化的景観がひろがっている。平取に倣って町の全域を景観計画区域に設定し、そのなかで、①鬼ヶ城と城下町(宿場町)の景観、②棚田・杉林と歴史的建造物が集中する屋堂羅の農村景観、③氷ノ山の原生林と山麓の「竿屋造」民家集落の景観、④古代密教・修験道の景観、の4エリアを「八東川流域山間部の古代宗教と中近世都市・集落に関わる文化的景観」と総称し、重要文化的景観の候補として申請するのである。
さらに、①については近江八幡の取組が参考になる。「近江八幡の水郷」は、史跡「安土城跡」と重伝建地区「近江八幡商家の町並み」を連結する役割を果たしており、その全体が広義の「文化的景観」となって、ひろい範囲の地域景観保全を実現している珍しい例である。若桜宿においても、国史跡の鬼ヶ城跡と伝建地区の価値を有する旧城下町(宿場町)エリアの複合性が強い。若桜の場合、町中を流れる水路も重要な景観要素であり、町を包むように流れる八東川と三倉川は、城下町の総外濠でもあった。川端からみる城跡の景観は壮大である。この八東川の対岸に、②屋堂羅の農村景観が展開しており、八東川とその支流を媒介として①と②を連結すれば、近江八幡に近い広範囲の景観保全が可能となるだろう。
2.板井原の景観計画とオーナー制度 板井原は県の伝建地区に選定されているが、それは国の選定から漏れたことを意味している。「限界集落」化している現状にあって、県の「伝建」制度だけに頼っていても、景観を維持できる保証はない。そこで、「重要文化的景観」への脱皮を提言したい。板井原が建造物群にとどまらず、焼畑農耕地から転じた杉林や段畑、紅葉の美しい原生林と水系、養蚕業を反映する民家などの広い範囲の景観によって特色づけられているからである。いわば「因幡山里の非稲作系生業と土地利用を代表する文化的景観」として十分に重要文化的景観の価値をもつと考えられる。あるいは、上板井原に「赤波川渓谷甌穴群」や廃村化した下板井原も含め、より広い範囲を「因幡山里の非稲作系生業と土地利用を代表する赤波川流域の文化的景観」として申請するのも一案であろう。こうした重要文化的景観の「お墨付き」を得ることによって観光客の増加を促進し、一定の補助が期待できる。
しかし、制度に頼るだけでは十分とはいえない。たとえば各地の重要文化的景観地区や日本の棚田百選の地区で展開している「棚田のオーナー制度」に倣って、「民家と休耕田のオーナー制度」を始めてはどうだろうか。空家となった民家をセカンドハウスとして休耕田を耕作するオーナーを募集するのであるい。このような活動をネット経由で全国に知らしめ、Iターン、Jターン、空家&休耕田オーナーを一人でも多く確保するよう努力するほか、板井原が「限界集落」から抜け出す方法はないだろう。そして、もしこのような板井原の取組が成功するならば、それは「限界集落」再生の突破口になるだろう。
- 2009/02/24(火) 00:02:57|
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私立大学というのは、山のように入試があるんですが、ふだん夜型の生活を送っているわたしには、入試当日の朝の集合時間が早くて時間調整が大変なんです。これはもう前夜に飲むしかない。飲んで酔っぱらい、早めに寝るのです。今回は「
飛鳥」に行ったんですが、カウンターの向こうに若い女性がいるので、びっくりしてしまいましたよ。8年鳥取にいて、「飛鳥」のカウンター越しに若い女性をみたのは初めてでしたからね。でも、顔をちらりとみたらすぐに分かった。大将と女将のDNAが共存してます。なんでも、初めて長期の有給休暇をとって帰省し、10日ばかり出勤しているとのこと。
飛鳥がいちばん美味しいのは冬です。蟹もよいけれど、わたしが愛してやまないのは
子持ち鰈の煮付けでして、この日もまた注文したのですが、でてきたのはいつもの鰈ではなかった。「子持ちの石鰈」でして、うぅぅぅ~ん、絶品でしたね。石鰈については、子(卵)をまぶした刺身も上品な味をしてまして、へぎ蕎麦のような爽快感がある。でてきた煮付けは、刺身の肉を取り去った頭のあら煮に卵を付けたもの。石鰈の卵は粒子のように繊細で舌触りがよく、頭の骨のまわりについた肉のにゅるにゅる感ときわだって対照的。キープしている芋焼酎のアテにするのがもったいないくらいで、上質の白ワインとあわせれば極楽だったでしょう。大将も言ってましたが、冬の石鰈は山陰の「隠れた美味」ですね。

そこで、はたとギターリサイタルのチラシに気が付いた。どうやら主催者の「ギターアンサンブル・アミーゴ」のメンバーが常連客のようでして、チラシをごっそりおいてったらしく、それを頂いて返ってきました。
ご覧のとおり、「世界の山下」が
4月25日に来鳥し、
鳥取市文化ホールでリサイタルを開きます(12時半開場、13時開演)。山下和仁は、少なくとも3回このブログに登場してます。一度めは「
展覧会の絵」について触れ、あらゆるジャンルを総合して技術的には「世界最強のギタリスト」だと絶賛したように記憶しています。2回めは京都のライブハウスでアコギスト2名のライブを聴いたあとの口直しにしたバッハ「
無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ」が9号線くねくね運転のよき目覚ましとなったこと、3回めはそば切り「たかや」で聴いたバッハ「
無伴奏チェロ」のことだったはずです。
チラシの裏面をみると、今回の演奏曲目は「
無伴奏チェロ組曲第1番」「アメイジング・グレイス」「グリーンス・リーブス」「鳥の歌」などスタンダードな選曲になっているようでして、おそらくクラシック・アレルギーの方でも大丈夫でしょう。どのようなジャンルであれ、ギターを志す者、山下和仁がそばに来ているのに聴きに行かないとしたら大損ですよ。入場料は一般2500円、学生1000円。格安というレベルをこえて、「信じられないほど安い」ではありませんか! 山下和仁がこんなに安くてよいのだろうか?
じつはいま埼玉にいるんですが、さきほどまで聴いていた脅威のライブは、A席で15000円でしたからね。ロックのジェフ・ベックか、クラッシックの山下和仁か、と言えるぐらいのギタリストですよ。
ギターに興味をもっていない方も、欺されたと思ってぜひ聴きにいってください。
癒し系の「緩い」演奏も結構だけれど、個人的には、ガチンコ勝負の本気の山下和仁を視たいですね。
- 2009/02/23(月) 00:04:24|
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卒業研究公聴会、修士研究発表会が終わって、こんどは卒業研究・修了研究展のお知らせです。正確には「2009年度鳥取環境大学・大学院 環境デザイン学科 環境デザイン領域 卒業・修了研究展」と称しております。期間と会場は以下のとおりです。
期間: 2009年2月25日(水)午前9時 ~ 3月1日(日)午後5時
会場: とりぎん文化会館 フリースペース
さて、学生たちのプレゼンテーションはどれほど教員やお客さまにアピールできるでしょうか。
この展示の後に、制作部門と論文部門の受賞者が決まり、卒業式で表彰されます。ちなみに、論文部門は4連覇がかかっており、制作部門では全国2位の実績をひさっげてさらに大幅にバージョンアップしたエアポートの「仏を超えた信長」が一般の設計作品を凌駕するかどうか、が注目されるところでしょう。個人的には、ピヴォの修復活動を高く評価しているのですが、作品を展示会場にもちこめないのが、とても残念ですね。
- 2009/02/22(日) 01:19:32|
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19日(木)午後1時から、環境デザイン領域の
修士研究発表会が開かれました。社会環境学領域と情報システム領域の発表会が前日に終わっていたため、当日の会場はデザイン領域の教授陣と学生が大半を占めていました。そんななか、研究室のエアポート君、部長さん、ヒラさんや研究室OGであるハルさんの姿がありました。
発表会前夜、大学院生室では作品組が展示用パネルを慌ただしく準備していました。その様子を横目に、私はハロン湾クアヴァン村A期(1994年以前)復原CGの修正など発表準備に追われ、無事にプレゼンできるのだろうかと不安を抱えていました。果たして発表会は事なく終えることはできましたが、私の発表自体はなんとかかんとか切り抜けたという印象が強いです。なにせ、しどろもどろの発表で、たいへん聞き取りづらかっただろうと思います。奈良でのフリートーク式の発表で詰まりまくったので、発表用下書き原稿(カンペ)を作り、対策していたのですが、功を奏しませんでした。マイクで左手、マウスで右手がふさがり、カンペを捲る余裕がなかったのです。

ところで
奈良での講評の際、ご指摘を受けていた「5)過去の集落景観の家船数」ですが、根拠となる数字は結局不明でした。ハロン湾遺産管理局の論文によれば、漁民の親は子供が結婚した際に家船を贈る慣習があると述べています。これを参考にすると、現在の世帯数とほぼ同数の家船が存在していた可能性があります。しかし、漁民は停泊地-漁場-市場周辺の浜辺を漂海する生活を営んでおり、集落の世帯数は絶えず変動していたことがわかっています。そこで、過去のCG景観の家船数は、現状の筏住居の実数に近い100隻に推定・訂正しました。研究発表会では、その静止画を制作し、修正バージョンを披露しました。この点は詳しくご意見を頂きたかったです。
さて、発表会が終わったこれからも、いろいろな予定が詰まっています。奈文研主催の文化的景観研究集会、25日から始まる卒業・修了研究展の準備もしなくてはいけません。そして、今月27日は修正した修士論文の提出〆切です。先日の講評会で指摘された諸点について、できるだけ拾いきれるようにはしたいものです。当分、一息つく余裕はなさそうですが、気力をふり絞り、のこり少ない学生生活を突っ走りたいと思います。(ホカノ)
主査講評: オロオロしすぎだね。とうとう7年間なおらなかったな・・とてもおもしろい研究をしているのです。副査の講評を読み上げた後、会場から一様に「厳しいなぁ」という嘆息が漏れ、それを庇うようにして、最後にN教授が「とても良い研究です!」とコメントされました。ありがたいことだね。わたしも同感です。本学の修士論文としてはかなり上質のものだと思っています。にも拘わらず、どうしてあんなにオロオロびくびくするのか・・・下書き原稿(カンペ)はピヴォも使っていましたが、両手をふさがれて読めなかったなんてことはまったくなく、とても良いプレゼンに仕上がってました。岡野の場合、ただ気持ちに余裕がなかった、ということでしょう。社会人になったら、なんとか自信をもって生きていってほしいですね。なお、A期修正バージョンについては、発表を聞いている段階では修正されているのかどうかさえ分からなかったので、何もコメントしませんでした。静止画を上の根拠で修正したのは結構ですが、そのアニメーションはどうなるんでしょうか。これがいちばん心配ですね。
さて、岡野くんは7年間、ASALABに在籍しました。わたしがとくに評価しているのは、後輩の面倒見がよいことです。車もよく出してくれたし、パソコンもみんなに教えてくれました。加藤家住宅のホームページとブログも作ってくれました。測量のエキスパートにもなったし、体を使った大工仕事でも活躍してくれました。研究室を縁の下から支え続けた功労者です。研究室を代表して、深い感謝の気持ちを捧げたいと思います。
最後の発表の場にはハルさんまで駆けつけてくれて(↓)、ほんとうに良かったね。ともかく良い修士論文に仕上げてください。あと一息です!!
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- 2009/02/21(土) 00:38:58|
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われらが「日乃丸温泉」(市内末広温泉町)の2階には「アフターアワーズ」というライブハウスがあります。1996(平成8)年7月にオープンしたライヴ・パブ&レストランで、オーナーの松本正嗣さんが原信夫とシャープ&フラッツに在籍された経験のあるプロのジャズ・ギタリストであることは、みなさん、よくご存じでしょう。
「アフターアワーズ」ではジャズに限らず、ブルース、ロック、アコギ系のライブが頻繁におこなわれていますが、松本さん自身のトリオも月に2回、隔週でライブ演奏をされているというので、ちょいと聴きに行ってきました。選挙で知らないうちに「**長」にされちゃったことに対する憂さ晴らしもあったりして・・・

寒い雨の夜でした。レギュラー・リズム隊のドラマーとベーシストがいずれもインフルエンザで不参加という緊急事態でしたが、鳥大ジャズ・フュージョン部の現役やOBがサポートに駆けつけ、楽しい演奏を聴かせてくれましたよ。ベースとのデュオが3~4曲あって、残りの6~7曲はこれにアルトサックスを加えたやや変則的なトリオでした。ジャズの古典ともいうべきスタンダードばかりの選曲で、チャーリー・パーカーの作品が多かったですね。本物のジャズ好きはレスター・ヤングからパーカーあたりの時代を好みますからね・・・
ステージは1部と2部に分かれていて、1部はただおとなしく聴いてましたが、2部の途中で1曲だけリクエストしました。お馴染み、「グリーン・ドルフィン・ストリート」です。以前、
トゥーツ・シールマンスの項で述べたように、かつて奈良の若草ホテルでライブを聴いてたころ、必ずこの曲をリクエストしてたもんで、そのころを思い出してしまって、無理を聞いていただきました。
松本さんは、「
オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」ですね、と言って、軽く指慣らしの前奏を始め、それにベースが徐々にあわせていき、アルトがお馴染みのソロ・パートを甲高く吹き始めました。いや、懐かしかった。本当にありがとうございます!

「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」という曲は、『グリーン・ドルフィン・ストリート』という映画(1947)の主題曲です。作曲はブラニスラフ・ケイパー、映画の監督はヴィクター・サヴィル。それにしても、わたしはなんでこの曲を好きになったのか・・・だれの演奏でこの曲に惚れ込んだのか・・・しばらく考えてみたんですが、たぶんエリック・ドルフィーじゃないかな。ユーチューブを漁ってみたところ、コルトレーン、ロリンズ、スタン・ゲッツなど大御所管楽器奏者の「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」映像は確認できて、いまキース・ジャレット3の洗練されたプレイを聴きながら、この原稿を書いてるんですが、ドルフィーの演奏は含まれてませんね。ただ、ドルフィーの『Live in Germany』(1961)は邦題が『グリーン・ドルフィン・ストリート』となっていて、その1曲めでバス・クラリネットの快演を聴けます。
実際に聴いたのはこのアルバムだったのかどうか自信はないんですが、「グリーン・ドルフィン・ストリート」がどうしてもドルフィーに落ち着いてしまうのが自分でも不思議で仕方ない。でも、ドルフィは「影から来た魔法使い」だからね、いつのまにか聴き手を虜にする魔力をもっている。
ところで、3月19日には
打田十紀男さんのライブが予定に入ってます。カントリー・ブルースギター(もちろんアコギ)の雄ですが、テーブル・チャージが高いんだな・・・卒業式の前日で送別会にちょうどいいか、とも思っていたんですが、この値段だと10人+αはきついな??
- 2009/02/20(金) 00:45:36|
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ほんと、生まれてくるんじゃなかった・・・ 数時間前にちょっとした選挙があったんですよ。もちろん学長選挙じゃありません。学内の選挙なんですが、どういうわけか、わたしが過半数票を集めて、当選しちゃったの・・・はぁぁぁ・・・
ここではっきり書いておきますが、わたしは自分に投票してないですよ。情報システム学科の某教授に1票投じました。
研究者には二通りのタイプがあって、一つは「長」になりたがるタイプです。**長というポストに異常に執着するのは、もちろん権力指向が強いからでしょうね。もう一方は、絶対、「長」になんかなりたくないというタイプです。だって、なんのために大学の教師をやっているのか、と言えば、研究と教育のためでしょ。それに神経を集中させたい。そのためには時間が必要です。雑用に追われたくないんですよ。さらに個人的な理由をあげると、週末には奈良に帰りたいし、ギターの練習もしたいし、雀士としての腕も磨きたい。
学長選挙に立候補された岡崎先生も、この点ではわたしと同タイプでして、最初は立候補を固辞されておりました。しかし、26名もの教員が推薦人に名を連ね、卒業生からも立候補を要請され、まさに「三顧の礼」によって立候補を決断されたのです。そういえば、昨日、下の報道がなされました。教職員はこういうこと全然知らされていないのに、マスコミにはどうしてこんなに早く伝わっちゃうんでしょうかね。
25日、理事会のご賢察を期待するばかりです。
- 2009/02/19(木) 00:12:55|
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院生が奈良で修士論文の講評を受けた日曜日、兄の家に親族が集結していた。父の百日法要だったのである。講評と討論が長引いて、わたしは読経に間に合わず、兄の家に着いた途端にグロッキー。炬燵に足を突っ込み、そのまま仰向けになって眠りに落ちた。
公聴会前夜からの数日間、それだけきつかったのだ(こう書くと、キム姉に「
まだ言ってる」と思われるかもしれないけれども、わたしも歳なんですよ、ほんと・・・無理の効かない体になってしまいました)。
父の写真は葬儀の日から変わっていない。なんとも言えない満ち足りた笑顔で弔問客を迎え、勇気づけてくれる。翌日、大学に出ると、県内のご老人から電話があった。父が教師をしていたときの教え子さんである。彼岸の納骨までに教え子数名で位牌と遺骨を拝みに行きたいと言われるので、もちろん大歓迎だとお返事した。

父の葬儀で、わたしは家紋を知った。なんとなく「三つ巴」という記憶があったのだが、正確には「結び巴」であった。巴紋と言えば、わたしたちの業界ではただちに軒丸瓦が思い起こされる。とりわけ「二つ巴」は
陰陽太極図の変形だとばかり思っていたのだが、鞆絵(ともえ)が語源で、弓を射る時に使う鞆を図案化したものとする意見も有力らしい。また、水が渦を巻くさまとも解釈され、それが「防火」の象徴として軒瓦に使われたとすれば納得がいかないこともない。
「結び巴」紋様の起源については、よく分からないが、写真にみるように、なかなか風格のあるデザインなので、今後、名刺や研究室封筒のロゴとして使おうという着想が増幅しつつある。
百日法要の翌日、奈良の
複数の経路から訃報が届いた。藤原宮跡発掘調査部長を務められた牛川喜幸さん(庭園史)の逝去の知らせである。まだ73歳。研究所時代は可愛がっていただいた。退官後、長岡造形大から京都橘大に籍を移され、西大寺にお住いだったので、何年か前に近鉄のプラットフォームでお目にかかったことがある。「飲みにいこうか」と誘われているような笑顔が記憶に残っている。
江口さんほどではないけれども、やはり相当な飲んべえだったので、以下のような弔電を送った。
ご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。
ユングの臨死体験を読むと、ガガーリンのはるか以前にユングは
宇宙に飛び、「地球は青かった」という感想を述べたそうですね。
牛川さんはこれから4次元の時空を飛びまわって、
どこかの星でまた美酒を見つけ出し、たぶん伊東さんあたりと
ぐびぐびやられることと存じます。まもなく何名か
駆けつけますので、少々お待ちください。
外はまた雪が舞っている。
- 2009/02/18(水) 00:05:09|
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昨夜、お知らせがありましたように、
修士研究発表会が間近となりました。私の修士研究題目は 「水上集落と文化的景観 -世界自然遺産ハロン湾のケーススタディ」 でして、2007年のクアヴァン村調査に同行された平澤さん(奈文研)にも副査をお願いしています。当然のことながら、19日にご来聴いただき、修士研究発表会で諮問していただきたかったのですが、20~21日に「文化的景観研究集会」(奈文研)が控えており、スケジュールの調整がつきませんでした(研究集会には当方が出席します)。そこで15日(日)、わたしが奈文研を訪れてプレゼンテーションを行ない、講評を受けてきました。以下、講評の一部を紹介します。
1)論文の章構成の説明が足りない。だから、研究の主軸が分かり難い。
→たしかに、測量と配置図の図化、CGのシミュレーションの方法と成果の情報量がまだ不足しています。それらを急ぎ充実させんさければなりません。
2)発表項目のつながりが断続的である。調査・研究のフローチャートが欲しい。
→この点、私の力量不足です。至急、構成を再検討し、フローチャートを作ります。
3)序論にあたる「世界遺産」や「文化的景観」の説明が長すぎる。
→平澤さんはこの分野のプロなのでそう感じられたのでしょう。一方、教授は、大学で発表を聴く教員・学生は素人集団なので、大きく削ると逆に混乱を招くと発言されました。発表会本番では社会環境学や情報システム領域の教授陣や学生も聴くわけですから、スライド2~3枚というわけにはいきませんが、バランスを考えて調整しようと思っています。
4)発表時間の割にスライド枚数が多い。「ちなみに」という発言が多く、情報が拡散してしまう。
→スライド数は圧縮し、発表用原稿を下書きしておきます。
5)家船期の復元根拠が分からない。
→これについては教授からも厳しく批判されました。居住動態の調査を担当された准教授と協議の上、根拠を明確に述べるようにします。
6)A期[家船群]からB期[筏住居群]の持続性についての説明がない。
→わたしは論文に書いていません。代わって、教授が説明されました。家船期は陸地の民家集落で言えば「中世の掘立小屋」、筏住居期は「近世の礎石建民家」の段階。別の表現をするならば、前者は茅葺き、後者は瓦葺きのようなもので、持続性は十分ある。問題はビルディング化した建物がたつC期であり、ここはB期から断絶しており、ハロン湾の景観を悪化させる。これについても、論文に書きます。
7)B期の景観CGを制作にするにあたり、筏住居の類型ごとにモデルを制作したはずだが、それが示されていない。
→たしかに、エアポート君が実測・作図した類型ごとに3Dモデルを示し、集落のどこにどの類型を使ったのかを示す必要があります。
8)研究の結論については、世界遺産における「文化的景観」を扱っているのだから、世界遺産の定義に則してハロン湾の水上集落景観が「継続してきた景観」であると評価を導けるよう記述しなければならない。これは、上記6)の問題と関わってきます。また、フィリピンの「コルディレラの棚田」と比較すると景観保全の問題点が鮮明にみえるのではないかとアドバイスを受けました。そして、ハロン湾の漁民には、筏住居が悪いものではないことを納得・理解してもらい、その水上生活の工夫を再評価し、新しい要素にバランスよく転換させることで景観の破綻を免れるように保全計画を提案していくべきであるといわれました。

早くも2日後には発表本番です。以上の指摘を踏まえて、できるかぎり良いものとなるようしていきます。これまで教授にはご苦労をお掛けしている分、よき恩返しできるように研究内容を仕上げなければなりません。(ホカノ)
←ここは何処?
- 2009/02/17(火) 01:11:16|
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卒業研究の発表会が終わったばかりで、大学中シ~ンとしてます。毎夜毎夜の、あの喧噪はどこにいったのか。幻想だったのかと思うぐらい、静かな夜ですよ。でも、時間はとまらない。今週の木曜日には修士研究の発表会が控えております。正直、卒業研究発表会よりもはるかに心配ですね・・・はたして9月末の
中間発表会から進化はみられるでしょうか?
環境デザイン領域では、当初6名が学位申請を申し出ていましたが、2名がリタイアし、4名が発表します。昨年リタイアし、捲土重来を期すASALABA院生がいよいよ登場するのですが、・・・あぁぁ、ほんと心配だな・・・この2~3日、その準備でまたわたしは死んでいました。詳細はおって院生からレポートがあるはずです。
鳥取環境大学大学院環境情報学研究科環境情報学専攻環境デザイン領域発表会 日時: 平成21年2月19日(木) 13:00 ~ 15:30
会場: 14講義室(論文) 26講義室(作品)
13:00~13:30
3062001 岡野 泰之(論文/浅川研究室)
「水上集落と文化的景観 -世界自然遺産ハロン湾のケーススタディ」

以下、他研究室の院生の発表題目とスケジュールですが、氏名については姓のみ示します。
13:30~14:00 3072004 堀尾(論文/渡辺研究室)
「木道路橋の普及阻害要因について」
14:30~15:00 3072002 立川(作品/中村研究室)
「Feel 自然と癒しの空間」
15:00~15:30 3072003 福嶋(作品/中村研究室)
「鳥取シネマの森 ~光と影の道~」
- 2009/02/16(月) 02:03:00|
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ハッピー・ヴァレンタイン!
昨日のヴァレンタイン、如何でしたか? 当方、ホカノとともにヴァレンタインを過ごしましたよん。
さてさて、13日(金)、5期生の卒業研究発表会を終えました。学生も教員もふらふらの状態でしたが、みなそれだけがんばったということで、以下に学生諸君の感想とわたしの講評を掲載いたします。なお、「今日」とか「24時間前」などの記載が散見されますが、それは学生諸君が感想文を書いた日時に対応したものです。いつもは整合性のあるように日時を変えるのですが、今回は原文をそのまま掲載いたします。
今城 愛(論文)
「文化的景観としての中世山城と城下の町並み-若桜鬼ヶ城とその周辺環境を中心に-」 卒業研究を始めてから、はるか遠くにあるように感じていた公聴会。実際に今日という日を迎えると、一年なんてあっという間だと痛感した。昨年を思い出せば、この頃はまだ
パンフレットで「う~んう~ん」とうなっていた。本当に、一年は早い。
「文化的景観」という概念を勉強しつつ、若桜に調査に行ってデータをまとめ、資料も探すという研究活動は、自分の中でなかなか消化できず何度もスローペースになってしまった。もっと若桜町を訪れたかったと、今更ながら思ってしまう。あの時こうしておけばよかったと、過ぎた時間を思うことも度々あった。それでもなんとか公聴会にたどり着けたのは、指導してくださった浅川先生をはじめ、多くの方にご協力いただいたからです。本当にありがとうございます。
まだまだ自分の中で、「文化的景観」と「若桜」などの要素がうまく結びついておらず、混乱をきたしているようにも思う。そのせいで、当日になっても自分のパワーポイントとにらめっこする事態となった。また、今日の発表で質問にうまく答えられなかったのは、その混乱のせいでもあるのかなと思いつつ、また、自分の情けなさを痛感しつつ、今日の公聴会を終えた。
今度は展示会が待っている。頭の中を整理して、もうすぐそこに迫っている展示会に向けてがんばりたい。
木村 歩(論文)
「限界集落と文化的景観-三朝町中津と智頭町板井原のケーススタディ-」 本日公聴会が終わった。今から24時間前、「もう明日の今頃は終わってるんだよねぇ」と言っていたのがずいぶん昔のことのように感じる。今回の作業が全く進まなかったとき、「あの時」の記憶がよみがえってきた。やることはわかっているし、ただそれに取り組めばいいだけ。でもどんなに時間が経っても終わらない。どこかで味わったことのあるモヤモヤ感というか、上手くこなすことの出来ない自分への苛立ち。
・・・そう、1年前の
パンフレット。どうしてそうなるのか、そうにしか出来ないのか未だにわからない。とにかく分かっているのは、これからずっと「彼女(私)に殺されかけた」と先生に言われ続けることだろう。なにせ、公聴会当日の朝の7時過ぎまで先生を学校に拘束してしまったのだから。でもおかげさまで時間はオーバーしたものの、なんとか無事発表を終えることが出来ました。先生本当にご迷惑おかけしました。ありがとうございました。パネルはそうならないよう頑張ります。
岡垣頼和(制作)
「中世城郭関係遺構の解釈と復元-安土城見寺本堂の設計を通して-」 眠気眼をこすり携帯電話を耳にあてる。懐かしい声が電話の奥から聞こえてきた。声の主はチャックさんだ。公聴会を明日に控え、準備で意識が朦朧としている私たちを気遣って応援の電話をくださった。とたんに朦朧としていた頭がさえ、片隅に置き忘れていた初心の記憶が走馬灯のように駆け巡った。

私にとって「公聴会」は憧れのステージであった。チャックさんをはじめ、歴代のasalabの卒業生が発表する姿は、カンロクがあり輝いてみえた。自分もいつかこうなるんだ!という意気込みで卒業研究に取り組んできたが、後輩の目には果たしてどのように映っただろうか。
正直、何度も挫折しそうになったのを覚えている。成果を得るために飛び出した大海は、想像以上に荒れるに荒れ、進んでは押し戻され、進んでは押し戻された。ついには船が転覆しそうになるほど傾く。その度にasalabのメンバーに支えられた。我らが船長は厳しくも常に暖かかった。その協力のもと、あきらめなければ到達できるという信念を胸に、再び航路を割り出し、ひたすら目標に向けて猛進してきた。
本日の公聴会は、穏やかに着港した。しかし海が荒れれば荒れただけ、航海はドラマティックになり、大きな財産となる。あとは運んできた荷を降ろすだけだ。この荷を最終的にどのようにアピールするか、最後の最後まで気を抜かずにやり遂げたい。
福井浩人(制作)
「続・加藤家住宅修復プロジェクト -縁の修復-」 本日ついに卒業制作・論文発表会を迎えました。これまでの準備期間、皆さん本当にお疲れ様でした。当日の雰囲気は前日準備のため、ゼミメンバー皆、相当疲労が伺える様子。私自身はというと、体は疲労しているのにもかかわらず、不安と緊張で結局不眠のまま、この日の朝を迎える事となりました。まず、論文組二人から。トップバッターの部長さん、続いてヒラさんと、二人ともとても素晴らしい発表でした。不眠不休の中お疲れ様でした。続いて、制作組のエアポート君と私ピヴォの発表です。直前に発表した研究室のエース、エアポート君の完成度の高いプレゼンに圧倒され、相当プレッシャーはありました。公聴会席の雰囲気も相当高ぶっていましたし…。そんな中で研究室のトリとなった私。
いざ向かった本番。心臓はバクバクで、無心に発表していたため、周りの状況など確認する余裕もなかったです。極度の緊張で自分でも声が震えていたのが分かり、何とか踏ん張り発表を終えたのです。先生方からの質疑応答では、やはり修復における構造的な部分についてご指摘され、私自身の力のなさを今一度感じました。また、スライドの一部で、どの位置からのアプローチなのか、説明が伝わらなかった部分もあり、やはり詰めの甘さが目立ってしまいました。
発表後、教授には「いい発表だった」とお言葉を頂いたのですが、実際に私がおこなった修復に対しての評価と、教授から投げかけてくださった言葉とのギャップにいささか戸惑いは感じています。私の加藤家修復作業はまだ続きます。ここで気を抜いてしまえばこれまで応援してくださった皆さんに顔を合わせられません。次の卒業展示会までにしっかりした準備を行いこの卒業制作を全うしたいです。何はともあれ無事公聴会を終えたのです。この日駆けつけてくださった研究室OBやホカノさん、徹夜明けのゼミ3年生メンバーもお疲れ様です。そして教授には、お忙しい中、前日の発表練習のご指導から当日と本当に感謝いたします。皆様、ゆっくり休んで、また明日から卒業までの期間を充実した日々としましょう。

*秋の「
中間報告会」の感想と比較してみるとおもしろいかも??
[2008年度卒業研究公聴会を終えて]の続きを読む
- 2009/02/15(日) 00:34:49|
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大学の教師とは自由気儘な稼業だと羨望の眼差しでみられている方も少なくないでしょうから、いかに苛酷な労働を強いられているのか、お話ししましょう。
12日の夕方、ようやく
JTBでの手続きを終え、大学に戻りました。この日は2回目の卒業研究&修士研究のプレゼン練習を午後6時スタートと決めていたのに、間に合ったのはエアポート一人だけ。これは30分で片づいた。ピヴォは前日の出来の良さからして、苦もなく完成させていると期待していたのだが、昼間に公聴会場設営の準備があったらしく、まだ作業を残していた。すでに何度もプレゼン練習したはずの院生は「出来ていません」としか言わない。「なぜ?」と問うても、いつものとおり、じくじくうだうだぶつぶつ・・・一方、女子2名は午前に大学院入試があったので執行猶予とした。
気持ちを切り替えた。後期の成績入力〆切が近づいているので、レポートの採点を急ぎ、その作業を終えたのが8時過ぎ。お腹がすいたので、夕飯でも食べに行くか、と部屋をでた瞬間、院生があらわれ、「プレゼン、みてください」と言う。「あぁ、分かったよ」と答えたのが運の尽きでした。なんでこないに出来が悪いのか・・・指導は2時間に及び、時計の針は10時をまわった。
みなさん、分かるでしょ。腹がへると、腹が立つのです。院生は捨て置き、ピヴォの車で夕食に出掛けた。初めは牛丼ぐらいと思ってたんですが、2時間の指導でへたりきり、ストレスが溜まってたので、「よっしゃ、焼肉!」ってことになり、ピヴォと二人で肉とホルモンとキムチを食いまくりました。好物のマッコリも2合ばかり飲んで、ようやく体力回復。ストレスも解消して大学に戻り、ピヴォのプレゼンに合格点を出した。そして、
籐のベッドに横たわり、ヘッドフォンから流れてくる
ジョアンナ・ウォンに癒されながら、
魔法のヴェストを頭に被るとたちまち眠りに落ちた。これが深夜12時。日付変更。目覚めたら13日の3時で、部長はすでにパワポを完成し、わたしの起床を待っていた。
「起こそうとも思ったんですけど、よく眠ってらっしゃったんで起こさなかったんですよ」
あったりまえだぜ。あそこで叩き起こされたら暴れてますよ。で、部長の指導に1時間費やした。相変わらず、パワポ画面に文字が多く、その棒読みばかりだから、
「つまらない。ピヴォのプレゼンのほうがずっと良かった」
と酷評してお終い。残るはキム姉だけ。ここで午前4時だから1時間指導すれば5時には帰宅できる。しかし、いつまでたっても「お願いします」という依頼がこない。業を煮やしたわたしは、午前6時になって、
「世の中には限度てぇものがござんしてね。わたしゃ、もう帰ります」
と最後通告。結果、未完成パワポをチェックすることになり、これまた指導に1時間以上要して、早朝7時20分、ようやく帰途についたのです。
[公聴会前夜]の続きを読む
- 2009/02/14(土) 02:55:09|
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じつは最近ちょっとぐれているというか、すねているというか、精神状態があまり健全でないため、仏の教えにすがろうとネパール行きを決心したんです。ネパールに入国するにはビザが必要でして、奈良からパスポートを送ってもらいました。大学に届いたパスポートをもってJTBに行ったんですが、JTBの待ち時間たるや尋常ではありませんね。とても耐えきれなくなって、いったん外に飛び出し、近くの「夢や」で塩ラーメンをたいらげ、戻ってきてはみたものの、待ちの状況に変わりはなく、考えに考えたあげくの果てに、今日も
雀士と化して時間を潰すことになってしまいました。
相変わらず連戦連敗で、どうしようもないと諦めかけた最後の最後、両翻でアガッてしまい、それから断続的に勝ち続け、ついにわたしは遠いとおい
彼岸まで達してしまいました。ご存じの方はよぉくご存じでしょうけれども、麻雀ゲームにはエロチックな画像が付随しておりまして、勝てば勝つほどそのレベルが上がっていき、ついにはゴールに達してしまうのです。ゴールで何がみえるのかは、そこに達した者しか分からない。ついにわたしはそれを知ってしまったのですが・・・ふふふ、べつにたいしたもんじゃありませんので・・・雀士たるもの、不純なおまけなど、どうでもよい。われわれはただ勝負の世界に生きているのです!
さて、ゴールに達してしまったからには、ゲームは終わりかと思いきや、なおポイントはありあまっており、わたしは彼岸の世界を泳いでしまいました。彼岸で遊んだわけですから、いまさら仏の教えを授かるまでもないのですが、ネパール行きの予約は済ませており、キャンセル料なんか払うのはヤなんで、三たびJTBに戻って、なんとか必要な手続きを済ませましたよ。
そのJTBのカウンターで電話のベルが鳴ったんです。これには驚いた。理事会で新学長の決定が延期になった、という知らせでした。そのニュースが早くも新聞記事になってしまいましたよ。
両候補不信任過半数という異常事態に対して、理事会が安易な解をださなかったことに感謝したいと思います。
というわけで、煩悩は深くなったり浅くなったりの繰り返しです。とりあえず単騎じゃなかった、短期は損気ということで、3月初旬に1週間ばかりネパールに行って来きます。
彼岸で泳いできますが、きっと寒いんだろうな・・・
- 2009/02/13(金) 13:00:16|
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虹の彼方には、やはり何もなかった。依然、連戦連敗・・いやいや今日は1回アガッたぞ。1翻だけだったけど、前にご紹介した両単騎待ちでツモりましたよ。でも、隣に坐っていた爺さんは、30ポイントも貯めていたな。あの台に坐りたいのに、昼下がりには必ずだれかが陣取ってる。
午後から、卒論公聴会の練習1回め。予想以上に時間がかかった。最初の二人は一人1時間以上を要した。夜の日豪戦に間に合うかどうか、心配になってきたのだが、3番目のエアポートから盛り返し、4番ピヴォの出来が思いのほか良かった。ここで6時だっただろうか、ピヴォに「サッカーを視にいこう」と誘った。キックオフまでの時間を利用して、院生の修論プレゼンも聞いたのだが、聞かなきゃ良かったな・・・あえなく撃沈です。
総じて言えることは、中途半端な勉強をして、余計なスライドを突っ込みすぎている学生は駄目ですね。ストーリーにあわせて枚数を圧縮しないといけない。そもそも、画面の文字を棒読みしているようでは話になりません。下書きの棒読みもいけません。

というわけで、7時過ぎに「
カナイチヤ」に入店。すでにサッカー・フリークで満席、坐る場所もないんじゃないか、と心配していたのだが、さすが鳥取、店内にはマスター以外だれもいなかった。おかげさまで、わたしとピヴォと院生(運転手)は大画面の正面カウンターにドガンと腰を下ろした。キックオフは7時20分。その前後に、客がぞろぞろあらわれ、「サッカー・サポーターの店」らしいムードに変わっていった。
日豪戦については、普段のアジア勢との試合に比べれば、たしかにレベルの高さを感じたが、それほどハートに訴えてくるものがない。試合開始前から「勝てない」と予想していて、実際「やはり勝てない」と感じながら画面をみていた。
日本代表のピークは過ぎた。「黄金世代」と呼ばれた日本最強の少年たちは30前後のオヤジになり、中村俊輔を除いて代表のピッチに立っていない。その中村が目立たない。中村がゲームを作れない、あるいは、中村にゲームを作らせないのが欧米の強豪たちであり、日豪戦もその通りになった。ゲームメーカーとしての中村が潰される場合、中田英寿のことが思い出される。
先日、BSのW杯予選特集で、ずっと岡田監督がインタビューされていて、アナウンサーが「最後に中盤に戻って、どうしてもはずせない選手がいますね?」と質問したとき、岡田はとっさに目をむいて、
「中田ヒデ、ですか?」
と答えた。アナウンサーは遠藤のことを聞きたかったのだ。それからしばらく遠藤の話題になったが、岡田の頭の中からヒデが消えていないことを物語る映像が瞼の奥に残ったまま消えなかった。
[日豪戦評]の続きを読む
- 2009/02/12(木) 12:45:05|
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今日もまた昼食をダシにして喫茶「道」に入り、雀士と化した。連戦連敗。昭和のコンピュータ、恐るべし!・・・「
玄人のひとりごと(Ⅱ)」を書いた翌日、5連勝!という驚異的な記録を達成したのをピークにして、調子は下り坂に。ついに、今日は全敗、である。
大学に戻り、車をロータリーに沿って回転させていると、雨上がりの曇り空にあざやかな虹がみえた。駐車場でも、見知らぬ3名の女子学生が空をみていた。
「綺麗な虹だね」
と語りかけると、彼女たちは即座に答える。
「ふたつあるんですよ」

わたしは再び曇り空に目をむけた。ほんとうだ。鮮明にスペクトルを映し出す虹の手前にうっすらとした虹がかかっている。こんな現象をみたのは生まれて初めてだったから、郵便物をうけとった後、総務課の職員さんに「虹が二つもみえるよ!」とお知らせしたら、窓際に坐っていた幹部たちは、いっせいに立ち上がって振り返り、窓を開けて空をみあげた。
「違う、ちがいます。駐車場のほうからこちらを向かないとみえませんよ・・・」
その虹もまもなく消えてしまった。華の命は短くて、虹の命も短いの。なんて儚いの、この世界・・・だって、「
実体はない」んだもの・・・
イズラエル・カマカヴィヴォオレというハワイのミュージシャンをご存じでしょうか。体重が340キロもあったという方でして、1997年に48歳で亡くなられました。イズさんを一躍有名にしたのが「虹の彼方に Somewhere over the Rainbow」だったんですね。この、ウルトラ・スーパー・スタンダードの名演は数しれずありますが、この曲のカバーでスターダムにのし上がったミュージシャンはそう多くはないでしょう。素晴らしい声をしています。透き通っている、というのは、こういう声をいうんでしょうね。甲高いウクレレのコード・ストロークに透き通った歌声。虹の彼方の
浄土にあなたを連れっていってくれるでしょう。
- 2009/02/11(水) 10:57:37|
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研究室の電話が変わった。突然、FAXがプリントされなくなったので、インクを替えてみたのだが、やはり印字してくれない。総務課施設係のHさんにも来てもらい、カートリッジを替えたり、リセットしたり、いろいろやってみたのだが、FAXデータのメモリが印刷されることはついになかった。
Hさんは最初から電話機そのものを替えるつもりでいたようだ。ごらんのとおり(↑)、小さくてスマートなデザインの真っさらな電話機が電話台にのった。古時計のような手あかのついた電話機(↓)は電話台いっぱいの大きさだったのだが、こんどのは小さい。凄いな、と思ったのは、受信したFAXを画面でプレビューできること。この機能は素晴らしい。インクが切れても、受信したFAXを読めるんだから。財テク関係等、不要なFAXなら、プレビュー段階で消去することもできる。
子機も頼もしい。隣の学生演習室に子機をもっていって、携帯電話から教員室の電話をコールしたところ、学生演習室の子機がリンリン鳴った。その実験をしたとき、学生演習室にいたのはキム姉だけだったから、その他のゼミ生諸君、よく聞いといとくれ!
今後、出張等で長期大学を不在にする場合、子機は学生演習室においときます。いろいろ電話がかかってくると思いますが、「先生は**に出張中で、●月●日にお帰りになります」なんて答えてくれると助かりますよ。で、子機を私用に使ってはいけない、とまでは言わないけれど、電話番号の履歴はすべて残るので、まぁ、気をつけてお使いくださいませ!

↑開学以来、8年間お世話になった電話兼FAXです。籐のソファに坐ってもらいました。さようなら!
- 2009/02/10(火) 13:28:49|
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郡家駅の駐車場とは、ほんと相性が悪いんだなぁ・・・ついに血をみたのですよ。
いま、顔の真ん中、鼻と目の境目にカットバン貼ってます。3枚めのカットバンで、ようやく血がとまった。
話は5日の夕方に遡る。珍しくも、その日の午後、わたしは県の教育審議会に出席し、しゃべりまくりましてね。あんたなんか、もう出てこなくていいから、と思われるぐらいしゃべってしまった。会が終わって、そのまま鳥取駅からスーパーはくとに乗りたかったんだけれど、遅れに遅れていたD社縄文原稿の3校が届いているって連絡があったので、大学を経由しなければならなくなっちまった。大学からは郡家駅が近いので、まず駅に電話したところ、
駐車場が1ヶ所だけ開いているという。ラッキーだ。急いで郡家駅に行き、往復の指定割引券を買って駐車場を確保したんです。で、大学に寄ってゲラの封筒をバッグに納めて再び郡家駅に。さぁ、改札だというところになって、駅員が頼りなげに言うのですよ。
「本日、列車の故障があり、次のスーパーはくとは姫路駅止まりとなりました・・・
姫路駅で新快速にお乗り換えください!」
先週も、人身事故の影響ではくとは40分以上遅れたばかりで、よくもまぁこれだけトラブルの多い特急もないだろうと思うのはわたしだけじゃないですよね。で、「特急料金の精算は、どこでどうしてするんですか」って訊ねても、まともな答えは返ってこないの。事実上、これでパアですよ、つい半時間前に買った往復券が・・・すでに疲労は十分累積しており、新快速なんか乗ったら、ずっと立ちっぱなしの可能性もあるから、わたしは姫路から新幹線に乗り換えることにした。
本来、往復券を買い換えた段階で、車を駐車場に停める権利はなくなるのですが、流石に駅員も申し訳なさそうに、「今回は停めたままで結構です」と善意を示してくれた。
そして4日経ち、昨夜7時半、京都から最終のスーパーはくとに乗り、郡家まで戻ってきた。雪はまったく積もっていない。が、とても寒い。ただちに、熱いお茶のボトルを自販機で買い入れた。駐車場のいちばん端に停めていた愛車の窓ガラスには氷が張っている。やった、熱いお茶をぶっかければ氷を溶かせるぜ、と浮かれながら、電動キーのスウィッチを押したのだが、車は反応しない。何度押しても、車のロックは解除されなかった。仕方ないので、キーを突っ込んで右へ回した。なかなか動かなくて、しばらく抜けなくなってしまったが、なんとかドアは開いてくれた。しかし、車は動かなかった。
バッテリーがあがってしまってるのだ。以前、板井原でもバッテリーを切らしてしまったが、あれはトンネルで点けたライトの消し忘れ。今回のは違う。ライトのスイッチはオフになっている。ドアも閉まっていて、ルームライトの点けっぱなしではない。
寒かったのだ。寒さが電気を奪ってしまったとしか考えようがない。
ただちに学生たちに電話した。20分ばかりして、ピヴォとホカノが救援にあらわれ、コードを繋いで充電すると、すぐに愛車のエンジンはぶるぶる震え始めた。ただし、キーを切ると、また動かなくなる。しばらくエンジンをふかしているしかない。そして、車を出たり入ったりしながら作業していた一瞬、額に激痛が走った。開けたままにしていたフロントドアに顔がぶつかったのである。殴られたような感触と鈍器で切られたような感触の両方があり、タオルを鼻筋にあてると血がにじんでいる。傷口は深い。とりあえず、カットバンで血をとめて、なんとか大学まで戻ってきた。
部屋できれいに傷口を水洗いし、抗生物質をたっぷり塗りつけ、カットバンを貼り替えた。血はそれでも止まらなかった。またしばらくして、カットバンを貼り替え、なんとか出血は納まった。
車はずっとエンジンをとめていない。いま午前2時半。これから帰宅します。大学に戻ってこれるだろうか。
- 2009/02/09(月) 14:36:48|
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先月の中旬に珍しく弥生町で飲んでいて、3軒めに「カナイチヤ」というショットバーに連れていかれた。ガイナーレをサポートしているお店だとのこと。いつか
述べたように、最近はどこもかしこもBGMにジャズを流している。ジャズと言えばバーボンだ。ロックで注文した(どうしてジャズじゃなくて、ロックなんだろう?)。しばらくして、女性ボーカルの歌声が聞こえ始めた。ジャズっぽいバラードが続き、ときにアコースティック・ギターを刻む音が聞こえる。声は大人っぽくて、アンニュイな色香を漂わせていた。歌い手はおよそ想像がつく。
「これ、ノラ・ジョーンズでしょ?」
と、マスターに訊ねたところ、かれは首を横に振って、CDのジャケットをもってきた。ちょっと神経質っぽい目つきをしたアジア系の美人の顔が大写しになっていて、そのボーカリストの名は
ジョアンナ・ウォン(王若琳)、アルバムのタイトルは
『スタート・フロム・ヒア』(2008年6月)となっている。さっそく、携帯メールにメモして、自分のパソコン・アドレスに送信しておいた。
ジャケット裏の値段をみると、税込2,548円と記してある。
「わたしはかなりなペースでCDを買うほうの人間ですが、
こんなに高いCDを買うことはめったにないですね」
マスターは驚いた顔をした。実際、アマゾンでCDを検索する際、
輸入盤や中古品を物色すれば、1,000円以内で相当良いアルバムが入手できる。
「たぶん、このCDも半額近い値段で手に入りますよ」
とそのとき豪語した。いまアマゾンの購入記録を確認したところ、1月21日に注文していて、中古CDの価格は1,680円、送料340円をあわせて2,020円なり。わたしにしては大枚をはたいたCDに属するだろう。
それもそのはず、日本語の詳しいライナーノーツ、対訳付きの歌詞カードブックに加えて、日本版ボーナストラック2曲付き。ボーナストラックはさておき、ライナーノーツや歌詞カードなんてあってもなくても同じようなものだ。オマケなんてなくていいから、単価を安くしてほしい。
でも、まぁせっかくだから、内本順一氏の書いたノーツを引用させていただくと、ジョアンナ・ウォンは1988年8月1日、
台湾に生まれて、生後まもなくロスに移住したのだという。録音時で19歳、という若さにまずは驚かされる。大学で言えば2年生なんだからね。それで、これだけ大人っぽい音楽を作れるのか、とただただ脱帽している。
最近は
選挙の関係もあって慌ただしかったのだけれども、夜も深まり一人になると、
籐のソファに横たわり、ずっと彼女の声に癒やされていた。決してお世辞ではなく、わたしはノラ・ジョーンズよりも、ジョアンナ・ウォンのほうが好みですね。もちろん容貌が、ではなく、音楽が、ですよ(いや、容貌もかな??)。
少し値段のはるCDだけれども、日本版のボーナス・トラック2曲はありがたかった。「レッツ・スタート・フロム・ヒア」と「ロスト・イン・パラダイス」の中国語バージョンで、前者は「迷宮」、後者は「有ニィ的快楽」と題されている。いや、良いですね。英語バージョンとは違った魅力がある。不思議なことに、英語バージョンの対訳は許可されているのに、中国語バージョンの対訳は「アーティストの意向により掲載しておりません」と附記されている。へへへ・・・ここに訳して掲載してやろうか、なんて思ったりしたんですが、著作権法違反で訴えられるのでやめときます。
それにしても、こういう凄い新人ボーカリストのCDをお店で流している「カナイチヤ」はアドレナリン、じゃなかった、あなどれませんね・・・また、行ってみるかな・・・日本対オーストラリア戦のライブが視られるかもしれんもんね。
- 2009/02/08(日) 03:52:20|
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「光陰矢の如し」と言いますか、「Time Fades Away」と言いますか、早くも卒業研究公聴会のシーズンになってしまいました。今年も4人が大学を去っていくのかと思うと、悲しくて悲しくて、とてもやりきれない、このやるせないもやもやをだれかに告げたくなったりしていたところ、エアポート君だけでなく、部長とヒラさん(別名キム姉)が公聴会前日に大学院修士課程一般入試Ⅱ期を受験することになり、うまくいけば4人中3人は大学院で研究活動を継続する可能性が高まっています。これで研究室の持続的発展も期待できるでしょう。公聴会前日の入試はきついでしょうが、頑張ってください。
さて、以下の通り、
2月13日(金)に卒業研究の公聴会が開催されます。今年もまた質の高い研究としてまとまりました。学内外のみなさま、ぜひともご来聴ください!
a. 卒業論文部門 会場: 15講義室13:20-13:40 1052007 今城 愛
「文化的景観としての中世山城と城下の町並み
-若桜鬼ヶ城とその周辺環境を中心に-」
Medieval Castle Sites and Castle Town's Townscape as
Cultural Landscape -Mainly about Wakasa Onigajo
Castle and its Surrounding Environment-
13:40-14:00 1052018 木村 歩
「限界集落と文化的景観
-三朝町中津と智頭町板井原のケーススタディ-」
Marginal Hamlets and their Cultural Landscape
-Case Studies on Two Villages, Nakatsu and Itaibara-
b. 卒業制作部門 会場: 学生センター多目的ホール1 15:30-15:50 1052009 岡垣頼和
「中世城郭関係遺構の解釈と復元
-安土城見寺本堂の設計を通して-」
Interpretation and Reconstruction of Architectural Ruins
Excavated in Medieval Castle Sites-Through the Design of
Soukenji-temple Main Hall in Azuchijyo-castle-
15:50-16:10 1052045 福井浩人
「続・加藤家住宅修復プロジェクト -縁の修復-」
Reconstruction of corridor’s handrail by self-build and
zero-emission in the Kato Family's Residence

↑完成した加藤家住宅ツノヤ縁の修復。1月10日の
報告以降、大引と根太の接合関係に不具合が生じ、再解体して大引を修正加工し、金物補強で根太の接合を強固にしました。ピヴォ君、お疲れ様でした!
加藤家住宅の最近の修復活動については、「
倭文日誌」をご参照ください。
- 2009/02/07(土) 03:46:47|
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2月2日の月曜日、4期生のとまとさんが凄いお土産をもって研究室にやってきた。まぁ、みてください。加古川で有名なミルクプリンとミニ・ケーキでして、美味しいのなんの・・・とくにプリンはそんじょそこらのものではありませんよ。いや、とまとさん、ほんとうにありがとう!

とまとさんは、兵庫県の某工業高校で
実験助手をしていましたが、契約は1年でして、いま就職活動中。そういえば、そういえば、某財団の事務職員の募集があったぞ。ということで、さっそくその募集要項を渡しました。事務職ではありますが、トマトさんが在学中に取り組んだ倉吉町並み調査とか「
谷口ジローの風景」研究と結びつく職場なので、なんとかパスしてくれないものか、と願っております。じつは、その財団の長をされているお方は、わたしが高校1年生のときの担任の先生でして、さらにじつはじつは、先週、たまたま期末試験の補助監督の仕事があたっていて教室に出向いたら、講義の担当(非常勤講師)がその恩師であることを知り、仰天した次第です。お目にかかれて、とても嬉しかったですね。そんなめぐり合わせがあり、とまとさんがなんとかその財団に勤務してくれるようになれば、と祈っている次第です。

とまとさんから同期のハルさんのことも聞きました。ハルさんは、わたしの反対を押し切って、あるNPOで働くようになったのですが、やはり1年で辞めて沖縄に帰ることになったそうです。安月給で多忙で、3度の飯より大好きな書道もろくにできないと、愚痴っているとかつてホカノが教えてくれましたが、沖縄に帰れば、晴れて実家の書道教室の先生だからね。ハルさんの作品は全国区レベルの大会で何度も入賞してるんですよ。日本を代表する書道家として大成されんことを祈念いたします。
沖縄に帰る前に一度は研究室に顔を出してくださいな!
- 2009/02/05(木) 01:20:25|
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