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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

第11回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

02簀戸はまる01遠景


 どーも、就職活動に汗を流しているガードです。25日のプロジェクト研究1&3「古民家のリサイクル-カマド復元と蕎麦打ち-」第11回の作業分担は以下のとおりです。

1.カマド火入れ班
 ①カマドで実際に火を焚きひび割れなど起きないか確認
 ②七輪でも同様の確認をする

2.古代米班
 ①「歩け、あるけ、アルケオロジー」で作った弥生土器を使い、古代米をカマドで炊く
 ②白米と古代米を8:2の割合で混ぜ、洗米。
 ③洗米後、土器で煮る。
 ④1時間ぐらいで完成

古代米


3.そば練習班
 ①そばの殻をすり鉢を用いて粉にする
 ②市販のそば粉を使い実際にそばをつくる
 ③そば粉と小麦粉をふるいにかけ、混ぜ合わせる
 ④混ぜ合わせたものに水を加え全体に水が馴染むように手で練る
 ⑤まとまってきたら体重を使いつやがでるまで練り込む
 ⑥つやがでたら円盤型に手で均一に延ばし打ち粉をふるい麺棒で延ばす
 ⑦麺棒で延ばし四角形の形に延ばせたら打ち粉をふるい折りたたむ
 ⑧折りたためたら端から切る
 ⑨沸騰したお湯に入れ1分間茹で、水で洗い完成

そば練習1


4.建具・式台調査班
 ①建具調査は前回に引き続き建具を出し、元の場所にはめる
 ②建具が元の場所にはまらなかった場合は実測をする
 ③式台調査は魯班営造学社技術員2名が主体となり実測調査
 
 建具・式台調査1 建具・式台調査2


5.パワーポイントの作成
  ①1・2年生は各担当作業が完了したら、今までの写真のデータをPCにダウンロード。
  ②各分担予定のパワーポイントを作成開始!

10湯沸かし01背面



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  1. 2009/06/30(火) 00:08:45|
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『紅楼夢』第6章

第6章 元妃の里帰り
p.36-40: 今城訳

1.  賈政(賈宝玉の父)の誕生日その日、栄国府・寧国府の一族が集まり、一緒にお祝いを
    した。この時、一人の大監(宦官)が賈政に対して皇宮に出仕するように伝令した。
    なんと皇帝は、賈府から長年後宮に入っている元春という長姉を賢徳妃(側室)
    として封じ、さらに元妃(元春の妃名)が元宵節に帰省することまでも許したのである。

2.  賈政は(甥の)賈を呼びにいった。賈が帰ってきた後、鳳姐(王熙鳳=賈の妻)
    は人を呼んで酒と料理を運んで並べさせ、2人はいすに腰掛け食事をした。
    鳳姐は尋ねた。
      「旦那様はあなたを行かせて何をさせようとしているの?」
    賈は言った。
     「まだ建てられていない省親園(里帰りを迎えるための庭園)の用事だよ」

    【セリフ】 鳳姐「旦那様はあなたを行かせて何をさせようとしているの?」
          賈「省親園を建てる件を相談するんだよ」

3.  省親園が竣工して、賈政は多くの客人を引き連れながら庭園を歩き回り、
    みなに庭園の名前を考えさせて、しばらくして扁額に名を書き込んだ。

    【セリフ】 賈政「先に皆様の字を書いていただき、元春が帰って来てから
             決めましょう。」

4.  まもなく貴妃が省親園に着こうとしているころ、賈政は走り出てくる賈宝玉
    を見た。かれは賈宝玉の才能と学問を試そうと考え、ただちに宝玉を自分
    とともに園内を散策させることにした。

5.  門をくぐるとすぐに小山が目に入り、眼前を遮っている。賈宝玉は一刻
    思案して、「曲径通幽処」という題字がすらすらと口から出た。

    【セリフ】 客人「絶妙!絶妙!最高にすばらしい!」

6.  それから、賈宝玉は各所の景色に感応して、古典から語句を引用し、
    扁額や対聯の題字を考え出した。多くの人が瞠目せざるをえなかった。

7.  庭園を出ると、賈政の若い付き人たちがやってきて取り囲み、賈宝玉の
    ものを奪って言った。
    「若旦那は今日散々目立ったから、私たちにごほうびを与えるのが当然です。」

8.  林黛玉は賈宝玉が自分の作った巾着を若い付き人に与えたと思ってとても怒り、
    まもなく賈宝玉にあげようとしていた自作の匂袋を、はさみで切ってしまった。

9.  賈宝玉は巾着を(衣服の奥から)取り出して言った。
    「君、これが何か見てごらん、君が私に物を作りたくないと思うなら、
    この巾着もお返ししますよ。」

10  林黛玉は雨のような涙が流れるほど取り乱し、はさみでまた巾着を切ろうとした。
    賈宝玉はあわてて身をひるがえらせ、巾着を奪い取り、
    「妹よ、あれこれ言わないでおくれ。」
    と謝った。とても長いあいだ謝り続け、2人はやっと元通り仲良くなった。

11. 元宵節(小正月)の夕方になって、元春は金色の屋根と鳳凰の刺繍がついた
    駕籠に乗って賈府に到着し、周囲に大監の列が一隊一隊付き従っていた。

12. 駕籠が省親園に入ってから元春は駕籠を降り、船に乗った。両岸の美しい
    景色を見て、彼女は感嘆せざるをえなかった。
    「なんて豪勢なの!」

13. 船が岸辺に着いた後、元春は庭園を出て、賈母(賈政の母)の部屋の中に到着し、
    跪拝の礼をしようとした。賈母はあわてて先にひざまずいて(元妃を)おしとどめた。

14. 賈政は元妃に拝礼して言った。
    「庭園の中にある扁額の題字は宝玉が書いたものです」
    元妃は大いに喜び、急いで賈宝玉にこちらに来るように伝えた。

    【セリフ】 元春「早く宝玉をつれておいで!」

15. 元春と宝玉の気持ちは母と子と同じだった。宝玉が拝礼した後、
    元春は彼を抱きしめて言った。
    「こんなに大きくなったのね!」

16. その後、元春は庭園中の名所に名を与え、「瀟湘館」「傷蕪苑」と書き記して、
    省親園を「大観園」と名づけた。

17. この時、1人の大監が言った。
    「お嬢様、宮殿に帰る駕籠を出しましょう」
    元妃は捨てがたい気持ちがあったけれども、心の痛みを抑えて庭を去っていった。


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  1. 2009/06/29(月) 00:02:30|
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ETC 危機一髪!

 オートバックスの言うことを従順に聞いておけばよかったのだ。先月、思い出したように、スタッドレスをノーマルタイヤに交換したのだが、タイヤの摩耗が著しいのでノーマルを買い換えたほうがよいですよ、と言われていたのだ。こういう場合、もちろん「大特価サービス」のタイヤがあることを教えられる。だから却って、わたしたちは業者のアドバイスを疑いたくなってしまう。そうでしょ?
 じっさい店長らしき男性は、「まぁ、あと半年ぐらいならもつかもしれませんね」という顔つきをした。もっと毅然とした態度で、タイヤ交換を薦めて欲しいものです。人命がかかっているのだから・・・なんちゃって、ほんとに危ないめにあってしまいましたよ。

01レスキュー01

 いつものとおり、今週も深夜11時半に奈良を出発。国道163号を西行して中央環状線に入り、摂津南のインターチェンジからETCのゲートを通って近畿自動車道にあがっていった。予定どおり、12時を少しだけすぎていて「深夜割引」がはじまっており、摂津南インターのETCスピーカーは半額の「250円」をアナウンスした。
 わたしは、そのとき『ゲッツ&ジルベルト』を聴いていた。まもなく、ボサノバの心地よいリズムに重いパーカッションのような振動が重なって聞こえ始めた。バスドラムのような、その振動は後方から伝わってくる。「パンクかもしれない」という不安がよぎりはじめ、アクセルを踏み込んでみたのだが、スピードは60~70キロまでしかあがらなかった。しかし、車はぶれることなく前方に進んでいる。近畿自動車道の路肩は狭いので停車するのも危険であり、なんとか中国縦貫道・梅田インターチェンジまでよたよたと車を運転し、ジャンクション手前のひろい安全地帯に車を停めた。
 左の後輪がパンクし、ずたずたに引き裂かれている。このとき12時23分ぐらいだったと記憶している。ただちに保険会社のロードサービスに電話した。10分後、「レスキュー車が30分以内に着きますので」という折り返しの電話があった。以前、鳥取県内でJAFのお世話になったことがあるのだけれども、2時間近く現場で待たされた。保険会社のほうがはるかに迅速な対応をしてくれる、ということだ。ところで、スペアタイヤに替えるぐらい自分でやれ、とお叱りを頂戴しそうだから、ロードサービスから受けた注意事項をお知らせしておこう。

 1) 最近、高速道路での人身事故が増えているので、ドライバー自ら高速道路内で
   タイヤ交換をおこなうのは危険。外に出ず、車内で待機していること。
 2) スペアタイヤのまま長距離走行するのは危険。鳥取まで運転するなど、とんでもない。

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  1. 2009/06/28(日) 00:18:22|
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アソックス 対 スローソックス

 円仁に関する発表を終えた19日の夕方、恒例のASALABデスマッチが裏の駐車場でおこなわれました。いつもは先生が誘われるのですが、この日は声がかかりません。仕方がないので、学生たちがタクオさんを誘って先に駐車場に出て「鳥かご」をはじめました。
 先生はいくらたってもあらわれせん。そこで、教授室まで迎えにいったところ、先生は例のソファでぐぅぐぅお休みでした。なんでも、深夜のETC走行に備えて体力温存中だったようですが、生来のサッカー好きですから、寝ぼけ眼でジャージに着替え、駐車場におりて来られました。

 夕闇せまる7時半、ゲームが始まりました。この日のタクオ・チームはガード、黒帯、轟。一方、教授チームはアシガル、武内、黒猫。体育会系の多いタクオ・チームがあきらかに有利にみえますが、教授は「これでいいよ」と素っ気なく答え、キック・オフ。
 寝ぼけ眼の教授はしばらくゴール前で動かず、ピンチになると、ゴールの前に横たわったりしていましたが、まもなくタクオ・チームが先取点をゲットし、狂気乱舞!
 しかし、ここで教授は大声で自軍を鼓舞しました。

   「心配するな! われわれがオーストラリアで、敵が日本だ!!
    われわれは必ず逆転するぞ!!!」

 その後、数分で教授チームは1点を返し、同点に。ここで教授チームの学生たちが嬌声をあげ、狂気乱舞したところ、教授の一喝。

   「騒ぐでない。しれっとしてろ。1点とっても当たり前だと思え!」

 それからの展開は一進一退。ガードとわたし(黒帯)はそれぞれバスケ部、空手部に属していて、運動量では敵チームを圧倒するのですが、なにぶん先日のオープンキャンパス・デスマッチで削りあった仲でして、コンビネーションがもうひとつ・・・ここを教授に突かれ、

   「あの二人は赤い糸で結ばれていない!」

 時間はどんどん過ぎていきました。あたりは真っ暗になり、教授はしばしば、

   「森はきらいだ」

とこぼすようになりました。これは「アシガル君が嫌い」という意味ではありません。ガードやわたしがクリアするボールが裏山の森に何度も飛んでいくのですが、教授は近眼と老眼の両方が入っていて、真っ暗な森に埋もれた濃紺のボールを探しだせないのです。そこで、またひと言。

   「闇夜のカラスだな・・・」

 仕方がないので、タクオ・チームの面々が探しにいくのですが、教授は探し出されたボールをうけとった瞬間、フィールド内の味方にパスを出すので、いや・・・大変でした。

 1点ずつ取り合って2対2のまま膠着状態が続きましたが、いつものように延長Vゴール方式へ突入。そのあたりから、教授は頻繁に攻撃参加するようになりました。そして、自軍ゴール前からカウンターのボールが右に開いていた教授に渡り、低いアーリークロスがゴール前のアシガル君へ。アシガル君がそのクロスをボレーであわせて、ゴール!!
 悔しいですが、教授チームが勝利したのです。そしてまた、教授の一言。

   「みたか、おれたちがオーストラリアだ!」 


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  1. 2009/06/27(土) 00:09:41|
  2. サッカー|
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円仁の風景(Ⅱ)

勧請開山

 19日のゼミでは、黒帯君が中国での円仁の活動、私は日本での円仁の活動について発表しました。私の発表のテーマと構成は以下の通りです。

   慈覚大師円仁 -山陰地域を中心にみるその足跡-

      1.円仁の生涯の略歴
      2.日本での円仁について
      3.山陰での円仁について(分布とそれぞれの寺院について)
      4.年表と関わりのある年との比較
      5.勧請開山について

 慈覚大師円仁は延暦13年(794)に生まれ、貞観6年(864)に71歳で亡くなった天台宗の僧です。大同3年(808)に15歳で比叡山に入山し、最澄の弟子となりました。弘仁13年(822)のときに最澄が亡くなり、翌年から12年間の籠山(ろうざん=山ごもり)を始めました。しかし、多くの僧に要請され、天長5年(828)に籠山を6年で中断し、日本各地での布教に転じたのです。天長10年(833)、病に倒れて比叡山の横川で3年療養し、のちに恢復。その後、承和5年(838)から遣唐使の一団とともに唐に向かい、円仁は9年間を唐で過ごし、承和14年(847)に日本へ帰国しました。翌年、平安の都へ帰り、さまざまな仏教の行事をとりおこないました。仁寿4年(854)61歳のとき、第3代天台座主となりましたが、その10年後の貞観6年(864)、71歳でその生涯を終えました。死後2年経った、貞観8年(866)に「慈覚大師」の諡号を贈られました。

 円仁は東北地方との関わりが深いようで、東北や関東には円仁が開山・再興したと伝える寺院が数多くあります。有名なところでは、東京の瀧泉寺(808年)、山形の立石寺(860年)、宮城の瑞巌寺(828年)などがあります。とくに立石寺には、円仁の遺骸を安置すると伝える入定窟(にゅうじょうくつ)があります。
 一方、山陰で関わりがあると伝承される寺院は、摩尼寺(鳥取市)、三佛寺(三朝町)、大日寺(倉吉市)、転法輪寺(東伯町)、大山寺(大山町)、清水寺(安来市)、鰐淵寺(出雲市)があります。摩尼寺、大日寺、転法輪寺は円仁の開山と伝わり、三佛寺は円仁が堂宇を建てて三仏を安置。大山寺は円仁が入山し、山岳仏教の修験場として栄え、清水寺と鰐淵寺は円仁が立ち寄ったことにより天台宗に帰依しました。

 それぞれの関わりのある年代を円仁の生涯と比べると、

  入唐以前 834年 摩尼寺  834~847年 転法輪寺
  在唐時   841年 大日寺
  帰国後   847年 清水寺  849年 三佛寺
  逝去後   866年 大山寺
            ※鰐淵寺は円仁が関わった年代が不明

 円仁入唐時もしくは逝去後に関わったとされる寺院については、「勧請開山」の可能性がきわめて高いと言えます。実際に開山に係わったのは円仁その人ではなく、円仁の弟子にあたる僧たちだったということです。円仁が比叡山にいた期間に係わったとされる寺院についても「勧請開山」の可能性があるでしょう。上に述べた東日本の瀧泉寺や立石寺、瑞巌寺でも、円仁の弟子たちが開山に携わったという見方があります。この問題については、今後もっと詳しく調べる必要がありそうです。山陰の円仁ゆかりの寺院も、もう少しあるかもしれないので、これから夏に向けて調べていきたいと思います。先生から夏休みの調査計画を練るように命じられています。(部長)



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  1. 2009/06/26(金) 00:06:43|
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円仁の風景(Ⅰ)

『入唐求法巡礼行記』から見えた中国

 19日(金)のゼミは、私の卒業論文「円仁の風景―山陰地域における平安密教の展開と文化的景観―」にむけての第一歩を踏み出した日となりました。研究の前提は三徳山にあります。三徳山の世界遺産暫定登録申請がうまくいっていません。文化庁からの評価は「カテゴリーⅡ」、残念ながら、今のところ、最低の評価に甘んじています。これは三徳山の文化財的価値が低いからではありません。申請の仕方に問題があるだろうと教授はおっしゃいます。

   「世界史的な視点が欠落しているんだよ」

というのが教授の見方であり、

   「円仁に注目すれば、この問題は一気に世界史の中に巻き込まれる」

とおっしゃいます。

 円仁は最澄の弟子であり、最後の遣唐使として中国にわたった僧です。最澄と空海は遣唐使として同じ船で中国に渡りましたが、天台山で修行した最澄の滞唐期間は約9ヶ月と短かかった。一方、空海は長安に2年と3ヶ月も滞在し、真言密教の奥義をきわめました。もともと空海は語学と文学に長けた才人で、帰国後、最澄と空海の扱いは雲泥の差ほど大きかったとも言われています。天台側としては、なんとしても、真言においつかなければならなかった。そこで、最澄に抜擢されたのが円仁であり、かれは遣唐使としてのビザが切れてからも唐に残り、五台山を中心に9年も修行して帰国します。円仁が著した『入唐求法巡礼行記』は世界の三大紀行文として評価されており、その研究もすでに相当蓄積されています。しかし、帰国後の円仁の活動に関する研究はそう多くはないようです。明日、部長さんが報告されますが、関東、東北を中心に円仁が再興もしくは開創したという伝承をもつ天台密教寺院は非常に多いのに、わたしたちの知る限り、それらを網羅的にとらえようという研究が進んでいるとは言えないようです。
 じつは、三徳山三仏寺や大山寺も円仁が帰国後、再興に係わったとされていますが、その実態が定かではありません。今年度のASALABの文化的景観に関わる調査研究は、円仁に光をあてて、日中の仏教諸山の「風景」を比較研究することになりそうです。この「風景」という用語は、司馬遼太郎の代表作『空海の風景』から借用したもので、教授によれば、たんなる景観のことではなく、歴史や文化などを総合した概念として使いたい、とのことです。
 今回の1回めの発表で、わたしはとりあえず『入唐求法巡礼行記』から読み取ることのできる円仁の足跡の概要をテーマとしました。一方、部長さんは山陰において円仁が関わった寺院をリストアップし、日本での足跡をテーマとされました。わたしの発表内容の目次は以下のとおりです。

  慈覚大師円仁 ―『入唐求法巡礼行記から見えた中国』―

   1.円仁の人物像
   2.入唐求法巡礼行記から読み取れる入唐中の動向
   3.五台山で円仁が訪れた建築の紹介
   4.付録 -懸空寺と応県木塔-

 私の読解力では文献の難度が少々高く、把握しきれてなかった箇所や資料の不備をたくさん指摘されてしまい、勉強不足を痛感しました。もっと努力しなきゃいけません。私も中国渡航や廃仏令などのさまざまな困難を乗り越えてきた円仁を見習い、卒業研究が良いものになるように妥協をせず頑張ることを心に誓いました。 (黒帯)


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  1. 2009/06/25(木) 00:03:28|
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第10回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

01蕎麦挽き03縁での作業03採用


18日のカマド修復活動についての1、2年生の感想文をお届けします。

コーヒーミルの魔力

 ぼくは、初めはカマド復元班として活動しました。カマドの本体は修復接合部分が新しくみえるので、古色塗りをしました。囲炉裏にある木炭で色をつけました。それでこすったあとに軍手で広げて程よい色にしていきました。先輩たちと1年のAくん、Nくんは土台設置班として活動しました。重い土台を気をつけて運び、不安定にならず平行になるように頑張っていました。土台を設置した後に、土台の上にカマドのパーツを置いて行きましたが、組み立ては順調には進みませんでした。これについては、「続き」を読んでください。カマド修復が調整を残すだけになった後、調整班と蕎麦班に分かれることになりました。
 蕎麦の実は、1年半前のP2&P4「歩け、あるけ、アーケオロジー」の際、岩手県の御所野縄文博物館長さんが送ってきてくださったものだそうです。これをどうしたら蕎麦粉にできるのか思案にくれていましたが、先週のぼくの発表でコーヒーミルが有効であることが分かったので、先生がわざわざ奈良の家からミルをもってきてくださいました。持ってきてくれたコーヒーミルを用いて行いました。自分が調べてきたとはいえ、そば粉を作った事なんてあるわけもないので、少し不安でした。今回は実験のつもりでおこなおうとしたのですが、コーヒーミルがすごい威力を発揮し、二袋あった蕎麦の実が短い時間で蕎麦粉と蕎麦殻に分離されてしまいました。

01蕎麦挽き01コーヒーミル01

 先生もこれには驚かれていました。先生は、ミルを使うと蕎麦の粒と殻が一緒に粉砕され、黒っぽい粉ができるだろう、とイメージされていたようです。ところが少量の蕎麦の実をミルで挽いたところ、殻と粉が分離したのです。先生は篩にかけて粉と殻を分離しましたが、殻の中にはさらに実を含むものがあるかもしれないと心配され、さらにもう一度殻をミルにいれて攪拌されました。すると、たしかに、少量ではありますが、粉がミルのなかにたまりました。これを再び篩にかけて殻と粉を分離しました。この実験により、ミルによる一番挽きで70~80%、二番挽きで10~20%の製粉がなされることが判明し、ミル挽きと篩かけは必ず2度おこなうことが決まりました。
 作業前は、あまりうまくいかないのではないか、と不安に思っていたのですが、結果は上々でした。殻が残ったので、この殻も砕いて出雲そばのような黒っぽい蕎麦も作ってみたいです。先生に教えられて初めて知ったんですが、蕎麦粉に加える「つなぎ」によって麺の切れやすさなど、麺に変化を与えることができるということでした。
 01蕎麦挽き02篩01 01蕎麦挽き02篩02 01蕎麦挽き02篩03

 最後に、プロジェクト研究の発表について話合いました。自分が考えてきたことと他の人との意見交換は大事だと改めて思いました。先輩は1・2年生7人分に割り振る目次をちゃんとまとめられていましたが、僕は内容を考えただけで、目次にまとめられず残念でした。先生にプロジェクト研究は自分で問題を見つけ、アイデアを考え、それをもとに先生からアドバイスをもらうものだと言われました。考えることの大切さを改めて感じました。次に、二年生と一緒に次までに用意するものなどを話合いました。ソバは十割、二八、出雲ソバ風、乾麺を作って食べ比べてみる方針にしました。そして、どこの項目を発表するかも話ました。このプロジェクト研究ももう少しで終わってしまうので、最後の発表は過去の先輩と引けをとらないように頑張りたいです。(環境マネージメント学科1年 H.R)


カマド正面


 
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  1. 2009/06/24(水) 00:02:45|
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第10回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

03記念撮影001123

 6月18日(木)。東京や沖縄などでは豪雨で大変な被害が出ていますが、鳥取では暑い日が続き、それによって川の水が少なくなり、水不足が懸念されています。そんな季節になりましたが、加藤家修復プロジェクトは暑さに負けず、頑張っています。
 さて、4月から約2ヶ月にわたり修復・復原活動を続けてきたしてきた加藤家のカマドですが、前回(11日)に完成の一歩手前まで手が届きました。しかし、板間の框が外れてしまうアクシデントが発生し、作業は中断してしまいました。そこで、昨日報告したように、今週の月曜日に魯班営造学社2名を中心にゼミ生4名が補助し、板間床構造の補強工事をおこなました。これで、板間の上にカマドを乗せても構造的なアクシデントが発生する不安はなくなりました。

土台調整


 今回のプロジェクト研究1&3も前回に引き続き、全メンバーが加藤家で活動しました。作業工程は以下のとおりです。

Ⅰ)土台設置班
 前回は板間の隅に土台を設置したが、板間の構造に大きな影響を与えることがあきらかになり、また、「石のナガシと石のカマドがセットで明治期の台所増設期に持ち込まれた」可能性があり、その歴史的意味から当初位置に設置することにしました。土台を設置し終えたら、土台の上に元々敷かれていた土を撒く。足りなければモルタル用の砂を使う(この工程は、カマド本体を安定させる意味がある)。

Ⅱ)カマド本体修復班
 前回モルタルで接着、充填した部分に炭などで着色し、乾燥したモルタルが目立たないようにする。土台の設置完了後、土台の上でカマドを組立て、空隙部分などについては、モルタル・セメントペーストを用いて接着・充填する。

Ⅲ)建具調査班
 建具の設置、内法・建具の寸法の調査をする。余裕があるようなら、建具を今後どう加工すれば良いのか、補足調査もおこなう。早く終わるようなら、式台の残りの部材について実測する。(実際には他班の活動記録をとる写真撮影係になりました、先週も、今週も)

Ⅳ)蕎麦挽き
 先週1年生が蕎麦打ちについて発表したデータに基づいて、蕎麦の実をコーヒーミルで攪拌してみる。

Ⅴ)プレゼンの目次
 自分たちが考えてきたプロジェクト研究発表の目次をそれぞれ発表する。先生の指導をうけ、目次を完成させ、発表担当を決める。

02カマド本体04モルタル接合



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  1. 2009/06/23(火) 00:08:36|
  2. リサイクル|
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田和山炎上

02田和山6月15日16時25分

 すでにご存じの方も多いであろう。今月15日の午後3時40分ころ、松江市田和山遺跡の復元住居で火災が発生した。原因はまたしても「燻蒸」である。2006年度に妻木晩田遺跡で2度におよぶ復原住居の火災があり、原因はいずれも復原住居内の燻蒸作業であった。燻蒸の目的は、煙によって屋根の湿気や虫を除去することにある。だから、「炎」は必要ない。炭火程度の、消えそうで消えないぐらいの火をできるだけ長い時間焚くことで効果があがる。燻蒸にあたるのはボランティアの方々で、専門的な知識をもっているわけではない。だから、管理側が燻蒸の意義と方法をこんこんと説明して、ときにそれを監督するため現場に出向くぐらいのエネルギーが必要である。
 当時の妻木晩田事務所には、そういう管理能力が欠落していた。同じ年度に2棟の復原住居を焼いてしまったのだから、こう批判されても反論できまい。妻木晩田の火災は田和山の関係者に衝撃を与えた。田和山は、妻木晩田に先んじて「燻蒸マニュアル」を作成し、ボランティアに配布・説明していたのだが、それでも、同じ原因の火災をおこしてしまった。わたしは、岩手県の御所野遺跡で、土屋根住居の焼却実験をおこなったことがあるので、土屋根住居の焼けにくさについては体験的に重々承知している。土で覆われた室内には湿気が満ち満ちている。だから、木材に火の粉が飛び散って付着しても、まもなく鎮火してしまう。土屋根に唯一焼けやすい部分があるとすれば、それは天窓である。煙出しの役割を担う天窓の小屋根だけは土を被せず、樹皮か茅の面を露出させるからだ。妻木晩田も田和山も天窓に着火し、火災が発生した。炉から最も遠い位置にある天窓に火をつけるのは容易ではない。天窓の葺材に着火したのは、燻蒸の火が「火柱」というほど高く立ち上っていたからである。妻木晩田の場合、桁に達するほどの火柱だったという。燻蒸の目的を、あきらかに取り違えている。「煙」を出すための焚き火でなければならないのに、なんの危機意識もなく、「炎」のための焚き火にしてしまった結果、その火熱が天窓を焦がしてしまったのだ。この作業をしていたのはボランティアだが、火災の責任がボランティアにあるとは言えない。責任はあくまで管理者側にある。かれらに油断があり、危機意識が欠如しているから不幸を招いのだ。

01田和山6月15日16時25分

 今回焼けてしまった土屋根の住居は、わたし自身の遺跡整備住居復元史のなかで画期をなす作品であった。田和山をてがけるまで、わたしは「防水処理」をほとんど頭におくことなく、縄文・弥生時代に使われた材料で純粋に建物を復原することだけに集中していた。その結果、各地の土屋根住居で漏水や腐朽が発生した。その現実を克服するために、田和山ではかなりハイブリッドな防水処理を施した。以下の3点である。

   1)周堤の地下部分に厚さ10㎝ほどのコンクリートをめぐらし、建物周囲の
     敷地から竪穴内部に水分が浸透してくるのを防いだ。
   2)床に硬い三和土を敷いて、地下水分の上昇を防いだ。
   3)土屋根の下地にあたる茅葺きの全体を防水シートで覆い、
     雨露の浸透を防いだ。

 この3つの防水処理はみごと奏功し、焼けた復元住居では漏水等はほとんどみとめられなかった。「土屋根住居は雨漏りして腐る」という批判に対して、田和山の復元住居は稀少な反例として圧倒的な存在意義があったのだ。また、造形的にも、妻木晩田初期整備の反省から、妻木晩田以上に完成度の高いものになったと自負していた。

03田和山01小屋組DSC03350


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  1. 2009/06/22(月) 00:02:04|
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床下補強活動

作業風景


 6月も半ばになり、今年も空梅雨なのでしょか、ギラギラと太陽の陽射しが突き刺さる今日このごろです。16日(月)は先週木曜日に問題化した床下の補強活動をおこないました。

 12日(木)のプロジェクト研究1&2「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(第9回)で土台を板間の隅に設置をしたところ、大引や根太、束などが外れてしまうという問題が発生しました。ここで教授の指示で、魯班営造学社技術員2名を核とし、今週木曜日までに床下補強をすることになりました。今回の床下補強活動の内容は以下のとおりです。

 ①板を外し修復箇所の検討
 ②束を既存の物を元に戻し、不安が残る部分には新しく束を増やす
 ③束や大引、根太などの不安定な箇所にはL字金具を使い補強する
 ④土台を置く予定の当初位置の板の部分の修復
 ⑤最後に板を元の場所に戻し完成

 まず、床板を外し補強の検討をしました。束は先の補強で2ヶ所増やしましたが、さらに2ヶ所増やすことにしました。この作業はピヴォさん、エアポートさん、黒猫君が担当し、L字金具を使った補強にはエアポートさん、部長さんが担当(部長さんには記録写真も担当してもらいました)、土台設置場所(原位置)の板間の修復をナオキさん、ガードが担当しました。

束設置班

床下もぐり はじめの束の設置はスムーズに進みました。前回増やした束2本を元の場所に戻し、他の既存の束も上手く戻す事に成功しました。しかし、ここで問題が発生しました。イロリ間側の束の修復は手が上手く届かなかったりし作業が難航しました。ここで活躍したのはピヴォさんです。狭くなかなか入りずらい床下に身体を上手く曲げたりしてするすると床下に潜って行きました。そこで狭いながらも作業をこなしていきました。さすがはピヴォさん感動しました。ピヴォさんのおかげで束は全て上手く設置が完了しました。


L字金具補強班

L字金具 L字金具班はL字金具で框がずれないように固定をしました。まず、框を木槌などを使って元の位置まで戻します。その後に框がずれない様にL字金具で固定。他にも束が少し不安定でこのままにしておくのは不安が残る箇所にもL字金具を用いて補強しました。


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  1. 2009/06/21(日) 00:02:54|
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オープンキャンパス・デスマッチ(Ⅱ)

03オーキャン03垂れ幕


削るサッカー

 私、ガードはオープンキャンパスの前半はバスケ部の活動に参加しゼミの活動に参加したのお昼が過ぎてからとなりました。バスケ部のメンバーと別れて我がゼミのブースに行ってみるとメンバーが明らかに少ない。いったいどうしたのだろうと考えているとロータリーから何やら湧き上がる熱気を感じた。すぐにロータリーに行ってみると何と我がチームASALABが熱気を大気に撒き散らしながらお茶を飲んでいた。すると私を見つけた教授は「やるぞ!」の一声で私はすぐさま着替え、途中参加で試合に加わる事になった。
 私は教授チームに加わる事になった。相手チームを見てみると1人みなれない小さなプレイヤーがいるではないか。すぐに教授チームのアシガル君に話しを聞いてみるとタクオさんが誘った少年だと判明。私は何かあの少年に感ずるものがあった。「彼はきっと上手い」私はそう思い後半に臨んだ。しかし、少年は後半が始まるとすぐに母親が迎えに来て帰って行った。私は彼のプレイをもっと見たかったので少し残念に思ったがすぐに気持ちを切り替えなくてはならなかった。それは、タクオさんチームが3人になったためタクオさん以外の2人にドリブルシュートが認められたからである。

04黒帯01


02オーキャン02サッカー01遠景03縦 私はすぐさま気を引き締め後半戦に望んだ。後半が始まるとタクオさん、黒帯君、轟君の猛攻が始まった。まず、黒帯君のロングシュートが決まり、このままではまずいと危惧した教授は「黒帯にマンツーでディフェンスだ」と指示がだされ、私はすぐさま黒帯君のディフェンスについた。私は黒帯君につくと激しいあたりで満足なプレイをさせないようにした。これは私と黒帯君は高校からの付き合いで休み時間になるとよく高校の仲間達とサッカーをし激しく遊んでいた。だから私はそれを思い出し黒帯君に激しく当たったのだ。私はついつい熱くなって心で思っていた「黒帯を削れ」という事を口に出してしまった。しかし、この発言を聞いた教授がその発言はイエローカードだと言われ、私は少し自重しようと思ったが、試合が再開するとすぐさま自重の文字が頭から消え、闘争心をむきだしにした牛のように黒帯君に突っ込んでいった。
 後半も中盤に差し掛かってくると徐々に黒帯君の動きにキレがなくなっていった。私はチャンスだと思ったが我がチームも足が止まっていった。アシガル君、武内君はシュートを狙うもタクオさんチームに阻まれ点が入らない。しかし、この時流れを変えたのは何と私だったのだ。アシガル君、武内君のパスに反応しダイレクトシュート!ゴーール。4対3でタクオさんチームに1点差に詰め寄った。ここから教授チームの逆襲がはじまった。何本もシュートを放ち、そのうち2~3本はゴールのマーカーコーンにあたったり、やや浮いていたりして微妙だったものだから、こちらのメンバーもやや弱気で(というか、みんな試合を続けたかったのだろう)、試合を続行した。
 後半も終盤に差し掛かり、足をとめていた奴が動き出した。その名も黒帯。ここまで激しくあたりボロボロになっていた黒帯君は私に逆襲の目をむけていた。すると、サイドで私の足とボールが瞬時に刈られた。黒帯君は一瞬のうち素早く動き逆襲してきたのである。黒帯君はそのままサイドを駆け上がりシュートを打ち放った。シュートはそのままゴールに入っていった。そして試合終了。

05轟き01




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  1. 2009/06/20(土) 00:04:00|
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オープンキャンパス・デスマッチ(Ⅰ)

01オーキャン01ブース案内01


かき氷の魔力

 オープンキャンパスに向けて、12日のゼミとその前後の時間を使ってに設営をおこないました。今年からメディア・センターのギャラリーをパーティションで区分けし、建築・環境デザイン学科の10研究室がそれぞれの研究内容を展示することになり、各ゼミが展示に例年以上に力を入れようと競い合いました。ASALABも研究成果を存分に詰め込んだブースが完成しました。たくさんのパネル、模型、報告書、弥生土器などを並べるのは大変でしたが、レイアウトに苦労するぐらい、さまざまな研究があるのは誇らしいことだと思います。また、通りすがりの他学科の学生や先生が思わず「すご~い」と言っていたのを偶然聞いたときはうれしかったですね!

01オーキャン02かき氷01

 そして、当日(14日)のオープンキャンパスではカキ氷やお茶がなかなか集客に効果を発揮しました。とくにかき氷はいいですね。かき氷を薦めててできあがるまで時間がかかるので、ブース内の案内がたっぷりでき、そのあとかき氷を食べているあいだにも雑談ができます。高校生との接触時間をながくできる有効な手段だと感じました。
 男子高校生二人組が、エアポート先輩の説明に興味深そうにうなずいていたのが印象的でした。他学科志望の二人だったのですが、先輩の説明とかき氷作戦が奏功し、「茶室」をみにいきたいと言ってくれました。是非見てみたいという積極的なノリだったので、これをキッカケに興味をもってデザイン学科に入ってくれたらうれしいな。それにしても、先輩は説明が上手で、素晴らしいなと感心しきり・・・

 昼食後、ついにチームASALABの公開試合を前庭で開催することになりました。べつにミニ・サッカーで遊ぼうとしたわけではありません。オープンキャンパスに参加する学生が多くないので、「キャンパスを歩いていても学生がいない」という印象を与えていてはいけないという危機感があって、あえてもっとも目立つ前庭でサッカーをしようと教授は判断されたようです。少しでも大学の活力を感じさせたい、というわけです。バスの停留場前だったので、効果はあったのではないでしょうか。

02オーキャン02サッカー03近景01


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  1. 2009/06/19(金) 00:02:29|
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盛況御礼!

00シンポ・タイトル

 ここ1年ばかり、すっかりビアンキに乗らなくなった。いろいろ理由はあるのだけれども、いちばんの原因は「引っ越し」である。田園町の宿舎には裏側にベランダがあって、洗濯物が干せたし、自転車の雨除けにもなった。ところが1年半前に引っ越した寺町の宿舎にベランダらしきものはない。やはり、日本住宅には「縁」とか「庇」などの、屋内と屋外の中間ともいうべき曖昧なゾーンが必要ですね。寺町の下宿に「軒先」があることはあるのだけれども、和風住宅の伝統を受け継いでいるとは思えない軒の短さで、自転車置き場としてはあまりにも頼りない。仕方ないから、自転車を2枚の竪簀で覆って雨露を凌いでいた。しかし、山陰の風雪は厳しい。気がつけば、竪簀は朽ち果てぼろぼろになっており、事実上、わたしのビアンキは雨晒しの状態になってしまった。当然、各所に不具合が生じ、とても乗れる状態ではなくなってしまったのである。
 廃棄処分すら頭の引き出しにいれながら、「ピオ」までビアンキをもっていった。自転車を分解して奈良に送り、代わりに解体・組立自在の小型電動自転車を購入し、寺町の狭い玄関に収納する方法を提案したのだが、電動自転車は高いですね。中国製の安物が通販等にでまわっているけれども、ピオという店は自転車の選別にプライドをもっていて、信頼できない品物は置かないという方針を貫いている。ビアンキを分解して奈良に搬送するのもなかなか大変らしい。さぁ、困った・・・考えに考えたあげく、駄目もとでお寺さんに頼んでみることにした。駐車場を借りているお寺さんの駐輪場にビアンキを置かしてもらおうというアイデアである。ありがたいことに、お寺さんは快諾してくださった。もちろん、ビアンキはピオでオーバーホールした。これで、なにもかも問題はクリアされ、翌日からわたしのビアンキ通学が復活したのである。
 やはり気持ちいい。ビアンキを漕いで風を切る快感を多くの人たちと共有したいと思う。ただ、わたしは毎日、自転車で通学しているわけではない。天候がよく、時間に余裕があるときでなければ自転車に乗れない。加藤家住宅で修復活動がある日は駄目、奈良に帰る日も駄目だ。結局、先週は月、火、土の3日、自転車で通学した。

01交流会01全景01前から


 先週の土曜日(13日)、午後2時から「第7回鳥取県内建築系教育関係者交流会」が環境大学で開催された。わたしは昼過ぎに寺町を出発した。ビアンキは快走。途中、トスクでお弁当を買い、サイドバッグに詰めて、学園路の急斜路をかけあがっていった。研究室に着くと、ベストの下の服は汗まみれ。でも、ロッカーに着替えをちゃんと用意している。研究科長就任以来、ロッカーにはジャケット2着ほかシャツや靴下などを揃えておくようになった。この日もさっそく着替えて、黒いジャケットを羽織り、「クールビズ」程度の半フォーマルな格好に変装した。
 交流会は盛況だった。ミニシンポジウム「建築士法改正と建築教育カリキュラム」の出席者が26名、懇親会の出席者が23名で、さらに環境大学建築・環境デザイン学科の学生・院生10名が参加した(懇親会も)。会場はいつも教授会が開かれる本館3階の大会議室。写真にご覧いただくように、円卓会議となった。主催のとっとり建築集団の代表、環境大学建築・環境デザイン学科長が挨拶・趣旨説明したあと、鳥取工業高校(鳥工)、鳥取短期大学(鳥短)、米子工業高等専門学校(米子高専)、鳥取環境大学(環境大)の順で、おもにカリキュラム編成について20分ずつスピーチした。環大のスピーカーはわたしである。本来なら学科長がその役を果たされるべきであろうが、今年で6年も教務委員をやっている関係上、わたしがカリキュラム編成の説明役に抜擢された。
 鳥工では少子化の進行とともに進学率が高くなってきているが、建築関係の学科に進学する生徒が非常に減ってきていることが紹介された。鳥短の住居デザイン専攻は卒業と同時に2級建築士の受験資格を得ることができ、それは日本全国の短大ではきわめて珍しいことが紹介された。米子高専は建築教育としてはきわめてオーソドックス。一時デザイン指向を強めようとしたところ、国の指導で全国の高専の教育が規格化されたという。そのおかげというわけでもないだろうが、今回の建築士法改正にほとんど影響を受けていない。鳥短と高専が本科を卒業する20歳の段階で2級建築士の受験資格をえることは、4年生大学である環境大にとって一種の脅威とも言えるだろう。

04交流会02プレゼン02ワイド


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  1. 2009/06/18(木) 00:18:39|
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第9回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

01宇田川のパンツ


 11日のカマド修復プロジェクトについて、今回は1年生2名に感想を述べてもらいます。

アクシデント連発!

 今回は先週完成した土台木枠を土台の下にはめ込む作業とカマドの土台を設置する作業を行いました。はじめにモルタルで埋めたところが白くなっていて不自然なのでガスバーナーでそこを焼き、色を変える作業を行いました。しかし、色は変わりませんでした。次にカマド土台を壊さないように慎重に持ち上げてベニヤ板を剥がして木枠にはめ込む作業を行いました。しかし、土台はかなり重く、簡単には持ち上げてはめる事が出来ませんでした。そこで、どのようにしたら簡単にはめ込む事が出来るか、教授を含め土台設置班で検討しました。検討の結果、ベニヤ板と鉄製の看板を土台の下に敷いて持ち上げ、土台木枠の上に置き、看板とベニヤ板を土台を持ち上げて抜いていくことになりました。土台を土台木枠にはめ込もうとしてみると、木枠の寸法がギリギリで上手くはまりません。そこで木とカナズチを使い土台をたたきながら調整をこころみました。しかし、なかなか上手くいかず、土台だけ動かなくて大変でした。ここで問題が発生しました。無理やりはめ込み作業をやっていったせいか、途中で土台にひびが入ってしまいました。この問題はカマド本体接合班のセメントペーストを使ってヒビ割れ部分を塗り直すことで解決しました。
 この作業が終わったところで新たな問題が発生しました。土間の板間を支えていた部材が外れてしまい、土台の重さに耐えれない状況になりました。すぐに土台と木枠を土間におろし、一旦休憩にはいりました。休憩の時に蕎麦について1年生が発表し、その後、今後のスケジュールについて1・2年生でミーティングしました。その結果、来週までに発表のための目次を作ってくることになりました。
 今回の作業はいろいろ問題が発生し困難が多く大変でした。(建築・環境デザイン学科1年 N.T/カマド土台設置班)

03土台01バーナー01
↑バーナーで焼いたが、モルタルの古色化は失敗!

モルタル接合剤は多めに!

 カマド復元班、カマド土台設置班、建具実測調査班の3班に分かれて作業を行いました。私達カマド復元班は先輩達の力を借りながらセメントペースト、モルタルの2種類を使い、カマド本体の割れてしまっている部分の接合を進めました。最初に接合剤となるセメントペーストとモルタルを製作しました。主にセメントペーストはひび割れなどを接合する際に用い、モルタルは欠損が激しい箇所に用います。モルタルはセメントと砂を1:2の割合で混ぜ色を均等にし、そして水を少しずつ加えながらさらに混ぜ合わせ粘土状にします。セメントペーストは適量のセメントに水を少しずつ加えながら混ぜ合わせペースト状にしたものを用います。このとき使用した100均ゴム手袋(サイズL)はすぐ破れてしまい、使い物になりませんでした。接合の際は接合する面と面を水で濡らし一方の面にセメントペーストかモルタルを盛りもう、一方の面を上から重ねて接合していきました。その作業でセメントペーストを盛る際、盛る量が足りずうまく接合する事ができなかったため、何度かやり直しました。盛る量は少し多めぐらいで接合する際に間から少しはみ出る程度が良かったようです。この時、はみ出した部分は濡れタオルなどできれいに拭き取りました。あとは、ずれがないように接合させるため上から重石をのせ、乾いて固まるのを待つだけです。この接合作業を4つのパーツでおこないました。モルタルやセメントペーストを混ぜ合わせるのには意外と力が要り、なかなかの疲労感でした。来週は作業をスムーズに出来るように頑張りたいです。(環境マネジメント学科1年 M.S/カマド復元班)

カマド本体

 ぬりぬり2 ぬりぬり1 蕎麦発表 




  1. 2009/06/17(水) 00:15:41|
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第9回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

01庭での打ち合わせ


 6月11日。梅雨入り宣言があったのに、天候は「もう夏だなー」と思うぐらいの快晴で蒸し暑く、山や海に行きたくなる気分でした。お久しぶりの黒猫です。今回は私から活動報告させていただきます。
 さて、本日のプロジェクト研究1&3は、全メンバーが加藤家で活動しました。先週、大学で加工していた木枠(板石土台を支える基礎)が古色塗りまで完成し、一方ではカマド本体の接合方法も決まりまして、プロジェクトもいよいよ佳境を迎えています。今回の報告はクライマックス序章とも言えるものです。まず、最初に庭に面する縁側で全員でミーティングし、あとはそれぞれ各自の分担作業に散っていきました。以下が本日の作業工程です。

02木枠01のみ


Ⅰ.カマド復元班
 カマド本体の接合をおこないます。先週の実験に従って、接合剤は「セメント、野焼き粘土、砂の混合物」と「セメント、水の混合剤」の2種類を併用。土台の板石に載せる前に4つぐらいにパート分けをして、それぞれの接合作業をおこなう。

Ⅱ.カマド土台設置班
 土台接合のためのモルタル面が白んでみるので、バーナーで焼いて「古色化」する(実際にこれを試みましたが、まったく変色しなかったので実際には省略)。その後、先週完成した木枠を土台の下にはめ込み、台所の板間の隅に設置する(カマド土台を壊さないように気をつけること)。土台を設置し終えたら、土台の上に元々敷かれていた土を撒く。足りなければモルタル用の砂を使う(この工程は、カマド本体を安定させる意味がある)。

Ⅲ.建具実測調査班
 先週に引き続き建具の設置、内法・建具の寸法の調査をする。余裕があるようなら、建具を今後どう加工すれば良いのか、補足調査もおこなう。早く終わるようなら、式台の残りの部材について実測する。

Ⅳ.蕎麦について
 作業が一段落したら、1年生が調べてきた蕎麦の実を調理方法について発表する。

03土台02木枠はめ込み01


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  1. 2009/06/16(火) 00:04:41|
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歯磨きチューブの最期

 日常生活で何かエコってる、って訊かれたら、まぁ「風呂の余り水を洗濯に使う」とか「シャンプーの容器を残して中だけ詰め替える」とか「自転車にのって通学する」ぐらいしか、思い浮かばないなぁ・・・そうそうわたしの場合、冬の「湯たんぽ」がありましたね。石油ストーブで湧かしたお湯を湯たんぽにして寝具に暖を取り入れる。でもね、この冬はひどいメにあったんですよ・・・足首に低温火傷をしましてね。すぐに治るだろう、とタカをくくっていたのだけれども、完治するまでにじつに3ヶ月半を要しました。
 奈良のホームドクターは、はじめ抗生物質の塗り薬をくれただけだったんですが、症状が治まらないのをみて、外科に行けと言い出した。要するに、火傷した部分をメスでスパッとえぐり切ってしまえ、というわけですが、そんな怖いこと、わたしにゃできもはん・・・まぁ、自分でいろいろ手を考えて、毎日毎日膏薬を塗布し続け、暖かくなってから、なんとかかんとか皮膚が再生した次第です。でも、今でも円環状に紫色のアザがのこっている。樹脂製の容器に熱湯を入れて専用の袋に湯たんぽを納め、さらにタオルケットにぐるぐる巻きしていたのに、こうなんだから、怖いですよね。みなさんも、湯たんぽの低温火傷にはくれぐれも気をつけてください。

歯磨き反転 さてさて、じつは奈良の家で、おもしろいエコを発見したのですよ。歯磨きチューブの終わらせ方なんですが、蓋の真反対側をハサミで切り取り、歯ブラシをチューブの中に突っ込むようにしている。これは良いアイデアだな・・・「ねぇ、これ、テレビでやってたのん?」と訊くと、いや「自分で考えた」と家人は答える。
 鳥取でもさっそくやってみましたが、廃棄寸前のチューブで20回以上歯磨きを続けております。これはよい。終わりかけのジャムや蜂蜜の瓶にソーダ水を注ぎ込んでフルーツ飲料にしちゃうようなもんだけれども、チューブの反対側をハサミで切り取るところがなんともユニークな発想です。
 ぜひ、お試しください! 


  1. 2009/06/15(月) 00:03:31|
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『紅楼夢』第5章

第5章 鳳姐(王煕鳳)の策謀
p.24-29:小山訳

1. 賈珍の父、賈敬の誕生日が来たので、障舶v人(賈赦の妻)、王夫人(賈政の妻)、
   鳳姐(王煕鳳)と賈宝玉は寧国府(栄国府の親戚筋にあたる家系の邸宅)へ行き、
   賈敬のために長寿を祝った。賈珍の妻、尤氏と大勢の人達がいて、一堂に会して
   おしゃべりしていると、息子(賈蓉)の妻(秦可卿)の病気の話題が始まった。

   【セリフ】 尤氏「この子は、半月あまりずっと病気で食事を欲しがらなかった。」

2. 王煕鳳は会食のあと、秦氏(秦可卿)の見舞いに訪れた。王煕鳳に会うなり、
   秦氏は起きあがって出迎えようとしたので、王煕鳳はあわてて歩み寄り、
   彼女を起きあがらせないようにした。
   
   【セリフ】 王煕鳳「急に起き上がってはいけません。急ぐとめまいがしますよ」

3. 王煕鳳は秦可卿を長いことなぐさめた後、その場を去った。寧国府の花園へ行き、
   歩いて一歩進むたびに、園中の景色を称賛した。

4.  突然、賈瑞が築山の後ろから顔を出して、王煕鳳をからかった。王煕鳳は彼の思惑を
   理解し、作り笑いを浮かべながら適当に賈瑞に合わせてみせた。

5.  秦可卿の容体はますます悪化した。この日、王煕鳳が彼女を見舞って帰ろうとしたと
   きに、侍女の平児が言うには、
    「賈瑞さまがやって来て、奥様(王煕鳳)が在宅かどうかを伺って行かれました」

6. 王煕鳳は賈瑞を招き入れ、心を込めたふりをして茶をすすめ、席をすすめた。賈瑞は
   興奮して、耳をつまみ頬を掻き、好色さを匂わせながら王煕鳳の元を訪れた。

7. 王煕鳳は声をひそめて、言った。
    「こういう事情を女中達に笑い話として伝えるよりも、夜に西側の
     穿堂(通り抜けの広間)で私を待つほうがよいと思うけど・・・」   

8. 賈瑞は彼女の言葉を信じ、それが本当だと思い込んでしまい、凍てつく寒さに耐え
   忍びながら、身をまるめて賈家(栄国府)の穿堂に一晩中いて待っていたが、
   ついに王煕鳳には巡り会えなかった。

9. 賈瑞はやはり諦めきれず、また王煕鳳を訪ねた。王煕鳳は策略を巡らせ、
   [自分の代わりに]賈蓉(秦可卿の夫)に行かせて賈瑞を待ち伏せし、
   捕まえさせるように言いつけ、賈瑞を一度こらしめた。

   【セリフ】 賈蓉「なんて大胆な! 二番目のおばさま(叔父の妻)をからかおうなんて」
         賈薔「俺らと一緒に奥様のところへ行って、白黒はっきりつけてもらおう
            じゃないか」

10. 賈瑞は再び厳寒に耐えて待ち合わせ場所に向かうと、また賈蓉が彼を待ち伏せし、
    一度殴打されるという目にも遭った。さらに王煕鳳との相思相愛がとても難しく、
    許されないことであることから、病気で寝たきりになった。多量の薬を飲んだのだ
    が、無駄なことであった。まもなく賈瑞は息をひきとった。

11. ある日の夜、王煕鳳は秦氏が自分の元へ別れを告げに来る夢を見た。このとき、
    消息を知らせに来た人が言った。、
     「寧家(寧国府)の賈蓉の奥様(秦可卿)がお亡くなりになりました」
    
12. 王煕鳳はすぐに寧家(寧国府)へやって来た。寧家一族や多くの親類もみなやって
    来た。尤氏は持病がぶり返し、葬儀を取り仕切ることができなかった。

13. 賈珍はただちに王煕鳳に来てもらい、葬儀を取り仕切ってくれるように頼んだ。
    王煕鳳は大小さまざまな仕事を割り振りし、それぞれの仕事を整然と進めていった。

14. 秦可卿が出棺されたその日、北静王である水溶が葬儀のためにやって来た。
    かれは、賈宝玉が聡明で端正な美男子であるのを見て、即座に良い香りのする
    数珠を贈った。

15. 殯(もがり)が完全に終わり、王煕鳳は饅頭庵に入居した。ある夜、年老いた尼、
    浄虚が王煕鳳に言った。

     「長安府の大だんなさまの、妻の弟の李だんなが、資産家の張家の娘である
     金哥を見初めたので、金哥を趙家の令息の許嫁にするのをやめさせるべきだ。
     奥さま(鳳姐=王煕鳳)に、趙家と婚約解消させる方法を考えていただきたいのです」

     【セリフ】 老尼「私は、奥さま(王煕鳳)が必ずや趙家に婚約解消をすすめるような
           手段をご存じだと思っています」

16. 王煕鳳と張家は三千両もの銀を長安府に要求し、[婚約解消を張家に]一方的に
    通達したので、老尼の浄虚は一も二もなく承諾し、表舞台から引っ込んだ。

    【セリフ】 王煕鳳「張家に三千両の銀をすぐに出させ、すぐに相手の家へ持って
               行くようにすすめなさい」

17. 金哥の情が重く、気性が激しいことを誰も知らなかった。婚約解消の後、金哥は
    首をつって自殺し、趙家の令息もまた河に身を投げて死んだ。


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  1. 2009/06/14(日) 00:42:41|
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『紅楼夢』第4章

第4章: 金鎖の吉祥文字
p.24-29:岡垣訳

1. 劉ばあさんは北京城外にある娘婿の王狗児の家に住んでいた。狗児と劉氏
   (劉ばあさんの娘)は毎日生計を切り盛りし、劉ばあさんは外孫の板児(男の子)
   と青児(女の子)の面倒をみて、とても貧しい生活をおくっていた。

2. この年の冬、王狗児は防寒の物を仕入れるお金がなかったので、家の中で腹を立て
   ていた。劉ばあさんは王狗児にお金を手に入れる方法を教えた。

   【セリフ】 劉ばあさん「腹を立てるだけでは役に立ちませんよ、いくらかお金を手に
                入れる方法を考えるほうがましだよ」
         王狗児  「おばあさん、言うのは簡単ですが、まさか私に物取りをして
                こいとでもいうんじゃないでしょうね」

3. もともと王狗児の祖先と王夫人の娘の実家とは親戚で、劉ばあさんは王狗児を
   王夫人のところに行かせて、あとは運にめぐりえば、と思った。

4. 劉ばあさんは言った。
    「時機が来れば、少しばかりは御利益があるかもかもしれないよ」
   王狗児は心を動かし、ただちに劉ばあさんに一度賈府に行ってもらうことにした。

   【セリフ】 劉ばあさん「私が思い切って、ちょっと行ってきますよ」

5. 劉ばあさんは王夫人の侍女にあたる周瑞の妻をよく知っており、板児を連れて、
   まず周瑞の妻を探しにいって、周瑞の妻に自分が来た意図を話した。

6. 周瑞の妻はかれらを連れて、王熙鳳の住まいに行った。王熙鳳の腹心の女中である
   平児は、劉ばあさんたちに王熙鳳が来るのを坐って待つようお願いした。

7. とても長い時間が経ち、劉ばあさんはやっと名前を呼ばれて王熙鳳の部屋に入った。
   王熙鳳は笑いながら言った。
    「親戚同士は往来が少ないと、すっかり疎遠になってしまうわね」

8. 劉ばあさんは恥をしのんで言った。
    「今日初めておめにかかって、本来ならいうべきではないのですが、この子
    (板児)の両親は、家にさえ食べる物がまったくなく・・・」

9. 王熙鳳は笑いながら、劉ばあさんのおしゃべりを遮り、劉ばあさんに二十両の銀貨
   を与えた。劉ばあさんは深く感謝して帰っていった。

   【セリフ】 王熙鳳「言う必要はなかったのよ。あなたの気持ちは分かっていたわ」

10. 劉ばあさんを送り帰すと、周瑞の妻は王夫人に報告しようとし、薛叔母さん
    (薛蟠の母)のところで王夫人を探し出した。薛叔母さんは薛蟠が誘拐してきた
    小娘の香菱に、いくつかの花かんざしを出させ、周瑞の妻に持って帰って
    侍女たちにそれらを分けるように言いつけた。
    
    【セリフ】 薛叔母さん「これは王宮の新しいデザインなのよ、あなたはこれを持って
                 帰って女の子たちに分け与えてほしいの。」

11. 周瑞の妻が最後に林黛玉に花かんざしを分け与えようとした時、林黛玉は賈宝玉と
    仲良く九連環(知恵の輪)を解いているところだった。

12. 林黛玉は訪ねた。
     「これは、私一人だけに届けてくださったのかしら、それとも他の人すべてに
      も届けたのかしら?」
    他の人すべてにも送ったことを知ると、冷笑を禁じえなかった。

    【セリフ】 林黛玉「わかったわ、他の人が選ばずに残したものしか私に与えられな
               いのね!!」

13. ある日、薛宝釵(薛叔母さんの娘で薛蟠の妹)は賈宝玉の玉(ぎょく)の上面に
    刻まれた文字について話し始めた。下女の鶯児が言った。
     「宝釵お嬢様の金鎖(くびかざり)の上の字と一対だとお聞きしましたけども。」
   
     【セリフ】 薛宝釵「莫失莫忘、仙寿恒昌(失くすな忘れるな、長寿と永遠の繁栄を!)」

14. 賈宝玉はそれを聞くと、薛宝釵に金鎖をはずすようにお願いし、見てみるとやはり
    この二句は吉祥の言葉であった。
     「不離不棄、芳齢永継(離すな棄てるな。若さは永遠に!)。」

    【セリフ】 賈宝玉「宝釵姉さん、この8文字と私の玉の文字は本当に一対だよ」

15. 三人が話をしているちょうどその時、
     「林お嬢様がいらっしゃいました」
    と言う者がいて、林黛玉がゆっくりと部屋の中に入ってくるのが見えた。

16. このとき、薛叔母さんはすでに茶菓と鵝掌(ガチョウの水かきの料理)を準備し
    ていた。賈宝玉は言った。
     「これ(鵝掌)を食べるんなら、お酒があれば最高なんだけどなぁ」

17. 賈宝玉が三杯お酒を飲んだところで、お伴で来た乳母の李おばさんは賈宝玉が
    これ以上お酒を飲まないようにせわしく注意した。林黛玉は乳母の李おばさんを
    いろんな言葉で皮肉り、賈宝玉はさらに何杯かお酒を飲んだあと、ようやく
    林黛玉と一緒に帰っていった。

    【セリフ】 李おばさん「今日は、旦那様が家におられることですし、あなたが勉強
                 しているかどうか旦那様が問われるかもしれませんので、
                 用心したほうがいいですよ」
          林黛玉  「もし叔父様が問いつめたら、すぐに叔母様が引き止めてくだ
                 さるわ」


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  1. 2009/06/13(土) 00:17:08|
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6月14日オープンキャンパスのお知らせ

2009オーキャン01表紙

 来たる13日(土)に開催される第7回鳥取県内建築系教育関係者交流会がせまってきました。じつは、ミニシンポジウムでのスピーカーはわたしが務めることになっており、その準備を進めています。翌14日(日)は今年最初のオープンキャンパスです。
 昨年までの環境デザイン学科が建築・環境デザイン学科と名称を変えて衣替えしたことはすでにお知らせしたとおりです。オープンキャンパスのイベントも大きく刷新しました。メディアセンターのギャラリーを建築・環境デザイン学科が占拠して、研究室ごとにパネル展示をします。ほかに卒業制作の優秀作品も展示します。また、抹茶や珈琲などの飲み物やお菓子も準備し、教員とくつろいでお話ししていただけるスペースも確保しました。高校の生徒さんはもちろん、県内外の皆様が気楽に遊びにいらっしゃることを心から願っております。
 下の画像をクリックしていただけば、当日のスケジュールや会場へのアクセスが分かります。どうぞ遊びにきてください!

 2009オーキャン02 2009オーキャン03 2009オーキャン04


2009オーキャン(6月)準備完了
↑6月12日(金)のゼミでASALABブースの設営完了



  1. 2009/06/12(金) 00:09:24|
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2009 樗谿幼稚園+α

3年発表


 3年前期「環境デザイン演習」の前半は恒例の「樗谿幼稚園+α」。5日のゼミで3年生にプレゼンしてもらいました。昨年の作品と比べてみてください。以下に示す作品画像のうち小さなものはすべてクリックすると拡大されます。

森の幼稚園

 こんにちは、TO.YOです。今回のゼミは私達3年生の環境デザイン演習4課題1の成果の発表でした。私は2番手で、「おうちだにの森のようちえん」という今回の自分のテーマ(?)をもとに発表しました。課題は、今ある樗谿公園を敷地として幼稚園をデザインする、というものでした。
 私の考えたコンセプトは「森の幼稚園」。森の幼稚園というのは、園舎などの建物ではなく、森へでかけていってそこで一日を過ごす、という幼稚園のスタイルで、北欧などで盛んに取り入れられているようです。このテーマをどうにか今回の課題の中にうまく取り込みたかったのですが、理念はともかく形にするのが難しく…。最終的に自分のやりたいことだけをやってしまった感があるのですが、とにかくなんとか形になってよかったです。
 発表では、説明したい内容が定まらず、冗長になってしまったのが最大の反省点です…。もっと適切な長さで、わかりやすいストーリー立てができるようにならなければ。今回のゼミでいただいたアドバイスは、次回の課題にて確実に活かしたいと思います! (3年 TO.YO)

デザイン演習4 吉川 図面



裸足で駆けまわる幼稚園

 今回の演習課題、幼稚園の設計で私は「園児達が裸足で駆け回る」をコンセプトにして臨みました。園児たちが芝生・水辺・ウッドデッキなど、足で色々な感覚を感じとり、楽しんで欲しいとかんがえました。
 満足のいく作品は作れなかったですが、今回の設計からたくさんの事を学びました。たくさんの反省点をいかし、次の課題である「集合住宅」は必ず自分が納得できる作品を作ります。 
 以上、武内でした。(3年 TAKEUCHI)

演習4竹内図面


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  1. 2009/06/11(木) 00:00:41|
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第8回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

22白いナンテン02横


カマドの接合実験

31カマド接合02縦01 本日も先週に引き続き加藤家で作業を行いました。加藤家では2年生2名とガード、エアポートさん、ピヴォさんのメンバーでカマド本体修復班、アシガル君と部長さんで建具実測調査班、この2班に別れて作業を進めました。カマド本体修復班はまずカマドの接着の方法と接着剤について話し合う事からはじめました。ここでも、エアポートさんとピヴォさんに色々とアドバイス・アイディアをいただきました。その結果、野焼陶土は砂と混ぜるのではなくセメントと混ぜる事になりました。混ぜる割合は野焼陶土10、セメント1で混ぜ適度に水を加えてさらに混ぜます。色が少し灰色になれば完成です。この粘土をエアポートさんの指導のもとI君が担当し、2年生Y君にはピヴォさんの指導でモルタルを担当してもらいました。はじめに野焼陶土とセメントを混ぜた粘土が完成し実際にカマド本体の欠損部分につけていきました。
 この作業中に教授がこられました。この作業が終わると、モルタルも完成。両方を試そうとしたところで、エアポートさんとピヴォさんから「セメントと水だけのペイスト状のものを使ってみてはどうか」というアイディアが挙がりました。ここでまた話し合いをし、どうするか検討をしました。その結果、大きく欠損している部分にはモルタルを使い、ひび割れなどの部分にはセメントと水を混ぜたペイストを使う事になりました。この事を教授に報告したところ、教授は1週間前に土台の板石に充填したモルタルのが乾燥後に白っぽくなっていることを気にされており、カマド本体ではさらに目立つだろう、と気にされていました。

 そこで解決策としてエアポートさんはガスバーナーなどを使い、充填・接合面を火で炙ったらどうかというアイディアを提案され、、次回、ピヴォさんがガスバーナーを持ってきてくださる事になりました。この後、粘土を剥ぎ取りカマド本体のパーツを洗いはじめました。この時、新たな事実が判明しました。エアポートさんがカマドのパーツを洗っていたところ一部が欠けてしまったのですが、それは以前に用いられたモルタル状の接合剤の固まりらしいのです。この新たな発見により、セメントを使うことはあながち外れていないという事がわかりました。この後、セメントと水だけのペイスト状のモルタルを造りました。このペイスト状の物は水の割合で成功するか否かが決まるので慎重に作業を進めました。そして、ピヴォさんと2年生の頑張りでペイスト状のモルタルが完成しました。すぐにカマド本体で試しました。結果は上々です。

31カマド接合01

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  1. 2009/06/10(水) 00:01:04|
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第8回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

001木組み加工01林

 六月に入りじめじめと湿度が高くなってきましたね。どーも、毎度お馴染み、ガードです。第8回のプロ研(6月4日)も、はじめに13講義室で作業の説明をしてから、それぞれ分担の場に散っていきました。大学では先週に引き続き木枠加工の完成を目標にし、加藤家ではカマド本体の接着の検討と建具の実測調査を行いました。以下が各班の構成と活動概要です。

土台木枠加工班 学生7名+ナオキさん
 ①先週に引き続き木枠制作を行い完成を目指す
 ②木枠に古色塗りと防腐処理を施す
 ③木枠は本日が完成予定で完成しなかった場合は宿題として来週までに製作して
  きてもらいます。

カマド本体修復班 学生3名+エアポートさん・ピヴォさん
 ①カマド本体の接着に使う接着剤の検討
   1.野焼陶土と砂を10:1の割合で混ぜたものだけで接合する方法
   2.モルタル(粘着性を強めたもの)だけで接合する方法
   3.野焼陶土とモルタルを両方使い接合する方法
   4.上の3つで上手く出来なければ、その他の接着剤を使用するか検討
 ②実際にカマド本体の一部を使い接合の実験

建具実測調査班 学生1名+部長さん
 ①建具を実際に出し、もともと設置されている箇所にはめてみる
  行う箇所:奥の間・中の間・座敷・イロリ間・納屋・4畳間
 ②はまらなかった箇所を実測し記入する


 本日は大学班の活動について、1年生のM君が感想を述べてくれます。(ガード)

001木組み加工02電動工具




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  1. 2009/06/09(火) 00:33:43|
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チームASALABデスマッチ(Ⅱ)

ゴール

病み上がりサッカー

 暑さ日増しに厳しく、連日の天気に梅雨空はいったいどこへやら。Asalab読者の皆様いかがお過ごしでしょうか。さてさて、今日もゼミの後に恒例の「駐車場ミニサッカー」です。
 メンバーは、教授、アシガル、黒帯、ガード、私の計5人。まずはトラップを取り入れた「鳥かご」で体を慣らしてからゲームへ。実はわたくしエアポートは、小学生低学年のときにサッカー教室にかよっていましたが、ひょんなことから13年間、サッカーから遠ざかってしまいました。(あれは幼心を傷つけたコーチのせいだな。)とにかく、サッカーボールに触れること自体、何年ぶりかのこと。
 先月末に交通事故に巻き込まれ、全治2週間といわれたケガもようやく完治し、「なまった体をほぐすにはちょうどいい機会」と思ったのがすべての間違いだった。前回のチームASALABデスマッチ(Ⅰ)で、黒猫はクタクタになり、アシガルが翌日全身筋肉痛になったというのを話半分に聞いていたのがそもそもの間違い。あれをまじめに聞いていれば、それなりの覚悟があったかも・・・。今回、黒猫は計ったかのようにバイトを入れていた。

組み分け タクオさんと3年の武内くんが合流して、まずはチーム分け。これまた久しぶりの「グッパー」で、3人チーム(タクオさん、アシガル、武内くん)と4人チーム(教授、黒帯、ガード、エアポート)に分かれた。3人チームはハンデとしてゴールはドリブル可とし、4人チームはダイレクトシュートのみ。フィールドは、車の駐車場20台分ぐらいの場所の4隅と中間地点とゴール両脇に【マーカーコーン】を置き、ゲームスタート。
 13年ぶりのゲームは、感覚もまったく覚えてないし、体もついていかない。そして、なにより自分の「めがね」が邪魔。ガードはヘディングをすると、そのたび顔に「めがね」はなかった。先制したのは3人チーム。その後、両者点が取れないまま前半が終了。今回もハーフタイムはなしで、すぐさま後半戦がスタート。地獄である。

 ゲーム開始20分後には、もう疲労困憊。顔面から滝のように汗は出るし、足は重い。まわりも疲れが見え始め、教授は「敵は疲労を見せ始めたぞ!!」というが、それ以上に味方の私はヘロヘロです。養生からの病み上がりは予想以上に体力が低下しており、そもそもあんまり運動していない体がたたり、体は思うように動かなくなりミスが続いた。すべての守りは元気なガードと黒帯にまかせて、私は相手ゴール周辺をうろうろし、教授は味方ゴールの防備に徹底。
 後半に3人チームが1点、4人チームが2点入れ、同点になったところでサドンデス。先に一点入れたチームが勝ちとなるが、あっさり3人チームに点を取られたため、すぐさま延長戦。その後4人チームが1点入れ、両者同点となり再びサドンデス。まさにデスマッチ!!しかし、3人チームにまたもや点を取られ、試合終了。

 前回の黒猫に並ぶ失態ということで、責任をとって私がブログを執筆。これを機に、本格的に体力づくりをはじめましょうかね。(Mr.エアポート)

サッカー20090605235720f82


  1. 2009/06/08(月) 00:40:38|
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火の鳥(Ⅱ)

 その後、「遠くはなれて」の記事をブログアップしたことをクンベーにメールで連絡すると、

   『GUITAR SOLILOQUIES』というテープならあるけど・・・
 
という返信があった。これだ、このテープのトップに大学時代に録音した「火の鳥」が入っている。そう再返信すると、再び音源が2曲ずつ送られてきた。そのメールの冒頭には、以下のメッセージがついていた。

   『GUITAR SOLILOQUIES』と題されたテープはあの当時、
   イーグルスやドゥービーブラザーズの曲のように明快な
   ロックンロールが大好きだった私には、ジャズの要素が
   非常に強く、特に「SOLILOQUY1・2・3」は難解な印象があり
   「火の鳥のテーマ」が録音されていたことをすっかり忘れて
   しまっていた。

 たしかにテープを聴いて、驚いた。フリージャズへの指向が顕著な即興演奏を主体としており、しかも、全曲インストルメンタルになっている。全体の構成を以下に示そう。

  A面  1.「火の鳥」のための前奏曲
      2.マイ・フーリッシュ・ハート
      3.ソリロキー1
      4.ソリロキー2 
      5.ソリロキー3

  B面  6.哀しみの恋人たち
       7.マイジ
      8.ソサエティ・アイランド          【1978.04.11.トラックダウン】


 このうち、3・4・5はソロギターもしくはソロベースの完全な即興演奏。格好だけデレク・ベイリーの真似をしようとしたものでしょう。8は大学の仲間を集めてやった集団フリー演奏で、みんな山下洋輔が大好きな時代だったから、こうなっちゃったんでしょうね。2はビル・エバンス好きだった証拠。『ワルツ・フォー・デビー』をよく聴いたから。ガット・ギターのソロ演奏だが、6弦のチューニングが狂っている。6はジェフ・ベック『ブロウ・バイ・ブロウ』のコピー譜を使って、アコギ2本のダビングで処理している。7はラルフ・タウナーを意識したモーダルなオリジナル曲。テーマは設定しているが、途中からドリアン系の即興演奏に移行。まず、ガット・ギターで演奏し、それに12弦ギターの即興演奏を重ねあわせている。
 で、肝心の 1.「火の鳥」のための前奏曲 は、高校時代とおなじ6弦&12弦のダビングになっていて、途中に7と同じモーダルな即興演奏のダビングが挿入されている。

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  1. 2009/06/07(日) 00:04:10|
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火の鳥(Ⅰ)

 高2の秋、マットという中学時代の同級生が、突然、わたしの家を訪ねてきた。マットは八頭校、わたしは西高に通っていた。同級生で河原中学校から西高に進学した生徒はわたしだけ。マットも、ハジーも、クンベーも,、モリタも、ツグユキも・・・みな八頭校に進学した。どいつもこいつも個性的で愉快な奴ばかりで、マットは漫画と美術に凝っていた。その秋、連中は集まってなにかを企んでいた。

  「学園祭で演劇をやるから、そのテーマ音楽を作曲して欲しい」

といきなり依頼された。奴らは手塚治虫の『火の鳥』ヤマト篇を舞台で上演するのだという。同級の女子学生のなかでも選りすぐりの可愛い娘をぜんぶ集めて芝居をするのだ、と付け加えてマットは高笑いした。このとき主役のヤマトタケル(男役)を演じたのが、ほかでもない、我が家の患者である。学校がちがうのだから、そのとき、わたしは彼女の存在を知る由もない(出会ったのは4年後のこと)。互いの存在を知らないけれども、彼女は高2のとき、わたしが作曲・演奏した「火の鳥」のための前奏曲をなんどか聴いているわけだ。

 いまキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』を聴きながら、この雑文を書いている。前にも述べたように、わたしはブリティッシュ・ロックがあまり好きではなかった。附中から西高にあがってくる秀才たちは、こぞってブリティッシュ・ロックを愛聴していたが、わたしはああいうクラシックまがいのロックがどうしても性にあわない。ひたすらアメリカ音楽に触覚をのばしていた。ただ、『新譜ジャーナル』だったかなんだか忘れてしまったけれども、その手の雑誌にキング・クリムゾンのアコギ・フレーズが紹介してあり、それをつま弾いてみると、とても気持ちよい。そのコード進行は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の出だしと同じだということに最近になって気づいた。当時はそんなことを知るはずもなく、軽い乗りで、演劇「火の鳥」の前奏曲に使ってみようと決めたら、すらすらすらと曲が書き上がってしまった。
 録音は、おんぼろラジカセを使った2重録音で、マーチンD28そっくりのモーリス6弦ギターに、ハジーから借りた12弦ギターを重ねた。もちろんインストルメンタルである。録音にはクンベーが付き合ってくれたはずだけど・・・よく覚えていない。
 この曲の評判は良かった。八頭校の仲間たちは、一様に「凄い」と口にした。クリムゾンからのパクリを含むとはいえ、若干16歳で、よくあれだけのインスト曲を創作したものだと今でも思う。
 
 クンベーが「あのころ」や「遠くはなれて」の入ったテープの音源を送信してくれてから、わたしは「『火の鳥』のための前奏曲」の音源がどうなってしまったのか、気になってしかたなくなり、かれに「火の鳥」の音源はもっていないのかい、とメールで訊ねたのだが、その返事は「知らないよ」という素っ気ないものだった。(続)

  1. 2009/06/06(土) 00:09:24|
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孤独なサッカー(Ⅲ)

 奈良で過ごした週末の夕方、いつものように、4号球をもって近隣公園に行った。キャッチボールやサッカーの練習をする子どもたちがすでに何人かいた。わたしはいつもの場所で、キックボード落としゲームを始めた。初めは上手くいっていたのだが、最後にど真ん中の「5」が残って、なかなか蹴り落とせなかった。インフロントにひっかけて強く打ち、なんとか「5」を打ち落とすまで数回シュートを繰り返した。調子はよくない。体がなまっているので、グラウンドを走ることにした。1周めを終えたあたりで、背面から大きな声がした。

  「すいませ~ん」

と少年がわたしを呼んでいる。なんだろうと思って、振りかえると、少年は、

  「サッカー、教えてください」

と言葉を続けた。

 その少年は朱雀FCに所属しているのだと言った。3人兄妹で、たぶん長男のおにいちゃんが小6か中1、真ん中のカナちゃんが小4前後、末っ子のショウタ君が小2前後ぐらいだろう。さっそく、「鳥かご」をすることになった。ツータッチまでという規則におにいちゃんは慣れているが、ショウタ君は慣れていない。カナちゃんは女の子なのでタッチの回数は何度でもよいことにした。ショウタ君はどうしても3タッチ、4タッチまでいって、しょっちゅうオニ(ディフェンス)になる。お姉ちゃんもなかなかうまくパスが通らない。そうこうしているうちに、おにいちゃんの蹴ったボールがカナちゃんのみぞおちにあたった。カナちゃんはベソをかいた。

   「カナは休んどり・・・」

とおにいちゃんは優しく声をかけた。練習は、トライアングル・パスに変わった。ショウタくんが2タッチまでにボールを離せないのは、トラップの方向がわるいからだ。

  「ボールを止めるとき、ボールの出し手の方をむいたままトラップしては
   いけないよ。次にパスをだす相手の方向に体を回転させてからボールを
   とめて、そのままパスを出すんだよ」

と指示した。サッカーでもっとも重要な技術はトラップだ。ボールを止めた瞬間、選手はどれだけひろい視野をもっているのか、つまり、どれだけパスをだす受け手とオープンスペースを瞬時に認知しているのかで戦況が決する。良い選手は、猫背にならない。いつでも背筋がピンと立っていて、360°の状況を知ろうとしている。ベッケンバウアーやマラドーナの姿勢を思い浮かべていただきたい。


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  1. 2009/06/05(金) 00:07:06|
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満員御礼!

01弥生博01講演01全景01

 大阪府立弥生文化博物館を訪れるのは、たぶん十年ぶりのこと。どうやって行くのかさえ覚えていないので、前夜、ネットで路線を調べた。JRで天王寺から鳳(おおとり)経由、信太山(しのだやま)下車だって・・・結構、複雑な乗り換えで不安になった。だから、当日は早めに出発。午後1時に入館との連絡をいただいていたのだが、信太山に着いたのは12時過ぎ。「喫茶店ぐらい近所にあるだろう」と歩きはじめたのが甘かった。古い街並みを蛇行しながら博物館に向かい、国道26号線にでた瞬間、マックの看板が目に入った。まぁ、マックでも仕方ないと思ってとぼとぼ歩いていたら、マックの看板が消えてしまった。幻影だったのか・・・博物館前の交差点で360度ぐるぐるみわたすのだが、マックはおろか喫茶店らしきものは皆目なく、ただ1軒のラーメン屋が近くにみえた。
 ラーメンがこの肥満体によいわけはないので、行こうかどうか悩んだのだが、喫茶店がないのだから仕方ない。店の門前までとぼとぼ歩いていった。すると、行列ができている。そんなに美味いラーメン屋なのですかね、この店は・・・仕方ないので後戻りし、博物館に入って受付のお嬢さんに「カフェはないんですか?」と訊ねたところ、彼女は困ったような顔をして、「自動販売機しかございません」と答えた。
 2階の展示室に上がった。わたしは博物館の展示を時間をかけてみるような実直な男ではない。ただ、ぶらぶら歩いていた。すると、常設展示室の竪穴住居の前でS先生とばったり。民博名誉教授のS先生である。20代のころ『日本のすまいの源流』シンポでお世話になり、30代の終わりに主催した『先史日本の住居とその周辺』シンポでは顧問のような立場でご出席いただいた。それ以来の再会で、わたしの講演を聞きにきてくださったのか、と思うと感無量。話がはずんだ。
 1時になったので、受付に戻って「じつは講演会のスピーカーなんです」とお嬢さんに告げた。以前お知らせしたように、5月31日(日)は特別展「弥生建築-卑弥呼の住まい-」の考古学セミナー第3回の講師を依頼されていた。まもなく、金関館長以下スタッフの皆様がお迎えにきてくださった。控え室には旧知のHさんもあらわれた。やはり話が弾んだ。小一時間があっというまに過ぎ去り、講演会開始の午後2時になった。

02弥生博01講演02ご静聴01

 ありがたいことに満員御礼。客席に空きはない。来聴者は130名だったそうだ。講演のテーマと構成を以下に示す。

    弥生建築の実証的復元 -青谷上寺地遺跡の衝撃-

     1.青谷上寺地遺跡と出土建築部材
     2.弥生時代「最長の垂木」による大型建物の復原
     3.弥生時代「最長の柱」による「楼観」の復元
     4.倭人伝にみる建築表現 -弥生建築と漢代建築-

 青谷上寺地の建築部材に係わる講演は何度もしてきたが、今回はそれらを総括するもの。この3月末に発表したした論文「青谷上寺地遺跡出土建築部材による弥生建築の復元」(鳥取県埋蔵文化財センター編『青谷上寺地遺跡出土品調査研究報告4 建築部材(考察編)』、2009)に対応すると言ってよい。

03弥生博01講演03座談会01 講演は予定より5分超過し、3時35分に終了。わたしのスピーチは他の研究者と比べて短いほうなのだが、今回は1時間半もしゃべってしまった。結構、調子が良かったのかもしれない。それから金関館長との対談で、司会のGさんをまじえ質疑応答。館長が客席のI先生(元橿考研)に話題を振った。S先生だけじゃなく、I先生までいらっしゃっていたのだ。I先生は「鳥居組」について質問された。わたしは、そこでS先生にも話題を振った。こうして、客席と一体になった座談会が続き、一般来聴者からのご質問もたくさん受けた。気がつけば、時計の針は4時20分を過ぎており、閉会となった。
 とても楽しい講演会でした。弥生文化研究の本場で、こういう機会を与えていただいた館長以下、博物館のスタッフの皆様に深く感謝申し上げます。


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  1. 2009/06/04(木) 00:32:01|
  2. 講演・研究会|
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2日連続の修復活動

03式台実測02


 木曜日(28日)に引き続き、金曜日(29日)の3・4年&院生ゼミも、加藤家での修復活動をおこないました。金曜日の作業分担と作業内容は以下のとおりです(敬称略)。

1.継手・仕口加工班
木枠加工1 木曜日のプロジェクト研究の土台下に置く木枠の作業が思いのほか進んでいないという事で作業範囲を仕口の蟻継ぎ部分にしぼり来週完成予定の木枠の作成を進めます。(担当:黒猫・黒帯・アシガル)


2.式台の実測
03式台実測01 3年生は加藤家の今現在進行中の作業について説明を聞く。その後、式台の再利用可能な部材を選別し実測。もし使えなさそうな部材でも必要ならば記録をとる。(担当:部長・轟・武内・TO.YO)


3.敷居・鴨居の実測 
 建具をはめる位置の傾きや高さ、幅などを実測し調査する。(担当:エアポート)

4.床下補強・古色塗り 
 木曜日に作った床板と束に古色塗りをする。束は2年生のY君が1度古色塗りをしてもらったのですが、もう少し古色が濃い方がよいという意見がでたので再度古色塗りをほどこしました。床板と束が乾いたら油圧式ジャッキを使い床を上げ束を設置し最後に床板をはめて完成です。(担当:エアポート・ガード)

5.土台修復班 
 木曜日のプロジェクト研究で土台の石が水平にできなかったので再度水平にする作業に取り組みます。水平に出来たところでモルタルをセメント1、砂(破壊実験ででた細かい破片を砕いたものと砂)2の割合で混ぜ作ります。モルタルが練りあがったら水平になった土台のひび割れや欠けて いる部分に流し込みます。最後に小手などでキレイにならして完成です。(担当:ナオキ・ピヴォ・ガード)

04カマド01土台01モルタル塗り01


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  1. 2009/06/03(水) 01:13:23|
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第7回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

01ぐみ01


 28日の加藤家班の活動について報告します。

板間床下補強班
 板間の床下補強班はエアポートさんの指導の下、2年生のY君とガードが作業を進めました。まず、床板が欠けている部分をエアポートさんとY君で実測し、廃材の板を切断。この作業は2人の活躍であっという間に完了。次に地面に合う礎石を探しはじめました。礎石はエアポートさんがすぐに見つけて下さいました。礎石の上に久本木材さんから頂いた木材を設置するために長さを測り切断し、床束も切断完了。その後、ジャッキで床をもち上げようとしたのですが、茶室に油圧式ジャッキを置き忘れていることが分かり、部長さんの車のジャッキを借りて、板間の床をもちあげました。そして、礎石の上に束を設置し、ジャッキを下げ固定てみました。この作業もエアポートさんの的確な指示でY君とガードが動き、仮止めができました。しかし、この後にアクシデントが発生! ジャッキで床を上げたときに金具などで固定していない他の床束が倒れてしまったのです。そこで、すぐにジャッキを使い床を上げ束を元あった箇所に設置し、なんとか仮止めまでが完了したのです。この後、わたしは土台修復班の援助に向かい、Y君は古色塗に挑戦しました。水と上柿渋を1:1の割合で混ぜ、床束に塗るのです。Y君は2本の束を丁寧に塗って、この日の作業は完了。

04カマド02古色塗り01カメラマン


土台修復班
 土台修復班は先週に引き続きピヴォさんにリーダーをしてもらい、2年生のI君と私ガードも床下補強班と掛け持ちで、作業を進めました。予定どおり、廃材のベニヤ板を加工し土台にはめ込む事から始めました。ベニヤを切断しはめ込むまで上手くいったものの、土台の石を水平にする作業でアクシデントが発生! 石を水平にする事がなかなか上手くいかず、作業がそこでストップしてしまったのです。この危機にY君、アシガル君、部長さんが駆けつけ解決策を話し合うものの解決ができませんでした(先生はお疲れのようで、ロフトのソファでぐぅぐぅ・・・)。この後も話し合いが続いたのですが、これという解決策はでませんでしたが、遅れてロフトから降りてきた教授は上からあて木して、ゲンノウで少しずつ叩いていったらどうかとおっしゃいました。翌日、試してみようということになりました。

土台修復班2


式台調査班

式台調査班 式台調査班は部長さんとアシガル君に部材を調査してもらいました。式台の部材を外にだし、再利用できるかどうか検討した結果、床板と数個の部材は利用できるが、束など他の部材は腐食や虫害で利用出来ないことが分かりました。金曜日(29日)に利用できる部材を実測し、式台についてもっと深く検討していく必要があると感じました。

今回の加藤家班は自分がテンパってしまい他の人に手助けをたくさんしてもらい、自分がまだまだと改めて実感しました。みなさんありがとうございました。これを踏まえて来週は落ち着いていこうと思います。2年生I君から加藤家班の活動について感想を寄せてもらいます。(4年 ガード)


床下図面20090531082117ea6



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第7回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

13講義室P1020653

 梅雨が間近になってきた今日この頃皆さんいかがお過ごしでしょうか。毎度お馴染みのガードです。先週に引き続き、プロジェクト研究1&3「古民家のリサイクル‐カマド復元と蕎麦打ち‐」の第7回(28日)について報告させていただきます。さて、今回も13講義室(↑)で全員に作業分担を説明し、前回に引き続き大学と加藤家に分かれて作業をおこないました。大学での作業は土台木枠加工、加藤家での作業は土台修復・床下補強・式台調査です。以下が各班の構成と活動概要です。

 土台木枠加工班 学生7名+ナオキさん
   ①先週に引き続き木枠の加工を進める。少し遅れ気味なので急ピッチで作業をこなすこと。
    「外枠→縦桟→横桟→残りの材」の順に制作。
   ②完成に近づいたら古色塗を開始
   ③来週、完成の予定だが、間に合わない状態であれば、別の日に集まり活動をする。
   ④ミーティング

 土台修復班 学生2名+ピヴォさん
   ①ベニヤ板が框の内側に納まるよう切断する。
   ②土台の石を水平にする。
   ③モルタルを流し込む。
   ④1~2週間、養生する。

 床下補強班 学生2名+エアポートさん
   ①失われた床板を廃材で制作し、置いてみる(釘打ちはしない)。
   ②床束を実測した高さに合わせて切断する(少し大きめにしておく)。
   ③礎石を設置。
   ④油圧式ジャッキで床を上げる
   ⑤上げたところで礎石の上に床束をのせ、いったんジャッキを降ろす。
   ⑥再びジャッキを上げ、床束を外す。
   ⑦床束に防腐処理・古色塗をほどこす

 式台調査班 学生1名+部長さん
   ①加藤家座敷北側の縁に積み上げてある土間の式台部材を外にだしてみる。
   ②部材再利用の可否を検討する
   ③手が空いたら他の班の手伝いをする

 今日は1年生のT君にキャンパスでの木枠制作活動について感想を述べてもらいます。(4年 ガード)

木枠パース200905292201436f6


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