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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

田和山炎上

02田和山6月15日16時25分

 すでにご存じの方も多いであろう。今月15日の午後3時40分ころ、松江市田和山遺跡の復元住居で火災が発生した。原因はまたしても「燻蒸」である。2006年度に妻木晩田遺跡で2度におよぶ復原住居の火災があり、原因はいずれも復原住居内の燻蒸作業であった。燻蒸の目的は、煙によって屋根の湿気や虫を除去することにある。だから、「炎」は必要ない。炭火程度の、消えそうで消えないぐらいの火をできるだけ長い時間焚くことで効果があがる。燻蒸にあたるのはボランティアの方々で、専門的な知識をもっているわけではない。だから、管理側が燻蒸の意義と方法をこんこんと説明して、ときにそれを監督するため現場に出向くぐらいのエネルギーが必要である。
 当時の妻木晩田事務所には、そういう管理能力が欠落していた。同じ年度に2棟の復原住居を焼いてしまったのだから、こう批判されても反論できまい。妻木晩田の火災は田和山の関係者に衝撃を与えた。田和山は、妻木晩田に先んじて「燻蒸マニュアル」を作成し、ボランティアに配布・説明していたのだが、それでも、同じ原因の火災をおこしてしまった。わたしは、岩手県の御所野遺跡で、土屋根住居の焼却実験をおこなったことがあるので、土屋根住居の焼けにくさについては体験的に重々承知している。土で覆われた室内には湿気が満ち満ちている。だから、木材に火の粉が飛び散って付着しても、まもなく鎮火してしまう。土屋根に唯一焼けやすい部分があるとすれば、それは天窓である。煙出しの役割を担う天窓の小屋根だけは土を被せず、樹皮か茅の面を露出させるからだ。妻木晩田も田和山も天窓に着火し、火災が発生した。炉から最も遠い位置にある天窓に火をつけるのは容易ではない。天窓の葺材に着火したのは、燻蒸の火が「火柱」というほど高く立ち上っていたからである。妻木晩田の場合、桁に達するほどの火柱だったという。燻蒸の目的を、あきらかに取り違えている。「煙」を出すための焚き火でなければならないのに、なんの危機意識もなく、「炎」のための焚き火にしてしまった結果、その火熱が天窓を焦がしてしまったのだ。この作業をしていたのはボランティアだが、火災の責任がボランティアにあるとは言えない。責任はあくまで管理者側にある。かれらに油断があり、危機意識が欠如しているから不幸を招いのだ。

01田和山6月15日16時25分

 今回焼けてしまった土屋根の住居は、わたし自身の遺跡整備住居復元史のなかで画期をなす作品であった。田和山をてがけるまで、わたしは「防水処理」をほとんど頭におくことなく、縄文・弥生時代に使われた材料で純粋に建物を復原することだけに集中していた。その結果、各地の土屋根住居で漏水や腐朽が発生した。その現実を克服するために、田和山ではかなりハイブリッドな防水処理を施した。以下の3点である。

   1)周堤の地下部分に厚さ10㎝ほどのコンクリートをめぐらし、建物周囲の
     敷地から竪穴内部に水分が浸透してくるのを防いだ。
   2)床に硬い三和土を敷いて、地下水分の上昇を防いだ。
   3)土屋根の下地にあたる茅葺きの全体を防水シートで覆い、
     雨露の浸透を防いだ。

 この3つの防水処理はみごと奏功し、焼けた復元住居では漏水等はほとんどみとめられなかった。「土屋根住居は雨漏りして腐る」という批判に対して、田和山の復元住居は稀少な反例として圧倒的な存在意義があったのだ。また、造形的にも、妻木晩田初期整備の反省から、妻木晩田以上に完成度の高いものになったと自負していた。

03田和山01小屋組DSC03350


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  1. 2009/06/22(月) 00:02:04|
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asa

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