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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

円仁の風景(Ⅶ)

慈覚大師由緒の附会

 昨日のブログに早くも反応があった。県内在住の歴史研究者からのコメントである。

   宗典編纂所の野本さんというと、野本覚成先生のことでしょうか?
   (略)鳥取のご出身だったとは。 (略)

 野本覚成さんは鳥取県西伯郡伯耆町金屋谷に境内を構える長昌寺のご住職であると同時に、近江坂本にある天台宗典編纂所の編輯長を務める研究者でもある。
 天台宗典編纂所は天台宗務庁のなかにある。宗務庁の所在地が「滋賀院の隣です」と言われ、すぐにピンときた。学生時代、近江坂本の伝統的建造物群調査に加わって里坊と町家を実測してまわった経験があり、「滋賀院」はまだ記憶のなかに残っていたのである。三井寺から東行して坂本に至り、迷うことなく、天台宗務庁を探しあてた。

 円仁のことを学びたいという研究者が環境大学にいる、という話は、野本さんの耳に届いていた。わたしは、なぜ円仁なのかを伝えなければならなかったのだが、なかなかうまくいかない。最初は、三徳山の梃子入れがしたいのか、とでも思われた節がある。
 説明には少し時間を要した。鳥取県の世界遺産候補地を三徳山だけに絞るのは間違いで、候補地の枠組を若干変える必要があるとわたしは思っている。一つに三徳山三仏寺や大山寺を軸とする密教系山岳信仰の歴史とひろがり、いま一つは大山隠岐国立公園の自然が素材として有効であり、さらにそれらを包括する概念として「文化的景観」を適用しようと企図していることを述べた。とくに、三徳山三仏寺や大山寺については円仁再興の寺伝があり、円仁の活動足跡を通して山陰の密教諸山を東洋史のなかに巻き込めないか、そういう願望ともいうべき展望を示してはみた。
 野本さんは苦い顔をされた。

   「円仁は山陰に来ていない、と思いますよ・・・」

 勧請開山についても否定的で、後世の牽強附会であろう、という。ここで強烈な分布図をわたしは目にする。慈覚大師の生誕1200年を記念して天台宗典編纂所が刊行した『みんなで聞こう 円仁さん』(平成7年)は小中学生を対象にした問答形式の概説書で、136頁以降に慈覚大師由緒寺院リストが掲載され、その分布図がカラー折り込み版で示されている。そのリスト=分布図の原資料は関口真大編「慈覚大師由緒寺院一覧表」(福井康順編『慈覚大師研究』天台学会、昭和39年)に掲載された502寺であり、さらに天台宗務庁は平成5年、全国の天台系寺院にアンケートを送付し、慈覚大師由緒の存否を問うたところ、由緒ありと答えた寺院の総数は615寺にまで増えた。北は青森から南は大分まで広範な分布を示し、地域別にみると、東北105寺、関東253寺、近畿118寺、中国55寺、四国4寺、九州9寺となる。このリスト=分布図に従うと、鳥取県は7寺、島根県は10寺にすぎないから、山陰が円仁と係わり深いとはとても言えない。

 円仁は下野国(栃木)の生まれで、唐からの帰朝後、出身地の東国で布教に努めたというのが世間に流布した伝承であり、これについては比叡山横河の講堂に飾られた円仁肖像画の解説にも「関東・東北を巡錫(じゅんしゃく)して多くの霊場を開いた」とある(↓)。

 21講堂01円仁01絵 21講堂01円仁01解説文


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  1. 2009/07/31(金) 00:54:22|
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円仁の風景(Ⅵ)

20にない堂02苔01


比叡山の煙雨

 近江の守山で仕事があり、そのついでに比叡山にあがってきた。ながびく梅雨のため、琵琶湖岸の天候も晴れやかではない。前夜は嵐のような雨が降り、その日は「曇り時々小雨」まで閑けさが戻っていたけれども、晴天続きだった一年前の琵琶湖一周が嘘のようだ。奥比叡ドライブウェイで、状況はさらに悪化していった。車は雲の中に迷い込んだ。ガスで視界が遮られ、前方20mから先はなにもみえない。ギアをセカンドに落とし、時速30㎏前後のゆっくりとした走行で急傾斜の道路をあがっていくしかなかった。
 西塔に着いても一面が霧のなかにあって、重要文化財の常行堂・法華堂(にない堂)も釈迦堂も曇りガラスの向こうにあるかのようにみえ、幽玄に映るけれども、建築を正確に捉えるにはあまりにも条件が悪すぎる。
 釈迦堂で香と本を買うと、僧は上機嫌になり、親しみ深く語りかけてきた。わたしも「円仁のことが学びたいのです」と告白した。

  「それにしても、天候にめぐまれませんでした・・・」

とわたしは嘆いた。僧は眼を大きくひろげ、

  「いや、これは名物でしてな。煙雨と樹林が比叡山の名物なんですよ。」

と打って返してくる。なるほど「煙雨」か。スチームバスのなかにいるような、その微粒子の雨は、たしかに「霧」よりも「煙」に近い。      
 嵐になると、煙雨はうごめいて幽玄が躍動しはじめ、嵐が去ると同時に晴れ間のなかに樹林が姿を露わにする。この静と動の対比が「名物」なのだと僧は誇らしく語った。

20にない堂01

 横河の根本中堂と講堂でも、香と念珠と本を買った。そして、根本中堂の僧に対して「唐から帰国した後の円仁の活動が知りたいのです」とのべたところ、事務所に行ってみるよう薦められた。
 事務所では若い僧に困った顔をされたが、『慈覚大師讃仰集』(昭和38年)を紹介され、2冊購入した。大きな収穫に顔もほころび、『慈覚大師讃仰集』の頁をめくり始めたところで、はっとした。
 わたしには会わなければならない人物がいる。
 その方はわたしと真逆の人生を送っている。週末は鳥取にあって住職として過ごされ、平日は比叡山(もしくはその近くで)仕事をされているのだ。お目にかかれるとしたら今しかない。突然、その事実に気がついた。しかし、名前を思い出せない。だから、事務所の若い僧に訊ねた。

  「鳥取でご住職をされながら、平日はこちらで天台宗史の編纂をされている方
   をご存じありませんか?」


22根本中堂01


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  1. 2009/07/30(木) 13:05:46|
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スロージョギング(Ⅱ)

 7月15日、ユニークアクセス(UA)が488、トータルアクセス(TA)は776を記録した。488人が776回アクセスしたということだ。TAはもっと多いアクセスの日がかつてあったかもしれないが、UAは新記録である。前月(6月)の1日あたりの平均アクセスをみると、UA=252/440=TAだから、7月15日は通常の2日分のアクセスが1日で集まったことが分かるだろう。
 なんでこんなにアクセスが跳ね上がったのだろうか。とりあえず、「サーチワード」をみてみると、1位は「スロージョギング」(56件)で、2位の「トチ葺き」(5件)を大きく引き離している。さらに調べてみると、7月11日から今日に至るまで「スロージョギング」が1位の座を譲らず、今月のサーチワードでも2位以下を圧倒的な差で引き離しており、さらにまた月間のUA・TA全体が大きな飛躍を示しつつある。
 7月4日にアップした「スロージョギング」の記事(執筆はその数日前)がこれだけ注目を集めているからには、その続編を書かないわけにはいかないだろう。

 話は7月3日(金)に遡る。ゼミの時間を使い、樗谿(おうちだに)から摩尼寺までトレッキングした。じつに激しい業で、2時間半におよぶ山道の早足歩行に体はくたくたへとへとになった(「円仁の風景(Ⅲ)」を参照)。いつもならば大学に戻って駐車場でミニサッカーとなるところだが、あの日はそんな体力は残っておらず、下宿に戻って横たわり体をやすめた。その夜は深夜のETC走行で奈良に帰る日でもあり、そのまま運転するには不安があったので「日の丸温泉」に行くことにした。おそらく4年ぶりのことである。いや、気持ちいい。トレッキングの疲労がみるみるほぐれていった。
 わたしは銭湯で、大鏡に映る自分の身体を眺めた。すると、驚いたことに、ヘルスメーターにのってみようという気力がふつふつと湧きあがってきたのだ。ヘルスメーターで体重を測るのは、やはり4年ぶりのことである。ほんの少し前まで、ヘルスメーターを発見しても、それにのって体重を計測するだけの勇気がなかった。鏡に映る自分のスタイルをみれば十分で、数値を知りたいという意欲を殺がれてしまうのだった。
 体重は公表できないが、自分の予想を若干上回っていた。スロージョギング/スローサイクリング/ミニサッカーにトレッキングまでやってこの重さなのだから、なにもしなかったGW前の体重がどれほどだったのか、そら恐ろしい・・・
 その2週間後のソックスダービー第3戦(7月17日)、さらに1週間後の同第4戦(7月24日)のあとも、深夜のETC走行の前に「日の丸温泉」で体をほぐした。もちろんヘルスメーターにのって体重を測っている。その変化をお知らせしよう。

   4日     0
  17日    -1.5㎏
  24日    -1.0㎏(計 -2.5㎏)

 というわけで、3週間のあいだに2.5㎏の減量に成功したのである。あくまで推定にすぎないけれども、GWの終わりに「孤独なサッカー」を始めたころから、少なくとも5㎏以上の減量をなしえたという実感がある。

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  1. 2009/07/29(水) 12:58:59|
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フットサルボールの苦悩

 京都の大学でサッカーをしていたころ、わたしは工学部の学生なのに「文学部サッカー同好会」に所属していた。大学にはサッカー同好会の学内リーグがあり、文学部サッカー同好会は優勝の常連だった。いちばん弱かったのが薬学部サッカー同好会。薬学部や医学部のサッカー同好会は練習は、みているだけで呆れるほどにつまらない。おまけには、練習後には隊列をなしてのランニングだ。どこか軍事練習をみているようで、その雰囲気は体育会のサッカー部(同好会ではない、大学が正式に認めるクラブ)と通じるところがあった。
 こういう軍事練習系のチームは練習時間が長く、練習日数も多い。

 わたしたちは違った。正式な練習日は木曜の夜だけ。月曜夜は自主練習で、参加を強制されなかった。しかし、練習のための準備に首脳陣は頭を使っていた。監督は「世界最高のチームの戦術を取り入れよう」と豪語していた。たしかに、日本の大学生チームだって、ミケルスのアヤックスとかバイスバイラーのボルシアMGの戦術や練習を吸収できないはずはない。練習は短かったが、楽しかった。良いチームに所属したと今でも思っている。
 われわれのチームには高校時代の「県代表」レベルの選手が少なくなかった。浜松市代表、広島県代表、大阪府代表としてインター杯出場などの選手が顔を揃えるなかで突出していたのが京都府代表のセンターフォワード。かれはどんなチームと試合をしても必ず2点とった。1点でも3点でもなく、必ず2点であるところがおもしろい。わたしは当時、右サイドバックだったが、このセンターフォワードがいたので、強いチームと試合しても我慢できた。必死で守っていれば、いつかヤツが2点とってくれる。そう信じているからこそ、守備に集中できたのだ。
 この強力なセンターフォワードのおかげもあって、かの薬学部同好会と試合をすれば、5-0、6-0の圧勝があたりまえ。ところが1度だけ、その薬学部に0-1で負けたことがある。薬学部は弱いチームだったが、リベロ(スウィーパー)だけは別格で、体が大きく、頭も良かった。薬学部はうちのチームのセンターフォワードにさんざん痛いメにあわされてきたのだが、1-0で勝利したその試合、大柄のリベロは何度も大声で他のメンバーに指示をだし続けた。

    「あたるな! もたせとけ!! 
    そいつにはボールをもたせといたらええんや!!!」

 「そいつ」とは、いうまでもなく、うちのセンターフォワードのことである。うちのセンターフォワードのキープ力、瞬間的な速さ、シュート力は尋常ではない。その強力なストライカーがボールをもったら、ただ「壁」をつくってボールを奪いにいくな、という指示である。
 京都代表の経歴をもつセンターフォワードが、この大声の指示と指示に従って形成された「壁」のディフェンス陣に驚かなかったはずはない。「壁」はボール奪取に来ないから抜き去ることもできず、シュートも打ちにくい。いざ、ピンチになると、大柄のリベロがあらわれて大砲のようなクリアを浴びせ返す。センターフォワードは苦しみ、味方にパスを出す。リベロはしめしめと嗤う。そうして60分が過ぎ(学内リーグは30分ハーフだった)、われわれは屈辱の一敗地に塗れた。

 なにが言いたいのか、もうお分かりであろう。ピヴォ対策である。ソックスダービー第4戦、AソックスはSソックスの戦略に苦しんだ。長さ1.5mのゴールにはエアポートが仁王立ち、ピヴォがボールをもつとその前方に2~3人で「壁」をつくったままボール奪取にはむかわず、ピヴォが他の選手にパスを出すのを待った。
 あとで正直な感想を述べたのだが、前半の20分まで点をとれる気がしなかった。黒帯が奪った先取点は「奇跡」に近いものであり、先取点をとられたからといって、Aソックスは戦術を変える必要はまったくなかったのだ。われわれがエアポートに対して「前に出てこい!」と挑発したのは、エアポートをゴールラインから切り離したかったからであり、その挑発にのってポジション・チェンジをしたのが第4戦の最大の敗因である。エアポートが前線にいてもまったく怖くないし、攻めたがりのガードはゴールラインから大きく離れた位置取りをするので、隙がありありとみてとれる。捻挫を抱えていなければ、この日もピヴォは3点シュートを決めていただろう。ガードとゴールとの間にはそれだけのスペースがあった。
 
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  1. 2009/07/28(火) 14:28:32|
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ソックスダービー第4戦

黒帯、ハットトリック!

 毎週金曜日はサッカー日和。24日(金)の18時からソックスダービー第4戦が行なわれました。加藤家での作業中、Aソックスのエース、ピヴォさんがサンダルを履いているのでおかしいな、と思っていたところ、前夜の練習で「足をくじいた」とのこと。この時点でデスマッチへの出場はないものか、と思いましたが、結局、参戦されることに・・・作業中ポツポツと雨が降り始めていましたが、サッカーに対する教授の情熱が天に届いたのか、雨は止み試合は決行。ところが、Sソックスのほうはエースのタクオさんが多忙のため、欠場ということでハナから大ピンチ・・・

 スターティングメンバーは以下の通りです。(黒猫はバイトのため欠場)

       Aソックス:教授、黒帯、武内、ピヴォ
       Sソックス:エアポート、アシガル、ガード、轟

 前半、Sソックスは前回の反省と教授の助言を踏まえて、エアポートさんをゴール前に配置、ボクとガードがトップ。轟君がトップ下のポジション。基本的に攻めないで防御に徹し、こぼれ球を奪い速攻する作戦。この鉄壁の防御が奏功し、前半20分まで両チームとも点が入らず、膠着状態。しかし、この鉄壁の防御をかいくぐり、黒帯がアウトサイドキックを使ってのテクニカルシュートを決め、Aソックスが先制点。

 今回、教授が事前にネット通販で購入したフットサル専用の4号球を使いました。これまで、使ってきたサッカーボールの4号球・5号球よりフットサル4号球は重くて反発力がなく、あまりバウンドしない特徴があります。教授をのぞく大半のメンバーは新しい球の感触が好評で、「ボールが足にすいつくようで、トラップしやすい、ドリブルしやすい」などと賞賛の嵐。ところが、教授は新しいボールの重さと硬さの影響で、正確なロングパスができず悪戦苦闘。ゴールを守るエアポートさんも違和感があったようで、途中、「ボールを変えよう」と提案されましたが、来たる学祭の公式戦(開催されるのかきわめて微妙?)に備え、「訓練」と称し使い続けました。

 膠着状態を脱し、先取点をきめたAソックスは、「エアポートあがってこい!」と教授が挑発。続けざまにピヴォさんも「ほらほら、攻めんと点がとれんでぇ」とSソックスを挑発!! これに乗ってしまったエアポートさんはガードとポジションチェンジし、エアポートさんがトップに入るやいなや、待っていましたと言わんばかりにAソックスが猛攻撃が始まった。
 ゴール前のガードは、エアポートさんほど威圧感がないようで、あっさり2点目を決められてしまい。2-0でAソックスがリードし、コートチェンジ。

DSCN9874.jpg


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  1. 2009/07/27(月) 13:47:28|
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公開ワークショップにむけて(Ⅵ)

02襖の墨書001

 7月24日(金)は前期最後の3・4年&院生ゼミでしたが、22日(水)に引き続き加藤家で修復活動をおこないました。「建具調査班」「土台石詰班」「式台修復班」の3班に分かれて、それぞれの活動を進めていきました。

建具調査班の活動
 建具調査班は、襖と鴨居の番付からはじめました。まず襖に番付し、襖の配置場所の鴨居にその配置されている襖と同じ番号をテープで貼り付けていきました。襖については、ほぼべて表装替えを業者に発注しようと考えており、見積もりのための基礎資料を作成しているのです。一つ問題があります。いまから数年前、加藤家に泥棒が入り、一部の襖が盗まれてしまったのです。その襖は表側のナカノマとアイノマの境にはめ込まれていました。盗難後、そこには板戸を通していたのですが、式台から奥座敷に通じるハレの空間の建具としては無粋なので、他の襖を転用することにしました。最初に候補に上がったのはタクオさんが但馬の工務店時代に譲ってくださった古い襖ですが、やはり但馬と因幡では職人の系列が違うのでしょうか、襖の高さが相当異なっていて、敷居-鴨居のあいだに納まりません。その寸法差は「微調整」で済むようなレベルではなく、転用をあきらめました。
 次に候補となったのが、イロリ間と奥の板間の境にはめられていた襖です。イロリまわりはこの2室を1室として使っているので、ここに襖は要りません。そして、寸法もほぼ合うことが分かりました。ただし、イロリ間板間の境の襖には表裏両面に「書」や「画」が貼られていません。あまり華やかではないのです。これについては、以下のように対応することになりました。

  1)但馬の古襖に貼ってある「書」や「画」を切り取って貼り付ける。
  2)在学中「書道部」に属して活躍したナオキさんに「書」「画」を書いてもらい、
   それを襖に貼る。

 学生たちのあいだでは2)が好評でした。環境大学が加藤家住宅を修復したよい記念になるというのです。書道部と言えば、部長を務めたハル先輩(4期生)はまだ鳥取におられるのでしょうか。すでに沖縄に帰ったとの噂も聞こえてきていますが、ハル先輩とナオキさんが「書」「画」を書き、加藤家の座敷まわりの襖を彩るとすれば最高でしょうね。

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土台石詰班の活動
 土台石詰班は、文字通り、建物の土台下に石を詰めこんでいきました。2006年の修理前、土台は地面に接地していました。修理後、その土台の下に石を詰めて地面から浮かせることになり、学生が姫鳥線の工事現場から廃棄された石を搬入し、いったん石を土台下に積めたのですが、ぐすぐすだったので柱下の礎石部分をのぞいてやり直しが決まりました。その後、石工さんにこの仕事をお願いする予定だったのですが、諸般の事情でままならず、今日まで石詰めの作業が遅延してしまったのです。いわば「3年越しの土台下石詰め作業」というわけです。
 作業内容は単純で、土台下に隙間なく美しく石を詰めるのです。しかし、実際の作業はなかなか難しい! その理由は、石の形、大きさがばらばらで、石の種類によっては割れやすいものがあるからです。ピヴォさんやナオキさん、エアポートさんでも手こずる程でした。しかし、やはり職人の集まるASALAB。時間が経つにつれ、ピヴォさん、ナオキさん、エアポートさんはどんどん石を詰めていくようになりました。そしてこの日、もう1人の職人が誕生。その名もアシガル! アシガル君は徐々に石詰が上手くなり、黒帯君に「職人」と言わせる程までに成長していきました。
 主屋の東側はエアポートさんとナオキさんが担当し、北側をピヴォさんとアシガル君、黒帯君、ガードが担当しました。正面にあたる東側の土台下に詰める石は加工された大理石(墓石を板状にしたような石板)、道路からみえにく北側は自然石を使って詰めました。
 ここから勢いになって一気に石詰を行いました。はじめ順調に石を詰めが出来ていたのですが、北側方では蜂が飛び回り作業が遅れるという一幕もありました。特に虫が苦手な私はかなりおびえてしまいました。しかし、蜂にも負けず作業を進めていき北側方面の石詰を完了。ほぼ同時に教授が試験監督を終え加藤家に到着。休憩がてら今後の予定について話し合いました。
 これから9月上旬まで大変なスケジュールでして、部長さんはその調整に眩暈を覚えているようでしたが、なんとか「円仁の風景」ツアーや公開ワークショップの日程がみえてきました。

 第1回公開ワークショップ(左官工程)は、8月27日(木)の開催が第1候補となってきています。


03石詰め001岡垣01



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  1. 2009/07/26(日) 00:00:47|
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公開ワークショップにむけて(Ⅴ)

3


壁土踏み練り作業

 7月22日(水)午後。第1回公開ワークショップ(左官工事)に向けての小舞壁土練りの最終工程をおこないました。先週から古い壁土や屋根土を篩にかけて準備を進めてきました。この日、新旧の土と藁を混ぜ、ブルーシーとの上で踏み練り作業を延々と続けました。しかしこの時、混合土に悪魔が潜んでいるとは誰も知るよしもなかったのです。まずは全員で新しい壁土をひろげていきます。この時、新しい壁土はなんとも言えない異臭を放ち我々の作業を鈍らせました。しかし、我われは異臭に屈しなかった。スコップや鍬などを使い、どんどん新しい壁土をひろげていきます。ここで、我われをまたもや阻む罠が・・・・新しい壁土が水分を吸っていて重く、足が土にとられてしまうのです。しかし、ここでも我われは屈することなく、どんどん土をひろげていきました。このころになると、異臭もたいして気にならなくなり、作業はスムーズに動き始めました。
 いよいよ土を混ぜ合わせる作業に突入です。混合土(古い壁土・屋根土・砂を混ぜあわせた土)を新しい壁土に振りまいていきます。そして、全員で踏み練り開始! 土をまいた箇所を踏み混ぜ合わしていきます。ここでも足をとられたり、はまったり・・・しかし、我われはそんな事にはめげません。全員で根気よく踏み混ぜ、用意していた混合土を半分混ぜ合わすことができました。そこで少し休憩をはさみました。私は、完成まであと少しの壁土を見て、思いのほか早くおわりそうだと暢気に構えていました。この後、混合土の悪魔に足元をすくわれるとは・・・・・・。

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  1. 2009/07/25(土) 00:00:53|
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8月1日・2日 オープンキャンパスのお知らせ

オープンキャンパスチラシ

 昨日(23日)午後、プロジェクト研究1&3「古民家のリサイクル-カマド復原と蕎麦打ち-」の発表会が無事終わりました。今日から期末試験突入です。
 そして、8月1日(土)・2日(日)には今年度2回めのオープンキャンパスが開催されます。6月14日の第1回オープンキャンパスでは、昨年まで数ヶ所に分散していた展示・イベント等をメディアセンターのギャラリーに集中させました。第2回ではギャラリー内外の展示コーナーを「建築・環境デザイン学科オープンアトリエ」と名付け、前回の試みをさらに充実させています(↑)。「研究室紹介コーナー」「作品展示」「学科紹介コーナー」に加えて、図書館前のホワイエを利用した「オープンアトリエ」では体験授業、公開講評会、環境紙芝居、二級建築士製図などのミニ・イベントを催します。また、ギャラリー前の広場ではランドスケープ担当の教員が自ら「ガーデニング」を指導します。時間配分は以下のとおりです。

  ・体験授業   8月1日(土) 13:00~
  ・公開講評会  8月1日(土) 14:30~
  ・環境紙芝居  8月2日(日) 13:00~
  ・二級建築士試験 製図に挑戦! 
            8月1日(土)・2日(日) 10:00~15:00(ゼミ室5103)
  ・ガーデニング体験 8月1日(土)・2日(日) 11:00~

 もちろんミニサッカーもありますよ。オープンキャンパス・デスマッチの第2戦が芝生の上でくりひろげられます。飛び入り歓迎、道場破り大歓迎です!! 

2009オーキャン01表紙


 前回同様、休憩コーナーには抹茶・珈琲・キャンディ・かき氷などを取りそろえ、教員・学生とくつろいでお話ししていただけます。高校の生徒さんはもちろん、県内外の皆様が気楽に遊びにいらっしゃることを心から願っております。そうそう、そう言えば、ここだけの秘密なんですが、建築・環境デザイン学科だけが準備した特製オリジナル・グッズを無料配布する予定です。乞御期待!

 下の小さな画像をクリックしていただけば、当日のスケジュールや会場へのアクセスが分かります。ぜひ遊びにきてください!
 2009オーキャン02 2009オーキャン03 2009オーキャン04

01オーキャンチラシ01拡大



  1. 2009/07/24(金) 00:19:14|
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2バックシステムについて

 昨日ガードがレポートしたように、ソックスダービー第3戦はピヴォが加わったAソックスが9-3で圧勝した。ピヴォはハーフェイ・ラインの手前から2本の3点シュートを決めるなど7得点の大活躍で、中国フットサル・リーグ現役選手としての底力をみせつけた。今後、ピヴォが定期的に参戦するとなれば(彼は暇ではないだろうが)、Aソックスの優位は動かないなだろう。それほど衝撃的なデビューだった。
 試合後、おもしろい問答があったので、まずは紹介しておきたい。ガードが「3点シュートを2点にしてください。決められると、やる気がなくなります」と懇願してきたのだ。わたしは南海飯店でこう答えた。

  「あれは麻雀における跳萬のようなものだよ。残り5分しかない。ここで2-4で負けて
   いたとする。常識的に2点差を覆すのは不可能に近い。しかし、敵に攻めさせてカウンター
   から3点シュートを決めたら5-4の大逆転になるわけだろう。言ってみれば、麻雀の
   大ラスで跳萬をあがり、大逆転してトップをとるようなものさ。これがなければ、劇的な
   逆転勝利はなくなってしまうよ。」

と答えて、「なにか異論がある者は?」と全員に問うたが、とくに反論なし。

 さて、やはりガードが報告していたけれども、Aソックスの勝因はピヴォの大活躍に加えて、2バックシステムを徹底したことだとわたしは思っている。
 ここで駐車場ミニサッカーにおける「ゴール」の規則を再確認しておきたい。まずマーカーコーンの設置によって表現されるゴールの長さは約1.5メートル。シュートは1タッチ(ダイレクト)に限り、高さ30㎝以下のグラウンダー・シュートのみゴールと認められる。要するに、1.5×0.3メートルの範囲にダイレクトでボールを蹴りこむ必要があるのだ。守備側からみれば、この範囲にボールが入らないようにすればよいわけで、ときにわたしがゴール前に横たわるのも、その防御策のひとつにほかならない。
 ソックスダービー第2戦、3人対4人の数的不利のなかでの敗因(5-7)を分析した結果、2バックシステムの有効性を痛感した。ここにいう2バックシステムとは、5人のメンバーをただオフェンス3人、ディフェンス2人に振り分けることをさしていない。長さ1.5メートルのゴール前に二人のディフェンスが立つことを意味している。第2戦においては、いつものようにAソックスはわたし一人がゴール前を死守し、他の二人を攻撃専従にしたのだが、Sソックスはゴール前にエアポートとタクオの2バックがいて攻め崩せなかった。ゴール前に二人のディフェンスが並列することは「一人が横たわる」デイフェンス以上に効果がある。敵のシュートが自軍のゴールを割る確率はきわめて低いばかりか、こぼれたルーズボールを前線にフィードし、一瞬にして危険きわまりないカウンターを生じさせるからだ。しかも、二人のバックのうち1名が攻撃参加したとしても、まだゴール前には1名のバックが残っている。第2戦でわたしは攻撃陣のふがいなさに痺れを切らし、何度か攻撃参加を試みた。しかし、その攻撃参加がカウンターを招き、がらがらのゴールにシュートを許してしまったのである。

3



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  1. 2009/07/23(木) 00:07:15|
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ソックスダービー第3戦

2


ピヴォ、7得点の衝撃デビュー!!

 7月17日(金)、加藤家での3・4年ゼミを終えソックスダービー第3戦が夕方6時半から裏の駐車場で開催されました。先日のソックスダービー第2戦では、我がSソックスが1名多い数的有利を活かし勝利をおさめたわけですが、今回の第3戦は今まで欠場だったAソックスのスーパーエース、ピヴォさんが遂に参戦!!
 悔しいですが、ピヴォさんの参戦により、我がSソックスは奈落の底に突き落とされてしまいました。スターティングメンバーは以下のとおりです。

  Aソックス: 教授、武内、黒猫、黒帯、ピヴォ
  Sソックス: タクオ、エアポート、アシガル、ガード、轟
 福井さん2 福井さん1
 前半、Aソックスはいきなり怒涛の攻めでSソックスを防戦一方に。やはりキーマンになったのはピヴォさん。ピヴォさんはボールを持つなり、パスにシュートにドリブルに圧倒的な存在感をみせつけ、Sソックスを何度も窮地においこみました。ピヴォさんの一番の武器は1回ボールを持つと蛸のようにボールが離れない抜群のキープ力です。3人がかりでボールを奪いにいっても、まったくボールを奪えないどころか、ディフェンスの壁をあっさり突破してゴールを脅かす程にすごい! ピヴォさんの力に目がくらんでいる隙にマークのゆるんだ黒帯がシュートして、Aソックスがあっさり先制。この先取点は試合の行方を予想させるものでした。
 この後もAソックスの猛攻は続きSソックスは精神的、肉体的に疲れが見え始めた。その一瞬の隙を見逃さなかったのが、またしてもピヴォさん。ハーフライン手前からダイレクトシュートし、衝撃の3点ゴール。一瞬の出来事で、点差は0:4にひろがりました。しかし、Aソックスはまだまだ手をゆるめない。さらにピヴォさんが右45度からもう1点追加し、0:5で前半終了。
 流れは完全にAソックスにあった。しかし、ここでSソックスに「希望の戦士」があらわれた。それは、さすらいの環境大OBさんである(じつはピヴォさんの同級生で、フットサッル部に二人とも所属していたそうです)。さすらいのOBさんはSソックスに助っ人として参加。ここからSソックスの攻めが始まった。エアポートさん、アシガル君、轟君がディフェンス、タクオさんとさすらいのOBさん、そして私の3人でオフェンスと役割分担を決め後半開始。さすらいのOBさんの参加でパスがまわるようになりSソックスにも攻めが出来てきた。そして遂に、ゴール!!

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  1. 2009/07/22(水) 00:06:41|
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公開ワークショップにむけて(Ⅳ)

P1020917.jpg 17日(金)の3・4年&院生ゼミは、前日に続き加藤家でおこないました。加藤家住宅修復の問題点を整理し、公開ワークショップにむけての活動を少しでも進めようとしたからです。まず、ゼミメンバー全員が問題点を共有するため、12日(日)に1期生のOB職人を招いておこなったプレ・ワークショップの録画ビデオ(圧縮版)をみました。1期生のお二人、オカムさんとヤンマーさんはどんな人でどんな技術をみせてくれたのか、ゼミ生と魯班営造学社のメンバー全員が息を呑んで画面に見入っていました。
 17日のプレ・ワークショップで決まった今後の活動指針を以下に再録します。

  1)まず、柱間すべての建具の納まりを再チェックし、エクセルの一覧表で示す。
    とくに打物のサイズについてデータをまとめ、山本さんと岡村さんに送る。
    打物は基本的に柱ではなく、建具に貼り付ける。
  2)二人はそのサイズにあわせて打物の加工を職場でおこなう。この際の加工は
    やや大きめにしておく。
  3)一方、襖については県内の業者に表装の見積もりを依頼。高すぎるようなら、
    山本経由で岡山の業者に依頼する。日本画や書の部分の切り取りについては、
    学生でできないことはない。
  4)第2回公開ワークショップ(9月中旬以降)で主任技師の指導を仰いだ上、
    岡村・山本が打物の製作・貼り付けを担当する。
  5)左官工事の公開ワークショップ(第1回)は8月中に開催し、学生主体で壁塗りをおこなう。

 ビデオ鑑賞後、エアポートさんと3年生が1)の作業を開始しました。建具と柱の隙間にできている三角形の寸法を実測する作業です。この場合、3辺すべての寸法を測ります。隙間が直角三角形ならば、縦・横の2辺の計測で済みますが、現実には柱も建具も傾いており、3辺を計測し3平方の定理を用いて隙間三角形を図化する必要があるのです。今回調査した寸法データを一覧表にし、1期生の匠お二人にお送りして、2)打物の制作に移っていただく予定です。
 また、3)の襖修理見積もりも同時に進めなければなりません。

P1020908.jpg


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  1. 2009/07/21(火) 00:10:59|
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公開ワークショップにむけて(Ⅲ)

DSC_2529.jpg


壁土のリサイクル

 7月16日(金)。各地で梅雨明けが宣言されていますが、鳥取は雨雲が今も空を覆う日があります。
 9日(木)に池田住建社長、市担当官との現地協議、さらに18日(日)に1期生OBとのプレ・ワークショップをおこない、加藤家住宅修復関する多くの課題の解が見え始めてきました。みなさん、ありがとうございました。16日は1・2年生のプロ研発表練習をおこなう一方で、4年生と院生は8月下旬に予定している第1回公開ワークショップ(左官工程)に向けて、壁土の土練りをスタートさせました。場所は加藤家の庭(駐車スペースに近い北側)の一画です。

P1020872.jpg
 わたしと黒帯くんは先発で加藤家へ出向きナオキさんと合流。加藤家駐車スペース奥にブルーシートを敷いて準備完了。しばらくすると、ピヴォさんが倉吉の左官業者さんを誘導して加藤家にあらわれました。リアダンプカーの荷台には土と藁を混ぜ終えた大量の壁土が積まれていました。ブルーシートの上に壁土を降ろすと、壁土は田植え中の土ぐらい柔らかく、微かに異臭がしました。藁が入っているため発酵し始めているのでしょう。
 まず左官屋さんが言うには、「ドーナツ状に土をひろげ、その中央に水を溜めておく必要がある」とのこと。このして水を溜めておかないと、土が固くなって、練ることが出来なるからという理由でした。左官屋さんは少しばかり指導してくださった後、倉吉に帰られました。

 4人でドーナツ状にする作業が終わり水を溜めていると、後発のゼミメンバーがやってきました。次に全員で古い壁土を目の粗い篩(ふるい)にかけ、瓦、石や草などを取り除く作業に移りました。そもそも古い壁土は、2006年度の加藤家修理の前に小舞壁に使われていたものです。それを駐車スペースの近くに積み上げて保存しておいたのです。この壁土の再利用には以下の二つの意義があります。

  1.文化財保存における「材料のオーセンティシティ」の継承
  2.廃棄物を少なくするための古材料のリサイクル

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  1. 2009/07/20(月) 00:20:48|
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第14回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」

発表練習

 7月16日(木)はプロジェクト研究1&3「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」の最終回となりました。残すは23日の発表会だけです。16日は、その「最終練習」になるはずでしたが、1・2年生の準備してきたパワーポイントにはまだまだ問題が多く、教授の要求するレベルに達しておらず、プレゼン練習は15時からじつに4時間を費やしました。7人の指導が終わったのは19時過ぎで、教授もへとへとになっておられました。
 この日は『2010大学案内』取材班が加藤家を来訪し、発表練習を取材されたのですが、最初の発表者のプレゼンが最低合格ラインにはるか及ばず、「すでに4年生や院生が指導しているはずなのにこのレベルはどうしたことか」ということで教授はいきなりご機嫌斜め・・・取材陣はピリピリムードに近寄りがたかったようで、写真撮影後、早々に退散されました。
 2番目からの発表はまずまずで、教授によればすでに60点を超えているとのこと。とくに1年生N君の発表はデザインが良く、内容も充実していて教授は感心されていました。また、2年生Y君もいちど教授にチェックをうけているので、「とても良くなった」と誉められていました。しかし、教授の要求は高く、全員が80点以上のレベルに仕上げてほしいということで、21日(火)20時から仕上げの再練習をすることになりました。
 私と黒猫くんも、卒業研究と関わっているプロジェクトの一部なので、1,2年生とともに準備を進め、全員が80点以上のレベルに達するよう一緒に頑張っていきたいと思います。なお、発表会のスケジュール等は以下のとおりです。

 2009前期 プロジェクト研究1&3発表会

   日時  7月23日(木)14:30~15:30 
   会場  鳥取環境大学13講義室
   プロジェクトテーマ: 「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」
   発表構成・分担:
    1.はじめに(栂)
    2.カマド復元のための調査と分析(村上)
    3.土台木枠の加工(中島)
    4.カマド土台石板の修復(吉田)
    5.カマド本体と七輪の復元(原)
    6.カマドの活用-蕎麦打ち対決(安食)
    7.プロジェクトをふりかえって(井上)

 多数のご来聴をお待ちしております。それでは23日にお会いしましょう!  (ガード)

  1. 2009/07/19(日) 00:11:30|
  2. 講演・研究会|
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『紅楼夢』第8章

第8章 馬道婆の呪法
p.48-53:小山訳

1.やがて元妃(元春)は多くの姉妹達と賈宝玉に大勧園に転居するよう命を
  下した。薛宝釵は「傷「蕪苑」に引越し、林黛玉は「瀟湘館」に住み、賈宝玉は
  「怡紅院」、李恕lは「稲香村」に住み、迎春、探春、惜春はそれぞれ「綴錦閣」
  「秋爽斎」「蓼風軒」に分かれて住んだ。

2. ある日、賈宝玉はとりとめもない悩みが湧き上がってきた。若い召使の茗烟は
  それを見て、読むことを禁じられている書物の一つである『会真記』を彼のため
  に探してきた。
   【セリフ】
    茗烟:「お坊ちゃま、どんなことがあっても他人に見せてはなりませんよ!」

3. 陽春三月、賈宝玉は桃花の下の石の上に座って、『会真記』を読んでいた。
  春風がすり抜けて往き、桃花の多くが散り落ちた。

4.賈宝玉は落ちた花が踏みにじられるのを恐れ、すぐに花びらを(着物の裾で)
  くるみ、池の畔までやってきて(裾をふるって)水中に入れたらどうかと考えて
  いた。すると、林黛玉が庭鋤を担ぎながら歩いてくるのが見えた。

5.林黛玉は言った。
   「あなたにはここらへんの水が清らかに見えるかもしれませんが、
    民家が軒を連ねているところや、庶民が物売りをしているようなところまで
    流れていくと、水は汚くなっていくのですよ。私は、散った花びらを拾い
    集め、埋めておくための花塚(花びらの墓)をもっています。私たちが花を
    塚へ埋めたほうが、汚くないでしょう。」
  賈宝玉は何度もうなずいた。

6. 二人が話をしていると、例の『会真記』が(懐から?)出てきてしまった。林黛玉は
  とても興味を抱き、賈宝玉といっしょにその本に目を通したいと要求し、一心不乱に
  読みふけり始めた。

7.賈宝玉はそれ(二人で禁断書を読んでいること)が人に見つかるのを恐れて言った。
   「とりあえず私たちは、花びらを集めて埋葬してやりませんか?」
  林黛玉は夢から覚めたばかりのようになり、二人は花びらをきちんと埋葬した。

8.賈宝玉のおばの誕生日が来たので、鳳姐(王熙鳳)、薛宝釵と賈宝玉はおばの元へ
  行き、長寿を祝った。王夫人だけが家に残って、賈母の面倒を見ていた。

9. 王夫人は賈環を来させて、写経させた。賈環は機に乗じて(虎の威を借りて)人に指図
  するので、女中たちはみな彼に取り合わなかったが、彩霞だけが彼にお茶を入れた。

10.賈宝玉が戻ってきた。王夫人は彩霞に、賈宝玉の肩を叩かせた。賈環は、賈宝玉と
  彩霞が仲良く談笑しているのを見て、ひそかに腹を立てていた。

11.賈環は賈宝玉をやけどで失明させようと思い、火のついた蝋燭を(眠っている)賈宝玉
   の顔めがけてちょっと押し倒した。賈宝玉は「わあっ」と声を上げ、建物中の人を驚かせた。

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  1. 2009/07/18(土) 00:01:56|
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『紅楼夢』第7章

第7章 参禅の詩
p.42-47:岡垣訳

1. この日の夕方、賈宝玉の身のまわりの世話をする付人、襲人は、家での年越し
   茶会からもどってきた。襲人は、賈宝玉がどれだけ自分に対して情を持っている
   のか探るため、賈宝玉に言った。
     「私の母と兄が、私を買い戻そうとしているんです。」
   賈宝玉は、慌てて強く引き止めた。

2. 襲人は言った。
     「私は、行かなくてもかまわないわ、あなたが私の三つの条件を承知
      して下さるなら。」
   襲人は一つ一つ述べ、宝玉は立て続けに承知した。
   【セリフ】
     襲 人:「一つ、今後勉強したくないとだだをこねるのは許しません。
          二つ、僧侶や道士を中傷するのも許しません。
          三つ、頬紅や口紅で遊ぶのはやめてください。」

3. ある日、賈政(賈宝玉の父)と側室の趙おばさんの子、賈環、そして
   薛宝釵たちは碁を打って賭け事をしていた。賈環は、賭けに負けた後
   だだをこね、鶯児に説教されて、大声で泣いていた。
    【セリフ】
     賈 環:「おまえたちは、母が妾だからって私をいじめるんだね。」

4. 宝玉が部屋に入ってきたその時、賈環が泣いているのがわかり、
   言った。
    「正月に泣いてどうしたんだ? ここが気に入らないなら別の場所に
     いって遊べよ。長いあいだ泣いたからといって何になるんだ? 
     自分から悩みをもたらすだけだろ!?」
   賈環は、すぐに部屋を飛び出し、趙おばさん(賈環の生母)に悔しさを訴えた。
    【セリフ】
      宝 玉:「賈環、おまえは毎日の勉強漬けで頭がおかしくなったのかい?」

5. 趙おばさんは賈環の愚痴を聞いたあと、賈環をひどく叱った。ちょうどその
   一部始終を鳳姐(王熙鳳)に聞かれ、鳳姐(王熙鳳)は言った。
    「賈環くんはまだ子供なのに、あなたの教育は過剰ですわよ。」
   【セリフ】
    趙おばさん:「下品で面子の立たない子ね、そこらじゅうで遊んでは駄目でしょ。
            よりによって、あんなところに遊びに行くなんて。」

6. この日、賈母の実家の孫娘である史湘雲がやってきた。史湘雲は林黛玉を
   みつけて一緒に遊び、賈宝玉もそこにいることがわかると、賈宝玉に不平不満
   を言った。
   【セリフ】
    史湘雲:「宝玉お兄さま、どうしてあなたは私をかまってくれないの?」

7. 林黛玉は史湘雲を舌足らずだとからかい、史湘雲は言った。
     「林お姉さまが舌足らずの旦那さまをもらえばいいでしょ。」
   二人は笑いながらふざけ始めた。

8. その夜、林黛玉は史湘雲と一緒に眠った。
   翌日、賈宝玉は早朝すぐに部屋にやってきて、自分(賈宝玉)の髪を結うように
   史湘雲に頼んだ。

9. 史湘雲はやむなく頼みを聞き入れた。
   突然、史湘雲は賈宝玉が少しばかりの口紅をつまみ口に運ぶのを目にし、
   とたんに賈宝玉の手を掌でたたいた。

10. 薛宝釵の誕生日に来た。賈母は人柄がよく心が広い薛宝釵を愛し、
    賈母自ら出資して酒席を設け、京劇の一座を招き演じさせた。

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  1. 2009/07/17(金) 00:13:38|
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公開ワークショップへむけて(Ⅱ)

集合


1期生とのプレ・ワークショップ

 7月12日(日)、加藤家住宅でプレ・ワークショップを開催しました。プレ・ワークショップの目的は、おもに建具の納まりについて、数奇屋大工と建具師の立場からのアドバイスしてもらい、修復手法を実演しビデオに録画することです。この録画は、今後、学生たちの重要な教材になるでしょう。もちろん、12日の成果は公開ワークショップの下準備となるものであり、公開ワークショップは、さらに主任技師、池田住研の大工さんたち、学生、地域住民を巻き込んでのおおがかりなものになる予定です。
 昨日、タクオさんが報告されたように、今回招聘したのはASALAB1期生の岡村さん(数奇屋研究所「心傅庵」大工)、 山本さん(若林建具)の2名です。

04岡村の道具


 私が加藤家に着いたのは、9時40分ころ。急いで準備をしていると車のエンジン音が聞こえてきて、タクオさんがあらわれました。建具師の山本さんも一緒で私は面識がなかったのですが、とても気さくでおもしろい方でした。私が準備をしているあいだ、タクオさんが山本さんを案内してまわられました。山本さんは「きれいになっている」と、現在の加藤家を絶賛してくださいました。10時になって、先生と岡村さん(縁の修復でお目にかかったことがあります)が到着し、ワークショップが始まりました。まず、式台、土間のスドを見ていただき、我われの修復の考えに問題があるのか質問しました。

 それから、建具の納まりに関する問題点を先生が説明されました。先週木曜日に池田社長と議論されたのと同じ内容です。柱に歪みや倒れが発生していて建具の納まりが悪くなっており、これをどう修正するか、というのが最大の課題です。やはりウチモン(打物)で処理するのが一般的だということですが、それを柱に打ち付けるのではなく、建具に打ち付けるのがよいという結論に至りました。
 さっそく実演です。まずはお二人の道具を紹介していただきました。岡村さんは一部でしたが、山本さんはひごろ使われている道具をほぼすべてもってきておられました。なかなか圧巻です。と、ここでお昼になり、全員でそば切り「たかや」で美味しい蕎麦を食べました。

05山本の道具


 1時からはただちに作業再開。実演に使った建具は加藤家のものではありません。タクオさんが但馬の工務店に勤務されていたとき、廃棄物となった「襖百枚」のうち20枚ばかりASALABであずかっており、それを使って框と引手金具の解体、日本画や書が書かれた貼り紙の切り取りを実演していただき、ビデオで録画したのです。まず、山本さんが使われた用語に倣いますと、框は上側が「上棧(カミザン)」、下側が「下棧(シモザン)」、左右を「框(カマチ)」と呼びます。一方、岡村さんは左右の長軸部材を「縦棧(タテザン)」と呼ばれていました。
 はじめに縦棧の隅から椹木(アテギ)してゲンノウで叩きはずしていきます。はずすとねじ釘が何ヶ所か打ち込まれていました。古い建具では蟻の継を使うようです。引手金具は、椹木で内側から叩くと取手がはめ込まれている部分に少し隙間が生まれ、金具を固定している小さな釘があらわれ、その釘から金具を外すようにして取ります。あっと言う間に一通りの工程が終了しました。もう一つの古めかしい襖には表装に日本画や書が貼り付けてあり、それをカッターナイフで切り取りました。この作業ぐらいなら学生でもできると思います。表装については、専門の業者に下請けに出して貼り直してもらうそうですが、問題は裏紙に古文書が使われていることで、一家の歴史どころか日本の社会史を覆すほどの文献が埋もれていることがあり、なんとか保存したいと先生は述べられましたが、業者はいやがるだろうと山本さんは答えられました。
 襖の蟻 金具取り 取除いた金具


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  1. 2009/07/16(木) 00:12:13|
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円仁の風景(Ⅴ)

立岩


摩尼寺「奥の院」のヒエロファニー

 10日のゼミは、先週に引き続き摩尼寺を訪問しました。摩尼寺の仁王門・本堂から山道をアップダウンし「奥の院」までトレッキングしたのです。善光寺如来堂のすぐ裏側の地蔵堂・法界場から先が摩尼寺「奥の院」へのコースで、山の頂にある「賽の河原」を経て、その中腹にある奥の院まで登る計画です。
 スタート地点の地蔵堂・法界場には、宝暦四年の宝篋印塔や文化十四年の銘が刻まれた石仏などが多数あり、教授は「建築より文化財価値が高いんじゃないかなぁ」とおっしゃっていました。
 六角堂 展望台

 山道を登り始めてから、ほど近いところに小さな六角堂と、六地蔵が見えてきます。六角堂のような正多角形の平屋建物は円堂とも呼ばれ、インドのストゥーパを木造建築で表現しようとしたものだと教授は解説されました。この六角堂は大師堂とも呼ばれ、ガイドブックによると、弘法大師空海の小さな像が安置してあるそうです。天台宗にとって、というか、最澄にとって最大のライバルであった空海を天台宗ゆかりの山で祀っていることには驚きを禁じ得ません。おそらく、敵対関係が薄れて「密教」とひとくくりにされるようなった江戸時代か明治時代に作られたものでしょう。
 しばらく先に行くと、急に視野が開けて、見晴らしのよい展望台に出ます。ここに立つと砂丘や、ラッキョウ畑、美しい日本海が一望できて、皆ほんの少しだけ疲労がやわらいでいるようでした。
 地蔵群 石仏1 石仏2

 「賽の河原」にいたる山道の2ヶ所で観音石仏群を発見しました。文化年間(1810年前後)の銘をもつ石仏が多く、西国札所?の番付らしきものと寺院の名が刻印されています。清水寺や長谷寺など超有名な寺が名を連ねています。いったい摩尼寺とどういう関係にあるのか、調べてみる必要がありそうです。

 地蔵堂から山道を歩いて約40分経ったでしょうか、ようやく「賽の河原」に到着しました(いちばん上の写真)。ここはひろびろとした場所ですが、石仏群のすぐ後ろにある巨大な岩が存在感を放っています。これは「立岩」と呼ばれ、湖山の里の産見長者夫婦が、突然、姿の見えなくなった娘の行方を捜してここまで来たとき、帝釈天の姿になって降りてきたのがこの岩の上と伝えられており、そのときに娘が帝釈天の化身であったことを喜び、親子の別れをしたのがこの場所で、「賽の河原」という名はここからつけられたのではないかと考えられています。果たしてこれほどの大きな岩はどのように形成されたのでしょうか。突出したのか、堆積したのか、摩尼山についての本を読んでも見つけられなかったため、不思議でなりません。

奥の院3
↑奥の院の岩窟・岩陰はスリランカの初期仏教遺跡を彷彿とさせる。



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  1. 2009/07/14(火) 00:08:56|
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公開ワークショップにむけて(Ⅰ)

01池田社長03土間

 昨日報告しましたように、9日のP1&P3では、久しぶりに池田住研の社長さんが視察され、鳥取市のSさんもご同席いただきました。それはもちろん加藤家住宅修復の完成にむけての打ち合わせのためですが、夏休み以降、2度の公開ワークショップを開催する必要があり、そのワークショップをいつごろどのような形でおこなうかについての最初の検討をおこなったのです。今回の視察・協議で浮かび上がった点は以下のとおりです。

左官作業、来週からスタート!
 加藤家の庭には修理前の小舞壁の土が取り置いてある。これに新しい土とスサ(藁)を混ぜて1~2ヶ月養生させる必要がある。加藤家の壁土、屋根土については、庭にブルーシートを敷いて、篩にかけた土を堆積させる。それに新しい土とスサを混ぜる。全体の形状はモンジャ焼きのようにして、中央のカルデラ?部分に水を溜め長靴を履いた足で土をこねる。16日(木)にピヴォさんが倉吉の左官業者さんのトラック(新しい土と藁を載せている)を誘導してきて、加藤家の庭で土練りを始める。

6


建具の納まり
 2006年度の修理で傾斜した柱を矯正したために、鴨居・敷居間の内法寸法に変化が生じている。鴨居・敷居間に納まっていた襖・障子類が納まらなくなったり、納まっても外れやすくなっている部分が少なくない。また、傾斜の変わった柱との接触面に細長い三角形の隙間が生じているところも多々みとめられる。これについては、いわゆる三角形の打物を柱に釘打ちしている処理するとのことだが、加藤家住宅の場合、建築年代が18世紀前期以前に遡る可能性が高く、一部の柱はチョウナ仕上げではないか、と思われる痕跡もあり、当初柱に釘打ちするのは問題がある。また、細長い三角形の打物を学生が加工するのは難しい。これについては、12日(日)にゼミOBの数寄屋大工と建具師がやってくるので、かれらの意見も聞き、さらに公開ワークショップでは文化財建造物修理の主任技師を招聘して意見を聞くこととした。

床束の修復・補強と土台下の石詰め
 一部の縁束が腐朽し始めている。差し替え可能なのものは差し替える。差し替えが難しいものは、添束を新設して大引を受ける。一部の束や柱の根本が白色化しており、苔菌類が付着した可能性があるのため、河原町林業試験場の技師さんに来ていただいたところ、雨落の水分が犬走の石材を粉化して吹き上げたものと推測されるというコメントをいただいた。ただごく一部には薄緑色の苔菌類が付着している部分もあることが分かった。白色化した部分に傷みはないが、薄緑色の部分は若干劣化し始めているので洗いとる必要がある。
 一方、地面と土台の間の隙間に石を詰めて安定した基礎を作る予定であったが、この2年間、柱下の部分だけに石を詰めただけで、他の部分は空隙ができたいる。じつは2006年度に学生がいちどすべての部分に小石を詰めたのだが、ゆるゆるの状態だったので、詰め直しということになり、施主が石工業者に依頼することになっていた。しかし、3年間放置されたままであり、もういちど学生たちでしっかり詰めなおしことになった。
 5 kabi2


軸組の構造補強
 2006年度の調査で加藤家住宅主屋は大黒柱を中心に左まわりで大きく歪んでいることがあきらかになった。この補正のために、建物の4隅の4本柱による「コア」構造を作ろうと予定していたのだが、結局、土間に1本の柱を立てただけで、「コア」となる構造が北側にしか出来なかった。反対側(南側)についても、2ヶ所の隅で「コア」構造を作り、建物の再傾斜を防ぐこととした。この工事は学生ができるものではなく、職人さんにお任せすることにした。

竹の雨樋
 屋根まわり全体に竹樋をつけた場合、積雪処理が問題となる。雪よけの方法を検討する必要がある。


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  1. 2009/07/13(月) 00:25:34|
  2. 建築|
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第13回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」

 1


 7月9日のプロジェクト研究1&3は、いつものように、加藤家で行いました。今回、1・2年生は講評会にむけてのパワポのプレゼン練習をおこなう一方で、池田住研の社長さんと市のSさんに来ていただき、この夏にむけての修復計画を練り上げました。
 作業内容は以下のとおりです。

1.発表練習
 ①1・2年生が作成してきたパワポで発表し、黒帯、アシガル、部長の3名がコメント。
 ②全員の発表が終わったら、アドバイスを元にパワーポイントの修正。
 ③最後に今後のスケジュールの検討。

2.加藤家修復の話し合い 黒猫、ガード、エアポート、ナオキ、ピヴォ

 ①今年度は県の「知の財産」事業だけでなく、国の補助事業も内定しており、今後2度にわたって公開ワークショップをおこなうことになっており、現状で抱える加藤家住宅修復の問題点について、教授、社長、Sさんの3人で協議した。とくに建具の納まり、柱の微細な傾斜をくいとめる工事については、文化財主任技師を招聘し、大学研究室、職人が一体となったワークショップを開く必要があることを確認した。これはおそらく9~10月になるでしょう。
 ②左官工事に着手することになり、外庭にとりおいていた古い壁土に新しいスサ混じりの土を混ぜ、1~2ヶ月養生させることになった。これについては、来週、ピヴォさんが業者さんを加藤家まで誘導してくることになった。こちらのワークショップは8月下旬に開催することになりそう。
 ③今後のスケジュールと修復チームの体制についての話し合い。

3.式台の防腐処理
 ①魯班営造学社のナオキさん、ピヴォさんが式台の仮組から補強を検討。
 ②古材に防腐剤を塗布。

式台

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  1. 2009/07/12(日) 00:16:02|
  2. 研究室|
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ソックスダービー第2戦

全身でガード


 7月8日(水)の18時から、アソックス対スローソックスの第2戦が行われました。まず、ウォーミングアップで、ポストプレーのワンツー練習。これがなかなか難しい。パスを返すポストマンの動きに合わせて走りこむタイミングがなかなかつかめないんですが、狙ったところにシュートを放つのもうまくいかない。しかし、これは我がAソックスの目指す戦術の重要な核になるので、タクオさん率いるSソックスに一泡吹かせるためにも早く機能するレベルまで持っていきたいですね。

 スターティングメンバーはこの通り。(アシガル、武内は欠場)

    Aソックス: 教授、黒猫、黒帯
    Sソックス: エアポート、ガード、轟

 前半は、Sソックスの絶対的エース、タクオさんが遅れているのをいいことに、Aソックスが圧倒的優位に試合を進める。教授がシュートを決めたようにみえた場面が何度かあったが、ガードの疑惑の判定により得点と認められなかった。なお、今回よりハーフェイ・ライン手前から放ったダイレクトシュート・ゴールには「3点」が与えられることになりました。教授はいちど、その「3点シュート」を決めたのですが、ガードの判定は「高い」。しかし、前半は余裕の展開だったので「疑惑の裁定」にも文句を言わず、紳士的にプレーしていました。膠着状態が続く中、教授が前線に抜け出し、遠めからシュート! そこに、たまたま立っていた私がごっつぁんゴールを決めて1-0。前半も終わりに近づき、仕事を終えたタクオさんが合流。ここで、Sソックスは4名になり、3名のAソックスではわたしにドリブルシュートが認められました。しかし、4対3の人数差は大きく、Sソックスがじわりじわりと攻勢を強めていきました。このとき、右サイドラインにあがった教授の華麗なボレーシュートがゴールを割ったのですが、またしても「高い」というガードの判定に試合は動かず、前半終了。
 大給君足つる2 悶絶

 いい調子で試合をコントロールしていたAソックスであったが、後半から風向きが大きく変わってしまった。一番の原因は、私が、何度も足をつってしまい、人数的不利な状況をより深刻なものにしてしまったからである。じつは、私はサッカーの前に摩尼寺まで自転車を漕いであがり、さらに摩尼山頂まで下見の山登りをして帰ってきた直後であり・・・本当に情けない。でも、卒倒するくらい痛かったです。最後は両足がつって動けなくなり、教授にヒールホールドで治療していただきました。そのうえ、エアポートさんのクリアが私のとても大事な部分にヒットしてしまい、歩くこともままならない状態。そして少ない人数のなか、全員が攻めあがったAソックスをゴール前で一人待ち伏せするガードがカウンターパスを受けてシュートを放つというSソックスの戦術が奏功し、無人でガラ空きのAソックスゴールに次々と得点を決め、防戦一方。その後、教授、黒猫が何とか得点を決めて追いすがったものの後半終了。結局、7対5でSソックスの勝利という結果(教授によると、14-9でAソックスの勝ちだそうです)。非常に残念なことに、戦績を1勝1敗のイーブンにされてしまった。次の試合は特に大切な一戦になるでしょう。そして、Aソックスはこの敗戦を分析し、人数的不利を打開する必殺の戦術をミーティングした。これについては、次回以降の試合をお楽しみに・・・フフフ。

 試合後は反省会を含めた軽い打ち上げ飲み会。というのも、OBの西河ご夫妻(2期生)が貴重な鮮度直送のビールを研究室へ送ってくださったおかげなのです。メンバー全員が大喜びで飲んでいました。また、ラスクも送っていただきました。どうもありがとうございました! (黒帯)

鮮度直送
↑【注目】 全国に散在するASALABのOB諸君! このように西河夫妻は毎年、教授室、研究室、奈良自宅の3ヶ所に高価なお中元とお歳暮を贈ってくれるだのよ! 西河夫妻以外のOB諸君、君たちは恥ずかしくないのか!! まだ間に合うぞ、お中元!!!!!



  1. 2009/07/11(土) 00:30:47|
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円仁の風景(Ⅳ)

01マニ寺01仁王門01岡垣


摩尼寺の建築と法界場

 7月3日(金)のゼミは、計11名で樗谿公園から鳥取市覚寺にある摩尼寺まで中国自然歩道を通っていきました。山道歩きについては黒帯君がレポートしてくれたので、今回は摩尼寺について述べたいと思います。

 山道を歩いて摩尼寺に着いたのが17時15分。じつに2時間15分におよぶトレッキングでした。まずは全員で記念撮影をして、早速摩尼寺へと続く長い階段を上がりました。中段まで上ると、仁王門がが威容をあらわしました。隠岐島前の焼火(たくひ)神社から約400年前に移築してきたと伝わる三間一戸(初重扉なし)入母屋造の楼門です。摩尼寺仁王門は県指定保護文化財となっています。
 仁王門の組物は初重が出三斗を詰組にしていますが、頭貫上の天のりで台輪を使っていません。対して、二重は出組と一段派手にしており、台輪を用いているのに詰組にせず、中備に蟇股をおいています。その蟇股には天台宗を象徴する呪具「輪法」が彫刻されていました。
 DSC01829.jpg DSC01835.jpg


01マニ寺02山門01今城

 仁王門を過ぎると、さらに石段が続きます。長い階段を上って左に折れると山門があり、その向こうに摩尼寺の本堂が見えます。ここで本堂や山門を見ながら教授から学生たちにミニレクチャー。講義でも学んだ組物などについて、実物を見ながら説明を受けました。
 本堂は正面三間、側面四間で、屋根正面には千鳥破風がつき、さらに向拝に軒唐破風をつける宮殿(くうでん)タイプのは入母屋造です。組物は向拝が出三斗(三斗組)、本堂が出組となっています。巻斗には皿斗がついて大仏様風にみせていますが、教授によると、皿斗は高さ調節の役割を担っているそうです。
 山門は切妻造の四脚門(棟門の変形)で、柱をつなぐ桁の上に出三斗が、控柱をつなぐ桁の上に大斗と肘木が乗っています。こちらは大斗・巻斗の両方に皿斗をつけていて、両方の高さをうまく調節しています。そして、その上にさらに縦横に材をわたし大瓶束をのせて、二本の柱と控柱との中間にある棟木を支えています。
 『鳥取県の近世社寺建築』によると、本堂の擬宝珠銘には万延元年(1860)とあり、様式的にも19世紀中ごろとこと。教授も建築彫刻や絵様をじろじろ眺められ、幕末~明治初の作だろうとおっしゃっていました。

DSC01842.jpg


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  1. 2009/07/10(金) 00:12:11|
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円仁の風景(Ⅲ)

一本橋


樗谿から摩尼寺への道

 慈覚大師円仁は鳥取市にある摩尼山の山頂付近に摩尼寺を開いたと伝承されています。いまの摩尼寺は摩尼山の山裾に境内を構えているので、当初の位置とは異なっていますが、3日のゼミで樗谿(おうちだに)から摩尼寺へとつづく中国自然歩道のコース約7kmをトレッキングすることになりました。簡単な地図は見つけることができたものの、詳しい道のりは判断できなかったため、現地の標識に頼らざるをえない状況になりました。しかし、この標識が新旧2種並立しており、その情報に私たちは惑わされてしまうのです。
 樗谿から太閤々平までは自然歩道が舗装されており、森林浴を楽しみつつ3年生はインターンシツプについて教授と相談しながら歩いたり、ときおりスロージョギングしたり、と余裕がありました。太閤々平に着いたのが4時すぎ。案内板をみると、さらに摩尼寺まで3.5㎞も距離があることが分かりました。

01太閤ヶ平02マニ山遠望

 ここで、黒猫君とTO.YOさんが脱落。7時からバイトが入っているため、トレッキングで摩尼寺に向かい帰ってくるとしたら、どんなに早くても樗谿に戻るのは7時半ころになるだろうと推定されたからです。二人は、名残惜しそうにみえて、結構うれしそうに、引き返していきました。太閤々平では皆ミルキーで糖分を摂取し、疲れを癒しました。そして、ここからが自然歩道の本番。一気に急な山道になり、キツさは増すばかり。覚悟はしてましたが、これほどハードだとは思っていなかった・・・。前日の雨にぬかるんだ山道に苦戦しながら、アシガル君と私は、つぶやき合いました。
 途中、水の流れに遮られた道、丸太に傷をつけただけの一本橋(これはちょっと怖かった)があり、なにより急傾斜の階段路が長く続くので、みんなこの丸太で縁を土留めした階段をのぼって帰るのか、という恐怖を感じていたはずです。教授もこの階段路あたりで、往復は不可能だと判断されたようです。日は暮れてきたし、小雨も降ってきたからです。
 それにしても。摩尼寺という同じ目的地をめざしているのに、異なる距離が表示してある新旧2種類の看板には翻弄されました。距離が長くなったり短くなったり、どうなってるだんだって感じです。

02山林の道04標識01



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  1. 2009/07/09(木) 00:15:36|
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第12回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅲ)

10審査02試食03横長


反省と講評

 2日のプロ研1&3は、復元したカマドの「活用」第1弾として蕎麦打ちイベントを開催した。この蕎麦づくりはただの食事会ではない。プロジェクト研究のなかの「実験」として位置づけるものであり、4チームが蕎麦粉の種類や小麦粉との調合比率、さらには火処を変えて蕎麦をつくり、その味の違いを確かめることに目的がある。
 この日、ASALABに関わる学部生・院生のほぼすべてが加藤家住宅に集結した。ただし、プロ研1&3は1・2年生の演習なので、このたび復元したカマドは1・2年が使用し、2週間前にコーヒーミルで製粉した岩手産の蕎麦粉についても1・2年が調理に使うことにした。ところが、イベント開始直前に岩手産の蕎麦粉がないことが判明した。加藤家を探し回ってもどこにもなく、だれもどこにあるかを知らない。唯一知っている可能性があるガードは就職活動出張中で、電話してもつながらなかった。
 岩手産の蕎麦粉は大学の演習室に置き去りにされたままになっていた。これをアシガルが探し出し、なんとかことなきを得た。ガードのいない状況でイベントの準備をしたのは黒猫だった。黒猫は薪や鍋、そして審査員の星取表などの準備で大変だっただろう。ただ、イベントの目的を理解しないまま準備していた。とりわけ、2年生には岩手産の「十割蕎麦」を指定しながら、1年生に市販蕎麦粉の「二八」を指定したのは大きな過ちであった。自ら挽いた粉を「十割」にする場合と「二八」にする場合の違いを確かめるべきであり、演習開始直後から変更を求めていたにも拘わらず、わたしが買い出しから戻ってきても、1年生が市販蕎麦の「二八」を作っていたのには驚いた。

10審査02試食01

 1年のH君がこの誤りに気付き、自らわたしに報告しにきた。そのときまだ岩手産の蕎麦粉は半分余っていたので、1年生は「二八」を市販粉と岩手産粉で2回作ることになった。これはこれで良かったと思っている。以上の書き方からすれば、今回の失敗は黒猫に責任があって、それをわたしが責めていると思う読者も少なくないかもしれないが、決してそういうわけではない。黒猫一人が準備に奔走したことに問題があるのだ。最初に述べたように、プロ研1&3は1・2年生の演習なのだから、1・2年がリーダーシップを発揮し、準備を進めるべきだった。黒猫はそのアドバイザで良かったのではないか。加藤家に関わる修復活動は一部の4年生の卒業研究のテーマになるから、かれらが主導するのは仕方ないとしても、せめて蕎麦づくりについては1・2年中心の運営がみたかった。この点、今回のプロ研1&3の大きな反省点だと思っている。

 そういう不満があったものの、買い出しから帰ってくると、学生たちは蕎麦づくりに熱中していた。その姿をみて安堵し、嬉しく思った。どのチームも、いちばん美味しい蕎麦をつくろうと必死になっていた。チームワークの良さも十分みてとれた。先週の反省から、火力が強まり、麺のできばえは著しく向上した。以下は各チームに対する講評である。


10審査11一年市販完成01

1年生チーム 4名   浅★1.5 福★2.0 林★1.5  計★5.0
   二八蕎麦: ①ジャスコで買った市販の蕎麦粉
           ②岩手県一戸町産の蕎麦実を自ら製粉した蕎麦粉
   火処: 復元したカマドの右側
 ①の市販蕎麦粉でつくった麺(↑)はやや厚みがあるが、そこそこ長さを確保できていて、味も良かった。この麺から審査が始まったので、★は三星の平均値1.5とした。②は4年までの審査が終わってから、最後にでてきた(↓)。2年生の岩手産十割が高い評価を得ていたので、それに中力粉を混ぜた「二八」は期待していたのだが、同じ岩手産の蕎麦粉を使っているにも拘わらず、二八のほうが硬く、粉っぽい。1年生の説明を読めば分かるけれども、中力粉と水を何度も足したことが、あるいは逆効果だったのかもしれない。麺が厚くて太く、長さも十割よりやや短いぐらい。両者を口にいれて、何度も噛み比べてみたのだが、1年のほうがあきらかに硬い(後日「たかや」のマスターに問うたところ、あとで中力粉を足すと、その粉が当初の粉に馴染まず、粒となって触感に残るとのこと)。中力粉を多く加えることよりも、蕎麦粉自体を長い時間をかけてこねることのほうが重要ということだろうか。蕎麦湯は薄味だった。

1年蕎麦


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  1. 2009/07/08(水) 00:27:21|
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第12回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

3ねん きる


すすれないけど味はいい

 3年生、TO,YOです。蕎麦を作るという美味しい工程に、ちゃっかりなのかしっかりなのか参加させていただきました。まず、4月に加藤家で見たときには各パーツが分かれて置かれている状態だったカマドが、見事に修復されていたのに驚きました。修復の過程は写真で見ただけなので、驚きのビフォーアフターです。修復、おつかれさまでした!
 そして、かんじんの蕎麦作り…。3年生チームは「浅川研ゼミAチーム」でl、「5割蕎麦」担当。そば粉はジャスコで買った市販のもので挑戦。

 【材料】 そば粉:200g 中力粉:200g 水:200cc 打ち粉:適量
       ※打ち粉は、そば粉か、そば粉がなければ片栗粉
 【作り方】
  ①水回し
   ・ふるっておいたそば粉と中力粉をあわせたものに、水を3分の1入れ、
   指の先で手早く混ぜ合わせる。このとき、水は、糸を垂らすように少しずつ入れる。
   ・あと2回繰り返す。この段階ではまだこねない。塊になっている粉があったら
   細かくばらす。
  ②こねる
   ・生地が粒状にり、全体がしっとりしたら、そば粉をげんこつで固める。
   ・そば粉がひと塊になったら、細かくなったそば粉を包み込むように折り畳みながら、
   手のひらでこねる。
   ・表面につやがでてきたら、最後に折り畳んだ部分が一箇所に集まるよう
   にして折り畳む。
   ・折り畳んだ部分が頂点になるように、三角錐を作る。
   ・三角錐を引っくり返して、頂点を下にした状態でぐっとおしつぶす。
  ③伸ばす
   ・伸ばし棒を使って広げるように伸ばす。ある程度まで伸ばしたら、生地を四角く
   するために、四隅を部分的に伸ばして、角を作る。
   ・2mmくらいの薄さになったら、打ち粉(そば粉)を表面にかける。
   ・打ち粉をかけたら、2つ折リにし、さらにもう一回折る。(最終的に4つ折り)
  ④切る
   ・駒板(今回はないのでまな板)を使って太さを調節し、包丁で切って麺を作る。
    このとき駒板をおさえつけないようにする。
  ⑤ゆでる
   ・たっぷりのお湯を沸騰させておき、そこに打ち粉を振り落としたそばをぱらぱらと
   湯に入れ、箸で軽くばらしておく。
   ・2~3分でゆであがる
  ⑥洗う
   ・ざるに入れて、水洗いする。このとき、そばをゆでたそば湯を捨てずに取っておくと
   そば湯が楽しめる。
   ・できあがり。

と、基本的な流れはこうだったのですが、こうはうまくいかず…。私は水を入れたり時々混ぜ合わせたりしていたのですが、まず最初の水を入れる段階から、「…もしかして入れすぎ?」と全員不安になる状態に。水がうまくいきわたらずに塊になっている部分とぱさぱさの部分ができてしまいました。そば粉はなかなかせっかちなようです…。

3年01市販五割01カセット01

 そのあと交代でこねてこねて、なかなかつやが出ませんでしたが、生地が完成。…でもわりと美味しそう!?
 そして、「折り畳んだ部分が一箇所に集まるようにして」のやり方がわからず試行錯誤しながら、伸ばす段階へ。どうやらここで少し伸ばしすぎてしまったようです…。薄くて繊細な生地をがんばって折り畳み、いざ麺作りへ!(担当:武内くん)
 …すごく難しそうでした。生地がもろいのと、机にビニールを敷いてその上に生地をのせているのでビニールに生地がくっついてしまい、はがすのも一苦労(はがしている途中でけっこう麺がちぎれてしまいました…)。折り畳んだ部分がくっついてしまっていたり…。
 最終的に、味が良ければ!という境地に達し、ゆで始め。そばができあがりました!
 見た目は…確かに短いです。でも味は美味しい! すすれない蕎麦でしたが、美味しかったです。
審査員の方からいただいた星の合計は・・・ちょっと悔しい。最後の試食では、他のチームのそばも食べられて、美味しく楽しかったです!(3年生 TO.YO)

3年01市販五割02洗い01


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  1. 2009/07/07(火) 00:04:00|
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第12回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅰ)

4年01たかや二八02イロリ間01全景


「蕎麦づくり」チューボーですよ!

 前期プロジェクト研究も12回目を向かえ、残すところ3回となりました。
 前回1・2年が「蕎麦作り」を練習しましたが、「魚肉ソーセージ風」などという辛辣な評価に甘んじてしまいました。しかし、あれは練習です。ついに、蕎麦打ち本番のイベントを迎えたのです。ここにASALABの全メンバーが寄り集い、4チームに分かれ腕を競いあったのです。もちろん、これは宴会ではありません。各チームが、蕎麦粉の種類や配合率を変えて麺作りする実験にほかなりません。
 チーム分けは以下のとおりです。

 1年生チーム 4名           
   二八蕎麦: 岩手県御所野縄文博物館提供の蕎麦実を自ら製粉した蕎麦粉を使用
   火処: 復元したカマドの右側
 2年生チーム 3名
   十割蕎麦: 同上
   火処: 復元したカマドの左側
 浅川ゼミA(3年生チーム) 3名
   五割蕎麦: ジャスコで買った市販の蕎麦粉を使用
   火処: カセット・フー
 浅川ゼミB(4年生チーム) 3名
   二八蕎麦: そば切り「たかや」提供の蕎麦粉を使用
   火処: イロリ

評価表 各チームが麺作りをした後、教授、ピヴォさん、ナオキさんを審査員とする品評会をおこない、最後に全員で試食しました。左の表が審査に用いたものです。審査員1名が三星をもっていて、評価を★の合計点で競います。結果は最後のお楽しみということで、たぶん2日後にアップされます。

その他の活動
 蕎麦が完成するまで魯班営造学社の2人は、式台の実測・仮組をおこいました。仮組はほぼ完成。残るは防腐処理と構造補強です。
 院生2名は写真撮影と火起こしのサポートにまわりました。今日は1・2年生の感想文、明日は3・4年生の感想文をお届けします。

00式台01仮組0099



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  1. 2009/07/06(月) 00:07:34|
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アソックス、初戦快勝!

IMGP8850.jpg


 6月26日(金)の夕方5時半から7時まで、アソックス対スローソックスの第1戦がおこなわれた。この夕刻、タクオは不在だった。轟君が「タクオさんは足が痛くて今日はサッカーできないって言ってました」というので、みなそれを信じ、わたしも「出雲か広島に行ったのだろう」と思った。いずれにしても、スローソックスから心臓が消えた。メンバーは以下のとおり。

   Aソックス: わたし、黒帯、黒猫、武内
   Sソックス: エアポート、ガード、アシガル、轟

 前半開始早々、Aソックスの武内があっさり先取点を決めた。その後、まもなくわたしが2点目をゲット。駐車場サッカーにおける、わたしの初得点であった。あっさり2-0となって気がゆるんだのか、しばらくして2-2まで追いつかれたが、同点後ほどなくして黒猫が1点取り、さらにわたしが右のインサイドで速いシュートを決めて4-2となった。ここで前半修了。
 ハーフタイムで、わたしはAソックスのメンバーに後半の戦術を授けた。前々から思っていたのだが、ダイレクトシュート・システムではポストシュートが有効であり、わたし自身がトップに陣取ることにした。もちろんシュートしたいからトップにあがるのではない。パスの出し手にワンツーからのダイレクトシュートを打させるアシスト役になることにしたのだ。
 後半に入っていきなりこの作戦を試みるチャンスが訪れた。センターライン付近でボールを奪った黒帯が斜め30度の位置からわたしにパス。わたしは、そのボールの威力を緩めながらサイドにはたき、黒帯が右足でダイレクト・シュート! ゴールにはならなかったが、思い通りの攻撃ができるという確信をいだいたその直後、Sソックスの面々から「ドリブルシュートをみとめてください!」という声があがり、最初は二人だけ許可したのだが、膠着状態が続くので、まもなく4人全員にドリブルシュートをみとめた。こうなると、Aソックスは防戦一方・・・ドリブルシュート可能の場合、FWがゴール前に一人いるだけで脅威であり、少なくとも2名のディフェンスを貼り付けなければならない。わたしはトップのポジションを諦め、定席のリベロに戻るしかなかった。
 6時45分ころ、エアポートのクリアがゴール前に待ちかまえていたガードの頭を摺り、そのままゴールラインに落ちて、ついに膠着状態が崩れ、4-3に追いつかれた。しかし、Sソックスは攻め疲れからカウンターをくらい、ゴール前でどフリーとなった黒猫・武内の2トップにボールが渡って、最後は武内が冷静にこの日2点めを決め、5-3。これで勝敗が決した。


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  1. 2009/07/05(日) 00:00:48|
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スローサッカー

 『ためしてガッテン』で知ったスロージョギングを奈良で実践し、その効力に驚嘆したわたしではあったが、鳥取でスロージョギングをしたことは一度もない。しかし、スロージョギングのコンセプトは、わたしのサイクリング、すなわちビアンキ走行の方法を大きく変えてしまった。「スロージョギング」が有効ならば、「スローサイクリング」が有効でないはずはないからだ。
 『ためしてガッテン』をみるまで、わたしは寺町の下宿から環境大学までの約6キロを25分前後かけて自転車通勤していた。たとえば授業前だと、開始40分前に自転車をスタートさせる。すると、授業開始15分前に大学に着く。ちょうど良い時間と言えばそうだけれども、最後の急傾斜の環大道路でへとへとになるので、講義開始時でも結構息があがっていた。これを改めた。授業開始の1時間半前に家をでる。それからゆっくりゆっくり自転車を漕ぐ。急傾斜の環大道路でも、シフトを思い切り軽くして、ゆっくりゆっくり上がっていく。こうすると、自転車での通勤時間は45~50分になる。この走行はやはり楽だった。あせらなくてよいし、坂も苦にならない。ジョギングにしても、サイクリングにしても、「苦」になっては意味がない。楽しく快適であるからこそ反復意欲が湧いてくる。反復性のある運動を続けることによって、体重は減り、健康が維持されるはずだ。

 ここで話はサッカーにまで拡大する。「スロージョギング」「スローサイクリング」の延長線として「スローサッカー」があってもよいではないか。若い学生たちはガチンコ勝負をしてもらってかまわないが、わたしにとってのサッカーは「スローサッカー」でなければならない。瞬発力ではなく、持久力をベースとするサッカーである。スローサッカーはわたしのポジションとよくあっている。わたしのポジションはリベロだ。ゴール前で敵の攻撃を防ぎながら、ルーズボールをひろって攻撃の基点となり、前線にボールをフィードする。リベロにとって、もっとも重要な能力はその「ポジショニング」である。局面にあわせて適切なポジショニング(位置取り)をしていれば大きな間違いは犯さない。スピードで若者に負けるのは仕方ない。しかし、スピードにまかせた若者たちの攻撃をポジショニングで摘むことはできる。とりわけ、ASALAB駐車場ミニサッカーでは「トラップ・シュート」や「ドリブル・シュート」が禁じられている。シュートは「ワンタッチ」すなわち「ダイレクト」でゴールしたときにしか得点とみとめられない(明日述べるように例外もある)。要するに、いちどトラップした選手はシュートできないわけで、他の選手に必ずパスしなければいけない。これならポジショニングで十分対応できる。
 さらに、パス・サッカーに徹することが肝心だ。サッカーにドリブルなど必要ない。少なくとも、わたしのスローサッカー辞書にドリブルという文字はない。ボールは疲れない。しかし、人は疲れる。ドリブルして、相手を抜き去るためにはスピードが必要であり、速筋を使わなきゃならない。そんなサッカーをわたしはしない。パスをつなぎ、適切なポジショニングをしていれば、十分サッカーになる。サッカーになるどころか、世界最高峰のサッカーに近づける。ユーロを制したスペイン代表が証明したように、パス・サッカーこそがサッカーの心髄なんだ。

 学生たちは言うまでもなく俊敏でパワーがある。わたしにはそれがない。ただ、スロージョギングとスローサイクリングで蓄えた持久力(とボールタッチ能力)だけが取り柄である。だから、前半にポジショニング中心の守備に重心をおいて運動量を抑えておくと、後半になってわたしの運動量は学生を凌駕し始める。ここで攻撃に転じればよいはずだ。

IMGP8818.jpg



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  1. 2009/07/04(土) 00:00:26|
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スロージョギング

 わずか3週間ばかり前のことである。ワイフが古いズボンを何本か捜し出してきて、わたしに問うた。

   「ねぇ、穿いてみて。入らないんなら、リフォームに出すから」

 わたしのウェストは永く85㎝で、ズボンと言えばこのサイズを買うことに決まっていた。それが入らなくなったのは、ここ2~3年のことである。その出発点になったのは家内の病であり、引っ越しが追い打ちをかけた。前者によって不規則で偏った食生活に拍車がかかるばかりか、「ゆららの湯」に行く回数が激減し、後者でサイクリングが停止を余儀なくされたのだ。
 濃紺のスラックスを穿いてみたのだが、やはりわたしのウェストは受けつけなかった。左右のフックが相接しない。その後、家内はウェスト85㎝のズボンを6本リフォームに出した。CO-OPの横にあるクリーニング屋さんはリフォーム屋も兼ねていて、わたしが取りにいくと、

   「2本だけリフォームできましたが、あとは布の余裕が足りませんでした」

と答えた。2本のリフォーム代は、新しいズボンを2本買えるだけの値段だった。

 その直後、国営放送の看板番組『ためしてガッテン』の再放送をみる機会があり、わたしの人生は大きく軌道修正の弧を描き始める。
 番組の冒頭で「血圧が下がった」「善玉コレステロールが増えた」「体重が12キロ減った」「マラソンを完走できた」など、まるで『発掘アルアル大事典』のように胡散臭い感想が体験者から連呼されたのだが、なかなかその運動の正体があかされない。番組後半で判明したその正体はジョギングであった。
 正直、がっくりきた。ジョギングというか、長距離ランニングは苦手だからだ。わたしには向かない。ジョギングするぐらいなら「孤独なサッカー」のほうがマシだ、と瞬時に思った。しかし、それは、ただのジョギングではなかった。司会者は言った。

   「スロージョギング」

なのだと。
 「ジョギング」と「スロージョギング」は何が違うのか。後者はほとんど歩くようなスピードで走るランニングである。ジョギングは人によっては苦しくて長続きしないが、スロージョギングは苦しくないから長続きする。というか、今日すれば、また明日もしたくなる、という反復意欲の湧く高齢者・女性向けの運動である。科学的な根拠があるのだ。筋肉には「速筋」と「遅筋」がある。「速筋」はヒラメで、「遅筋」はマグロ。「速筋」はヒラメのような白い色をしていて、瞬発力をともなう動作に使う筋肉であるのに対し、「遅筋」はマグロの赤身のような色をしていて持久力に必要な筋肉だという。テリトリーを守りながら俊敏に動くヒラメに対して、大海原を回遊するマグロを対比的にイメージしていただきたい。
 要するに、わたしたちのような中高年がジョギングして苦しいのは「速筋」を使うスピードで走っているからであり、「遅筋」だけ使うようなゆるゆるの走行ならば苦しくない、というのがスロージョギングの体育理論的背景である。そして、画面の向こうの体験者たちは口をそろえて「楽だ」「また明日も走りたい」と言う。その夕方、鳥取に移動する深夜のETC走行を控えていたにも拘わらず、わたしはスロージョギングにチャレンジした。いつも苦しくて仕方ないニュータウンの街区を一回りしてみたのだ。たしかに楽だった。それまで15~20分で走っていた距離を30分かけて走った。帰宅しても、まったく息があがっていない。初めてこの街区を一周したとき、息は乱れ、目は充血して、しばらくソファを動けなかった自分が嘘のようだ。えらい違いではないか。

[スロージョギング]の続きを読む
  1. 2009/07/03(金) 00:00:17|
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第11回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅲ)

 部材運び出し

 6月25日、式台修復と建具調査・設置の活動報告です。

式台修復本格始動!

 魯班営造学社2名とともに式台修復に取り組みました。先月、解体された式台の部材実測をしてから、今まで修復活動が停止していました。しかし先週、カマドの復元を終え、ついに魯班営造学社の2名に社長(教授)から新たな指令が下されました。

   「次の業務は式台の修復だ」

 というわけで、技術員のナオキさんとピヴォさんを筆頭とする式台修復が本格始動しました。

実測調査 もともと式台(色代)とは書院造住宅の正面玄関、もしくは玄関に設けられた木階をさします。武家屋敷において、客人(目上の人)が地面に降りることなく駕籠に昇降するために設けられた板の張り出し部分で、上に社寺の「向拝」のような屋根を伴います。のちに武家住宅から地主など農村の上層クラスに波及していきました。加藤家住宅にも正式な「式台」が板間の前に設けてあり、江戸時代における格式の高さをよく示しています。ここにいう狭義の「式台」は貴賓客を送迎する高級住宅の正面玄関でして、家人が日常用いることはありません。家人は土間経由で板間・畳間にあがっていきます。この土間と板間の境にも正面玄関の式台に似た幅の短い揚床状の木階が一段だけ設けられ、この木階も式台と呼ぶ場合があります。こちらの呼び方が広義の「式台」と言ってよいかもしれません。
 土間にあるとはいえ、「客」を意識したものであるのはあきらかで、加藤家住宅の場合も、欅の敷き板を使った格式の高い造りにしています。この土間の式台は、加藤家修復工事の際に解体されたままになっていたのですが、板間・畳間と土間の高低差はかなりあって昇降が難しく、なんとか今年度「復元」しようということになりました。
 解体された式台の部材は加藤家の書院の裏の縁に保管されていました。おそらく解体前からそうだったのでしょうが、部材は全体的に腐食が進んでいます。とくに、床束や框は仕口加工箇所を中心に腐食が著しいことが分かりました。

01式台修復02>

 今回、式台の部材をすべて土間に持ち込み、仮組に挑んでみました。腐食が進んでいるとはいえ、仮組をしていくと、予想以上にしっかり組み立てることができました。ミゾや仕口の加工精度が良くできていて、大工さん(座敷まわりの縁板と同じ材料を使っているので多分明治の作)の技術力には恐れ入りました。ただ、荷重をかけてみると腐食のせいか、ミシミシと音を立てるのです。このまま元に戻したとしても壊れるのは目にみえています。教授からは、しっかり実測調査して、再利用できる材とできない材の色分けをする必要がある、という指導をうけました。主に板材はそのまま再利用し、構造的に重要な床束、腐食の激しい框は差し替えることになりそうです。しかし、框の表側は破損状況がまったくみえないので、なんとか残せないかと思っています。課題は多々ありますが、これから調査を綿密に進め、復原設計図を作成していく予定です。

01式台修復01


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第11回「古民家のリサイクル -カマド復元と蕎麦打ち-」(Ⅱ)

10湯沸かし02大勢01


 25日プロ研の1年生の感想です。

カマドの石は熱くならない・・・
 今日、自分達は、カマドに火を付ける作業をしました。まず、カマドの中に廃材や木くずをつめていきました。そしていざ火を点けようとした時、部長さんが「それでは、燃えづらい」と指摘されました。自分は部長さんの指摘を聞き、こう言ったものにはやはり炭がかなり必要なんだと思いました。
 しかし炭があるからと言ってすぐに火が点くものではなく、火の傾き方や炭の大きさ、ほかにも団扇を使った空気の伝え方、などいろいろな要素を考えていないとすぐに火が消えてしまいます。
 また、燃えている炭のまわりに鉄網を置き、その上に弥生土器をのせた時に炭の火が消えないように団扇で扇がなければなりません。扇ぐことに集中するばかり、土器が傾いてしまった時に目を向けていないと土器が倒れて中身がこぼれていまいます。これらのことに気をつけないといけないので思っていた以上に大変だと感じました。
 この日の作業で驚いたのは、カマドに火をくべてもまわりの石が熱くならなかったことです。
 今はガスや電気ですぐに火熱を発生できますが、昔の人は、今日自分達がしたように炭などに火を付けて時間をかけ、そしてご飯を炊いたりしているという事を考えると大変だっただろうと思いますが、昔の人はもっと要領が良かったのでしょうね。(カマド火入れ班:環境政策学科1年 A.T)

火入れ




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asa

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