道後の民家とカマド 8月4日(火)、あいにくのお天気でしたが、隠岐出雲巡礼の初日をむかえ、隠岐道後で調査をおこないました。この日は、大学を早朝5時半に出発、七類港に8時前に着きました。ほんとうは9時発のフェリー「おき」に乗りたかったんですが、搭載車の予約に失敗し、9時半の「くにが」に変更。これが遅いフェリーでして、西郷に着いたら午後2時になってしまいました。着岸後、全員で玉若酢(たまわかす)神社を参拝し、4日間の巡礼の成功を祈願し、調査がスタートを切りました。その後、二班に分かれ、1班は民家の調査、2班は密教遺産と自然景観の調査を分担します。
1班の行程: 佐々木家住宅→都万目の民家→水若酢神社→西村の船小屋
→中村の船小屋→卯敷の船小屋
まず私たちは佐々木家住宅(重要文化財)へ向かいました。佐々木家住宅に到着すると石置杉皮葺の屋根がいきなり私たちの目をひきます。

道後釜の佐々木家住宅は天保7年(1836)の建築で、構造形式は平屋建切妻造平入、屋根は上に述べたように石置き杉皮葺です。平面は六間取り。この平面と構造形式は隠岐民家の特徴をよく示しており、桁行十間半、梁間六間半弱と島内最大規模を誇ります。築後約170年も経つ民家であるため腐朽劣化が進み、平成14年から全解体修理をおこなって、当初復原がなされました(その際、環境大学の1期生と2期生がインターンシップに来ています)。修理は平成16年に完了。総経費は3億4000万円だったそうです。
ふと我に返ると、佐々木家住宅の管理をされている方が目の前に立っていました。この方は私たちが学生であるということを伝えると、丁寧に説明をして下さいました。まず、大黒柱の修復についてです。大黒柱は、長い歴史のなかで虫食いにあってしまい、空洞化が進んでいました。これを丸々取りかえれば作業は楽なのですが、「材料のオーセンティシティ」を尊重し、虫食いにあった部分をボーリングでくりぬき、空いた部分に新しい材を詰めたそうです。このボーリングを使った修復を初めて知り、単純に「すごい」と思いました。
次に説明していただいたのが茶だんすです。この茶だんすは島根県の有形民俗文化財に指定されています。おもしろいことに、上側の戸が一見引き違いに見えるのですが、じつは引き出しになっています。この細工には初めエアポートさんも気付かず、なぜ開かないんだと苦戦していました。管理者曰く、「泥棒よけ」だそうです。このトリックに驚愕!!

説明を聞いたあと、カマドを実測調査しました。佐々木家住宅のカマドは加藤家とは違って、カマド本体が土造で、土間に置いていたカマドをそのまま板間にあげた感じのカマドです。加藤家との共通点もみのがせません。水場(ナガシ)とカマドの配置関係がそっくりですし、そのナガシは石造になっています。ただ、これは当初の配置を示すものではないようです。幕末頃の家相図をみると、カマドのは玄関方向と平行する配置であり、今の配置は明治25年の家相図と一致したものですから、加藤家で推定したのと同じ「明治のモダンキッチン」という理解が不可能ではありません。これは私たちにとっては大きな収穫となりました。
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- 2009/08/09(日) 00:06:49|
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