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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

隠岐出雲巡礼(Ⅷ)

40出雲大社02素屋根の前01


出雲大社「平成の大遷宮」御本殿大屋根特別拝観

 8月6日(木)午後4時に古代出雲歴史博物館で先発隊と後発隊が合流し、応接室で正装に着替えました。教授は、美保神社で買ったという「出雲國神仏霊場巡拝」の白い装束を身にまとっておられました。ふだん着慣れない礼服で、みんな似合ってるのかどうか怪しい限りでしたが、いちばんきっちり着こなしていたのは轟くんでしょうか。
 博物館では館長さんと学芸部長さんがお迎えに来られ、まずは部長さんのご案内で館内の常設展示をみせていただきました。最初に「金輪御造営差図」について説明をうけました。この差図は以前、平安時代の大社本殿平面図と目されていましたが、今では鎌倉時代宝治度造替の正殿が火災で焼失後、仮殿を本殿としていた時代に正殿の復興を請願するために制作された図面とみる意見が有力になっているそうです。木材3本を金輪で束ねて1本柱とし、その柱口が1丈(約3m)もあったというのですから、社殿にいう棟高16丈(約48m)説を裏付ける重要な史料とされる一方で、その信憑性が疑問視視されてきたのですが、2000年に3本柱が3ヶ所で出土し、「金輪御造営差図」に示されたデータの一部は間違いなく史実に対応することがあきらかになりました。
 発掘調査の成果に基づく復元模型(1/50)が5棟展示されていて、そのうち教授の復元案は低いほうから2番目でした。それでも棟高は42m弱あります。平安時代の「寄木の造営」で使われた最澄の材が30mあり、その材を心柱に使ったと仮定すると、だいたいこれぐらいの高さになるのだそうです。教授の案の特徴は、3本柱のうちの1本を通柱として桁・梁を受け、他の2本を床束とみなしていることです。こうすることによって、3本の掘立柱すべてが建物の床か屋根を地面に引き寄せるというお考えです。他の復元案には、掘立柱の特性を重視せず、現存する礎石建物にならって床上と床下で構造を分割しているものがありましたが、教授は「それでは床上の神殿が吹き飛ばされてしまう」と批判的でして、掘立柱の構造と礎石建物の構造は違うのだという認識をもたなければいけないとおっしゃっていました。

P1040161.jpg

 博物館をひとまわりして、大社本殿の見学です。大社へむかう途中、博物館の裏から「弥山」が眺望できました。じつは、博物館に至るまでの道すがら、ずっと弥山をおって、何度か車をとめ写真を撮影していたのです。出雲国風土記には「御前山(みさきやま」とみえる山ですが、おそらく中世の神仏習合の時代に「弥山」という名に改められてと推定されます。弥山とは、もちろん須弥山の弥山です。仏教のユートピアを示す三角錐状の空間であり、御前山の山頂はみごとな尖り円錐形をなしています。弥山のこちら側の麓に出雲大社があり、反対側に鰐淵寺があります。鰐淵寺については、明日、部長さんが細かくレポートしてくださるはずですので、ご期待ください。
 大社本殿のご神体はすでに仮本殿たる拝殿に遷座されていて、まずは拝殿に参拝しました。そして、八脚門のなかに足を踏み入れました。八脚門の内側に入れるのは正月の5日間だけだそうでして、教授もこれまで八脚門をくぐったのは2度しかないそうです。そして、楼門です。残念ながら、写真撮影が許されたのはここまでです。ですから、本殿大屋根の状況を画像でお伝えすることはできません。

40出雲大社03記念写真01

 本殿は大きな鉄骨の素屋根で覆われ、足場が組まれていました。近年の文化財建造物の修理には、こういう大きな素屋根を立てて広い作業床とし、一般公開のルートとして兼用することが少なくありません。基礎にはコンクリートが使われていますが、境内の地下に眠る遺構面を壊してはいけないので、まずgは玉砂利を敷いてシートを敷き、さらに玉砂利を敷いてから、その上に基礎を築いています。60年に1度と言われる式年遷宮では、おもに屋根修理がおこなわれます。今回の特別拝観は、解体前の屋根を公開しています。ご案内いただいた若い宮司さんと教授が交互に屋根について説明していかれました。本殿は檜皮葺で、檜皮葺軒付のいちばん下に蛇腹板が並んでいます。檜皮葺きのプロポーションを決定づけるのが蛇腹の4隅におかれる「駒形」という小さな材であり、出雲の職人さんたちは、それを「トメ」と呼んでいるそうです。

出雲縮小 宮司さんの説明によりますと、大屋根の軒付より上の部分で使われている檜皮は4種類あり、長さによって4尺皮、3尺5寸皮、3尺皮、2尺5寸皮に分けられています。平の部分では、軒側3分の1が4尺皮で、その上の3分の1上が3尺5寸皮、あと残った3分の1の半分が3尺皮、残りの半分が2尺5寸皮となります。この葺き替え技術により、美しい流線型を描いていることがわかります。
 本殿の屋根勾配は軒のところで40~42度。檜皮葺は5寸勾配(26度)が基本なので、たいへん傾斜がきつい印象をうけました。教授によれば、「茅葺から檜皮葺への変化を示すものか、雨水処理対策のどちらかだろう」とのことです。
 一般の拝観者は足場の2階までしかあがれないのですが、わたしたちは宮司さんに導かれ、5階まであがっていきました。そこには、工事用の空中廊下があり、踏板が透けているので、高所恐怖症の教授は悲鳴を上げ、汗が噴出し、足がガクガクと震えておられました。空中廊下は、堅魚木より高い位置にあります。下からみると小さい千木や堅魚木がいかに大きいのかを実感できますし、その巨大な装飾材を如何に屋根に固定していたのかを知ることもできました。
 ほんとうに滅多にできない貴重な経験をさせていただきました。隠岐出雲巡礼の計画を練っているころ、「出雲大社には興味ない」と公言してまわりを呆れさせていたガードくんまで「拝観できて良かった」と感動していました。ご案内をいただいた大社の皆様、博物館関係者の皆様に、研究室を代表して感謝申し上げます。ありがとうございました。

 さて、古代出雲歴史博物館の設計は槇文彦です。アルミやガラスを多用したインターナショナル・スタイルのデザインですが、一部に鉄骨で千木を表現したり、収蔵庫の外壁にタタラの色彩を取り入れて地域性を取り入れています。私の卒業研究は「史跡と共存する現代建築」なので、いろいろ考えさせられました。大社という史跡の近くに建つ建築物として賛否両論はあるかと思いますが、白い博物館には「清楚さ」がつよく感じられ、長い時間いたくなる作品だと思います。「清楚」「清浄」という点では大社の本質に近いものを感じます。一方、出雲という地域性・土着性をどの程度表現するのが適当なのか、これはとても難しい問題だと思いました。インターナショナリズムとリージョナリズムを相反するものとしてとらえるのではなく、両者のバランスよい融合によって、よい建築が生まれるのではないか、という感想をもちました。自分の卒業設計の参考にしたいと思っています。

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  1. 2009/08/15(土) 12:54:40|
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