円仁の風景(Ⅷ)-浮浪山鰐淵寺 8月7日(金)は4日間に及ぶ隠岐出雲巡礼の最終日。まず、平田市の鰐淵寺へ向かいました。アシガル君がレポートしているように、前日(6日)、出雲大社を訪れる道中ずっと弥山をおっては車を停め、撮影を繰り返していました。島根ワイナリーのなかのバーベQ店の名が「弥山」でして、たしかにワイナリーからみる山貌は際だった円錐形に映ります。

この弥山の西麓に出雲大社があり、東麓に鰐淵寺があります。言いかえるならば、弥山を媒介にして出雲大社と鰐淵寺は表裏一体の関係になっているわけです。昨日も述べたように、弥山は出雲国風土記には「三前山(みさきやま)」とみえるのですが、神仏習合の進む中世に仏教宇宙を表現する「弥山」と名を改めます。この時期、鰐淵寺は出雲大社に対して大変な影響力をもったようです。とりわけ、尼子氏による寺社支配が強化されると、大社境内の寺院化が進み、大社における仏事の導師を鰐淵寺僧侶が務めるまでになりました。しかし、江戸時代寛文度の造替から、一気に仏教化の反動が強まり、鰐淵寺と大社の関係は疎遠になっていくのでした。
浮浪山鰐淵寺の縁起は、驚くべきことに、推古2年(594)にまで遡ります。門前にある「浮浪山 一条院 鰐淵寺」の看板の説明を抜粋しておきます。
推古2年(594)智春上人が推古天皇の眼疾を浮浪の滝で祈って平癒された
ので、その報償として建立された勅願寺である。天竺(印度)霊鷲山の良地
が欠けて波に浮かんで来た土地で浮浪山と称す。上人密法を修し給う折、
誤って碗の仏器を滝壺に落とされ、鰐魚(わに)が鰓(えら)にかけ浮かび
上がったことにより寺号を生じる。
伝教大師が比叡山に天台宗を開かれると、慈覚大師の薦めもあり、日本で
最初の延暦寺の末寺となる。(後略)
智春上人の看板に記された説明書は以下のとおりです。
信濃の神僧智春上人は遊化して伯州北の浜まで迎えにきた智尾、白滝、
旅伏の三翁の船に来り旅伏山に着き
コゾノケフ 詠メシ月ハ カハラネド コヨヒタビフス 空に充カナ
と詠し、翌日、現在の蔵王の滝にして釈迦文佛より命を受けて開山した。
もともと弥山(三前山)、天台ヶ峰、鼻高山、旅伏(たぶし)山とつらなる北山の山嶺は密教、修験道の聖地であり、とりわけ鰐淵寺浮浪滝およびその背後の絶壁に穿たれた蔵王宝窟と蔵王堂(↓)は出雲における蔵王信仰の拠点とされてきました。
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- 2009/08/16(日) 12:31:39|
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