円仁の風景(Ⅸ)-瑞光山清水寺 安来の瑞光山清水寺が隠岐・出雲最後の巡礼地となりました。瑞光山清水寺は用明天皇2年(587)、尊隆上人によって開山された古刹と伝え、とすれば、開山は浮浪山鰐淵寺よりもさらに古いことになります。縁起によれば、一滴も水が出ない山だったが、尊隆上人が一週間祈願し続けたところ、水が湧き出て、雨季にも濁らず乾季にも枯れなかったため、清い水の出る寺として「清水寺」と名づけられたとのこと。その後、承和14年(847)11月に慈覚大師円仁が訪れて光明真言会をひろめ、それを機に天台宗となったそうです。


左の境内案内図をクリックしていただくとよく分かるのですが、清水寺の境内にはたくさんの堂塔が軒を連ね、伽藍がじつによく整備されています。山陰でこれだけ広大かつ建築物の多い伽藍をもつ仏教寺院は珍しいでしょう。伽藍の中心をなすのは、ここでも根本堂です。その規模は鰐淵寺よりもひとまわり大きく7間四方で、全体に床を張っています(鰐淵寺は四半敷)。屋根は入母屋造のこけら葺で、軒のみトチ葺の二重軒付としています。組物は出三斗、中備は間斗束。軒の出はおそらく13尺ばかりあって長いのですが、それを二手先や三手先ではなく、出三斗で処理しているところが驚異というか、あぶなっかしいというか、おもしろいところです。礼堂(外陣)内部には梁行方向の柱筋すべてに虹梁を架けてその尻を挿肘木で支え、虹梁の中間あたりに大斗を載せ、そこまでを格天井、そこから外に向かって化粧垂木をかけています。4隅の木鼻のみ絵様があり、江戸時代中期の様式とみうけられますが、これは後補であり、他の材の風蝕は一様に進んでいます。若い僧に年代をうかがってみると、明徳4年(1393)建立の中世仏堂であることが分かり、教授も納得。もちろん重要文化財に指定されています(鰐淵寺根本堂は県指定文化財)。
ちなみに、外陣・内陣の境には「大悲閣」の扁額が飾られていました。

このほか護摩堂、毘沙門堂などの小型の仏堂や神社がいくつもあり、それらすべてについて語る余裕はありませんが、おもしろい建物だと思ったのは鐘楼です。内転びのきつい4本の通柱をたちあげた楼造ですが、楼造というよりも、東南アジアの高床住居のような趣が感じられます。床は4本柱に差し込まれた手挟(たばさみ)のような持送りで支えています。
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- 2009/08/17(月) 13:00:52|
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