
おひさしぶりです。3年生のTO.YOです。ブログを書くのは本当に久しぶりです…。このたび、突然ですが、改名する事にしました。今日から「きっかわ」とお呼びください。…実はTO.YOってよく打ち間違えるんです…。今日はきっかわが火曜日ゼミ(10月27日)の活動内容をレポートします。今回のゼミは先生がご不在で、院生のお二人が代役を務められることになりました。主な活動は…
・各自成果物のチェック
・建具の打物の古色塗り
・門の素屋根の建設
・土台の石詰め
です。加藤家到着後、順番に成果物のチェックを受け、それ以外の人でそれぞれ分かれて他の作業を同時進行で行うことに。チェックは4年生の方がたから始まったので、そのあいだ私は古色塗りに挑戦。(後述)
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◆チェック
さて、いよいよ自分の番…。現在のところ私は、加藤家修復プロジェクトにおける「ローコスト修復」を凝縮したポケットハンディ・マニュアルの編集を主に担当させてもらっています。修復の専門家ではない方でも楽しく読めて参考になり、修復の現場でポケットから取り出し方法を確認したり、読み返したりできるようなサイズで…というのがこのマニュアルのコンセプト。チェックには作業進行を見ていただいている部長さん&黒猫さんも。

そして緊張のラフ:第1稿のチェック…
掲載する項目は大体決まってきたので、今後はそれをどう関連付け、どんな順番で見せていくか。項目は出てきたが、一番肝心な「メイン」のアイテムは何なのか(今回ならローコスト)がまだ自分の中ではっきりしていなかったため、軸が定まっていませんでした。メインが定まり、項目が関連付けられてきたら、おのずと順番もできてくる…。
色々な雑誌等を見ると、写真と文章のバランス、余白の取り方などとても参考になるよ、とアドバイスいただいたので、さっそく探してみたいと思います!
◆古色塗り
チェックの前後に挑戦していた古色塗りは、打物の新材に古色を塗り、古い材と新材で違和感が出ないようにするのがミッションです。

打物は、前回のワークショップで建具に施したもの。職人さん方が作られていた、建具と柱の隙間を埋めるのものです。左の写真で言うと、板戸の右側にうちつけられているのが打物。
↓の写真は、古色塗りに使う柿渋を撮ったものです。赤褐色半透明の液体で、結構強いかおり…。
ところで臭いが強烈だろうな…と思うものを見ると、つい思わず臭いをかいでしまいますよね。よくやってしまいますが、あの臭いをかぎたくなる衝動はなんなんだろう…。

それはさておき、いざ、柿渋を水で薄めて(水:柿渋=1:1)、刷毛で木材に塗る作業のスタート。畳の上で液体を使うのは大変そうなので、打物は、なるべく外して塗ることにしました。建具との接着面は塗らなくていいので、そこに取り違えのないように番号を書き込み、接着面以外の3面にしっかり塗ります。しばらく乾かして(数時間ほど乾かすと良いそうです)、乾いたらもう一度重ね塗り。柿渋自体は濃い色でしたが、薄めていることもあり塗るとそれほど濃くなく、何度か重ねました。完全に同じ色にするのはなかなか難しかったですが、だいぶん目立たなくなりました!

(左:古色塗り前) (右2つ:古色塗り後)
なかなか良い色になりました…!
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- 2009/10/31(土) 00:16:52|
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わたしと科研申請の相性は、どうしてここまで悪化してしまったのか?
先週末が申請書作成の山だと考えていた。22日(木)、若桜で岩屋堂・鬼ヶ城訪問を終え、「道の駅」で解散して
戸倉峠を越えた。鳥取自動車道が開通して以来、志戸坂峠越えが圧倒的に速くなり、戸倉越えは久しぶりのこと。とてもとても長く感じた。なにより眠かった。ゼクストン同窓会、公開ワークショップ、村治コンサートと続くイベント攻めに若桜でのトレッキングも重なって、疲労はいっこうに癒えない。山崎のお好み焼き屋に入って1時間ばかり休憩。そして、中国縦貫道に上がったのだが、睡魔は衰えず、ついに平福パーキングで小一時間睡眠をとった。奈良の家に着いたのは深夜12時前。患者はすでに眠りについていた。
いつのもようにパソコンを開き、無線LANの接続をまってネットを開こうとするのだが、うまくかない。ここでまた小一時間浪費。そして、ヤフーBBのモデムをみると電気が通っていない。事情をようやく理解した。モデムに水がかかったか、デブ(うちの猫)が悪さをしたのか、その日の夜から通信機が壊れてしまって、娘や息子もネットを使えなくなっている。
ヤフーBBが使えない。
みなさん、自宅でネットの使えない恐怖を味わったことがありますか。
仕事ができない。科研申請はどうしたらよいのか・・・・翌朝、ニフティのサポートセンターに連絡をとり、複雑きわまりない「電話回線接続」の復元を試みて、なんとかネットに接続できいるようになったものの、異常にスピードが遅く、ウィルスバスターのアップデートだけで膨大な時間を費やし、容量の大きなメールの添付資料の受信にエラー連発・・・・
意を決して、深夜から「コミックバスター」という漫画ネット喫茶に浸入。2夜連続、明け方までコミックバスターで仕事した。ネット喫茶は快適だ。ドリンクバーが充実してますね。ソフトクリームやフローズンシェイクまでついていて、作業の合間の息抜きには最適です。しかし、科研申請にはさらに大きな障壁が待っていた。ログインIDとパスワードがないと、申請用紙すらダウンロードできない。大学ではすでにそれにトライしていたのだが、ログインIDとパスワードの記された書類を大学においてきている。ヘルプレス・・・仕方がないので知人に頼んで申請用紙を転送してもらった。ここで半日消費。
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- 2009/10/30(金) 00:11:27|
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10月22日(木)、前日に中間発表も無事終わり、以前より予定していた古材倉庫の撤去を始めた。この日は、池田住研の職人さん3人と魯班のナオキさん、ガードで作業をおこなった。翌23日も作業は続いた。
悔しさと儚さと 午前中から作業を開始。古材倉庫を解体する前に倉庫内にある木材を外に出して、裏木戸の材として転用できるものがないか、池田住研さんの力も借りて調べた。古材倉庫内には栗や杉などの木材が保管されていた。残念なことに杉材が多く、私が必要とした栗などの針葉樹は少なかった。しかも、もっと残念なことに、保管されていた栗は虫食が少なくなく、貫穴などがいくつもあり、池田住研さんに「諦めなさい」と言われた。しかし、ここで私は挫けず、残っている杉材で何とか裏木戸に転用できるものはないか池田住研さんにうかがっった。しかし、「杉材は雨に濡れるとすぐに駄目になってしまうしから裏木戸には向いていない」と言われた。私はそれでも何とかならないものか挫けず聞いたのだが、「ここの木材は諦めた方がいい」と言われた。私は悔しさを噛みしめ、諦めることにした。その後は、木材をひたすらトラックに積んでいった。私は悔しさをバネに木材をトラックに積んでいった。

ある程度木材をトラックに積んだところで、倉庫の解体に移った。初めに壁として貼り付けていたトタンやベニヤ板を剥がし、次にクランプを外し、単管パイプをバラしていった。ここで私は、ベニヤ板を剥がしたり番線の切断、外されたクランプ・単管パイプを1箇所に集めるなど、比較的安全な作業に従事させていただいた。池田住研さんのみなさんは軽い身のこなしで倉庫に登り、躯体を解体していった。この作業は昼休憩を挟んで続いていった。倉庫はまたたくまに解体された。じつはこの倉庫、私が1年生後期のプロジェクト研究2「セルフビルダー養成講座」で半期を費やし建てたものなのだが、解体はわずか数時間で終わった。解体されていく古材倉庫を見て一瞬儚さを感じた。
無事解体が終わり、この日は作業終了。と思いきや、2つの問題が草むらに眠っていた。1つは大きな松の梁だ。これは太く長い。以前運んだ時も、かなりの人数が必要だったの憶えている。梁は4つに切断した。池田住研のみなさんがあっさり梁を切り分けた。これで池田住研さんの1日目は終わった。2つ目は草むらに眠るトタンだ。トタンは私とナオキさんで草むらから運び出した。池田住研さんが帰られた後、すぐにトタンを運び出す作業を始めた。作業はすぐに終わるだろうと思っていたが、意外にトタンの量が多く1時間しても草むらからトタンが消えなかった。仕方がないので、作業は2日めに残すことにした。
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- 2009/10/29(木) 00:00:18|
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不動院岩屋堂再訪 10月22日(木)天候:晴れ。第4回目の「修験道トレッキング」は
不動院岩屋堂と
若桜鬼ヶ城跡に行きました。若桜鬼ヶ城についてはM.Hさんが担当していますのでご参考ください。
不動院岩屋堂は鳥取県若桜町にある真言密教の寺院です。僕は初めての訪問ではなく、今年の7月に行きました。そのときは、「建築と都市の歴史」の講義レポートで県内の仏教寺院を訪問して歴史・構造形式を調べ、組物のスケッチをするというものでした。不動院岩屋堂の内部は一般には公開されていません。その時は階段下の柵から見上げるしかできませんでした。でも、今回は教授が若桜町教育委員会にお願いして、岩屋堂に上がることができました。岩屋堂の内部、岩窟の裏側などを見ることができ、とても良い経験をすることができました。

岩屋堂の階段下で管理人のYさんから歴史ついて説明していただきました。岩屋堂は大同元年(806年)に開かれたとされていて、開祖は空海とされています。岩屋堂の本寺は妙見山神光寺といい、150石の寺領を有する大伽藍を構えていましたが、天正年間(1573年~1591年)、羽柴秀吉の兵火にかかり焼失し、岩屋堂だけ残ったとされています。由緒によれば、岩屋堂は鎌倉時代初期に源頼朝が再建したと伝わっていますが、昭和30~32年におこなわれた解体修理の報告書によると、柱及び舟肘木の面取や正面の花頭窓、須弥壇廻りなどの様式からから室町時代初期(南北朝期)の建立(再建)だということが分かっています。

最近購入したデジカメが自分の中で活躍しており、このプロ研に限らず良い思い出・楽しい思い出が形に残り、自分でもかなり満足しています。摩尼山では数えるほどしか写らなかったのですが、岩屋堂の洞窟の裏で撮影した写真のほとんどに「オーブ」(白い光というか気泡?)みたいなものがかなり写ります。そういったものが写るほどこの場所には目に見えない神秘のパワーみたいなものがあるのかと思い感じました。

摩尼山・摩尼寺に続き不動院岩屋堂・若桜鬼ヶ城と、鳥取の歴史ある場所に行くことができ、とても勉強になり貴重な体験をさせてもらったと思います。
来週は岩屋堂の岩窟につながっていて、もっと古いころか仏を祭っていたという小さな岩窟探しの探検をするとのことで、いまから楽しみです。(環境デザイン学科 2年H.Y)
[第4回「修験道トレッキング -山の歴史をあるく-」]の続きを読む
- 2009/10/28(水) 00:09:59|
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いざ、中間発表
10月21日(水)。ついに迎えた卒業研究
中間発表、私達はこの日に向けて発表練習をおこなってきました。前日にも発表練習をしたのですが、ここで私のパワーポイントにミスが発覚してしまい、朝まで修正する結果になりました。発表練習の時、スムーズに話すことが出来ていなかった私は、パワーポイントの修正が終わるとすぐさま帰宅し、そのままスムーズに発表できるよう自主練をしました。自主練は自分一人しかいないので緊張せずしゃべることができました。しかし、本番では何人かの傍聴者がいるのでそうはいきません。私は不安が残るまま本番を迎えることになりました。
いざ、中間発表本番です。私の発表順番が2番目ということもあり、思っていた以上に緊張することはありませんでした。だが、私は初め余裕がなく淡々と発表をしてしまい、終盤にさしかかると時間が予想以上にあまってしまいました。しかし、これで私は落ち着きを取り戻し何とか上手く?発表することができました。何とか無事発表を終えて今宵はぐっすり眠りたいと思います。そしてまた明日から裏木戸の復元にむけて頑張っていきたいと思います。(ガード)
門脇(制作)「よみがえる門-古民家裏木戸の復元」
The Gate Rebirths
-Reconstruction of the Back Gate in Traditional Houses-
二連覇に向けて… 
発表練習のときは、歴史・復元の部分が長すぎて肝心の校舎の設計が短く、オリジナリティーが少なく大幅な改善が求められた。その日から修復スタジオにこもり校舎の配置計画のゾーニングや遺構表示の例などを考える日々で、それでも何とか形にはできた。
そして、本番では予想以上に人数が集まっていて緊張してしまい、何度も言葉につまり9分以内にしゃべることができず、自分のなかでは悔しい中間発表となった。しかし、発表後にT教授から「君の研究に期待するよ」など激励のお言葉をいただき、研究への情熱が一気に上がりました。
今後の課題として、遺構表示のバリエーションと校舎としての機能の充足、建築意匠の検討などさまざまな課題が山積みです。今までたるんでいたため、これからは気を引き締め更なるスピードアップをはかならければなりません。(アシガル)
森(制作)「鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計」
High School of Tottori Castle Third Dungeon
-Design for School Buildings Co-existed with The Historic Site-
[2009年度卒業研究中間報告会]の続きを読む
- 2009/10/27(火) 00:09:54|
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第11章 投身自殺の誤解p.66-71:小山訳
1.ある日の昼下がり、賈宝玉は王夫人の部屋へ行くと、彼女が眠っているのがわかった
ので、女中の金釧(きんせん)と冗談を言い始めた。王夫人は、金釧の話すことが軽率
であると感じ、体をひるがえらせて起き上がり、彼女に一度びんたをくらわせた。
賈宝玉は自分が災いを招いたと思い、一目散に逃げた。
【セリフ】
王夫人:「下品な女中だこと! 若旦那さま(賈宝玉)が、
あなたにだめにされてしまうわ!」
2.王夫人は玉釧を呼びつけて言った。
「あなたの母を呼んで、あなたの姉(金釧)を連れて行かせなさい。」
金釧は、ひざまづきながら切々と頼み込んだが、やはり追い出されてしまった。
3.賈宝玉は大観園にやってきた。にわかにひとしきりの涼風が吹き、
つづいて大雨が降ってきた。賈宝玉に身にしみるほど冷たく降り注いだ。
4.賈宝玉は怡紅院に走って戻り、とても長い時間(門を開けるよう)叫んでいた。
やっと門を開けてくれる人があらわれた。彼は怒っていて、それが誰であるかも
気づかずに、脚を上げて襲人のあばらのあたりを蹴飛ばした。
【セリフ】
襲人:「あぁ!」
5.襲人が血を吐いたので、賈宝玉は医者を呼んできて治療してもらった。
次の日、賈宝玉は薛蟠に招かれ、酒を飲み、夜になってやっと戻ってきた。
6.晴雯(せいぶん)はちょうど怡紅院で横になっていて、いらついてきた。
賈宝玉は晴雯の心を開こうと思い、言った。
「あなたが好きなものを何でも言ってみてください。」
7.「私が好きなものは、扇子を引き裂く音を聴くことです。」
晴雯はその方法を言った。賈宝玉はすぐに自分の扇子を渡し、
彼女に引き裂かせた。
8.日が変わって、史湘雲がやって来た。賈宝玉は彼女に麒麟を
贈ろうと思ったのだが、探すものの見つからなかった。史湘雲に
拾われていたとは思いもよらず、受け取った。
【セリフ】
史湘雲:「ごらんなさい、これじゃないの?」
9.このとき、知らせが入った。
「賈雨村さまがいらっしゃっていて、旦那様は若旦那様(賈宝玉)をおよび
になっています。(すでに)お客さまに会いに行かれましたよ。」
賈宝玉は喜べなかったが、仕方なく(雨村に)会いに行った。
【セリフ】
賈宝玉:「付き合いきれないおじさんがいてね、毎回私に会いに来るんだ・・・」
10.襲人は賈宝玉を送り出すと、ちょうど薛宝釵に出くわした。
このとき、一人のおばあさんがやって来て言った。
「金釧という女の子が井戸に身を投げて死んだわよ。」
[『紅楼夢』第11章]の続きを読む
- 2009/10/26(月) 00:05:06|
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10月20日(火)。公開ワークショップの2日後。疲れは依然消えない。パーティのホスト役というのは、こういうものなのですね。
火曜日は演習4コマ。うち2コマは加藤家でゼミ。4年は卒業研究中間発表の最終練習で、他は残された最後の1枚の襖の表装替え。プレゼンの練習には時間がかかるのです。4人の発表だと3~4時間は覚悟しなきゃいけないところなんですが、梨花ホールでの
村治佳織ギターリサイタルが開場18:00、開演18:45に迫っている。15時から始めたゼミを17:40ころに切り上げ、いざ出陣と思いきや、エアポートが「はい、これ」と封筒を手渡してくる。何度も書き直させている紀要の原稿(分厚いな・・・)。
封筒を手にもって一路梨花ホールへ、と行きたいところですが、まずは寺町の自宅に寄った。週末の同窓会サッカーのために買い込んでいたユンケルが1本残っていて、家で飲んだんです。
すでにして眠かったのですよ・・・
梨花ホールでは県埋文のCさんお待ちかね。かれもギター好きですが、一緒に村治佳織を聴いたわけじゃなりません。また別の校正を頂戴しました。こうして校正原稿2つをもってホールへ入場。「と」列までは指定席で、わたしは「ぬ」列の通路沿い自由席に腰掛け、少し原稿を読みましたが、うぅぅん・・・良くないなぁ・・・
定刻になって、村治さん、ステージに登場。真っ赤なドレスがまぶしい。
演奏曲目は以下のとおり。最新盤の『ポートレーツ』からの選曲で、言ってみればCD販売のためのツアーなのかもしれません。
第1部 1.戦場のメリークリスマス
(坂本龍一/佐藤弘和編)
2.エナジー・フロー
(坂本龍一/佐藤弘和編)
3.ティアーズ・イン・ヘブン
(クラプトン&ジェニングズ/佐藤弘和編)
4.「ウェスト・サイド・ストーリー」組曲
(レナード・バーンスタイン/ホルヘ・モレル編)
5.組曲ホ短調 Bux WV.236
(ディートリッヒ・ブクステホーデ)
第2部 6.ハンガリー幻想曲
(カスバル・メルツ)
7.ノクターン Op.9-2
(フレデリック・フランシスコ・ショパン/フランシスコ・タレガ編)
8.トロイメライ~子どもの情景 Op.15
(ロベルト・シューマン/フランシスコ・タレガ編)
9.一億の祈り~映画「火垂るの墓」(実写版)
(谷川公子・渡辺香津美)
10.武満徹編『ギターのための12の歌』より
「失われた恋」「シークレット・ラブ」「サマータイム」
(ジョセフ・コスマ/クリス・ハイネ/ジョージ・ガーシュイン)
11.ジョンゴ
(パウロ・ベリナティ)
12.イントロダクション~サンバースト
(アンドリュー・ヨーク)
アンコール 13.アルハンブラの想い出
(フランシスコ・タレガ)
14.タンゴ・アン・スカイ
(ロラン・ディアンス)
1・2の坂本龍一はまずまずの滑り出しでしたが、3はどうかな?・・・クラプトンを愛聴してきたファンの一人として言わせていただくと、よい編曲とは思えませんでしたね。
クラプトンのルーツはブルースなんだから、いくらクラッシック用のアレンジだと言っても、ブルースを放棄してはいけない。あれじゃ別の曲だ。ヨークの「
マーリーの亡霊」の底流にレゲエが決して消えないような仕掛けをここでもやっておかないと、「ティアーズ・イン・ヘブン」ではなくなってしまう。これは編曲のせいであって、村治さんのせいではないと言えるかもしれないけれども、選曲は村治さんですからね。
[村治佳織ギターリサイタル]の続きを読む
- 2009/10/25(日) 00:22:08|
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還暦を迎えた萩原監督が顔をあわせるなり、目を白黒させて、いきなり
「マラドーナみたいだな!」
と言うのですよ。たぶん20年ぶりぐらいの再会だもんで、体型の激変ぶりに驚かれるのも無理はございません。それにしても、マラドーナか・・・これが20~30年前なら最高の誉め言葉ですが、今はサッカー界における最悪の形容ですわね。要するにデブで腹がでてるってことです。まぁ、そう言われても仕方がありません。上の写真をみれば、そのとおりだと頷かざるをえない。
なんだ、おまえ
スロージョギングで痩せたんじゃないのかい、とおっしゃる向きに対してひと言弁明しておきます。上のユニフォームは、昨年、高校・大学時代の同級生、タケヤス君が送ってくれたものなんですが、たぶんサイズはLなんです。わたしにLが納まるはずはありません。2L以上ないといけない。
先日、デポで
トレッキングシューズを購入する際、アシックスのピスケも買ったんですが、そのサイズは2Lでして、それが下の写真の黒いウィンドブレーカー。これを着ていると、腹の出をいくぶん隠せるのですが、Lのユニフォームを着たらおしまいざんす。まっ、西田敏行と同レベルですね。
しかし、ジョギングすると体重は必ず減るのですよ。ただし、鳥取でそれが持続できない。結果、前腹の出だけはどないもこないもなりません。以前述べたように、腹筋を30回すると、2~3日腹筋ができなくなってしまうのです。
うぅぅ~ん、どうしたらよいのでしょうかね・・・

17日の11時すぎ、加藤家住宅で
ワークショップの準備を進めるゼミ生たちを捨て置き、わたしはタクオの運転する車にのって播磨光都(はりまこうと)第2サッカー場をめざし、国道53号線を南下して行きました。佐用までは奈良への帰宅路なのでなにも問題はありません。佐用から南がさっぱり分からない。もちろんネットで入手した地図を3枚ばかりもっていたんですが、やっぱり道に迷ってしまい、到着が一時間ばかり遅れてしまった。
約20年ぶりに参加するF.C.ゼクストン(京都大学文学部サッカー同好会)の同窓会。すでに因縁の東西対抗戦が始まっていました。かつて奈良の研究所で平城対藤原という内部の対抗戦が血をみるほどの激しい試合であったのと同様に、F.C.ゼクストンもクラブ内部の東西対抗戦がもっとも熱くなる試合でありました。わたしはその元凶でした・・・
が、みんな歳をとってしまった。昔は上手くて速かったのに、とてもスローなペースで試合が進んでいました。ハーフタイムになって、同窓たちがわたしに気づいた。
「すごい貫禄だな・・・」
[FCゼクストン40周年記念同窓会]の続きを読む
- 2009/10/24(土) 00:40:21|
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襖表装 VS 障子紙 さてさて、職人さんたちの技の披露とは別にイロリ間では襖表装の張り替えと障子紙張り替えの作業が進んでいました。襖表装の張り替えは明石高専5名、障子紙張り替えは環境大学多数という役割分担。
襖表装張り替えのアドバイザは、すでにお馴染み、表具師の小林さんです。小林さんにはずいぶん前からワークショップへの参加を要請しており、「当日は実演と指導をお願いします」と頼んでおいたのですが、ご本人は「実演」の予定がまったくなかったようで、いざ「実演を!」とお願いすると困った顔をされてしまいました。仕方ないか・・・という顔をされて、まずでた言葉が「ポンチ」。框の釘を緩めるためにポンチが必要なのですが、事務局側が用意しておりませんで・・・、どうやらほかにも道具が足りない。
ここでついに観念されました。「車まで道具を取りに行ってくる」とのこと。助かりましたね。事務局側の段取りのわるさが露呈した格好でじつに恥ずかしい限りなんですが、小林さんはだんだん上機嫌になっていかれました。なんたって、明石高専の学生さんはみな女子ですからね。午前から午後にかけて小林さんと明石の学生さん4名は表装替えに没頭。フチオコシで外した縁(框)の番付からして相当複雑でして、裏張り、受け、表装と大変な作業を黙々とこなしていただきました。ありがたいことに、用意していた7枚の襖のうち6枚まで張り替えを終えられたのです。
ほんとうにありがとうございました。どういうわけか、池田住研の中西くんも感謝しておりました。
[速報! 第2回公開ワークショップ(Ⅲ)]の続きを読む
- 2009/10/23(金) 00:09:16|
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芋煮 ランチタイム 今回のプロジェクトは「修理・修復こそが活用である」という特異なスタンスを強調していますが、じつは公開ワークショップにはもう一つの「活用」が隠されていました。
前期に復原した石造カマドで芋煮をしたのです。メイン・シェフは部長、サポートはTO.YOさんほか3年生と・・・アシガルもやってたな・・・レシピは詳しく知りませんが、里芋、白ネギ、キノコたくさんの具材はほぼ同じにして、「鳥肉+醤油」味と「豚肉+味噌」味の2種類をじっくり煮込んだんです。
それでですね、「鳥肉+醤油」味がおそろしく美味しいの。「この味はなんだ!」というぐらいのコクがあって、豚汁風の「豚肉+味噌」味もももちろんわるくはないのだけれども、ちょっとラベルが違うっていうぐらいの高尚な味に仕上がってました。
12時から昼食タイム。天気は快晴。みんな杉苔の庭にでて、縁側やら式台やら庭石に坐って、白いご飯に芋煮と漬物に舌鼓を打ちました。天気は最高、雰囲気も最高、味も最高で、いうことなかったなぁ・・・この昼食会だけでも十分「文化財建造物の活用」になってますよね。経費も格安です。たぶん昼食時には30人ぐらいいたでしょうから、お弁当を頼んだら2万円ぐらいかかったでしょうが、芋煮だと全食材あわせて数千円で足りてしまいますね。
うん、大成功だ。またこんど「鳥肉+醤油」味の芋煮をイロリでやりませう!
今回のイベントでは、大学から折り畳み式のテーブルを数台借りてきたんですが、そのテーブルを杉苔の庭に出して、食器やお鍋を並べるだけで、すばらしい屋外のレストランになることが分かった点も大きいね。ワークショップ最後の講評会でも、また杉苔の庭にテーブルを出して飲料やマイクを並べて、講評後にみんながお茶とお菓子をいただきました。あれもまた効果的でした。
さてさて、これで連載が終わったわけじゃありませんよ。明日は明石高専軍団が大活躍した襖表装張り替えをレポートしますので。(続)
[速報! 第2回公開ワークショップ(Ⅱ)]の続きを読む
- 2009/10/22(木) 00:09:34|
- 食文化|
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建具の打物と削り 10月18日(日)。ついに第2回ワークショップを迎えました。2日前に嬉しい知らせが届いてましてね。明石高専のY先生が学生4名を連れてくるというのです。YさんはK都帝国大学院時代の仲間で、じつはこの春、ダウラで竪穴住居復元の打ち合わせをしたんだけど、それがいったいいつ以来の再会なのかよく分からないほど、ご無沙汰の状態でした。その数日前にはチャックが戻ってくるという報せも入ってました。チャックはASALABのOBですが、明石高専は他県の高等教育機関であり、ワークショップを介して環境大学との交流ができることは望外の喜び。いや、まずもって感謝の気持ちを表します。
話は前日に遡ります。学生たちは16日(金)から17日にかけて会場設営とワークショップ当日の昼食とする芋煮の材料買い出しを始めてました。17日、わたしはあろうことか、大学時代のサッカーチームの同窓会に参加するため遠出してしまったのです。
9月16日の記事に、同窓会サッカーには出場できないと書いたのですが、あれから必死で日程を調整し、入試当番を代わってもらって、旧姫路工大の人工芝グラウンドまで駆けつけたのでした。これについては、また別に記事を書く予定なので割愛。
鳥取に戻ったのは夕方5時半ころ。まずはチャック登場。二人でアパホテルまで主賓のお迎えに行った。文化庁のN調査官と文建協のY主任技師をお連れして「飛鳥」へ。そこに、まずタクオが合流し、さらにSさん、Mさん、Oさん、Nさん・・・が続々集結。カウンターではじまったミニ懇親会はいつのまにか2階のお座敷に移動しないと納まらなくなっちゃいました。2次会は鮎殿の茶屋であります。
もちろん飲んでただけじゃありませんよ。ワークショップの趣旨を文化庁・文建協のお二人にしっかり説明し、打物を柱ではなく建具框に打つこと、上下框を削ることの了解を得ました。また、最大の課題である軸部の構造補強についても、調査の成果や補強の経過を説明しておきました。
そうそう、オカムとヤンマーは別行動でして、またしても弥生町で羽根をのばしていたらしいのですが、「弥生町桃色同窓会」の記事に懲りたようで、なんにもゲロしませんでしたよ、今回は。
翌朝は9時集合、10時開会。まずは第2回ワークショップの趣旨説明から。2006年の修理で柱をジャッキアップし、柱を矯正したり、床面を水平にしたりした結果、敷居-鴨居間の寸法がのびたり縮んだり、柱と建具の接触部分にも細長い三角形の隙間ができたので、これをなんとか柱間にぴったり納めるようにしたいという目的を述べ、さっそくオカムが京田辺で制作してきた打物を披露しました。以上の建具の微妙な調整については、とても素人ではできないので、職人さんに任せ、一般来場者は見学のみ。打物はASALAB1期生のオカム(数寄屋大工)&ヤンマー(建具師)、板戸・障子の上下框の削りは池田住研の若い大工さん2名が担当するという役割分担で進めたのです。ちなみに打物と框の接着はボンドや釘を一切使わず、両面テープだけの仕上げにしたようです。
[速報! 第2回公開ワークショップ(Ⅰ)]の続きを読む
- 2009/10/21(水) 00:14:46|
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昨日、1年生女子によって、わたしが摩尼山で遭難した件がレポートされていたので、少し詳しくデキゴトロジーしておきましょう。
2週間前の週末、デポというスポーツ用品量販店でトレッキングシューズを買ったのです。カインズホームで何年か前に仕入れずっと履いていた運動靴(1500円)が、かの大山登山で壊れてしまいましてね。大山登山の四合目あたりのすれ違いざま、某爺様に
「靴底に鉛が入っとるじゃないだか」と形容されたその運動靴ですが、登頂後、靴底に大きな亀裂が入っていることを発見。ですから、下山はきつかった。
デポという量販店は「この店より安い商品をみつけられたら返品いたします」とポスターに明示しているだけのことはあって、たしかに諸々商品の値段は格安です。登山靴は15000円も払えばそうとう良い品があるのですが、わたしはその半額の靴にしました。「最後の1品、展示のもののみ7800円」だそうで、靴のサイズは26センチのドンピシャ。じつは、エンジ色を使ったもっと格好よい靴にしたかったのだけれども、やはり値段にはかないません。そういうご時世というか、人生というか・・・驚いたのは靴下ですね。スキー靴と同じように、登山靴にも専用の厚手の靴下を穿かなければならない。買いましたよ、1足1500円もする靴下。
で、8日の久松山(鳥取城)でお披露目するはずでしたが、
台風18号でスルー。1週間待った15日、快晴の摩尼山でデビューを飾ったのです。もちろん厚手の専用靴下も穿きました。そして、石段を登りはじめた。快適ですねぇ・・・よたよたの足下がしっかりし始めた。でも、スピードはでません。ともかく登り坂は駄目です。ジョギングでも登り坂はやはり苦しい。平坦地なら、若者と同じスピードで歩くことはできるけれども、登り坂はとてもかないません。ドンジリがわたしの指定席であります。
門前から立岩まで約30分。十分グロッキーしましたね。そこから先、奥の院にかけての道はきつい下り坂で、岩盤がところどころに露出している。2年生の女子学生が2度転んだので心配していたところ、今度はわたしが岩盤上でスリップ。強烈なバックドロップ状態でありまして、わがトレッキングシューズの靴底では岩盤の滑りに耐えられませんでした。

それはさておき、摩尼寺「奥の院」の岩窟と岩陰の2重仏堂には圧倒されます。上層の岩窟はその奥に小さな仏龕をほりこんでいて、なかに「石塔」を祀っています。わたしは
雲岡石窟第1・2窟を思い起こしました。雲岡のなかで最初に掘削された仏堂で、なかに塔を祀っています。摩尼寺「奥の院」岩窟仏堂が雲岡石窟第1・2窟のミニチュアのようにみえたということです。
岩窟の地盤はそのまま下層の岩陰の屋根になっています。リーゼントヘアーのようなすごいでっぱりでして、その下には2箇所に仏を祀っている。そのうちの一箇所では石仏だけじゃなく、木彫仏までおいてあります。この2層構造はただものではない。しかも、その下の平坦面には礎石や基壇縁石がずらりと残っている。この平坦面が自然地形を掘削・整地した「加工段」であるのは間違いありません。ただ気になったのは、石が平坦面に続く傾斜面にも部分的に伸びていることで、あるいは「懸造」の本堂であったのかもしれませんね。ここで二つの歴史的展開が想定されます。
A群: 岩窟・岩陰による二重構造の仏堂
B群: 平坦面に礎石・縁石を残す木造の仏堂
と分類した場合、A群とB群が一連のものとして「奥の院」が成立した可能性とともに、B群が建設される以前からA群が存在しており、B群はA群にあわせてある時期に複合化した可能性もあるでしょう。わたし個人は後者の可能性が高いだろうと思っています。
[トレッキングシューズ遭難事件]の続きを読む
- 2009/10/20(火) 00:25:44|
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摩尼山再訪 10月15日(木)。今回は
摩尼山に登ってきました。15:30ごろから門前の石段を登り始めました。「仁王門」→「本堂」→「善光寺如来堂」の境内コースを通って山道に突入し、この世とあの世の境という「法界場」から「六角堂」「展望台」、そして「立岩(山頂)」を経由し、そこから少し下って反対側にある「奥の院」をめざすトレッキングです。

まず、石段を少し登ると
仁王門が見えてきました。仁王門で私たちが作成した資料を配り、説明しました。しかし自分たちが作成した資料に掲載されている「十六羅漢」「帝釈天」などの意味がわかっていなくて、まだまだ勉強が足りないと後悔の嵐でした。次回は「なるほど」と思ってもらえるような資料を作ろうと今から燃えています!
仁王門には、釈迦如来仏(仏教の開祖の尊称)と十六羅漢(←羅漢とは仏教の修行で完全に悟りを開いた修行者)、仁王が安置されていました。私たちは階段を使って門の上に登り、格子の隙間から十六羅漢を見ました。それは、さまざまな格好をしていました。

仁王門をあとにし、さらに石段を登っていくと摩尼寺の本堂に着きました。そこで住職さんにごあいさつし、本堂(↓)を参拝しました。境内の奥のほうにある善光寺如来堂は浄土真宗のお堂ですが、摩尼寺はもともと天台宗のお寺でするから、現在の摩尼山には2つの宗派が同居しているのです。
善光寺如来堂の縁を通りいよいよ山道に突入です。「法界場」には江戸時代に刻まれた石像がたくさん並んでいました。ふたたび登っていくと、見晴らし台という開けた場所に出て目の前には久松山と鳥取砂丘が広がっていました。

さらに登っていき山頂につきました。山頂には摩尼寺の開基伝説の中で「長者夫婦が娘の行方を捜して山頂まで来たとき、娘が帝釈天の姿になって降りてきた」と記される立岩がそびえ立っています(いちばん上の写真)。とても大きな岩で、その上まで上がることはできませんでしたが、岩の際から見た風景は鳥取の山が一望でき、とてもきれいでした。
少し休憩を入れ、「奥の院」に向かいました。向かう途中にあった岩窟の中に五輪の石塔(←)と秘蔵仏が祀られてました。教授は「開山当初の仏堂かもしれない」とおっしゃっていました。2年生のスケッチが上手な先輩に「スケッチをさせる題材がまた増えた」とおっしゃっていました。少し先輩が気の毒でした・・・笑
[第3回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」]の続きを読む
- 2009/10/19(月) 00:20:34|
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2009年度卒業研究中間発表会が
10月21日(水)に開催されます。会場は
28講義室です。
各研究の概要は「続き」に掲載しています。
16:42-16:54 1062007 門脇 史知(制作)
「よみがえる門 -古民家裏木戸の復元-」
The Gate Rebirth
-Reconstruction of the Back Gate in Traditional Houses-
16:54-17:06 1062031 森 吉宏(制作)
「鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計」
High School of Tottori Castle Third Dungeon
-Design for School Buildings Co-existed with The Historic Site-
18:09-18:21 1062002 宇田川 恭平(論文)
「建具と内装の修復 -加藤家修復プロジェクト The LAST-」
Renovation of fixtures and interiors
-THE LAST of Kato family's residence restoration project-
18:21-18:33 1062004 大給友樹(論文)
「石窟寺院への憧憬 -岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-」
Dream for Stone Cave Temple
-Typology and origin of Buddhism hall constructed at cave or cliff-
[2009年度卒業研究中間発表会のお知らせ]の続きを読む
- 2009/10/18(日) 00:30:41|
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10月14日@
カナイチヤ。
某会議のため遅れて入店したところ、定席であるはずのTV前カウンターは口のわるい(人のことは言えないが)サッカーフリーク2名+寡黙な1名に占拠されていた。あとでマスターに訊ねたところ、関東からの出張組で、一人は「浦和サポーター」、もう一人は「鹿島サポーター」とのこと。なるほどね・・・
0-5のトーゴ戦は退屈だった・・・が、いくつかの発見あり。森本は素晴らしく、後半初っぱなから本田と交替したときは大ショック!・・・石川の投入も遅すぎたね。あとは、・・・俊輔か遠藤か、の選択で、岡田監督は遠藤を外した。少々驚きましたね。たしかにこの日の遠藤は消えていた。俊輔は、しばし球離れが遅く苛つかせたが、出来は上々。ボランチとしての起用をぜひ試してほしい。稲本を使わず、今野を出したのは??だが、徳永の右SB先発は賛成。ストッパータイプのサイドバックがぜひ1枚欲しい。徳永の前に石川をおいて攻撃に専念させればよいのです。両者FC東京。コンビネーションに問題なし。
さて、森本と岡崎の2トップは強力だが、2トップとなると、中盤は4枚になるので激戦だ。私案では稲本、長谷部、俊輔、石川かな・・・俊輔ファン、嬉しいでしょ。先発案から外れていた俊輔が戻ってきましたよ。4-3-3だと森本と岡崎を併用しにくいのね、左:玉田、中:岡崎(森本)、左:石川となるでしょう。前半と後半でフォーメーションを変えますかね。前半4-2-3-1(4-3-3)でスタートして、後半4-4-2にシフトしますか。 玉田より、森本のほうが抑えづらいだろうな・・・ディフェンスは。
アジア予選時と比較すると、森本、石川、稲本、徳永が加わって、厚みを増してきましたねぇ。少し前までグループリーグ敗退は必至と思っていましたが、組み合わせによっては、ひょっとすると、グループリーグを突破する可能性がでてきたかもしれんね??
ただし、本田は要らない。2度と代表戦で本田をみたくない、と思うほどかれのパフォーマンスはひどかった。本田のプレーや走り方をみていると、どういうわけか、K1における曙がイメージされてしまうんだな・・・というわけで、浦和サポーターや鹿島サポーターに負けないぐらいの「口のわるさ」で締めましょうか。いつものことですが・・・
[トーゴ戦評]の続きを読む
- 2009/10/17(土) 00:09:45|
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古民家修復プロジェク委員会メンバーとの打ち合わせ 第2回ワークショップが18日(日)に迫りつつある。残り一週間を切った13日(火)のゼミの時間を利用して、古民家修復プロジェク委員会の委員を招き、最終的な打ち合わせをおこなった。
7月12日の
プレ・ワークショップにお越しいただいた研究室OBのオカムさん(大工)、ヤンマーさん(建具師)に寸法データを提供し、鋭意、打物を作成いただいている。当日もお二人には、建具につける打物の貼り付けと調整に専念していただくことになった。

現在、加藤家住宅の建具に係わる問題は打物だけではない。アイノマ・ヒロマ間の板戸(←)、板間・囲炉裏間の明かり障子(↑)などは、2006年の柱の矯正によって鴨居・敷居間の内法寸法が変化し、建具が納まらなくなっている。
そこで、ワークショップに参加される池田住建の大工さん(2名)には板戸・障子の高さ調節を担当していただくことになった。問題の建具を見ていただいたところ、建具の上下框を削ることで何とか納めることができるようになるだろう、とのことである。
ワークショップ当日の流れ ワークショップの流れは、以下のようになるだろう。
1.開会挨拶
2.趣旨説明(建具の問題点を総括的に述べる)
3.打物の加工と貼り付けの実演(オカム&ヤンマー)
実演後、二人は実務作業に専念。
4.建具上下框削りの実演(池田住研2名)
実演後、二人は実務作業に専念。
5.襖表装の張り替え実演(小林さん)
-ここで昼休憩(芋煮・漬物・ご飯)-
6.来場者・学生はA班とB班に分かれ、一方は襖・障子の張り替え
をおこない、他方は建具修理見学および加藤家住宅見学
7.浅川・文化庁調査官・文建協主任技師等は軸部の構造補強に
ついて検討(時間に余裕があれば、裏門復原、竹雨樋についても
意見交換)
8.ワークショップの最後に講評(文化庁調査官・文建協技師等)
古材倉庫の解体と古材・単管パイプの選別にむけて 土地所有者の要請により解体・撤去することになった古材倉庫を視察した。敷地には背丈をこえるほどの高さに成長したススキなどの雑草が生い茂っていたが、事前にナオキさんが草刈りしておいてくださったので、上の写真のようにその全貌を把握することが(ようやく)できた。古材倉庫は、2007年のプロジェクト研究(山田班)で建設され、古材・廃材置き場として活用してきた。懐かしい鉄板被覆屋根の
原寸模型もここに保管している。
古材倉庫の解体にあたって、以下のリサイクルをおこなうことが決まった。
1)裏門(
裏木戸)の復元に再利用できる古材を選別・保管
2)古材倉庫の建材である単管パイプと鉄板についても、一部は裏門建設の
素屋根の材料に転用。残りの単管パイプは大学で保管。
2)に示した裏門の素屋根は学生自ら設計・建設することになった。4m×4mの平面規模で裏門の設置場所と加工場を覆う予定。
古材倉庫の撤去は18日の公開ワークショップ以降、10月末までにおこなう。
[第2回公開ワークショップに向けて(Ⅴ)]の続きを読む
- 2009/10/16(金) 00:18:54|
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10月10日(土)。鳥取城跡(籾蔵跡)発掘調査現地説明会がありました。もちろん、僕も参加しないわけにはいきません。今日は、現地説明会の様子についてレポートいたします。
午後1時半から現地で説明会があり、定刻前から多くの方が集まっていました。遺構の中に踏板が敷いてあり、歩いて遺構を見学できるようになっています。遺構を見学しながら市埋蔵文化センターの職員の方から遺構について説明がされました。

最初に、籾蔵跡の説明がされました。この地域はもともと湿地帯で、袋川が蛇行して流れていることにも関係していますが、この下流域は水道谷という水源地になっていた位置にあたります。江戸時代以前には「沢市場」という集落があったとされています。この湿地帯の影響で地盤が緩くなっていて、地盤を固めるために地業などを行ない、しっかりとした地盤改良を行なっていたことが伺えます。また、遺構内には石組みの水路が張り巡らされていていますが、沈下防止のための胴木を置き水路を築いています。
籾蔵に並行して石組で枡状の溝には、鳥取監獄に関係する遺物が見つかっており、監獄のような建物があったと考えられ、また籾蔵の建物を鑑別所として転用し、その際に改修を行なっているとのことです。その後、監獄を壊して女学校が建設されます。監獄を取り壊したときに出た廃品(出土した弁当箱や汁茶碗)などを溝にほうりこんで埋め、その上に女学校を建てたそうです。なお、遺構の説明はエアポートさんも前回のブログでレポートしておりますのでそちらもご参考ください。

今回、籾蔵跡や県立高校の前身である鳥取高等女学校校舎および講堂の基礎跡や鳥取監獄に関連する遺物などが見つかり史跡としての価値が一気に高まり、卒業研究「史跡と共存する校舎の設計」の社会的意義が一気に高まり始めたように思います。この東グラウンドの遺構も、もちろん無視できない重要な意味をもっています。
今後の課題としては、遺構面をどのぐらい校舎の一部として利用するのが鍵となるでしょう。遺構の表現ばかりに目をやっていると肝心の校舎としての機能が失われますが、両者は相反する要素ではなくて十分融合できるものだと思います。
10月21日(水)に卒業研究中間発表が迫っています。これから、睡眠時間を削って意義深い発表にしたいと思っておいます。【アシガル】
- 2009/10/15(木) 00:01:00|
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下の文章は8月3日に来鳥された
松岡先生とともに鳥取城三の丸外側の発掘調査現場を視察した際の記録である。この記録を今日までアップしなかったのは、発掘調査現地説明会(現説)による調査主体側からの情報公開をまっていたため。その現説が10月10日(土)におこなわれた。研究室からはエアポートとアシガルが参加しており、明日アシガルが現説のレポートをアップすることになっている。その序文として以下の文章を読んでいただければ幸いである。
さて、県の文化財保護審議会が学校改築の現状変更に反対する要望書を提出するという情報が複数の筋から流れてきた(今回は見送りとも?)。にわかにアシガルの卒業研究「鳥取城三の丸高等学校-史跡と共存する校舎の設計-」が大きな意味を持ち始めてきた。校舎を現地から移転せよ、という発想も暴力的だが、国史跡のなかにあって、それを無視した設計案を進めようとする開発側の発想も横暴であり、関係者がどれだけ「史跡と共存する校舎の設計」案を深めていけるかどうか。わたしたちのアイデアが触媒になれば嬉しい。(教師)
--
8月8日にアシガルがレポートしたように、同月3日、松岡先生が来鳥された。松岡先生は、城郭内の宗教施設に関する研究もされており、安土城見寺コンペの際にも何度か文献で名前を拝見していたので、今回の面談に同行させていただいた。すでにアシガルが、私が卒業研究の際に編集した冊子『仏を超えた信長』を松岡先生に郵送しており、FAXでお返事をいただいていた。このところ思うのだが、その道の専門家と面と向かってお話していると、自分が一生懸命背伸びしているような感じがしてチョッピリ恥ずかしい。
ダウラでの筆談のあと、松岡先生とともに発掘調査中の鳥取西高校東グラウンドを視察した。この遺跡は高校の校舎改築に係る事前発掘調査で検出されたもので、鳥取城三ノ丸に隣接することから鳥取城関連遺跡として注目されている。調査面積は約2800㎡と大規模なものだ。

4月にゼミで訪れた時は40㎝ほどあるグラウンドの表土を撤去し、数箇所掘り下げた状態で遺物も少なかったが、今回は江戸~明治時代の遺構がみつかり、また多くの遺物が出土している。建物の輪郭と思われる遺構が何層かになって姿をあらわしており、前回のゼミの時点で検出されていた幅半間ほどの「平べったい石敷」の一列は、約20m×約8mの長方形をなすことがわかり、同じような遺構が7区画、同じ角度で並んで検出された。また対面する区画1と区画4の間に、平行に低い基壇の側石にみえる石列が石敷から半間離れて一列ずつ検出された。検出当初、一列の石敷は「雨落ち溝の底石」で、その脇にあるごろごろした石の詰め込みは基壇下の「地業」であり、雨落ち溝の底石の規模からみて大規模な建築だった可能性があるとみられ、明治期の校舎建設時に基壇は削平されたと推測していた。しかし、この平行する側石が2列検出されたことにより、「オダレ」が存在した可能性が考えられ、ロの字型に廻った石敷は側柱の布基礎で、その上に礎石が置かれていたと推定できる。
となると、約20m×約8mの建物に半間のオダレが付属した建物が7棟存在し、これが史料にみる「籾倉」だとすれば、幕末期に大規模な御蔵群があったことが考えられる。また、この遺構と近いレベルで鳥取女学校の基礎と鳥取鑑別所の遺物が検出された。女学校の基礎は明治期のもので、現在の鳥取西高と同じ方位を維持している。モミグラより建物規模は小さく一列に並んでおり、台所と思われる遺構は、撤去されたカマドの底を中心に真っ赤な焼土が検出された。一方、鳥取鑑別所の遺物は、約10m×2m、深さ1mほどの石積の溝かと思われる遺構の中に「鳥取鑑別所」と書かれた木製の弁当箱や、汁碗が山のように出土している。
[松岡先生御入城(Ⅱ)]の続きを読む
- 2009/10/14(水) 00:43:59|
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あの夜は、白菜中華鍋の準備をしていて、まともに試合をみておりませんでした。本来はアヒルの肉をぶつ切りにして煮込む鍋なんですが、鳥肉でも全然かまいません。目的は白菜でしてね。白菜を美味しくいただくための鍋です。白菜をたっぷり土鍋に入れて、鶏肉と煮込む。あとは椎茸(などのキノコ類)と白葱と豆腐だけ。これだけの鍋なんですが、最後に胡麻油をとろ~りんっと流し込むのです。これで、風味は中華そのもの。
ポン酢などは使いません。鍋にたまったスープをお椀にとって、食卓塩と山椒粉で味を調え、具をとって食べる。ともかく白菜が美味い。まっ、一度ためしてください。
こういう鍋の準備をしながらスコットランド戦の前半をみてました。後半は鍋をつついてましたよ。
いわば両国とも2軍の代表戦ですが、日本に限っていえば、レギュラーチームと遜色ない顔ぶれだったと言えるでしょう。前半は石川と稲本、後半は森本と松井が光ってみえましたね。岩政もわるくない。
さて、話題の本田ですが・・・よくありませんねぇ。なにより動きが緩慢で、運動量が少ない。ユーチューブの映像はコマを早回ししてんじゃないのかな。結論から申し上げますと、本田はW杯代表23人に残す必要はない、とわたしは決断したのです。やっぱり中村俊輔だ、と言いたいわけじゃないんです。俊輔はW杯に連れていくべきでしょう。しかし、先発で使う必要はない。W杯本戦で通用するのは、フィジカルが強く、スピードがあって、運動量の多い選手です。そういう選手を優先して試合にだすべきです。スキルがある選手でも前線にあがったら仕事はさせてもらえない。それがW杯本戦です。だから、ピルロのように、ボランチの位置で球をまわせる選手が一人いればよい。この役は遠藤か俊輔のどちらか1枚で十分でしょう。
わたしの構想は、
ガーナ戦評で述べたとおりでして、4-3-3(厳密には4-1-2-2-1)のフォーメーション。前線から二人ずつ選んでいきましょうか。CFは森本(岡崎)。ウィングハーフは右が石川(大久保)、左が玉田(松井)。ボランチはCH=ワイパーが稲本(今野)、左が遠藤(中村俊輔)、右が長谷部(中村憲剛)。サイドバックは左が長友(駒野)、右は攻撃的にいくなら駒野(内田)、守備的ならば今野(長谷部)。センターバックは中澤(岩政)、トゥリオ(阿部)ってとこでしょうね。GKには楢崎が帰ってくることを切に期待します。
[白菜鍋とスコットランド]の続きを読む
- 2009/10/13(火) 00:04:42|
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10月8日(木)。第2回「修験道トレッキング」の報告はミッキーが担当します。
台風の影響で… さぁ、今回は「久松山」に登るということで、みんな気合も体力も十分。アシガル先輩も気合十分で、約20ページ近くにも及ぶ資料を作成してきてくれました。これで、体力・気力・知識が揃い、まさに鬼に金棒。いざ、参らん。のはずが…台風18号の影響で、トレッキングは延期に。やはり自然には勝てなかった…。残念!
図書館にて トレッキングができないからと言って、僕たち学生に休んでいる暇はない。そんなわけで、鳥取市立図書館に行ってきました。今回のこのプロジェクト研究のテーマは「修験道トレッキング」。この研究のキーワードである、修験道・密教・山岳信仰や鳥取県の山に関する書籍を読みあさり、知識を得ようというわけです。
一年生はほとんどがこの図書館を利用するのが初めて。本の検索方法を学べただけで大収穫かな?って、それくらいは知っておこうよ…。自分無知でした。
身分証明書が… 集合時間になり、どんな本を借りてきたかみんなに紹介。しかし、数人が本を一冊も持っていない。事情を聞くと…身分証明書を持っていなかったため、貸出カードが作れなかったとのこと。言ってくれれば一緒に借りたのに。ってなわけで、先輩たちが代わりに借りてきてくれました。なんて心優しい先輩方なんでしょう。この大学には良い先輩ばかりだ。高校生のみんな。ぜひ、この大学に入学を!(笑)
今回の活動 次週までに図書館で借りた本を読み、レポートを作成しなければいけません。僕が図書館で借りた本は↓
渋谷申博『面白いほどよくわかる密教』日本文芸社
上山春平・直原玉青・宮坂宥勝・山崎泰廣・榊莫山・高木元・宮崎忍勝・和多秀乗・
佐和隆研・松長有慶・頼富本宏(著者複数)『密教の世界』大阪書籍
先輩から借りた本は↓
宮家準『修験道』講談社学術文庫
この本全部読めるの?って量ですが、なんとか来週までに仕上げなければなりません。ちなみに来週は、摩尼山のトレッキングを行う予定です。来週こそは山に登りたい。どうか来週は晴れますように。(環境政策経営学科1年 ミッキー)
- 2009/10/12(月) 00:25:52|
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第10章 玉房を切り刻む女心p.60-65:岡垣訳
1.5月1日その日、賈府の多くの女性たちと賈宝玉は一緒に清虚観に行って、
焼香し、観劇した。まもなく清虚観に到着しようとしたとき、清虚観の張道士が
早くから弟子や孫弟子をつれて道端に出迎にきているのが見えた。
2.賈母たちが駕篭から降りると、張道士は急いで迎えに来た。
賈宝玉は、
「張おじさま、お変わりもなく」
と言いながらお辞儀をした。
3.張道士は賈宝玉を散々誉めあげた上に、彼に縁談の話を持ち出した。
賈母は言った。
「宝玉はまだ子供です。もうしばらく待ってからにしましょう!」
4.賈母たちは清虚観のいろいろな所で一通り遊んだあと、芝居(劇)を見に
行きたいと思った。 このとき張道士は、さまざまな仏具を持ち上げてみせ、
賈宝玉にさしあげた。
5.一同は演劇場の二階にあがって席についた。賈宝玉は仏具をより分け、
手にとってみた。賈母は言った。
「この麒麟にはすいぶんと見覚えがあるわ。誰かが身に着けているのと
よく似ていますよ。」
【セリフ】
賈宝玉:「おばあさま、これを見て、如何思われますか?」
6.薛宝釵は言った。
「
湘雲さんが持っていますわ。」
賈宝玉はそれを聞いたあと、史湘雲のために取っておこうと思い、こっそり
しまったのだが、林黛玉に見つかってしまった。
7.賈宝玉は、すぐに弁解した。
「これは私があなたに取っておいたんだ。帰ったら身に着けるといいよ。」
林黛玉はそっぽを向いて言った。
「私、そんなもの珍しくもなんともないわ。」
8.観劇が終わって賈府に帰ると、賈宝玉は張道士が縁談をもちだしたことで、
腹を立てて言った。
「今後、二度と張道士には会わないよ。」
9.林黛玉は(宝玉の心を)探りながら言った。
「あなたは、あなたの金玉の良縁を張道士に断ち切られそうだったのを
恐れているのね。」
賈宝玉は、林黛玉が自分と彼女との仲を疑っているのだと思った。
10.賈宝玉は思った。
(私はあなただけが心の中にあるのに、あなたがいつも金玉の説を疑うの
ならば、この玉を捨てたほうがました。)
こうして、賈宝玉は命を顧みず玉を投げ捨てた。
[『紅楼夢』第10章]の続きを読む
- 2009/10/11(日) 00:18:13|
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新しい襖によって生まれた寸法の誤差 10月6日(火)。前日、K表具店から搬入された修復・新調の襖9枚を研究室のメンバー全員にお披露目しました。みな驚愕のひと言です。ピヴォさんのアイディアで表装の紙をベージュ色にしたため、襖に貼ってある書画の汚れがそれほど気になりません。ところで、新しい襖が入ったということは、建具の納まりが以前と変わりました。座敷の4枚襖は上框に打物をされましたし、仏間の3舞襖は上下の框を削ったりされたからです。このため、大急ぎで寸法の変更箇所を実測しました。京都のオカムさん、倉敷の山本さんに変更点を示すデータを送らなければならないのです。
納まりが変わった箇所の襖と柱の空き寸法は以下のとおりです。番号は下の平面図と対応しています。
(13番)幅17mm、高さ1752mm、柱1755mm
(14番)幅30mm、高さ1750mm、柱1747mm
(16番)幅13mm、高さ1743mm、柱1750mm

↑クリックすると画像が拡大表示されます。
風庵の建具に関する検討 次に「風庵ギャラリー」で撮影した板戸と障子の写真を全員に見てもらい、購入するか話し合いました(今回探した板戸と障子の位置は上の平面図に色づけで示しています)。その結果、土間・イロリ間境の板戸1枚(緑で印した箇所)は、寸法・デザインとも申し分ない物だったので購入する事に決定しました。台所・板境の板戸2枚(青で印した箇所)とイロリ間・板間境の障子4枚(赤で印した箇所)は加藤家住宅内に収蔵されている他の建具で代用できないか、候補を探すことになりました。障子は高さの調整は必要ですが、なんとか納まりそうなものをみつける事ができました。板戸は風庵でみつけた板戸と同じぐらいの高さの物を見つける事は出来ましたが、風庵の板戸と同様、やや背が高すぎるので今度のワークショップでプロの方にアドバイスをいただこうと思います。以上から、風庵で購入する建具は土間境の1枚(緑色)のみとなりました。
今後の方針 一方、ミーティングでは、第2回公開ワークショップにむけてスケジュールを煮詰めていきました。以下、要点を箇条書きにします。
1.今日決まった事や変更があった箇所、建具の状態についてオカムさんとヤンマーさんに早急に連絡する。以後もこまめに連絡をとり、ワークショップ当日に混乱がおきないよう努める。
2.風庵で板戸1枚のみ購入。
3.13日(火)午後3時から、倉吉の委員とともに最終の打ち合わせをおこなう。
4.襖と障子の張り変えの練習と会場設営。
5.当日、4年生は襖の張替え、3年生と部長さんは「芋煮鍋」など昼ご飯の障子の張替えを担当。
さて、問題は駐車場です。前回イベントの真っ最中に区長さんがやってきて、「倭文西交流館 しずおりの郷」の駐車場を利用していることに苦情を示されるというトラブルが発生したので、今回は教授が区長さんほか集落の役付きの方と話をしてこられました。その結果、第2回ワークショップでは、
江山小学校近くの「鳥取市立大和地区公民館および体育館の駐車場」を利用することになりました。「倭文西交流館 しずおりの郷」には絶対駐車しないようお願いします。
[第2回公開ワークショップに向けて(Ⅳ)]の続きを読む
- 2009/10/10(土) 00:09:35|
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帰ってきた襖 10月5日(月)。朝方、携帯が鳴った。携帯を開くと、表具店からだった。
前日の話し合いでは、襖の表装の張替えが月曜日に間に合うか分からないので、6日の火曜日に届けたいとのことだったのだが、「表装の張替えも終わったので、天気のいい今日届けたい」との電話であった。
午後2時から加藤家で搬入開始。依頼した9枚の襖はすべて新しい表装に張り替えられ、その上に書や画も張られ、見違えるほどに綺麗になっていた。先週、表具店でみた襖には画が張られていなかったので、こうして完成した姿をみると、プロに任せて正解だったとつくづく思う。

表具店の方が襖をはめようとしたところ、仏間の襖3枚は寸法が合わないことが判明。職人さんたちは道具箱を取り出し、建具の調整を始めた。柱が傾いているので、傾きを合わせるために下棧(シモザン)を削り、建具自体をやや傾けて調整された。上棧(カミザン)もカンナで削り、高さをあわせた。なんとか納まるようにはなったが、建具のすべりが悪い。敷居・鴨居ともに捻じれてしまっているようで、この問題を解決するには、もっと建具を削るか、敷居や鴨居の溝を掘るなどの必要がある、とのことでした。第2回ワークショップの課題がまた一つ浮き彫りになった。
アイノマ・奥座敷境の襖は、鴨居の中垂れを修正した際、端の部分は建具の納まりが緩くなってしまっていた。そのため建具が外れやくなっていたので、上棧に厚さ5~8mmの細い木材の打物をして納め直した。この結果、安心して襖の開け閉めがおこなえるようになった。
新調した奥座敷の押入の襖は柱の傾きが若干あり、その微調整を現場でおこなった。もともと、縦棧が長めに作ってあり、高さや傾きの調整は現場で削って調整することにしていたようだ。10分ほどでこの調整は終わり、修理・新調を依頼した襖がすべて設置された。
こうして9枚の襖が加藤家の座敷に戻ってきた。空間の質がぐんとあがったことは疑いない。襖だけでこんなにも変化があるわけだから、他のすべての建具の修復が終わった時、どれだけ加藤家のイメージが変わるのか、楽しみで仕方がない。

↑BEFORE(襖修復前の座敷)2枚


↑AFTER(襖修復後の座敷)2枚 *クリックすると拡大表示されますので、見比べてください!
[第2回ワークショップにむけて(Ⅲ)]の続きを読む
- 2009/10/09(金) 00:55:12|
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オープンキャンパスも終わりました。そして、加藤家住宅修復プロジェクトの第2回公開ワークショップまであと2週間です。詳細な日程がようやく固まり、ほぼ同時にチラシが完成してオープンキャンパスでの配布に間に合いました。
第2回公開ワークショップのテーマは「建具の修復と納まり」です。池田住研の大工さん、1期生のオカム(数寄屋大工)とヤンマー(建具師)、表具師のKさんなどの職人さんに加え、文化庁の西山調査官、文建協の安田主任技師も参加されます。そういえば、4期生のチャック(文計協)も1年ぶりに来鳥する模様です。
今回、専門家・職人さんは「建具修復班」と「表装修復班」に分かれていただきます。「建具修復班」は大工・建具師による修復活動(打物の制作と貼り付け)を実務として進め、一般来場者はそれを外側から見学します。「表装修復班」は表具師さんのご指導をうけながら一般来場者が襖の表装と障子の張り替えを実践します。前回の土壁塗りとはまた違ったものづくりの醍醐味を味わっていただけると確信しております。ご参加のおりには、作業服・手ぬぐい・軍手などをご持参くださいますようお願い申し上げます。
スケジュール等は以下のとおりです。
加藤家住宅修復プロジェクト 「セルフビルド&ゼロエミッションによる古民家の持続的修復」
第2回公開ワークショップ 日時: 10月18日(日)10:00~16:00
会場: 登録有形文化財「加藤家住宅」
〒680-1151 鳥取市倭文491
http://katohkejutaku.web.fc2.com/ 次第: 10:00 開会挨拶
10:10 大工・建具師・表具師による講習・実演
11:30 ランチタイム 12:30 A班: 加藤家住宅および建具修復の見学
B班: 襖・障子の張り替え
14:00 A班:襖・障子の張り替え
B班:加藤家住宅および建具修復の見学
16:00 閉会挨拶 解散
主催: 鳥取古民家修復プロジェクト委員会
事務局: 鳥取環境大学 建築・環境デザイン学科 浅川研究室
(担当:宇田川、門脇)
11:30~ ランチタイム 今年度前期に環境大学生が復原した土間の
石カマドで「
芋煮鍋」を煮込みますが、十分な量ではないかもしれません。参加者は各自、おにぎり・お弁当などをご準備お願い申し上げます(近隣にコンビニもあります)。
*本公開ワークショップは、H21とっとり「
知の財産」活用推進事業(鳥取県)、「
NPOによる文化財建造物活用モデル事業」(文化庁)に採択されたプロジェクトの一環をなすものです。
第1回公開ワークショップの状況については、
こちら をご参照ください。
第2回ワークショップの詳細については、下の画像をクリックしてください。
多数のご参加を心よりお待ちしております。
(要注意) 駐車場について: お車でお越しの場合は「鳥取市立大和地区公民館および体育館の駐車場」をご利用ください。そこから加藤家まで徒歩5分です。
*「倭文西交流館 しずおりの郷」には絶対駐車しないようお願い申し上げます。
- 2009/10/08(木) 00:41:58|
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教師の懺悔 第7戦の戦犯はわたしです、とほほ・・・
まったく体が動かなかった。中国から帰国後まもなく発熱して体調を崩し、スロージョギングすらできない状態に陥ってしまったのだが、以来、心身とも不調のまま2ヶ月ぶりのデスマッチを迎え、自分の出来の悪さに苛立ちを覚えた。
武内が「ドゥンガの如き教授の怒声」と表現しているが、自分の体が動いていないから、まわりに対して厳しい指示をだしてしまうのである。前半まず一度攻め上がってみた。ところが、攻撃が終わってもゴール前に戻れない自分がいて、それに愕然とした。ゴール前に戻れないから、チームのメンバーに「帰れ!」と指示を出さぜるをえない。「帰れ!」と口にだす暇があるなら、自らダッシュでゴール前に戻らなければならないのだが、この日は駄目だった。気持ちが前に行っているのに、体の重心は後ろに残っている。前半中頃、ただインサイドでプッシュすればゴールになるイージーシュートをふかしてしまった。重心が後に残っている証拠である。この1点を決めていれば、前半からリードを奪えただろう。
第7戦は前半約1時間、後半17分という変則的な時間配分になってしまった。前半は数的不利を抱え劣勢に苦しんだが、後半になってスキルフルな小学生3名が消え、5人対5人になったとき、「勝てる」と直感した。こういうと申し訳ないが、Sソックスの有段者はタクオだけ。こちらにはわたしと黒帯のコンビに加え、飛び入り参加のフットサル部が2名(ミッキー&ヤノッチ)もいる。負けるはずはない、と自信をもって臨んだ後半の10分、武内があっさり決勝点を決めて4-3とリードした。残り7分。
Aソックスは5人全員が自軍ゾーンで守り始め、SソックスはGKのエアポートを残す4人が攻め込んできた。こういう場合、Sソックスは攻めているのか、攻めさせられているのか微妙だ。危ないシーンがないわけではなかったが、ゴール前には常に2~3人の選手がいて、このまま逃げ切れるはずだった。
[オープンキャンパス・デスマッチ(Ⅴ)]の続きを読む
- 2009/10/07(水) 13:00:17|
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ソックスダービー第7戦 10月4日(日)。今年度最後のオープンキャンパスです。会場はいつもの環大スタジアム?で、オープンキャンパス・デスマッチ第3戦をおこないました。
今回は私、武内の解説でお送り致します。両チームのメンバーは以下の通りです。
Aソックス: 教授、黒帯、武内、ミッキー、ヤノッチ、少年A(イエローカナリア)
Sソックス: タクオ、エアーポート、ガード、アシガル、轟、少年B(ACミラン)、少年C
いつにも増して飛び入りメンバーを多く迎えた第7戦。雲一つない晴天の中でキックオフ!

スターティングメンバーは6人対6人でしたが、前半途中からバスケット部の練習を終えたガードさんが参戦して6人対7人となりました。ここで教授はスタンドで観戦する黒猫さんに参戦するよう指示しるのですが、「人数が多すぎるとつまらないでしょ?」と答え、写真撮影係に専念するのでした。
多勢に無勢の状況で、普通なら少人数チームにドリブルシュート許可のアドバンテージが与えられるのですが、教授はあえてアドバンテージを宣告せず、対等な条件で試合が進められました。前半開始からフットサルクラブ部のミッキー&ヤノッチが怒涛の活躍。だが、少年B&少年Cの小学生コンビも立て続けに敵陣を切り裂く! Aソックスの黒帯が先制すれば、Sソックスが逆点ゴール。両者全く譲らず、前半は熾烈を極めた試合展開。そんな激しい試合の中で、わたくし武内はポカ、スカ、ポカ。ドゥンガの如き教授の怒声が痛い……。申し訳ないと心の中で平謝りです。
約1時間プレーした3時15分ころ、なんとか3-3に追いついて前半終了。そして、ハーフタイム。教授の口から恐ろしい「負けた方の3年がブログ、なっ」というお言葉が。

そして後半戦。フィールドを席巻していた小学生3人が抜け、5人対5人で再びキックオフ。
開始早々、ミッキー&ヤノッチのボール奪取から教授を軸に相手ゴールを脅かすAソックス。しかし、ブログ執筆がかかった轟と鉄壁エアーポートの2ブロックを破ることができない。それどころか逆にカウンターをくらい何度もピンチを招きます。ですが、後半10分、Sソックスの一瞬の隙を付きAソックスの全員攻撃でゴールからわたしが決勝点!?を奪い4-3。そこで、オーキャン撤収の3時40分まで残り時間は7分しかなかった。勝利を意識し、守備固めに入ったAソックス。
だがしかし、ここからSソックスの逆襲が始まります。守備の要である教授が攻め上がった一瞬、高い位置でボールを奪われ、中央からを突かれ、CPタクオさんに鮮やかな同点ゴールを決められてしまいました。夢も束の間、4-4。総合力で勝るはずのAソックスは足がとまり、パスやカバリングの連携がうまくいかない。体力か気持ちか…足が止まり始めたAソックス、なお勢い付くSソックス。試合終了直前にガード→アシガル→タクオのコンビネーションで決勝ゴールを決められ、ついに4-5。
最後は教授も前戦にあがって波状攻撃をしかけるも、コーナーキックのボールがタッチを割り、試合終了。Aソックスはじつに4試合ぶりの敗戦を喫してしまい、わたくし武内はブログと風邪のダブルパンチを貰いました。これで通算成績は、Aソックスの5勝2敗(得失点差13)です。勝ち越しているとはいえ、油断は禁物、昨年の阪神タイガースとか、今年の鹿島アントラーズみたいにならないよう、褌の紐をしめなおして、第8戦に臨みましょう。
頑張れAソックス! そして、ありがとう黒帯さん!
以上、第7戦ソックスダービー速報、武内がお送りしました。さようなら!! (武内)
- 2009/10/06(火) 13:14:00|
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いつかチラリとお知らせしましたが、11月3日(火)の文化の日に米子水鳥公園
http://www.yonagomizudorikouen.or.jp/ ネイチャーセンターで「コハクチョウとギターの夕べ」が開催されます。六弦倶楽部の第11回練習会も兼ねております。
わたし、もちろん、出ますよ。また半年分たまってますからね、わるい演奏にはならないでしょう。問題はどの曲を選ぶかだな。「水」「鳥」「月」などを名に冠している曲がよいとのことでして、いやもうわんさかありますよね。どんぴしゃの曲が浮かんでます・・・でも、何を弾こうかな・・・「夕暮れの水鳥の舞」のBGMとしてふさわしい曲を選ばないとね。
そうそう月太郎さんからも伴奏のオファーがあったので、ギターだけじゃなく、フラット・マンドリンも弾きますよ。すでに楽譜も送られてきています。月太郎さんも高田渡三部作の完成へむけて気合い入っているみたいです。高田渡の伴奏は難しいけど、がんばりますよ!
じつは、ある重要な行事があとでだぶってきたんですが、今回ばかりはギター優先です。
そろそろ弾かんとね。腕がなまりますよね。
今年最後の演奏になるかもしれんから、これを聴き逃すと大変だよ!
カムトゲザ、ベイビィ!!!
- 2009/10/05(月) 00:18:51|
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「
風庵」で1000円の中古ギターを買ったら、文庫本『東方見聞録』(100円)をおまけにつけてくれましたよ。
メーカーすら確認することなく、即決でこのギターを買うことにしたのは、なにより弦高が低かったから。弾きやすいと直感したのね。12フレットのクラッシックタイプであるのは間違いないのですが、グラデのついたボディの色彩やら、ホールと接する部分のネック板のデザインやら、フォークギターの匂いがぷんぷんしている。で、1弦にスチール弦が張ってあるんです。あとの5本はナイロン弦。もうぼろぼろでした。
ネックの太い12フレットのアコギが前から欲しかったんです。わたしの掌と指はすでにガットギターに適応しすぎていて、フォークギターがまともに弾けなくなってましてね。普通はこの逆なんですよね。ネックの細いギターに慣れてる人はガットギターをもてあます。指が届かないし、握力が足りない。わたしの場合は真反対。
あとは、ボディに貼り付けたVANのシールが懐かしくてね。VANジャケットを着てたわけじゃないんだけど、ギターのデザインともお似合いで、べつに弾けなくてもいいから飾りにしようって決めたんです。
ギターのメーカーはPEARL。ドラムで有名なメーカーらしいですね。フォークギターの生産は70年代からとのことですが、VANの隆盛期は60年代。VANは70年代になっても人気が衰えていないから、年代があわないわけではないのだけれども、フォークギターではなく、ガットギターってところが気になりますね。フォークに先駆けてガットを作ってたってことはないのでしょうかね??

昨夜、スチール弦を張りました。Elixirという錆びない弦。ギターの値段よりも高い弦なんですが、どういうわけか1セット余っていたんで張ってみると、いろいろ不具合も分かりました。弦高が低いのは良いのだけれど、フレットが摩耗していて、シタールのような響きに変わる部分があり、2弦と3弦の弦巻(ペグ)が歪んでいたり、6弦のチューニングが低音と高音でずれてしまったり・・・まぁ、1000円のギターですからね、仕方ないと言えば、仕方ない。チューニングは全音1音下げにしました。おそらくナイロン弦用に作られたギターだろうから、EADGBEのスタンダードだとネックが折れちゃうんじゃないか、と心配になりましてね。DGCFADにしときました。
一夜あけて奏でてみると、調弦も安定していて、結構よい感じです。「
サンデーモーニング・オーバーキャスト」をちゃんと通しで弾けましたよ。
まぁ、人前で1000円ギターを弾くことはないと思います。チャックが愛用した
リファーレンいなばモデル500(500円で買ったMade in Korea のモーリス)が壊れたのが昨年6月。あれから1年半経って、ようやく後継を手に入れたというわけ。
めでたいね!
そういえば、チャックは
第2回公開ワークショップに来るらしいぞ。
まもなくチラシが完成しますが、10月18日は10時開会、16時解散となりそうです。
詳細は近々お知らせします。
- 2009/10/04(日) 00:00:33|
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久しぶりの晴っれ・・・ビアンキ、快走です。
じつは、7月にタイヤを換えたの。
あの、ライトグリーンの
タイヤはもうなくて、
黒いタイヤにしたんですが、
新しいだけのことはあって、空気が漏れない。
快調ですよ!!
稲刈りも終わって、学園道路からみる風景も
なにやらさっぱりしましたが、
彼岸花が咲いていない。
今年はまだまともな写真が撮れていません。
さて、授業がはじまりました。後期のプロジェクト研究2&4のテーマは、表題にしめしたように、「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」です。2003年度後期に「修験道トレッキング-山の信仰をあるく-」という類似のプロジェクトをおこないましたが、今回は副題の「信仰」を「歴史」に改めました。その理由は「続き」の授業概要を読んでいただけば分かるでしょう。
これから、せっせと山登りに励みます。成果をお楽しみに!
[第1回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」]の続きを読む
- 2009/10/03(土) 00:00:31|
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百聞は一見に如かず 9月29日(火)。
25日に下見していただき、搬出した加藤家住宅の襖の修理状況を、布施のK表具店まで視察にでかけた。わたしたちが到着したとき、おもての駐車場で日本画の「洗い」作業がおこなわれていた。契約では「水洗い」までということになっていたのだが、この画の汚れはなかなか強烈で、わずかながら薬品処理することになったのだという。今回、経費の関係から、「書画の汚れと共存する」襖の修復を選択したのだが、その汚れのレベルもさまざまなようだ。
「水洗いしても墨が滲まないのはなぜですか?」
と先生が質問された。たしかに水で濡らせば、墨が滲んでせっかくの画が台無しになるかもしれないとも思えるが、そうはなっていない。表具屋さんによると、煤(すす)と膠(にかわ)を混ぜた本来の墨は、水に濡らしても滲むことはないという。つまり、膠が水溶性ではないということだろう。


湖山池の前にたつお店の外観はなかなかお洒落だ。内部も、2階の小屋組に古い梁材を転用しており、柱や束は古色塗りして天井を張らず、屏風・着物・骨董が展示してあった。1・2階を一通り見学させていただいた後、表装の張替えを実演していただいた。加藤家仏間の仏壇を隠す幅狭の襖がそのサンプルである。
1)まず、襖の縁(骨)を「ふちおこし」という工具と金槌をつかい、慣れた手つきで外していく。
おもしろいのは釘を緩めるために、まずは軽く打ち込むこと。それから縁を「ふちおこし」で
梃の原理で外していく。こうすると、襖が傷みにくい。
2)次に襖の裏張。下地に穴のあいたところを、余った切紙や新聞で埋めていく。
3)裏張のままだと、下地がデコボコしているので、大きな和紙で全体を覆う。
これで凸凹は消える。この作業を「うけ」という。「うけ」は紙を水でよく濡らしてから張る。
ここで糊は使わない。ただ水で接着面を濡らすだけ。糊は骨の側面に塗りつける。
水に濡れた面を張ってのばし、最後に骨の糊の部分を接着させる。
4)最後に、表装紙の張り付け。今回、表装紙はくすんだ黄色系の色を選択した。
いうまでもなく、「書画の汚れと共存する」ため。表装も「うけ」と同じく、基本的に
表面に糊はつかわないが、場合によっては薄い水糊で接着を強化することもある。
今回の実演では、薄い水糊を使うことになった。縁の貼り付けは「うけ」とおなじ。
表面にできる皺をのばすのは、縦方向・横方向のどちらかとする。斜めにのばすと
乾燥後、角に皺が残る。
以上の工程が半時間前後。

↑(左)ふちおこし (右)糊 *クリックすると大きくなります。
[第2回公開ワークショップにむけて(Ⅱ)]の続きを読む
- 2009/10/02(金) 00:00:36|
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