Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

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さおびきどっこ(Ⅱ)

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大工さんの万年筆

 11月21日(土)。倉吉の淀屋で開かれた「住まい・職人の技 in くらよし」にピヴォさん、ナオキさん、ガードの3人で参加してきました。これは、前回報告したように、継手・仕口の修行が目的です。しかし、いきなり出足を挫かれました。なんと倉吉方面行きの列車が信号の故障により動いていなかったのです。それでも私達は辛抱強く列車の中で待ち、1時間半後ようやく運行再開。予定よりも1時間遅れで会場に到着。到着後すぐ池田住研の社長さんに挨拶し、継手・仕口の練習を開始。今回練習するのは「竿引独鈷(さおびきどっこ)」です。ご教授してくださったのは池田住研のMさんでした。私達はMさんのご指導のもと早速練習開始。まず木材加工のための墨入れからスタート。
 鉛筆と差金を使って寸法を測りながら墨入していると、熟練の大工さんが現れ「差金の使い方がなってない」と言われてしまいました。そこで、熟練の大工さんに差金の使い方をご教授していただきました。やはり本職の方は道具の使い方ひとつとっても扱い方が全然違いました。効率よく、なおかつ確実に寸法に合わせて墨を引くことができる。私も見よう見まねで挑戦するのですが、やはり難しいですね。その後なんとか墨入れが完了。そして、ようやくノコギリで切る工程です。ここでは、Mさんが「手元がぶれないように身体全体を動かして切るといいよ」とアドバイスしてくださいました。それでも切るのは難しいです。ちょっと気を抜くと切口が曲がったりして、いい物ができません。集中しながら悪戦苦闘していると、熟練の大工さんが思わぬプレゼントを私達に下さいました。なんとそれは、「大工さんの万年筆」です。

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 これは竹で作ったペンで、墨入の際に昔の大工さんが使っていた物だと教えてくださいました。しかも、この道具は私たちが竿引独鈷を練習してる時に作ってくださった物で、今の大工さんでもこれを作れる人は少ないそうです。実際に使ってみたのですが、鉛筆よりかなり使いやすかったです。このプレゼントに元気をもらい、なんとかイベント終了までに継手・仕口の「男」の部分を完成することができました。この後、池田住研の社長さんと話し合って、竿引独鈷の残りの箇所を完成させ、今月の25日前後にチェックしていただく予定だった作品として提出することになりました。

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  1. 2009/11/30(月) 00:25:54|
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チャックの秋葉原

 週末を利用して広州に来ています。訪中の主目的は世界文化遺産「開平の望楼群」の視察。ANAの格安ツアーを使って来たんですが、すんばらしいホテルでして、ネットもブロードバンドで使い放題。ですから、いつものようにメールを送信していただければ、毎夜返信できます。といっても、30日(月)には帰国ですがね。

 格安ツアーは成田発です。羽田経由で成田に向かう途中、秋葉原でチャックと合流・・・さっそくメイド●茶じゃなくて・・・蕎麦屋でセイロの大盛りをすすりながら歓談。冗談に一口ビール(150円)をすすめたら、チャックはこれに応じた。いや、驚いたね、歴代のASALABメンバーで一、二を争う下戸だったチャックが昼間からビールに付き合うなんて。社会は人間を変える。でも、酔っぱらうのがはやかったな・・・あれからどうなったのだろうか??

 さて、研究室のOB諸君に伝えたい。チャックは蕎麦代とビール代を払ってくれました。おごってくれたのよ。いつまで経っても、教師が飯代や飲み代を払うと思いこんでいるあっちこっちのOB諸君、少しはチャックをみならいなはれ。とくに、鳥取の新聞記者などは肝に銘じるべきだな・・・おまけにチャックは「少し早いですがお歳暮の代わりに」と金一封まで用意している。「研究室で使ってください」とのことだが、これで女子たちにお土産買えるぞ、ぐふふ・・・

01チャック秋葉原 研究室のOB諸君、チャックのような気配りは全然要らないから、なんて決して言わないよ。黒帯なんかね、缶ビール何本でも飲むんだから。轟もなかなかの飲み助だし・・・エアポートは言うに及ばす。貧乏な研究室に暖かい愛の手を心よりお待ち申し上げます!


 今回の東京はショートステイでしたが、次回はホカノや西河も呼んで、派手にASALAB関東支部同窓会をやろうかな。さて、どこに泊まらせてもらおうか??


  1. 2009/11/29(日) 00:38:54|
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纒向遺跡建物A・B・Cと塀・門の復元(Ⅱ)

A_150cm.jpg


3.建物Aの復元

遺構解釈と平面の復元: 他の3棟とは違い、塀の外にある西側ブロックの遺構である。発掘調査範囲が狭く、また溝で削平されているため、検出した柱穴は5つのみであり、全体平面は未だ不明と言わざるをえない。記者発表によると西側に1面庇をもつ建物とされているが、東側は溝状遺構の攪乱があり、また、家形埴輪に片面庇の例を発見できなかったので、わたしたちは桁行5間(8m)×梁間4間(6.2m)の2面庇に復元した。端間が1.4mと狭いため、桁行5間の中央間を2.4mと広くして、ここに扉を設けた。脇間・端間には窓を設けた。

上部構造の復元: 基本的な軸組・小屋組等の構造は他の3棟と同じ。建物Bと同様、平屋の切妻造家形埴輪である大阪府岡山南遺跡(5世紀前期)、奈良県室大墓(5世紀前期-中期)の家形埴輪をモデルにした。通柱に接してころばし根太をわたし、その上に低い板張りの床を設ける。棟持柱は板壁に沿うよう真っ直ぐ立ち上げ、破風は建物Bと同様、男千木型とし、千木の数も奇数(7本)とした。

考察: 建物Aは、建物Dと同様に板壁・手摺りを持つ建物として格式をもたせた。規模は小さいが、西側ブロックの正殿をイメージして復元したのである。(部長)

hei


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  1. 2009/11/28(土) 00:16:53|
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纒向遺跡建物A・B・Cと塀・門の復元(Ⅰ)

遺構平面図20091124



 纒向でみつかった4棟の大型建物群うち、まだ説明をしていない建物ABCと塀・門について2回に分けて簡単に報告しておきます。上の図に示すように、纒向遺跡の大型建物群は、東西方向に軸線を揃えて(正確には西に5度ふれる)4棟が配列されています。遺構番号は西から「建物A」「建物B」「建物C」「建物D」。これまで「超大型建物」と呼んできたのが「建物D」です。建物B・C・Dの3棟が凸型の塀に囲まれた敷地にあり、建物Aはその西側に孤立しています。

1.建物Cの復元

遺構解釈と平面の復元: 建物Cは建物D(超大型建物)の背面にあたる西側で検出された遺構である。トレンチ掘りのため、柱穴が部分的にしか確認されていないので、全体平面は不明だが、近接棟持柱をもつ梁間2間の建物である点は確定している。中軸線に対して対称であると仮定すると、桁行3間(7.8m)×梁行2間(5.3m)に復元できる。現状では中央部が発掘調査されていないので、床束の存否は明らかでない。よって高床か土間が判断しかねるが、今回は建物Dとほぼ同じ床高の高床建物と仮定して復元を進めた。中央間が2.4mと狭く、脇間が2.7mと広いので、中央間に窓を配置し、入口は建物Dとの往来を重視し、建物の左右妻側に設けた。
上部構造の復元 モデルとした家形埴輪は大阪府玉手山古墳(4世紀後期)、大阪府美園1号古墳(4世紀末)など。とくに玉手山古墳の埴輪は切妻造妻入であり、ケラバの出や妻飾をおおいに参照した。軸組・小屋組の復元方法は建物Dと同じなので割愛する。青谷上寺地材からは新たに連子窓を採用。連子窓の外側に突上戸(板蔀)を併設。突上戸(板蔀)は出雲市の三田谷Ⅰ遺跡のディテールを参照。奈良時代の材でやや進化しているが、同じ軸受材は青谷上寺地でも出土している。
考察 遺構図を観察する限り、建物Cは他の3棟とわずかに方位がずれている。これは他の3棟と建物Cに時期差がある可能性を示唆するデータである。共存関係か前後関係かを今後は再検討していく必要があるだろう。
 建物Cと建物Dが共存すると仮定した場合、建物Cの面積(41.34㎡)と建物Dの中央2間×2間の面積(59.52㎡)が比較的近い点には注意する必要があるだろう。一つの仮説して、建物Cは日常生活をおくる居住専用棟であるのに対し、建物Dの中央2間×2間(室=塗籠?)は日常的には御神宝などを納める収納スペースだが、儀式の際には首長の居住スペースとなった可能性があるかもしれない。日常時と非日常時で建物Cと建物Dの住み替えをおこなっていた可能性である。建物Cは間口は3間と奇数間だが、階段は両側2方向として建物Dに近い性格を備えているので、破風は女千木型で、千木の数を偶数にしている。(Mr.エアポート)

C_150cm.jpg



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  1. 2009/11/27(金) 00:11:34|
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祝6000拍手!

 いま11月23日(月)午後3時すぎ。アエラ掲載復元CGの最終調整を続けています。メディア対応の仕事をしていると、メールのやりとりが生命線で、ほかの仕事ができません。なにか別の作業をこなしながら、というのが難しい。仕事がぶつ切りにされる感じです。だから、パソコンを前にして些細なことをこそこそと・・・徒然に、ブログの「拍手」を確認したところ、今日はいまのところ「7拍手」。多いほうですね。さらに、「拍手」の総計に目をやると、ちょうど6000でした。ついに6000拍手か・・・まぁ、めでたいですね。

 最近、「拍手」はやや少なくなっています。今年度の前期までは1日に5以上頂戴することも珍しくなかったのですが、夏以降、5拍手以上の記事は著しく減ってしまいました。
 短くて、おもしろい記事を書かないといけません。ただ、あくまで研究室のブログですから、その軸がぶれてはいけない(いちばんぶらしているのは教師ですが)。なにより持続ですね。イチローとまではいかないけれども、少しずつ記録を伸ばしていくしかありません。


6001拍手


  1. 2009/11/26(木) 00:00:12|
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国際シンポ「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観」予報(その3)

大森ポスター02圧縮


仮チラシを作成、配布しました!

 公立埋文協の前日、わたしは突如、「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観」シンポの仮チラシの作成を轟くんに依頼しました。県内外の埋蔵文化財関係者が一同に集まる会ですからね、広報効果は十分あるだろうと思った次第です。
 もっと簡単なもので良いと思ったのですが、轟くんは凝ったデザインにしてくれました。凝るのは良いのですが、凝り始めるとわたしのチェックも厳しくなります。結果、ずいぶん時間がかかってしまいました。しかし、配布の効果は十分ありましたよ。

 懇親会の席で会長さん(Y県埋蔵文化財センター長)が「富士山」の話題をもちだされたのです。富士山は自然遺産として世界遺産に登録されてもおかしくないと思いますよね。しかし、その思惑は却下されたのだそうです。ユネスコがどうのこうのという以前に、環境省が「管理できない」との理由からゴーサインを出さなかった。そこで文化遺産に切り替えた。そうなると、当然のことながら、「山岳信仰」がテーマになってきますが、正直なところ、もう一つピンと来ませんねぇ・・・とはいうもの、なんといっても「富士山」は日本の代名詞ですから、すでに「暫定リスト」入りしています。
 もう一人、旧友のF県埋蔵文化財センター長Yさんは「白山」をもちだされました。 こちらは悪戦苦闘中でして、石川・福井・岐阜3県と白山・勝山・郡上3市が連名で提案した「霊峰白山と山麓の文化的景観」はすでに2度暫定リスト入りを見送られています。どうしても、既登録の「紀伊山地の霊場と参詣道」との類似性がネックになってしまうようですね。同じ問題は山形の「出羽三山」(月山・湯殿山・羽黒山)も抱えているところです。
 こういう日本全体の動向をみるにつけ、鳥取県が「三徳山」単独で世界文化遺産の暫定リスト入りをめざすのはやや無謀、なんて書いたら叱られるかな・・・今回のシンポジウムでは枠組を大きくひろげて「大山・隠岐・三徳山」としていますが、このエリアの文化遺産すべてをもってしても楽なことでは決してありません。さて、どう動くべきか・・・
 
 話題をチラシに戻しますが、今回、轟くんが作成してくれた案をたたき台にして、まずはポスターづくりから始めますので。ポスターはなんとか12月中に刷り上げたい。チラシのほうは見開き4ページの予稿集を兼ねていますから、もう少し時間がかかるかもしれません。
 でも、急がないとね。

大森チラシ(仮)
↑クリックすると、拡大表示されます。

  1. 2009/11/25(水) 00:00:48|
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第8回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」

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摩尼寺再調査

 11月19日(木)。再び、摩尼山に登ってきました。
今回の1・2年生のトレッキングの目的は、1月21日(木)にあるプロジェクト研究の発表のための現地調査を行ないました。前回までは、全員でトレッキングをしていましたが、それぞれのテーマにしたがい本格的現地調査を行いました。

DSC04492.jpg摩尼山がプロジェクト研究の発表のテーマであるFさんと私は、頂上に行くまで山道にある石仏を撮影しながら、観察しました。摩尼山は、峰が8つに分かれ、蓮華の8枚の花びらに似ているといわれています。慈覚大師円仁が、蓮華の花びらに似ている摩尼山の山容に感じ入ったことをきっかけで摩尼寺を再興したという伝承もあるだけに、いくつかの石仏に蓮華の形が彫られていました。

 

頂上に着くと、自然信仰を発表のテーマとしているミッキー君が立岩について調べていました。頂上にある石仏の写真を撮り、「奥ノ院」に向かいました。FくんとYさんは、「奥ノ院」に行く途中にある岩窟の調査とスケッチをしました。「奥ノ院」に着くと、先に行っていた3年生とHさんがおられました。Hさんは、「奥ノ院」に着く前の岩窟の足場となっている大きな岩陰のスケッチをされていました。平坦地では3年生が機材を使い測量をされていました。

P1000998_2.jpg yagawa_sketch.jpg


Fさんと私は、Hさんがスケッチされている大きな岩陰の下の所にある石仏や木像仏を調査、スケッチしました。上手にスケッチをすることはとても難しいと思いました。Hさんが描いたスケッチは、とても上手でした。残念ながら、時間内に完成できなっかたそうです。でも、Yさんが描いた所は完成されていました。上のスケッチはYさんが描いたものです。

P1000984.jpg


 暗くなってきたので、前回登った時よりも30分はやい17時頃に下山し始めましたが、冬の夜は、とても日が短く、前回よりもとても暗くて懐中電灯が必須な状況でした。今回は、日が短いということがあり、すぐ下山をしなければならなくなりました。まだ、調査しきれていないことがたくさんあるので、また、摩尼山に登り、文献だけでは分からないことを調査していきたいと思いました。(環境マネジメント学科 A.N)

  1. 2009/11/24(火) 00:00:47|
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朝焼けに輝く纒向の大型建物群

朝焼け(ブログ)

 20日(金)の午後、奈良に戻って夕刊を開くと4ページに「纒向遺跡のなぞに迫る」という記事が掲載されていました。「歴ナビ 旅する日本史」というシリーズで、紙面1ページのほぼ半分を割く大きな特集です。そのまた半分以上をわたしたちの復元CGが占めている。
 あぁ、良かった。とりあえず、ほっとしましたね。

 2日から始まって10日夜に決着をみた超大型建物(建物D)の復元もきつかったけれど、今回は残りの建物3棟(建物A・B・C)に塀・門を含めた敷地全体の復元CGですからね。12日から始まって18日深夜までの短期間で取り組んだ、この第2クールはさらにきつかった。第1クールはエアポート、部長、きっかわ、タクオの4名でほぼ足りたのですが、第2クールは研究室全員に出動を命じました。4年生にも、いったん卒業研究をストップさせたのですよ。みんなアルバイトを抱えているので、バイトに消えたメンバーのデータを研究室に残ったメンバーが受け継いで作業を続けていったのです。噂によると、ガードと轟の貢献度が高かったとか・・・
 新聞社によりますと、鳥取では21日(土)の朝刊に掲載されるはずとのことですが、20日の夜からまた「ホステス連続殺人事件」で別件逮捕などの動きがあったから、どうなっているか分かりませんね。まぁ、どうでもいいや・・・鳥取はさておき、近畿一円は全域、西日本の多くの地域でもこの記事が掲載されたはずです。
 
 上のCGについては、建物が軸線を東西に揃えて並んでいる点を強調したもので、背景を朝焼けにしたのは東が正面であり、日の出の方向に建物群が列をなしていることを意識したものです。軸線を中心に大型建物が並ぶ平面構成は後の「内裏」の空間を彷彿とさせますが、もちろん内裏では、主軸上の建物群は「南面」するわけで、それが中国の「天子は南面す」という思想によるのはあきらかです。ただ、奈良時代の貴族住宅や平安時代の寝殿造住宅では入口-出口の軸線が東西方向である点にも注意しておくべきでしょう。
 さて建物A・B・C・Dの復元根拠については、19日の講演できっちり述べましたが、今日はそれを書き尽くす気力がありません。とりあえず、記事を転載しておきます。

 次は12月7日発売の『アエラ』12月14日号です。また別アングルのパースが数枚採用されるはずですので、乞ご期待! ぜひともお買いあげください!!

マキムク(朝焼)朝日大阪夕刊
↑朝日新聞夕刊(大阪)11月20日


*このページに掲載されたCGを報道に利用したり、著作物に引用転載する場合、
 浅川研究室の許可が必要です。許可された場合、以下のクレジットを必ずつけてください。

    復元CG制作: 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科浅川滋男研究室

 上の記載がない場合、不正使用とみなしますので、ご注意ください。


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  1. 2009/11/23(月) 00:36:24|
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公立埋文協 特別講演「青谷上寺地から纒向まで」

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 目覚めたら時計の針は12時をまわっていた。ひとまず木曜日に講義を取っていないことに安堵した。十数日ぶりの熟睡だ。纒向遺跡の復元作業を始めてから、休日・平日問わず1日の平均睡眠は2時間以下だった。あとは、前回のようにメディアをにぎわすような事件が起こらぬことを祈るばかり・・・。

 11月19日(木)、平成21年度全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会(第22回研修会 鳥取大会)がおこなわれ、浅川先生が「弥生時代の建築-青谷上寺地から纒向まで-」と題する特別講演をされた。会場には、全国の埋蔵文化財センターから約70名の出席者があり、研究室からは纒向遺跡の復元作業に携わったエアポート、部長、きっかわとタクオさんが参加。
 前夜遅くまで、先生と学生とで講演の準備を進め、発表用スライドは優に130枚を超える大長編になっていた。構成は以下のとおり。
 
  1.焼失住居の復元
  2.青谷上寺地遺跡の建築部材と復元研究
  3.纒向遺跡で出土した大型建物群の復元 
     -青谷上寺地の建築部材による応用研究-

 前半の1は焼失住居跡の意味や復元プロセス、2は青谷上寺地遺跡出土部材による大型建物の復元研究。予稿集に沿ったお馴染みのプレゼンである。後半の3は、予稿集にまったく含まれていない纒向遺跡大型建物群の復元について。11日の報道後、超大型建物1棟だけでなく纒向遺跡で発見された4棟すべての復元にむけて研究室のメンバー総出で取り組んできたが、ついにその成果のお披露目を迎えたのである。
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 講演が始まると、先生の発言に対して相槌を打つ人、首をかしげる人とさまざまだが、みな真剣にスクリーンを見てはメモを取っている。研究室メンバーも負けずとペンを取り、これまでの作業を振り返る。スライドは次々と進む。スライドに登場する研究室で取り組んだ復元研究のほとんどは、私自身も関わってきたので、懐かしく思わないわけがない。先生や先輩たちの研究の手伝いをしながら、いろいろなことを学んだ。薄暗い会場で、その思い出はまさに走馬灯のように頭を駆け巡っていた。

[公立埋文協 特別講演「青谷上寺地から纒向まで」]の続きを読む
  1. 2009/11/22(日) 00:08:17|
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柿原千手院跡の測量(Ⅱ)

1115トップ2

 11月15日(日)。武内、黒帯の2名で八頭町柿原の千手院跡・窟堂の2回目の測量をしてきました。この日の作業目標を以下のとおりです。

 作業目標: 前回に引き続き、道路から敷地内の窟堂・平坦面を測量し、
         配置関係(石垣・石段・岩窟等の位置)を把握できる野帳を作成。
         岩窟のスケッチと寸法記入。

さあ、測量再開(11月15日)

 朝9時に学校に集合。しかし、轟くんの姿がありません。電話も音信不通。まあ、多分寝ているのだろうと考え、黒帯さんと二人で出発。しかし、二人ではなかなか作業効率がはかどらず、午前中で測量を終わらせる予定だったのに、気が付けば午後1時。作業ペースを考え、レーザー測量にて配置図の完成を急ぎました。
 前回、基準点にピンを打っておいたので今回はその続き。測量は順調に進んで行きました。そして、目標としていた4面の平坦面完成まであと少しというところで太陽は山の彼方へ。ポールは見えない、指は曲がらない、暗闇と寒さのなかで測量を続行。終わった時には光のない世界…ぽつんと光る外灯が怖い。

1115風景 さすがに11月なかばまでなると、日没が早いわ、寒いわ、で大変です。今後の計画としては、あと1回の現場測量で、配置図を完成させ、窟堂のスケッチ・計測を終わらせたいと考えています。なんとか12月までには平坦面と窟堂との関係がみえるようにしたいですね。


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  1. 2009/11/21(土) 00:17:57|
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卑弥呼さんの大極殿

 あぁぁ、やっと一仕事片づいた。こんどはたぶん空振りしないでしょう・・・金曜夕刊の紙面を飾る予定でして、鳥取では土曜朝刊のはずなんですが、場所が場所だけに連続殺人事件に動きがあったら、まぁたアウトかもしれませんね。
 とりあえず今日は講演。本邦初公開ですからね。

 さて、ある若い修理技師さんから「異動のお知らせ」メールを頂戴しました。忘れたころに彼はメールをくれます。このブログにも登場したことがありまして、2007年1月20日に「大極殿の上棟式」という記事を書いているのですが、それは彼の「寒中お見舞い申し上げます」メールに添付してあった平城宮第1次大極殿上棟式の写真を転載したものでした。彼はあれ以来2度も異動していて、すでに奈良にはいないはずなのに、また大極殿の写真が添付してあるの。今回は竣工の写真です。わたしは毎週のように奈良に帰っているので、一条大路や歌姫街道から鉄骨覆屋の纏いをとった大極殿の姿を何度もみているし、車窓から何枚か写真を撮っています。
 2年半前に書いた「上棟」の記事では、まだ感情的なしこりが残っていて、読み返すと恥ずかしいのだけれども、今はもう完全に他人事になってしまって、道路から大極殿を望んでもなんと思わなくなっている自分に気づきます。

 でも、なんとなく彼が送ってくれた正面写真をアップしたくなりました。卑弥呼さん??の仕事が一段落したからかなぁ・・・

 さぁ、パワポのデータを移して、寒い家に帰ろう。

091023大極殿02圧縮


  1. 2009/11/20(金) 00:10:03|
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さおびきどっこ

03版画02圧縮01

 11月10日(火)のゼミは推定「卑弥呼の館」の取材がありましたが、その後で、加藤家住宅裏木戸の実施設計図のチェックをうけました。教授からは、思いの外、お誉めの言葉をいただきました。その後、13日(金)に別件で来学された池田社長にも実施設計図をみていただきました。社長のアドバイスにより、冠木(かぶき)と柱の接合方法を変更することになりました。当初の継手仕口は抱仕込(かかえじこみ)を予定していましたが、竿引独鈷(さおひきどっこ)に変えたのです。こうすることで、冠木の取り外しがしやすくなります。現場での建設前にとりぎんホールでの組み立て展示が控えており、こちらの仕口のほうが都合がよいですね。17日(火)には加藤家住宅に教授、ピヴォさん、ナオキさん、黒猫君、ガードが集まり、この変更を全員で承認するとともに、今後のスケジュールを固めました。

kakaezikomisahikidokko
         抱仕込                  竿引独鈷

 今後はまず倉吉の「淀屋」で11月21日(土)に開催される「住まい・職人の技 in くらよし」にピヴォさん、ナオキさん、ガードの3名が参加し、継手・仕口の加工技術を学びます。ここで、なんとか職人さんの技を盗みたいですね。それから22日~24日に学んだ継手・仕口で1つの作品を作り、25日前後に作品を池田社長にチェックしていただこうと思っています。この作品チェックで裏木戸の施工をどこまで学生だけでおこなえるのか見極めをしていただきます。その後、詳しい施工のスケジュールを決定。そして、木材加工に取り掛かります。12月上旬頃に木材加工を完了させ仮組みを行いたいと考えています。

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クリックすると画像が拡大表示されます


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  1. 2009/11/19(木) 00:02:39|
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国際シンポ「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観」予報(その2)

 先月から諸機関に対して表記シンポジウムの「後援」依頼をしてきましたが、昨日、「承諾書」がすべてそろいましたので、ここに主催・共催・後援の組織を正式にお知らせいたします。次第については、講演者の演題等が若干変わりつつありますが、おってお知らせします。


シンポジウム
大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観

 日時  2010年2月27日(土)10:00~17:00

 会場  倉吉未来中心 セミナールーム3 
        〒682-0816 鳥取県倉吉市駄経寺町212-5 倉吉パークスクエア内
         http://www.miraichushin.jp/

 主催  鳥取環境大学 建築・環境デザイン学科

 共催  鳥取県教育委員会

 後援  鳥取県、倉吉市教育委員会、三朝町、三朝町教育委員会、大山町、
      大山町教育委員会、三徳山世界遺産登録運動推進協議会、とっとり建築集団、
      朝日新聞鳥取総局、毎日新聞鳥取支局、読売新聞大阪本社、産経新聞鳥取支局、
      山陰中央新報社、中国新聞鳥取支局、共同通信社鳥取支局、時事通信社鳥取支局、
      日本経済新聞社鳥取支局、新日本海新聞社、NHK鳥取放送局、BSS山陰放送、
      日本海テレビ、山陰中央テレビ、テレビ朝日鳥取支局、日本海ケーブルネットワーク、
      いなばぴょんぴょんネット、鳥取中央有線放送(株)、株式会社中海テレビ放送、
      エフエム山陰

 さて、今回のシンポジウムで最も注目されるスピーカーと言えば、北京の中国社会科学院考古研究所から招聘する楊鴻(ヤン・ホンシュン)先生でしょう。2001年、国家文物局の機関誌『中国文物報』が「20世紀でもっともすぐれた文博考古図書の全国投票」を公開でおこなった結果、楊先生の『建築考古学論文集』(1987)が「論著類」部門で全国第1位の栄誉に輝いたのです。これは「快挙」どころの騒ぎではありません。文字通り、中国建築史研究の第一人者を鳥取にお招きすることになり、わたしの胸も高鳴っています。
 今も週に2~3回、楊先生とメールで連絡をとりあっていますが、最後におめにかかったのは昨年10月の北京訪問にまで遡ります。景山公園前の「大三元」というレストランでテーブルを囲み、楊先生、奥様の王秀蘭先生、そして中国語のできる環境大学の教員3名で楽しく語らいました。これから何回かに分けて、そのときの会話を再現する予定ですので、御期待ください。

 さてさて、「卑弥呼の館」もいい加減にして、このシンポジウムのポスター類の作成を急がなければなりません。来月には刷り上げる予定ですので、少々お待ちください。

01朝顔01


  1. 2009/11/18(水) 00:01:38|
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講演「弥生時代の建築-青谷上寺地から纒向まで-」のお知らせ

 来たる11月19日(木)、末広温泉町の白兎会館で平成21年度全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会(第22回研修会 鳥取大会)が開催されます。テーマは「弥生建築研究の現在」でして、わたしが「弥生時代の建築-青谷上寺地から纒向まで」と題する特別講演をします。今年度は「縄文・弥生の仕事はしない」と春から公言しておりましたが、この仕事は1年前から依頼されていたもので、5月の大阪府立弥生文化博物館での講演とともに「二つの例外」だと決めていました。
 そこに纒向遺跡で姿をあらわした推定「卑弥呼の館」復元の仕事が割り込んできました。まさに降って湧いたような仕事に研究室一同、七転八倒。その余波は今も続いております。公立埋文協の「弥生の建築」と題する講演がこの大波から逃れられるはずはありません。予稿集の内容を大きく改変するつもりはありませんが、講演の後半は「青谷上寺地遺跡の部材を用いた纒向遺跡大型建物群の復元」に割く予定です。
 ちなみに、11日の報道後もオファーが押し寄せており、超大型建物1棟だけでなく、纒向遺跡で発見された4棟すべての復元にむけて疾走中でして、その最新の成果を、どの媒体よりも早くご披露することになるでしょう。
 日本中の瞠目をあつめている最新の研究成果を発表するわけですから、ひろく一般市民にご聴講いただきたいところですが、あくまで全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会のための講演であり、一般公開されていないのが残念です。ですが、県内で埋蔵文化財に係わるお仕事をされている技師さんたちにはできるだけたくさんご聴講いただきたいと願っております。
 以下、会の概要と次第をお知らせしておきます。


  平成21年度 全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会
  第22回研修会 鳥取大会 次第

◎研修テーマ「弥生建築研究の現在」

趣 旨
 平成20年3月に国史跡に指定された青谷上寺地遺跡は、「地下の弥生博物館」と呼ばれるほど保存状態の良い多種多様な遺物が出土し、弥生時代の生活や技術について数多くの情報を我々に提供している。現在、鳥取県埋蔵文化財センターでは青谷上寺地遺跡出土品の調査研究を進めているところである。
 中でも大量に出土した木製品の大部分を占める建築部材の調査研究では、約7mの長さを持つ弥生時代最長の柱材や約4m の垂木材、弥生時代中期に遡る「蟻棧」技術が施された板材といった新知見が得られ、また全国でも先駆けて「青谷上寺地遺跡出土建築部材データベース」を構築し、遺物情報を積極的に公開活用している。こうした調査研究成果は、妻木晩田遺跡や松江市田和山遺跡での史跡整備における復元建物に活かされており、従来の建物像に比べ、より実証的な復元整備に大きく寄与している。
 今回の研修会では、弥生建築研究の最新状況について、建築部材や建築遺構の様相など様々な角度から検討する。

◎第1日目 研修会

  日 時  平成21年11月19日(木)  13:10~17:30
  会 場  白兎会館(鳥取市末広温泉町556)

   1 受付開始(12:30~)
   2 開会行事(13:10~13:30)
      (1)全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会会長あいさつ
         山梨県埋蔵文化財センター    所長  小野 正文
      (2)幹事県あいさつ
         鳥取県教育委員会        教育長 中永 廣樹
   3 特別講演(13:30~14:40)
      演題「弥生時代の建築-青谷上寺地から纒向まで-」
      講師:鳥取環境大学大学院 環境情報学研究科 教授 浅川 滋男
   4 休  憩(14:40~14:50)
   5 事例報告(14:50~16:30)
     (1)報告1 「青谷上寺地遺跡出土の建築部材」
        鳥取県埋蔵文化財センター 文化財主事 茶谷 満
     (2)報告2 「登呂遺跡の建物」
        静岡市文化財課 副主幹 岡村 渉
     (3)報告3 「北陸地方の建物」
        (財)石川県埋蔵文化財センター
         企画部資料管理グループリーダー 久田 正弘
   6 質疑応答(16:30~17:20)
   7 事務連絡(17:20~17:30)
   8 閉会の辞(17:30)
   9 情報交換会(18:30~)

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  1. 2009/11/17(火) 00:27:38|
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カリウタ礼賛

 なんか、もう滅茶苦茶だなぁ・・・
 今年度いちばんの滅茶苦茶な時間を過ごしています。
 こういうときに感情を吐露してはいけない。

 音楽のことでも書きますかね。
 (昨夜の南ア戦評でもよいのだけれども、直後にみたチェルシーvsマンUとの差が大きすぎて、書く気しなくなりました・・・)

 最近、ユーチューブでいちばん衝撃をうけたのは寺尾聰の「Re-cool;ルビーの指輪」です。
 なぜかって、いちばんうしろでヴィニー・カリウタがドラム叩いてるんだもの。わたしは、ヴィニー・カリウタのライブを実際に視てるんですよ。埼玉スーパーアリーナのベック&クラプトン・コンサートですよ。カリウタは、いまやジェフ・ベック・グループになくてはならないドラマーですからね。世界一のドラマーは、はたしてスティーブ・ガッドかヴィニー・カリウタかっていうぐらいの凄腕です。
 そのカリウタが、「ルビーの指輪」のドラムを叩いてるんだけど、これがものすごくかっこ良くて、「Re-cool」関係のユーチューブはみんな漁りましたね。まぁ、みなさん、「Re-cool;ルビーの指輪」の日本人ドラマー・バージョンとカリウタ・バージョンをユーチューブで見比べてください。歌伴におけるドラマーの存在がいかに重要なのか、よく分かるでしょう。わたしは、バンドでいちばん鍵となる楽器はベースだと思いこんでいましたが、なんのなんの、ドラムという楽器の凄さを思い知らされました。

 で、さっそく寺尾聰の『Re-Cool Reflections』の中古CDを取り寄せて、毎日、車のなかで聴いております。5曲めが「Re-cool;ルビーの指輪」で、11曲めの最後に1981年の「ルビーの指輪」が入っている。後者は「ザ・ベスト10」で12週連続1位に輝き、その年のレコード大賞を受賞したことも、みなさん、よくご存知でしょう。二つのアレンジを比べてみると、1981年バージョンのほうがあっさりとしたポップス風で、今でもこちらのほうが好きだという方も少なくないはずです。Re-coolのほうは、ホーンセクションを前面に出したR&Bっぽいアレンジです。これは、あきらかにカリウタを意識したアレンジですよね。カリウタのドラミングを活かすためのアレンジとしか思えない。聴けば聴くほど、そう思えてくる。



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  1. 2009/11/16(月) 00:14:47|
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第7回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」

11月12日(木)。
 今回は、前日に雨が降って山を登るには危ないということもあり、再び鳥取市立中央図書館に行って、プロジェクト研究発表会に向けた各々のテーマに係わる図書を調べました。

 ・2年のYさんは柿原千手院などについて
 ・2年のHさんは摩尼山などについて
 ・1年のFくんは柿原千手院について
 ・1年のSくんは今まで行った山の自然信仰や関係する神々について
 ・1年のNさんと私は摩尼山について調べました。

なぜ「山」をセンと読むのか?

 Nさんと私は、ほかにもう一つ課題を頂戴しました。山を「セン」と読む例(大山、氷ノ山、扇ノ山など)を調べて、その分布図をつくるという仕事を任され、本を机の上に大量に積み上げながら作業しました。
 なぜ「山」という漢字はサンと読んだり、センと読んだりするのでしょうか。4年の黒帯さんが教えてくださいました。漢字には呉音と漢音があります。呉音というのは、中国南北朝時代の呉(南朝)の音声だそうです。日本に仏教が伝来した6世紀初めのころ、この音声で仏教の経典が伝えられました。その後、空海が唐の長安で密教を学び帰朝しましたが、そのとき空海は北方にある長安の漢字の音声をもって帰ってきました。これが漢音です。だから、平安時代にもたらされた経典は漢音で読まれるのだそうです。要するに、「山」という漢字を呉音で読むと「セン」、漢音で読むと「サン」なのです。
 鳥取県には、大山、氷ノ山、扇ノ山など「山」という漢字を「セン」と読む例が少なくありません。これは中国の南北朝時代の仏教が6~7世紀の山陰に伝来した証拠の一つとしてとらえられる可能性があるわけです。とても古い時代に山陰には仏教が伝来していたことになり、それと「修験道」はおおいにかかわりがあるそうです。
 今回改めて思ったのは、山についての文献は少なく、皆さん苦戦しながらも、徐々に個人のテーマが固まりつつあるという印象を受けました。

 来週は、摩尼山に行く予定です。当日晴れることを願って、土日に県立図書館に行ってしっかり下調べしてきたいとおもいます。(環境マネージメント学科1年 F.C)

 (本)1 (本)2

  1. 2009/11/15(日) 00:19:02|
  2. 景観|
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スロージョギング・バブル-2009 FC2アクセス解析7・8・9月篇

 ブログのアクセスランキング(学校・教育部門)はあいかわらず好調です。10月の最終週は4日間、8位を記録しました。また、学校・教育部門のなかの細目として「学校」部門の順位が加わりました。たとえば、以下のような表示がなされます。

   asaさんのランキング
   学校・教育 8位 (昨日:8位) / 11494人中
   学校 1位 (昨日:1位) / 693人中
   更新日時:2009/10/27 04:20

 つまり、「学校」部門ではトップだということです。ほとんど毎日1位をキープしていますが、母数が少ないから当然だといえば当然でしょうかね。でも、2位、3位に落ちることもまれにあります。

 さて、今回は夏期(7~9月)のアクセスを報告します。アクセスの浮沈の激しい3ヶ月でした。それでは7~9月のユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)をお知らせしましょう。毎度のことですが、以下の表記は、月総数(1日平均)をあらわします。

   2009年7月  UA=8403(271)  TA=14767(476)
   2009年8月  UA=7323(236)  TA=13919(449)
   2009年9月  UA=6976(233)  TA=12402(413)
 
  つぎに、ヤフーやグーグルなど検索エンジンによるアクセス総数の推移をみると、

    7月:4620   8月:4090   9月:3941

となっており、春期(4~6月)の好調さを7月までは維持していました。とりわけ7月はUAが初めて8000件を超えた記念すべき月となりました。しかし、8月からアクセスは下降線を辿り、9月はついにTAが半年ぶりに7000件を割り、TAも8ヶ月ぶりに12000件代まで落ち込んでしまいました。こういう下落をこれまで経験したことがなかったのですが、要因をわたしなりに検討すると、夏休み期間中で学生が大学にいなかったこと。盆休みやシルバーウィークなど大型連休が多かったことがまず指摘できるでしょう。
 次に掲載内容をみてみますと、この期間の大半を「巡礼」シリーズが占めています。「隠岐・出雲巡礼」「伯耆巡礼」「晋の道-山西巡礼」と続くそのシリーズは、今年度のASALABの中核的研究をなすものですが、読者からの評判は芳しいものではありませんでした。ある愛読者からは「あれは読まん」と面と向かって批判されました。あのシリーズは学生と密教系の諸寺諸山を訪ね歩き、その紀行レポートを学生諸君に書いてもらうものでした。しかし、以前にも述べたように、その紀行レポートの出来がよくありません。仕方がないので、わたしが大掛かりに手を加えてアップするのですが、元の文章に迫力が乏しいため、文章表現をなおしても伝達すべき内容が向上することはないのです。また、学生諸君に建築の構造・意匠・細部を学んでもらいたかったので、組物の形式などに重点をおいた記述が多くなり、それもまた一般読者が敬遠する結果を導いたようです。
 わたし個人にとっても、この連載は辛かった。隠岐・出雲巡礼が12回、伯耆巡礼が4回、山西巡礼が11回で、学生は何回かに1度書けばよいのだけれども、わたしは計27回の校正をしたことになります。一回あたりの校正に3時間前後かかるので、最後のほうは、ほんと学生の顔をみるのが厭になりましたね。ほかの仕事がなんにもできない。やっぱり旅は一人にかぎる。一人旅しながら、自分の感性で紀行文を書いていくのがいちばん良いのだと実感した次第です。

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  1. 2009/11/14(土) 00:23:32|
  2. 研究室|
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柿原千手院跡の測量(Ⅰ)

見出し


 11月8日(日)~9日(月)の2日間、:轟、武内、黒帯の3名で八頭町柿原の千手院跡と窟堂の測量をしてきました。10月29日(木)の第5回「修験道トレッキング-山を歩く-」で探索した寺院跡です。

  作業目標: 道路から敷地内の窟堂・平坦面を測量・実測し、平面的な関係性
          (石垣・石段・岩窟等の位置)を把握できる野帳を作成。
          岩窟のスケッチと寸法記入。

11月8日 器械設定が......できない
 朝8:30に大学に集合。9:00から現場で実測調査を開始。この日は現場の再確認とトータルステーションを用いた平坦地の測量をおこなった。窟堂と窟堂に続く道からはじめようとしたが、あまりにも樹木が多くて正確な側量を行うことが難しく、初めてトータルステーションを手にした僕は戸惑ってしまった。じつは窟堂のスケッチを2年生にお願いしようとしているところで、そのスケッチをおこなっているときに一緒に窟堂付近の測量もしようということにしました。
 そこで窟堂より下にある段々畑のような平坦面の測量に作業を変更。初めて測量に挑戦するので気合いを入れてやってみたのですが、トータルステーションの設定がうまくできない。器械設定にかなりの時間が奪われ、測量の時間が大幅に削られてしまいまいました。測量が思うように進みません。側点の記入をポケコンでやろうと思ったのですが、接続コードがない・・・方眼紙に座標を手書きで記入して・・・とモタモタしているうちに陽が傾き、この日はほぼ現場の再確認とトータルステーションの練習で終わってしまいました。
 帰ってから、手書きの座標をポケコンに入れてみると・・・意外と図になっています。でもやっぱ器械設定ができません。
 黒帯さんに訊ねると、研究室にはもう一つ、レーザー測量機なるものがあるとのこと。以前、摩尼寺奥の院の測量で使われていたもので、平坦面ならこの器材でもできるらしく、使い方も分かるみたい。その言葉を信じ、翌日はレーザー測量機を使って測量することに。しかし黒帯さんはレーザーよりトータルステーションが使えたほうが良い(精度が高い)と言っておられ、現在勉強中です。

測量中


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  1. 2009/11/13(金) 00:16:30|
  2. 史跡|
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復元CGの配信サービスは終了しました

test 巻向 001圧縮01

 嵐が過ぎ去りましたね・・・・
 一夜あけて、今日(11日)は父の命日、一周忌です。

 恩義ある方々のお薦めで、推定「卑弥呼の館」の復元に取り組みました。11月2日に現場を訪れ、9日までに復元図を完成、さらに各種資料を作成し終えました。
 すさまじい時間と体力の消耗戦でしたが、院生2名ときっかわさんのサポートを得て、なんとか仕事をまっとうしました。その3人の骨折りを慰労するため、イタ飯屋で打ち上げをしていたところ、あまり良くない報せが続々届いてきました。まずはイチハシ逮捕、そしてモリシゲ大往生。午後6時のニュースまでは順調だったのですが、その後、これらの大事件に圧迫され、まずは報道ステーションでの原寸バーチャル復元が今夜に延期。某大手紙も全国で1面掲載予定だったのですが、結局1面は東京のみ、大阪は社会面、そして鳥取はなんと掲載ナシという信じがたい結末が待っていました。
 普段の行いが良くないのでしょうね・・・

 正直なところ、今回の仕事を受けたことを若干反省しています。恩義ある方々のお誘いには涙が出るほど感謝しており、その御恩に報いるべく奮闘努力しましたが、この1週間、消耗品と化した自分に嫌気がさしていたのも事実です。そして、なにより関係諸機関に多大なご迷惑をおかけいたしました。とりわけ、桜井市教育委員会と鳥取県埋蔵文化財センターの皆様には、この場を借りて深くお詫び申し上げます。


* 復元CGのダウンロード・サービスは終了しました。ダウンロードした復元CG、あるいは昨日と今日のLABLOGに掲載され続けている復元CG・設計図等を報道に利用したり、著作物に引用転載する場合、浅川研究室の許可が必要です。許可を得た場合、以下のクレジットを必ずつけてください。

    復元CG提供: 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科浅川滋男研究室

上の記載がない場合、不正使用とみなしますので、ご注意ください。

朝日東京1面巻向_20091111朝日大阪巻向 001圧縮
↑朝日新聞(東京)1面         ↑朝日新聞(大阪)社会面
 山陰中央新報巻向 001圧縮 毎日新聞鳥取091112
↑山陰中央新報  ↑毎日新聞(鳥取)

**鳥取環境大学ホームページのTUESニュース・ バックナンバー(2009/11/11)にも「浅川研究室が、推定「卑弥呼の館」の復元に取り組みました」の記事が掲載されています。

***奈良新聞でも11月14日に研究室の復元CGと方法に関する記事が掲載されました。他県の新聞としては珍しく、青谷上寺地遺跡出土部材の研究成果に触れているところが嬉しいですね。

 
  1. 2009/11/12(木) 00:00:08|
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推定「卑弥呼の館」の復元をめぐって

01巻向ブログ01背景付

 奈良県桜井市教育委員会が発掘調査中の纒向(まきむく)遺跡で、邪馬台国の女王、卑弥呼の居館とも目される超大型建物(約240㎡)が出土した。纒向遺跡は一部の考古学研究者が早くから邪馬台国の最有力候補地として注目してきたが、前方後円墳の出現期にあたる3世紀前半(弥生時代終末期~古墳時代初期)に超大型の建物が存在したことで波紋をなげかけている。
 わたしは11月2日(月)、纒向遺跡の発掘調査現場を訪れ、調査担当主任から丁寧な説明をうけ、さらに最新の情報を描き込んだ2枚の調査図面をご提供いただいた。以後、鳥取環境大学建築・環境デザイン学科浅川研究室は纒向遺跡の超大型建物の復元に取り組んできた。
 わたしたちが今回の建物復元にこだわってきたのは、青谷上寺地出土建築部材の分析が未だ十分なされていない、という認識をもっているからである。ここではっきり述べておくが、本研究の目的は纒向の超大型建物が「卑弥呼の館」であるか否かを検証することではない。いまや青谷上寺地の建築部材なくして弥生建築の復元は不可能であり、今回の研究目標も、青谷上寺地の部材をできるだけ多く用いて、弥生時代から古墳時代への移行期における超大型建物の構造・意匠を復元するとどうなるのか、という点に主眼をおいている。幸い、纒向遺跡の超大型建物の柱穴から復元される柱径は約30㎝と細く、木柄が小さく繊細な加工に特徴がある青谷の部材を適用するにふさわしい遺構と判断している。
 要するに、この研究は2006年の「弥生時代最長の柱」、2007年の「弥生時代最長の垂木」による弥生建築復元研究の延長線上にある応用研究であり、弥生建築研究の最前線にあるものと位置づけている。

01巻向ブログ02遺構配置図


1.遺構の出土状況

 超大型建物跡は南半を6世紀の溝で削平されており、厳密にいうと桁行4間×梁行2間分しか検出されていない。そのような遺構を桁行4間(19.2m)×梁行4間(12.4m)とみなす根拠を調査主任に問うたところ、西側で検出された棟持柱の柱穴が縦長形状であり、近接棟持柱の掘形である可能性が高いのだと答えられた。たしかに他の柱穴は梁行方向(南北)に長い形状を呈しているのに対し、近接棟持柱穴だけが、それに直交した東西方向に長い形状をしている。この柱穴を近接棟持柱とみる意見にわたしは賛成であり、棟通りを対称軸として梁間が4間に復元しうるという考え方にも賛同したい。
 おそらく後世の掘削が激しかったのであろう、柱や床束を納めた掘形の深さは20㎝程度しか残っていない。ただし、東北隅の柱穴のみ2段掘りにしていて深さ約70㎝を測る。2段掘の深い部分は直径35㎝前後であり、この点から柱径は約30㎝に復元される。
 桁行方向の柱間寸法は約4.8m。柱間の中点に床束の痕跡が整然と並ぶ。梁行方向の柱間は約3.1m。

01巻向ブログ02遺構平面図


2.平面の復元

 床束が柱穴と平行に並んでいることから、当然、高床建物に復元される。上屋の外観については不明だが、奈良県寺口和田1号(5世紀前半)、岡山県法蓮37号墳(5世紀中期)、大阪府今城塚古墳(6世紀前半)などで出土した入母屋造の家形埴輪を復元モデルとして考察した。
 寺口和田や法蓮の家形埴輪のようなシコロ葺き入母屋造は、急勾配の大屋根とゆるい勾配の庇屋根に分かれている。これを超大型建物の平面にわりあてると、中央の2間×2間が身舎(もや)で茅葺、まわりの4面が板葺(もしくは樹皮葺き)の庇に復元できる。古代建築の間面記法を使うなら「2間4面」の平面である。
 ここでまず注目したいのは、超大型建物の正面が偶数間であるということ。正面が偶数間の建物は8世紀以降少なくなるが、古墳時代の大型建物は偶数間が主流を占めるようであり、飛鳥浄御原宮で発見された東西8間(約23.5m)×南北4間(12.4m)の大型建物も古墳時代大型建物の系列のなかでとらえることが可能かもしれない。
 偶数間の場合、中央に柱が立つので、その位置に階段を設けることができない。では、どこに階段があったのか。今回、わたしは思い切って4隅に切込階段を設けることにした。一つには、縁束の位置が妻側の柱から2.4m離れており、階段の勾配を45度と仮定すると、床高2.4mとなって、高床としてはちょうどよい高さになる点に目をつけていた。
 しかし、なにより意識したのは紫宸殿の平面である。年中行事絵巻に描かれる平安宮紫宸殿は十字形平面をしていて、4隅に切込階段を備えており、その伝統は京都御所紫宸殿にまで受け継がれている。奈良時代における紫宸殿相当の建物は内裏正殿で、細見啓三氏は階段を復元建物模型の外側4隅に設けているが、隅間の柱間は15尺もあり、ここに切込階段を設けるべきだったとわたしは思っている。そういうわたし自身、長屋王邸宅正殿の復元にあたって、階段を外側に設けてしまったのだが、やはり隅間が異様に長く(発掘当初は14尺で後に15尺に修正)、そこに切込階段を設けるべきだったと悔やんでいる。なお、奈良時代における十字形平面住宅の例として藤原豊成板殿があり、それは後の寝殿造の正殿(寝殿)にあたる貴族住宅の一部とみられる。

01巻向ブログ03復元平面図


3.屋根の復元

 桁行柱間寸法(約4.8m)と梁行柱間寸法(約3.1m)が著しく異なること、そして、近接棟持柱が存在することから、常識的には超大型建物の屋根は切妻造に復元すべきだと考える研究者も少なくないであろう。しかし、それでは格式の高い入母屋造の家形埴輪に近づくことはできない。それでは、法蓮37号墳家形埴輪のようなシコロ葺き入母屋造の屋根をどのようにしたら作ることができるのだろうか。
 桁行と梁行で柱間寸法が1.7mも異なる建物の柱筋にあわせて垂木をまわすと、「ふれ隅」になって庇屋根が不恰好きわまりない。そこで、妻側の柱筋から3.1mの桁上に大瓶束を立て、束上に梁・桁を載せれば45度方向に隅垂木を渡せる。この構法により、妻側は全面扇垂木、平側は大瓶束よりも外側の隅間のみ扇垂木、中央2間は平行垂木になる。これで真隅(45度)の綺麗な庇屋根ができあがる。
 庇屋根は板葺きとした。青谷上寺地遺跡でおびただしい板材が出土しているが、これまで厚めの材を床板、薄めの材を壁板に採用したにとどまっている。今回、改めて板材を観察しなおしたところ、厚さ1cmで、長さ1~1.6m、幅19~24cmの材を複数確認できた。木舞と結ぶ穿孔も残っている。こういう厚さの板で葺く屋根を「トチ葺き」と言う。現代のトチ葺きは上面がたいらだが、3世紀前半という時代を考慮し段葺きにした。
 板葺庇の4隅にできる降棟については、寺口和田1号墳の家形埴輪にきわめて装飾的な表現がみられるが、斜め方向からの写真しか入手できなかったので、今回の復元では単純な箱棟とした。
 大屋根は家形埴輪に倣って外転びのある切妻造とする。今城塚をモデルにして、棟木を内転びの近接棟持柱で支える。この場合、近接棟持柱は庇屋根を貫いてしまい、雨仕舞いに難があるけれども、柱と屋根の接点で雨が漏っても柱を伝って水は外向きに流れる。あるいは庇に水が落ちてくるだろうが、床をスノコ縁にしておけば地面に水が落ちていく。

平側断面-階段つき2


 大屋根の棟は杉皮で覆い、千木で押さえる。千木の形状は群馬県駒形神社埴輪窯跡出土の家形埴輪を参考にした。その形をみると、笄(こうがい)にあたる材を板状千木の上側から刺し込んでいる。押しピンのような形をした栓である。こういう「蓋つきの栓」が青谷上寺地では大小さまざま、おびただしい量で出土しているが、その用途が不明だった。今回、屋根勾配にあわせた傾斜をもつ蓋付きの栓が確認された。
 破風板も青谷上寺地出土の板材を応用した。わたしはこれまで青谷の出土材に破風板が含まれるのか疑問視してきたが、『青谷上寺地遺跡出土品調査研究報告4 建築部材(考察編)』(2009:p.76)で渡辺晶氏が3枚の板材を破風とみる解釈を示している。渡辺氏の復元では屋根勾配がゆるく、板葺か樹皮葺の破風としか考えられないが、左右の破風の交差点に△の隙間ができており、わたしは氏の「破風説」を支持していなかった。しかし、今回、勾配を茅葺屋根にあわせて45度以上にすると、交差点にできていた隙間はなくなった。青谷上寺地出土の材が茅葺屋根の破風であることが実証されたといえるだろう。
 茅葺については、これまでの弥生建築復元では、穂を下にして葺く「逆葺(さかぶき)」を採用してきたが、今回は葺厚を厚くするため「本葺」を採用した。当初は厚さ60cmを想定していたのだが、そうすると破風が大きくなりすぎて不恰好にみえるので、葺厚を40cmまでおさえた。逆葺のまま厚さ30cmでよかったのかもしれない。

ブログ10makimuku.4

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  1. 2009/11/11(水) 00:00:00|
  2. 建築|
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2009年度 インターンシップ報告会

P1050184mini.jpg

 11月4日(水)にインターンシップ報告会が開かれました。今回、ASALABからは3名がインターンシップに行き、このたび発表しました。環境デザイン学科の研究室で最多の人数でした! というか、発表者は全員で4名しかいないんだけど…。要するに、夏休みにインターンシップに行った学生はわずかに4人という少し寂しい状況でしたが、行かなかった3年生がたくさん聞きにきてくれました。報告会も無事に終わり、よかったよかった。きっと、他の3年生も来年こそインターンシップに行くでしょう。

インターンシップを終えて

P1050187mini.jpg 倉吉市教育委員会文化財課 8月24日~9月4日

 今回、インターンシップを通してさまざまな事を学べました。実測や庭園調査による、技能や知識はもちろん、実際に社会で働いてみて初めて分かる責任の重さやコミュニケーションの大切さなども、今回インターンシップを行って得た成果です。2週間という期間は長いと思っていましたが、終わる頃にはもっと学びたいことがいっぱいありました。
 来年もインターンシップ行こうかな…と思うこの頃です。
 倉吉教育委員会文化財課の皆さん、この度はインターンシップに受け入れていただきありがとうございました。この夏たくさんの事を教えていただき、充実した2週間を過ごせました。
 文化財課の皆さん、又お世話になった方全員に感謝を込めて。失礼致します。(武内)


ミッションを果たして

吉川 鳥取県埋蔵文化財センター 8月24日~9月4日

 もうすぐ始まる、というよりもう始まっている就職活動のために、自分の将来に向き合うきっかけを見つけられる、そんなインターンシップを作りたい…
 そんな想いもあり、自分の志望である公の機関での実習を受け入れていただきました。
 なぜ公の機関で働きたいんだろう、どんな業務があるんだろう、自分がやりたい仕事はなんだろう、向いている仕事はなんだろう…就職活動では、むずかしい決断や疑問がたくさんありますが、今回のインターンシップでは、その1つ1つの疑問をとかす糸口を掴めた気がします。
 今回の報告会で、「ミッション(mission)」という言葉をキーワードに据えて発表しました。
仕事には使命がある、どんな業務もその使命を果たすためにある… それがミッション(使命)です。
そのような仕事の理念から、考古学の基礎知識、土器の修復・記録のやり方まで、本当にたくさんのことを学び取ることができました。
 「働く」ということの意味について、とても考えさせられるお話、業務を経験しました。
今後は、これから先の就職活動に今回得たものを全力で活かしていくことができたら、と思います。
素敵なインターンシップになって、本当に良い経験になりました。
 お世話になった皆様、報告会を聞いてくださった方々、本当にありがとうございました。(3年 きっかわ)

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  1. 2009/11/10(火) 00:05:43|
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第6回「修験道トレッキング -山の歴史をあるく-」

霊石山01


霊石山最勝寺
 11月5日(木)。今回は河原町の霊石山に登りました。霊石山は噴火によってできた山で、標高334メートル。全国的にあまり知られてはいないですが、数々の伝説に富んだ山です。まずは麓にある最勝寺を参拝。奈良時代初に行基が開山、平安時代に慈覚大師円仁が再興したという由緒が残っています。先週の八東もそうでしたが、行基開山縁起をもつ寺が多いのには驚かされます。

崖の修験道
霊石山02 霊石山には舗装された山道が整備されていますが、今回はショートカットして先生が子供の頃に登った経験があるというコースで山を登りました。確かに時間的にも距離的にも短縮されましたが…道を間違えてしまったようで、途中で道が消えてしまい、間伐材の散乱する崖面をただひたすら遭難するのではないかという不安を抱きつつ進んでいきました。しかし、途中で林道に出ることができて一安心。何とか脱出したという感じです。もう冬が来るというのにみんな汗だく。良い運動にはなりましたが、今回はかなりハードな山登りになりました。まさに、「修験道」トレッキングでしたね。

御子岩(みこいわ)
 ハードな山登りの甲斐あって、御子岩に到着。御子岩は、猿田彦命(さるたひこのみこと)がこの山に降りられた天照大神(あまてらすおおみかみ)を先導した時に、この岩に冠を置いて休まれたという伝説のある岩です。この岩には、猿田彦命の霊が宿っていると信じられており、今でも先導の神様として祀られています。また、これらのことから、この岩は霊石山の名前の由来にもなっています。実際にこの岩まで行ってみると、あまりの大きさにビックリ! この山は元々カルデラ火山だったそうですが、昔噴火した際にこの岩が飛んできたのではないかとのことです。

霊石山03


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  1. 2009/11/09(月) 00:39:37|
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コハクチョウも聴いている(Ⅱ)

26ムーンタン02


第11回六弦倶楽部練習会 2部「ギターの夕べ」

 月太郎さんの伴奏中、舞台からホールを見下ろして驚いた。結構、お客様が多いのですよ。こういう六弦倶楽部以外の一般聴衆を前にしての演奏というのは、わたしにはほとんど経験ない。大丈夫かな、と不安になりながら最悪の伴奏に終始し、舞台の袖に戻って、ただちにブレイクが入った。なんと40分の休憩だそうで、控え室で珈琲を飲んだり、ギターの練習をしたりしていると、体調が少しばかりまともになってきた。体中に充満していた乳酸が半分ぐらいになったかもしれない。
 ここで恒例のくじ引き。遅刻者をちゃんと待っていてくださるのですね・・・トホホ、「初めのほうにあたらないでよ」とくじを引いたら「2番」だって・・・会長から「演れますか?」と問われ、「演るしかないですね、みんな平等ですから」と答えた。自分の体調を考えると、2番という演奏順は決してよくないけれども、結果を述べてしまうなら、悪い順番では決してなかった。わたしが演奏するあたりまで、まだお客様はかなりいらっしゃったのです。日が暮れるにつれ、そのお客さまたちが三々五々帰っていかれまして、最後のほうはとても少なくなってしまいました。思うに、休憩をしないほうが良かったんじゃないでしょうか。あの失われた40分がなんとももったいなかった・・・

23火の鳥01

 さて、2番目に登場したわたしの選曲は以下の通りです。

  1.メドレー: 火の鳥~マイ・ファニー・ヴァレンタイン
  2.イパネマの娘
  3.ムーンタン

1.メドレー: 火の鳥~マイ・ファニー・ヴァレンタイン
  Medley: Prelude to Phoenix ~ My Funny Valentine

 「火の鳥」はもちろんストラヴィンスキーのそれではありません。6月6~7日に連載した「火の鳥」です。要するに、わたしが高校2年生のときに書いたインストのオリジナル。八頭校に進学した同級生たちが文化祭で、手塚治虫の『火の鳥』ヤマト篇を舞台で上演するから主題曲を作曲・演奏してほしいという依頼をしてきたので、それに応えた作品です。キング・クリムゾンのアコギフレーズからのパクリを含みますが、自分ではヤマトタケルの世界と生と死の儚さをせいいっぱい表現したつもりです。
 演奏には「駅前の楽器屋さん」で調整してもらったばかりのVANのギターを使いました。元値1000円に修理代500円で、いまのところ1500円のギターということですね。金属弦とつけ爪の相性はとてもよかった。不特定多数の観客を前にしていて、ややあがってしまったけれども、最近は、失敗しても絶対とまらないようにしています。なんとか切り抜けれられるものですね。
 一方、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、ご存じのように、ジャズのスーパー・スタンダード。リチャード・ロジャース&ロレンツ・ハートが作詞作曲した映画音楽(1937)で、いったいどれだけのジャズ・ミュージシャンがとりあげてきたことか。わたしがもっとも愛聴したのは、ビル・エヴァンス3『ワルツ・フォー・デビー』の2曲めに入っている「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」です。
 さて、「火の鳥」でクリムゾンから引用した5フレットAm9ポジションのアルペジオは、4弦を7フレット(A)→6フレット(G#)→5フレット(G)→4フレット(F#)と下げていくクリシェです。普通、A→G#→G→F#の半音下げクリシェはベースラインに使うものですが、これを中間音としてテンションを変化させるところがなんともセンスがよろしい。ヤマハが出しているジャズギター初級本中の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でも同じコード進行で同じ中間音のクリシェを使っていることが判明。「火の鳥」と「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」をメドレーで演奏しようと思い立った所以です。ヤマハ本「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の編曲者が分からないのですが、初級本ですから、もちろん難しいわけはありません。あとは自分がどれだけ味付けをするか、だけでしたね。アドリブ・フレーズを頑張ってみましたが、どう聴こえたでしょうか。

23火の鳥02白鳥


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  1. 2009/11/08(日) 00:22:01|
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コハクチョウも聴いている(Ⅰ)

22水鳥公園02内部01大山冠雪


六弦倶楽部第11回練習会 1部「唄とともに」

 つけ爪を終え、修理されたVANのギターを受け取って、午後2時ころ鳥取空港あたりを走っていた。米子水鳥公園で開催される「コハクチョウとギターの夕べ」の開会は午後4時。間に合うだろうと思った。
 結果は遅刻である。日吉津から皆生温泉を経由したのが大間違いだった。渋滞がひどい。信号は数知れず、水鳥公園に着いてもうろうろするばかり。

21ラムサール条約01 水鳥公園の第1駐車場にいったん停車したが、ネイチャーセンターらしき建物はなく、橋をわたって第2駐車場を・・・こえてしまい、車をUターンさせたその瞬間、冠雪した大山が車窓に映った。ここで平常心を取り戻した。前夜、深夜に中国縦貫道を疾走していたとき、「米子道、積雪のため通行停止」の標示をみて仰天したが、鳥取自動車道では霙(みぞれ)に襲われ、山陰の冷え込みに畏れをなした。一夜あけて快晴ながら、気温は低い。しかし、冠雪した大山の美しさは喩えようがないほど素晴らしく、すでにして遅刻していたのだが、葦原の向こうにある雪山の写真をどうしても撮りたくなって車をとめた。ネイチャーセンターに向かう途中でも、まだわたしはシャッターを切り続けていた。まるでヒマラヤのようではないか。

 ネイチャーセンターの舞台に上がると、すでに月太郎さんがマイクの前に腰掛け、愉快なトークをしていた。そして、「生活の柄」を独唱しはじめた。わたしはコーラスの部分を口ずさみながら、ケースをあけてフラットマンドリンをとりだした。

22水鳥公園外観01

 月太郎さんから高田渡の「ブラザー軒」と「夕暮」の楽譜が3週間ばかり前に郵送されてきた。しかし、恥ずかしいことに、その楽譜を開く余裕はまったくなかった。まともに譜面をみたのは当日の午前4時すぎ。眠る前である。フラマンを取り出して、伴奏のイメージをふくらませようとするのだが、うまくいかなかった。「夕暮」はこれまで2度伴奏した経験がある。前2回の伴奏が良かったとは思っていなくて、なんとかもう一ひねり二ひねりしたいと思いながら、良い間奏のフレーズがでてこない。「ブラザー軒」に至っては悲惨である。キーDというのは、マンドリンの天敵ではないだろうか。A#の音が6フレットなのですよ。これがとても使いづらい。ソロでもコードでも、この音をなんとかしないと、まともな伴奏にならない。そのことが、当日未明の短時間練習であきらかになり、わたしは動揺を隠せなかった。どちらも3コードの曲なのですよ。しかし、難しい。とくに「ブラザー軒」のコード進行がどうもよく理解できない。間奏はね、コードが多いほうが助かりますね。いろんなコードの構成音でごまかせば良いのだから。3コードの曲はどうしたらいいのか。基本的にブルーグラス・スケールを使えばよいのだろう。あとはシンクロだろうな。結構、ジャズのソロの取り方と共通しているんじゃないかな・・・だから難しく感じてしまうんだろうな・・・

25月太郎さん01トリオ

 さて、いよいよ本番。月太郎さんがボーカルとギター、わたしがフラマン、門永さんがスライドギターです。体調は最悪。2時間半を超える渋滞運転で全エネルギーを消費してしまい、体中に乳酸が充満している。楽器の状態も最悪。チューニングがさっぱりあっていない。マンドリンや12弦ギターのチューニングはリハーサルでしっかり共鳴させておかないといけませんね。わたしは月太郎さんが「ブラザー軒」を歌い始めてからしばらく、ずっとチューニングをしてました。情けない話です。
 月太郎さんの伴奏を何回かさせていただきましたが、今回の出来は最悪でした。ほんとうに申しわけありません。ぜったい、捲土重来ですから。また、よろしくお願いします。(続)

22水鳥公園02内部03客席



  1. 2009/11/07(土) 00:28:03|
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つけ爪

10つけ爪01奈良01

 この夏休み、わたしの爪の具合はこれまでにない良好な状態を持続していた。爪の先端で弦をつま弾くとなんとも良い音がする。そういうときに限って、練習会や演奏会は開かれない。10月初旬に六弦倶楽部の第11回練習会を兼ねた「コハクチョウとギターの夕べ」開催が決まったとたん、親指の爪が縦に半分割れた。まだ半分残っていて、掌の方向を変えれば弾けなくもない。そうこうしているうちに、薬指の爪がとんだ。親指に残った半分の爪も付け根に亀裂が入っている。
 現代ギター社を通して「リコネイル・ギターつけ爪セット」を取り寄せた。送料を含めて5000円近い額がした。リコネイルのつけ爪は両面テープでプラスチックの爪を接着させるもの。わたしは不器用なので、自分ひとりで爪をつける自信がなく、デザイン演習の休憩時間にバンドをやっている女子学生を呼んで指導を乞うことにした。しかし、その女子学生は「つけ爪をした経験がないから分かりません」と言う。ネイル・サロンに行ってプロに相談するしかない、というのが二人で話し合った結果である。
 10月下旬の週末、わたしは高の原サティにあるつけ爪のお店に行って事情を説明した。スタッフは困ったような顔をしている。「男子禁制」なのだそうだ。えっ、なんだ、差別じゃないの・・・と思ったが、カーテンの向こうから店長らしき女性があらわれ、「こちらのお店では男性のお客さまも受け入れてくださいます」と言って、西大寺にあるライバル店のパンフレットを手渡された。

 西大寺の店に行って事情を説明し、リコネイルのつけ爪セットをみせた。値段を訊かれ、答えると「えっ、そんなにするんですか」と驚いている。「これじゃ駄目ですね、すぐにはずれます。うちの店のやり方でよろしいですか」と言われて承諾した。
 いや、驚いた。銀紙の枠を指の先端に嵌めて爪の上にジェルを塗っていく。あらかじめヤスリで爪の表面をこすり摩擦面をつくっておいて、ジェルが接着しやすいようにしてからジェルを塗る。爪の形をととのえ枠を外すと、2~3分で綺麗な爪が固形化していった。それをまた何種類かのヤスリで磨き、液体で光沢をつける。またたくまに親指と薬指に透明なつけ爪ができあがった。半時間ばかりの体験だったが、「男子禁制」のネイルサロンが多い理由は十分理解できた。
 
 それにしても、つけ爪は見事なフィンガーピックだ。わたしは2本のつけ爪がとても気に入ったので、人差し指と中指もつけ爪にしてほしいと頼んだのだが、「使える爪は自然のままのほうがよいです。つけ爪は生爪を傷めますから」と言われて、プロの意見にしたがった。
 ギターを弾いてみた。つけ爪のほうが良い音がする。自然の爪のほうがやや割れた音がするのである。やはり演奏に使う4本すべてをつけ爪にするべきだった。

10つけ爪01奈良02

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  1. 2009/11/06(金) 00:07:24|
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だいこん柱

01いろかにほへと

 梅田のハイボールで酔っぱらった翌日の日曜日、体調が芳しくない。朝から頭痛がとまらないんです。体がパンクしているのでしょうね。科研申請、校正、PTA、「コハクチョウとギターの夕べ」の準備、そしてなにより母の見舞い。介護系のマンションにいるときは気楽でしたね。見舞いと言っても「お茶」しに行くようなものだから。病院はそうは行きません・・・気が重い。
 スロージョギングを始めて以来、じつは血圧が下がって、薬を飲む頻度が著しく少なくなりました。とくに頓服「アダラート」のお世話にはならなくなった。その頓服をついに服用していまいました。この週末はスロージョギングする時間も確保できなんだ、ということ・・・です。

 病院返りの道すがら、みんな夕食の準備をするのが鬱陶しくなってしまい、某和食系のファミレスに入ることに・・・すごく流行っているんだな、これが。いちばん奥の禁煙席に案内され、メニューをみるだけで食欲をそそられ、食べたらほんとうに美味しかった。十分接客に使えます。食後の珈琲を注文すると、「これから淹れますので、5分ばかりお待ち下さい」とのこと。
 じつは食事中から気になっていたことがあり、珈琲の待ち時間を利用して、ちょっとした調査をしました。壁に掛かった色紙の駄洒落がクールなんだ。色紙には水彩で描いた食材とともに、ちょっとした駄洒落が墨書してあるのです。たとえば、わたしたちの席の横にあった色紙には蟹が2匹描いてあり、それに併記してある駄洒落は、

   「いろかにほへと」

05とうもろこし


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  1. 2009/11/05(木) 00:23:51|
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今度こそ、さらば古材倉庫!

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白蟻被害の木材を炭にリサイクル!

 10月29日(木)、30日(金)、31日(土)の月末3日間をかけて、古材倉庫撤去時に草むらに隠れていた廃材の撤去作業をおこないました。今回、廃材のリサイクル方法が少し変わったので初めにその点について報告します。
 廃材の処分については、これまで一部を切断し加藤家住宅カマド・イロリ用の薪として利用し、残りはピヴォさんのお宅で処分してもらうことにしていました。ところが、カマド・イロリ用の薪にする予定の木材の多くが白蟻の餌食になっていることが判明。焼却せざるをえない状況を迎えたのです。しかし、それでは古材をリサイクルしたことになりません。今回、ピヴォさんと先生のアイディアで、焼却する古材を「炭」として再利用しようということになりました。これなら白蟻の被害も他の木材に及ぶことは決してないので、抜群のアイデアだと思います。古材処分の方針が決まったところで、いざ撤去開始!
 初日は、またしてもナオキさんのお父さんが応援に来てくださいました。2トントラックで廃材を加藤家住宅に運びました。私は2トントラック1杯分ぐらいで足りるかなと予想していたのですが、全然甘かった。予想以上に廃材は多く2トントラック3杯分はありました。その衝撃的な事実に驚かされながらも、ひたすらトラックに廃材を積み込んでいきます。この時、草むらに隠れていた廃材だけのことはあり、前回の古材倉庫解体時より虫が多く付着していて、虫を苦手とする私はかなり精神を削りました。しかし、時間が経つといつのまにか無心になり、何も考えずひたすら廃材を積み込んでいる私がいました。1時間かけてようやく廃材の積み込み完了。その後すぐに加藤家住宅にもっていって、廃材をトラックから降ろし薪にする材と炭にする材を選び分けました。この時、長い木材を切断したり炭をつくるための場所を石を並べるなど準備もおこないました。この日は準備で終わり、残りの2日間ですべての撤去をおこなう事にしました。

2

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  1. 2009/11/04(水) 00:16:54|
  2. リサイクル|
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ライバル 福原愛

 週末に大阪で父兄懇談会があり、ゼミに属する某学生のお母様と個人面談してきた。県外からの来学生のうち、遠距離のご父兄はこうして大阪会場に足を運んでくださるのである。

 ずいぶん話がはずんだ。学年でも一、二を争う好成績の学生で、その点なにも問題なく、ASLABAの伝統をうけついで、黒帯さえ五連覇に成功すれば、六連覇間違いなしと思われる逸材である。

  「ただ、ひとつ弱点がありましてね・・・」

と、わたしは余計なひと言を口から漏らしてしまった。

  「山登りが苦手でしてね。三仏寺投入堂に連れてったことがあるんですが、
   ひぃひぃきゃぁきゃあの連続で、よほど山登りが苦手なんでしょうね、
   いまも学生たちと毎週トレッキングしているんですが、お子様に関しては、
   これを免除しておりまして、あるパンフレットの編集に集中してもらってます」

 この発言にお母様はひどく驚いた顔をされた。自分の子どもは運動神経が決してわるくはないと確信されている。お母様は「これを話すとあの子にしかれちゃうんですけど・・・」と前置きしながら、おそるおそる語りはじめた。

  「じつは中学校のころ卓球に熱中していて、全国大会の準決勝まで進み、
   福原愛ちゃんのいた青森山田と対戦したんですよ。そこで負けたんですけど、
   全国大会で3位になったんです・・・」

 わたしは目を白黒させた。みなさん、凄いことではありませんか。福原愛の中学校時代と言えば、14歳で世界ベスト8に入ったころですよ。そのころの福原チームと競り合って、全国3位だって。
 どうして卓球をやめたんだろう。もったいないな・・・そういえば、その学生は若いのに妙な落ち着きをもっている。わたしのように、感情がすぐに顔や口にでる者は卓球には向かない。運動神経だけでもついていけないだろうが、加えてすさまじい神経戦の応酬だから、まさに「孫子の兵法」の実践者でなければならないのである。

 卓球といえば、黒帯が強いのだそうだ。いちど対戦させてみたいが、おそらく嫌がるだろうな・・・


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  1. 2009/11/03(火) 00:05:13|
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第5回「修験道トレッキング -山の歴史をあるく-」

R0017813.jpg


千手院「窟堂」の発見!

 10月29日(木)。今回は八頭郡八頭町柿原にある岩窟を探検してきました。前週、不動院岩屋堂を訪問した際、管理人のYさんからたくさん資料をいただき、「岩屋堂の岩窟と柿原の岩窟が通じている」という伝説を伺ったので、今回ぜひ柿原の岩窟を訪問してみようということになったのです。ところが、この岩窟は有名でなく地図にも載ってないため、場所が分かりません。

 Yさんからいただいた資料によりますと、柿原岩窟の伝承の概要は以下のようなものです。

  「洞穴は横約2m、高さ約3.6m、奥行き3.6mであり、中に千手観音が
  祀られていた。この洞穴の中にはもう一つ小さな洞穴があり、それは
  若桜町の岩屋堂にある洞穴に通じている。この全長20kmもある長い
  洞穴の中には昔から金色の鶏が住んでいると言われ、柿原地区で
  鶏を飼うといつの間にか鶏は姿を消してしまう。そのため柿原地区では
  決して鶏を飼わないようになった。」

 僕は以前この近くに住んでいて、トレッキング前日に岩窟探索に行って来ました。まず、柿原集落を一回りしてみましたが、それらしい場所は見当たりませんでした。そこで少し山を下り、地元の方に尋ねてみることに。丁度道ですれ違った方に話を聞いてみると、偶然にも郷土の歴史に詳しい方だったようで、岩窟へ登る道まで案内していただきました。そして、無事岩窟を発見することができ当日の案内係を任せられました。

DSC_7386.jpg

 そして、トレッキング当日。今回は目的地までさほど距離がなく、車を降りて5分程の所でした。ですが道には竹などが倒れていたりして進みづらかったです。そして、岩窟に到着。伝承によると、洞穴の大きさは横約2m、高さ約3.6mとのことでしたが、実際に計測してみると横6m、高さ6mもある大きなものでした。摩尼寺奥の院の岩窟よりも一回り大きく、先生や先輩方によると、隠岐・出雲・伯耆・因幡でみた岩窟(中に建物を含まないもの)のなかでは最大とのことです。岩窟の中には梵字と漢数字(番付?)が彫られた幅20cm、高さ30cmほどの石が意味ありげに立て掛けてあったり、倒れていたりしました。千手観音像はすでになくなっていましたが、梵字の存在からして、ここが仏教の遺跡であることは間違いないでしょう。
 さらに岩窟の下側には、石垣で囲まれた平坦面(加工段)が段畑のように連なっています。平坦な敷地は4段ぐらいに分かれていて石段でつながっています。摩尼寺奥の院のように建物の礎石はみられませんでしたが、先生によれば森林の落ち葉の腐食土によって覆われているだろうから、発掘調査すれば仏堂の遺構がみつかるだろうとのことです。地名辞典によりますと、この岩窟周辺にはかつて「千手院」という寺院があり、それは「窟堂」と通称されていたそうです。規模から言えば、摩尼寺奥の院や広瀬廃寺よりもはるかに大きく、往時の隆盛が偲ばれます。
 DSC_7384.jpg R0017831.jpg


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  1. 2009/11/02(月) 00:47:50|
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古材倉庫から素屋根へのリサイクル

1


 10月27日(火)~28日(水)の2日間、古材倉庫の骨組から解体された単管パイプとクランプ、木材をリサイクルして、裏木戸施工のための素屋根を架設しました。

暗雲の一日

 27日は午前中に古材倉庫跡から単管パイプ、クランプ、木材をナオキさんの家の2トントラックをお借りして加藤家住宅に運ぶことにしました。この時、ナオキさんのお父さんも応援に来て下さいました。トラックに積みあげるのは簡単ですが、単管パイプと木材を動かないようにロープで固定するのは結構やっかいです。私は、単管や木材にロープをぐるぐる巻きつければ大丈夫だと思っていましたが、ピヴォさんとナオキさんのお父さんは違っていました。手馴れた感じでクイクイっと結んでいきます。私がみたことのない結び方です。お二人の話では、この方法だと普通より力を入れずにきつく縛ることができるそうです。この結び方を教わり、早速実践してみたのですが、なかなか上手くいかず、少し時間がかかってしまいました。これが出来ないと職人はトラックに乗せてもらえないそうです。部材の積み上げと固定作業も無事終わり、すぐさま加藤家住宅に運びトラックから材を降ろしました。
 この日は天気が悪く、雨が降ったりやんだりの繰り返しで、時に激しい雨に見舞われることもありました。積み下ろしの際は幸運にも雨が降らず、迅速に作業して、無事降ろすことができました。この後、昼休憩をはさみ素屋根の建設に取り掛かりました。まもなく、先生の居ないゼミがはじまり、学生・院生が続々やってきました。みんなに協力してもらい、建設スタート!。
 素屋根はすぐに出来ると踏んでいました。しかし、いくつもの試練が私達を襲いました。

2

 まず初めに、単管パイプを建てる位置に「しるし」を付け掘削を始めました。素屋根の柱を固定するための「添束」として機能する単管パイプの基礎となる穴です。最初はスムーズに掘削できていたのですが、石垣の上の箇所に取り掛かると事件が発生! 予定していた位置を掘ってみると石垣を固定しているモルタルが掘削の妨げに。これで私はパニックになってしまい思考がスットプ。悪いことは続き、急に激しい雨が降り始め作業も中断。そのあいだ、エアポートさんにチェックしていただいたのですが、「これじゃだめだよ」と言われてしまいました。実施設計図をもっと煮詰めておかなければならなかったと改めて反省しきり・・・チェック後に雨もやみ作業再開。問題になった掘削位置を少しずらす事で解決と思いきや、ずらした位置にもモルタルが・・・。さらに位置をずらし、3度目の正直で無事掘削完了。時間がかなりおしていたので、すぐさまクランプの取り付けに。しかし、この頃になると辺りが暗くなり、作業の終わりが近づいていました。ここから急ピッチでアシガル君、武内君の力を借り何とかクランプの取り付け、2本の柱の設置が完了。残りの作業を明日に残して、この日はお開き。

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  1. 2009/11/01(日) 00:41:34|
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asa

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