千手院「窟堂」の発見! 10月29日(木)。今回は八頭郡八頭町柿原にある岩窟を探検してきました。前週、不動院岩屋堂を訪問した際、管理人のYさんからたくさん資料をいただき、「岩屋堂の岩窟と柿原の岩窟が通じている」という伝説を伺ったので、今回ぜひ柿原の岩窟を訪問してみようということになったのです。ところが、この岩窟は有名でなく地図にも載ってないため、場所が分かりません。
Yさんからいただいた資料によりますと、柿原岩窟の伝承の概要は以下のようなものです。
「洞穴は横約2m、高さ約3.6m、奥行き3.6mであり、中に千手観音が
祀られていた。この洞穴の中にはもう一つ小さな洞穴があり、それは
若桜町の岩屋堂にある洞穴に通じている。この全長20kmもある長い
洞穴の中には昔から金色の鶏が住んでいると言われ、柿原地区で
鶏を飼うといつの間にか鶏は姿を消してしまう。そのため柿原地区では
決して鶏を飼わないようになった。」
僕は以前この近くに住んでいて、トレッキング前日に岩窟探索に行って来ました。まず、柿原集落を一回りしてみましたが、それらしい場所は見当たりませんでした。そこで少し山を下り、地元の方に尋ねてみることに。丁度道ですれ違った方に話を聞いてみると、偶然にも郷土の歴史に詳しい方だったようで、岩窟へ登る道まで案内していただきました。そして、無事岩窟を発見することができ当日の案内係を任せられました。

そして、トレッキング当日。今回は目的地までさほど距離がなく、車を降りて5分程の所でした。ですが道には竹などが倒れていたりして進みづらかったです。そして、岩窟に到着。伝承によると、洞穴の大きさは横約2m、高さ約3.6mとのことでしたが、実際に計測してみると横6m、高さ6mもある大きなものでした。摩尼寺奥の院の岩窟よりも一回り大きく、先生や先輩方によると、隠岐・出雲・伯耆・因幡でみた岩窟(中に建物を含まないもの)のなかでは最大とのことです。岩窟の中には梵字と漢数字(番付?)が彫られた幅20cm、高さ30cmほどの石が意味ありげに立て掛けてあったり、倒れていたりしました。千手観音像はすでになくなっていましたが、梵字の存在からして、ここが仏教の遺跡であることは間違いないでしょう。
さらに岩窟の下側には、石垣で囲まれた平坦面(加工段)が段畑のように連なっています。平坦な敷地は4段ぐらいに分かれていて石段でつながっています。摩尼寺奥の院のように建物の礎石はみられませんでしたが、先生によれば森林の落ち葉の腐食土によって覆われているだろうから、発掘調査すれば仏堂の遺構がみつかるだろうとのことです。地名辞典によりますと、この岩窟周辺にはかつて「千手院」という寺院があり、それは「窟堂」と通称されていたそうです。規模から言えば、摩尼寺奥の院や広瀬廃寺よりもはるかに大きく、往時の隆盛が偲ばれます。
[第5回「修験道トレッキング -山の歴史をあるく-」]の続きを読む
- 2009/11/02(月) 00:47:50|
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