第12章 詩の会「海棠社」p.72-77:今城訳
1.金釧(王夫人の女中)が死んだので、王夫人の部屋では女中が一人減って
しまった。ある日、鳳姐(王熙鳳)は王夫人のところへ行って、この欠員を誰かで
埋めたらどうかとたずねた。折よく、薛おばさん母子と林黛玉がみなそこにいた。
王夫人は言った。
「代わりの人は必要ないわ。余ったお金は玉釧(金釧の妹で王夫人の女中)に
与えてね。」
2.この時、王夫人は鳳姐が女中の月々のお給金をピンはねしていると
よく噂で聞いたのを思い出したので、鳳姐にカマをかけてみた。
鳳姐は、はぐらかして去っていった。
【セリフ】
王夫人:「おととい、私は誰かから銭が一刺し足りないと言っているのを
聞いたような気がするわ。」
3.王夫人の部屋を出て、鳳姐はいちど冷笑し、歩きながら罵った。
「あなたたちに不平をこぼされるのなら、そのうち、いっそのこと
みんなのお給金を差し引くわよ。」
4.この日、探春は賈宝玉と姉妹に招待状を出し、詩社(詩の会)を
つくろうと提案した。みな、秋爽斎(探春の住居)に集まり、
詩の会の組織について話し合った。
5.林黛玉は言った。
「詩の会を起こすのであれば、私たちは詩翁(詩の達人)になるわけだから、
ペンネームを考えなければならないわ。」
みなが賛成して、各々りっぱなペンネームを考えた。
【セリフ】
林黛玉:「私たちはまず姉、妹、弟、兄嫁なんていう
呼び方を変えてこそ風流だわよね。」
6.李恕l(賈宝玉の亡兄の賈珠の未亡人)は詩の会の主宰になることを
買って出て、迎春、惜春は韻を決める役と進行役を分担した。
多くの人と相談して、毎月2回集まることに決めた。

7.探春は言った。
「詩の会を始めると私が言い出したのだから、
今日はまず私から一句始めましょう。」
そこでみな海棠(かいどう)花を題目として、
詩を作り出した。
即座に、探春、薛宝釵は書き上げた。
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- 2009/12/02(水) 00:29:36|
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広州からバスで2時間半ばかり離れた開平市の郊外に自力村という村落がある。自力とは「自力更生」の自力だから、この村名が解放後の呼び名であることはただちに想像されよう。もとは永安里、合安里、安和里という3つの集落に分かれていた。この周辺には、ピーク時でじつに3000棟におよぶ「望楼」が築かれていたという。

辛亥革命を経て、孫文が中華民国の誕生を宣言し、初代臨時大総統の位に就いたのが1912年。清朝末期に海外に移住していた華僑たちは国民主権を唱う中華民国の近代的な国家体制に驚喜し本国に帰還していった。1920~30年ころ、開平の地に続々と望楼が築かれた。帰国した華僑たちが欧米の鉄筋コンクリート構造をもちこんで、中国古来の空間や意匠と融合させつつ生み出した高層住宅である。
望楼は「客家土楼」の近代版のようにもみえる。中庭はないけれども、防御性能に重きおいた高層住宅だからだ。銃眼もあれば、落石用の穴が屋上の張り出し部分にあいている。望楼が築かれたころ、治安は悪化し、盗賊たちが跋扈していたのだという。

いったん海外に出て本土に戻った中国人は貧乏クジを引いたようなものだ。民国誕生後の帰還者もそうだっただろうが、中華人民共和国誕生後の帰国者たちを待っていたのは「地獄」でしかなかった。海外の資本主義社会のなかで生活し、商売をして金を稼いだというだけでスパイ扱いされ、拷問をうけた(と
ユン・チアンは書いている)。望楼を築いた多くの金持ちたちも、ひどいめにあって再び香港あたりに逃げていったのだろう。だから、望楼には空き家が多い。そういう空き家を盛んに修復している。修復の現場に接するのは商売柄ありがたい。しかし、その一方で、あまり良い写真が撮れなかった。
村に残った人たちは「農家飯」を売りにした民宿レストランを経営している。
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- 2009/12/01(火) 00:00:15|
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