Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

鳥取城三ノ丸高等学校プロジェクト(Ⅰ)

100129天球丸01

 29日(金)。鳥取城天球丸の整備現場に行ってきました。石垣の解体にともなって消えてしまった郭端部の遺跡を再現整備する工事中の現場です。当初は柵で囲って遺構面には降りられないように計画されていたのですが、それは遺構ではなくて、遺構のレプリカでしかないのだから、芝生の緩斜面を歩いて疑似遺構面まで降りられるように計画変更されたものです。礎石や縁石のように並んでいる石たちは、出土した石ではなく、出土した石に似せた石を探してきたものです。
 天球丸には懐かしい想い出がありますね。いまは某地方紙の「記者」となって活躍している2期生のノビタ14.5号が、デザイン系研究室からASALABに移籍するきっかけになった遺跡でして(「移籍」と「遺跡」の駄洒落はどこかで使いましたね?)、「ノビタがのびた」のは4年半も前のことなのだから、まさに光陰矢の如し。以来、毎年のように、石垣修復の状況をお知らせしてきました。そのプロセスをまずはご覧ください。

    2006年8月9日  2007年9月22日  2008年8月8日

 天球丸の郭から見下ろすと、われらが母校の全景が目に映る。「わが母校」ではなくて、「われらが母校」と書くのは現場を案内してくれたH技師の母校でもあるからです。残念ながら、美しい建物だとはとても言えませんね。われらが母校が再建か移転かで揉めているのは県民ならみなご存じでしょう。再建で落ち着いたかにみえていた静閑さが昨秋、突如崩壊。その弾きがねとなったのが三の丸の下側でみつかった籾蔵跡です。春先のゼミで見学し、夏休みには松岡先生と一緒に視察したあの遺跡。高校のアリーナ(体育館)を建設する事前調査として約2000㎡を発掘した結果、そこから7棟の籾蔵跡やら近代の遺跡やらいろんなものがみつかって、県の文化財保護審議会は大騒ぎとなり、県教委に対して異議申立書が提出されたはずです。

 わたしにとって、いま最も重要なことはアシガルの卒業制作「鳥取城三ノ丸高等学校-史跡と共存する校舎の設計-」です。ASALABは移築派にも、再建派にも加担しません。今年度ASALABは、わが母校をまるごと「遺構露出展示館(覆屋)+史跡公園」に衣替えするプロジェクトを密かに進めてきました。そのお披露目は2月下旬の卒業研究展(@とりぎんホール)に迫ってきているのです。母校の機能はそのまま残します。校舎として健全かつ機能的な性能は当然満たさなければなりません。しかし、校舎の内外に遺構露出展示や復元レプリカ表示を散りばめ、内堀からみえる景観は復原的にデザインします。それら復原的施設は一種の遮蔽装置でもあり、城下から校舎の内側はまったくみえないようにします。校舎は事務・職員棟を木造平屋建、教室を低いRC造の2階建瓦葺とし、両者を「玄関+中庭+食堂」ゾーンで繋ぎます。食堂ゾーンは一種の覆屋でもあり、その中心に地下遺構を露出展示します。中庭には芝生をはって三ノ丸の礎石や縁石のレプリカを配します。

100129天球丸03


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  1. 2010/01/31(日) 00:00:07|
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ボツになった写真

 2ボツ 001オオタビト
 今夜もまた「校正マシーン」と化しています。今日の午後5時が卒業研究概要集の〆切なんですが、わたしが目を通した原稿でないと提出できないことになっている関係上、みんな「我先にみてください!」の状態でして、さっきまですやすや眠っていたのに、アシガルに起こされちゃって、これからまた校正だ。今から貧窮問答歌のオオタビト君(別名「黒帯」)の岩窟/絶壁型仏堂に関する論文の要旨をチェックします。
 これっ、2月27日のシンポジウムで発表する論文でして、結構難しいんですよね。なんかもう、人の原稿をみると、手を入れるのが当たり前みたいな感覚が身についてしまっている自分が怖ろしいですね・・・
 そうそう、右の写真は必ずクリックしてくださいね。

 さて、リクルート「進学ネット」からも校正原稿が届き、pdfの初稿の文章もまた手直ししてしまいましたよ。で、前に申し上げたように、パルマのユニフォームにギターもった姿で写真撮影されちゃったんですが、それはボツ。ジャケットに高木ブーモデルのウクレレもった写真が採用されることになったみたいです。ボツになった写真が左です。ちなみに、チャックのリファーレン500モデルはピヴォが倉吉にもって帰ったらしく、スタジオにおいてあった左のギターはアシガルが中古ショップで仕入れたヤマハのC-200です。価格は700円。12フレットの弦高が5mmを超えております。

 ボツになるわな、この格好じゃぁ・・・


  1. 2010/01/30(土) 00:03:48|
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もう一本超大

 今年の正月は神社でおみくじを引かなかった。われらが式内社「添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社」におみくじはないのです。
 正月3日、長女が東京に帰ることになって、みんな名残惜しくしていたところ、彼女は東寺に寄ってから新幹線に乗ると言い出した。時刻は午後3時半過ぎだっただろうか。東京の友人にお守りを買って帰ると約束したからだという。
 間に合わない、とわたしは告げた。おそらく4時半には閉門するだろうから、東寺に行くだけ時間の無駄だと諭したのです。と同時に思いついた。一休寺なら間に合う。それから車を飛ばして二十分足らず。閉門ぎりぎりで新田辺の一休寺境内に滑り込んだ。長女はお守りを買った。わたしはおみくじを引いた。お寺のおみくじってのはちょっと変ですね。
 掌からあらわれたのは「金銭亀」。亀と言えば「長寿」のシンボルだから母親にあげようかとも思ったのだが、説明書きを読むと「金を貯め金を産む金銭亀 いつも貴方のお財布に」と書いてある。ぐふふ、こんな有り難いものを他人にわたせるか。ということで、さっそく財布の小銭入れにポイと投げ込んだ次第。
 その3日後、コンビニでガリガリ君のストロベリー&チョコバージョンを買って食べたら、スティックの先に「超大々吉」の焼き印を発見。これは「当たり」にちがいない。やった、もう1本超大、じゃなかった、頂戴できるんでしょうね、と店員に訊ねたところ、ただのおみくじだそうです。

 というわけで、縁起の良いおみくじを二つも超大、じゃなかった、頂戴したという、それだけのお話でございます。


超大吉


  1. 2010/01/29(金) 00:00:18|
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フォーラム 「地域一体で実践する集落遺跡復元を考える」(予報2)

 来たる1月31日(日)、兵庫県立考古博物館で開催されるフォーラム「地域一体で実践する集落遺跡の復元と活用を考える」が間近に迫って来ました。
 26日(火)、明石高専の事務局から連絡があり、チラシが添付されておりましたので、ここに転載させていただきます。また、同日午後、兵庫県立考古学博物館でメディア対応のレクが開催されたそうです。
 発表用の資料もバージョンアップしていますよ。17日の講演からパワポにまた新しい画像が追加されました。そして、配布資料には、昨日ご紹介した建築学会中国支部大会発表予定の4本の論文を合冊して使うことにしました。昨日示した4本の論文が以下のように変身します。

   纒向遺跡大型建物群の復元研究    
    1.青谷上寺地から纒向へ-復元の方法-
    2.建物Dの復元
    3.建物A・B・Cの復元
    4.建物配置と景観の復元

 建築学会の支部大会発表論文は学会員以外では非常に入手が難しいので、フォーラムに参加される皆様は大変ラッキーだと思いますよ。パワーポイントの出力ではない、ちゃんとした論文形式をとった配布資料です。
 御期待ください。

(チラシ)明石竪穴住居プロジェクト
↑クリックすると画像が拡大します


  1. 2010/01/28(木) 00:00:28|
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校正マシーン

 わたしは、ひと月以上、校正マシーンと化しています。昨年12月の初旬に某大著の初稿を執筆者に送付し始めまして、当然のことながら、初校が断続的に戻ってくる。これをそのまま出版社に転送できる方は結構なのですが、著者校正後の原稿を読んでみて、どうしても手を入れざるをえないと判断する場合が3割弱あります。著者本人の原稿が編者によって手直しされるわけですから、著者に対してはまことに申し訳ないのですが、このまま出版した場合、著者も出版社も評価を下げるにちがいない。そう判断されるものには手を入れます。これは、編者の責務として仕方のない作業だと割り切るしかありませんね。
 一方、わたし自身の原稿も書かなければならない。拙著『出雲大社』(日本の美術476号、2006)の内容に加筆転載と思って気楽にかまえていたのですが、いざ書き始めると、そう簡単には終わらない。とくに「結論」は長いながい論文になって、冬休みが終わっても、なお擱筆できませんでした。年末年始のあいだ、出版社は休んでいる。編集事務の補助スタッフも休んでいます。その間、わたしは膨大な校正原稿・執筆原稿を両者に送信し続けました。
 年があけて、メールを読んだ誰かに言われた。

  「正月休みにずいぶん働かれてたんですね!」

 そうなのよ、ただテレビに出てただけじゃないんですからね。授業も会議も出張もない、このヴァケーションが勝負のときなのです。授業が再開しても、バトルは終わらない。終わるはずはないのです。今度は学生の指導。昨年、あれだけ苦労した「纒向遺跡大型建物群の復元」について建築学会の中国支部大会(広島)で発表しようということになって、年末に以下の4篇の発表論文を登録しました。

  ○吉川、清水、岡垣、今城、浅川
   纒向遺跡大型建物群の復元研究(1)
    -青谷上寺地から纒向へ:復元の方法-
  ○岡垣、今城、吉川、清水、浅川
   纒向遺跡大型建物群の復元研究(2)
    -建物Dの復元-
  ○清水、岡垣、今城、吉川、浅川
   纒向遺跡大型建物群の復元研究(3)
    -建物A・B・Cの復元-
  ○今城、岡垣、吉川、清水、浅川
   纒向遺跡大型建物群の復元研究(4)
    -建物配置と景観の復元-

 この提出〆切が1月18日(月)でした。推定「卑弥呼の館」講演が17日(日)で、上の執筆者は全員講演を聞きにきて打ち上げもやったので、実質的な〆切は16日(土)だったですね。○印をつけた学生が論文の発表者=原稿執筆者で、わたしが全文を校正/推敲するわけ。1本ならまだしも、4本はきつい。ただ、わたしが校正/推敲に時間を費やしているあいだ、学生諸君は講演のパワーポイントの準備をしてくれて助かりました。

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  1. 2010/01/27(水) 00:03:20|
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お年玉年賀状くじ当選番号発表!

 1月24日(日)、平成22年お年玉付き年賀はがきの当選番号が抽選・発表されました。当選番号は以下のとおりです。

   1等 975424   
   2等 630838
       446722
       259668
   3等   0977
   4等     00
           52
   C組限定 
   限定賞 27520

 早速、わが家でも番号をチェックしました。結果は4等が8枚。嬉しいな。今年出した年賀状は250枚でして、ほぼ同数の賀状が届いたとすると、確率的には「4等5枚」が期待値ですから、それを3枚も上まわってしまいましたよ。上々の成果であります。
 以下の皆様に深く御礼申し上げます。

  4等下2桁00: 環境事業計画研究所様、建築資料研究社学生支援センター様、木村様  
  4等下2桁52: 小西様、河本様、大脇様、中村様、西尾様

 お年玉賞品の交換期間は平成22年1月25日~7月26日。今日中に郵便局に行って「記念切手シート」もらっちゃおう!
 

2010お年玉切手シート


  1. 2010/01/26(火) 00:00:54|
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千手院窟堂の謎(Ⅱ)

0121発表会08位置関係


双子のような村

 不動院岩屋堂の地名調査により、岩屋堂集落の旧名が当初「柿原」であったことが判明しました。不動院岩屋堂と岩屋山千手院の「岩屋」も共通していますし、千手院窟堂の窟堂も「くつどう」ではなく「いわやどう」と読むようです。これら固有名称の類似性は、直線距離で11km離れた二つの村が親しい関係にあったことを暗示しています。おそらく二つの村は「本村・分村」の関係にあったのでしょう。常識的には、平安時代大同年間から記録の残る不動院岩屋堂が本村、江戸時代の因幡誌より古い文献記録のない千手院(柿原)のほうが分村ではないでしょうか。柿原集落の人にとって、不動院岩屋堂は村の精神的支柱であり、分村を作るにあたって同じような岩窟のある旧八東町柿原の地を選び、そこに岩屋堂を模倣した千手院窟堂を築いたのではないでしょうか。おそらく両村を結ぶ山中の抜け道があるだろうと思うのですが、この雪では調査はかないません。

0121発表会09岩窟内部

 さて、千手観音はいったいどこに祀られていたのでしょうか。復元では仏堂の外、つまり岩窟の奥に千手観音を祀ったわけですが、千手観音は本当に仏堂内ではなく、岩窟の奥にあったのか、それとも仏堂内に祀られていたのか、3年生の2人(轟、武内)で意見が割れました。

 武内: 千手観音は仏堂の外、つまり岩窟の奥にあった。岩窟内を調査したときに梵字を彫った平らな石がたくさん残っていた。梵字のない石は床に敷かれていた。梵字のある石は「石仏」の省略形であり、壁一面に貼り込まれていて、その中心に千手観音が鎮座していたのではないか。

 : 千住観音は岩窟ではなく、建物の内部に祀られていた。千手院を調査していくうちに若桜の不動院岩屋堂との関係が明らかになってきたことで、復元にも参考にした、不動院岩屋堂と関係があるなら、不動院と同じく千手観音は建物内部に祀られていたのではないか。

 武内説なら復元された仏堂は「礼堂」、轟説なら仏堂は「内陣」に相当し、この問題は岩窟型仏堂の変遷を考える上で重要な意味をもっています。50年前までは建物が存在していたそうですから、今後、写真資料が発見される可能性もあり、そのとき真実があきらかになるでしょう。

0121発表会06千手観音スケッチ


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  1. 2010/01/25(月) 00:00:45|
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千手院窟堂の謎(Ⅰ)

千手院復元3D2


仮面の建築

 1月21日(木)におこなわれたプロジェクト研究2&4「修験道トレッキング」の発表会で、新聞記者さんも聴講されており、22日(金)の朝刊に千手院の内容が記事として掲載されました。そこで、千手院復元の経緯と「洞穴の金鶏」伝説の真相(仮)を3年轟&武内がレポートさせていただきます。

全体平面図1)全体配置図
 これは測量によって得た千手院の岩窟、周辺の平坦地とそれに接する道路との関係性を示した配置図です。山間の杉植林地に段状の平坦地がひろがっていて、左の図よりもはるかにひろい範囲にもさらに広がっています。石垣に縁取られたこれらの平坦地の大半は棚田・段畑の跡地で、道路に近い一部は黒住教会(茅葺き)の敷地だったそうです。平坦地にある有本神社も黒住教のものです。その他、五輪塔や梵字の彫られた石仏を測量調査中に発見することができ、江戸時代に作られた石仏には「千手院」と彫られているものも含まれていました。

建物跡遺構詳細平面図2)建物遺構平面図
 千手院窟堂(いわやどう)の岩窟の平面図です。窟堂自体を発見したこと自体が驚きでしたが、『稲葉誌』に「小畑の窟堂」の木造仏堂の版画を発見したときにはさらに驚きました。そして、地表面をよく観察すると、礎石らしき石敷きが地面から顔をだしています。測量をおこなった結果、赤丸で示した位置に仏堂本体の柱の礎石と思われる遺構が並んでおり、手前には向拝の縁石が3個連なって残っていました。

復元平面図3)復元設計図
 礎石位置と絵図の対照関係から、建物の平面図を復元しました。梁間2間×桁行3間の妻入で、柱間は1間=6.5尺で、総長は妻側13尺、平側19.5尺。不動院岩屋堂(若桜)の年代と千手院窟堂の年代があわないため、外観はとくに似ているとは言えない。本体の屋根は切妻で、江戸時代風の桟瓦葺きとしました。窟堂の周辺で桟瓦の破片がたくさん転がっているのです。雨・湿気対策として、瓦が選択されたのでしょう。屋根勾配は3/10とします。また、絵図には唐破風つき向拝も描かれているので、向拝は向唐破風銅板葺きとしました。なお、窟堂内地形にわずかながら傾斜があるので、低い床ではありますが、不動院岩屋堂と似た懸造としています。

0121発表会07因幡誌

 絵図や復元千手院CGを見るとあきらかなように、千手院窟堂は岩窟をふさぐように建っており、奥に鎮座していたであろう千手観音像を拝むには仏堂に入らなければなりません。言い換えるならば、仏堂の外から千手観音像はまったくみえないのです。つまり千手院は岩窟内部や千手観音に対して「仮面」の役割を果たしているということが言えます。「洞窟に金鶏が住んでいて、不動院と千手院の岩窟は細い抜け穴でつながっている」という伝説は、仏堂の外にいる限り、確かめることができません。実際には、抜け穴となるような細い岩窟は存在しないにも拘わらず、「金鶏の洞穴」(抜け穴)伝説が長く語り継がれてきたのは、千手院と不動院の仏堂が岩窟を遮蔽していることと不可分に係わっていると言えるでしょう。(続)

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  1. 2010/01/24(日) 00:00:58|
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P2&4 「修験道トレッキング ―山の歴史を歩く」発表会

0121発表会01


発表会を終えて

 今日のブログはミッキーが担当します。

 2010年1月21日(木)。待ちにまったプロジェクト研究2&4の発表会がありました。ぼくたちのグループは「修験道トレッキング」についての発表でした。以下が発表順と発表内容です。

 1.1095044 藤山千愛「はじめに -山陰の密教と修験道-」
 2.1095035 永井綾美 
   1082012 檜尾 恵「摩尼山と摩尼寺奥の院」
 3.1094027 瀬尾 翼
   1094039 藤田恭右「不動院岩屋堂と岩屋山千手院」
 4.1082015 谷川寛晃「おわりに -二重構造の縁起と初期仏教エリア-」

 会場には新聞記者さんも来ており、普段とは違った雰囲気の中での発表でしたが、以前から発表練習を繰り返していたため、みんな緊張することなく上手く発表することができました。

 今回のプロ研では、先生の厳しいながらも愛のあるムチのおかげで、みんな以前よりも成長できたと思います。初めは、みんな先生の気迫に圧倒されていました。「正直怖かった…」と言っていた人もいます。しかし、ムチだけではなく、時にアメを与えてくれる先生に女の子たちはうっとり…したのかな? 男連中もうっとり…ではなく、みんな今では頼れる先生として慕っています。
 プロジェクト研究に関しての各自の感想を以下に記載します。

0121発表会02


山で焼き芋をしたり、古民家で講義をしたり
 私は今回のプロ研を通して、山が持つ歴史、仏教との関わりなど様々なことを学ぶことができました。大変なこともありましたが、山頂で焼き芋をしたり、古民家で講義をしたり貴重な経験もさせてもらいました。とても印象深いプロジェクト研究になったと思います(環境マネジメント学科1年 藤山千愛)

大変でしたが、楽しかった
 このプロジェクト研究は、とても大変でしたが、情報を得るための様々な方法(やパワーポイントの作り方)など役に立つことを知ることができました。山登りは、道なき道を登ったこともありましたが、楽しかったです。(環境マネジメント学科1年 永井綾美)

スケッチは細かい観察
 トレッキングを初めて体験し、思っていた以上に険しい道を進むこともあったので、大変だった。でも、実際に自然の中を歩いて、歴史を見て学んだり、照らし合わせたりすることは、とても実感が湧き、興味深いものだった。また、スケッチをすることで、建物や岩などの細かい部分まで意識して見ることができ、改めて構造や形を見直すこともできた。山の歴史は難しく感じたけれど、知らないことばかりで、勉強になった。(環境デザイン学科2年 檜尾恵)


0121発表会05復原スケッチ



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  1. 2010/01/23(土) 00:00:57|
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さおびきどっこ(Ⅳ)

100120さおびきどっこ仮組02


加藤家住宅裏木戸の仮組み完成
 1月13日(水)~20日(水)をかけて部材の調整と仮組みをおこないました。
 13日(水)~15日(金)は部材の調整。以前、角ノミが使用できないさいにも主柱と控柱の調整をしていましたが、未だ貫と腕木を通すことができただけで、他の棟木や冠木(かぶき)・桁を組み合わせるには至りません。なんとかこの週で調整を終わらせ、翌週のはじめには仮組みすることを目標に作業をスタート。まず、冠木の調整から始めました。これには理由があります。それは、前回、竿引き独鈷(さおひきどっこ)の練習を行ったさい、柱に差し込めるようになるまでにかなり時間を要しました。しかも、今回は柱に差し込む箇所が2箇所もあるのです。難航すること間違いなしです。そのため「早めに片付けて後を楽をしよう作戦」を練り上げ、調整を攻略しようと考えたのです。いざ冠木の調整を始めると、予想通り作業が難航しました。まず冠木をノミやヤスリで整えます。さすが竿引き独鈷、整えるのにも他の部材に比べ時間がかかります。この作業が思いのほか時間がかかり午前中だけでは終わらず午後もこの作業をおこなうことになってしまいました。ようやく冠木の調整が終わり、柱の仕口部分の調整に移行できました。
 しかし、ガード一生の不覚!
 仕口部分の調整がほとんどできないまま終わってしまいました。翌日、前日の汚名をはらすため気合を入れて臨みました。しかし、竿引き独鈷はとことん私達を苦しめます。削っても削っても柱に冠木が接合できない。少しずつ心が挫けそうになりながらも、作業を進めていきます。どんどん時間が過ぎていくなで。暗闇の中に一筋の光が射し込み始めました。徐々にではありますが、冠木が柱に組み合うようになっていったのです。これに励まされた私たちは気合を入れなおし、作業を進めていきました。そして、ようやく冠木と柱の接合が完了!
 これには思わず安堵のため息が身体全体からでました。これで残りは棟木、桁だけです。この2つの調整は予想通り冠木に比べ比較的楽でした。少し棟木に苦戦をしましたが目標どおり調整を完了させました。

100120さおびきどっこ仮組03


 そして翌週19日(火)~20日(水) の2日間をかけて仮組みに挑戦です。実は19日(火)で仮組みができる予定だったのですが、ちょっとしたアクシデントが発生したのです。
 19日(火)、早速仮組に挑戦です。まず主柱と控柱に貫を通します。ここで貫が柱に通らないのです。そこですぐさま私が調整を開始。その間ナオキさんに腕木を固定するための仮の楔(くさび)を作ってもらいました。なんと貫が通り一安心。主柱と控柱と貫の合体に成功したのです。そして次に冠木、棟木、腕木、桁といきたかったのですが、腕木と桁の接合が上手くいきません。これにも調整が必要になりました。ここで私はゼミに参加することにしたので、ナオキさんに腕木と桁の調整を託しました。ゼミが終わる頃ナオキさんから携帯に仮組み完了の連絡があり、ゼミ生一同で仮組みを見に行くことになりました。私は誰よりも早く仮組みの現場へ向かいました。現場に着くとそこには立派な裏木戸の骨組みが姿を現しました。その後、他のゼミ生と教授が現場に到着。仮組みを見たゼミ生と教授は「すごい!」と言って下さいました。教授が竿引き独鈷の仕口が表面にまったくあらわれないのをみて、「魔法のようだ」ともおっしゃいました。これに私は思わず笑みがこぼれました。しかし、腕木と桁の箇所を見るときちんと合体が出来ていませんでした。これはもう少し調整が必要だとナオキさんと話し合い、翌日、完璧な仮組みを行う事にしました。
 そして、腕木と桁の調整を行い再度仮組みを行いました。100%完璧とは言えませんが、それに近いものができたと思います。次は実際に加藤家住宅に持って行き組んでみたいと思います。(ガード)

3
                    仮組み完成

  1. 2010/01/22(金) 00:00:59|
  2. 建築|
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「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」実施報告会(予報その1)

 平成21年度「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」実施報告会の要領について、文化庁文化財部参事官より通知が届きました。同事業に採択された鳥取古民家修復プロジェクト委員会「セルフビルド&ゼロエミッションによる民家の持続的修復」については、昨年2回にわたる公開ワークショップのほか地道な活動を続けけてきました。文化庁の中間評価についても昨年12月25日に報告しています。
 今年度採択された全12事業の実施報告会が、下記のとおり開催されることになりました。

             記

 日  時: 平成22年3月17日(水)13:30~16:30
           (事前説明のため12:30までに集合)

 場  所: 文部科学省第2講堂(旧文部省庁舎6階)
       東京都千代田区霞ヶ関3丁目2-2
       会場案内図 http://www.bunka.go.jp/annaizu/index.html

 報告要領: (1)各団体8分間の報告。各報告に対して委員がコメント。
        (2)報告会資料の作成準備
          ①レジュメ(報告の要旨):A4版3枚
          ②パワポ・スライド5~6枚
        (3)報告資料は3月5日(金)までに整備活用部門に送信
        (4)報告資料は後日文化庁のホームページに掲載

 参加登録: [登録票]により2月15日(月)までに電子メール/FAXで、
          ①報告者(1名)
          ②サポート(1名)
          ③一般来場者として入場を希望する関係者
        を送信のこと。


NPO報告会  問い合わせ先: 文化庁文化財部参事官(建造物担当)整備活用部門
             〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2-2

        
[「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」実施報告会(予報その1)]の続きを読む
  1. 2010/01/21(木) 00:00:18|
  2. 講演・研究会|
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P2&P4「修験道トレッキング」発表会のお知らせ

 気がつけば、2日後にプロジェクト研究2&4の発表会が迫っております。いま隣の部屋で、学生たちは必死にパワポの準備中。なかなか良い出来映えに仕上がっています。今回のテーマ「修験道トレッキング-山の歴史を歩く-」は、2月27日に開催する国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-」とも大きく重なりあっており、さながらシンポジウム因幡編と呼びうる内容構成となっています。
 では、日時・会場・次第からお知らせします。

 P2&P4(合同)「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」発表会

日時 2010年1月21日(木)11:00~12:00
会場 鳥取環境大学13講義室

次第 1.藤山(環境マネジメント学科)  
       「はじめに -山陰の密教と修験道-」

     2.永井(環境マネジメント学科)&檜尾(環境デザイン学科)    
       「摩尼山と摩尼寺奥の院」

     3.瀬尾&藤田(環境政策経営学科)
       「不動院岩屋堂と岩屋山千手院」

     4.谷川(環境デザイン学科)
       「おわりに -二重構造の縁起と初期仏教エリア-」 

 この4ヶ月間の調査研究により、わたしのような鳥取出身の研究者ですらまったく知らなかった因幡の古代山岳信仰の姿を目の当たりにしました。とりわけ驚いたのは、摩尼寺「奥の院」に残る岩窟・岩陰型仏堂と礎石建物跡、さらに不動院岩屋堂(若桜)と洞窟内の抜け穴でつながっていると伝承されていた千手院窟堂(旧八東町柿原)の存在。すでに廃村となっている柿原集落のすぐ近くに、これほど迫力のある岩窟仏堂の遺跡が残っているとは!?
 学生たちは探偵ナイトスクープの探偵ばりに聞き込み調査を繰り返し、驚くべき事実をあきらかにしました。おそらく鳥取県民の99%が知ることのない衝撃の歴史がこの発表会で初めてベールを脱ぎます。また、ありきたりのデジカメ写真ではなく、天才的な鉛筆スケッチをパワーポイントの各所に配してプレゼンいたします。御期待ください。
 学内外の皆様のご来場を心からお待ち申し上げております。

100因幡誌千手院



  1. 2010/01/20(水) 00:00:53|
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推定「卑弥呼の館」講演会 満員御礼!

0107巻向講演01聴衆


 17日(日)、推定「卑弥呼の館」に係わる講演会をおこないました!
 レポートをお伝えします、きっかわです。

 今回は「智頭枕田縄文遺跡の保存活用を推進する会」主催の考古学講演会として、先生が講演されました。時間は2時間ということで、正式の演題は、

   推定「卑弥呼の館」をめぐって
    -青谷上寺地の建築部材による纒向大型建物群の復元-

です。会場はとりぎん文化会館2F第2会議室を使わせていただきました。
 
 先生、タクオさん、エアポートさん、部長さん、私は13時ごろに会場に入り、準備をお手伝い。
 13時半ごろから続々とお客さんが集まり始め、45分ごろにはかなりの席が埋まっていました。開始は14時からの予定でしたが、会長さんから、なるべく先生に長くお話を…、とのことで、少しはやめに開始することに。
 さて、会場の方は……

0107巻向講演01聴衆02

 このとおり、超満員!
 なんと100名余りの方にご聴講いただきました。用意していた席が足りなくなり、予備の椅子を出してもらって後ろに座っていただいた方も何人かいたほど。研究室として、嬉しいかぎりです。
 講演は前半のイントロに「青谷上寺地の建築部材」の研究成果を説明され、後半はその成果に基づいて纒向大型建物群の復元、さらに今回は東西の軸線がもつ歴史的意味についても先生は言及されました。われらが「チャック・ハリマーの定理」のエピソードのところではお客さんから笑いもわきおこりました。
 質問タイムでは、はじめはなかなか手があがりませんでしたが、1人、2人と質問を受けていくうちに、続々と。どなたも熱心に質問をしてくださいまして、会場にいらっしゃっていた青谷上寺地の行政関係者に先生が話題を振る場面もあり、おおもりあがりの様子でした。
 こうして講演会は盛況のうちに閉会。会が終わったあとも、先生のまわりには質問者の人だかりができるほど。100人の方に集まっていただけただけでもすごいことですが、これほど大きく盛り上がったのは本当に素晴らしいと思いました。

0107巻向講演02講演者01



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  1. 2010/01/19(火) 00:00:38|
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第14回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」

最後の発表練習

 1月14日(木)。今日は、私たちが最終目標としているプロジェクト研究発表会前の最後のプレゼン練習になりました。会場はいつもの13講義室です。最後の授業内のプレゼン練習ということで、全員がほぼ完成に近づくことができました。「摩尼寺」の竜女伝説を二年生のHさんが、スケッチとアニメーションで表現してくれたのですが、その出来栄えに、先生がすごく感動しておられましたのが印象的でした。
 先生は岩屋堂&千手院を担当している、S君のパワーポイントのプレゼンテーションを聞き、人にわかりやすく伝える技術をきちんと使えていると褒めておられました。
 パワーポイントがほぼ完成に近づいたといっても完璧だったわけではありません。全員が、1月21日のプロジェクト研究発表会に向けて、ラストスパートです!最後に、3年生の千手院のパワーポイント発表を見せてもらい、さすが3年生はすごいなと思いました。プロジェクト研究発表会、緊張しますが頑張りたいと思います。(環境マネジメント学科1年 A.N)

 プロ研のサポート担当になったときは、みんなが少し難しいテーマだけど、調査を上手にプレゼンと結びつけられるようにアドバイスしてあげられるだろうかと心配していました。しかし、全員が積極的に資料を探してきたり、ヒアリングを行ったりして、やる気を持って取り組んでいたのには驚かされました。心配する必要もなく、みなさんは自分の1、2年生の頃よりも、ずっと優秀でしたね・・・
 今日の発表もそれぞれ、個性のある発表ばかりだったので、皆の頑張りがよく伝わってきました。
 発表まで、日にちが迫ってきましたが、「まとめ」には苦戦しているようです。できれば、三徳山や大山に登ったことのある人は情報を提供しあったりして、メンバーで一丸となって良い発表をしましょう。
 僕も最大限、サポートします!(黒帯)

002雪の夜


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  1. 2010/01/18(月) 00:00:36|
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VANギターの響き

01サウナスーツ001van03横

 去る連休の中日、levanteさんに修理を依頼していたパール社(林楽器)のダイナミック・ギターが届いた。梱包をあけると、修復を終えたVANギターがあらわれた。さっそくギターを手にする。なんとも軽い。しかし、ボディがしっかりしている。摩耗したフレットが新品になり、指盤の塗装も見事な黒で、ナットの凸凹もなくなっている。解体修理によって、ギターは当初の輝きと機能を取り戻した。この修理はたんなる「復原」ではない。ボディの内側にはブレーシングの構造補強がなされている。
 チューニングをスタンダード(EADGBE)にセットした。修理前は金属弦を張るのが怖いほどよれよれだったから、全弦1音下げのDGCFADにして張力の負荷を弱めていたのだが、このボディならスタンダードでも大丈夫だろう。
 音がよく鳴る。その鳴り方は尋常ではない。エコーがかかっているような響きがする。家内が目をまるくしてギターを聴いているのだ。そして、「これ、どうしたの、どういうギターなの?」と問いかけてくる。「千円の中古ギターを六弦倶楽部の友人に修理してもらったんだ」と答えると、さらに驚いた顔をした。彼女のお気に入り?は「火の鳥」。高校~大学のころに聴いた「火の鳥」とは別の曲のように聞こえる、と驚嘆しつつ、目を点にして演奏を聴き続けている。というか、不思議な音を奏でるギターをみつめていた。普段なら「あぁ、またギターの練習・・・」という白けた顔をするのに、この日ばかりは様子がちがっていた。
 じつは、このギターにあわせてアレンジを変えていて、かつて6弦と12弦の二重録音で表現した雰囲気にVANギター1本で迫ろうとしている。それが可能な響きのするギターだということ。これなら十分人前で弾ける。人を惹きつけるだけの音を出すギターとなって戻ってきた。すべて、levanteさんのおかげです。ほんとうにありがとうございました! オーセンティックな修復で、しかもローコストのリサイクル。われわれがめざす理想の「建築修復」をlevanteさんはギターで実践してくださいました。感謝にたえません。

 ところで、そのギターをつま弾くつけ爪ですが、下の写真をご覧ください。人工の爪がいかに憐れな末路を辿るのかよく分かるでしょう(元の状態と見比べてください)。親指のつけ爪はすべて剥がれてしまっています。他の3本は割れていて、まもなく剥がれてしまうでしょう。やはり、できるだけ自然の爪を使うのがよいと思います。演奏会の直前に割れた爪は「つけ爪」にするしかない。その場合でも、爪の厚さはできるだけ薄くしましょう。鳥取でつけてもらった人差指と中指の爪はやや厚すぎました。とくにナイロン弦は良い音がでません。ご参考までに。

03つけ爪の末路


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  1. 2010/01/17(日) 00:02:26|
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マキムク復元チームが学生表彰!

02学生表彰01会議室


 あけまして…と挨拶する時期はもうとっくに過ぎ去ってしまいましたが、今年初投稿です。
 皆様、2010年もどうぞよろしくお願いします。きっかわです。
 鳥取では吹雪くことも多い今日この頃ですが、平成22年1月13日(水)は晴れの本学平成21年度学生表彰式でした。環境大学では年に一度、個人もしくは団体のすぐれた課外活動や社会活動を表彰しています。今年は個人・団体合わせて23名の受賞となりました。浅川研究室では「卑弥呼の館」復元プロジェクトチームが「課外活動(文化)」部門で受賞しまして、私と部長さんの2人がチームの代表者として学内で行われる授賞式に出席してきました!

 思い返せば、このプロジェクトのスタートは11月2日。そこから2週間で4棟+門・塀を復元するというハードスケジュール。山あり谷あり、あっというまでした。あの頃のわたしたちはきっと今よりすこしスマートになっていたことでしょう…(正月太りをさしひいても) そう考えるとちょっとだけあの頃の忙しさが惜しい。まあ健康が第一ですよね…。かくゆう私も先日のゼミを風邪で休んでしまいました。
 それはともかく、11月から始動したプロジェクトの集大成の1つとして、この日、大学から表彰していただくことにあいなりました。本当にありがたいことです。

02学生表彰014409

 予定では16:10からのスタートでしたが、教授会が早く終わったようで予定が繰り上がり、前倒しで15:30からの開会となりました。えっもう始まるの?とどきどき。
 控室から会場となっている会議室へ向かう姿もなんとなく強張っているような。そう、正式な表彰式でしたので、2名ともスーツで出席致しました。スーツ姿がばっちりきまっている部長さんの隣で、何かぎこちない私。これから就活タイフーンに飛び込むのだから、もっと慣れなければいけませんね。
 と、学長先生のご挨拶を拝聴したあと、いよいよ表彰状・副賞の授与です。ロ型に囲んだ机の前、それぞれの活動写真が流されるスクリーンの前で、順番に並んだ表彰者たちが学長先生から賞を頂いていきます。席に並ぶ先生方に見守られつつ…。もちろん浅川先生もいらっしゃいます。
 私たち卑弥呼チームは4番目で、団体の中では一番はじめの授与でしたので、緊張しました。学長先生から、私が賞状、部長さんが副賞を受け取ります。列に帰る際、先生方に礼をするときにひと言だけ簡単に挨拶する手筈だったのですが、タイミングを逃して礼だけになってしまいました。無念。
 それにしても、正式な表彰式というのは、やはり緊張しますね。最後に授与を受けた学生ISO委員会の方が受賞者代表の挨拶を述べ、式は閉会となりました。ここで会場は解散となりましたが、学長先生、両副学長先生と受賞者たちは記念撮影へ。あいにくの天気でしたので、学長室に入らせていただき、全員でにっこり撮影してきました。

 あらためて、大学からこのような賞をいただいたことは、とてもありがたいことだと思います。私が言うのもおこがましいのですが、チームを代表しまして、本当にありがとうございました。
 …ただしタクオさんも書かれている通り、マキムクタイフーンはまだまだ終わりません。
 それでは、2010年が良い年になることを願って……賞状と副賞をもって、ゼミ室に凱旋したいと思います!(3年 きっかわ)

12モニター044410
↑「NEWSゆう+(プラス)」のVTR」=<続き>に感想文を掲載しています。

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  1. 2010/01/16(土) 00:00:02|
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加藤家裏木戸の部材加工(Ⅱ)-年初篇

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さおびきどっこ(Ⅲ)

 2010年1月6日(水)。年初の初仕事です。7日・8日はまだ角ノミをお借りできないので、角ノミで削った箇所の調整に専従しました。まずは控柱の貫穴から。簡単にできるかと思われましたが、意外に難しく、角ノミで削った面を綺麗に仕上げることはできるものの、貫を実際に通そうとして作業が難航。なんと6日丸一日をかけて控柱の調整しかできませんでした。これには私たちも驚きでした。続く7日(木)は主柱の調整。前日に比べ作業に慣れてきていて、調整はスムーズに進み、腕木・貫の接合する主柱の仕口を終えることができました。主柱と控柱に貫を通してみると、かなりの達成感があり、感無量です。
 8日(金)。再び角ノミをN先生からお借りし、翌9日(土)で大体の加工を終わらせることにしました。「年内仮組完成」のスローガンに失敗していたので、少し不安を覚えながらも、加工のラストスパート!です。この2日間の課題は、かの宿敵「竿引独鈷(さおびきどっこ)」。一度試作しているのですが、やはり難しいし、時間がかかります。数も多く、かなりの難敵です。しかし、今回は秘密兵器角ノミが私達のもとにはあります。これを使えば、竿引独鈷も恐るに足らず! そして、いざ開戦。私が竿引独鈷の木材を角ノミで削っていきます。その間、ナオキさんが角ノミでは加工できない箇所をノコギリとノミで削っていきます。
 さすが、竿引独鈷、他の部材に比べて時間がかかります。8日だけでは完成しませんでした。翌9日(土)、最後の力を振り絞り竿引独鈷を刻む二人・・・徐々に姿をあらわす竿引独鈷・・・・・そして遂に完成!
 来週からは仮組のための調整に移行します。少しずつではありますが、完成が見えてきました。仮組竣工に向けて頑張っていきたいと思います。(ガード)

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  1. 2010/01/15(金) 00:00:37|
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加藤家裏木戸の部材加工(Ⅰ)-年末篇

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秘密兵器角ノミ

 2009年12月23日(水)~28日(月)、2010年1月6日(水)~9日(土)の10日間かけて、加藤家住宅裏木戸のための木材加工をおこないました。
 12月23日(水)。お昼に池田住研のNさんが指導してくださることになっていたので、それまでに少し加工することにしました。腕木の加工から始めました。ノコギリとノミを使っての加工です。昨年、「住まい・職人の技 in くらよし」で修行したので、思いのほかスムーズに加工が進みました。午後になるとNさんが来られました。まず、Nさんに墨付けした木材を見ていただきました。すると、Nさんは秘密兵器の手製定規を取り出しました。これは、私が設計した裏木戸専用の定規で、この定規には数字が書いてあるあるわけではなく、部材の位置関係が記されています。この定規を使えばほぼずれることはないと言われました。早速この定規を使って主柱を見ると、少しずつ墨付けの位置がずれていることが判明。驚愕している間もなく、他の部材もずれているがまたまた判明。驚愕を通り越して呆然となる私達。そんな私達を見て、Nさんはそんな大きなずれじゃないからすぐ直せるよと慰めてくれました。この後、加工に関するアドバイスをしていただきました。Nさん本当にありがとうございました。Nさんが帰られた後、すぐさま墨付けの修正開始。しかし、この日だけでは墨付けのやり直しを終えることはできませんでした。

 翌24日(木)。墨付けをやり直しするとともに、同時進行で墨付け修正後の部材加工に取り掛かることにしました。はじめ、墨付けをガード、加工をナオキさんが担当しました。この日から秘密兵器の「角ノミ」を導入。これはN先生からお借りしたものです。早速使ってみると、あっという間に15mmの四角い穴があきました。これを見て、私とナオキさんは年内仮組ができるぞと話していました。それから黙々と作業を進め、途中で仕事をチェンジ。しかし、この日、角ノミで彫った穴を見て気づいたのです。角のみで削った穴は切口が粗く、最後に普通のノミを使ってきれいに削らないと部材同士が上手くかみ合わない。年内仮組完了は難しいのではないかという不安が一瞬頭をよぎったのですが、雑念を振り払い作業を進めていきました。

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                       角ノミ

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  1. 2010/01/14(木) 00:09:20|
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祝 山梨学院大附属高校 優勝!!

 日本国内でおこなわれる試合をみて久々に興奮した。成人の日の午後、たまたまテレビのチャンネルをまわしていたら、高校サッカー選手権決勝の画面に切り替わった。後半02分30秒の時間表示が画面の左上に示されている。すでに山梨学院大附属高校が1点先取し、リードを奪っていた。
 いきなり、山梨学院大附のカウンターが青森山田の守備網を切り裂く。時間がたつにつれ、山梨のリアクション・サッカーに目は釘付けになっていった。思わず声がでてしまう。日本代表の試合とか天皇杯をみていても、こういう反応をすることは久しくなかったのだが、この日はちがった。
 山梨の守備ラインは深い。オランダに代表されるヨーロッパ型のモダンフットボールにおいては、守備ラインを浅くするのが常識になっている。とりわけ自軍の攻撃時には、ハーフェイ・ラインの手前までラインを押し上げ、前戦と最終ラインの間を20~30メートルに絞って連続攻撃をしかける、というのが今日の攻撃型サッカーの常道であろう。しかし、必ずしも日本にこの戦術が向いているとは限らない。

 4年前のドイツW杯の直前、当時のダブルボランチ、中田英寿と福西の間で壮絶な論戦があったことはよく知られている。「どこでボールを奪いに行くか」で二人の意見は大きく食い違った。中田は高い位置、福西はペナルティ・エリアに近い低い位置を主張した。中田の考え方は、ヨーロッパ基準でみれば正しい。しかし、日本代表のレベルにはいまひとつマッチしていなかった、と今にして思う。福西や宮本など、スピードに劣るディフェンダーたちは、最終ラインを高く押し上げて、その背後を突かれることを畏れていたのであろう。
 山梨学院大附の守備ラインは深かった。ペナルティエリア近辺に4バック&2ボランチがどっしりと陣取っている。青森山田がどんなに球をまわし続けても、自分たちの防御ラインの内側には入れないという陣形である。こういう深い守備網を敷く場合、前戦と守備ラインとのあいだに大きなスペースができて、クリアボールを敵のMFに拾われ苦戦するケースが少なくない。これが深い守備ラインの最大の泣き所だということをだれもが知っている。


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  1. 2010/01/13(水) 00:00:02|
  2. サッカー|
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商工会議所 ブース展示のご案内

00002商工会議所写真


 Lablog愛読者の皆様、お久しぶりです。今年初の投稿させていただきます、タクオです。
 昨年末はマキムクタイフーンがASALABにも到来しまして、慌しい年の瀬となりました。年が明けて落ち着くかと思いきや、朝日放送「NEWSゆう+(プラス)」の報道に始まり、講演会も目白押しで、その余波はまだまだ続きそうですね!
 そうそう、5日のTV報道の後、3年前に兵庫県で勤めていた頃の職場の方から久しぶりにメールをいただきました。「なんか清水くんに似てる人が映ってるけど、太ってるし違うかな・・・」とのこと。いや、あの頃はガリガリでしたからね。たしか過去のブログで先生が記事にするくらいでしたから。まあ、最近は標準体重なんですが、正月のおかげで取材の日から3kg太りました。座っていると、お腹周りに違和感を感じ始めております・・・
 それにしてもメディアの力は怖い。もう少しおめかしするんだったな。

 まあ、そんなことはどうでもいいですね。
 1月12日(火)より、鳥取商工会議所で鳥取環境大学の紹介ブースが設置されます。学科紹介をはじめ、研究所の紹介や課外活動報告など、「環境大学まる分かり!」のスペースとなっておりますので、ぜひ足を運んでいただければと思います。学科紹介では、建築・環境デザイン学科、環境政策学科、環境マネジメント学科、情報システム学科の4学科それぞれに展示スペースを設けています。デザイン学科紹介コーナーでは、学科の教育内容の紹介や研究紹介、また卒業制作の作品などを展示しています。
 ASALABからは、すでにオープンキャンパスの常連展示となったエアポート君の卒業制作「仏を超えた信長」のほかに、最新の研究業績として纒向遺跡復元研究のパネル1枚を新作展示しています。部長さんとエアポート君の共同制作でして、なんとか人目を惹きたいということで、「纒向遺跡の大型建物群は『卑弥呼の館』か!? -青谷上寺地遺跡出土建築部材による復元研究-」という挑発的なタイトルを敢えて採用しました。パネルの上半分は青谷上寺地遺跡建築部材の復元研究、下半分がその成果をふまえた纒向遺跡の復元研究を解説しています。ぜひとも足をお運び、展示をご覧ください!
 会場・期間は以下のとおりです。

  会  場: 鳥取商工会議所 1F展示スペース 
         〒680-8566 鳥取市本町3-201 TEL:(0857)26-6666  
  展示期間: 1月12日(火)~2月末日
 

 それでは、本年も宜しくお願いいたします。(タクオ)

00001商工会議所パネル


  1. 2010/01/12(火) 00:00:07|
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ランク up&down-2009 FC2アクセス解析10・11・12月篇

 前四半期(7~9月)のアクセス報告の冒頭に、10月最終週の4日間、学校・教育部門の8位を記録したことを報告しましたが、さらにアクセスは上昇傾向を示し、12月初旬以降、4日、6日、11日、16日の4日間、6位を記録しました。たとえば、12月11日の場合、以下のように表記されています。

   asaさんのランキング
   学校・教育  6位 (昨日:7位) / 12104人中
   学校 1位 (昨日:1位) / 936人中
   更新日時:2009/12/11 04:21

 ところが、その直後からランクが急降下し始めました。中旬までは月間のUA=7500件が予測されていたのですが、急激にアクセスは減少し、12月18日には18位まで一気にダウン。翌19日にはついにベスト20の画面から消えてしまったのです。その日は24位で、以後、27日まで20位代に低迷し、28日の仕事納めになってようやく15位に復活しました。これはアクセスが増えたからではありません。じつは正月休み前後のアクセスは通常の半分以下なのですが、他のサイトへのアクセスがさらに減った反動としてランクが上昇したにすぎないのです。
 1月9日現在のランキングは以下のとおりです。

   asaさんのランキング
   学校・教育 25位 (昨日:28位) / 12431人中
   学校 5位 (昨日:4位) / 1038人中
   更新日時:2010/01/09 04:21

 このように、12月下旬から現在まで、残念ながら、20位代がLABLOGの定位置になってしまい、いまのところ上昇の気配がみえません。おそらく、「学校」部門のサイト数が1000件を超え、そのなかに強力なサイトが増えてきたのでしょうが、まずはベスト20のランクを取り戻すべく頑張らないといけませんね。

 さて、今回は2009年秋期(10~12月)のアクセスを報告します。夏期と同様、アクセスの浮沈の激しい3ヶ月でした。まずはユニークアクセス(UA)とトータルアクセス(TA)をお知らせしましょう。毎度のことですが、以下の表記は、月総数(1日平均)をあらわします。

   2009年10月  UA=7743(250)  TA=14767(476)
   2009年11月  UA=8034(268)  TA=15006(500)
   2009年12月  UA=6963(225)  TA=14246(460)
 
 11月は7月に引き続きUAが8000を超えました。卑弥呼騒動でアクセスが大ブレイクかと思いきや、スロージョギング・バブルの7月(UA1日平均=271)にわずかながら及びませんでした。つぎに、ヤフーやグーグルなど検索エンジンによるアクセス総数の推移をみると

    10月:4522   11月:4812   12月:3965

となっています。繰り返しますが、12月は中旬までUA=7500件のペースでしたが、大学が冬休みに入ってからUAは激減してしまいました。ただし、TAが14000件を維持した点は評価すべきでしょう。

[ランク up&down-2009 FC2アクセス解析10・11・12月篇]の続きを読む
  1. 2010/01/11(月) 00:00:21|
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第13回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」

 1月7日(木)。冬休みも明けて、この日から大学の授業が始まり、すっかり正月気分も抜けてしまいました。プロジェクト研究2&4「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」も13回目を数え、この日も1・2年生は年末に続きプロ研発表会のためのプレゼン練習。先生はなかなかご機嫌で、とくにミッキー君の発表が「グレードアップした!」と誉めておられました。それというのも、若桜岩屋堂のある村がかつて「柿原」と呼ばれている時期があり、一方の柿原千手院では窟堂を「岩屋堂」とも呼んでおり、どうやら二つの村は親子か兄弟の関係にあることがみえてきたからです。ミッキーくんは豪雪のなか不動院まで足を運び、管理人の山根さんからヒアリングするなど、探偵ナイトスクープばりの調査を続けてきたようで、その成果が見事あらわれたと言えるでしょう。

02クッキー2010


モリさんのクッキー

 3年男子、つまり私(轟)と武さんは、以前から柿原千手院の測量と窟堂建築の復元に取り組んでおり、復元設計もほぼ煮詰まってきたところでした。1・2年のプレゼン練習を聞き終わったところで、先生は、

  「ちょっと呼び出しがあったので先に上にあがる」

と言って、講義室をあとにされていきました。その際に、

  「3年の千手院の復元の図面も今日チェックするから」

と言われていたので、僕と武さんは研究室に上がることにしました。
 研究室に上がったところで確か17時前だったと思います。武さんと図面の準備をしながら先生を待つ。しかし、何時までたっても先生が来られない。「用事が長引いているのか」と思い、もうしばらく研究室で待つことに・・・

02クッキー2010箱 先生があらわれたのは19時頃。どうやら教授室の「籐のソファ」で眠られていたようです。3限の「建築の保存と修復」講義では武さんがうとうとしていましたが、今度は先生が熟睡されてしまったのです。二人とも正月疲れがでてしまったのでしょうか。
 その武さんなんですが、先生があらわれたときにはバイトに消えてしまっていました。図面チェックを始める直前、卒業生からお歳暮が届いていることが判明。3期生の森川さんという先輩から送られてきたお歳暮は、包装が渋い黒。その黒紙を解くと、中から紅葉をプリントした豪華な箱があらわれました。一同、その箱に釘付け。蓋をとると、まぁ豪華なクッキーがずらりと並んでいます。近江八幡の有名なお菓子屋さんのクッキーです。で、ほんと、すごく美味しかった。やっぱり女性が選ぶお歳暮の品はちがうなと、3・4年男子は感心しきり。なんでも、昨夜はきっかわさんが地元徳島からもってかえってきた1個千円のイチゴを先生や先輩は味わったそうですが、こちらのクッキーのお味も相当なものですね。これを食べられない武さんが可哀想だ・・・ぐふふ・・
 僕はちゃっかり全種類いただきました。
 

[第13回「修験道トレッキング-山の歴史をあるく-」]の続きを読む
  1. 2010/01/10(日) 00:00:26|
  2. 研究室|
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フォーラム 「地域一体で実践する集落遺跡復元を考える」(予報1)

 授業が再開しました。雪の降りしきる3連休前の木曜日。欠席者が多いのではないか、と心配されましたが、ほぼ全員、元気な姿をみせてくれました。2010年も、まずまずのスタートを切ったと言えそうです。
 じつは早くも講演の依頼が舞い込んでおります。昨年の加藤家住宅第2回公開ワークショップに参加された明石高専の八木先生からのオファーでして、御所野縄文博物館長の高田和徳さんとセットでの招聘ということで、退官間近の高田さんにお目にかかれるわけですから、何をさしおいても飛んでいかなければなりません(じつは一般入試Aの日程と重なっていたのですが、幸運なことに入試業務から外れてました)。
 会場は兵庫県立考古博物館。講演内容は1月17日(とりぎんホール)とほぼ同じですが、ついに推定「卑弥呼の館」復元が近畿に打って出ることになったわけです。
 フォーラムの構成は以下のとおりです。


 フォーラム「地域一体で実践する集落遺跡復元を考える」

主催  明石高専学生支援GP 竪穴住居復元プロジェクト 
共催  兵庫県立考古博物館 
日時  1月31日(日) 13:00~16:30
会場  兵庫県立考古博物館講堂(入場無料/180名収容) 
次第
  13:00  主催者挨拶 趣旨説明
        八木 雅夫(明石高専教授)

  13:10  報告「大中遺跡における竪穴住居復元プロジェクト」
        楢原 郁美(明石高専専攻科2年/竪穴住居復元プロジェクトリーダー)
 
  13:30  講演1「御所野遺跡の整備と活用 
           -焼失住居遺構の復元による縄文のムラの再生-」
        高田 和徳(御所野縄文博物館長/岩手県一戸町教委) 
                
  14:50  休憩

  15:00  講演2「纒向遺跡大型建物群の復元
           -青谷上寺地遺跡出土建築部材による応用研究-」 
        浅川 滋男(鳥取環境大学大学院教授)           
  
  16:20  まとめ・閉会の辞 山下史朗(県立博物館企画課長)

問合せ先: 明石高専 学生支援GP担当(学生課学生係)
      TEL 078-946-6046

100131兵庫県立博物館
↑それでは、久しぶりに未公開のサービスショットを1枚。もちろん転載はみとめられません。
     
  1. 2010/01/09(土) 00:00:55|
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テレビが視たいのよ

 御所市の発掘調査現場から近鉄電車に乗っていったん自宅に戻り、テレビを視ていると、小宮悦子が画面にあらわれた。6チャンネルですよね。このまま同じ画面を視続けていると、テレ朝から大阪朝日放送に切り替わって関西版のニュース番組となる。
 そうなんですよ、5日の18時17分から朝日放送「NEWSゆう+(プラス)」で、12月17~18日に取材をうけた纒向と青谷上寺地の建物復元に係わるニュースが5分ばかり流れる予定なんですが、わたしは焦った。だって、自分が出演するテレビを生で視るなんて恥ずかしいことをしたくないから、急ぎ外出の支度をしたのです。じつは、入院している母親が一両日中に退院して特養のショート・ステイに受け入れてもらうことになり、ケア・マネージャーさんとの打ち合わせが決まっていたのです。家内は少しく抵抗しました。「テレビが視たいのよ」という女にわたしは言い聞かせた。
 「そんな恥ずかしいことはできないぜ」。

 特養で打ち合わせしているころ、おそらく、わたしはTV画面の中にいたはずです。帰宅して夕ご飯を食べ、ごろごろしていると、今度は報道ステーションが始まった。日本海側は凄い雪が降っていて、鳥取市が何度も画面にあらわれ、怯えましたね。これは大変だ。またしても、命をかけて峠を越えねばならぬのか、と・・・
 同時に、大阪の朝日放送から続々とメールが飛び込んできました。放映後の感想を求めるメールなのだけれども、「恥ずかしいから視なかった」としか答えようがありません。まもなく11月分とあわせてDVDを送ってくれるそうだから、「それを楽しみにしています」ともお答えしました。拍子抜けしただろうな・・・
 それからまた、深夜の格闘。『出雲大社の建築考古学-山陰地方の掘立建物-』の全原稿をクリアしてしまうことがこの冬休みのノルマだったんですが、どうしても「まとめ」がうまく書けない。2006年に刊行した『出雲大社』(日本の美術476号)の最終章に補筆すればよいと気楽に構えていたのですが、500ページを超える大著の結論というのは、やはりそう簡単には仕上がらない。
 もう少し苦しみそうです。

100106雪01


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  1. 2010/01/08(金) 00:15:51|
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「無」の空間

01池之内・條01塀01断面01


4世紀の方形区画

 寒風のなか、御所市の池之内・條地区発掘調査現場を視察した。京奈和自動車道御所道路建設のための事前調査を橿原考古学研究所が担当している。
 4世紀の方形区画が2列出ているのだが、その特徴を言葉だけで表現するのは難しいので、段ボールに模式図を描いてみた(↓)。

01池之内・條01塀06平面モデル 西側の方形区画2はとても長く、南北両辺と西辺の塀状遺構がほぼ直交関係を保っているが、東側が変則的。南半は他の3辺と直交関係を維持しているのに対して、北半はわずかに東に触れ、北半と南半の塀が接しあわない。その隙間に区画施設の入口があったとみられる。大阪府八尾市の心合寺山(しおんじやま)古墳で家形埴輪を塀でかこむ「囲形埴輪」(5世紀前半)が出土しており、その塀が方形区画2と同じ構造をしていることを調査担当者はつきとめている。橿原考古学研究所から送られてきた資料のなかに心合寺山「囲形埴輪」の写真も添付されており、その入口のあり方だけでなく、塀の造形にも驚いた。われわれが纏向遺跡の塀・門を復元するにあたって参照した今城塚古墳出土の塀と同形式の矢板竪板壁やそれをとめる柱と横桟が鮮明に表現されていたからである。
 しかも、池之内・條地区でみつかった二つの方形区画は竪板を左右で挟み込む双子柱の構造をもち、竪板を落とし込んだ溝状の布掘もはっきり残っている。わたしたちは竪板列を区画内側の1本柱と横桟で支える構造に復元したのだが、なるほど内外2本の柱で支えれば基礎構造はおおきく安定感を増すであろう。
 さて、予め送られてきた資料によれば、東西二つの方形区画には「顕著な建物遺構が検出されていない」ということだったのだが、わたしが訪問した仕事始めのその日、西側の区画2で大型建物がまとまったという報せが調査員からあり、スタッフ全員にどよめきがひろがった。その建物は方形区画の入口に近い北寄りにあり、二面庇もしくは四面庇をもつ平面に復元できそうである(1月21日註;3×2間にまとまったとか?)。また、区画2では南側に目隠し塀のような布掘りも発見された。これにより、方形区画2は豪族居館の「正殿ブロック」として理解できそうである。それは、言うまでもなく、心合寺山「囲形埴輪」の姿に重なり合う。
 東側の方形区画1は方形区画2の東辺北半の塀と平行関係を保っている。まずは西側の方形区画2=「正殿ブロック」が造営され、その後、区画2東辺北半の塀の方位にあわせて方形区画1が造営されたプロセスを暗示させる。

01池之内・條01塀02隅


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  1. 2010/01/07(木) 00:00:15|
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続・VANギターの修復

091219圧縮06完成


修復完了!

 年末のある日、levanteからメールが入った。ついにVANギターの修復が完了したというメールです。ほんとうにお疲れさまでした。ありがとうございます。前回に続く修復のプロセスをここに転載させていただきます。あとはどこでどうして受け渡しするかですね。いちばん可能性が高いのは2月か3月に開催されるという六弦倶楽部の第13回練習会ですが、そうなると、練習会のための練習にVANギターを使えませんね。ちょっと考えさせてください。

----- Original Message -----
Sent: Tuesday, December 15, 2009 10:34 PM
Subject: Re: その後の進捗状況

>(略)
> とりあえず5Fの塗装を剥いでみました。
> 予想に反し、ずっと黒いままで、どうやら元から黒色系の塗装
> がされていたようです。
> 指板は画像にあるようにありえない方向に木目があります。^^;
> また、ポジションの貝は大変薄い物で、以前の塗装層の上にの
> せられていたような感じでした。マークの痕跡は確認できませ
> んでしたので、白くドットが塗装されていたんじゃないかと思
> われます。
> 従って、塗装はこのままの状態で補修してお返しすることにな
> ると思います。
> 飛ばしたポジションは、メキシコ貝の同径(8ミリ)のものを
> 手配しましたので、5Fだけ少しグレードが上がると思います。
> 塗装は、ラッカーだとばかり思っていましたが、塗装はがし液
> でもアルコールでも溶けませんでした。
> 光沢からしておそらくエナメルだと思われます。
> 一応そのような塗料で補修します。

091213圧縮02エナメル
↑↓エナメルの再塗装
091213圧縮01塗装


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  1. 2010/01/06(水) 00:00:19|
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『紅楼夢』第15章

第15章 鏡の内側
p.88-95:岡垣訳

 1.賈母は体に疲れを感じたので、休息をとるため稲香村に行って休みたいと思った。
   鳳姐(王熙鳳)はあわてて人を呼び、竹の椅子を持ってきて賈母がその上に
   座るのを手助けするように命じた。二人の侍女が賈母を担ぎ、鳳姐、鴛鴦たちは
   その後をついて行った。賈母の面倒をしおえると、鴛鴦はまた劉ばあさんを
   訪ねて来た。

 2.鴛鴦は劉ばあさんを連れていろんなところを歩き回った。一同もみな、
   後について冗談を言った。しばらくして「省親別墅」という牌坊の下に到着した。

 3.劉ばあさんは寺廟だと思い、腹ばいになって叩頭の礼をし、さらにまことしや
   かに言った。
   「この牌楼の上の字ぐらい、私もすべてわかりますよ。」

 4.続けて劉ばあさんは、自信満々に言った。
   「これは、まぎれもなく「玉皇宝殿」の四文字ですよ。」
   一同は、手をたたき足を踏み鳴らして笑った。

 5.突然、劉ばあさんは腹が痛みだしたので、すぐに侍女を探して彼女を連れて
   お手洗いに行った。侍女は、劉ばあさんにその場所を教えると、すぐに戻って
   行った。

 6.劉ばあさんは少し腹を下し、長い間しゃがんでいたが、やっと終わったので、
   やおら立ち上がると、頭がくらくらして目が眩み、帰り道がわからなくなった。

 7.劉ばあさんは道なりに歩いて行った。やっとのことで一つの入口にたどり着き、
   ただ頭に花を挿した老婆が部屋に入るのが見えた。

 8.劉ばあさんは笑って言った。
   「あなた世間を知らないにもほどがあるでしょ、頭に花を挿すなんて。」
   その老婆は笑うばかりで返事をしなかった。

 9.劉ばあさんは、富貴な家柄には姿見の鏡があることをとっさに思いつき、
   心の中で考えた。
   「鏡の中にいるのは私かもしれない!」

10.劉ばあさんが触れると、やはり鏡だった。まさか鏡の上にスイッチがあるとは
   誰が知ろうか、劉ばあさんは無意識のうちにそれを押し、別の部屋に入って
   いった。

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  1. 2010/01/05(火) 00:01:12|
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『紅楼夢』第14章

第14章 大観園の道化
p.82-87:今城訳

 1.賈母は史湘雲の宴席でご馳走になり、また劉ばあさんを連れて大観園を
   ぶらぶらしたいと思ったので、王夫人や賈宝玉や多くの姉妹たちを
   部屋に呼んで、史湘雲へのお返しの宴席について相談した。

 2.賈宝玉は言った。
   「私は一つ考えがありますが、どうせ外からのお客はい来ないので、
    いっそのことみなの好きな食べ物の中からいくつかを選び出し、
    それぞれの人の近くのテーブルに並べて自分で食べれば
    よいのではないでしょうか。」
   賈母はこれを聞き、賈宝玉の言う通りに料理をつくるよう厨房に命じた。

 3.翌日の早朝、李恕lはまさに使用人がテーブルを運ぶのを
   見ているところだった。劉ばあさんと板児は早々に大観園にやってきた。
  【セリフ】
    李恕l:「気をつけて、ぶつかって壊してはだめよ。」

 4.このとき、賈母がやってきた。李恕lは出迎えて言った。
   「おばあさまは嬉しくて、早くいらしたのでしょうが、
    私はちょうど菊の花を届けようとしていたところだったんですよ。」

 5.このとき、菊の花を持ってくる人があり、賈母は大きく赤いのを選んで
   髪の上に挿し、劉ばあさんに対して言った。
   「こちらへ来て花を挿しなさいよ。」

 6.鳳姐(王熙鳳)は劉ばあさんを引き寄せて、笑いながら言った。
   「私にあなたのヘアメイクをさせてよ。」
   そう言い終らないうちに、大皿に並べてあった菊の花を彼女の髪に挿した。

 7.談笑をしている間、みなはすでに沁芳亭まで到着していた。
   賈母は柱にもたれて腰を下ろし、劉ばあさんも傍らに座らせて、問うた。
   「この庭はどう? 良いでしょう?」
   劉ばあさんは庭中の景色に対し、絶賛してやまなかった。
  【セリフ】
    賈母:「この庭は良いでしょう?」
    劉ばあさん:「絵画よりもこの庭のほうが十倍優れていますね。」

 8.賈母は惜春を指さしながら言った。
   「私のこの孫娘は絵を描くのが上手ですので、彼女に庭の絵を描かせて
    あなたに1枚差し上げましょうか?」

 9.劉ばあさんはこれを聞き、惜春を引き寄せながら言った。
   「あなたは容姿端麗で、おまけにこのような才能があるなんて、
    神仙の生まれ変わりなの?」

10.みながこれを聞き、大笑いがやまなかった。賈母は劉ばあさんを連れて
   あちこち歩き、一通り観賞しながら、秋爽斎にやってきて宴席に加わった。

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  1. 2010/01/04(月) 00:00:49|
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奈良の史跡から新年のご挨拶

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 新年あけましておめでとうございます。
 お久しぶりのアシガルです。今年もよろしくお願いいたします。

 新春、大和の初詣のお知らせといきたいとろこですが、今日は年末の活動レポートです。じつは卒業制作「鳥取城三の丸高等学校」が思うように進まないので、先生から「史跡整備」を学んだほうが良いというアドバイスを受けました。ちょうど部長さんが12月17~18日、奈文研で開催された「第2回文化的景観研究集会」に出席されるのに同行することにして、特別史跡「平城宮跡」(世界文化遺産)ほかいくつかの史跡・建造物を見学してきました。先生のお膝元で恥ずかしい限りですが、ここに報告させていただきます。

平城宮跡

 研究集会の会場の隣に奈良文化財研究所があり、道路をはさんで平城宮跡があります。初日は平城宮をしらみつぶしに歩いて視察しようと決めていました。平城宮跡は平城京の中央北よりにあり、その平面形は東西・南北の約1kmの方形の東辺北約750m部分がさらに東約300mほどの張り出した「東院」となっています。正門の朱雀門をはじめ12の門があります。
 平城宮跡の内部には、政治や儀式を行う大極殿・朝堂院ブロックが2か所、中央と東に並列しています。朱雀門を入ったところに第一次大極殿と4堂からなる朝堂院があり、東の壬生門の北側には第二次大極殿と12堂からなる朝堂院があります。また、第二次大極殿の北側には天皇の住まい「内裏」があります。その他に役所の日常業務をおこなう曹司、宴会などをおこなう庭園などがあり、さまざまな手法で遺跡整備がなされ、野外博物館として整備が進んでいます。
 DSC_7938.jpg

13時から研究集会がスタート。会場で部長さんと別れて西側の佐伯門から平城宮入っていきました。まず、視界に入るのが第一次大極殿です。復元工事をほぼ完了させた大極殿ではありますが、周りには工事用のフェンスが張られていて中には入れません。大極殿近くの芝生ではおじ様方がサッカーに燃えていました。このような場所でのサッカーはさぞ気持ちのよいことでしょう。
 DSC_7946.jpg
大極殿の南側には、第一次朝堂院跡、さらに南には復元された朱雀門が建っています。朱雀門、朝堂院、大極殿は南北の軸線上に並んでいます。朝堂院4堂跡の基壇を復元し、内側は芝生を植えるだけで周りの景観に配慮した整備をおこない、自由に散策できるようになっています。この日、奈良は快晴で気持ちのよい青空だったのですが、平城宮跡はなにぶん広大な史跡公園ですから、強風をさえぎる建物はありません。さらに、盆地の影響で風が冷たく体力を奪われました。
 しかし、そんな弱音は言っていられません。寒中サッカーに燃えるおじ様方だっているのに!!フードをかぶりなおして散策を再開しました。 第一次大極殿を通り過ぎた先に第二次大極殿跡があります。第二次大極殿とその周辺にある礎石建物は、基壇、礎石(レプリカ)の復元整備ですが、かつてあった建物の想像力をかきたてます。南側には第二次朝堂院跡、北側には内裏跡があります。第二次朝堂院跡は第一次朝堂院跡と同じ遺跡整備をしています。
内裏跡では、円柱状に刈りあげたツゲの植木で柱位置を表示しています。礎石建物ではなく、掘立柱建物であったことをツゲの植栽で示しているのです。聞くところによると、ヨーロッパ庭園の影響を受けた整備手法だそうです。この植栽により史跡公園としての価値がより一層高まっていると思います。
 DSC_7963.jpg DSC_8025.jpg

そのあと、内裏跡東側の遺構展示館(覆屋)に足をのばしたのですが、展示館はフェンスで囲まれており、なにやら工事をしている模様。近くにあった看板を見ると「資料館、遺構展示館は改修工事にともない閉鎖中」とのこと。残念でしかたありません。この遺
 構展示館では、実際に遺構を見学できる施設なのでどうしても見学したかったのですが、こればかりはしかたがないので、南東にある東院庭園へ向かいました。東院庭園は、東西80m、南北100mの敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ州浜敷の池を設け、池の北東方や中央に主要な建物を配しています。庭園地形の復元整備では、地下に残る遺構を傷つけないように盛土による保護を原則としています。遺構の真上に復元建物や築地塀を建設する場合、40cmほど盛土をして整備地盤面としています。池の部分では奈良時代の州浜を再現し地形そのものが遺跡であることから、影石や州浜石敷に遺構そのものを見せる整備を行なうために砂と不織布で覆い、遺構と類似した小石を敷き詰めています。

 また、南東に位置する西建物は、東院南門と玉殿をつなぐ「控の間」で庭園とは関係のない施設ですが、駐車場から庭園内に導入するためのエントランス及び管理施設として利用されています。この建物は現代的機能もみたすように、構造体を古代建築として復元しつつも、内部には鉄骨やガラスなどの新建材を使い、復元部分と現代的機能が区別できるようになっています。
 東院庭園内を後にして最後に朱雀門を視察し、スタート地点の佐伯門へ戻った頃には研究集会が終わる時間になり、会場へと戻り、初日の視察を終えました。

DSC_8045.jpg


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  1. 2010/01/03(日) 00:00:33|
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スロージョギング(Ⅳ)

2010初詣02月


 年があけた満月の深夜、われらが式内社「添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社」までスロージョギングで初詣してきました。

 昨年一年間で最も多くの拍手を頂戴した記事が「スロージョギング」 。半年足らずのあいだに「22拍手」を記録しています。体重減は期待していたほどではなかったけれども、健康維持には欠かせない運動になってるんですが、11月2日から勃発した騒動以来、なかなか走る時間を確保できなくなってしまいましてね。 一日半以上「けんびき」に悩まされた12月中旬、どうしても背中の痛みがとれないので、決死の決意で1時間コースをジョギングしたところ、ほんと、死ぬほど辛かったのですが、肩凝りがとれて、長距離ドライブに耐えうる体調を取り戻しました。

2010初詣03サウナスーツ 冬休みになっても、なんやかやあって、じつは年末まで3回しか走れなかった。しかも1時間コースを走る体力がなくて、30分コースか40分コースで抑えてきたんです。ただし、秘密兵器をゲットしましてね。サウナスーツです。ただのサウナスーツじゃありませんぜ。新日本プロレスは蝶野正洋の特別仕様でして、某航空会社の通信販売カタログでみて即買い。日本海側は大雪と聞いていますが、奈良も寒波で気温は下がっております。しかし、下からサウナスーツ、ナイキのジャージ、アシックスのピステを重ね着して走れば、まったく寒くない。よく汗をかきますね。


 というわけで、初詣も3重重ね着のスロージョギング。
 よい年になりますように!

2010初詣01火01


  1. 2010/01/02(土) 02:58:21|
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