4世紀の方形区画 寒風のなか、御所市の池之内・條地区発掘調査現場を視察した。京奈和自動車道御所道路建設のための事前調査を橿原考古学研究所が担当している。
4世紀の方形区画が2列出ているのだが、その特徴を言葉だけで表現するのは難しいので、段ボールに模式図を描いてみた(↓)。

西側の方形区画2はとても長く、南北両辺と西辺の塀状遺構がほぼ直交関係を保っているが、東側が変則的。南半は他の3辺と直交関係を維持しているのに対して、北半はわずかに東に触れ、北半と南半の塀が接しあわない。その隙間に区画施設の入口があったとみられる。大阪府八尾市の心合寺山(しおんじやま)古墳で家形埴輪を塀でかこむ「囲形埴輪」(5世紀前半)が出土しており、その塀が方形区画2と同じ構造をしていることを調査担当者はつきとめている。橿原考古学研究所から送られてきた資料のなかに心合寺山「囲形埴輪」の写真も添付されており、その入口のあり方だけでなく、塀の造形にも驚いた。われわれが
纏向遺跡の塀・門を復元するにあたって参照した今城塚古墳出土の塀と同形式の矢板竪板壁やそれをとめる柱と横桟が鮮明に表現されていたからである。
しかも、池之内・條地区でみつかった二つの方形区画は竪板を左右で挟み込む双子柱の構造をもち、竪板を落とし込んだ溝状の布掘もはっきり残っている。わたしたちは竪板列を区画内側の1本柱と横桟で支える構造に復元したのだが、なるほど内外2本の柱で支えれば基礎構造はおおきく安定感を増すであろう。
さて、予め送られてきた資料によれば、東西二つの方形区画には「顕著な建物遺構が検出されていない」ということだったのだが、わたしが訪問した仕事始めのその日、西側の区画2で大型建物がまとまったという報せが調査員からあり、スタッフ全員にどよめきがひろがった。その建物は方形区画の入口に近い北寄りにあり、二面庇もしくは四面庇をもつ平面に復元できそうである(1月21日註;3×2間にまとまったとか?)。また、区画2では南側に目隠し塀のような布掘りも発見された。これにより、方形区画2は豪族居館の「正殿ブロック」として理解できそうである。それは、言うまでもなく、心合寺山「囲形埴輪」の姿に重なり合う。
東側の方形区画1は方形区画2の東辺北半の塀と平行関係を保っている。まずは西側の方形区画2=「正殿ブロック」が造営され、その後、区画2東辺北半の塀の方位にあわせて方形区画1が造営されたプロセスを暗示させる。
[「無」の空間]の続きを読む
- 2010/01/07(木) 00:00:15|
- 史跡|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0