
29日(金)。鳥取城天球丸の整備現場に行ってきました。石垣の解体にともなって消えてしまった郭端部の遺跡を再現整備する工事中の現場です。当初は柵で囲って遺構面には降りられないように計画されていたのですが、それは遺構ではなくて、遺構のレプリカでしかないのだから、芝生の緩斜面を歩いて疑似遺構面まで降りられるように計画変更されたものです。礎石や縁石のように並んでいる石たちは、出土した石ではなく、出土した石に似せた石を探してきたものです。
天球丸には懐かしい想い出がありますね。いまは某地方紙の「記者」となって活躍している2期生のノビタ14.5号が、デザイン系研究室からASALABに移籍するきっかけになった遺跡でして(「移籍」と「遺跡」の駄洒落はどこかで使いましたね?)、「
ノビタがのびた」のは4年半も前のことなのだから、まさに光陰矢の如し。以来、毎年のように、石垣修復の状況をお知らせしてきました。そのプロセスをまずはご覧ください。
2006年
8月9日 2007年
9月22日 2008年
8月8日 天球丸の郭から見下ろすと、われらが母校の全景が目に映る。「わが母校」ではなくて、「われらが母校」と書くのは現場を案内してくれたH技師の母校でもあるからです。残念ながら、美しい建物だとはとても言えませんね。われらが母校が再建か移転かで揉めているのは県民ならみなご存じでしょう。再建で落ち着いたかにみえていた静閑さが昨秋、突如崩壊。その弾きがねとなったのが三の丸の下側でみつかった
籾蔵跡です。
春先のゼミで見学し、夏休みには
松岡先生と一緒に視察したあの遺跡。高校のアリーナ(体育館)を建設する事前調査として約2000㎡を発掘した結果、そこから7棟の籾蔵跡やら近代の遺跡やらいろんなものがみつかって、県の文化財保護審議会は大騒ぎとなり、県教委に対して異議申立書が提出されたはずです。
わたしにとって、いま最も重要なことはアシガルの卒業制作「鳥取城三ノ丸高等学校-史跡と共存する校舎の設計-」です。ASALABは移築派にも、再建派にも加担しません。今年度ASALABは、わが母校をまるごと「遺構露出展示館(覆屋)+史跡公園」に衣替えするプロジェクトを密かに進めてきました。そのお披露目は2月下旬の卒業研究展(@とりぎんホール)に迫ってきているのです。母校の機能はそのまま残します。校舎として健全かつ機能的な性能は当然満たさなければなりません。しかし、校舎の内外に遺構露出展示や復元レプリカ表示を散りばめ、内堀からみえる景観は復原的にデザインします。それら復原的施設は一種の遮蔽装置でもあり、城下から校舎の内側はまったくみえないようにします。校舎は事務・職員棟を木造平屋建、教室を低いRC造の2階建瓦葺とし、両者を「玄関+中庭+食堂」ゾーンで繋ぎます。食堂ゾーンは一種の覆屋でもあり、その中心に地下遺構を露出展示します。中庭には芝生をはって三ノ丸の礎石や縁石のレプリカを配します。
[鳥取城三ノ丸高等学校プロジェクト(Ⅰ)]の続きを読む
- 2010/01/31(日) 00:00:07|
- 史跡|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0