asaさんのランキング
学校・教育 8位 (昨日:15位) / 13803人中
学校 1位 (昨日:2位) / 1434人中
更新日時:2010/03/30 04:21
というわけで、
12月中旬以来のランク一桁返り咲きであります。
すべて、浅田真央さんのおかげでございます。アクセス数は漸増しているのに、一時期50~60位まで落ち込んでいたランクですが、最近ようやく定位置が20位代、まれに10位代まで回復してきておりました。そして、「ヨナさん、よろめく」シリーズで一気に8位までかけあがってしまったのです。たしかに、平日の倍のアクセスがありました。みなさん、ありがとうございます。
それにしても、こと浅田真央に関わると日本人は黙っちゃいませんね。「
プルシェンコの戦い」なんて、すでに20拍手頂戴してますからね。20拍手到達の最短記録と思われます。かくいう私、出雲大社
講演のパワポ作成が進まなくて困っています。ユーチューブやらなにやらでずっと真央ちゃんとヨナさんの情報を追っている自分に呆れてまして、奈良に帰ってきた意味がない。奈良に帰ってきたのは、林檎と梨のミックスジャムを作るためではありません(
金柑が店頭から消えましたね)。出雲大社講演のパワポ作成に集中するためです。鳥取の下宿では「極道」に邁進し時間を浪費する自分が怖かった。だからこそ、ここ大和盆地で仕事してんのに、結局、パワポが進まない。まぁね、心底疲れています。くたくただ・・・浅田真央の映像はそれを癒してくれます。ほんと、凄いわ。どんな女優さんも彼女には敵いません。真央ちゃんには二十歳になってほしくないな。恋なんてしなくてよろしい。いまのままでね。Just the way you are! お寿司は山葵抜きのままでよいです。すっぴんでプーマのジャージ着てテレビ出ていてくれるだけで国民は満足です。
ヨナさん、よろめいて、アクセス増えた。風が吹いて桶屋が儲かったわけでもないけど、まぁ個人的には良いことが一つあったことにしましょう・・・なんて、気楽なこと言ってる場合じゃありませんよ。大社パワポ、急がないといけません。あぁ、しんど・・・ゆっくり休みたい。
- 2010/03/31(水) 00:00:40|
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その後まもなく、ユーチューブ(イタリア語版)で浅田とキムの演技をみました。浅田の演技はバンクーバーよりレベルが上がっていますね。あんなに難しいラフマニノフの「鐘」を19歳の少女が完璧に滑りきることができるようになったんだ。凄いな、凄いのひと言。それにしても、なんでオリンピックより点が下がっているのだろう。3回転半が一つ回転不足だと言っても、他は完璧じゃないか。なんで129点しか出ないんだろう。それにひきかえ、ヨナは3回転で転倒、2アクセルがすっぽ抜け。キッス&クライコーナーのキムの表情をみましたか。バツがわるくてしかなたない。みなさん、すいませんって顔して、130点のフリー1位ですよ。この演技なら100~110点でしょ。だれがどうみても、キムは最初から20点の下駄を履かされている。フリーで20点、ショートで10点の下駄です。浅田は逆に最初から何点か減点されてるんだから。でなければ、フリーで2位なんてありえません。浅田のフリーはプラス10点で、合計は210点です。
というわけで、ネットは炎上してます。今回は真央が総合で勝って、日本人のファンは溜飲を下げたと思いきや、またしても、ジャッジに対する猛烈な
抗議がネットを席巻中。たとえば、「
190.79点と197.58点の現実」というサイトを覗いてみてください。
ヨナさんも、ついに、露骨に馬脚をあらわしましたね。オリンピックでは、たしかに完璧な演技だったから「今の採点システムを最大限活かしたプログラム」なんて評価に惑わされる向きもあったでしょうが、今回は騙せない。ジャンプもスピンもスパイラルもみんな失敗している。それでもフリーが1位で、総合得点が190.79だって。ヨナ自身、「この大会に来るのが怖かった」というコメントをしていますが、この大会に参加するのを控えるべきだったでしょう。「怪我」でドタキャンすべきでした。そうすれば、キムの神話は保てたでしょうし、浅田の得点は210点を超えていたでしょう。
ネット上では、28日夜の「世界フィギュア」TV番組に注目が集まっていました。なにしろ、8チャンネルですからね。2チャンネルから総攻撃を受けている8チャンネル。真央叩きで有名な8チャンネルがどんなふうに編集して尻餅1位のヨナさんをフォローするのか、大注目でした。結果は予想どおりでして、キムの演技に対しては「些細なミスはありましたが、素晴らしい出来だった」そうです。国分太一も荒川静香も同じコメント。浅田の演技に対して、解説の八木沼さんは滑り終わった瞬間、「凄いですね!」という本音を漏らしてしまった。あとで叱られてるんじゃないだろうか、八木沼さん・・・心配してあげます。あんなこと言っちゃいけませんよ。浅田の演技はヨナさんより凄くないって言わないといけないことになっていたでしょ、打ち合わせでは。尻餅をつこうが、すっぽぬけようが、演技が途中で止まろうが、ヨナさんの演技は真央ちゃんの演技の上でなくてはならなくて、実際に審判団はそういうジャッジをしているのだから、日本の報道機関もそれに従うんでしょ? 自民党や民主党に対しては、いくら誹謗中傷してもいいけど、フィギュア・スケートに関しては批判したらいけないことになっていたじゃないですか。これに違反すると、怖いお仕置きがあるんでしょ。友人のTV関係者がそう言ってましたからね・・・まるで共産主義国家のような報道規制ですよね。
[ヨナさん、よろめく(Ⅱ)]の続きを読む
- 2010/03/30(火) 00:00:27|
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明け方、無事、文化庁へ提出する書類を中央郵便局で投函し、しばらく「
極」にはまった。勝率は高かった。時間の進みも速かった。陽が差し始めてきたころ、わたしは眠りについた。眼薬をさすのを忘れたまま・・・
昼過ぎに目覚めた。お腹が減っている。たまには「
道」に行ってやらんとな、ということで、いつものめくるめく席に。われらが昭和の雀ゲーは健在でありました。そこで定食を頼んで、気付いたのです。
「あっ、ハニーキッチン、行かなくちゃ!?」
というわけで、また一つお店を発見したのですが、口コミだけでまだ行っておりません。「今度必ず行くから」なんちって約束してたのに、忘れてましたぁ。でも、あとで電話したら、「土日はお休みですから」とのこと・・・
下宿に戻って、いざ開戦。わたしがモニターのなかで、どんな相手と戦っているかと申しますと、今日は小島武夫、古川凱章の両巨頭に高橋純子さん(もしくは浦田智子さん)という美人女子プロの3名です。強いよ。ほんと、強い。小島、古川クラスになると、満貫程度を振り込んでもへいちゃらですね。満貫ぐらいならいつでも取り返せるという打ち方をしてくる。降りるときと勝負にでるときのメリハリがじつに見事で圧倒されます。対して、わたしはよく降りますね。でも、昨日書いたように、降りる勇気があるときのほうが好調です。長丁場になればなるほど、よい結果が必ずついてくる。で、ほんとうに長丁場になっちゃった。夕方には、奈良に移動しようと思っていたんですが、なんのなんの・・・まわりが暗くなってストーブの灯油が切れてしまい、車のフロントガラスが凍てるほど寒くなっているのに、灯油の補充をすることもなく、ジャンパーを羽織って戦いを続けました。たぶん半荘25回はやったでしょう。トップをとれたのは5回ぐらいでしたね。トータルでは2位だったかな。気付いたら、夜の10時半です。お腹ぺこぺこ。吉野屋経由で車を走らせ、西宮名塩パークで週刊誌を立ち読みしたところ、「真央vsヨナ 3月27日再び対決!」の記事を発見。
そうか、今日がリベンジの日か。帰宅して、娘に尋ねると
「真央ちゃん、ショート・プログラム2位だよ。1位はヨナじゃない。
ヨナはよれよれで7位・・・いまごろフリーやってるはずだけど、
テレビの生中継はないから」
というので、ネットを開くと、「真央、世界フィギュア優勝!」の記事がアップされていた。(続)
- 2010/03/29(月) 00:28:00|
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春休みなんですが、まだ業務や会議がいろいろあって、鳥取に戻ってきています。昼間も忙しかったんですが、夜になっても悪戦苦闘中でしてね。「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」の経理関係書類を揃えております。わたしは書類を完成したんですが、卒業した黒猫くんが研究室で「事業実施の状況を示す資料」を整理中。
嗚呼、早く書類を投函し、家に帰って「
極」がやりたい。極道は人生そのものです。人生は逆風だらけ。逆風に逆らってはいけません。じっと耐えるしかない。いくら手の内が良くても、相手が強ければ降りるのです。降りる勇気が貴方を救う。降りながら振り込んでしまうことも稀にはあるけれども、それは仕方のないことです。ともかく、逆風のなかでは前に出ないことですね。
半荘のうち一度は風が吹く。それをじっと待ちましょう。順風になって、風を捉まえることができるかどうか。そこが勝負です。ここで人生が分かれる。じつは昨夜、いきなり国士無双を振り込んでしまいました。役満=32,000点ですよ。絶望的な失点です。が、くじけなかった。32,000点振り込んだからといってペースを変えてはいけない。いつか、風が吹くのです。そのときを待っていた。倍萬を上がりました。いつか風は吹くんだ・・・
[「極道」を往く(Ⅱ)]の続きを読む
- 2010/03/28(日) 00:00:12|
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そういえば、眼科で検査結果を知らされてる真っ最中に携帯が鳴りまして、久しぶりの朝日新聞大阪からでした。なんでも纒向のシンポジウムをやったんだそうでして、またCGを使いたいのでよろしく、という依頼でありました。
アエラに掲載された
全景パースを使うそうです。纒向といえば、ゼミ生4名が3月7日に建築学会
中国支部大会(広島)で発表してたんですが、わたしは奈良におりまして、どんな具合だったか、よく知りません。聞いたところによりますと、大半の発表よりもASALABの卒業研究のほうがレベルが高かったとのこと。同じことは黒帯も言ってましたね。「
学生と考えるとっとりのまちづくり」意見交換会で発表して、京大修士課程院生の発表よりASALABの卒業研究のほうがレベルが高いって感想でした。文化庁での発表にしても同じだと確信して黒猫の発表を聞いていましたが、委員会の内部では評価が真っ二つだったみたいですね。時代の変革期には、こういうことがままあるでしょう。迷わず、前に進んでいくしかありません。
さて、建築学会中国支部大会に戻りますと、以前お知らせしたように、以下の4本の論文を発表しました。○印が発表者です。
○吉川、清水、岡垣、今城、浅川
纒向遺跡大型建物群の復元研究(1)
-青谷上寺地から纒向へ:復元の方法-
○岡垣、今城、吉川、清水、浅川
纒向遺跡大型建物群の復元研究(2)
-建物Dの復元-
○清水、岡垣、今城、吉川、浅川
纒向遺跡大型建物群の復元研究(3)
-建物A・B・Cの復元-
○今城、岡垣、吉川、清水、浅川
纒向遺跡大型建物群の復元研究(4)
-建物配置と景観の復元-
これらの論文はCDRに納められて関係者に配布されています。そのCDRのタイトルは以下のとおり。
『2009年度日本建築学会中国支部研究報告集』33巻、2010年3月
なかなか入手し難い論文集ですので、もし必要だと思われる方はご連絡ください。といいつつ、じつはこの4本をまとめて、わたしが全文校閲・修正・加筆し、『出雲大社の建築考古学』(同成社、近刊)に再録することにしました。だから、この本を買ってくださればよいのです。よろしくお願いします。5月刊行予定です!!

↑他学科の教員から「また出てましたね」と教えられました。わたしは全然知らなかった・・・
- 2010/03/27(土) 00:00:46|
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来たる4月3日に島根県立古代出雲歴史博物館で講演することを
2月21日にちらりとお伝えしましたが、去る3月19日、国の文化審議会が開催され、出雲大社境内遺跡出土品(宇豆柱、心御柱、鉄器、土器)を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申されました。これをうけて、わたしの講演会の正式名称は「出雲大社境内遺跡出土品重要文化財答申記念・発見10周年記念講演会」と決まりました。この講演会にはついては、21日の産経新聞に広報があったらしく、ある知人からこんなお便りが届いています。
今朝の産經新聞で、先生が四月三日古代出雲歴史博物館に於て宇豆柱發見十周年
記念として「出雲大社の建築考古學――掘立柱建築から見た神社本殿――」と
題する講演をなさる事を知りました。さりながら、此の日は、私が初回(平成三年)
の立上げから關はつて來た、袋川を挾む川内(かはうち)商店街と川外商店街との、
更には地元商店主のみならず廣く祭大好き人間の、氣持ちと行動の上での一體化を
象徴する大事な協働事業である「櫻祭」初日につき、缺席致します。
度重なる御無禮、寛恕賜り度く。
29日には正式な広告が山陰中央新報に掲載されると主催者から連絡があり、昨日、プロフィール等の情報をお送りしたところです。今回の講演は、いままさに校正のさなかにあり、5月中の出版をめざしている『出雲大社の建築考古学-山陰地方の掘立柱建物-』(同成社)の内容と昨年11月に復元した纒向遺跡大型建物の復元をミックスした内容になるでしょう。いったい両者になんの関係があるのか、不思議に思われるかもしれませんが、わたしが重視しているのは「庇」とその省略形としての「縁」です。庇や縁の有無によって、建物はどのようにイメージを変えるのか。それが神社本殿の成立とどのように係わっているのか、について独自の見解を示そうとするものです。この問題は、大国主命が国譲りの交換条件として要求する「天之御舎(アメノミアラカ)」や「天皇之御舎(スメラミコトノミアラカ)」の解釈とも関連してきます。まだ、パワポに手をつけていません。鳥取では、エアポート君が9本柱建物の復元図を複数描きつつあるはずですが、さて間に合うでしょうか? 入学式前日の講演だけに不安もあるのですが、多くの皆様のご来場をお待ち申し上げます。
出雲大社境内遺跡出土品重要文化財答申記念・発見10周年記念講演会 1.日時 2010年4月3日(土) 13:30~15:00
2.会場 島根県立古代出雲歴史博物館 講義室(定員100名)
3.講演者 浅川 滋男
4.演題 「出雲大社の建築考古学 -掘立柱建物からみた神社本殿」
- 2010/03/26(金) 00:00:38|
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2回目の
診療は24日だとばかり思いこんでいた。23日の午後、医院から電話がかかってきて、慌てて押熊へ。前回はおおざっぱな検査でしたが、今回は精密検査。うぅぅん、予想どおりです。「中期の初期」ってたら、考古学の編年みたいですが、ある症状の進行状況を示しております。これを元に戻すことはできません。現代医学では無理だそうですが、将来復元技術が開発される可能性がないことはないそうです。
いまのところ、これ以上の悪化を防ぐだけ。だから「
コア」に似ていると言ったのです
点眼薬は、毎夜、眠る前に一度だけさします。結構ヘビーな薬のようで、副作用がありましてね。最初のころ、目が真っ赤に充血してしまい、周囲から「どうしたの?」の連呼。仕方ありません。眼圧を下げるための副作用なのです。今回の計測では、きっちり眼圧が下がっておりました。眼圧を下げないと、視神経の破壊が進むのです。これから毎月一回、眼圧を測定していただきます。
そうそう、目薬をさらに二ついただきました。
奈良の自宅に一つ、鳥取の下宿に一つ、そしてモーバイル用に一つです。で、眠る前に必ず一滴です。
これをネガティヴにとらえてはいけない。患者の右目に比べればまだましだし、運転を禁止されたわけでもないんだから。いつもぎりぎりのところで救われています。ラッキーなんだ・・・
- 2010/03/25(木) 00:00:17|
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まさか金メダルまで!? 時の流れは速いもので遂に私も卒業となりました。
何かをつかみたくて大学に入学したものの先が見えないまま1年、また1年と時が過ぎていきました。その間、多くの人と出会い、別れ、経験をし、時には挫折し涙をながしたこともありました。それでも最後には笑って卒業することができました。多くの方との出会いがなければ、卒業研究を上手く進めることができなかったでしょう。浅川先生をはじめゼミの皆さん、魯班営造学者の皆さん、池田住研の皆さん、林業試験場の皆さん、中冶先生、タクオさん、本当にお世話になりました。皆様のおかげで金賞という大きな功績を残すことができした。卒業式に、学位以外の賞状を2枚、まさかの金メダルまでいただけるとはまったく思ってもいませんでした。多くの方が私に力をお貸しくださったおかげだと思っています。金賞を獲ったことで、少しではありますが、恩返しができたとすれば幸いです。皆様に深く感謝申し上げます。
じつは予定より裏木戸の施工が遅れており、まだ完成していません。なので、もう少し皆さんにはご迷惑をおかけすると思いますが、最後まで頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。最後になりましたが、今後は、まだまだ私は若いので色々なことに挑戦し、幸せをつかんでみせますので、温かく見守って下さい。(ガード=門脇史知)
4年間の軌跡 気がつけば、4年間という月日はあっという間に過ぎていきました。大学に入学して、初めて学ぶ建築という分野に不安でいっぱいでした。製図の課題やデザイン演習などで、何度も徹夜を繰り返し、締め切り前は学校に泊まりながらもひたすら課題に取り組んでいました。それでも徐々に大学生活にも慣れて楽しく大学生活を楽しんでいたように思います。
3年後期からASALABに所属してからも不安で一杯でした。ASALABは数ある研究室の中でも一番レベルが高く、研究室の先輩もとても優秀な人達ばかりで、自分はついていけるのだろうかと心配だったのです。所属が決まってからは一気に忙しくなり、気がつけば半年なんてあっという間に過ぎてしまいました。そして、4年になり研究室をひっぱる立場になると同時に卒業研究がスタートしました。卒業研究ではラストスパートで行き詰まり、ゼミのメンバーの力を借りてなんとか公聴会~展示会を乗り切ることができました。改めて御礼申し上げます。そして、この日を迎えられたのも浅川先生をはじめ、ゼミのメンバー、卒業研究の資料を提供していただいた県教委・市教委の方々、松岡先生のおかげです。本当にありがとうございました。
私は、4月から環境大学大学院修士課程に進学いたします。また、新たな気持ちで研究に取り組むとともに、一人の社会人、人間として大きく成長したいと願っておりますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。(アシガル=森 吉宏)
[卒業の言葉]の続きを読む
- 2010/03/24(水) 00:00:18|
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短い冬でしたね。20日(土)、卒業式と謝恩会を終え、春一番の大風に横揺れしながら、深夜の中国縦貫道を東行しました。17日の文化庁での発表会の後、気分が休息モードに入ってしまい、ともかくいったん休ませてくれ、と体が悲鳴をあげています。帰鳥後、約半年ぶりに「
極道」の「極」に浸って気分転換したんですが、奈良に帰っても、体がへたっているので、スロージョギングする気力が湧いてきません。
卒業式では壇上におりました。前日、「礼服」が必要だということに気づいて、家内に電話すると、スーツはあるらしいのですが、白いネクタイとハンカチとYシャツが鳥取の下宿にはないことが分かり、駅裏のジャスコまで買いに行ったんです。壇上にあがるとはこういうことであります。多くの先輩教授をさしおいて、壇上におるわけでして、壇を降りると冷やかされます。
「浅川さんがいちばん貫禄ありましたよ!」
「そりゃ、体重のせいでしょ・・・」
ほんと、秋まではあれだけ運動してそこそこ減量に成功していたのに、年明けからの寒さと忙しさのなかでまたリバウンドしちゃいました。体重計にのりたくない。卒業式の会場は大学の11講義室です(
入学式と同じ)。学科の学位授与式は30講義室。謝恩会は今年からホープスターに変わり、会費も500円とられることに。経費節減も分かりますが、せめて謝恩会の会場ぐらいは豪勢にしてあげないといけないんじゃないでしょうかね。来年はベルージュに戻してほしいものです。学生のためですよ!

今年はゼミ生4人がみな表彰されました。黒猫は卒業式で壇上にあがり、学科の学位授与式では全員が卒業研究で入賞して表彰され、ガードは建築学会中国支部からメダルまで頂戴して、ごらんのように、賞状だらけです。賞状もらえばいいってもんじゃありませんが、いつかこの勲章が人生のステップアップに役立つときがくればよいですね。
7期生の卒業生諸君、修士課程2年次諸君、卒業・修了おめでとうございます。
大学院社会環境学領域の二人の女子修了生には花束を頂戴しました。この場を借りて、再度御礼申し上げます。
みなさんの人生に幸あらんことを祈念しつつ。
[2010卒業・修了式]の続きを読む
- 2010/03/23(火) 00:00:07|
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文科省での報告会を終え、近くのエビスバーで慰労された黒猫とガードは、飛行機で鳥取にとんぼ返り。4年は卒業式が迫ってますからね。きっかわさんも翌日がバイトということで、高速バスにてやはりとんぼ返り帰鳥。一方、先生と院生2名は上野御徒町へ。東京・千葉に就職した研究室OBのホカノさん、西河♂さん、チャックさんを交え、関東支部同窓会の始まりです。
幹事はホカノさん。ぐるなびで検索した「みごち家」が会場。グルメなホカノさんの行き着け、というわけでないところがホカノさんらしいところです。会場まで案内するホカノさんと先生のやりとりが懐かしい。絶妙のボケとツッコミです。西河♂さんと先生の再開は、なんと5年ぶりだとか。熱い抱擁を交わしておられました。チャックさんもお酒が飲めるようになり、みな久しぶりの再開に笑顔がこぼれ、各々の近況や同期生のことについてなど話がはずみました。

話とともにお酒もすすみ、ほろ酔いの先生は、コンビニ業界に就職された西河♂さんに、コンビニ経営の話を根掘り葉掘り聞き出し、「東京組三人でオーナーになって儲けよう」と冗談なのか本気なのか分からないほど真剣な目つきでマーケットリサーチされてました。まさか本気ではないでしょうね。わたしたちを捨てて、コンビニ・オーナーに転身なんてこと・・・ついで、なぜかホカノさんの通勤鞄の中からインスタント味噌汁の詰め合わせが出てきました。よくみると某コンビニの商品です。なるほど、西河♂さんのことを愛してやまないのは相変わらずのようですね。手羽先の料理が出てくれば、先生はチャックさんに「おいチャック、手羽先焼いてこいよ!」という久しぶりのコメントも。今年4月からこのメンバーに黒帯くんが参入します。是非、彼にかわいがりを・・・、じゃなくて、彼を可愛がってやってください。
[ASALAB関東支部同窓会]の続きを読む
- 2010/03/22(月) 00:00:38|
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黒猫くんが文化庁で成果概要を報告した「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」の実績報告を掲載します。
(1)事業名称等 【事業名称】 セルフビルド&ゼロエミションによる民家の持続的修復
【事業団体】 鳥取古民家修復プロジェクト委員会
【活動を行なった文化財の名称】 登録有形文化財「加藤家住宅主屋」
【活動を行なった文化財の通常時の利用状況】 ゼミ・研究会・音楽会・修復活動など
【事業経費】 999千円
(2)事業の目的 2006~07年度に県・市等からの研究助成・事業助成を受けて加藤家住宅の修復に係わる本委員会の活動が始まった。学生が加藤家住宅主屋に居住しつつ調査・設計・施工補助に携わり、施工は鳥取県木造住宅推進協議会に所属する工務店が請け負って基礎・軸部・屋根の修復を完了させた。学生主体の活動としては、2006年度に「イロリの復原」、2007年度に「ロフトのアトリエ化計画」を進めた。前者は屋根裏で発見された自在鉤を再利用した復原、後者は廃棄家具・中古家具の補強・修復によるアトリエの計画であり、床下でみつかった梯子を手摺りにリサイクルした。修復活動のほか、ゼミ、シンポジウムやギター演奏会などにも民家を利用してきた。
2009年度はほとんど手つかずの状態になっていた内装工事を、一般市民・学生がボランティアでおこなう部分と職人に任せる部分に役割分担し、修復を進めた。日々の修復活動こそが民家の「活用」「管理」であり、とりわけ市民公開の修復ワークショップを開催することで、修復への市民参加と民家の活用を促し、文化財建造物に対する愛着を深めることをめざした。修復活動では以下の4点をとくに重視している。
()ローコスト修復とセルフビルド ()材料のオーセンティシティの維持
()材料のリユース&リサイクル ()一般人と職人の役割分担と交流
(3)事業活動の内容1.石造カマドの復原: 2006年度工事の際、解体され庭に放置されていたカマド・パーツや土台
を学生主体で復原した。洗浄・写真撮影後、カマドパーツに番付して略測などの基礎調査
をおこない、全パーツをデータベース化した。そのデータに基づいて、土器を復元する
ようにカマドを復原して、土間の当初位置に設置した。完成したカマドでは、
プロジェクト研究で蕎麦作り、第2回公開ワークショップでは昼食の芋煮を作り、
活用した。
2.小舞壁の土塗り:
【事業名】 第1回公開ワークショップ-左官工程-
【開催日時】 2009年8月27日 【場所】 加藤家住宅主屋
【目的】 荒壁塗体験 壁土作り 【参加者】 市民、学生、左官職人など40名
【実施団体】 鳥取古民家修復プロジェクト委員会
【事業内容】 塗り残されていた妻壁内側など数ヶ所の左官工程を実施。7月下旬から塗土の
準備を進めた。2006年修理時に土壁を剥がして保管しており、その旧壁土に新しい土・
砂・藁を混ぜて養生・発酵させた。ワークショップでは左官職人の指導の下、一般市民
・学生が土練りと荒壁塗りを体験。
3.建具の再設置:
【事業名】 第2回公開ワークショップ -建具の修復と納まり-
【開催日時】 2009年10月18日 【場所】 加藤家住宅主屋
【目的】 建具の修復 軸部構造補強の検討 裏門の復原設計の検討
【参加者】 一般市民、学生(含県外)、大工、建具師、表具師など47名
【実施団体】 鳥取古民家修復プロジェクト委員会
【事業内容】 2006年に柱を一本一本ジャッキアップし、根継・土台の差し替え・柱の
傾斜矯正・土台の差し替えなどをおこなった結果、敷居-鴨居の内法寸法が
伸び縮みし、建具寸法とあわなくなった。このため、建具の框に打物をしたり、
框を削ったりして敷居-鴨居内に納まるよう修正した。建具の打物や削りは
大工職人と建具職人が担当し、一般来場者はその技を見学。また、一般来場者は
表具師の指導の下、古い襖の表装張替え、障子紙の貼り替えをおこなった。
このワークショップでは文化庁の西山調査官と文建協の安田主任技師も参加され、
建具修復・軸組構造補強・裏門復原設計に関する意見交換をした。
4.軸部の構造補強: 加藤家住宅の場合、建物全体が半時計まわりに回転する「癖」が
2006年修理前からみとめられていたが、軸部矯正後に座敷側で再発していること
が判明。この回転に抵抗するため、第2回公開ワークショップで裏側の納戸に
構造用合板を用いて箱状の構造体を設けるべきとの結論に至った。その後、
ただちに実施設計に着手し、施工を12月中に終えた。なお、背面側とはいえ、
合板による構造補強部分は無粋であり、縁の廊下側から補強がみえないよう
配慮した。西側は現状の4枚障子の内側に半柱を立てて内側に納め、障子を
あけると押入状の収納スペースを使えるようにした。南側の合板は鴨居・敷居
を縁側に出すことで補強前と同じ外観を継承するようにした。この合板を用いた
安価な補強によって回転癖が抑制されることに期待している。
5.発掘調査に基づく裏木戸の復原: 加藤家住宅の裏木戸(裏門)は現存しないが、2007年度
の石垣修復時に発掘調査をおこない、平面の復原を済ませている。今年度は近隣の類例
を調査し、学生が上部構造の設計・施工を自主的に進めた。材料は2回のワークショップ
のために購入した木材の余材などを再利用したが、大きな部材(柱や棟木など)は購入
せざるをえなかった。大工の指導の下、本格的な部材加工・組み立てを進め、
3月中旬に竣工。
[実績報告(Ⅶ)-文化庁「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」]の続きを読む
- 2010/03/21(日) 00:00:38|
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3月も半ばが過ぎ、ついに、ついにこの日を迎えてしまった。
「NPOによる文化財建造物活用モデル事業」の報告会です。昨夜から緊張し、ぐっすり眠れませんでした。
朝7時半の飛行機で鳥取空港を出発し、上京。国内線にのるのは初めてなものですから、緊張しましたよ。経験のあるガードくんが輝いて見えました。東京訪問は2年ぶりだな、と3年次夏休みの
インターンシップに想いを馳せました。嗚呼、あのころは若かった・・・
事業報告会の会場は、虎ノ門の文部科学省第2講堂。文化庁が占拠しているフロアです。時間は午後1時半から4時半まで。報告は事業に採択された12団体が8分ずつ(委員講評を含めて10分)。この短い時間内に、事業の目的、内容、成果、課題、今後の展開を盛り込まなければなりません。
わたしは鳥取古民家修復プロジェクト委員会学生代表として、全12団体中10番目に発表しました。サポート役が先生で横にどかんとお坐りなっているという構図がおわかりになるでしょうか。客席には鳥取から夜行バスでかけつけた院生2名ときっかわさん、そしてガード君がいます。その他来場者は約80名で、文化庁側の出席者と委員をあわせれば100名ちかい方がわたしのスピーチを聴いてくださったことになります。8分は短いと思っていたのだけれど、他団体の発表を聞いているときは、ずいぶん長く感じました。その後の講評も長い。長い講評に対して反論をする時間がないことに発表者側はストレスを溜めているようにも見受けられました。

いざ、自分の順番になると、緊張で手が振るえはじめました。1~2年前に先生が六弦倶楽部の練習会で「足が震えてギターが上下に振動する」と言われていましたが、今日はその気持ちがよく分かりました。嗚呼、エンターキーを押してるつもりなのに押せてない。ノミの心臓なのです・・・途中ミスもあり、さらにあわてる私。なんとか発表が終わって、講評をいただきました。いきなり、わたしたちの申請の採択可否が委員会で大激論になったことを教えられました。まぁ、そうでしょうね。他のNPOは純粋に文化財の「活用」をテーマにされていますが、わたしたちの場合、「セルフビルド&ゼロエミションによる民家の持続的修復」という題目が示すように、「修復」をテーマにしています。しかし、「修復」こそが「活用」であり「管理」であるという信念をもって、この1年間、公開ワークショップなどのイベントを開催してきたのです。講評担当の委員からは「可能性を感じる」「実質的な事業で面白い案件だ」と高い評価をいただきましたが、最後に「あまりローコスト、ローコストと叫びすぎないように」というご注文もいただきました。これについては、あとで先生が委員長にご挨拶にあがられた際にも同じコメントをいただいたそうです。たしかに、今回の発表ではローコストを強調しすぎたかもしれませんが、わたしたちの説明不足が「偏見」を生んでいるような気がして仕方ありませんでした。
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- 2010/03/20(土) 00:09:00|
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16日、ヒアリングの直前に御所野縄文博物館の高田館長から電話が入った。訃報であった。林謙作先生が亡くなられたとのこと。葬儀の情報はFAXでお送りいただくことになり、わたしは東京のホテルで弔電を打った。高田さんは18日の葬儀に参列されるとのこと。
林謙作先生(72)は、元北海道大学の教授で、縄文考古学の第一人者。御所野遺跡の整備委員会委員長で、あの遺跡の整備をコントロールされた方である。だから、御所野での想い出ばかりが残っている。それも、夜の酒席での想い出が大半を占めるのだが・・・
破天荒な研究者であった。この点、故江口一久先生とよく似ている。話し出したらきりがないほど、酒にまつわる逸話が残されいるし、わたしはそれを目の当たりにもした。そんな酔っぱらいの姿とは対照的に、文章はいつも瑞々しかった。『季刊考古学』に連載されていた縄文考古学の連載を初めて読んだとき、名前も素性もよく知らなかったので、大学院生が書いた文章なのか、と思ったほどだ。すでにお歳を召されていたが、研究に対する純粋な気持ちをずっと失われていないことをその文章が訴えてくる。実際にお目にかかってみると、なかなか素っ頓狂なお顔をされていて、ちょっと面食らってしまったが、純粋な反骨精神の持ち主であるのは予想どおりであった。
このような研究者は減っていく一方だ。ほんの少し前まで、あちこちの大学にこういう名物教授がいたものだが、いまは、さて、だれがそうなのか。管理は個性を潰してしまったのか。
林先生には「反骨精神」という言葉がとてもよく似あう。世俗のことには無頓着で、地位や名誉にもこだわらない。管理職に就くのを嫌い、歳をとっても好きな研究に打ち込む。
そうありたい。そうでなければいけない。いつのまにか管理職に身をおいて、気づいたら会議だらけの日々が過ぎていく、そんな自分になりたくない・・・なってはいけない。他人の人事を管理し、人の一生を左右するようなタクトを振るう人生とはおさらばしなければ。
林先生の想い出に浸りながら、そんなことばかり考えている自分に、ふと気がついた。
謹んで、林謙作先生のご冥福をお祈りいたします。
- 2010/03/19(金) 00:00:51|
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スナイパーガード 3月3日~10日、いよいよ待ちに待った本組みに突入しました。
3月3日(水)3月4日(木)。柱と礎石を寸切りボルトで接合するための孔をドリルと角ノミを使い加工しました。今回も道具をN先生にお借りした上での加工です。まず、角ノミを使い柱に孔をあけます。これは、寸切りボルトを締めるための六角ボルトと座金を入れる孔です。以前の木材加工で角ノミを使っているのでスムーズに作業が進みました。しかし、角ノミを使った後の微調整に時間がかかりました。角ノミは削りが粗いので、ノミを使い微調整をしなければなりません。以前の作業でもこの調整にものすごく時間がかかった記憶がよみがえります。しかし、この作業に手抜きはできません。手を抜けば最後の埋め木で苦労をするのです。せっせ、せっせとノミを使い調整をしていきました。ようやく調整が終わると外は暗い・・・。苦しくも作業を1日で完了できず。

4日は3日に出来なかった寸切りボルトを柱に通すためにドリルを使い柱の底に孔をあけました。この作業では3人1組でおこなわなければ真直ぐな孔を正確にあけることができません。そのため、前日にあらかじめ練習をおこない準備は万全です。早速私がドリルを持ちスタンバイ。縦方向をN先生、横方向をナオキさんが担当しスイッチをオン。少しずつドリルで削っていくのですが、少しでも中心からずれるとすぐさまN先生とナオキさんから「左」「少し下」などの指示が飛びます。私はそのとおりに修正していきます。この時、私はスナイパーガードと化して、柱の底を狙い打っていくのです。ここでアクシデント発生。同じ体勢で力を入れていたので、私の体が悲鳴をあげはじめました。しかしそこはスナイパーガード、我慢です。4本連続貫通させた時には私の体はボロボロでした。しかし、これで本組の準備が完了です。N先生、ありがとうございました。
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- 2010/03/17(水) 00:00:14|
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アシガル君の卒業制作「鳥取城三ノ丸高等学校-史跡と共存する校舎の設計-」が学科賞
銅賞に輝き、『近代建築』誌の2010卒業設計作品集掲載が決まったことはすでにお知らせしたとおりです。今日が原稿提出の〆切日でしてね。3月15日の消印有効。わたしも指導教員として推薦文を書きました。以下に転載しておきます。
推薦文鳥取城下町の北端に聳える久松山。戦国時代から江戸時代の城山である。
いまは山の全域が国の史跡だ。その三ノ丸跡地に県立高校が建っている。
わたしの母校である。鳥取一中時代からすでに130年の歴史をもつ
県立高校の敷地が史跡(文化財)になって50年。校舎の再建計画が
もちあがった。高校側は現地再建、文化財保護審議会は移転を主張し、
譲らない。
再建か移転かの論争が露呈したのは、半年前のこと。
森吉宏くんは、さらにその半年前から「鳥取城三ノ丸高等学校」
の構想を練り始めていた。その副題に示すように、
三ノ丸高等学校プロジェクトがめざしたのは
「史跡と共存する校舎の設計」である。
史跡を文化財として保全しながら活用する媒体として
高等学校のキャンパスをかれは位置づける。
そのキャンパスは、遺跡博物館と史跡公園の複合体でもある。
緑溢れる久松山麓で歴史を体感しながら
高校生活をおくる後輩たちの姿が目に浮かぶ。
森くんの提案に共感する市民が増えないだろうか。
日々念じて生きている。
- 2010/03/16(火) 00:00:21|
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忙しくて、ブログなんて書いてる場合じゃありません。また校正マシーンと化しています。とりあえず、遅れに遅れていた黒帯の紀要論文を直してましてね・・・あぁぁ、ブログネタがなんぞないかい、と捜していて思い出した。リクルート進学ネットの研究室紹介の記事が3月4日にアップしてたんです。いま初めて覗いてみたんですが、恥ずかしいねぇ。「
ボツになった写真」よりはマシだけれど、以下のサイトにウクレレおじさんの写真がでかでかと掲載されております。
http://shingakunet.com/net/sensei/detail/SC003334/9000275244 メッセージの見出しを「ロング・アンド・ワインディング・ロード」にしたんです。いい曲だよね。カラオケでよく唱いましたね。ビートルズ終末期の秀作。そういえば、学祭のビートルズ・メドレーでも演奏したんだ・・・長くて曲がりくねった道・・・夢をかなえて生きていける人間なんて一握さ。でも、長く曲がりくねった道の果てに心地よい居場所が待っているかもしれない。回り道もわるくない。好きだと思うことばかりに熱中せずに、寄り道することで大きな視界が開けることだってあるんじゃないかい・・・
でも、まずいかな? こんなこと書いたら、みんなフリーターになっちまうかもしれない??
- 2010/03/15(月) 00:00:45|
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年度末でして、毎日たくさん書類を書き、会計の整理をしております。なんか、ほんと滅茶苦茶な状態なんですが、とりあえず「実績報告」シリーズの2009年度第1弾はとっとり「
知の財産」活用推進事業から。あ~ぁ、あと何本書くのかな・・・
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2009年度とっとり「知の財産」活用推進事業
研究題目 「セルフビルド&ゼロエミッションによる古民家の持続的修復」
【事業経費】 999千円
2006~07年度に県・市等からの研究助成・事業助成を受けて加藤家住宅の修復プロジェクトが始まった。2009年度はほとんど手つかずの状態になっていた内装工事を、一般市民・学生がボランティアでおこなう部分と職人に任せる部分に役割分担し、修復を進めた。日々の修復活動こそが民家の「活用」「管理」であり、とりわけ市民公開の修復ワークショップを開催することで、修復への市民参加と民家の活用を促し、文化財建造物に対する愛着を深めることをめざした。修復活動では以下の4点をとくに重視している。
(Ⅰ)ローコスト修復とセルフビルド (Ⅱ)材料のオーセンティシティの維持
(Ⅲ)材料のリユース&リサイクル (Ⅳ)一般人と職人の役割分担と交流
今年度おこなった活動は「石造カマドの復原」「小舞壁の土塗り」「建具の再設置」「軸部の構造補強」「発掘調査に基づく裏木戸の復原」の5工程で、とくに重要な位置を占めるのは「建具の再設置」と「軸部の構造補強」である。2006年に柱を一本一本ジャッキアップし、根継・土台の差し替え・柱の傾斜矯正・土台の差し替えなどをおこなった結果、敷居-鴨居の内法寸法が伸び縮みし、建具寸法とあわなくなった。このため、建具の框に打物をしたり、框を削ったりして敷居-鴨居内に納まるよう修正した。このような不具合の根幹にあるのは、建物全体が半時計まわりに回転する「癖」である。その癖は2006年修理前から認められていたが、軸部矯正後に座敷側で再発していることが判明。この回転に抵抗するため、納戸に構造用合板を用いて箱状の構造体を設けた。背面側とはいえ、合板による構造補強部分は無粋であり、縁の廊下側から補強がみえないよう配慮した。西側は現状の4枚障子の内側に半柱を立てて内側に納め、障子をあけると押入状の収納スペースを使えるようにした。南側の合板は鴨居・敷居を縁側に出すことで補強前と同じ外観を継承するようにした。この合板を用いた安価な補強によって回転癖が抑制されることに期待している。
現在は加藤家住宅の修復活動4年間の成果を整理し、ローコスト修復のエッセンスをまとめた『古民家ローコスト修復ハンディマニュアル』(B6版24頁2色刷)を印刷・校正中。どこにでも持ち歩けるポケット・サイズで、イラストを多用した一般向けのマニュアルである。マニュアルの留意点は、①文化財としてのオーセンティシティを維持するということはどういうことなのか、②オーセンティシティを維持しながら、民家をローコストで修復するにはどのような方法があるのか、③プロの職人とアマチュアの役割分担をどうすべきなのか、の3点。刊行後は、関係諸機関や古民家所有者に無料配布する。また、pdf形式でのネットからの配信もおこなう。こうすることによって、県内過疎地での古民家修復に悩んでいる方々を支援し、また地方にIターン・Jターンして「田舎暮らし」を始めようとしている方々に刺激を与えたい。
- 2010/03/14(日) 00:00:53|
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またしても、
命をかけて峠を越えましたよ。深夜の志戸坂道路は途中まで順調だったが、あらら、車が渋滞している。事故だった。上りも下りも車のスリップによる玉突き。対面に車を停めている男性に事情を聞いた。
「つるつるなんです。ひどい玉突きで、まだ危ないですからね。
後ろから追突されるかもしれませんよ」
というので、しっかりサイドブレーキを効かせて車を降りてみた。道路は湿っている。全然滑らない。上手の車をみにいこうと歩き始めたところ、道路はつるつるに変わった。残雪が路面にひろがり、スケート場のようになっている。何度もすべりそうになった。2台前にいる先頭の車は180度回転して、正面がぐしゃぐしゃ。もちろん、警察には通報済みだという。
わたしの後ろに車を停めたトラックの運転手さんも次々路肩に降りてきて、様子を見極め、「仕方ないから引き返そう」という。かれの分析はじつに的確だった。
「ほらっ、ここで路面が変わっているでしょ。こっちは氷がなくて、あっちはアイスバーン。
この先が高架になってるんですよ」
「・・・地熱ですか」
「そうそう」
「地道は走りにくいでしょうかね」
「いや、気温は1℃だからね、地道は凍ったりしてしてないですよ」
ということで、わたしを含む3台の車はトラックの運転手さんの導きに従い、いったんパークエリアまでバックで戻ってから対向車線に移り、地道に降りた。たしかに道路は凍っていなかった。しかし、気温を示す電子掲示板は-5~-3℃まで下がっていて、用心に越したことはない。ゆっくりゆっくり峠を下りていった。
峠越えが深夜になることは分かりきっていたので、昼下がりに河原の「道の駅」に行ったのだが、大根が1本もない。すでに「時期が過ぎてしまった」のだという。大根や蕪の消えた「道の駅」はなんとも殺風景だった。そこに、少し季節はずれの金柑を発見。1袋250円もしたが、一念発起、奮発して2袋買った。
じつは「
金柑ジャム」というサーチワードが先月から増えていましてね。「拍手」はあまりもらってませんが、前回アップした記事は結構読まれている模様。
帰宅して、すぐにジャムをつくろうとしたのだが、今日はグラッパも白ワインもない・・・そうだ、赤ワインで試してみよう。調理しながら、「なにかに似ている」と思ってたんですね。あっぁ、サングリアだ。最近、ジョギングのあとによく飲むんです。バルセロナで覚えた味。赤ワインとオレンジ・ジュースを半々で割って、レモン汁(わが家ではシークワサ汁)を絞って、レモンの輪切りを浮かべるだけ。シンプルで爽やかなカクテル(食前酒)でして、ジョギング後の疲労を和らげてくれます。サングリアにおけるオレンジジュースを金柑に代えて煮込んだらジャムになる。ピングレのソースに金柑が浮いているようなジャムになりました。名付けて「金柑ジャムのサングリア風」。
目覚めてから、カリカリのトーストにつけて食べるのが楽しみ、たのしみ・・・
- 2010/03/13(土) 00:00:04|
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今日(10日)は久しぶりに浅川ゼミ全員でお食事に。居酒屋「ほたる」で4年生の送別会が行われました。今までずっと一緒だった先輩方が卒業してしまうのはとても寂しい……。
さて(笑)、今回は送別会という事で主役はもちろん4年生。なのに何故3年の私がブログを書いているのか…それは私がお酒を飲んでいないからです!
今夜の主催はアシガルさんでした。なぜならば、アシガルさんはスローソックスのキャプテンだからです。アソックス対スローソックスの
通算成績は、結局5勝2敗(得失点差13)のままでした。じつは10日の昼に最後のガチンコ・デスマッチ・プレーオフをおこなって雌雄を決しようとしていたのですが、生憎の天候と先生の会議の嵐で中止。負けたほうが年度末に「奢る」という規定にしたがい、スローソックス負担の送別会となりました・・・なんちゃって、ホントのようなウソですよ、もちろん。
さてさて(笑)、「お酒は飲んでも飲まれるな」とは良く言ったものです。今夜も皆は飲み放題のお酒で上機嫌。
「中国の毛沢東シュセキっのシュセキはね、首席じゃなくて、朱徳将軍がなんちゃら・かんちゃらで朱席って書くんだよ」と先生が冗談話を始めれば、ガードさんの口から「黒帯プレイボーイ騒動」なんて暴露話も! まるでブラックマヨネーズの漫才のようでした。黒帯さんが「ガード、黙れ!」と叫ぶなか、ガードさんは「日赤の美代ちゃん」などの暴露話を繰り替えすのです。美代ちゃんって、先生の奥さんと同じ名前じゃないですか。日赤の美代ちゃん、お元気ですか。黒帯さんの携帯アドレスはIWGP-sunshineです。たまにはご連絡ください!! なんちゃって・・・あーあと思いながらも、楽しくお酒を飲む皆を羨ましくも思う下戸の私でした。
2次会はうどんの「味蔵」へ。でも、先生は消えてしまいました。行先を知っているのはタクオさんだけです。うどんを食べ終わっても合流されないので、先生に電話されたのですが、なにやらただならぬ雰囲気??で、ロールケーキがなんとかかんとか、ハニーキッチンがなんちゃらかんちゃら・・・まったく帰って来られる気配がなく、わたしたちも解散しました。
4年生の皆さん、本当におつかれさまでした。
では、今日のブログは武内が……と締めたいのですが、前回のブログでネームを変えると宣言したので、今日から「武内」改め「Highlander」(HL)に改名致します。私の実家は、久松山と同じ標高なのです。だから「Highlander」。分かり易いでしょ?(3年 HL)
[酒は飲んでも飲まれるな -お疲れ様4年生-]の続きを読む
- 2010/03/12(金) 00:00:33|
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眼科に行ってきました。
自覚症状を察知したのは3週間ぐらい前でしょうか。
みんな医者に行け、というのですが、やっぱりちょっと怖いので、
まずは「めがねのミキ」へ。
二つめの遠近両用眼鏡を作ったのが1年3ヶ月前のこと。
あのとき何の異常もなく、両眼ともクリアだったんです。
3週間前に片眼を閉じたらおかしい、と思い始めた。
忙しかったからかな・・・例年の3倍か5倍でしたね、この1年。
なんども教員室で夜を過ごしました。
「すきや」で夕ご飯を食べて、教員室で眠って、目覚めて
「すきや」で朝ご飯を食べて・・・
少しブレーキをかけないといけません。
そういう信号じゃないだろうか。
[点眼薬]の続きを読む
- 2010/03/11(木) 00:00:59|
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高校向けの「出前授業・遠隔授業」のメニューを更新したので、お知らせしておきます。昨年、一昨年と不出来でしたが、今年は必ず高校生向けにパワポのバージョンを作成しなおして臨みますので、よろしくお願いいたします。高校以外の一般的な講演にも出向きますので、気楽に声をかけてください。もちろん講師は浅川です。
まずは、演題と対応科目の一覧をお示ししましょう。
1.天空の神殿
-出雲大社の起源と変容-
【関連する高校教科】 日本史、建築
2.弥生時代の住まいと建築
-青谷上寺地遺跡の衝撃-
【関連する高校教科】 日本史、建築
3.大陽の宮殿
-推定「卑弥呼の館」をめぐって-
【関連する高校教科】 日本史、世界史、建築
4.ローコストによる古民家修復プロジェクト
-登録文化財「加藤家住宅」のあゆみ 2006~2009-
【関連する高校教科】 日本史、建築、美術
5.わたしの世界遺産構想
-大山・隠岐・三徳山-
【関連する高校教科】 日本史、世界史、地理、建築、美術、生物、地学
6.船に住む人びと
-東方アジアの水上居住と文化的景観-
【関連する高校教科】 地理、世界史、建築、造園・景観
7.鳥取城三ノ丸高等学校プロジェクト
-史跡と共存する校舎の設計-
【関連する高校教科】 日本史、建築、造園・景観
各演題の概要は「続き」に掲載しておきますので、ご参照ください。なお、出前講義・遠隔講義の依頼は本学企画広報課にご連絡ください。
[H22年度「出前授業・遠隔授業」のメニュー更新!]の続きを読む
- 2010/03/10(水) 00:00:16|
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3月6日(土)。「学生と考えるとっとりのまちづくり」の意見交換会に参加してきました。2009年度の研究助成をうけた鳥取県内外の学生たちがまちづくり活動についておこなった調査研究などの成果を発表し、関係自治体の職員等と意見交換する催しです。
次第
12:30 開場
13:00 開会・挨拶
13:05 学生による調査研究発表(各20分)
1.信原 優子(京都大学大学院地球環境学舎環境マネジメント専攻地球資源計画論分野M2)
「地下(じげ)のもん のための地域づくり
-大山町における耕作放棄地問題に対する聴き取り調査より-」
2.島田 宝明(鳥取環境大学環境情報学部環境デザイン学科4年)
「茅場から考える地域の活性化-若桜町舂米の場合-」
3.大給 友樹(鳥取環境大学環境情報学部環境デザイン学科4年)
「石窟寺院への憧憬-岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-」
14:05 質疑応答
14:15 新たなまちづくり芽生え支援補助事業の発表
4.山村 典子(琴ノ浦まちおこしの会)
「白鳳の郷地域活性化協議会の取組への支援」
5.森 布代(特定非営利法人ラーバンマネジメント)
「鳥取市湖山池周辺での取組」
14:55 質疑応答
15:05 休憩
15:15 意見交換会
・学生3人、まちづくり団体2団体
・関係市町村: 大柄裕(大山町役場)、松原照宗(三朝町役場)、
大賀靖浩(琴浦町教育委員会)、山本博久(鳥取市役所)
16:30 終了
開会の挨拶の後、さっそく学生たちの発表が始まりました。一番手は京都大学大学院修士課程の方でした。大山町の耕作放棄地問題に関する発表だったのですが、島根県の事例も絡めて地域農業の直面する問題点について熱く語っておられました。私は、これまで他大学の学生の研究発表をあまり聴く機会がなかったのでとても新鮮でした。
続いてASALAB論文組を苦しめた、噂の「
黒眼鏡」くんの発表です。彼は慣れた手つきでレーザーポインターなどを駆使し会場の関心をつかんでいました。若桜町舂米を茅場から考えて地域の活性化するための方法を研究していたのですが、公聴会での研究発表にさらに手を加えて厚みのあるものになっていました。
前半の二人だけで、すでに予定の時間を20分オーバー。熱のこもった発表が続いてきたので、私も負けてられません。今回発表するのは、公聴会と大山・隠岐・三徳山シンポジウムで発表した「石窟寺院への憧憬-岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-」です。ただし、世界遺産登録に触れてほしいという要望を受け、教授の講演「複合遺産としての大山・隠岐・三徳山」の一部を抜粋・補充して紹介しました。
[学生と考えるとっとりのまちづくり]の続きを読む
- 2010/03/09(火) 00:00:37|
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2月24日の短い記録「
うららかな平城宮」の文末に、「ヨナと真央とロシェットの戦いに溜め息が漏れた一日でもありました。さんざん愚痴をこぼしたプルシェンコとは対照的に、不平不満を言わない真央に脱帽。見習わないといけませんね」と書いた。バンクーバー五輪フィギュアスケート・ショートプログラムのジャッジはだれもが仰天するほど不公平な結果であり、激昂したのはタラソワ・コーチだけではない。家中に落胆がひろがり、その余波は娘と友人たちのメールを介して全世界に波及していった。あの日の、あの不信感をいまも忘れることができない。その悔しさを抑えようとして書いたわずか2行の文章に強烈なコメントが入った。「通りすがりですが・・・」と題する拍手コメントなので、ブログの表側には出ていない。以下に引用しておこう。
一スケートファンとしては、こういう記事を拝見してしまうと残念です。プルシェンコの戦い
については語ると長くなるので止めておきますが、日本のマスコミの恣意的な「潔くない」
「負け犬」報道にどうか惑わされないで下さい。この数年採点のオカシさは、選手もファンも
ずっと心に秘めていて悶々としていたことなのです。(選手は特に下手に発言すると審判の
心象が悪くなるので何も言えないんです)一般にどう思われていても、プルシェンコは
その才能と功績においてフィギア界では圧倒的な地位にいます。だからこそああやって発言を
してくれているのです。彼は数年前から今の採点のあり方にずっと疑問を呈していました。
勇気ある一部の選手も。けれどそれらの声が届くことはありませんでした。今のスケート界は、
一旦現役から退いていた彼が3年経って復帰して、「今までの栄光ともしかして引き換えに
なるかもしれない状況になってでも、現役として同じ土俵で言わなければならない」ほど、
深い闇の中にあるのです。やり方に疑問がある方もイルでしょうが。彼は自分のメダル云々より、
これからのフィギア界のために戦っていること。それだけはわかっていただきたいです。
トリノ五輪でプルシェンコの演技をみたとき、フィギュアスケートの世界でただひとり四次元にいるアスリートだと実感した。こんな選手は2度と出てこないだろうし、五輪連覇は確実だろうとも思った。予想どおり、プルシェンコはバンクーバーの半年前に復帰してきた。結果は銀メダルだった。4回転を2回成功させたが、着氷にぶれがあり、ステップにも4年前の切れがない。プルシェンコは3次元世界に舞い降りて技を競い合っていた。もっともっと高い異次元の世界で滑っていた鉄人がライサチェクごときに敗れるなんて・・・しかし、上のコメントにみるように、プルシェンコがこの世に戻ってきたのは「暗い闇のなかにあるフィギュア界」にもの申すためだったとしたら、むしろ「銀メダルに終わった」という事実が大きな意味をもつことになるかもしれない。
[プルシェンコの戦い]の続きを読む
- 2010/03/08(月) 00:00:53|
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奈良に帰る途中の「道の駅」で根菜類を買うのが楽しみな冬だった。河原の「道の駅」には農家の主婦が手作りした柚味噌も売っている。そこで1本100円の大根や1袋100円の蕪をたんまり買って帰る。帰宅するや否や・・・調理にとりかかります。ふろふき大根が大好物なのです。レシピはシンプルそのもの。土鍋に水をはって出汁昆布を投げ込み、皮を剥いた輪切りの大根を水に浸して煮込むだけ。赤蕪、白蕪、ひのなは浅漬けに。浅漬けの必需品が昆布茶です。細かく刻んだ根菜と菜っ葉に塩を少々、昆布茶を多めに振りかける。これだけでもかまいませんが、さらにレモン汁(我家ではシークワサー汁)と柚唐辛子を添えて手もみし、漬物石で重みを加えれば完成。すぐに食べたってサラダ感覚で美味しいし、一夜おけば市販の浅漬けに負けない味に仕上がっています。
浅漬けを作りはじめてから、あることに気付いたんです。漬物は皮の部分が多いほうが美味しい。その一方で、ふろふきにする大根の皮を捨てるのがもったいないからきんぴらにしようかとも思い始めていのですが、発想を切り替えました。大根の皮を浅漬けにすれば良いのです。これは大当たりでしたね。ふろふき用の大根の皮を剥くとき、少し厚めに剥いておく。その皮を2センチ角ぐらいに切り分けて昆布茶の浅漬けにすると、じつに美味い。ひのなや蕪やよりも歯触りがよいのです。出汁の味が染みにくいので、ぱりぱり感がずっと消えません。家族に大変評判のよい漬物になってしまいました。
ふろふきは「道の駅」で買った柚味噌で食べます。ここで要注意。柚味噌は「道の駅」に出品する農家の主婦によってかなり味が違うのです。ここだけの秘密にしてほしいのですが、赤味噌系の柚味噌が美味しく、白味噌系のそれはいまひとつです。柚を混ぜた赤味噌は豆腐やじゃこてん、葱などともよくあいます。
さて、みなさんはお気づきでしょうか。ふろふきの煮汁は得も言われぬ甘みをもっているのですよ。この煮汁でつくる雑炊はほのかな甘みのある上品な味に仕上がります。雑炊の出汁には鶏肉や豚肉を使った鍋の残り汁でないと駄目だと思っている方は、騙されたと思ってふろふき煮汁で雑炊を作ってみてください。
かくしてわが家の食卓には、大根のふろふき、大根の皮と菜っ葉の浅漬、ふろふき煮汁のリゾットが並ぶのです。1本100円の大根のなにからなにまで使っちゃうわけです。なんとも経済的かつ健康的な食卓であり、老後まで持続するメニューとなるのは間違いないでしょう。
昨夜は中国道の赤松パークで仕入れた辛み大根で蕎麦を食べました。辛み大根も一袋100円です。辛み大根は山葵に近い大根だと思ってください。なかなか手に入らないですよ。辛くて辛くて大変ですが、胃腸のすべてを洗浄してくれるような食材ですね。タカジアスターゼのかたまりなのかな? 辛くても辛抱して食べたほうがよいですよ。蕎麦をたいらげたあとの残り汁に蕎麦湯を注いで飲むと辛みが消えるので、そこまで味の変化を楽しみましょう。
そうそう、ラディッシュの間引き菜も一袋100円でした。胡麻酢味噌のおひたしにすると抜群ですね。焼酎が進んでしかたない。それが玉に傷なんです。
- 2010/03/07(日) 00:00:59|
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2009年度卒業研究受賞作決定 思いも寄らぬ結末が待っておりました。
3月2日の学科会議で長い時間をかけ、建築・環境デザイン学科卒業研究の受賞審査をおこないました。まずは制作部門から。得票では上位2名が他に圧倒的な差をつけており、簡単に金・銀が確定すると思われたのですが、ここでわたしの発言が波乱を巻き起こします(何を主張したのかは話せません)。3位以下は3票が6名。このなかにガードの「さおびきどっこ」も含まれておりました。まずはこの6名に対して2票ずつ投票することになりました。ここで次々とガードに票が集まり、予備選を第1位で通過。予備選の上位3名に1・2位を含めた5名での決戦投票に移行しました。ここでも一人2票での投票です。なんとガードは再び票を集めて衝撃の第1位、アシガルの「鳥取城三ノ丸高等学校」も3位に輝きました。ほんとうに驚きましたね。ガードは投票数3票から一気に金賞に駆け上がったのです。これまでの慣習では、金賞の作品は「日本建築学会卒業設計展全国巡回展」に出陳されることになっているのですが、ガードの作品はそれにふさわしくないということで、2位の作品(銀賞)にその権利が与えられました。銅賞のアシガル作品は『近代建築』誌の卒業設計特集に掲載されます。ガードの金賞作品については、建築学会中国支部の卒業設計展示会に陳列されることになりました。もちろん本物の裏木戸を会場に持ち込めるはずはなく、パネルと模型の展示となるでしょう。
論文部門も熾烈な戦いでした。会場投票の結果は、黒猫と他ゼミの学生(仮称「黒眼鏡」)が7票で首位。6票の黒帯がこれに続きます。この上位3位までは別格として、3票と4票の予備戦がおこなわれ、上位2名が第2戦に進出。決勝戦(第2戦)でも教員2票ずつ投票したのですが決着はつかず、延長戦(第3戦)で教員1名が1票ずつ追加投票した結果、黒帯9票、黒眼鏡8票、黒猫7票となって、それぞれ金・銀・銅賞と決まりました。
結果をまとめると、以下のとおりです。
制作部門 金賞 門脇史知「さおびきどっこ -古民家裏木戸の復元-」
(日本建築学会中国支部卒業設計展出陳)
銅賞 森 吉宏「鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計-」
(『近代建築』誌卒業設計特集掲載)
論文部門 金賞 大給 友樹「石窟寺院への憧憬 -岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-」
銅賞 宇田川恭平「建具と内装の修復 -加藤家住宅修復プロジェクト The LAST-」
ともかくガードの「さおびっきどっこ」が会場投票3票から一気に金賞に登りつめたことに驚愕しており、じつはガードに対して「(金賞を)辞退する気はないかい?」とまで問いました。指導教員自身、ちょっと順位が上がりすぎではないか、という不安が拭えなかったのです。しかし、当の本人はケロッとした表情で答えるのです。「いただけるものはいただいておきます」と。ちなみに、本人の予想は「銅賞」だったそうです。
というわけで、2年連続の
ダブルクラウンに輝きました。ゼミ生全員が受賞したのは初めてのことであり、ゼミ生の卒業研究が『近代建築』誌の卒業設計作品特集に掲載されるのも初めてのことです。アシガルは大変ですが、〆切の今月17日までに設計図・模型とも手直しし、得意のCGもつけてパネルを刷新してください。なお、通算では、制作部門の金賞が2年連続3度目、論文部門は5年連続5度目です。とはいうものの、例年の「圧勝」とはちがって僅差の冷や汗勝利であり、とりわけ論文部門で常勝ASALABを最後まで苦しめた黒眼鏡くんには深い敬意をあらわしたいと思います。
- 2010/03/06(土) 00:00:01|
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昨日お知らせしましたように、舌足らずに終わった「大山・隠岐・三徳山」に関わるわたしの世界遺産構想を箇条書きで要約しておきます。
「三徳山 -信仰の山と文化的景観-」の限界1.鳥取県が世界遺産暫定リスト入りをめざした「三徳山 -信仰の山と文化的景観-」(2007)
の申請に対する国内審査の結果は「カテゴリーⅡ」。「カテゴリーⅡ」とは、現在のイコモス
や世界遺産委員会の審査傾向の下では「顕著な普遍的価値」を証明することが難しいため、
主題の再整理や構成資産の組み換え、更なる比較研究が必要とされる資産とされる。
「カテゴリーIa」が最も暫定リスト入りに近く、「カテゴリーⅠb」になると暫定リスト入り
は事実上困難。「カテゴリーⅡ」の三徳山は、このまま申請を続けても、暫定リスト入りは
絶望的と判断される。
2.とくに大きな問題点は以下の2点。
(1)世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」との差別化
(2)複数の自治体を巻き込み適切な主題と資産構成についての検討
cf.同じ山岳信仰を対象とする他の地域と比較すると、
「紀伊山地」(世界遺産登録済)は奈良・三重・和歌山の3県29市町村の範囲
「富士山」(暫定リスト入)は静岡・山梨の2県18市町村の範囲
複合遺産としての国立公園3.ここで大山隠岐国立公園に視点を移すと、公園面積(陸域)は35,053haで、
鳥取・島根・岡山の3県にまたがる。
4.「国立公園ノ選定ニ関スル方針」(昭和6年)によると、国立公園の必要条件は
「わが国の風景を代表するに足る自然の大風景地」で、副次条件の一つに
「神社仏閣・史跡・天然記念物など教化上の資料が豊富」を含む。ここにいう
風景を文化的景観に近い概念と捉えるならば、国立公園は自然遺産というよりも
文化遺産(神社仏閣・史跡)と文化的景観を包含する複合遺産とみなすことが
できる。
初期仏教と山岳信仰の接触5.山を「セン」と読む山は岡山が29で最多。次が鳥取の22。島根にも6ある。
つまり山陰と岡山の境に連なる中国山脈に突出して多い。センは「山」という
漢字の呉音であり、南朝の仏教が百済を経由して日本に到達した初期仏教の
影響を読み取れる。その「セン」群の中核が大山にほかならない。
6.大山・隠岐国立公園の内部および周辺には、二重構造の縁起をもつ密教系仏寺が
少なくなく、6~8世紀の開山伝承に対応する「奥の院」には岩窟・絶壁型の
仏堂が残っている。
7.統一新羅8世紀中頃に造営された石窟庵(世界文化遺産)は、石窟寺院を掘削
できない新羅の人々が石窟寺院に憧れて造った人口の石窟。石窟庵が所在する
慶州の南山には岩窟型の仏堂も多数分布する。
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- 2010/03/05(金) 00:00:37|
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「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観-」シンポジウム、無事、終了しました。
2月27日午前8時20分、楊先生をお連れして倉吉未来中心に到着すると、入口の前に黒服を着た学生諸君が待機しています。かれらは前夜、牧田家住宅(倉吉市指定文化財)に宿泊しました。明け方が寒かったそうです。ホテルの宿泊代も工面してあげられない教師が悪いのです・・・ほどなく未来中心は開門。県・市の職員のみなさんと学生諸君はいっせいに会場設営にとりかかりました。設営も順調に進み、準備万端整ったのですが、開演20分前になっても客席はがらがら。どうなることかと心配しましたが、9時55分から一気に客足がのびて、ほぼ満席になりました。来場者は、記帳者が150名。製本資料を200冊用意していましたが、残部を数えるとわずか14冊ですので、発表者・事務局等を含めると、180名程度が参加したことになるでしょう。

10時よりシンポ開演。次第のとおり、講演が進んでいきました。眞田さん、野本さん、今城さん&大給くん、楊先生、平澤さん・・・とずっと順調に進んでまいりました。この間、わたしはずっと時計を気にしていたのですが、みなさん見事な時間配分でスピーチされていきます。わたしは左手から時計を外して、40分のスピーチをシミュレートしてました。そこで、悩んでいたのです。時計を外して話そうか、左手につけたまま話そうか。さんざん悩んだあげく、いったん外した時計を左手にまきつけ壇上にのぼりました。これが命とりに・・・
わたしの演題は「複合遺産としての大山・隠岐・三徳山-世界自然遺産ハロン湾との対比を含めて-」です。予定では、ハロン湾を中心とする話題を15分+α、残りの25分前後を大山・隠岐・三徳山の話題にあてる予定だったのですが・・・大すべりでした。水上居住の話をしていると楽しくて仕方ない。会場に目をやると、聴衆も目を見開いて話を聞いてくれている。それに、なにより、ハロン湾の研究成果を公の場で発表するのは初めてのことであり、ホカノ君の追善供養も兼ねて頑張りました。で、時計をみたら25分が過ぎている。ここで落ち着かないといけなかった。開きなおるべきでした。20分ぐらい超過してもかまわないから、主題を丁寧に説明すべきでした。しかし、実際にはとんだ駆け足のスピーチになり、10分超過したわりにはへなへなの状態で席に戻ると、まわりのみんなから「なにやってんですかぁ!?」の連呼。というわけで、いちばん大事なシンポの〆を主催者自らぐじゃぐじゃにしてしまったのであります。嗚呼、生まれてくるんじゃなかった・・・
というような失態もありましたが、わたし以外のスピーカーの皆様、司会の中原室長のフォローのおかげで、討議はうまく進み、全体としては成功に納めることができました。スピーカー、司会の皆様、裏方でサポートいただいた県・市の皆様、そして学生諸君のおかげです。何度でも御礼申し上げます。ありがとうございました。
舌足らずに終わった「大山・隠岐・三徳山」に関わるわたしの世界遺産構想については、あした要約文を掲載する予定です。
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- 2010/03/04(木) 00:00:54|
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背中で語りたかった男 2月27日(土)。倉吉での発表の翌日、とりぎんホールでの最後のパフォーマンス「裏木戸の解体」をお見せする日になった。この日、私は会場にいつもより遅い夕方に到着しました。解体は夕陽をバックに格好良くおこないたかったのですが、お天気はあいにくの曇り空。前日に比べれば、雨が降ってないぶんましかなとは思ったものの、夕陽はなし。ここは背中で語る男、ガードの力でなんとか場を盛り上げたい思いましたが、私の背中ではまだ十分語ることができず、お客さんはほとんど見ていませんでした。私は残念無念でなりません。そこで私は金槌を使って音を鳴らし、「解体していますよ!」とアピールしました。ここでようやく「ちらっ」とお客さんが裏木戸のほうに目を向けてくれました。これに私は満足し、Y君にお手伝いをしてもらい解体を続けました。無事解体も完了すると、それと同じして展示会終了となりました。そして皆が片づけを始める姿を見て少し寂しいような、ホッとしたような気持ちになりました。
この後、私の模型の所に言ってみると驚くべき光景が・・・追加した冊子がすべてなくなっていたのです。大勢人がいたのを意識して、小さくガッツポーズ! またしても、展示用の冊子までなくなっていたので、さらに更に嬉しさ増大です。今後は、残りの部材を加工し最終段階に踏み出します。卒業まであと少しですが、気を引き締めて取り掛かりたいと思います。
最後になりましたが、展示会では「とりぎんホール」の職員の皆様、手伝ってくれた友人のおかげで組立~解体に成功することができました。皆様に深い感謝の気持ちをあらわして、展示のフィナーレとさせていただきます。本当にありがとうございました。(ガード)
- 2010/03/03(水) 00:03:01|
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NPOによる
文化財建造物活用モデル事業「セルフビルド&ゼロエミションによる民家の持続的修復」では、2回の公開ワークショップとともに、研究総会を開催する事業計画を文化庁に提出している。ほんらいならば、当然、加藤家住宅で研究総会を開催すべきなのだが、今年度修復に携わった大半の職人・委員が倉吉在住であるため、「大山・隠岐・三徳山」シンポジウム(@倉吉未来中心)レセプションの参加者とかなり重複している。この際だから30分だけ時間を頂戴し、今年度の加藤家住宅での活動を学生2名に発表してもらった(事業費がすでに枯渇していて、倉吉在住の皆様を鳥取にお呼びできないことも倉吉開催の一因)。黒猫は、来たる
3月17日、文科省で事業の成果を報告することになっている。以下、学生にバトンタッチ。(教師)
2月26日(金)。午前、環境大学にゼミ生全員が集まり、27日開催のシンポジウムの荷物を詰め込んで倉吉へ出発しました。アシガル、黒猫、ガードの3人以外は打ち合わせのため倉吉未来中心へ。残った3人で研究総会の会場となる清水庵の2階へ行き、会場設営を進めました。前夜、会場レイアウトを教授よりすべて任せられていたので気が抜けません。タクオさんにアドバイスをいただいて考えたレイアウトを頼りに設営していきました。途中、清水庵のご主人にも手伝っていただき、なんとか会場設営を終えることができました。ありがとうございました。
その後、黒猫、ガードともに発表の練習をおこない、準備は万端です。予定時刻が近づき、続々と私たちの発表を聞きにお客さんが清水庵に到着。来場者は23人までふくれあがりました。お客さまの増加に比例して、緊張のボルテージがマックスに近づいていきます。そして、いよいよ発表の時が・・・・。発表の順番は、ガード、黒猫の順です。この時の心境を下の感想に書いていますので、是非ご覧ください。発表も無事終わり、シンポジウムのレセプションが始まりました。ディナーはとても豪華な会席で、美味しくいただきました。これにて私たちは帰鳥です。明日、シンポで発表する人、サポートをする人も全員頑張って下さい。
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- 2010/03/02(火) 00:01:12|
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2月26日(金)。浅田真央のことが心の片隅にあって消えない一日でしたが、楊先生ご夫妻がそんなわたしの深層心理をご存じであるはずもなく、この日もまた濃密はスケジュールをこなされました。午前は青谷上寺地関係のスポットを3ヶ所(秋里分室・青谷支所・展示館)。昼食は倉吉に移動して、久しぶりにサダルチョークのチキンカレーとジンジャー・チャイ。午後からは、打吹玉川重伝建地区の散策。高田酒造、桑田醤油、オークランドなど、代表的な町家3軒の中をみせていただきました。あいにくの雨模様でしたが、気温は高く、「雨の日には雨の良さがある」ことを体感できた一日でした。
午後3時すぎから、交流プラザ研修室でシンポの下打ち合わせ。楊先生のパワポが未完成で、おまけに五台山の写真データを鳥取のホテルに置き忘れていることが判明。武ちゃんと奥様で鳥取まで往復するというハプニングもありましたが、6時からは加藤家住宅修復プロジェクト(NPOによる文化財建造物の活用)の総会で学生が2名が発表し、その半時間後に「清水庵」でのレセプション開始。またまた、今夜も盛り上がりました。
しかししかし・・・わたしの睡眠不足は深刻な状況でして、ホテルの部屋に入るやいなや眠りに落ち・・・そのまま朝まで爆睡すればよいものを、いつものことながら深夜に目がさめて・・・おそるおそるテレビを点けると、キム・ヨナが(録画の画面で)滑っているではありませんか。世界最高得点の演技と驚喜のあと、真央の演技に。悔しかったでしょうね。得意なジャンプを2回もミスして・・・あのジャンプが成功していたとしても、キムを上回ることはできなかったでしょうが、ミスしたことが悔やしいのだよね・・・滑りきった銀と滑りきれなかった銀の違いがあるんだ。
でもさ、滑走直後のインタビューをみて、多くのおおくの、ほんとに多くの日本人がますます真央ちゃんを好きになったことでしょう。これからもずっと応援しますよ。相手も強いが、いずれ勝てます、まちがいなく。
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- 2010/03/01(月) 00:00:06|
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