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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

石窟寺院への憧憬(Ⅰ)

 科学研究費補助金(基盤研究C)が新規採択されたのは既報のとおりです。3年度計画のうち、平成22年度の研究計画を申請しました。驚いたのは「間接経費」の制度です。昨年から始まったそうなんですが、研究費の3割が間接経費にあてられることになっていまして、ひっくりかえりました。わたしの場合、初年度の総経費が234万円なのですが、うち54万円を交付後ただちに大学に譲渡しなければならないのです。54万円って凄い額ですよ。大学からいただく個人研究費の額より大きいですからね・・・

 遅ればせながら、研究の目的と初年度の計画をお知らせします。さきほどまで埋文センターのみなさんが来室されており、さっそく相談にのっていただきました。「奥の院」の発掘調査(トレンチ調査)を夏休みにおこなおうと思います。また、いろいろな方がたのご支援をお願いすることになると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

   石窟寺院への憧憬 ―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―
   
研究の目的: 

 山陰地方の密教系諸山には、三仏寺投入堂に代表される絶壁に形成された懸造の仏堂のほか、岩窟・岩陰に石仏・石塔等の信仰対象を祀る古式の仏堂が少なくない。これらを「岩窟/絶壁型仏堂」と総称して、その立地・縁起・構造・祭祀形態などを詳しく調査し、おもに空間構造の特性から類型化を試みるとともに、中国の初期石窟寺院や懸造寺院との比較を通して、「8世紀以前に成立した初期山岳仏教の岩窟/絶壁型仏堂が南北朝~初唐ころの中国石窟寺院のミニチュア」であった可能性について検証する。現状では山陰地域でのデータに限られるが、岩窟/絶壁型仏堂は少なくとも以下の4類型に分類できるという見通しをえている。

  A型:岩窟(岩陰)単独内陣型
  B型:岩窟・懸造複合型
    B-1型:岩窟(内陣)/懸造(礼堂)型
    B-2型:岩窟=懸造(内陣)型
  C型:懸造単独内陣型。

 この4類型を前提にして、今後、国内では紀伊山地の霊場(吉野・熊野地方)などを踏査し、類型のバリエーションを精査したい。ただし、この問題は日本国内の事例分析だけでは解決できない。ここで南北朝~初唐時代の中国石窟寺院・懸造寺院の様相に視野をひろげたい。本研究においては、石窟と木造建築の複合性に焦点に絞って中国石窟寺院の発掘調査報告を網羅的に分析し、類型の年代的変化をまずは把握した上で、その変遷モデルを応用しつつ日本におけるA型、B-1型、B-2型、C型の前後関係・併行関係の解釈を試みる。なお、日本と華北を結ぶ結節点としての朝鮮半島の状況については、旧新羅地域の慶州南山で岩窟仏堂を踏査し、日中の類例と比較する。
 この研究の最終目標は、8世紀以前(とくに6~7世紀)の日本に存在したであろう岩窟/絶壁型仏堂が中国南北朝時代~初唐の石窟寺院をモデルにして、それをミニチュア化したものではないかという仮説を検証することである。これについて確実性の高い証拠を得るために発掘調査を実施する。最も注目しているのは、鳥取市の摩尼寺「奥の院」に残る岩窟・岩陰の2重仏堂とその下の平坦面に展開する礎石群である。2重仏堂のうち初重の岩陰には2ヶ所に石仏・木彫仏を祀る。一方、二重の岩窟は最奥に小さな仏龕をほりこんでいて、なかに「石塔」を祀っており、雲崗石窟寺院のなかで最初に掘削され、内部に塔柱を祀る第1・2窟のミニチュアのようにみえる。祭祀対象が仏像ではなく「塔」である点、仏舎利崇拝を最重視した初期仏教の姿をよく示す遺構のように映る。本研究では、摩尼寺「奥の院」の主要部分に複数のトレンチを入れ、遺構面・土層断面を確認しつつ、各文化層から出土した遺物の年代判定により、岩窟・岩陰の2重仏堂や礎石建物の年代観を示すとともに、懸造建築の存否をあきらかにし、さらに復元研究に取り組む。

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  1. 2010/04/21(水) 17:41:51|
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asa

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