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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

GWの過ごし方(Ⅳ)

 東京から長女が帰ってきました。昼にはさっそく友人と遷都1300年祭へ。会場の平城宮跡はわが家から10分です・・・わたしは近寄る気にもなりません。上海万博もひどいけど、遷都祭もねぇ・・・ふだんの平城宮のほうがずっと素晴らしい。だから、はやく遷都祭が終わってほしいのね。
 娘は夕方、戻ってきた。ちょうど「Newsゆう+」の時間で、テレ朝も朝日放送も大極殿の話ばっかり。あの基壇が高くて、大失敗なんだわ・・・あの失敗はオレの所為なの・・・なんて話を娘にしました。ほんと冗談ではありません。基壇の高さを3mにしたのは、悲しい哉、わたしのアイデアです。出来て分かったばかでかさ。遺構で正面階段の出が3mあったんで、45度でたちあげるとあの高さになるのですが、そんなに長い凝灰岩を確保できないので、二重基壇にしたら葉巻の閣下に叱られましたよ。

  「様式が一時代前やろ、飛鳥白鳳で二重基壇は分かるけど、
   天平で二重基壇はない!」

 たしかにそうなんですが、当時から平城の第1次大極殿は藤原宮のものを移築したという説が有力でしたからね。だから一時代前のものでもよいのだとわたしは思ってました(法隆寺西院伽藍と第一次大極殿はほぼ同期の作品です)。第1次大極殿院の空間構成は唐長安城含元殿周辺の大基壇(いわゆる龍尾道)とよく似ているのだけれども、建築は藤原からもってきたんだって、わたしは思っています。こういう長安城の影響と藤原宮・京の伝統が二重構造になって平城宮・京に継承されている。で、前から言ってますが、第1次大極殿の入母屋造は正しい。しかし、二重が間違い(朱雀門は二重入母屋の現案が正しく、昨年発表された寄棟平屋案は大間違い)。第1次大極殿の復元平面は古代寺院の講堂系でしてね、平屋の入母屋造の可能性がきわめて高い。藤原から平城、平城から恭仁への移築という履歴を考慮しても、東朝集殿のような「移築しやすい構造」(つまり開放的な平屋建)をイメージすべきであって、何度も言いますが、伊東忠太の平安神宮外拝殿が古代の大極殿のより正しい姿を伝える最有力の復元案だとわたしは思っています。
 以上、自己批判と反省を込めてまとめますと、

  1)基壇の高さはいまの半分、すなわち5尺(約1.5m)におさえ、階段を5/10の勾配にする。
    [この提案は元同僚のMさんよりあったのに、ホントすいません!]
  2)建物は入母屋造の平屋建。
 
とするべきだったでしょう。さらに、個人的には、正面開放ではなく、入側筋に壁と建具を納めるべきだったとも思っています。それ以前に、基壇地復石の痕跡しか残っていないような不確定要素の多い遺構を復元すべきでない、というのは言うまでもないことですが・・・

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  1. 2010/05/04(火) 12:38:14|
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asa

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