
あぁぁぁ~~、また、ふらふらです。どん兵衛さんがグラスになみなみと注いでくれた焼酎のロックが効きました・・・
さきほど玄関の近くで若い男女の職員に慰められましたよ。
負けちゃいましたね、・・・でも、いい試合でしたね。
と。わたしは咄嗟に反応したんです。
いや、いい試合とは言えないでしょう。サッカーとして良いサッカー
であったかと言えば、そうではない。ただ、最後にいい景色をみせて
もらいました・・・
昨夜の試合を興奮して視ていたのは、日本人とパラグアイ人(と日本の負けに大喜びした隣国人)だけでしょう。わたしがこれらの国と関係ない民族だったならば、欧米のメディアが酷評しているように、「大会屈指の退屈な試合だった」と切って捨てたかもしれません。
対戦する2つのチームがともに守備に重心をおき、「相手を攻めさせてカウンターを狙う」堅守速攻型であれば、こういう展開になってしまう。振り込むのが怖くて「おりまくる」雀士4名の対決のようなものです。かつてのイタリアや、今大会のドイツ、ブラジルとどこが違うのかというと、守備に重心をおきながら、攻撃に転じると2~3人のアタッカーで点をもぎとる攻撃力があること。残念ながら、いまの日本やパラグアイにはそういう「攻め切る力」がない。だから、前半45分を終えた時点で、早くも予感しておりました。これは、120分の戦いになり、それでも決着がつかずPK戦になるだろう、と・・・
実際、そのとおりになったのだけれど、正直なところ、今大会のラッキーボーイである川嶋が1~2本はパラグアイのPKをとめるだろうから、最終的には勝ってスペインと対戦することになるだろうとも思っていました。川嶋は2本めまで相手の動きをよく読んでいましたが、3人めから動きだしが早くなってしまった・・・もちろん駒野を責めるつもりはありません。涙ぐむ駒野を慰める松井や中澤の目が潤んでいたのがとても印象的でしたね。PK戦で日本は一つになった。その姿を国民にみせてくれました。それは、とても感動的な風景でした。4年前、ブラジルに大敗して中田英寿がグラウンドに倒れ込んでも、他のメンバーはそっぽをむいていた。ジーコの放任主義がもたらした醜い風景でした。あれから4年、日本代表は一つになれた。素晴らしいことです。
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- 2010/06/30(水) 17:31:06|
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いまオランダ対スロバキアをみています。つまんない試合だねぇ・・・オランダは次のブラジル戦で散るでしょう。昨日のドイツに比べると、まったく退屈なチームだわ。こんなチームに0-1で負けてしまったんだから、日本はやっぱり強くない。
日本は強くないんですよ。みなさん、勘違いしちゃいけません。岡ちゃんも調子にのって、また「ベスト4だ」なんて言い出しているらしいけど、冗談じゃありませんよ。パラグアイに勝てるという保証はまったくない。まったくないのに、日本全国「勝てる」と思い始めている。あのときみたいじゃないの。日韓ワールドカップのトルコ戦の前みたいだ。みんな勝てると思っていた。1点先取されてもまだ日本人の多くは逆転すると信じていた。それが、あのザマだ・・・あのときの再現になるかもしれない。今だから言えるけど、あの日は建築学会の編集委員会だったんです。それを中断して、学会の休憩室で委員全員がトルコ戦みたんだからね。わたしは一人、サッカーボールの帽子を被って、ラッパを吹いてましたよ・・・
今回の場合、たとえ負けたとしても、あのときほどの衝撃はないでしょうね。あの夜は悔しくて一睡もできなかった。トルシエの采配に怒りを覚えた。今回はずいぶん気楽に視れますよね。だって、開幕前は3戦全敗だと思ってたチームなんだから。トルシエのメンバーは凄かった。シドニーで8強、日本で16強・・・監督がまともだったら、シドニーでも日本でも銅メダルまでいったかもしれない。
あれ、ロッベン下がっちゃった・・・温存ですか。
ところで、先週末からパラグアイ戦のバイト依頼あり。バイトを雇わないことをモットーとしているカナイチヤさんもついに決断のときが来てしまったのですよ。そりゃ満員でしょう。結局、きっかわ嬢が割烹「かずみ」のバイト終了後移動してきてくれることになりました。じつはあちこちに電話していたんですが、かのハニーキッチンから連絡あり。やった! カナイチヤのカウンターに立ってくれるのかと思ったんですが、ハニーキッチンでも1000円でパブリックビューをやるんだって。だから来ないか、というのですが、ここは色気に負けてはいけない。デンマーク戦はFCセクストンのユニフォームを着てカナイチヤ視て勝ったんだから、パラグアイ戦も験を担ぎますよ。「二人でみましょう!」ってんなら考えてもよいけど、おっさんどやどやでしょう。テレビもカナイチヤのほうが大きいからね。ちなみに、きっかわ嬢は日本代表のユニフォームを着なきゃなんないですが、わたしが古いのもってますから大丈夫。あのころ細かったからね、わたしは着れないけど、きっかわどん兵衛さんなら、まったく問題ありません。
さてさて、アルゼンチン対メキシコは、テレビ大阪のアナログで視ました。ひどい画像だった。メッシとテベスとイグアインか・・・難物ですね。ドイツ対アルゼンチンが、今W杯の事実上の決勝戦でしょう。ざっとみてアルゼンチンが総合力では一番ですが、そのアルゼンチンを倒せるとしたら堅守速攻のドイツしかないでしょう。残念ながら、今回のスペインとブラジルではアルゼンチンは倒せない。エジルとミューラーがメッシの夢を砕くか、否か・・・。
ドイツ対アルゼンチンで勝ったチームが南アW杯を制するでしょう。
- 2010/06/29(火) 00:45:21|
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夏至が過ぎたばかりの初夏の奈良の蒸し暑さは尋常ではありません。蝶野正洋仕様のサウナスーツを着て1時間のスロージョギングをすると、すさまじい汗が噴き出してきます・・・じつは、昨日(25日)ようやく患者が退院し、今夜、長女が東京に帰っていきました。さきほどまで送別の晩餐をしていたのですが、サティのなかにあるイタメシ屋のお嬢さんはわたしの顔をみてきょとんとしている。顔から吹き出す汗と濡れた髪に驚いたようです。
というわけで、今夜もまた運命の夜を迎えました。ドイツ対イングランド。今回の優勝候補を、あまり好きではないドイツにしたわたしは、イングランドが勝ってしまうと、トトの敗戦が決まってしまいます。歴史をふりかえると、ドイツはW杯においてイングランドには負けない。負けたのは1966年のイングランド大会決勝だけでしょう? 相性の上では圧倒的にドイツ有利でして、ベッケンバウアーがイングランドを「愚か者」呼ばわりした気持ちが分からないではありません。70年代、ベッケンバウアーの全盛時代、ドイツとイングランドの差は天地ほどもありましたからね・・・「キック&ラッシュ」のイングランドに対して、1-3-3-3のマンツーマンによる組織的サッカーを展開したドイツのリーダーであったベッケンバウアーは、当時のイングランドを「モダンサッカーから20年遅れている」と揶揄したものです。しかし、同じ時代にクライフとミケルスのアヤックスはCLでバイエルンを4-0で粉砕するほどの新しい力を持ち始め、時代は大きく変わろうとしていたのです。
まぁ、そんなことはどうでもいいや。ともかく、いったん「ドイツが優勝」だと言ったんだから、バラックが欠場しようがクローゼに赤紙が届こうが、ドイツが優勝!です。みなが引き留めるにも拘わらず「フランスを優勝」にして譲らず、哀れグループリーグで散ってしまったきっかわ嬢には、わたしと同じサムライ魂を感じますね。その一方で、「イタリア優勝」を喧伝して憚らなかった武蔵(たけぞう)は、ピルロの負傷を知った開幕2日前に、突然、優勝候補をアルゼンチンに変えるという武士にあるまじき態度をとり、環境大学中で顰蹙を買っております。まるで田村耕太郎みたいな風見鶏だ、という批判に対して、武蔵はケロリとして「鐘のためならなんでもやるぜ・・・」。こんな男が警官になったら日本は終わりですね。
あっ、いよいよキックオフ!
前半20分、クローゼ先制。
ドイツはボドルスキの「遅さ」が気になる。10番気取りはやめて、エジルのサポートにまわるべき。
前半32分、不調のボドルスキが2点め。まるで、日本対デンマークの録画をみているような展開。ボールポゼッションの高いほうに大きな隙ができる。イングランドのプレスとマークが甘い。
前半37分、ショートコーナーからジェラードのクロスにアプソンがヘッドで1点返す。
その直後、ランパードのミドルシュートがゴールを割るもノーゴール!!
66年延長の真反対の結果に・・・
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- 2010/06/28(月) 00:24:44|
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雨がしとしととふりそそぐ6月25日(金)、私たちは倉吉へと足を運んでいました。
本日の主な調査対象は、倉吉市の本町通商店街です。谷川ジローの『遥かな町へ』の舞台にもなった、看板建築の立ちならぶ本町商店街は、打吹玉川重要伝統的建造物群保存地区(重伝地区)の西側に位置しています。
大学を出発したのが16時、そこから車を走らせ倉吉に到着したのが17時で少し遅めのスタートとなりましたが、さすがは夏至が過ぎたばかりの初夏、まだまだ外は明るく、天候には恵まれなかったものの、静かで穏やかな小雨が打吹玉川の歴史あるまちなみによく似合って、なかなかいい雰囲気でした。
さて、商店街へ着いたら、まずはジェラート屋さんで休憩(先生は前夜のデンマーク戦でぐったり状態で、早く休みたかったようです)。美味しいジェラートをいただきながら、店主さんに最近の商店街の様子や、観光客が増えているかなどなど、先生がさっそくインタビューなさっていました。商店街について教えていただくなかで、特に気になったのは、「看板建築」という言葉に対しての住民の方がたの反応でした。どうやら、あまり評判が芳しくないようなのです……。「町屋の外観を隠している」という意味で看板建築はネガティブな意味合いで捉えられることがしばしばあり、そのことで住人の方が少々「怒っている」と店主さんは言われます。わたしたちは看板建築に昭和レトロの趣を見出しおり、決してそのようなネガティブな意味を表したくて使っているわけではないのですが、実際に住人の方が良い思いをしていないのであれば、なにか別の呼び方を考案することも必要かもしれません。

↑まちのジェラート屋さん
軽い休憩を終えたら、いよいよ本町商店街・元アーケード街の探索へ。
このアーケード(「続きを読む」に写真あり)は、昭和37年~38年に架けられていたものです。このころ、全国的に看板建築が流行するなかで、ここ本町通商店街でも看板建築のまちなみが誕生しました。商店街は現在、空き家、空き地など空洞化が進み、これからどのようにまちに人を呼び戻し活性化していくか、考えられている最中です。アーケードについても、老朽化および重伝地区選定への準備のため、平成19年に撤去する方針が決定され、現在ではその姿を見ることはできません。看板建築は「町屋の正面を看板など箱状のもので覆い、正面だけ近代的なコンクリート建築に見せる」建築のことです。

↑看板建築 ↑昭和を感じさせる看板
[遥かなまち、くらよし探訪(Ⅰ)]の続きを読む
- 2010/06/27(日) 13:10:19|
- 建築|
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鳥取大学附属図書館での文献調査 6月24日(木)。早いもので、プロ研も10回目となりました。この日は鳥取大学付属図書館まで資料となる本を借りに行き、大学に戻ってから「スルメイカの食べ比べ」をする予定。いつものように、13講義室に集合したのですが、いろいろとあって、教授から愛のムチをいただいてしまいました。前夜、2時間に及ぶ打ち合わせを教授と祭り班でしたのですが、その成果を漁業班にきちんと伝えなかったことで教授はご機嫌斜めになられたようです。それでも、前夜予定していたとおり、鳥取大学付属図書館に行くことになりました(県立・市立博物館はいずれも休館日)。ここで、前日に教授と祭り班で話し合った内容を、漁業班にも伝えてみんなで確認しました。今後の発表会に向けて、自分たちの役割について仮分担したことと、ジオパークに関係している地域の地形や、その地域で獲れる魚、漁法などを調べていく方針について話し合いました。
それから、鳥取大学付属図書館へ向かい、それぞれがの役割のテーマに沿った本を探して借りるようにしました。郷土資料などには、帯出禁止となっていて借りることができない本もありましたが、「奥付」を手書きでメモをしたので、後日、各々で県立図書館などに行って借りる予定です。いろいろと参考になるような本を見つけることができたので、有効に活用しなければなりません。ちなみに、鳥取大学でも本は借りることができ、環境大学の生徒は一人5冊まで借りることができます。。
その後、環境大学に戻って学生だけで発表会に向けての話をし、各担当の今後のスケジュールをお互いに話して目標を定めました。また、素潜り漁や「アゴすくい」体験、朝市に参加して、聞き取り調査や写真撮影するために、日程の調整や人数についても確認しました。朝市については、朝早いため、網代在住のS先輩のお宅に泊まらせていただけることで調整できました。
[第10回「ジオパーク・トレッキング-山陰海岸の自然と文化-」 ]の続きを読む
- 2010/06/26(土) 20:21:51|
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田後での聞き取り調査(祭り班) 6月17日(木)。今回のプロジェクト研究は「漁業班」と「祭り班」に分かれて活動した。祭り班は田後に行き、先週から調べてきた資料を基に、集落のお年寄りや漁師の方々がたにヒアリングした。その中で、地元の歴史に詳しい古泉さんという方にお会いすることができ田後漁協の一室をお借りして話を聞かせていただいた。以下に、調査記録を記す。
「けんか祭り」 けんか祭の始まった年は不明。大正時代にはおこなわれていた。昔は神輿と御船を担いでいただけであった。御船の始まりは明治26年、神輿は明治27年と御船の方が1年早い。ぶつかり合いが始まったのは、お酒に酔った若者により御船の統括が取れなくなり、御船側が神輿側にぶつかってそれに怒った神輿側(お年寄り中心)が対抗してぶつかり合ったのが始まりだそうだ。それがルーツのようで、以前は殴り合いもあり、負傷者も多数いたが現在はとてもおとなしくなり、祭りに参加している者はいかに盛り上げるかを考えながらやっている。盛り上がれば盛り上がるほど、大漁になると考えられてきた。けんか祭に参加する人数は決められており、それぞれの区(村内は10区に分けられている)から3人ずつ、計30人が神興を担ぐ役となった。神輿を担げる者は既婚者の男性と決まっている。御船もそれぞれの区から選ばれた計20人が担ぐ。御船は独身の男性が担ぐが、最近は若者が居なくなり自治会の役員も参加する。麒麟獅子は獅子舞に2人、ショウジョウに1人が任せられ、計53人で「けんか祭」が行われる。これらの役がまわってくるのは数年に一度のこと。ちなみに年齢制限はないが子供や70歳以上のお年寄りは参加を控えている。さらに、身内に不幸があった人や、乳児が産まれた場合は参加できなくなる。開始される時間も決まっている。午後12:00に神事(お払い、酒つき)をし、御船や神輿を漁協前の広場に担ぎ出し、体勢を整える。13時前から始まり20~30分程度で終了する。しかし昔は神輿をぶつかり合わせるものではなかったという。去年は見物人に子供、若者10数人ほどいた。
田後神社 田後神社は『事代主命(ことしろぬしのみこと)』を祀っていて、島根県美保関町「美保神社」の分社。明治元年に「田後社」と定められ、明治7年に「田後神社」と改称された。
[第9回「ジオパーク・トレッキング-山陰海岸の自然と文化-」 (Ⅱ)]の続きを読む
- 2010/06/25(金) 16:08:21|
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ついに決戦の日を迎えましたね。
鳥取のような田舎町でも、パブリック・ビューを何ヶ所かやっているようです。
わたしは、「
アンテナのない家」に住んでいるので、地上波の映像をみることができません。これから「カナイチヤ」に行って、とりあえずイタリア戦をみます。
今回のイタリアは、これまでのイタリアではありませんね。あんなに攻めちゃいけませんよ。4年前のオーストラリア戦を思い出してください。一人少なくなったイタリアは、「パチンコの釘」大作戦を徹底させて、ロスタイム間際の一瞬に勝負にでてヒディンクを沈めてしまいました。イタリアは攻めちゃいけないんですよ。相手に「攻めさせる」のがイタリア・カテナチオの伝統であり、仕掛け人梅安のように、隙をみて一撃必殺!
日本も、こういう戦いをしてほしいものです。守備に関しては、それができています。いまの日本の守備はイタリア以上にイタリアらしい、と言っても過言ではないほどよく機能しています。相手を「攻めさせる」という点において、いま日本以上の戦いをできているチームはありません。ただ、「一撃必殺」の手がないのね・・・
しかし、これまでのやり方を崩してはいけませんよ。4-1-4-1システムは、イングランド戦(親善試合)に始まり、カメルーン戦で機能し始め、オランダすら完封する勢いでした。この方針を貫いてください。オシムやトルシエやヒデや多くの解説者の意見に紛らわされることなく、いま熟成しようとしている4-1-4-1の堅守速攻パターンでデンマークを粉砕してほしい。韓国代表の許監督は、ナイジェリアに対して「勝ちにいったから引き分けることができた」とコメントしてましたが、それは点をとることのできるチームがいう科白です。残念ながら、いまの日本には得点できる匂いがしない。しかし、守備は一級品です。参加32ヶ国のなかでもベスト8に入るぐらいの守備組織をもっている。そのことを恥じる必要はまったくなく、誇りに思って、過去3戦の戦いを持続させてほしいですね。
とりあえず、いったんスポーツバーに向かいます。
[拝啓、岡田監督(Ⅳ)]の続きを読む
- 2010/06/24(木) 22:52:34|
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網代漁業協同組合への取材依頼(漁業班) 6月17日(木)。7月末におこなわれるプロジェクト研究発表会まで時間的余裕がなくなってきた。ということもあり、「漁業」班と「祭り」班に分かれ行動することになった。私の所属している漁業班3人は、教授とS先輩とともに網代の漁業協同組合を訪問した。先週のプロジェクト研究の時間に、サザエ漁に使うカンコ(磯船)の手入れをしておられる漁師の方に勧められた通り、網代の漁協に乗船の許可を得ることが目的である。私たちの突然の訪問にも拘わらず、副組合長理事の生越さんが丁寧にご対応くださいました。漁協入館後、早速、教授が私たちのために、理事さんに私たちの研究の内容などを説明された。その話に応じ、職員の方も網代の漁に関する話など、さまざまな説明をしてくださった。そのお話によると、網代では毎週金曜日が休漁日で、土日は漁に出るが、土曜日は市場が休みになる。貝類の素潜り漁は金曜日を除き、天気が良く、波が穏やかな日(凪)の午前8時30分~午後1時の間におこなっている。漁に出るかどうかの判断は、前日の夜の天候で決めるという。雨天の場合、海中の砂によって海水が濁ってしまい、収穫できる量が知れているので、漁には出ないからである。この漁では、サザエ、岩ガキ、アワビ、モズクなどが獲れる。また、それぞれの漁協には漁業権が定められており、網代は東側を鴨ヶ磯の辺り、西側は岩戸までと決められている。
素潜り漁に関するお話を伺った後、いよいよ教授が本題に移った。「よろしければ、素潜り漁に出る漁船に同行させていただきたいのですが…」。その要望を聞いた理事さんは、笑顔で「担当の者に聞いてみます」とおっしゃった。OKの返事をいただいたわけではなかったが、私は理事さんの口調や表情などから、良い返事をいただけるのではないかと期待した。今後は総務課の前田さんと密に連絡をとりあうことになった。また、図々しいようだが、私たちはアゴ(トビウオ)漁にも同行できればと考えていた。しかし、アゴ漁に関する要望は、岩美町役場のほうで管理されているようで、そちらに伺うように勧められた。
最後に、教授がジオ・パーク認定に伴う、村の変化について伺った。職員の方のお話によると、市場に来られるお客さんのうち、新聞やニュースなどで、ジオ・パーク認定の話を知り、興味を持って訪れたという方が増加しているようだ。
[第9回「ジオパーク・トレッキング-山陰海岸の自然と文化-」 (Ⅰ)]の続きを読む
- 2010/06/24(木) 00:00:39|
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鳥取環境大学は開学10周年を迎え、6月19日(土)は記念式典と講演会が催されました。
記念講演会は、日本ジオパーク委員会委員長の尾池和夫さんが「変動帯に生きる」と題して、講演されました。地学・天文学から俳句までさまざまな要素を絡めた講演内容で、ときおり会場からは笑いが起こり、盛況のうちに無事講演会は終了しました。
ところで、この記念式典・記念講演会にあわせて、『鳥取環境大学紀要(第8号)』開学10周年記念号が刊行されました。10周年記念号とあって、これまで違う2部構成となっています。第一部は論文・報告、第二部は沿革・組織図や教育・研究活動の軌跡などが掲載されており、厚みのある一冊となっています。
ASALABからも以下の2論文が掲載されています。
1.岡垣・浅川「仏を超えた信長 -安土城見寺本堂の復元-」(p.31-51)
要旨: 織田信長が創建した安土城見寺は、16世紀後期の安土城築城の際、近隣より本堂を移築し、その2階に「盆山」を祀った寺院である。創建当初は真言宗の寺院であったが、17世紀中期に臨済宗に改宗した。19世紀中期には火災に遭い、三重塔と仁王門など一部の堂塔を残してほぼ全焼してしまう。本稿は、その火災で廃墟と化した見寺本堂を復元しようとする試みである。見寺本堂にかかわる文献・絵図史料はきわめて少なく、復元のための基礎的操作は遺構そのものの分析以外では、類例仏堂からの構造・細部の引用に頼らざるをえない。本稿では移築前をA期、創建当初をB期、改宗後をC期に時期区分し、各時期の意匠と構造を復元する。
【キーワード】安土城、見寺、本堂、織田信長、盆山、中世仏堂、復元
2.大給・今城・浅川「オホーツク文化の船形住居 -トコロチャシ跡遺跡オホーツク文化9号住宅跡の復元-」(p.69-86)
要旨: 道東オホーツク海沿岸の北見市常呂町には、国指定史跡常呂遺跡を中心に3千基以上の竪穴住居跡が地面に凹みを残した状態で確認されている。現在、史跡指定・整備の準備を進めている近世アイヌ期のトコロチャシ跡遺跡でも、下層にあたるオホーツク文化期の焼失竪穴住居が複数見つかっており、本研究は同遺跡のオホーツク文化9号住居(c期)を復元する試みである。まずはオホーツク文化の住居に関する研究史を整理した上で、9号住居の遺構を分析し、その形状の特徴から同期の住居跡を「船形住居」と命名する。上屋構造の復元にあたっては類例遺構に残る建築材料の痕跡を集成し、民族学的な知見を加えて模型制作と基本設計をおこなった。最後に、今回の復元案と従来の復元案を比較検討し、今後の課題を整理した。
【キーワード】オホーツク文化、トコロチャシ跡遺跡、船形住居、四脚構造
[『鳥取環境大学紀要』開学10周年記念号 刊行!]の続きを読む
- 2010/06/23(水) 00:00:25|
- 建築|
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「たくみ21」6月例会(14日)での発表からまる1週間過ぎた。主催者のKさんをはじめ、あの夜にご参集いただいた皆様にはこの場を借りて深く御礼申し上げます。アシガル君の発表をうけて、わたしが最後のまとめとして述べた点は以下のとおりです。
1)複数の情報筋によると、現在の改修設計案(現状変更案)は文化庁の審議会で認可されないだろう。
2)したがって、辺野古のように期限を区切って改修設計案(現状変更案)を文化庁に提出しても却下されるだけ。いったん却下された場合には、2度め、3度めの修正申請も空振りに終わる可能性が高い。
3)いま必要なことは多面的かつ冷静な集中審議ではないか。西高の問題は「文化財」や「高等学校教育」に限らず、「都市計画」「景観計画」「緑地造園学」など多分野に跨る問題であり、「移転撤去か改修か」で感情的になっている人材を排して、専門家と市民代表による専門委員会を組織し審議することが重要である。
4)審議の期間は最低1年間、どんなに短くても年度末までとする。
5)審議の結果を文化庁に報告し、文化庁との調整に移行する。この問題は文化庁にすべての権限があるわけではなく、地域問題としての審議の結果を十分主張する。
6月例会はからっとした楽しい会でした。西高問題というと、対抗勢力によるどろどろした誹謗中傷が少なくありませんが、この会はほんとに愉快で冷静で良かったと思います。こういう雰囲気で正式な審議も進めていただきたいものです。
さて、ついに「西高の現状変更申請凍結」の新聞記事が本日(6月22日)でましたね。わたしがたしかな筋から得ていた情報とほぼ同じ結果です。文化庁は現位置での改修建設に難色を示し、移転を勧告しているという記事です。というわけで、西高の改修計画は白紙に戻ってしまいました。「たくみ21」でわたしたちが提案したような「史跡と共存する校舎の設計」をおしつける気持ちはさらさらありませんが、上の5項目に述べたように、多面的かつ冷静な審議を重ね、「地域の結論」として文化庁に申請するならば、新しい光がさしこんでくるにちがいない、と信じています。(完)
[鳥取城三ノ丸高等学校(ⅩⅢ)]の続きを読む
- 2010/06/22(火) 16:34:41|
- 史跡|
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「たくみ21」6月例会 6月15日(火)。「たくみ21」6月例会で「鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計-」の発表を迎えました。前日は、プレゼンの自主練習、配布資料の用意と緊張で一睡もできないまま当日を迎えました。
そして、午後6時頃にゼミ生と会場の割烹たくみに到着し、会場の設営などを行い、講演の時間を待ちます。6時半を過ぎたころに続々と来場者が来られ、さらに、緊張は高まりました。用意されていた席はほぼ埋まり、研究室のメンバーは立ち見になっちゃうほどです(申し込みが多すぎて、数名断られたとも聞きました)。
まず、最初に「たくみ21」代表のKさんが、教授と私の挨拶紹介をして後、鳥取民芸協会を設立した吉田璋也とそれに関係する鳥取城と県立高についての説明がされました。そのあと教授が挨拶を行い、いよいよ私の発表の番です。
私は、予想以上のあがり症ですが、発表は思ったよりもスムーズに進みあまり噛まずに発表を行なうことが出来ました。卒業研究の公聴会よりは、うまく出来たかなと自分でも思っています。でも、声も小さく棒読みすぎて伝わりにくい所も多かったと反省しています。それでも、30分ほどでなんとか無事に発表を終えることができました。
[鳥取城三ノ丸高等学校(ⅩⅡ)]の続きを読む
- 2010/06/21(月) 12:48:04|
- 講演・研究会|
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サス研コンペ表彰式 只今ブログで連載中の「ブロッサム・ギャラリー」、そろそろ終盤を迎えていますが、6月16日(水)、コンペの表彰式が学内でおこなわれました。代表として、わたくし轟が出席させていただきました。大学生活で表彰式にでるなんて思ってもなかったもので、ちょっと緊張気味に向かいました。応募者8組全員が表彰を受けました。表彰状と副賞を受け取り、写真撮影。表彰後はサステイナビリティ研究所長により、各作品(出席者作品のみ)の講評がおこなわれ、
私たちの「ブロッサム・ギャラリー」については、
木壁組壁構法と木造軸組構法の併用する具体的な構法の提案、間伐材を利用する
トチ葺き、生物多様性を表現したブロッサム・ギャラリー、建物内部の平面配置、
機能的な動線など、よくまとまっている。
と評価をいただきました。また、応募者全体に対しては、
短期間にも拘らず、魅力的な作品、アイデアが多く提案され、今回の応募された
学生のアイデアをできるだけ研究所に取り込みたい。
と仰られていました。今回応募された各作品は後日、本学情報メディアセンター前通路で展示をするそうです。

さて、表彰式だというのに3グループが欠席しました。いずれアシガル先輩が報告されると思いますが、表彰式前日に「たくみ21-6月例会-」があり、ゼミ生全員がサポートに駆けつけたのですが、そのときに電話で連絡がありました。通知メールを送信したということでした。応募者に対して事務局から連絡があったのはこれが初めてのことです。大学に帰ってからメールチェックしたところ、表彰式の通知メールの受信時間は6月15日の夜7時過ぎでした。ずいぶん急な話です。今回のコンペの運営にはかなり問題があると、また思わざるをえませんでした。そう言えば、先週、委員長宛に提出した質問書の回答もまだありません。受賞について応募者に連絡がなく、前夜の表彰式開催通知・・・優秀賞は2点あったのですが、そのうち1グループも欠席するありさま・・・
私にとってはじめてのコンペでしたが、参加したこと、作品のできの良さより、運営に対しての煮え切らない後味のわるさのほうが印象に残ってしまった感じです。(轟)
- 2010/06/20(日) 12:45:30|
- 研究室|
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はぁ・・・なんとか間に合った。今日は土曜日なんだけど、環境大学の開学十周年記念式典があって、日本対オランダ戦を控えているとはいえ、欠席するわけにはいきません。式典後の記念講演会、尾池和夫さんの「変動帯に生きる」はとてもおもしろかった。尾池さんは元京大総長で、日本ジオパーク委員会の委員長でもあり、「ジオパーク・トレッキング」プロジェクトのメンバーはぜひ聞いてほしかったですね。いや、愉快で刺激的な講演でした。プロにもアマにもうける講演というのはこういうものだということを教えていただきました。とくに最初のひと言がばか受けでしたね。満場拍手の渦。あのシーンは、いつかユーチューブにアップされるんじゃないでしょうか?
というわけで、講演が終わったのが午後3時半。オランダ戦のキックオフが8時半だから余裕の運転だとおもっていたら、またしても宝塚トンネルで12キロの大渋滞・・・それでも、こうしてなんとか間に合いました。
オランダ戦の先発はカメ戦と同じか・・・トルシエや金子-Swatte-達仁はメンバーの入れ替えを強く示唆していて、わたしもより守備的な陣形・戦術をとるべきと思っていましたが、岡田監督はメンバーを変えなかった。心配なのは、イエローカードを1枚もらっている選手が2枚めのイエローをもらってデンマーク戦に出場できなくなること。オランダ戦はなんとか2点差までにとどめて、決戦となるデンマーク戦にかけるべきだとわたしも思ってましたが、さてどうなるか??
前半終了。いまのところ、理想的な展開。「パチンコの釘」大作戦、奏功中ですね。やっぱり監督はこのブログを読んでいる??
本田はトラップ、もう少し丁寧に!
後半8分、やはりスナイデルか・・・いいキーパーなら防げたな・・・
0-1の敗戦。上出来です。
しかし、驚いたな・・・キャプテンの長谷部まで下げて攻撃陣を3名も投入するなんて、信じられない。トゥーリオを前線にあげるべき試合ではありません。1-1でドローにするのが最善ではあるけれども、0-2にされたら大変だ。0-1で良いです。デンマークは0-2でオランダに負けたのだから、0-1で終われば御の字ではありませんか。いまの日本の目的はオランダに勝つことではない(また、勝てるほどのチーム力もない)。グループリーグを突破することです。デンマーク戦が引き分けでも良い状況をつくれる可能性を残した点で非常に価値ある試合でした。評価すべき結果です。
2試合を終えて、勝点3、得失点差0。次の試合こそが決戦。デンマークvsカメルーン戦の結果を待ちましょう。
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- 2010/06/19(土) 08:00:32|
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生物多様性を表現する緑化パーゴラ 周囲にパーゴラを設けて、その周辺に生物多様性を表現する植栽を施す。
パーゴラに絡める蔓性植物 南側は、秋に紅葉するナツヅタを主とし、覆屋東側の一部のスペースにスイカを植える。また、水路の上部にはプランターを設け、そこにナツヅタなどを植える。東側は、全体に朝顔・昼顔を這わせ、入口から南側半分は四季咲きの赤いつるバラとカボチャ、北側半分にはパーゴラ上部に吊るしたプランターにキイチゴを植える。キイチゴは春と秋に収穫できる2種類を併用。北側は東の2/3のスペースにキウイ、北側の西の1/3スペースには春に咲く白いつるバラと四季咲きのクレマチスを植える。西側は、北側から続いてウッドデッキ手前まで春咲きの白いつるバラと四季咲きのクレマチスを植える。ウッドデッキにはプランターを吊るし、そこにゴーヤとヒョウタンを植える。室内からの眺望を阻害することがないよう、主にパーゴラの柱に蔓を這わせる。残りのウッドデッキから南側には藤を配する。
また、ウッドデッキを除く全体には常緑のフユヅタを這わせるため、冬でも緑がある。
パーゴラ以外の植栽 南側の車道から続く歩道の周辺にはアジサイやサザンカを配する。現在歩道沿いに植えられている桜の木は、位置をパーゴラの外側(東側)に移してそのまま利用する。北側のパーゴラの外側にはジューンベリーやユスラウメを植栽し、花や実、さらに紅葉を楽しめるようにした。さらに、既存植物の山吹を移植する。西側のウッドデッキから伸びる橋の南側には小さな畑を設け、大根やジャガイモ、赤カブを栽培するよう計画した。
そして、北側パーゴラの内側(ピロティ部分)には、屋根がかかるラインの下部に庭石(できれば佐治石)を並べ、そこには岩松(イワヒバ)を植える。その外側のパーゴラがかかる部分は「杉苔の絨毯」とする。また、雨水貯水タンクと北西のパーゴラのコーナーとに囲まれた部分には、ツワブキを配する。ツワブキは観賞用だけではなく、茎を佃煮などにして食用にすることもできる。
下の全体平面図をクリックすると画面が拡大し、植栽する植物を画像として確認できる。
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- 2010/06/18(金) 13:04:17|
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芝棟の植栽 建築緑化の全体コンセプト 拠点施設の周りにめぐらせた「パーゴラ」及び敷地の随所に、多様な植物を植えることで、「建築の非建築化」及び「生物多様性の促進」を目指した(↑)。四季折々の花と果実をあしらうことで見た目にも楽しい植栽を計画する。植物は一部を除いてなるべく多年植物とし、植え替えの手間を省いた。パーゴラの植栽に加え、屋根頂部に茅葺き屋根をつくり棟に植物を植える「芝棟」(↓)をつくり、このブロッサム・ギャラリーの「顔」とする。
パーゴラには、その全体に常緑の蔓性植物をあしらい、四季を通してサス研施設を緑で包むこととする。建物西および建物南西の水路側は足場が斜面であるためパーゴラ内部を歩けないので、観賞用植物を基本とした。逆に中を歩くことのできる建物北および最も人の往来の多い建物東は、果実のなる植物を中心としたので、見て楽しむだけでなく「採って」「食べて」も楽しめる。また、ウッドデッキの前面・側面にあたる部分には、夏に日差しが直接室内に入るのを防ぐため、ゴーヤ・ひょうたんを植える。いずれも1年草であり、冬になると枯れて室内に日差しが取り込めるようになっている。

オニユリの芝棟。群馬県長野原町
(参考画像出典:亘理俊次 『芝棟-屋根の花園を訪ねて-』 八坂書房)
芝棟の植栽と無管理計画 芝棟(地方により草棟、クレグシ――クレ=土、グシ=棟――とも言う)はその名のとおり、茅葺き屋根の棟に芝土を乗せ、さらにそこにイチハツ、ノカンゾウ、ユリなどを植えるものである。こうして土と芝で棟をおさえ、植物の根によって土を固めることで、茅葺き屋根のなかで最も風雨に弱い部分である棟を守る。このため、芝棟に植えられる植物には根張りのよいアヤメ、ユリ類などが選ばれることが多い。とはいえ、
時間が経つとともに様々な植物が根をおろし、予期せぬ風景を生むのが芝棟の魅力であり、あえて管理せず「ほったらかし」にすることで、力強く美しい芝棟がつくられる。審査委員(事務局長)のコメントによると、「維持管理が不可能」だそうだが、これは大変な偏見であることをここで指摘しておく。
芝棟を拠点施設の屋根頂部に設ける。
「ブロッサム・ギャラリーⅤ」―芝棟の項で触れたように、屋根の上部にだけ茅葺き屋根をつくり、その茅葺きの内側にプランターを設ける。ここに植える植物については、「乾燥に強く、根茎がしっかりしていること」「鳥取らしさが感じられること」を考慮し、1つは「ラッキョウ」と決めた。ラッキョウは秋に赤紫色の花を咲かせるユリ科(ネギ科もいわれる)多年草植物で、ラッキョウづくりがさかんな鳥取東部ではひろく親しまれている植物である。他には、シロツメクサ(クローバーとも呼ばれるマメ科1年草、開花:春、花の色:白)、ノカンゾウ(芝棟に常用されるユリ科多年草、開花:夏、花の色:オレンジ)を植える。シロツメクサは1年草だが、大学構内・ビオトープの随所で毎年見られており、芝棟にも根付いていくことが期待できる。芝棟は、パーゴラの植栽とともに四季を感じさせてくれることは勿論、ブロッサム・ギャラリーの「顔」として親しまれていくことだろう。(きっかわ)
- 2010/06/17(木) 13:07:07|
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火と水のウッドデッキ1.雨水の貯蔵と再利用 自然エネルギー活用の一環として、雨水の循環利用を考えた。トチ葺屋根の軒先に金属製の樋をめぐらせる。金属製の樋は意匠上やや無粋なので、箱状の「樋隠し」をパーゴラの天井に置く。雨水は二方向に流し、一方はウッドデッキの貯水タンク、他方はパーゴラ西北隅の貯水タンクに溜める。ウッドデッキの貯水タンクには濾過装置をつけて飲用水を蛇口から出す。オーバーフロウの水と排水はビオトープの水路に流す。パーゴラ西北隅の貯水タンクに蛇口はつけるが、濾過装置はつけない。パーゴラ植栽への水撒き用水として利用する。オーバーフロウの水と排水は礫敷暗渠を通してビオトープの水路に流す。
2.山田式カマドの再生活用計画 暖炉は学内に設置された「山田式カマド」(↓プロジェクト研究で学生が自主制作した中央アジア型ストーブ)を解体移築し、材料の瓦や粘土はもちろんリユースし、設計し直してて比例拡大し使用する。焚き口はホール側とデッキ側の両方に設けことで暖炉に「二つの顔」を与える。室内側の「暖炉」は展示スペースの中央奥に設置し、だんらんの中心に据える。外側の「竃」は
水と火のウッドデッキでパーティなどを行う際、温もりと調理火の恩恵を与えてくれる。燃料にはもちろん間伐材を用いる。暖炉や竈は間伐材の持続的な消費に大きく貢献する。こうしてみると、トチ葺きの材料としての間伐材も、一定の年限(10~20年)で葺き替えが必要であり、間伐材の持続的使用に貢献するだろう。燃料としての間伐材と屋根葺き材としての間伐材はほとんど同じ意味をもつのである。(武蔵)
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- 2010/06/16(水) 00:00:50|
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昼間、ずっとドクダミを刈ってまして、ときおり、ビワの葉も混ぜて、日陰干ししてます。
春に雨が多かったからでしょうか、今年はドクダミが豊作でしてね。今年2回目の収穫なんですが、あと1~2回は収穫できそうです。
1度めのドクダミ(&ビワ)茶を煎じて飲みながら日本の初戦をみています。娘は「わが家のドクダミ茶は美味しい」という。
デンマークにオウンゴールがあって、E組全体の流れが変わってしまった・・・日本の凶相がそのままデンマークに感染して、日本は癒えてしまった・・・それにしても、デンマークは不調ですね。オランダがたいしたサッカーをしたわけではなくて、あまりに退屈だからTVタックルにチャンネルをまわしたりしてたんですが、0-2の敗戦は予想外だったでしょう。堅守速攻を持ち味とするデンマークがオランダと引き分けることがあれば、日本には非常に辛いところだったのだけれども、まさかの2点差敗戦。少し日本に風が吹いてきたと思わずにいられませんでした。
そして、カメルーン戦。なんで、カメルーンはあんなに日本を恐れた試合運びをしたのだろうか。両者守備的戦術で、ともにシステムは4-1-4-1。守備力は日本がカメルーンを上まわった・・・カメルーンはよほど内紛がひどいのかな・・・エトーはいつもああいう右サイドのゲームメーカーなんですかね。怖くもなんともない。なぜトップにおかないのか??
あらっ、本当に勝っちゃいましたね。うぅぅぅ・・・ん。前回、「4-5-1でスタートして遠藤を使ったら負ける」と書きましたが、今回のシステム4-1-4-1で遠藤起用。結果は1-0の勝利。早くも予想が崩れてしまったな。日本はグループリーグで勝点0~2と予想してたんだけど、まさか勝点3点をもぎ取るとはね。驚きました。
それにしても、カメルーンのコンディションは最悪に近いんじゃないでしょうか。デンマークも良くないから、なんとかオランダ戦をロースコアで凌げば、少し光りがみてくるかもしれません。
遠藤の起用は賛否両論だろうね。オランダ戦でも使うのだろうか?
- 2010/06/15(火) 01:04:12|
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6月10日(木)。今回のプロジェクト研究では、岩美町役場を訪問し、担当の女性職員からジオパークに係わる活動をご説明いただき、また先生や学生が質問をして、いろいろ答えていただきました。漁業班はイカ釣り船にのって取材したいという希望を伝えました。そういう観光ツアーもあるようなのですが、1時間で5万円(4名乗船)と高いので、なかなか決断できません。一方、アゴ(トビウオ)網取り体験は一人5000円で一時間半なので検討の対象となりました。このように海に出て漁を取材すると、地形と魚類の関係や漁民の地形認識(地形の名称づけ)などを理解できるので、漁業班は全体の構想を描き始めていますが、祭り班はやや苦戦している、といったところでしょうか。
その後、二手に分かれて、僕たち漁業班は、網代と田後に向かいました(祭り班は町の図書館へ)。田後では、干してあるわかめを撮影したり、地元のお年寄りや主婦のみなさんにヒアリングしたりしました。聞くところによると、朝市が、土曜日以外の毎日8時半からあるので、近い将来調査することになりました。ちなみに、するめいか漁の取材は断念することになりました。イカ釣り船は2時間半ぐらい航海して沖に出るため、船からみえるのは山だけになり、ジオパークとの関係がほとんどなくなってしまうのです。一方、7月から始めるという白いか漁は沿岸域でおこなわれるというので希望があります。

田後から網代に向かいました。先生は、再びするめを買いました。ここではボートの手入れをしている男性にお話をうかがいました。サザエ漁の取材については、漁業組合を通してほしいということでしたが、わるい感触ではありませんでした。先生はビデオで海士の活動を記録にとり、ユーチューブにアップしたいと言われます。Sくんは海中までビデオに撮りたいと言いましたが、先生は、そんな高価な器材は買えないよ、とおっしゃいました。
この日はどういうわけか、帰りに「すきや」に寄りました。わたしは、野菜ジュース(100円)をごちそうになりました・・・(ヒラク)
[第8回「ジオパーク・トレッキング-山陰海岸の自然と文化-」]の続きを読む
- 2010/06/15(火) 00:00:58|
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ついにワールドカップが開幕しました。これから1ヶ月のあいだカップをかけて白熱した戦いが繰りひろげられるでしょう。いったいどこのチームが優勝するのでしょうか?
そんな遠いアフリカの地のワールドカップに思いをはせながら、ASALABの駐車場サッカーもキックオフ。この週末の夕方は、プロ研1でお馴染みのSくん(大阪出身)とその友達のNくん(経験者、名古屋出身)が参戦しました。最近は、「2対2+フリーマン」という少人数でのゲームしさみしい参加人数でしたが、今日は久々に人数も集まり、意気揚々とスタートしました。ちなみにメンバーは以下のとおりです。
チーム・アソックス
先生、武蔵、轟
チーム・スローソックス
タクオ、Sくん、Nくん
フリーマン
エアポート
なんと、ジャンケンに負けてわたくしエアポートがフリーマンです。ありえません。いつもの試合は、フリマーんに苦しんでいる武蔵をどやしてきたわたしですが、サッカーはほとんど素人であり、の私につとまるはずがありません。といいますか、どういう動きをすればいいのかまったく分からない・・・とりあえず、最後にボールを触ったチームの味方になることを覚えて参戦すればなんとかなるかな・・・。
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- 2010/06/14(月) 00:00:17|
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トチ葺き屋根と芝棟 トチ葺き屋根と間伐材の関係 建築のビオトープ化を実践するためには、周辺の景観に配慮することが大前提であり、必然的に拠点施設の棟高を抑える必要がある。つまり、できるだけ緩い勾配の屋根を使うべきであり、今回はトチ葺を採用することにした。トチ葺とは、三徳山三仏寺などで多用される木片葺で、45℃が基本となる茅葺きなどに比べ緩い勾配とすることが可能であり、勾配は思い切って3.5/10まで緩くした。トチ葺は間伐材の大量利用が可能であり、「森林整備」の目的にかなった屋根葺きの構法であるけれども、維持管理には長短両面がある。屋根の維持管理を重視するならば、板下地の上に直接鉄板葺きとするのがよい。しかし、その場合、間伐材の使用料は極端に減る。トチ葺きの上に鉄板を被せる手もある。こうすれば、間伐材の使用料を多くできて、さらに長寿命の屋根になるだろう。しかし、その場合、間伐材の持続的な使用は抑えられる。トチ葺き屋根を露出することで、一定期間ごとの葺き替えや修理が必要になり、持続的な間伐材の活用が可能になるだろう。建物のメンテを最重視するのか、間伐材の持続的な利用は最重視するのか、慎重に検討すべきだが、審査委員会のコメントには「維持管理」と「経費」の問題が挙げられ、間伐材の継続的な活用については言及していない。
繰り返すけれども、今回のコンペは間伐材の活用による森林整備や、地域産材の有効利用の促進が本来の目的であり、それに敬意を払わぬ木造建築は事業の主旨にそぐわぬものと批判の対象になるだろう。定期的にメンテナンスをおこなうことで、間伐材・地域産材の持続的な利活用が可能となり、地域の林業復興に貢献できると確信している。
トチ葺の下地は、ASALABが4年間修復活動に携わった加藤家住宅プロジェクトで成功を納めた構法を採用した。まず垂木上に横板の天井を張り、その上に桁を敷く。そして、桁の上には竪板を渡して屋根下地とし、防水シートを敷き詰めた上でトチ板を葺き重ねる。竪板と横板のあいだには1尺ばかりの隙間ができ、これが断熱層として有効に機能する。トチ板は厚さ1㎝、長さ60㎝として、20㎝ごとに上の材を重ねていく(葺足は40㎝となる)。軒先では垂木を切り落とし、やや厚めのトチ板を重ねる。これで社寺建築にみまがうほどの軒付が完成する。また、軒樋については、維持管理を考えると銅製のものを採用せざるを得ないが、枠板で囲うことで周囲の景観に配慮している。
ハイサイドライト 屋根は緩勾配で、流れ寸法の総長が7mにもなるため、屋根の中間部を立ち上げて、2段のシコロ葺きにする。これにより、ボリュームを分節・軽減している。さらに、その立ち上がり部分はフロートガラスを用いた窓枠をはめ込み、自然光を建物内部へ取り込むハイサイドライトとしている。このハイサイドライトの内法高は28㎝と短いが、これは軒付の寸法とあわせたものである。決して大きなガラス窓ではないけれども、四周全域にめぐらせることでその総長はおよそ55mにもなり、1日を通して安定した光量を取り込むことができる、自然採光に有効な装置として期待される。
芝棟 屋頂部には「芝棟」を作る。芝棟はおもに東日本の民家にみられる棟の処理であり、一説に屋根が土で覆われていた時代の名残であろうとも言う。長いプランターを棟に置き、それをつっかい棒でとめる。この、つっかい棒は同時にサス兼垂木の役割を果たしており、その上に竹小舞を配して茅を葺く。葺厚は15cm程度で、プランターを隠す化粧材であり、防水機能を完備した本格的な茅葺である必要はなく、場合によっては、学生の手で差し茅・葺き替えをすることも可能である。(葺き替えにはビオトープに自生するススキを使う)。雨水やプランターからの排水は、下層のトチ葺屋根で下に流す。審査委員を務めた事務局長は「芝棟の維持管理ができない」と述べたが、「ほったらかしにすればよい」というのがわたしたちの考えである。東日本の民家でも芝棟は放置しているだけで、特別なメンテを施していない。それでも、毎年、ユリやノカンゾウの花を棟に咲かせるのである。 (タクオ)
- 2010/06/13(日) 00:00:59|
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「木造軸組構法」と「木壁組積構法」 拠点施設となる木造建築に「木造軸組構法」と「木壁組積構法」を併用した。
今日、多くの木造建築の構造形式に用いられている「木造軸組構法」に対して、「木壁組積構法」とは、いわゆる板倉・校倉などの累木壁構造である。ログハウスがこの構法の典型だが、柱などの垂直財を用いずに、横材を積み上げて木の壁構造とするものであり、地震に強い構法としてよく知られている。施設の南側に配する二つの研究室と、北側に位置する管理棟(事務室・トイレ・ギャラリー用倉庫等)は独立した木壁組積構法によって壁体を形成している。それ自体で十分耐震性を備えているのである。一方、累木壁とは独立して、2.4m四方のグリッド上に整然と七寸角の柱を立てて小屋組を組み上げる。ただし、ホール中央では一部の柱を省略し、径八寸の丸柱を立て、大断面の小屋組と、胴差・通し貫を桁行、梁行方向に渡すことで構造を強固にし、開放吹き抜けの大空間を確保している。
また、管理ブロック北側は屋根のみのピロティとし、ブロッサム・ギャラリーに取り込む。小屋組は因幡の民家に特有なサス兼垂木(斜め梁)を基本とし、ホールの梁行方向では松の湾曲梁の中点に桁材をおいてサスを支持する。桁行方向では貫上に立てた直材と湾曲材の大瓶束で牛梁を受ける。ホールにおける牛梁・大梁・湾曲梁・湾曲束は民家型梁組の醍醐味を強くアピールするであろう。
一方、研究室と事務室の上部は、木壁組積構法の壁体上に小屋梁を渡して、その上に束を立てる和小屋組とする。ただし、ハイサイドライトの陽光を取り込むため、水平の天井は張らない。ハイサイドライトより高い位置から反対側に向けて斜め梁をわたし、その上に斜め天井を張るのである。この結果、研究室・事務室においても和小屋と斜め天井を観賞でき、室内にやわらかな自然光を取り込める。(タクオ)

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- 2010/06/12(土) 00:04:36|
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前から思っているのですが、岡田監督はわたしのブログを読んでいますね。
4-1-4-1システム、あるいは4-1-2-3システムを、わたしは早くから
提案していて、岡田監督は
イングランド戦でそれを実践しました。昨日のジンバブエとの練習試合では本田の1トップを試したとのこと。このまえ書いたとおりの筋書きではないですか。本田を使わないと、日本のサポーターが五月蝿い。俊輔を使って、本田を使わないと袋だたきにあう風潮ですからね。でも、本田は中盤で動かない。日本特有の中盤の連動性を本田は奪ってしまう。攻撃に専念させるとしたら
トップしかないわけだ。でも、機能しなかったみたいですね。0-0の引き分けか・・・
本田を使うと誉められる。俊輔を使うと貶される。わたしなら、中村俊輔、使いますよ。前半休ませる手はありますがね。ところで、名波と藤田の元ジュビロ・コンビが「やべっちFC」で長谷部の右サイド起用を主張していました。ただし、名波は4-1-4-1で、藤田は4-2-3-1。3-6-1のトルシエも長谷部の右ウィングバック起用を提案しています。たしかにおもしろい。4バックは左から長友、トゥリオ、中澤、長谷部とする。アンカーに阿部。ボランチに中村と稲本。そして、トップは左から大久保、森本、本田と並べる。森本と本田は守備免除です。
何度も書いていますが、遠藤は通用しない。あんな緩い横パスのサッカーがW杯で通用するはずがない。オシムは遠藤を過大評価している。中村、稲本で中盤を落ち着かせるべきです。
そして、もう一つ言っておきたいことがある。守備的サッカーを恥じてはいけない。堅守速攻こそがトーナメントを勝ちぬく最善の手段です。勝たなければ意味がない。いま世界でいちばん評価されている指導者、モウリーニョのサッカーは堅守速攻そのものではありませんか。バルセロナやスペイン代表やアーセナルのようなポゼッション・フットボールはリーグ戦でやればいい。W杯は生死をかけたトーナメントなんだから。モウリーニョやリッピの守備的戦術を甘くみてはいけません。この二人の監督は、ヒディンクを上まわる名将です。
守備を固めて速攻。そのためにも、遠藤は外し、長谷部、阿部、稲本の3人を起用して、堅固な守備組織を形成してほしい。中村俊輔はトップ下では機能しないでしょうが、(ドイツ大会の)ピルロのような低い位置ならボールをキープできます。上の布陣でカメルーン戦に臨んでほしいな・・・きっと、このブログを監督は読みますよ、ふふふ・・・
- 2010/06/11(金) 05:55:15|
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敷地とビオトープの重複関係 建設予定地(以下、「敷地」)は南北に長く、平坦地が東西方向に扇形状に広がる。道幅3.5mの歩道を挟んで東側に講義棟が隣接しており、講義棟出入口と歩道を湾曲した小道が結び、三叉路となっている。いうまでもなく敷地に沿う歩道は、人や自転車の動線であり車両の進入は原則禁止である(↑)。西側をビオトープの小川が流れる。小川となる窪地の幅は3mを測る。現状の敷地内にみとめられる植生は、歩道の両側にソメイヨシノの成木が並ぶほか、敷地北側にアカシヤ、サザンカの成木や山吹が茂る。平坦地のほとんどをタンポポやカラスノエンドウ、シロツメクサなどが覆い、ところどころに杉苔が群生している。サステイナビリティ研究所拠点施設は、車道から教育研究棟に続く歩道に沿って計画する。講義棟に向かう湾曲路の対面を入口とし、エントランスホールを中軸に、南側に研究室ブロック、北側に管理ブロックを配する。
サス研拠点施設は、南北21.6m×東西12mを測る南北棟の長方形平面をした平屋建物である。三叉路正面の敷地にこの規模の平屋建物を配すると、裏側にあたる東側の一部が水路をこえてビオトープのエリアにくい込む。しかし、繰り返すまでもなく、拠点施設とビオトープの一体化こそが本計画案の目標であり、施設とビオトープの重複関係を逆手にとって計画している。水路に張り出したデッキや研究室は懸造とし、水路の下にコンクリートの基礎を打ち、さらにその上に自然石の束柱を立て、木材を支える。デッキの床材には水に強い栗やヒバ材を用い防腐処理を施す。研究室の床下には厚い防水層を設けるべきである。
面積についても触れておく。パーゴラを含む施設全体の平面は規定(延床面積:225㎡)よりも大きくなる。しかし、四周のパーゴラは建築面積には含まれないので、延べ床面積は規定内に納まる。ピロティの入口・ウッドデッキ・覆屋の一部は法律上延べ床面積に入るが、これらの部分もパーゴラに変更することが可能であり、さらに床面積を小さくすることは可能である。
木漏れ日のロビー エントランスホールは、ミーティングスペース・休憩スペース・展示ギャラリーを兼ねており、ホール上部に設置したハイサイドライトから降りそそぐ陽光が幻想的な雰囲気を醸し出す。私たちはこのホールを「木洩れ陽のロビー」と呼んでいる。正面奥に山田元助教グループが制作したストーブ(中央アジア式カマド)をおき、その周囲を大壁の耐火壁で囲む。山田型ストーブは、現在、教育研究棟横の駐輪場片隅に雨ざらしの状態で放置されている。本計画案ではこれを移設するのだが、現在あるものをそのまま移設するのではなく、いったん解体し、設計寸法を比例拡大したやや大型のものを施設内に再現する。現在のストーブに採用されている瓦・土などの材料は、もちろん再利用する。耐火壁を隔てた外側は簀子縁風のウッドデッキとし、橋兼歩道としてビオトープの対岸にのばす。なお、ウッドデッキ側からもカマドを使えるようにする。これらについての詳細は別に述べる。
エントランス両脇の2ブロックはミニ・ギャラリーとする。パネル展示などを考慮し、壁面を大壁とし、一方を展示用の棚を設置する。研究室1は南東側、研究室2は南西側にわけ、その中間スペースの北側を開架書庫とする。開架書庫は上げ下げ戸で開閉し、閉めたときにプロジェクターを投影するスクリーンとなる。書庫の南側は研究室用倉庫で、屋外の覆屋と接し、歩道の動線と交わることなく、車道から研究室用倉庫まで直接2トントラックで物資を搬入できる。事務室・所長室は北東隅に置く。その北側にトイレを配し、さらに北西側にギャラリー用倉庫を置く。
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- 2010/06/10(木) 12:59:16|
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「建築のビオトープ化」構想 鳥取環境大学サスティナビリティ研究所拠点施設のコンペは「森林整備加速化・林業再生事業による公共施設の整備」(農水省・林野庁)及び「緑の産業再生プロジェクト事業」(鳥取県)に係わるものであり、「地球温暖化防止に向けた森林吸収目標の達成と木材・木質バイオマスを活用した低炭素社会の実現が求められる中、間伐材等の森林整備の加速化と間伐材の森林資源を活用した林業・木材産業等の地域産業の再生を図る」ことを目的とする。要するに、この事業は「建築の計画・設計」は一種の副産物であり、間伐材の活用による森林整備、地域産材の有効利用を目的としたものであることがご理解いただけるであろう。この目標を実現するためには、間伐材をはじめとする地域産材をふんだんに用いた木造建築であることが必須の前提条件となる。わたしたちの計画案では、一部を除くほぼ全ての部材・建具・家具等に地域産材を用いており、因幡・伯耆地方の民家や社寺建築に特有な構法・細部をできる限り応用した「現代の木造建築」に仕上げている。とりわけ、屋根の全面を覆うトチ葺(木片葺)は間伐材の大量利用が可能な屋根葺き技術であり、注目していただきたい。
しかし、ただ木材を多用した建築を創れば今回の拠点施設計画の目的が達成されるわけではない。敷地はビオトープに隣接している。わたしたちはこの敷地条件をなにより重視した。ビオトープ(Biotop)とは人が創り上げた「生物社会(生物群集)の生息空間」であり、それは小さな「生態系」と位置づけうるものである。いわば「人工的な自然」がそこに形成されているわけであり、その「自然」をサス研拠点施設が破壊してはならない。拠点施設とビオトープの一体化こそが肝要であり、そのためには建築が人工物としての性格を弱め、「自然」に近づこうとする努力が必要であろう。いわば「建築のビオトープ化」こそが求められているのではないだろうか。そのためには、建築の「非建築計画」が必要になる。
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- 2010/06/09(水) 13:02:09|
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学内コンペで優秀賞を受賞! 本学サステイナビリティ研究所拠点施設に係わる学生のアイデアコンペが実施されました。4月21日に募集要項が発表され、締め切りの5月10日まで研究室メンバーほぼ全員で「ブロッサム・ギャラリー :サス研拠点施設ビオトープ化構想」と題する設計案に取り組みました。ASALABが得意とする復元設計ではなく、木造の環境共生建築の設計でしたが、「歴史とエコロジー」を現代に活かす設計はとても楽しかったですね。先週(6月3日)、その結果が学内ホームページの掲示版に掲載されました。設計者にはいっさい通知がなく、いきなり学生掲示板に順位を掲載するという穏やかでない発表形態に一同騒然となりましたが、ゼミ生諸君の健闘の甲斐あって、応募8作のなかで最高位にあたる優秀賞2点のうちの1点に選ばれました。コンペでの受賞は安土城見寺本堂復元設計(2008年)以来です。今回の受賞を記念して、「ブロッサム・ギャラリー」の設計内容を各担当者がブログに連載していく予定です。どうか御期待ください。

↑募集要項(クリックすると画像が大きくなります)

↑敷地写真
1.目的・主旨 某研究所施設の建築計画において、鳥取県、本学の特徴を活かした意匠、機能、自然エネルギーの活用、コスト縮減などについて、アイデアを募集する。次の点を考慮すること。
・木造建築としてのデザイン
・環境共生建物としての提案
・本学の統一された建築景観への調和融合に配慮し、隣接するビオトープや既存植物を
有効活用する。
2.設計条件1 敷地 本学構内 ビオトープ東側緑地内(↑)
2 施設仕様 構造:木造平屋建 延床面積:225㎡
その他:使用部材は県産材とし、40立米以上使用すること。
梁や柱の軸組が見えるなど、伝統的な軸組工法の魅力が
伝わるものとすること。建物敷地はビオトープに隣接して
おり、採光等を工夫して自然との共生をイメージした建物
とすること。
3 所要諸室 研究室1:研究者の研究場所(ハード中心)、実験実習、打ち合わせ
(55㎡※倉庫10㎡を含む):
研究室2(45㎡):研究者の研究場所(ソフト中心)
展示スペースギャラリー:研究成果の展示、来場者の休憩場所、ミーティング
(70㎡※倉庫10㎡を含む)
管理室(25㎡):事務室、所長室
共用施設(30㎡):トイレ、給湯室、研究資料用書庫
4 外構関係 ・敷地内の立木及び、工作物については、建物への支障が生じる場合は移設する。
・敷地のうち100㎡程度を屋外作業場として整備する予定(覆い屋根を別途整備)
であり、そのスペースも勘案して建物の配置を検討すること。
・併せて、作業場へ資材を搬入するため、車路進入路と2トントラックが横付け
できるスペースを確保すること。
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- 2010/06/08(火) 17:59:43|
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ドラゴンの海 恋物語 卒業研究の〆切が近い1月26日の夕刻、外に食事にでる時間も惜しいので、研究室で
鍋を囲んでいるところにNHK東京の女性ディレクターから電話が入った。ハロン湾に取材に行って番組をつくるので、情報を提供してほしいという依頼であった。2本の論文を送信したほか、とりあえずクアヴァン村を訪問して、カルチュア・センターで情報を収集し、村長のチョーさんに会いに行くのがよいだろうと答えたように記憶している。
5ヶ月を経た5月28日、再び連絡が入った。翌29日(土)、ハロン湾の番組が全国放送されるという。
5月29日(土) NHK 総合
AM9:25~9:54
「世界遺産への招待状」 TRAVEL41
ベトナム ドラゴンの海 恋物語 ~ハロン湾~
鳥取の下宿は地上波が映らないので、奈良にいる娘に録画を依頼したのだが、「ゲゲゲの女房」とバッティングしてしまい、その週末は番組を視ることができなかった。しかし、先週になってNHKからDVDを送られてきた。網代で
一夜干しスルメを仕入れた木曜日の夜、ゼミ生とともにDVDを視た(少々スルメを食べ過ぎてお腹を壊した・・・)。

驚いたことに、主役はチョーさんだった。前半はチョーさんの語りを通して水上集落の歴史と今が語られる。後半が「恋物語」である。カルチュアセンターで働く末娘のハンさんに陸の恋人ができて、彼氏がチョーさんに挨拶に来ることになった。観光船の運転手をしているその若者が筏の上に降りても、チョーさんは視線をあわそうとしない。若者は、まだ十分にマナーをわきまえているわけではないけれども、「結婚を前提にした付き合いを認めてほしい」と必死に訴える。チョーさんはとまどいを隠せない・・・が、渋々その申し出を受け入れた。若者が去ったあと、チョーさんはハンさんを連れて東海皇官(龍神)の廟を参拝する。そこで、「たとえ陸に嫁入りすることがあっても、この水上の村のことを忘れてはいけないよ」と諭し、娘は首を縦に振る。番組はここで終わるが、放送後、女性ディレクター経由で、二人が結婚したという朗報が届いた。ただし、新郎新婦が海に住むのか、陸に住むのかは知らされていないという。
衛生委員のロックさんのことも気になったので、ディレクターに訊ねてみた。返事は「ロクさんは撮影をしませんでしたが、お元気そうでしたよ。(小舟に乗っていらっしゃるところをすれ違いました)」。やはりロックさんはクアヴァン村に戻ってきているのだ。チョーさんも、ハンさんも、ロックさんもハロン湾とクアヴァン水上集落を愛している。かれらと接した者なら、だれだってそのことを承知している。かれらにとって、「陸」はかりそめの理想郷にすぎない。「陸」に夢を求めた者たちもいずれは現実に直面して落胆し、永遠の理想郷がじつは故郷にあることに気付くことになる。海に住むほうがよいと水上居民は心の底で確信している。だから、ハンさんの朗報を祝福したい一方で、その幸福に一抹の不安を覚えるのも事実である。これ以上余計なことを書いても仕方ない。あの極楽のような景色のなかで、心を水に洗われながら、ハロン湾の漁民たちは未来を生きていくだろう。(完)
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- 2010/06/07(月) 12:56:24|
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こんにちは、ドゥンビアです。
と言うと、サッカーに詳しい方、あるいは去る4日(金)のワールドカップ最終強化試合【日本VSコートジボワール戦】をご覧になっていた方は、「お!?」と思われることでしょう。そう、ドゥンビアさんは、コートジボワールのサッカー代表選手です。かく言う私は……さて、誰でしょう?? その答え、そして私の名前がドゥンビアになった理由は、追記にて……。
さてさて、昨日お知らせしたように、6月4日金曜日は、ASALABのみんな(先生、タクオさん、エアポートさん、部長さん、武蔵くん、轟くん、ドゥンビアこと私)でサッカー観戦に行って参りました!と言っても勿論スイスまで観に行ったわけではありません(いつか行きたいなあ……)。鳥取市内のサッカー専門スポーツバー「カナイチヤ」さんにお邪魔してきました。
スポーツバーに行った経験がない私は、お店に入る前からちょっと緊張。入ってみると、そこはカウンター席が10席ほどとその後ろにテーブル席がいくつか並ぶ、落ち着いた雰囲気のお洒落なお店でした。カウンターの前にはもちろん観戦用の大きくて高画質なテレビ。店内の随所にサインやユニフォームが飾られている、まさに「サッカー」の詰まった、ムード満点のお店です。
※「続き」から、日本VSコートジボワール戦の内容・結果について書いています。ご注意!
[ドゥンビア躍動!-日本VSコートジボワール観戦-]の続きを読む
- 2010/06/06(日) 11:58:01|
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駐車場サッカー第4節は6月4日の午後6時10分よりは決行されました。。メンバーは下の通りです
エアーポート&武蔵 チーム
先生&轟 チーム
タクヲさん フリー
本日は、日本対コートジボワール戦を「カナイチヤ」で観戦するため、時間限定の15分ハーフの30分勝負となりました。先週、おまたを負傷し故障者リスト入りをしていた先生も無事に出場されました。始まってから試合が動いたのは前半すぐ。タクヲさんからのワンツーで武蔵が先制ゴール。その後ダメ押しゴールを押し込み、あっという間に2-0。駄目フリーマンと、いままで散々バカにされてきた武蔵くんですが、今までの汚名をはらう働きぶりをみせます!……が、その後すぐに2点を返され前半終了。カナイチヤへ急ぐため、ハーフタイムはナシ! すぐに後半へ突入。
しかし、後半におまたもや悲劇が。浅川ゼミの破壊王、エアーポート先輩と先生が激しく接触。どうやら、先輩の右足キックがボールではなく、先生の右足を蹴ってしまったようです。悲痛な叫びとともにボールを出し、試合を中断。「骨が折れたっ!」と先生は叫びますが、じつは何事もなく、試合は続行。骨折をしているはずの先生はシザースドリブルで攻めてきました。その後も点の取り合いが続き試合は5-5。先週に続きですが……イイんです!引き分けの美学です!今日はフリーマンが上手だったので、楽しい試合でした。
駐車場サッカーが終わってからカナイチヤへ急ぎ、皆で日本対コートジボワール戦を観戦。まるでロンドンのパブのような雰囲気のなか、美味しいお酒とオードブルを食べながら試合を見ていると、(私は運転をする為、飲むヨーグルト。「ガイナーレ魂」が飲みたかった↓) 前半15分にコートジボワールのエース、ドログバがケガで途中交代。帰ってからネットを見ると「ドログバ、右肘を骨折」とのこと。なんてこった! ワールドカップ開幕10日前に故障とは……無事ワールドカップに間に合うことを願います。(武蔵)
- 2010/06/05(土) 12:38:16|
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「暖簾干し」と「簾干し」 6月3日(木)。岩美町役場を訪問する予定でしたが、役場の担当者がいらっしゃらないとのお返事があり、浦富に近い田後(たじり)港を訪問しました。先日、ジオウォークが開催された漁村です。道中、ぼくとM君を乗せたI先輩の車が他の車とはぐれてしまい、ぼくらは先に田後に着いていました。ところが、待てども待てども後続は現れず・・・そのころ教授たちは隣の網代(あじろ)港に寄って、スルメの干し方について地元住民の方へヒアリングしていたのです。聞くところによりますと、網代のスルメの干し方は「暖簾(のれん)干し」と言い、漁であがったイカを暖簾のように吊るして一日干すそうです。その後、田後で教授たちと合流して、早速、集落と港の観察をしながら、近くにおられた住民の方々に、まずは、網代で話題になった「スルメ干し」についてヒアリングしました。おじいさん夫婦にイカ干しの場所を聞いたところ、残念ながら今日はイカ漁に船が出ていないので干していないとのこと・・・
実際にイカを干すときは、前夜のイカ漁を終えた早朝3時ころから、天気予報などを小まめにチェックしながら一日干すそうです。一夜干しの状況を見れなかったのは残念だけど、話を聞いてかなり得した気分になりました。

さて、おじいさん夫婦の話では網代と田後のスルメの干し方が違うそうです。網代の「暖簾干し」に対して、田後では、ベンチ状の台の上に竹編の簾(すだれ)を並べて勾配を付けて置き、そこに捕ってきたイカを並べます。竹編簾はイカを割って干しているあいだ、イカから水分が逃げないようにする効果があるそうです。また、天日干しは漁から帰った直後にすぐおこないます。「網代と田後の一夜干しでは、どちらが美味しいですか?」と訊ねてみたところ、「田後の方がスルメは美味しい」という記事が最近新聞に出たばかりだそうです。「水分」を残す田尻のスルメには「旨み」も残るという記事らしく、大学に帰ってさっそく調べてみないといけません。事であった書いてあったそうです。新聞に書いてあった話なので、スルメの干し方が違うだけで美味しさが変わるというのは食べてみないと分からないかも知れません。ちなみに、網代でも味の違いを質問をしたのですが、答えは「網代と田後で同じ」だったとのことです。個人的に食べ比べてみたいと思っていたのですが、教授に頼んで、今後、味の違いを分析しようという事になりました。

↑網代の暖簾干し ↑田後の干し場(この日は干していなかった)
[第7回「ジオパーク・トレッキング-山陰海岸の自然と文化-」]の続きを読む
- 2010/06/04(金) 12:56:51|
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2005年6月28日にアップした「
転害門に住みつく野良猫たち」はロングセラーの読者を得て、すでに「19拍手」を頂戴しています。国宝にして世界文化遺産の一部でもある東大寺転害(てがい)門とそこに住みついた(50匹ばかりの)野良猫はどちらが貴重なものなのか、私見を述べた記事です。わたしは両者の価値はほぼ同等であるけれども、猫には生命が宿っているのだから、それを奪うようなことがあってはならないと書いています。先日、「まきこネコ」さんからコメントを頂戴しました。彼女は、文化財より猫のほうが大切だと書いてらっしゃいます。
時は流れて、2010年5月15日。みなさんは5月15日と聞いて何を思い浮かべますか。「子供の日」の10日後・・・あれはもう17年も前のことなんだ・・・1993年5月15日、Jリーグが開幕したのです。マリノスが逆転でヴェルディを下したあの夜が昨日のようですね。じつは5月15日は息子の誕生日でもあるのですが、かれはまったく蹴球に興味を示さず、羽毛球(バドミントン)と軟式網球(テニス)に熱中する毎日です。公私にわたり、かくも目出度き一日なのですが、今年はその日が厄日となりました。息子のバースディのために娘と二人でシチューを作ろうとしていた患者に持病再発。脳動静脈奇形、恐るべし!! すでに壊死したと思われていた奇形、すなわち直径3.5㎝ほどもあった奇形は鷹の爪ほどに小さくなっていましたが、まだ生きておりました。発症後2週間が経って、いまは病院で恢復に向かいつつあります。

そんなこんなでひっくり返った週末でしたが、同じ日の朝日新聞(大阪)に上の記事を発見。環境省が、野良猫を「地域猫」として管理するためのガイドラインを策定したという報道です。素晴らしいじゃないですか。絶命危惧種などの稀少生物を対象とするのではなく、野良猫を保護するための指針を国のお役所がまとめてくれた。法律とまではいかないけれども、こういう指針があるとないでは大違いです。わが家の愛猫デブも野良上がり。いまやこの猫の姿がみえないと、家族全員、「どうした、デブは?」状態です。そのデブ、いちばん世話してくれる初老の主婦が居なくなって、困った顔をしております。もっとも、娘たちによると「母は動物のようだ」そうです。デブと母との共通点??
「地域猫」の管理指針の詳細については、「
住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」をご参照ください。
- 2010/06/03(木) 12:56:13|
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