ブローニーで遺構を撮影! 8月21日(土)。ついに遺構の写真撮影の日が来ました。撮影のために松江市より山村カメラマンが来鳥されるため、朝10時に門脇茶屋で待ち合わせという段取りで、先に現場にあがる先発隊とYさんを出迎え、撮影器材を運ぶ後発隊(助手2名)とに分かれることにしました。
先発隊は前日に作成した、撮影アングルの計画図をコピーしてから現場に向かったのですが、普段より少し早い9時20分に摩尼寺に到着しました。山村さんが「奥の院」に来られるまで30分以上あるため、先発隊は現場の準備に取り掛かれるだろうと思っていたのですが、なんと山村さんは先発隊が摩尼寺に着いたときにはすでに茶屋に着いておられたのです。朝7時に松江を出発されたのだそうです。しかし先発隊も荷物を抱えており、とても撮影器材を運べる状態ではなく、申し訳なく思いながら、器材の搬入は後発隊にゆだねることにしました。
一足先に現場にあがった先発隊は、遺構の状態をチェックし、撮影の補助に必要な道具を準備するのですが、轟の姿がありません。轟は先発隊として、毎朝恒例になっているご住職へ挨拶に向かったのですが、なかなか現場にあらわれないのです。じつはご住職より大量の缶ジュース(20本ほど)の差し入れをいただき、それをMyリュックに詰め、現場を目指していたのですが、あまりの重さに苦戦していたとのこと。前日にエアポートさんが14リットルの水を現場に運んでいたのですが、それに及ばずとも、なかなかの重さ。遅れて現場に着いたときには、ヘトヘトになっていました。それでも遺構の清掃状態を確認し、補助道具の準備を終わらせると、ちょうど後発隊のタクオさんと武蔵くんが山村さん、先生とともに到着。少し休憩したあと、この日の撮影の計画をYさんに伝え、いざ写真撮影に取り掛かります。
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- 2010/08/23(月) 21:01:22|
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