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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅠ)

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下層遺構はいつの時代か

 8月28日(土)。この日も下層遺構の検出をおこないました。昨日からL字トレンチの深掘りが始まり、この日はA区・B区のL字トレンチに加え、C区西壁沿いに設定した台形状のトレンチも下げていきました。昨日、轟担当エリアから出た凝灰岩石敷列の発見が刺激になって、この日の現場は下層遺構の検出に活気付きました。しかし、はやる気持ちとは裏腹に、午前中の作業ではそれらしいものが一向に出てきません。

 沈黙を破ったのは、武蔵が掘り下げていたC区西側トレンチでした。C区西側トレンチは平坦地と崖の境目です。先生がガリで試し掘りすると、ほどなくして長形大土坑から連続する凝灰岩敷石が出てきました。これを武蔵が追っていくと、この敷石は平坦地側には伸びる気配を感じさせるものの、崖側では崖の少し手前で完全に切れていることがわかりました。この切れ目は南北軸というよりも崖に平行です(↑)。先日先生が検出された斜面(崖)の凝灰岩とどのように接続するのか、今後の展開が注目されます。また、このエリアからは上層のタタキと凝灰岩敷石の間から、瓦器風の土器片がいくつも出てきました。これらは上層遺構の竣工年代を知る重要な手がかりです。

 部長が担当したA区L字トレンチは、深さ30センチになり、凝灰岩の粒がまじった「茶灰土」層(上層タタキ)の下から赤みがかった凝灰岩粒まじりの「赤褐土」層があらわれました。この層からは握拳大の凝灰岩片が2~3出るぐらいで、下層基壇敷石や礎石らしきものはみつかりません。試しに轟のエリアから出た凝灰岩石敷列とA区L字トレンチ底のレベルを比較すると、A区L字トレンチの方が10センチほど低いことがわかりました。仮にこのエリアの凝灰岩石敷が飛ばされていたとするならば、凝灰岩粒まじりの赤褐土層は下層の基壇土である可能性が高いでしょう。ここで、C区西壁トレンチから出てきた土器が正真正銘の瓦器であれば、上層が中世前半の造成ですが、下層基壇の築成年代は不明なままでした。

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↑武蔵が発見した「瓦器?」   ↑エアポートが発見した「須恵器」
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  1. 2010/08/31(火) 00:22:03|
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