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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅧ)

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新たなるスタート!

 10月4日(月)。この日は午前中雨だったため、午後から現場にあがりました。まずはトレンチに溜まった雨水を抜き、以下の作業内容を分担で進めました。

  1 岩陰と石仏のスケッチ
  2 Ⅲ区(岩陰トレンチ)、Ⅳ区(岩窟トレンチ)の縄張り
  3 C区西側斜面の深掘り
  4 トレンチの座標測量

 この日、ASALAB 3年生のヒノッキーが現場に登場。ヒノッキーはスケッチが得意で、昨年も研究室活動で大活躍しました。さっそく岩陰の下にずらりと並んでいる石仏、木彫仏などのパノラマスケッチを依頼。あいかわらず見事なタッチで描いていきます。
 さて、岩陰では新たにⅢ区(岩陰トレンチ)の縄張りをし、先生立会いのもと表土を剥ぎ始めました(↑)。表土をはぐと、すぐに岩盤らしき石が出土。しかし周囲を下げると薄っぺらな板状の石であることが判明。また、板石の下からは表土系の黒灰土が出てきており、この板石は新しいものと思われます。黒灰土の下からは赤茶けた粒々の土が出てきました。先生は、まるでグラウンドの土のようだとおっしゃっていました。おそらくこれは岩陰直下の参道の盛土ではないかとのことです。一方、Ⅳ区(岩窟トレンチ)は、トレンチ用の縄張り作業でストップ。このⅣ区は、岩窟の成立年代を検証する重要なトレンチなので、今後慎重に掘り下げていきます。縄張りの際、調査区域に測量鋲を打ち込もうとしたのですが、下に岩盤があるのか5~10センチほどしか入りません。おそらく、岩窟前の平坦地は、地肌が非常に薄いと考えられます。Ⅲ区、Ⅳ区からどんな成果が上がるか今から楽しみで仕方ありません。

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 ところ変わって、この日はC区西側斜面にも新たにトレンチを設け、深掘りを始めました(↑)。C区西側の斜面には凝灰岩盤と思われる岩が一部露出しています。この斜面の凝灰岩盤がおそらく地山で、下層遺構の凝灰岩盤とつながっているだろうという仮説を検証するためのトレンチです。まず、斜面に溜まった表土、黒灰土を取り除いていきました。これら表土、黒灰土は斜面上部から崩れ落ちてきた土と思われます。黒灰土を取り除き、上層廃絶後の盛土と思われる土層にさしかかろうとしたとき、凝灰岩がトレンチいっぱいに出てきました。これが岩盤なのか、浮いているものかはまだわかりませんが、明日この出土状況を平面実測、レベル測量し、岩盤でないと判断されるなら、さらに掘り下げていかなければなりません。学生がC区西側斜面を深掘りしている間、先生はC区南側の列状集石遺構の石の生き死にを確認されました。やはり廃棄されたものがほとんどですが、上層タタキに食い込んだもの(元位置のもの)もみられ、その中には五輪塔も含まれています。これら五輪塔の年代を特定できれば、上層遺構の成立年代が明らかとなるでしょう。その後、C区南壁の断面に線引きをされました。断面の作図は、明日おこなう予定です。
 下層遺構の写真撮影が終わって、ようやく新たな作業がスタートしました。これまで学んできたことを活かし、迅速かつ積極的に作業を進めていきたいと思います。もちろん丁寧に、丁寧に。(Mr.エアポート)

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岩陰にトレンチをあけるということで・・・
  1. 2010/10/11(月) 03:37:44|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅦ)

岩陰から山村カメラマン


下層遺構の撮影

 10月3日(日)。3日ほどかけて掃除した遺構の写真撮影の日が来ました。朝から、今にも雨が降りそうな曇り空でしたが、日差しが強すぎるよりも、こういう小雨混じりの曇りのほうが撮影には良いのです。日射がきついと、陽光と影で遺構がマダラになり、芸術写真としては使えても、発掘調査の報告書写真としては使えません。この日差しのない曇った天気が、撮影時だけでももってくれれば言うことなしです。予定通りの時間に門脇茶屋で山村カメラマンと落ち合い、前回と同様、学生が撮影に必要な機材を運搬。撮影の準備中に学生はブルーシートをめくり、岩盤の落ち葉をかき集め、取り除いていきました。山村カメラマンが撮影しているときは学生が2人ほどサポートに付き、先生や残りの学生も順次、撮影していく体制で進めていくことに。

 今回は8月下旬の撮影時点から遺構の状態が大幅に変化しています。前回は上層遺構の撮影でしたが、今回は凝灰岩盤に空いたホゾ穴状ピットや礎石など下層遺構の撮影です。ただし、前回は日差しの強さのため全景がまだらになっていたので、今回もほぼ同じアングルから再度撮影しました。
 まずは岩陰から遺構の全景をおさえ、テントのある遺構の南側に向かっていき、地区ごとの中景を撮影していきました。天気がもてばよかったのですが、遺構の北側からB区とD区の中景を撮影しているときに雨が降りはじめ、上層礎石の表面が斑になってアップの撮影ができない状態に一時なりましたが、下層の凝灰岩盤などは多少雨に濡れても表面に変化がないため、撮影は順調に進みました。
 今回重要な遺構である凝灰岩岩盤とそれに空くピット。すり鉢状土抗で発見されたホゾ穴付凝灰岩↓などは念入りにブローニーと35mmで撮影していきました。

BC区間畦で発見された火輪


 遺構を半分撮影したころから天気は再び日差しのない曇り空となり、絶好の撮影環境の中、どんどんとシャッターを押す音が連続し、予定よりもかなり早く、午前中で撮影の作業が終了。今回は天気が味方をしてくれたようです。
 昼休憩後、後期プロジェクト研究2の1年生が掘ることになっている下側の加工段(Ⅰ区)の表土を一部試し掘りしました。表土を剥ぐとほとんど黒灰土でしたが一部で茶灰系の土が確認でき、埋もれていた安山岩も顔を出しました。今後の調査が楽しみです。

 最後になりましたが、松江よりまたしても撮影にお越しくださった山村さん、雨が降るなか撮影していただき、本当にありがとうございました。(轟)

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  1. 2010/10/10(日) 12:49:19|
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遥かなまち、くらよし探訪(Ⅸ)

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修理現場の見学

 10月6日(水)。倉吉探訪スタートです。すでに授業も始まり、夏休みのころのように一日中調査には行けませんが、この日も授業が終わるのを待って倉吉に出発。短い時間ですが調査に行ってまいりました。
 本日は看板建築の修景を見学させていただけるという事で、倉吉市文化財課のSさんとご一緒に伝建地区へ。そこで1棟の看板建築と2棟の建物の修理を見学させていただきました。その一つに公民館を修理しているところがあり、施工業者の皆さんのご好意で修理作業の内容を説明をしていただけることに。根継ぎや金輪継ぎなどで、なるべく古い材を残したままの修理を行っていました。建物全体をジャッキアップし、継ぎ手を行う。部材は全て現場で加工する。「古い部材を残しながら修理を行うのは手間もお金もかかる。加えて、重要文化財などと比べて、重伝建地区の建物には修景などへの規制が少ないため、古い材などの保全ははかられないケースもある。しかし、倉吉においては、こうした保全を重視している」と、Sさんは熱く語って下さいました。この現場は、7日(木)にもプロ研の2年生を連れて、もう一度現場見学をさせていただきます。

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 見学を終えた一同は現場のみなさんにお礼を言い、次の目的地「土蔵蕎麦」へ。しかし、美味しい土蔵蕎麦を食べるためではありません。現在、土蔵蕎麦では「ふるさとモノクロ展覧会」が開かれており、倉吉の古き良き時代(昭和)の写真が展示してあるということで、昭和レトロ街の構想を練っている私達が行かない理由はない! 展覧会にお邪魔させていただきました。
 そこで幸運にも主催者の方々にお話を聞かせていただけることに。昭和の風景が記載されている本や、こんど開かれる県の展覧会の話など、今後研究の役に立つ情報をいただきました。皆さん、ありがとうございました。
 さて、プロジェクト研究に使う資料を作成する必要があるため、本日はこのへんで。Sさんにいただいた資料を片手に帰路につきます。
 いきなりお邪魔したにも関わらず、親切に接して下さるみなさんの優しさが心にしみます。みなさん、本当にありがとうございました。「優しいまち、くらよし探訪」でした。(武蔵)

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  1. 2010/10/09(土) 13:28:48|
  2. 景観|
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遥かなまち、くらよし探訪(Ⅷ)

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なつかしの倉吉線

 10月5日。今回の倉吉探索では、風景データベースの完成を目指して、旧陣屋町エリアの際(きわ)とも言える、倉吉銀座通り(堺町~新町)の風景の探索と、小鴨川周辺の探索を行いました。

 本日、わたしは汽車での鳥取から倉吉へ移動しました。鳥取-倉吉間は、快速とっとりライナーもありますが、出発時間の関係上、各駅停車の列車としました。倉吉まで小1時間程度の道のり。汽車の旅はなんとも、いいものですね。
 「遥かな町へ」のなかには、倉吉駅周辺の風景もいくつか出てくるため、倉吉駅到着後はその風景写真も…と考えていたのですが、ちょうど駅舎の工事が行われており、防音シートに隠されて駅舎の姿がまったく見えなかったため、今回は撮影を見合わせました。
 倉吉駅から旧市街地まではバスで移動。時間帯によっても変わるでしょうが、ほぼ10分間隔でバスが出ており、非常に便利です。漫画のなかで主人公が乗っていた「西岩倉」行…ではありませんでしたが、同じ銀座通りを通るバスで、旧市街地へ。堺町バス停で降り、そこからは銀座通りの風景を探索して歩きました。

 地図と漫画のコマとにらめっこしながら歩いていたとき、銀座通りの北側に「倉吉鉄道記念館」があることを知り、今回、足を伸ばしてみました。鉄道の風景も近代を感じさせるものであり、漫画のなかにもかつての倉吉線の姿が描かれています。記念館はこじんまりとした建物ですが、倉吉線敷設後から、その廃止までの写真が壁をぐるりとめぐり、そのほか実物のSLも展示されています。

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 明治36年、鉄道山陰本線が境港・米子から倉吉エリアまで開通しましたが、駅は倉吉旧市街地を通らず海に近い上井に置かれました。このことが最大の原因となり、旧市街地エリアが衰退をみせはじめたことから、倉吉市は旧市街地を通る鉄道をつくり交通の便を整えるため、津山-倉吉間の鉄道敷設の断念を経て上井-倉吉間の鉄道を開通させました。これが倉吉線です。
 倉吉線の敷設にともない、駅前通りは大いに発展しましたが、昭和60年、倉吉線は廃止となりました。

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  1. 2010/10/08(金) 12:28:46|
  2. 研究室|
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遥かなまち、くらよし探訪(Ⅶ)

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重伝建の外側へ

 10月4日(月)。だんだんと秋深まる今日この頃、夏の猛暑に耐えかねて紅葉する前に枯れてしまわないか心配な木々を横目に、今日も倉吉へとやって参りました。これまで重伝建地区内および重伝建に近い区域での風景・昭和レトロ要素の調査を積み重ねてきましたが、今後の計画・設計をみすえ、昭和レトロ街の具体的な設計エリアを構想するため、今回は重伝建区域の外へ飛び出すことにしました。

 具体的には、西町エリアより西の、鍛治町・河原町エリアで、これまでの調査でも幾度となく歩いた町並みではありますが、あらためて視察調査を行いました。鍛治町・河原町では、浅川研究室が2002年~2004年の旧陣屋町エリアの町家調査で、建造物悉皆調査が行っており、報告書も刊行しています。

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 さて、昭和レトロ街の敷地案を考えるにあたって、わたしたちが特に考えるべきことは、
・重伝建地区の外側とするか、内側とするか
 重伝建との共立・調和を考えると外側が望ましいかもしれませんが、あえて内側へつくる案も考えられます。
・「遥かな町へ」に描かれる風景との関係が深く、谷口ジローをテーマとして「昭和レトロ」という魅力をあらためて創出できる
・看板建築や近代建築が残る場所で、昭和レトロを復元するにふさわしい場所であること
・看板建築が残されていると同時に、空き地・町家なども混在し、新築設計・町家コンバージョンなど、幅広いデザインに挑戦できる
 ……などではないかと考えています。

 この視点から、今回あらためて町並みを観察すると、現時点では仮に3つの案が考えられました。もちろんこの案は、今後も変化していくことと思いますが、今回浮かび上がった3つの候補を追記で詳しく述べていこうと思います。

敷地エリア候補案(仮)
 ①瀬崎町エリア
 ②河原町エリア
 ③西町エリア

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  1. 2010/10/07(木) 23:27:00|
  2. 研究室|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅥ)

礎石の掃除


写真撮影に向けて(2)

 10月2日(土)。この日も写真撮影に向けて遺構を掃除していきました。前日にペットボトルに入れて持ってあがった24リットルの水を使い、午前中は凝灰岩盤を洗う係りと上層の礎石などを洗う係りに分かれました。上層の礎石は8月の写真撮影時に一度水洗いしているため、今回は水を含ませたスポンジで軽く表面をなでる程度ですませることに。下層の凝灰岩や安山岩はタワシで表面に付着している泥を取り除き、スポンジで磨いていきました。
 前日、長形大土抗の半分まで終了した凝灰岩盤の掃除は、依然として厚く沈殿した泥に阻まれ、なかなか作業が進みません。一足早くC区の凝灰岩盤の掃除を終了された部長さんは轟とともに、再び遺構にたまった落ち葉を取り除き、その作業が終了したトレンチからブルーシートをかけ保護していくことにしました。

掃除が完了した凝灰岩盤


 先生も午後から轟とともに上層礎石を洗浄されました。その後、下層の洗浄は轟にまかせ、以前トレンチを設定し、ナオキさんが掘り下げたB区の集石の断面作図、注記をされることになりました。掘り下げてからまだレベル測量も終わっていなかったトレンチですが、さすがは発掘を十数年経験された先生。あっという間にレベル測量をすませ、午前中から取り掛かっている凝灰岩盤の掃除が終了する前に作図、水糸なしで作図と注記まで終わってしました。実測→レベル測量→線引き→作図→注記と一連の流れがあるのですが、やはり学生と先生では年季が違いますね。注記後はB区の集石周辺の礎石の破片等が生きているかどうか、チェックされました。
 集石とその周辺の調査をおこなった結果、タタキの範囲は集石内の一部に留まっており、B区集石の下には表土系の黒灰土が噛んでいるため、大半の石は動いており、五輪塔片もまたやはり動かした形跡があるとのこと。目に見えるところに礎石が点在しているにも係わらず、B区内のほとんどの石が当初位置にないことはとても残念です。

 この日、午後15時頃に麓の喫茶店のご夫妻がはじめて現場を訪問されました。調査開始時から何かとお世話になっており、いずれ現場に上がって見学するとおっしゃられていたのですが、今年の夏の暑さのせいか、なかなか上がってこられなかったそうです。お二方とも70歳を超えておられ、現場に上がってこられるまで1時間もかかったそうです。ただし、途中で草刈りや橋づくりをされていながらの山登りですから、1時間と言っても、そう長いわけではないでしょう。ありがたいことに、アイスコーヒーの差し入れまでいただいき、掃除終盤の作業に活気づきました。

 さて、明日はいよいよ2回目の写真撮影(ブローニー)となります。8月の撮影同様、松江市から山村カメラマンが来鳥されます。近頃は悪天候がつづいているため、撮影の日は2日分設けてあるのですが、できれば1日でけりをつけたいですね。(轟)
門脇茶屋夫妻来訪

  1. 2010/10/06(水) 23:48:42|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅤ)

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写真撮影に向けて(1)

 10月1日(金)。いよいよ神無月ですね。神さまはみんな出雲に行かれてお留守になってしまいましたが、仏さまはちゃんと摩尼山にいらっしゃいますよ・・・この日は、昨日に続き下層遺構の写真撮影に向け清掃作業をおこないました。写真撮影は3、4日に予定しているのですが、天気予報をみると3日の降水確率は70%、4日が40%とあまりよくない予報。しばらく天気予報とにらめっこが続きそうです。この日の清掃作業は以下のように分担してすすめていきました。

 上層・下層遺構の掃除: エアポート、轟
 C区西側トレンチ凝灰岩盤の掘り出し: 部長
 長形大土坑の凝灰岩盤の掘り出し: ナオキ

 昨日、A区とC区の上層遺構の掃除を完璧に済ませたのですが、昨晩は風が強かったせいか、現場にあがってみると砂塵や落ち葉がちらほら。さっそく各担当にわかれて遺構の掃除に精を出しました。さて、昨日エアポートが掘り出した隅丸方形ピット周辺の凝灰岩盤を部長さんが丁寧に掘り出していくと、新たにピットが3つ出てきました。昨日の隅丸方形ピットとは異なり、今回発見したピットは円形に近く、規模も10センチ程度とそれほど大きなものではありません。近くに以前先生が発見された楕円形の大きなピットがあるので、これが柱穴(もしくはホゾ穴)だと仮定すれば、小型の円形ピットは「足場穴」とも考えられます。

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 一方、ナオキが担当する長形大土坑は、9月10日に岩盤をすべて露出させたのですが、わずか3週間で再び泥に埋まっておりました。以前掘り下げた際に確認した「波打つ凝灰岩盤」の面影はまったくありません。作業が最も速いナオキの手にかかっても、分厚い泥にパックされた長形大土坑は一日で半分しか掘り出せませんでした。

 上下層遺構の掃除も終え、トレンチの縄を新しく張り替えると、なんだか現場が輝いて見えます。某女子学生じゃありませんが、「ん~、遺跡らしい」。明日は、引き続き凝灰岩盤を掘り出し、上層礎石や岩盤を水洗いし写真撮影に備えます。(Mr.エアポート)

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  1. 2010/10/06(水) 21:20:50|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅣ)

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セクション完了!

 9月30日(木)。長月の晦に、断面の線引きと作図、注記作業をおこないました。また、週末に下層遺構の撮影を控えていえるので、上記と併行して遺構の掃除をしました。

 さて、断面の作図も残るは「B区Lトレンチ西壁」のみ。27日に線引きを済ませていたので、ただちに作図に取り掛かります。B区Lトレンチ西壁は全長7mあり、学生の作図スピードでは今日中に注記作業が終えられないと判断された先生は、ペアとなっている轟と部長さんに、左右両側から半分ずつ作図するよう指示されました。先生は午後から授業があるので、作図の制限時間は1時間半のみ。
 その間、先生とエアポートは1年生のプロジェクト研究「歩け、あるけ、アルケオロジー」に向けて、一段下の加工段(今後、これをⅠ区とし、現在発掘調査中の加工段をⅡ区、岩陰トレンチをⅢ区、岩窟トレンチをⅣ区と命名します)にトレンチ用の縄張りをおこないました。以前も記したように、Ⅰ区は北東-南西軸に延びる19m×5mの加工段(斜面を整地した平坦地)で、礎石と思われる石が一列にならんでいます。これが動いているかいないかは、これから発掘してみないことには分かりませんが、ここを試掘して、Ⅱ区と同じように上層面、下層面、凝灰岩岩盤を探しあてることを目的としています。今回は、礎石風の石が集中して並んでいる南西側に8.6m×1.4mのトレンチを設定しました。
 小さなトレンチですが、これを、Ⅱ区と同じ四分法で掘り下げていきます。また、ナオキは昨日から引き続き、「すり鉢状トレンチ」の掘り下げと掃除をおこないました。大きな樹根を取り除くと、凝灰岩片が一面にひろがっており、浮いていることがわかりました。また、平べったい礎石風の石の周辺からは木炭のような炭化物が検出されました。これを炭素14年代測定(C14)にかければ、すり鉢状遺構の年代特定につながるかもしれません。

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 予定の1時間半を少しオーバーするも、轟と部長さんの作図作業が完了。直ちに先生が注記に移られました。B区Lトレンチ西壁には礎石と思われる石が2つあります。注記の結果、一方には石の下に表土系の黒灰土がかんでおり、元位置から動いていると思われます。もう一方はタタキの下地にすわっているので元位置にあると判断してよいでしょう。上層の平面復元に向け、また一歩前進です。
 先生が注記されているあいだ、学生たちは遺構を掃除していきました。すっかり秋も深まり、上層遺構には落ち葉が積もりに積もっています。また、秋の長雨は凝灰岩盤を再び泥でパックしてしまいました。この日の清掃作業は、凝灰岩岩盤の掘り出し、上層の掃除です。撮影に向け、黙々と掃除を進めていくと、エアポートが掃除していたC区西側トレンチの凝灰岩岩盤から2つのピットが出てきました。しかも、一つはB区の凝灰岩岩盤に穿たれたホゾ穴と、C区の先生が発見されたピットを結んだちょうど中点にあり、柱列を思わせます。今回発見したピットは円形と言うよりも隅丸方形のピットで、この点もホゾ穴に近いように感じられます。また、隅丸方形ピットの近くから出たもう一つのピットは、面白いことに楕円形のピットから5本の溝が延びており、まるで人の手(右手)のような形をしています。ためしに手をかざしてみると、なんとなくフィットするような。この手形ピットは一体何なのでしょうか。

 この日の作業で、ようやく断面の作図&注記作業が完了しました。現場の清掃作業も思いのほか進み、加工段にもトレンチを設定したことで、現場には新たな風が吹き始めました。このまま勢いを絶やさず発掘調査をすすめていきたいと思います。(Mr.エアポート)

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  1. 2010/10/05(火) 19:29:24|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅢ)

畦



下層礎石の正体

 9月29日(水)。この日は各々が役割を分担し、以下のような作業をおこないました。

  1 注記済み断面の写真撮影
  2 下層遺構の礎石周辺の掘り下げ
  3 残りの断面の線引き、作図
  4 下層遺構の平面実測

 まず、注記を済ませた断面をF4、デジカメを使い撮影。撮影する断面とその付近を綺麗に掃除し、各断面位置の写しこみを入れてから、断面の連続写真を撮影しました。撮影は作図した断面図をもとに同じ方向から、F4では断面を3~4mの遠景を撮影し、デジカメで2m程度近づき近景を撮影していきました。はじめてF4を手に撮影する学生。はたしてうまく撮れているでしょうか。

 すり鉢状土抗で検出されたホゾ穴付凝灰岩の全体像をつかむため、土抗に設定していたトレンチの縄張りを拡大し、掘り進んでいきました。いつものことながら、整地土は硬く、地下には大きな樹根が多くはりついています。なかなか作業が進みませんでしたが、掘りひろげたところから大量の凝灰岩を発見。この凝灰岩たちは浮いているかどうか、まだ不明です。

拡張したすり鉢状トレンチ
↑拡張したすり鉢状トレンチ

 C区とB区の間に設けている畦から検出された下層遺構の礎石と思われる石の周辺を掘り下げました。据付穴の面まで掘り下げていくと、徐々に石の姿が明らかに。さほど大きくない石のようで、さらに周辺を掘っていくと、礎石と思われていたこの石は、五輪塔の火輪(上下反転している)の部分であることが判明。一同ガッカリするも、火輪の中央に圧痕が残っており、自然石を根石にして、礎石に転用したかとも思われました。しかし、先生は一晩考えたあげく、おそらく「礎石の抜き取り穴にいくつかの石・五輪塔片を投棄した状態」だろうとおっしゃいました。五輪塔は平安時代末に起源しおもに中近世に制作されますが、下層遺構面から切り込むこの穴が礎石の据え付けだとすると、他の下層基壇土(整地土?)から出土した土器の年代観(10世紀ころ?)と矛盾します。一方、この穴を礎石等の抜き取り穴と考えるならば、下層遺構の廃絶にともなうものなので、五輪塔の年代がそのまま下層建物の廃絶年代に等しくなり、矛盾が少なくなるのです。
 さて、反転した火輪は、ひっくり返して見ないことには分からないのですが、底面が25~30cm四方であり、たしかに今までで一番大きな火輪ではあります。火輪は屋根の背が高いほど古いという傾向があるそうで、この火輪が年代の中世に遡ることを祈るばかりです。

CB間畦の礎石
↑下層礎石抜取穴に投棄された3つの石(手前の3石:中央が火輪)と上層礎石(奥)

 先生は断面の注記を引き続きおこない、27日にわずかに残ってしまった「C区西壁」、次いで作図が終了した「C区北壁」、「B区Lトレンチ東壁」、「A区西壁」の土層注記が終了。断面の作図は残すところ「B区Lトレンチ西壁」一面のみとなりました。

 そしてこの日、大型カメラによる下層遺構撮影の日取りが10月3日(4日を予備日)に決定しました。写真撮影に向けて、明日から遺構全体の清掃をおこなわなければなりません。しかし、まずは、残されたB区Lトレンチ西壁の作図と注記を早急に終わらせなければ。その作図の担当はわたしです。(轟)

断面撮影
↑断面撮影
  1. 2010/10/04(月) 21:50:30|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅡ)

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現場にエンジンポンプ導入!

 9月28日(火)。この日は、午前中雨だったため、午後から現場に上がりました。雨は27日の夜から降り続け、天気予報では28日も雨が降るとのこと。現場のトレンチは間違いなく満水でしょう。これまでトレンチ内の水抜きはバケツとヒシャクを使っての人力作業で、豪雨の後は水抜きだけでも相当な時間を費やしていました。以前、乾電池式のポンプを購入したのですが、もともとドラム缶用ポンプだったので、濁水の発掘現場ではいまいち効力を発揮しません。今後の発掘調査のことも考えて先生と協議し、水中ポンプかエンジンポンプを購入することにしました。午前中にホームセンターに行き、ポンプを探しました。

 さて、ホームセンターに行くと水中ポンプもさまざまで、棚一列にずらりと並んでいます。また、これらは工事現場用や農業用など用途はさまざまで、さらに清水用、汚水用に分かれます。エンジンポンプも同様に色とりどりです。値段は似たようなものなのですが、いったいどれが今回の発掘現場に適しているのか、店員さんとも相談しながら吟味しました。
 水中ポンプとエンジンポンプ。この2つの大きな違いは、ご存知のように電気駆動とガソリン駆動であること。ということは、水中ポンプの方はポンプとは別にガソリン駆動の発電機を現場に持ってあがらなくてはいけません(ホースも別売り)。昨日の三次元測量でも、ガソリン満タンで6時間動く発電機を用意されていました。その日、お手伝いで現場まで測量道具を運搬しましたが、小型とはいえこの発電機の重さは尋常ではありません。また値段もとても高価です。ホームセンターでも発電機を確認したのですが、値段を見て驚き!1ヶ月のバイト代ではとても買えるものじゃありません。重量もなかなかのものです。もっとも小型で軽いものですら、12キロ(その分値段は高い)もあります。安いものは安いのですが、その分大きくてずっしりと重たいです。しかしながら、発電機があれば水中ポンプだけでなく、他にも電気ポットや電気ストーブも使え、これから寒くなる現場では大活躍でしょう。
 一方、エンジンポンプは、文字通りエンジンとポンプが一体となっており、サイズも小型で片手でもらくらく運べます。最大のポイントは、エンジンポンプは本体以外にもホースやカプラーがセットになっており、ガソリンを入れればすぐ使えます。ただし混合ガソリンなのでガソリンで動く発電機よりも燃料代が高いのが難点です。

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  1. 2010/10/03(日) 22:18:09|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅠ)

岩窟測量


4度目の正直! 3次元レーザー測量

 9月27日(月)。前回に続きこの日も朝から晴れ間があり、雨で3度も中止となった、岩陰の3次元レーザー測量をついに決行することになりました(↑)。学生は測量に必要な機材を現場まで運搬する手伝いをしなくてはならないため、普段より早い時間に集合。ただし、岩陰の測量中、学生は普段と同じ作業をおこなっていきました。

 さて現時点での断面実測は轟・部長組の3ヶ所を残し、ほぼ終了しているため、轟(「⑧B区東壁)」と部長さん(「⑭A区西壁」)は引き続き断面の実測をおこなうことになりました。2人の担当している箇所が終われば、実測すべき断面は残り1ヶ所(「⑦B区Lトレンチ西壁」)となり、いよいよ長かった断面の線引き&作図の作業も終わりに近づいて来ました。

 B区内にある集石をXY軸にほぼ平行なトレンチ(50cm幅)を設定し、掘り下げていきました(↓)。B区は「黒灰土」が厚く堆積している場所ですが、この集石の高まり部分にはす焼土を含むタタキが顔を出しています。このタタキを剥いだところ、薄い「黒灰土」があらわれました。昨日述べたように、「黒灰土」には下側のタタキ下地層と上層建物廃絶後の表土系の土の両方があり、ここでも両者は錯綜としています。「黒灰土」の下からは凝灰岩を含んだ硬い土が検出され、それにくいこむ安山岩もいくつか顔をあらわしました。他の地区でみられる下層の基壇土とよく似た土です。B区と言えば、長形大土抗の底で凝灰岩盤が検出されおりますが、今回の掘り下げレベルでは集石内まで岩盤は延びていません。顔を出した凝灰岩混りの土と共に、炭交じりの土も発見しました。集石遺構表面の大半の石は動いています。「奥の院」廃絶後に本堂跡に参拝した人が、石をならべて火を焚き供養しなのでしょうか。果たしてこの集石の正体や、いかに…

B区集石トレンチ
↑B区集石トレンチ

 一方、D区谷側の土抗は断面調査のため、武蔵くんが土抗を半割りし、掘り下げていきました。遺物等の発見はありませんでしたが、黒灰土が予想以上に谷側に伸びており、土抗の範囲が拡大するでしょう。下層遺構の写真撮影が終わるまで断面が確認できる程度のレベルで一旦掘り下げをストップします。

 先生はA区北壁のネーミングに没頭しておられました。この断面には玄武岩と思われる大きな礎石風の石があり、断面を精査すると玄武岩の底部は根が多く、黒灰土が囲むように空洞となっており、どうやら動いている可能性があります。その後、15時頃、に武蔵くんが実測し終えたC区西壁の土層注記中に突然の雨。徐々に強くなる雨脚に実測中の学生も一時テントに非難せざるを得ません。雨が弱まるのを待っていたのですが、岩陰をレーザー測量中のAコンサルタントの方々がなかなか降りてこられないため、エアポートさんが様子を伺いにいくと、どうやら岩陰を測量中で、雨に気付かれなかったそうです。

 一向に止む気配を見せない雨ですが、先生はひとりコウモリ傘を手に断面の注記に向かわれ、C区西壁のネーミングをほぼ終わらせました。たしかに大きな傘やポンチョのような雨具があれば、小振りの雨でも作業ができます。早いうちに準備しておかなければ。(轟)

C区西壁
↑C区西壁

  1. 2010/10/02(土) 22:37:53|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩ)

眞田さん


断面にあらわれた下層礎石の抜取穴?

 9月26日(日)。今日も引き続き、断面の線引きと作図、注記を主におこないました。

 まず、午前中はブルーシートにたまった水を抜く作業から。ブルーシートをめくるために、ひたすら水を汲み取ります。そうしていると倉吉市教委のSさんが突然登場。8月8日以来2回目の訪問ですが、おおきく様子が変わった現場をみて、驚いておられました。水抜きが終わったブルーシートを一枚一枚めくり、下から現れる遺構の状況を先生が説明していきました。一時間ほど見学された後、ちょうどお昼になったので、Sさんは帰路に着き、私たちは昼休憩となりました。
 午後からはそれぞれの担当する断面の線引き、作図、注記をおこないました。私の担当エリアはC区北壁です。前日までになんとかかんとか線を引き終えたので、今日はようやく図面に描いていきました。C区北壁はあまり深く掘り下げていないため、深掘りしたところに比べると土層の数も多くなく、当初思っていたよりもスムーズに・・・とはいっても、半日かけてようやく一枚仕上げるのが精一杯でしたが・・・

 今日はそのほかに、タクオさんが⑪A区東壁・⑫A区南壁と作図途中だった④B区西壁の実測を終え、先生は⑨D区北壁、⑬すり鉢風トレンチ、⑪A区東壁・⑫A区南壁の注記を完成させました。すると、いくつか据付穴や抜き取り穴と思われる断面がみられることがわかりました。

以下、日誌から。

⑪A区東壁、⑫A区南壁
 →上層タタキによってパックされた第2層の下に下層礎石の据付と抜き取り穴と思われる断面を確認した。それらは、すり鉢風トレンチ底の抜き取り穴?と相関性があるようにもみえる。今後、深堀をして穴の底を確認する必要あり。

⑬すり鉢風トレンチ
 →下層の礎石にもみえる平たい石の周囲に、上層の柱の据付もしくは抜き取り穴と思われる断面を確認。下層の礎石を上層に転用した可能性も考えられる。

A区南壁-穴ctすり鉢風トレンチ-s2
左:A区南壁にみられた穴の痕跡(断面図中央部)  右:すり鉢風トレンチ

 他のグループはほぼ断面図作成を終えてしまったので、残る私たちのグループ(部長&轟)も急がねばなりません。また、明日はレーザー測量の予定。これまで雨で3度も延期になり、4度目の正直となるのか。最近は予報が外れることが多いので天気が心配ですね。(部長)

  1. 2010/10/01(金) 21:08:14|
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