Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅥ)

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「遥かな風景」を探して

 プロ研4第5週目の28日(木)はまたまた引き続いて午後いちで倉吉です。午後1時学務課前集合にもかかわらず、出発は15分遅れました。私はきちんと遅れずに行ったのですが・・・
 今回の風景撮影では、風景データベースの、まだ撮っていないところと人物が登場するところを中心に、前日私がピックアップした場所に向かいました。
 まず玉川沿いを歩きながら主人公の登校する場面や朝の人びとの通勤風景や、主人公と女友達の学校帰りの風景を撮りました。玉川沿いをひと通りクリアして、次は主人公の実家です。お父さんが家の前をほうきで掃いているシーン、その1枚だけ撮っていなかったので撮ってしまおうということで撮影しました。そのあとは瀬崎町の方まで歩き、1枚写真を撮り、次は満正寺へ。お寺で主人公が酔っ払っているシーンなど、いくつか撮影しました。お寺の中にあるお墓にもいくつかまだ撮っていないシーンがあったので、風景データベース以外にも漫画を見ながらこれを撮っておこう、と3~4シーン撮影しました。ここで今日の撮影会は終了。占いをし、御礼を言い、満正寺をあとにしました。

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 そのあと4年生のきっかわさんが「カフェに行こう、おごってあげるから」と言って下さったので、みんなでお茶をしました。こうやってまちを歩いていると、何気ない会話のなかでも、昭和っぽい、レトロな感じだなぁ、などの言葉が出てきます。倉吉の雰囲気もだんだん馴染んできて、いろいろな場所やお店に行ってみたいと思うようになってきました。

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 今回は特に大変でした。終始雨が降っていて、でも撮影は傘をさしたままではできないのでモデルになった人は濡れてしまいます。また、移動範囲が今日は長かったです。帰りの車の中は静かでした。みなさん風邪ひかないように気をつけてください。来週は先生の、河本家住宅の講演を聴きに行きます。(建築・環境デザイン学科2年N.N)

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  1. 2010/10/31(日) 02:07:03|
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遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅤ)

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遥かなまちへ、本格クランクイン!

 10月21日(木)に倉吉を訪問しました。今回の訪問も倉吉を舞台にした「遥かなまちへ」の撮影です。前回は登山の格好でそのまま撮影をしていたのですが、今回は小道具を持参し本格的に漫画のシーンの真似をしてみました。撮影は順調に進み、青天の下、傘をさして学生のデートシーン(上写真)を撮りました。楽しくてノリノリです。私はかっぽう着を着ました。かっぽう着は小学校の給食当番以来で、とても懐かしいと思いました。シーンの中で大切な小道具だと思ったのが自転車で、次回は自転車を用意するなどもっとスムーズに撮影できるように下準備をしっかりとしていきます。

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(撮影の様子)

 倉吉の町を散策すると小さなことにも気が付きます。店の外にあるショーケースの中には古いものがたくさんありました。古びた壺が千円で売ってあったり、その隣には真珠のネックレスが飾ってあったり。「倉吉レトロ街」として古いものなどを町を上げて展示しているものもありますが、そうでなくとも元からそこにあった古き良きものも多く発見することができます。昭和・大正のものは、平成生まれの私でも「懐かしいなー」と思ってしまうものばかりです。

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(左:途中で見つけたレトロなレストラン 右:レストランのショーウィンドウ)

 散策混じりの撮影はすぐに時間が経ってしまいました。最後は白壁土蔵群でラストショット。カメラを持ってうろうろしていると、観光案内の方々が撮影に応援してくださり、また5時で閉まってしまう貸し自転車屋さんも、5時を過ぎたのに自転車を貸して下さりました。倉吉の人はみんな親切で、「倉吉を愛しているんだなー」と実感しました。今回の旅のお土産は「わ!ふる里!」というワッフルです。倉吉にあるケーキ屋さんはいろいろな種類と可愛いネーミングのお菓子がたくさん売っています。ぜひ皆さんも行ってみてくださいね!(2年 A.K)

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(白壁土蔵群にて、父の後姿。 左:漫画『遥かなまちへ』コマ)
  1. 2010/10/30(土) 02:22:31|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅤ)

井戸の黒ピット


黒いピットの掘り下げ

 10月23日(土)。今日は、下層井戸遺構でみつかった黒いピットの掘り下げ・平面実測・写真撮影、B区・D区の平面検出、Ⅲ区の根切り・平面検出をおこないました。

 下層井戸遺構でみつかった黒いピットは北側2ヶ所、南側5ヶ所(21日の時点では4ヶ所でしたが、23日に作業しているともう1ヶ所発見)の合計7ヶ所です。このうち、北側であぜの壁沿いにみつかっている小さめの黒いピットは触らずに、他の6ヶ所を掘り下げました。それぞれ8cmほど掘り下げ、その後、現状の平面を実測しました。さらに、脚立を使いつつ全景や詳細を写真撮影していきました。
 平面検出は、礎石の配置がはっきりしないB区とD区を中心におこないました。昨日張った柱配置グリッドのラインから、両側に50cmずつの位置にロープを張り、表面に積もったちりや土を2cmほど掘り下げて取り除いていきました。すると、B区の長形大土坑と集石遺構の間からは、轟くんが50cmほどの双子穴とおぼしき痕跡を発見。さらに、D区の三つ子穴が出た台形トレンチ脇から、エアポートさんが人頭大の礎石風の石を発見しました。こちらはサイズ的には小さく、束石かもしれません。
 Ⅲ区では、ナオキくんが直径15cmほどの巨大根っこと格闘。自宅からハンマーとのみを持参したナオキくんがひたすら根っこを切っていくと、ようやく巨大な根っこを取り去ることに成功。やっと平面検出が可能となり、断面をみながら平面をみていくと、柱穴が3つほど確認できたように思います。

 D区石 のみと根っこ
左:D区台形トレンチ脇から出た石  右:Ⅲ区の巨大根っこと格闘

 午後からは、1年生のU.SくんがⅠ区の表土はぎにやってきました。なんと彼は摩尼山まで自転車で来たそうで、その話を聞いたとき同じく自転車で摩尼山まで来た黒帯くんを思い出しました。しかし、やはり1年生だからかそれほど疲れも見せず、現場に登って少し休憩をはさんだ後、一人で黙々と表土はぎに励みました。落ち葉が降り積もり、根っこもはびこっていましたが、あらかた表土をはぎ終えたところで、今日の作業は終了しました。
 最後に、明日以降が雨の予報なので、全面にブルーシートを掛けて現場を保護しました。井戸はひとまずストップして、次は平面検出に力を入れたいので、あまり降りすぎないことを祈るばかりです。(部長)


  1. 2010/10/29(金) 00:00:16|
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第4回「歩け、あるけ、アルケオロジー」

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Ⅰ区での遺構カード描きと深掘り

〈報告〉 10月21日(木)。摩尼寺「奥の院」の調査に携わってから早くも3回目の発掘になりました。今日は雨が少し降ったので、午後の山道はぬかるみ、僕が最も苦手とする苔の生えた一本橋が滑りそうで怖かったです。いつもより疲れて発掘現場に到着、先生から今日の手順を聴き、作業にかかりました。

 手順: 男子学生は断面観察のための深掘りを進める。
     女子学生は遺構カード・ラベルの書き方を覚え、遺物を取り上げる。

 男である僕は掘る! 単純明快でした。しかし、ただ掘るだけではありません。決められた範囲を掘り面が平たくなるように丁寧に削っていきます。山なんで当然木が多く、木が多いから根も多いです。剪定鋏で根を切りながら掘り進めるのですが、深くなると切れないような根もあり困っています。作業を始めてから約40分後、T君が平らな物質を見つけました。I先輩(部長さん)に見てもらったところ土器片でした。その数分後、僕も細長い土器片を見つけました。土器片を見つけてから、その周囲を触らないように他の場所を掘り進めてました。そうこうしてるうちに暗くなって作業終了の合図があり、遺物を取り上げて現場に
ビニールシートをかぶせ、道具を片付け、帰路につきました。空が曇っているからか山道が暗かったので、懐中電灯で足元を照らしながら下山しました。

〈感想〉 今回初めて遺物を発見した僕、正直うれしかったです。僕はやるからには結果が欲しい性質なんで結果を残せて一安心です。女子が書いていた遺構カードのことはよく分からなかったけど、難しそうでしたが、後々僕も書けるようになると高をくくっています。

〈反省点〉 今回、僕はほとんど手ぶらでした。「山は何が起こるかわかりませんよ。」と言う先生の言葉を聞いて、自分は愚か者であると自覚したので、次回からは山に登る準備をしっかりすることをきめました。

〈最後に〉 毎回、摩尼寺と大学との行き来が先生や先輩方に頼りっきりで申し訳なくおもっています。11月になれば車が手元に来るので1年生を運びたいと思います。(環境マネジメント学科1年 U.S)

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  1. 2010/10/28(木) 00:01:40|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ)

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井戸遺構の周囲に覆屋か?

 10月21日(木)。この日の作業は、D区東側斜面トレンチ、C区突出トレンチの注記および、推定「下層井戸遺構」の掘り下げをおこないました。

 21日に断面の線引&作図をしたD区東側斜面トレンチとC区突出トレンチは、この日注記作業に移行。先生が精査されると、D区東側斜面トレンチでは斜面の中間点に穴の痕跡があることが明らかとなりました。ここはちょうど段差にあたるところで、石垣の抜取穴もしくは裏込とみられます。近くに横たわる石はおそらく縦に並んで石垣か階段を作っていたのでしょう。A区の東側斜面に野面積の石垣がみられる一方で、D区東側の斜面に石垣はなく斜面があるだけです。今回の発見で、この斜面にはもともと石垣があったと推測できますが、この場合、A区とD区とで石垣のエッジがずれることになります。これには疑問が残りますが、整地した地形に合わせたものと考えれば納得いきます。しかし、今回の掘り下げでは今一番底で出ている茶灰褐粘質土が上層のものか下層のものか明確にすることができませんので、今後さらなる掘り下げが必要です。
 C区突出トレンチは、以前注記したトレンチと今回延長したトレンチの層位を比較検討した結果、上層基壇面が徐々に斜めに立ち上がり、延長トレンチに続くことが明らかとなりました。その層位を追っていくと、なんと斜面上部にあった礎石風の石に延びていくではありませんか。つまり、この礎石は元位置から動いていないと判断できます。やはり上層遺構は傾斜面にたつ懸造であったといえるでしょう。先生の精査により、またしても轟&エアポートの説が粉砕されてしまいました。

 さて、下層井戸遺構はこの日、円形トレンチの南側を、断面で確認した井戸堀形のレベルまで平らに掘り下げ、堀形の平面検出を試みました。すると19日に北側で発見した木杭の痕跡のような黒いピットが4つも出現。これらのピットは北側のものよりも一回り大きく、直径は15センチほど。なかには正方形に近いピットも見られます。また、これらピットの配置を見ると、井戸中央を円形に囲むような配置をしており、先生も私もこれは下層井戸の覆屋かと睨んでいます。明日は、北側も同様に堀形を検出するため掘り下げをおこないます。(Mr.エアポート)

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  1. 2010/10/27(水) 11:00:21|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅡ)

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斜面における上下層の境はどこなんだろう?

 10月20日(水)。主に土層断面の線引きと作図をおこないました。

 線引き&作図の対象は、新たに掘り下げた「C区西壁突出トレンチの延長部分」と「D区東側斜面トレンチ」です。両トレンチとも掘り下げが完全ではないので、前回「D区東側斜面トレンチ」で検出された遺物を取り上げる作業と併行して、トレンチを掘り下げていくことに。「C区西壁突出トレンチの延長部分」は延長部分の中間にポツリと置かれた平たい礎石のような石が現位置から動いているのかどうかを確認するため、上層のタタキである「茶褐土」までしか確認できておらず、前回よりさらに30cmほど掘り下げが必要でした。
 「D区東側斜面トレンチ」は斜面であるため、上層と下層の識別が難しく、下層と思われる土層が確認できるまで、「D区土抗」を含めて掘り下げることに。前回は下層であろう「茶褐土」が確認できるレベルまで掘り下げていたのですが、「D区土抗」の底部では、上層の整地土と思われる「暗茶灰土」しか発見できていないため、土抗も深さが40cm程度になるまで掘り下げるのですが、同じく上層と思われる「黄灰土」までしか確認されませんでした。やはりD区斜面では上層の土層と下層の土層がどこかで入れ替わっているのでしょうか。トレンチの掘り下げ後は直ちに、線引きに移行し作図していきました。

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 さて肝心のA区下層井戸の平面検出ですが、斑になって見える部分が多く、断面を確認しながらも、どの程度のレベルまで掘り下げていいものか分からず、一旦、井戸枠内埋土最上層となる「黒灰土」をすり鉢状にならした程度で終了。前回発見された謎の黒いピットの正体もつかめず、担当していたナオキさんはⅢ区での作業に移行しました。岩陰直下のⅢ区は半割りしたトレンチの断面で確認された、掘立柱抜取穴を平面的に捉えるため、半割りのもう一方の東側の平面検出をおこなわなければならないのですが、大きな樹根に阻まれているのです。それを取り除く作業を先生から指示されていたのですが、作業内容の伝達がうまくいかず、Ⅲ区の掘り下げた部分(西側)の樹根を取り除いてしまいました。当然のことながら、またお目玉をくらうことに・・・(轟)


  1. 2010/10/26(火) 12:42:51|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅠ)

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窟檐の痕跡か!?

 10月19日(火)。この日の作業は以下の通り。

 1 Ⅲ区(岩陰直下)断面の注記
 2 推定「下層井戸遺構」の掘り下げ
 3 D区東側斜面トレンチの掘り下げ
 4 C区突出トレンチを延長

 昨日、断面の線引き&作図をおこなったⅢ区(岩陰直下)を、先生がチェックし、注記されました。Ⅲ区の断面は、斜面に沿うように土層が斜めに堆積しており、周囲にそびえる大木の樹根によって大きく撹乱されています。注記をされる前に図面を見た先生は、瞬時に「おかしい」と一言。学生の描いたの断面図では、近代のタタキおよびコンクリート基礎の上に古い土が堆積するという土層関係になっていて、近代の整地が古い時代のものとなってしいます。こういう場合、まず古い層側に切り込んでいる近代の層のエッジのラインを探さなければならない、とのこと。その後、先生が層位を見直していくと、古い層に双子の柱穴(後日3つ子穴であることが判明)があることが明らかに(↑)。つまり、トレンチの壁際から出た土器片(カワラケ)は、柱抜取穴の底に埋没していたものだったのです。その晩のミーティングで、先生から「断面は自分が(思いこみで)見えるがまま作図するのではなく、何故そうなっているのかを考えないといけない。層位は目で見るだけではなく、頭で見るものだ」とご指導をいただきました。
 それにしても、Ⅲ区は岩陰の下のトレンチとあって、今回の柱穴の発見は、1)岩陰に庇があった可能性、あるいは2)Ⅱ区加工段(整地による平坦地)の建築と岩陰の一体化、のどちらかを示すものでしょう。前者の場合、中国石窟寺院でいうところの「窟檐(くつえん)」、後者ならば雲岡石窟などにみられる外陣木造建築と言えるでしょう。

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左:器の底部と縁が残ったスエキ 右:なぞの黒いピット

 下層井戸遺構の掘り下げは、北側、南側ともに中心部に残る黒灰土(井戸枠内埋土最上層)を取り除いていきました。まもなくして南側からは底部から器の縁まで残った分厚い須恵器と小さなカワラケが出土。北側からは、直径10センチほどの黒いピットが連続して検出されました。ぱっと見た感じでは朽ちた木杭のようですが、今の段階ではなんともいえません。今後の調査で明らかとなるでしょう。

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 昨日に続き、D区東側斜面トレンチは遺物を取り上げて掘り下げを再開。掘り下げをおこなった轟くん曰く、茶灰土とその下の茶褐土は斜面下で途切れ、ここで基壇が終わるようですが、これいかに。また、C区斜面にある礎石が元位置のものかどうかを確認するため、C区突出トレンチを延長し、断面の層位と礎石の関係をみていきました。掘り下げを担当したのは私ですが、C区突出トレンチでみた盛土と似た灰茶褐色の土が斜面に沿って出てきており、礎石は元位置から動いているかもしれません。しかし仮に礎石が動いていると判断すると、なぜわざわざ斜面の高いところに礎石風の石を置く必要があったのかという疑問も残ります。明日、これらD区東側斜面トレンチ断面とC区突出トレンチ延長部の線引と作図をおこなう予定です。はたして二人の考えはあたっているのか。(Mr.エアポート)

  1. 2010/10/25(月) 12:49:53|
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遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅣ)

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実測調査、三時間奮闘記!

 気が付けばもう10月20日(水)。今回は魚町にある「看板建築」の実測調査にやってきました。メンバーは、実測にビビリまくりの武蔵ときっかわ、そして監督のエアーポートさんのあわせて三人。かなり空気が重いです。じつは、前夜(19日)先生から「二人がかりで3時間やって平面図・断面図をとり終えれないなんてASALABじゃありませんよ!」……と言われ、実測初心者のきっかわさんはドキドキ。そして、インターンシップ先で「実測が遅い」と怒られていた私はハラハラ。なにやら悪い予感がしてなりません。
 そして現場に到着。倉吉市文化財課の方に鍵を開けていただき、時間がないので早速実測に取り掛かります。建物は、前回お話させていただいたように元洋服店。母屋の一階を店舗、二階を作業場として使っていたということで、かなり改装されています。

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 実測の担当は断面図が武蔵、平面図がきっかわです。前日に『民家のみかた調べ方』で勉強し、先輩方が描かれた図面も一通り確認したんだから大丈夫! はりきって実測に入りますが、いざ作業にかかると思い通りにはいきません。最初は勉強したとおりに地面や柱から書き始めますが、時間はどんどん過ぎるばかり。経験のある門の断面図とは違い、スケッチもなかなか上手くいかずパニックです。一方、きっかわさんはというと……やっぱりパニックでした。ですが、図面を見てみると意外に出来ているようす。とにかくやらねばと、私も半べそをかきながら必死で描き込んでいきます。
 しかし、時間はあっという間に過ぎ実測は終了。こんなに早い3時間は初めてです。後片付けの前に自分が描いた実測図を見返してみると、うーん。なんのことだか分かりません。完成してませんし。エアーポートさんに見せても「……うーん。」ごめんなさい。それでも、補足調査をおこなってCADでおこせば断面図になることを願います。本日の反省点は、「実測の勉強をする前に建物の構造を勉強すること。」他にもたくさんと言いますか、なにからなにまで反省点だらけですが。でもこれで実測終わり!なんてことにはなりませんし、研究テーマである「レトロ街構想」においても、町家や「看板建築」の実測は必ず必要になってくると思うので頑張ります。終わり良ければすべてよし。と、なるように一歩ずつ前に進んで行きます。(武蔵)

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  1. 2010/10/24(日) 02:43:39|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅩ)

集石遺構全景


岩陰トレンチで遺物発見!!

 10月18日(火)。この日の作業は以下の通りです。
  
  ・B区長形大土抗-集石トレンチの畦はずし、写真撮影
  ・Ⅲ区の掘り下げ、線引き、注記
  ・新トレンチD区東側斜面トレンチの掘り下げ
  ・井戸の掘り下げ、トレンチ範囲拡大

 「B区長形大土抗-集石トレンチ」(↑)は、断面の線引き作図が終了したため、残りの畦をはずし、B区L字トレンチに向けた延長部分とともに掃除し、脚立を立てて全景を撮影しました。撮影終了後は、トレンチの延長部分の断面の線引きに移行。このトレンチで、掘り下げた部分の集石遺構内までは凝灰岩盤が確認できるが、延長部分では岩盤が確認できないため、作業に余裕ができれば、岩盤確認のため延長部分をさらに掘り下げる予定です(30~40cm程)。

D区東側斜面トレンチ 午前中に「D区東側深掘りトレンチ」の注記を先生がおこなった後、「D区土抗」と共に掃除し、写真撮影。トレンチの平面を実測図に書き写し、新たに設定するトレンチ(「D区東側斜面トレンチ」写真↓)の準備に取り掛かりました。「D区土抗」からXY軸に合わせ、斜面に向かって縄張り(40cm幅)をおこない、D区崖側斜面について上層と下層の土層の関係を把握するためにトレンチを新たに設定し、タタキの下地でにあたる黒灰土から取り除いていくことに。堀り進めると黒灰土の下の茶灰土から土器片が発見されましたが、今回は樹根の取り除きで作業が終了したため、本格的な掘り下げは次回からとなります。軽く掘り下げて見えるのは茶灰色の土とその下の茶褐色の土ですが、下層に伴うものかどうかがはっきりしない状態です。


 今だ遺物らしきものが発見されないⅢ区(岩陰直下)ですが、強烈な近代のタタキの下でコンクリート基礎が出てきており、あまりに固く掘り進めないため、掘り下げることのできる部分が僅かしか残っていません。しかし、断面が確認できるように更に掘り下げをおこなうことになりました。前々回タクオさんが断面の作図をされたのですが、さらに深掘りしたため、線引きと作図も追加でおこなわなければなりません。
 掘り下げの段階でトレンチの壁際から土器片(カワラケ)を発見し、ついにⅢ区ではじめて遺物が発見されました。断面に遺物を残した状態で作図し、次回の午前中に土層注記することになりました。

掘り下げ後のⅢ区


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  1. 2010/10/23(土) 12:03:34|
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遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅢ)

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看板建築実測調査プロジェクト始動

 10月18日(月)。今日も武蔵・吉川の二人は倉吉へ向かいます。今回は実測調査を予定している看板建築の内部を見せていただけることになりました。同行していただいた倉吉市文化財課のSさんのお話では、築50年の建物で昔は洋服店を営んでいたとのこと。内部はかなりきれいで、すぐにでも住めそうです。しかし、建物の奥を見るやびっくり! 店舗兼工場として使われていた「みせ」部分の後ろには路地のような細長い土間と、奥に建つハナレ……いや町家の敷地ってながいんですね。「うなぎの寝床」とはよく言ったものです。これには実測初心者の二人もビビリ気味。しかも、調査の日に与えられた時間は3時間。どうやら一日で平面図と断面図を終わらせなければ学校には帰れないようです。ちなみに実測調査は今週の水曜日(20日)から。指導者にはエアーポートさんが抜擢されました!

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 まだ時間が少しあるので、レトログッズ調査&建物分布調査を引き続きおこないましょう。レトログッズの調査は夏休み以来続けていますが、お店の中にはまだまだお宝が眠っていることが判明。これを調査しなければ! さっそく見つけたのは浜本商会さんにあった「スズキフリー号」のホーロー看板。伝説の2ストロークバイク「ダイヤモンドフリー号」、みなさん懐かしいでしょう?

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  1. 2010/10/22(金) 13:09:20|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅨ)

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下層井戸の掘り下げスタート!

 10月17日(日)。この日の作業は以下の通りです。

 1 推定「下層井戸遺構」の平面検出
 2 D区台形トレンチの遺構再検出
 3 B区集積遺構断面の線引き&作図
 4 Ⅳ区(岩窟)の平面・断面実測
 5 C区突出トレンチ南壁、B区長形大土坑集石遺構直結トレンチ、
   A区L字トレンチ北壁の注記

 13日に発見した推定「下層井戸遺構」は、昨日、畦を残して北側を半割りにし、タタキ(上層基壇土最上層)を剥いだところで終了。この日は、まず井戸埋土の最上層にあたる黒い土とタタキ下地の土の境を平面で検出し、最上層の井戸埋土を取り除いていきました。平面検出した際、埋土の肩は3分の1程度しかあらわれず、埋土の中心は畦かその南の深掘トレンチにある可能性が生まれてきました。そこで、午後からは南側も半円状にトレンチを設け(畦の南北で直径が異なるのは樹根の影響:↑写真参照)、とりあえずタタキ下地の層まで下げてみることに。南側を下げることで、北側よりも広い範囲で井戸の木枠を平面的に検出できるかもしれません。この日、南側のタタキを剥ぐと、さっそく遺物を2点発見。1つは昨日の蝶番と同様に金属物で、平らな面を持ち高台のような突起がみられることから鉄器と思われます。もう一つは分厚い断面を持った灰色の須恵器です。このように井戸遺構の上から遺物が続々と出てくると、井戸枠内の底から出てくるであろう遺物に、今から期待が膨らみます。

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 さて、井戸の掘り下げとは別に、この日はD区台形トレンチの平面を再検出しました。なぜ、いまごろになって一度検出した平面をまた検出するか。そもそもこのD区台形トレンチは、同区内に生きた礎石がまったく見られないことから、夏休みに礎石の抜取穴を求めて掘り下げをおこないました。しかし、真夏の炎天下のなかの平面検出は難しく、カラカラに乾燥した土は、どこも同じ色にみえてしまいました。残念ながら、そのときは礎石抜取穴らしきものは検出されませんでした。ですが、季節は変わりました。この9月中旬以降、間断なく降り続いた雨のおかげで地面は湿り、遺構面の色の識別がしやすくなっているのです。そこで、今回は再度D区に狙いをさだめ、平面検出をおこないました。すると、台形トレンチの西側で3つのピットが連なるようにみつかりました(↑)。これらが礎石の抜取穴や据付穴であると断定するにはまだ早いですが、いずれ断面調査によって答えを導けるでしょう。

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  1. 2010/10/21(木) 20:44:53|
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第3回「歩け、あるけ、アルケオロジー」

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トータルステーションによるⅠ区の地区割り

 10月16日(土)。今回の活動は、前回立てた計画通り、朝から発掘現場まで行き、作業の続きをしました。

 朝の9時半に鳥取駅にメンバー4人が集まった後、先輩の車に乗せていただき、摩尼寺「奥の院」に出発しました。現場に到着してまずビニールシートをめくり、大学院生Iさん(別名「部長」さん)の指示を受けながら、「地区割」の作業を行いました。まずは、トータルステーション(TS)という測量器材の設置方法、操作方法を教えていただきました。TSを水平になるように設置しなければならないのですが、気泡管とにらめっこしながら、部長さんが指先でつまみを回し絶妙に調整されました。TSの設置が終わったら、部長さんが図面に作成したポイント8箇所(一部変更有り)の位置をTSで計測しました。初めて使うTSと、ミリ単位の細かい作業に、メンバーははじめ戸惑い気味でしたが、途中からみんな慣れていきました。慣れたとは言っても、部長さんに手助けをしていただき、なんとか昼休憩までに半分を終えました。
 昼休憩後もIさんの指導を受け、残りのポイントの計測をしました。場所によっては樹が邪魔をして計測できないところもあり、その場合は、1メートルずらした位置を計測して測量鋲を打ちました。打った鋲にそれぞれラベルをつけました。そして、鋲と鋲を蛍光色の水糸でつなぎ、地区割作業を終えました。
 次に表土剥ぎの続きに取り掛かりました。表土剥ぎの作業はとにかく根との戦いです。掘っても、掘っても根が出てきます。太くてノコギリでなければ切れない根から手で千切れてしまう細い根まで太さは様々です。無理に引っ張ったり、引っこ抜こうとせっかちなことをしてはいけません。無理に引っこ抜けば、まだ掘っていない下の遺構が掘り起こされてしまいます。下の状態がわからないので慎重に掘り下げなければなりません。また、太い根を切るのを後回しにして、土を掘ることに集中していては、太い根の周りの土が残ってしまい表面の高さが揃わなくなってしまいます。地道ではありますが、土を掘り、根が邪魔になってきたら根を切るという作業を繰りかえしました。

R0012744.jpg 作業の途中、場所ごとで土の質と年代が違うと先生に教えていただきました。どうやら上の現場とはそうとう様子が違うようです。私の掘っている場所はさくさくと掘れる黒い表土層がすぐに終わり、固い層が現れてきたので慎重に掘り進めていたのですが、この層は「タタキ」と呼ばれ、日本家屋の土間など、上に家屋を建てるために人の手によって押し固められた層なのだと部長さんに教えていただきました。それを聞いて作業はさらに慎重になります。


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  1. 2010/10/21(木) 02:47:47|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅧ)

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全員集合!

 10月16日(土)。今日はおなじみASALABメンバーにプロ研2「歩け、あるけ、アルケオロジー」の1年生たち4人も加わり、賑やかな1日となりました。作業内容は、以下のとおりです。

 (Ⅰ)断面の線引き・作図
 (Ⅱ)平面の実測
 (Ⅲ)作図の終了した断面の写真撮影
 (Ⅳ)B区長形大土坑集石遺構の掘り下げ
 (Ⅴ)Ⅲ区(岩陰トレンチ)掘り下げ
 (Ⅵ)下層井戸遺構の平面検出
 (Ⅶ)D区台形トレンチの平面検出
 (Ⅷ)岩窟のスケッチ
 (Ⅸ)Ⅰ区(平坦地)の地区割り【P研2】

+++

(Ⅰ)断面の線引き・作図
 午前は、推定・下層井戸遺構北壁の作図をエアポートさんが、C区西壁突出トレンチ南壁の作図と平面実測を轟くんが担当。どちらも午前中に作業を終え、午後からはエアポートさん…C区西壁L字トレンチの線引き・断面図、轟くん…長形大土坑集石遺構の断面図の作成に着手しました。写真は、寝そべって断面を見る轟くん。「やっと地面に寝そべって断面を見るようになったな」と先生は満面の笑みでした。
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(Ⅱ)平面の実測
 轟くんが断面図を作成したC区西壁突出トレンチ南壁の平面を実測。また、Ⅲ区・岩壁トレンチの掘り下げのあと<後述の「(Ⅴ)Ⅲ区掘り下げ」参照>、すぐに平面の実測へ。こちらはタクオさん・エアポートさんが担当。

(Ⅲ)作図の終了した断面の写真撮影
 土層の線が確定し、作図が終了次第、断面の記録写真を撮っていきます。A区炭入土坑 礎石据付穴・礎石抜取穴、A区礎石落とし穴、B区L字トレンチ南壁を撮影。深前回の断面図撮影と同じく、まず撮影日付・遺構名・方角(「E→W」など)を記入した紙を撮影、その後当該断面を撮影。それぞれF4フィルムカメラ・RICOHカメラを携えた武蔵・ドゥンビアが撮影して回りました。

(Ⅳ)B区長形大土坑集石遺構の掘り下げ
 既に短いトレンチを掘り下げている集石遺構ですが、石をはさんだその反対側(北側)にも掘り下げを拡張、下層の凝灰岩盤が続ていることをナオキさんが確認。南側の断面作図が終了していなかったことと、ベルトを残す意味合いもあり、間にベルトを作っての掘り下げとしました。<(Ⅰ)断面の線引き・作図の写真参考>
(Ⅴ)Ⅲ区(岩陰トレンチ)掘り下げ
 Ⅲ区については、タクオさんが掘り下げをおこないました。ここでも根に苦戦。根付きにくい場所にも根を下ろし、たくましく伸びていく植物の力強さには本当に驚かされます。午後には実測まで進み、レベル取りもおこないました。
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  1. 2010/10/20(水) 23:37:32|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅦ)

掘り下げと作図

岩盤は続く

 10月15日(金)。B区・D区で掘り下げ、A区で断面作図・注記など、さらにⅢ区の平面実測をおこないました。

 昨日掘り下げ始めた「B区長形大土坑集石遺構縦断トレンチ」では、長形大土坑から凝灰岩盤が続いていることがわかったため、今日は集石遺構付近でエリアをひろげてみることになりました。すると、拡張した部分でも凝灰岩盤が面的に連続しています。その横では轟くんが長形大土坑側から断面の線引きと作図を進めていきました。一方、13日に設定した「D区北壁突出トレンチ」もエアポートさんが掘り下げをおこないました。安山岩はいったい何なのか、元位置にあるのか、動いているのか、の確認です。ひょっとしたら、下層礎石が反転したものかもしれません。

 B区凝灰岩盤 C区安山岩盤
左:集石遺構付近の凝灰岩盤  右:D区北壁からのびる安山岩盤

 「A区L字トレンチ北壁深掘り」では、昨日半分ほど部長が作図したので、その残りを引き続き作図。また、深掘りの東端部分はまだ下げきれていなかったため、作図の横で同時にきっかわさんが掘り下げていきます。途中、土器が2点(一つは土師器)見つかり、そのままでは掘れないので、取り上げもおこないました。先生は午前中、「A区礎石落とし穴」と「A区炭入土坑」の注記をおこないました。しかし、両方とも穴の底まで掘り下げられていなかったので、部長ときっかわさんは午後からそれぞれの掘り下げをおこなうこととなりました。さらに、炭入土坑は注記の際によく見ると、穴の切り合い関係が逆になっていることもわかったので、その部分の修正もすることに。落とし穴はそれほど穴も深くなかったため、今日の作業終了までには断面への描き入れと平面図の修正も終わりました。

 午後からは人数も増えたので、さらにⅢ区の平面実測、A区L字トレンチ北壁深掘り東端の掘り下げもおこないました。先生は「A区井戸北壁」の注記作業へ。しかし、以前の図面をコピーしたものに作図した断面図を使用したため、2時間かけて注記が終わった図面は修正した土層の線と文字が乱れ飛んで、見えにくいものに。先生もふらふらです。いつものことですが、学生の土層図をチェックするとき、先生は・・・

  「なに、これ・・・全然みえてない・・・わかってない・・・
   あぁぁぁぁ~~発狂しそうだ・・・」

などと独り言の連続です。それを聞いている学生は冷や汗タラタラ。今回の図面はとくにひどかったようで、結局、翌日エアポートさんが作図し直すことになってしまいました。
 明日も引き続き掘り下げや掃除、作図のやり直しなど様々作業がありますが、アルケオロジーの一年生たちもやってきます。効率よく作業を進めながら一年生のサポートもできるよう、作業の振り分けが重要な一日となりそうです。(部長)

A区炭入土坑
↑A区炭入土坑は二つの穴に分かれることが判明した

  1. 2010/10/20(水) 10:45:02|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅥ)

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大詰めの断面調査

 10月14日(木)。プロジェクト研究2「歩け、あるけ、アルケオロジー」の日ですが、1年生は大学でⅠ区調査のためのミーティングをしたのは、すでにお伝えしたとおりです。結果、現場はいつもと変わらぬメンバーが作業しました。

 午前中は新たに掘り下げる箇所として、13日に設定した「B区長形大土抗集石遺構縦断トレンチ」を掘り下げていきました。長形大土抗からB区集石に向かって、凝灰岩盤を追って掘り進めていき、岩盤の広がりを確認していくと、1mほど掘り進んだところで岩盤が途切れているように確認できたのですが、午後にナオキさんが引き継いで掘り下げたところ、凝灰岩盤は集石遺構の手前まで伸びていることが判明(写真↓)。岩盤の表面は平坦ではなくゴツゴツしていますが、さらに伸びている可能性があります。次回からトレンチを広げて、岩盤の面的な広がりを確認する予定です。集石遺構内の上端にわずかに残るタタキは重要な証拠であるため、今後どのように掘り進んでいくか慎重に考えなくてはなりません。
 上の作業と併行して、断面の線引きをおこなっていきました。A区L字トレンチの深掘り部分はまだ残りがあるものの西側の線引きを済ませ、午後から作図に移行しました。さて、前回明らかになった、すり鉢状土抗下層の層井戸の掘り下げと線引きは先生が自らおこないました。深掘りした箇所の中央には炭化した井戸の枠板痕跡が確認でき、その外側の掘形となる土層は斜めの方向、井戸枠内は下層廃絶後の埋土が水平に堆積していることが分かり、こちらも午後から学生が作図しました。

B区集石まで伸びる岩盤


 午後からはプロジェクト研究4「はるかなまち倉吉の町並み探索」があるため、先生と倉吉の調査に関係する学生は下山し、車で倉吉に向かいました。残った学生は、断面の注記に向け、断面作図に移行することになりました。どんべえさんが線引きしたA区の「炭入土抗」と「礎石落とし穴」の作図を部長さんが担当し、「A区L字トレンチ深掘り」は東側の掘り下げが残っているため、西側の作図をおこなっていきました。また午前中に先生が線引きされたA区の「下層井戸」の作図を轟、「D区東側深堀トレンチ」をエアポートさんが担当し、注記の準備が整いました。
 その間ナオキさんは、Ⅲ区の樹根を取り除く作業をおこない、次回には平面実測をおこなうことが可能となりました。(轟)

炭入土抗断面 礎石落穴断面
↑炭入土抗断面           ↑礎石落穴断面


  1. 2010/10/19(火) 22:20:24|
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河本家住宅重要文化財答申記念講演のお知らせ

 琴浦町箆津(のつ)の河本家住宅が重要文化財になることが決まりました。正式には「国の文化審議会が文部科学相に答申した」と書かなければならないようですが、なにぶん国の官僚のお仕事ですので「指定が決まった」と書いても、なんら問題ないでしょう。詳細は一番下の新聞記事をご参照ください。
 河本家住宅の建造物に関しては、1期生のタクオ君(現M1)が2004年度の卒業論文とし、2期生のM社長がそれを編集して『河本家住宅 建造物調査報告』(2005)として刊行しています。まっ、自慢じゃありませんが、この報告書が重要文化財指定のための下準備であったわけです。わたしの記憶が正しいなら、たしか2期生が4年生だった2005年の11月に河本家の公開にあわせて講演をさせていただいています。そして、今年の公開(11月3日~7日)でもまた講演させていただくことになりました。
 河本家住宅は主屋が貞享5年(1688)の上棟と知られており、それは棟札の記載によるものですが、ほかにも客間や土蔵のすべてに棟札が残っており、敷地内のほぼ全ての建築の年代を知ることができます。こんな民家は滅多にありません。また、客間の欄間の意匠が突出して素晴らしいものであることもよく知られています。前回の講演時点ではまだ報告書ができていなくて、講演のあとに聴衆のみなさんと一緒に納屋にあがって棟札を外し、皆が胸躍らせて棟札の裏側をみたりしました。今年の講演は、少し見方を変えて、日本民家をひろく見渡しながら、河本家住宅の特徴をお話ししようと思います。とくに、中国山地周辺に分布する「ヒロマ型三間取り」に焦点をあてて、その住居史的位置づけを試みる予定です。もちろん河本家の主屋も「ヒロマ型三間取り」です。新聞記事には、ありきたいな演題がついているので、ここでもう少し洒落たタイトルに変えておきましょうかね。
 以下、日時等です。

  日時  2010年11月4日(木)午後3時~
  会場  河本家住宅
  講演者 浅川滋男
  演題  河本家住宅の建築 -ヒロマ型三間取りの問題を中心に-

 じつは、前日の3日(水=文化の日)に六弦倶楽部の練習会が今年も「米子水鳥公園」で開催されることになっていて、ちょっと心配しています。参加するつもりではおりますが、新しい曲を披露する余裕などないので、いつものナンバーでお茶を濁すしかないでしょうね。移動はどうするかな??

河本家重文指定(朝日) ところで、上の新聞記事には、倉吉の新町・西町・西仲町を重伝建地区に追加選定するよう答申されたことも伝えています。こちらは「本町通りアーケード商店街」に係わるモリさんの2006年度卒業論文で調査した地区であり、それをハルさんとトマトさんが編集して『ふるきかぜ あたらしきかぜ』という報告書(2007)にしたものです。そして、今またきっかわさんと武蔵くんが谷口ジローを媒介として、新しい研究テーマに取り組んでいる地区でもあります。二人の研究課題は、重伝建の理念とは対立する部分もありますが、文化庁の考えがすべて正しいわけじゃありませんから、堂々とオリジナリティの高い研究に仕上げてもらいたいですね。明日もまた調査に行くそうです。
 がんばれ、がんばれ!

  1. 2010/10/19(火) 00:59:38|
  2. 講演・研究会|
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遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅡ)

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「遥かな風景」を探して

 プロ研4第3週目の14日(木)は、先週に引き続き、午後いちで倉吉へ向かいました。鳥取出身の漫画家、谷口ジローの『遥かな町へ』に出てくる風景を求めて、まずは打吹山の山登り・・・「山登り」と言われ想像していたのは険しい道でした。しかし、漫画をもってその風景の場所でシーンを真似て写真を撮りながら歩いていると、楽しさの方が勝っていました。漫画に出てくる風景が本当に残っていて、事前に話は聞いていたので分かっていたにもかかわらず、とても感動してしまいました。

 撮影の終盤、主人公が倒れてそのまま過去にタイムスリップするというシーンのお墓にやってきました。先生が「倒れるシーンをやってみよう! ここは重要なシーンだから」とおっしゃって、「作業着だからちょうどいい」と、自らその役をかって出られました。墓地ではなかなかシーンにしっくりくる場所がなかったですが、漫画を見ながらみんなで探し、「ここら辺でこういう角度はどう?」などと言いながら、それらしい写真を撮ることができました。

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 最後に、主人公の家、松島洋服店に行きました。今その家に住んでおられる奥さんのお友達にも協力していただき、家の前で人通りのあるシーンを撮影することができました。
 撮影後、倉吉の町を歩きながら看板建築について先生に教えていただいたり、4年生の卒業研究で修景・設計する建物をみたりしました。
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 また、まちを歩いていると、通りに昔懐かしの駄菓子屋さんがあり、みんな誘われるように入っていきました。そのままひとりずつカゴを手に持ち、買いにきていた小学生と一緒になって駄菓子を選びました。昭和30~40年代に子供だった先生も、平成以後に子供たっだ私たち学生も、「懐かしい」と感じるものは同じで、みんなが想い想いに買い物を楽しむことができました。
 その後、先生がおいしい鯛焼き屋さんに連れて行ってくだいました。このお店もまた昭和レトロの匂いがぷんぷんします。白い鯛焼きは熱いうちがおいしいらしく、私たちはアツアツをいただきました。それから、たこ焼きもごちそうになりました。たこ焼きの残り2つはジャンケンで勝った人、負けたらブログ。私は一発で負け、ブログ係になってしまいました。そういえば、前回のプロ研「ジオパーク・トレッキング」第2回でもジャンケンに負けて一番はじめにブログを書いた気がします・・・

 今回足りなかったのは、小道具。実際の登場人物が来ている様な洋服や学生服、かばんなど、少しでも漫画のシーンを忠実に再現できた方がいいので、次回は用意したいと思いました。(建築・環境デザイン学科2年N.N)

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  1. 2010/10/18(月) 22:36:04|
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『出雲大社の建築考古学』書評(Ⅰ)

 新聞の日曜版と言えば、書評や新刊紹介などの読書欄が付きものだが、17日(日)の日本海新聞(8~9面見開き)の「読書欄」の片隅に、われらが新刊書『出雲大社の建築考古学』の書評が掲載された。評者は奈良文化財研究所の箱崎室長。少なくとも、あと2紙には紹介等が掲載されることになっているはずだが、とりあえず地元で書評の第1号がでてホッとしている。

 なお、『出雲大社の建築考古学』書評の下に『梅棹忠夫 語る』という新刊書も紹介されている。今年7月に90歳で逝去された梅棹忠夫さん(元国立民族学博物館長)は、若かりしころのわたしにとって、アントニオ猪木と並ぶ2大ヒーローだった。自らの読書歴をふりかえるとき、最も多く読んだのは間違いなく司馬遼太郎で、その次が梅棹忠夫かもしれない。とくに好きだった作品は『東南アジア紀行』と『狩猟と遊牧の世界』かな・・・梅棹さんのまわりには多くの優秀な研究者が集まっていて、そのうちとくに突出した4名の人類学者が「梅棹四天王」と呼ばれていた。しかし、結果としてみれば、だれも梅棹忠夫にはおいつけなかった。梅棹二世はついにあらわれなかったのである。
 梅棹さんはジャコのような存在だ。ふたりとも独自の高い境地に達していて、だれもがかれらに心酔し、見習おうとするのだが、結局だれも真似できず、梅棹似あるいはジャコ似のガラクタがあちこちに散乱するようになってしまった。この新刊書を読まずとも、梅棹さんの言いたいことぐらい、わたしはよく分かっているつもりでいる。かれの言うことはいちいち正しく、おもしろい。しかし、かれの言うとおりにはできない。凡人に、あんなことができるはずはない。全盛期のジャコ・パストリアスのようにベースを弾くことはできないし、全盛期のニール・ヤングのように弾き語りすることもできない。成熟しきった今のジェフ・ベックを真似しようとしたって、別の音楽になってしまうだけだろう。そういった類の天才たちの能力を素直にみとめながらも、自分にふさわしい表現方法を探すしかないし、結局、人間はそういう途を歩むことになる。

日本海新聞書評02圧縮 肝心の出雲大社を棚にあげて、面識もほとんどないのに、梅棹さんのことばかり語ってしまった。左の画像をクリックすれば拡大されて、なんとか文字が読めますので、『出雲大社の建築考古学』と『梅棹忠夫 語る』の紹介をあわせてお読みいただければ幸いです。 
 
 最後に、また何度もしつこいですが、ASALABを通せば、著者割引(×0.8)での購入が可能です。ページ数と内容からすれば決して高価な本ではありません。ご注文をお待ちしております。

  1. 2010/10/18(月) 10:32:10|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅤ)

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下層の井戸を発見!

 13日の午後から先生はスリ鉢状遺構(A区)の掘り下げ、わたしは遺物取り上げ、遺構カードの記入をおこないました。ナオキはさっそく、要求されたトレンチ(A区L字トレンチ北側)の深掘りに。
 さて、先生がスリ鉢状遺構をさらに40センチほど掘り下げると、垂直に下がる黒い層があらわれました(↑)。初めてこのような土層をみた私たちには何なのかよくわかりませんでしたが、先生によると、これは下層の井戸枠が炭化した状態だろうとのことです。これでスリ鉢状遺構の謎がたしかに解けます。以下のような変化のプロセスを先生は推定されているようです。

 1)下層の段階では、基壇はここまで及んでいなくて、建物の前に井戸が掘られていた。
 2)下層建物廃絶後、井戸は上側の一部の井戸枠だけ取り除いて埋められた。
 3)上層建物を建設する際に井戸の上面は平坦に盛土・整地された。
 4)しかし、時間が経つにつれ、建物(井戸上の柱)の重みのために下層井戸の
   中心部分が凹みはじめた。
 5)その凹みにあわせて上層の礎石を低い位置に据え直し(たしかに平たい礎石状の石が
   凹みの中心部分に残っています)、長い柱に差し替えて床を支えた。
 6)上層建物廃絶後、すり鉢の底に残る礎石をパックして隠したが、地形全体がすり鉢の
   形をとどめることになった。
 
 明日、さらに掘り下げ、先生が直々に断面の線引きをおこなうので、より真実に近づけることでしょう。
 他にも、昨日より部長さんが掘り下げていたA区東側の礎石周辺では、周囲に穴が確認され、このピットを「礎石落穴」と名づけました(↓堀形と落穴が重複している)。また、きっかわさん担当のA区南側のピットも楕円形であることが確認され、中から炭が出てきました。よってこれを「炭入土坑」とし、さっそくC14のために炭の取り上げをおこないました。明日、これらピットの断面の線引きと作図をおこなう予定です。

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 調査終盤にむけて、やることは山ほどあります。時間との戦いになってきました。常にその日の目標を設定し、作業をおこなわなくてはなりません。今週末が勝負です。(Mr.エアポート)

  1. 2010/10/17(日) 21:35:13|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅣ)

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公開検討会を11月27日(土)に開催

 10月13日。この日は、県市の埋蔵文化財担当官が視察にいらっしゃいました。発掘現場の現状確認と今後の方針についてアドバイスをいただきました。併行して、学生たちは以下の作業を進めました。

  1 C区西壁突出トレンチの断面作図
  2 礎石落穴(A区)の検出
  3 炭入土坑(A区)の検出
  4 Ⅲ区掘り下げ

 午前中、先生が県市の方々にⅡ区の遺構全体の検出状況を説明されました(↑)。その後、各トレンチをまわられ土層や遺物を確認。また、昨日検出した土器も何点か見てもらい、年代や特徴など教えていただきました。
 D区東側斜面で発見した赤褐色の分厚い土器は、土師器であることが判明。残念ながら年代は不明だそうですが、ハジキならば古墳時代から奈良・平安時代に生産されたものですし、今回出土した土器は分厚い断面を持っているので下層遺構の年代特定において期待できそうです。また、ナオキが掘り下げているD区東側斜面突出トレンチから出た土器2点もみてもらいました。浅い面から出た土器には縁が残っており、わゆるカワラケのようです。中世の小皿ですね。となると、下層の整地土に伴うものではなく、上層の整地と係わる可能性が高いでしょう。深いところから出た土器も中世の小皿のようです(ともに断面は薄い)。おそらく上層の崖側の石垣築成と係わるのでしゃないでしょうか。ちょうど石垣の裏込めにあたる位置なのです。今後精査しなくてはなりません。
 Ⅱ区を一通り見ていただいたあと、今後の調査について助言をいただきました。先週、B区L字トレンチ南壁の深掘り(加工段中央)で斜めに下る土層を確認したのですが、これが平坦地の谷側でも土層が下っているかどうか深掘りして確認したほうがよい。また、B区の円形状の集積遺構も、長形大土坑からトレンチを入れて全体の断面をみるべきとのこと。トレンチを1つあけると、遺構検出、平面・断面の作図・注記と作業は一気に増えます。ん~、週末にはⅡ区の現場を終わらせようと思っていたのですが・・・、学生の力でなんとかなるでしょうか??

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↑分厚い断面を持つ土師器?  ↑中世の小皿

 Ⅱ区の後、Ⅰ区、Ⅲ区、Ⅳ区を確認し、埋め戻しの作業や来年の調査、公開検討会について話し合いました。以下、いくつか協議した事項を公開しておきます。
 
 1)来年度に向けて、岩石標本、花粉分析標本、炭(C14用)などの資料を採取したいが、
   大学側はだれも経験がないので、市のKさんに指導をお願いすることになった。
   よろしくお願いします。
 2)来年度は、新たに予算を獲得し、上記の分析、あるいはボーリング調査、岩窟の加工痕跡
   の調査などをおこなう。
 3)現場の公開検討会はプロの研究者だけでなく、一般の来場者も認める。
   その日時は11月20日(土)が最有力候補。21日(日)および
   27日(土)を予備日とする。この段階で、ほぼ発掘調査は終了し、調査成果とともに、
   復元の叩き台を示す。広報は大学の企画広報課を通じておこなうが、県内の文化財主事等
   にはメール等で連絡する。

  *注意:その後の協議の結果、公開検討会は11月27日(土)午後に変更となりました!

 4)埋め戻しは公開検討会後、すみやかにおこなう。砂撒きはなしとし、土嚢で遺構面を養生し、
   土嚢を土で覆う。埋め戻しの作業には、近隣集落等から作業員を雇い、2日で終えたい
   (2日で終わらない場合は1日学生が追加で働く)

 午後の調査では画期的な発見がありましたが、それは次回のお楽しみ・・・(Mr.エアポート)

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↑新たに掘り下げすることになった集石遺構の縦割りトレンチ(縄張り)
  1. 2010/10/17(日) 12:39:58|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅢ)

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岩窟に住むスズメバチ

 10月12日(火)。連休明け、現場には再び学生が集まり、作業再開となりました。

 「C区西壁突出トレンチ」は作図に向け、武蔵くんが作成した「C区西壁」の断面図を参考に土層の線引きをおこなっていきました。「C区西壁突出トレンチ」は「C区西壁」と同じように一番上に表土系の土層が厚く堆積しており、その下の層には上層廃絶後の盛り土となります。以前発見された礎石は、上層遺構に伴うものであり、礎石の下にはさらに凝灰岩が混じった土が確認でき、C区で検出されている、凝灰岩盤を覆うゼリー状の凝灰岩混じりの土に対応する土層で、この土より下が下層に伴う土層と推定されます。表土系の土層と上層廃絶後の盛り土まで斜面に平行な斜めの方向に堆積していますが、下層に伴うものは徐々に水平になるように堆積しているように確認できます。

 一方、ナオキさんが担当した「D区東側斜面突出トレンチ」は、掘り下げてから間もなく土師器のような土器片(小皿?)が発見されたのですが、検出された箇所が崖側であり、上層と下層の土層が判別しにくいため、取り上げは次回となりました。またD区底部の土抗は一度掃除をし、断面の作図に移行しました。
 A区のすり鉢状土抗に設定しているトレンチは掘り下げた部分を連休中に断面(北側)作図をしたのですが、先生が現場に上がられ、一目見た瞬間にトレンチ底部に黒い砂の混じった粘質土が残っており、掘り下げが足りないことを指摘されました。「これが見えないの?」と首をかしげる先生と、それに反論できない学生たち・・・次回に再び掘り下げることになるでしょう。もちろん断面作図もやり直しです。

D区東側斜面突出トレンチ D区東側斜面土抗
↑D区東側斜面突出トレンチ   ↑D区東側斜面土抗

 上記の作業と併行して、縄張りをしていた岩窟内のトレンチ(Ⅳ区)に新たなベンチマーク(BM5)を設け、トレンチの座標測定をおこなっていたのですが、雨の多かった連休中に比べて気温が暖かくなったせいでしょうか、岩窟周辺に何匹かスズメバチが出現。駆除のための殺虫剤も底をつき、危険な状態になったため、作業を中断しました。Ⅳ区はいずれ遺構検出をおこなうのですが、トレンチの座標を抑えるの作業は基本ですので、できる限り早く対応しなければなりません。その後は「B区北壁」の線引きと作図をエアポートさん。「A区礎石落とし穴」を部長さんが掃除をし、断面の線引きに移行することになりました。

Ⅳ区縄張り A区礎石落とし穴
 ↑Ⅳ区の縄張り          ↑A区礎石落とし穴

 8月から現場に通っているものの、これほど大量のスズメバチが出現したことはありません。作業中にスズメバチに刺されでもしたら大変なことです。駆除ができるように殺虫剤を補充しておかなければ。(轟)
  1. 2010/10/16(土) 22:57:42|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅡ)

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雨の中の地表面測量&スケッチ

 10月9~11日は3連休ですが、発掘調査はまさに稼ぎどきです。地表面測量、岩陰周辺のパノラマスケッチ、トレンチの部分深掘りを併行しておこないました。現場に雨男がいるのか、はたまた晴男が去ってしまったからなのか、この連休は半分が雨にたたられました。

 9日(土)。朝から雨が降り、しばらく雨雲とのにらめっこが続きました。昼過ぎに小雨になったので、現場に上がりトレンチにたまった雨水を排出。8日に、遺構全面にブルーシートをかけたのですが、シートの下まで浸水しており、トレンチは満水状態でした。この日は、水抜き作業だけでずいぶんと時間がかかりました。
 10日(日)。なんとか天気が回復し、朝から作業を開始。この日は、地表面測量、岩陰周辺のパノラマスケッチをおこないました。この地表面測量は、建物の平面復元にむけて正確なデータを取るのが目的です。トランシットを使い、調査区内外の礎石と思われる石や地形を測量していきました。8日にA区の測量が終わったので、この日はB区からスタートし、石の座標を押さえていきます。パノラマスケッチは、前回と同様に岩窟の下に並ぶ石仏や木彫仏、五輪塔を連続立面図風にスケッチしていきました。午前中は暖かい日差しのなか、順調に作業していたのですが、昼を過ぎたころに突然の雨。雨は次第に強くなり、ついには土砂降りの豪雨&濃霧。あまりの天候に、この日の作業を中止しようかと考えたのですが、この雨のなか、山道を下るのも危険と判断し、しばらく現場で待機することに。その後も雨はやむことなく降り続け、時間ばかりが過ぎていきます。このままでは予定していた作業がまったく進みません。痺れを切らした私たちは、ポンチョをかぶって雨の降る現場に繰り出しました。幸いにもパノラマスケッチは岩陰の下なので、雨が降っていても問題なくおこなえました。この日は雨のなか夕方まで作業をおこないました。地表面測量は調査区内のすべての礎石位置、トレンチの座標をおさえました。明日は調査区外の石や地形を測量していきます。

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 11日(月)。この日は一日中天候に恵まれ作業は順調。昨日に続き、地表面測量、パノラマスケッチをおこないました。タクオさんも午前中現場に上がってこられ、担当しているトレンチの深掘りと断面の線引き&作図をおこないました。この日でとりあえずⅡ区加工段(平坦地)全面の地表面測量は完了。あとは測定した座標をパソコンに打ち込み、後日作図していきます。これによって、建物の平面が浮かび上がってくれれば万々歳。作図作業には、まだしばらく時間がかかりそうですが、今から期待に胸が膨らみます。なお、Ⅰ区の斜面に見える石ついては、斜面に生い茂る木が邪魔をして測量できなかったので、後日ベンチマークを新たに設置して再チャレンジしたいと思います。

 雨の日の現場は、思うように作業がすすまないので非常に厄介です。連休明けの一週間は、なんとか晴れの日が続いてほしいものです。(Mr.エアポート)


  1. 2010/10/16(土) 01:22:21|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅠ)

C区凝灰岩盤


雨との闘い

 10月8日(金)。今日の作業は「C区西壁突出トレンチ」の掘り下げ、作図が終わった「B区L字トレンチ南壁」の注記、A区の「すり鉢状遺構」の掘り下げとC区・D区の地表面測量です。

 C区西壁突出トレンチは昨日に引き続き、凝灰岩盤を目指して掘り下げていきました。午前中、C区の溝状遺構から凝灰岩盤を追っていくと、ついに斜面のトレンチから凝灰岩盤を発見! しかし、どうやら想像していたような斜面ではなく、ほぼ平坦に続いています(↑写真)。現在みられる山側の斜面が下層の時期には平坦地だったことを示す驚くべき証拠の発見といえるでしょう。A区すり鉢状遺構はタクオさんが担当し、約20cm掘り下げました(↓写真)。中央の平坦な石は、下にベージュ色の層が食い込んでいます。はたして元位置を保持しているか否か? 明日とりあえず作図しますが、さらなる掘り下げが必要でしょう。地表面測量は先日に引き続き、C区から石の座標をとっていきました。
 B区L字トレンチ南壁は作図が終わったので、先生が注記作業に入りました・・・が、しばらくすると悲鳴が。まず深掘りした部分の土層が一層足りなかったようで、色鉛筆で土層の色分けをしつつ注記をしていた先生は図と壁の矛盾に何度も「え~ぇ、あれっ、そんな・・・」などの疑問の声をあげ続け、ついにその部分を自ら作図しなおし、土層の上下関係の矛盾を解決しようとしたのですが(結果として言えば土層が一層書き足りていなかった)・・・泣き面に蜂とはこのことで、雨がぽつりぽつりと降り出し、先生と測量組(特にトータルステーション)は傘を差しつつ、何とか作業を進めていくことに。その甲斐あって、お昼過ぎにはなんとか注記が完了しました。

A区掘り下げ


 お昼休憩となってテントに退避すると、次第に雨が本降りになってしまいました。休憩を長めにとり様子を見ても已まないため、仕方なく、雨の中で作業続行。ポンチョを着込んで土を掻いたり、傘を片手に測量をしたりと大変な一日になりました。しかし、地表面測量ではC区を終わらせ、D区も半分ほど再計測できたり、C区西壁突出トレンチではトレンチ内でほぼ平坦に続く凝灰岩盤を発見できたりと、雨に打たれた甲斐がありました。現場近くの岩を見ると垂直に立ち上がっているものが多いため、C区西壁突出トレンチで出たような奥の院の平坦岩盤も、斜面の下で突然切り立ち上がっているか、もしくは切り立つ岩を平坦に加工し、整地したのではないかという推測も得られました。
 最後にブルーシートを掛けて、雨が降って暗く滑る山道を必死に降りていきました。明日も雨の予報ですが、こんな時には予報が外れるのを祈るばかりです。(部長)

測量組


  1. 2010/10/15(金) 12:56:05|
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第2回「歩け、あるけ、アルケオロジー」

今後のスケジュールと約束事

 今回のプロ研2は、現場ではなく、13講義室にメンバー4人全員が集まって、今後の作業計画を立てました。まずリーダーのUくんから連絡事項を聞き、先生が送ってくださったメールを再度確認しました。
 次に作業の流れを確認しました。流れをもとに考えようとしましたが、予測することが難しかったため、とりあえず作業が可能な日程を抽出しました。話し合った結果、基本的には、毎週木曜日と土日の晴れたほうどちらかを作業日とすることになりました。土日どちらも晴れた場合は作業の進み具合を考えて日程を決めます。今週の土曜日(16日)の作業は表土剥ぎ、地区割設定、上層遺構の検出まで進ませたいと思います。

 次に決め事として、本来予定していた作業日に病気や諸事情(バイトなど)で作業に行けなくなってしまった場合は、リーダーに必ず連絡をすることに決めました。このほか、

  1)予め作業に行けないと分かっていた場合、作業日程を変更するようにする
  2)どうしても都合が悪い場合は作業の前日までに連絡をする
  3)急病の場合は作業当日の朝には必ず連絡をする

ということにします。
 
 今週の作業は16日の土曜日、9時半に鳥取駅集合の後、現地に向かいます。集合時間が9時半となったのは私、田中の交通手段が汽車しかないため汽車の時間を考えると都合のよい時間がちょうど9時半だったためです。先生に申し上げたところ、ちょうどよいというお言葉をいただけたので良かったです^^ (環境マネジメント学科1年 T.R)

  1. 2010/10/15(金) 01:51:01|
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遥かなまち、くらよし探訪(ⅩⅠ)

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雨の打吹山

 10月8日(金)。わたくし竹蔵は単位不足のため授業があり、「本日も、わたしは汽車で鳥取-倉吉へ……」と、今回もきっかわさんは汽車の旅となり、後ほど合流する予定だったのですが、学校の掲示板をみると、午後の講義が休講! ただちにくらよしへ直行しました。
 そして、風景データベースの調査をしていたきっかわさんと合流し、次回プロジェクト研究4の下調べをおこなうために打吹山の展望台へ。目的は、打吹玉川重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)と本町通り商店街の全景を俯瞰することで、絶景のポイントを探しました。
 本日は、残念ながら雨の降る中の調査となりましたが、「森林浴の森100選」に選ばれている打吹山は流石の一言。緑に囲まれた緩やかな道を登ってゆけば、優しい雨音とキンモクセイの香りが心を和ませます。晴れの日には、きっと優しい木漏れ陽がさすのでしょう。そんな感じで自然を楽しみながら山を登っていたのですが、一つ目の展望台で大きな問題が。山道で私達を優しく迎えてくれた木々。しかし、彼等のおかげで重伝建地区も商店街も見えません。

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 ですが、登り始めてまだ10分。気を取り直してもう一つ上の展望台を目指します。整備された遊歩道をすいすいと登って行くこと5分。早々と目的地の正面展望台に到着。さっそく登って確認してみると、景色はとてもキレイなのですが……やはり町は見えませんでした。ならばと、二人は打吹山頂へ。打吹山には室町時代、伯耆国の守護所として打吹城が築かれました。江戸時代初期の一国一城令によって廃城となり、今はもう存在しませんが、城跡は残っています。本丸跡ならば城下町の全景が一望できるはず! 期待をもって再び歩みを進めます。
 しかし、今までの遊歩道とはうって変わり、どんどん険しくなってゆく山道。まるで摩尼寺奥ノ院を登っている感覚です。これは2年生に文句言われちゃうかな……。しかも、雨でぬかるんだ地面が滑る。なかなか過酷なハイキングとなりました。
 登り始めて30分程で無事本丸跡に到着。しかし、皆さんの御察しのとおり、またもや町の全景は見れませんでした。その後も調査を続けたのですが、危うく遭難しそうになり、これ以上は危険と判断。結局、眺望ポイントを見つけることができませんでした。
 2回目のプロ研の内容を考えなければ……なにごとも上手くいかないこの頃です。(武蔵)

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 ↑正面展望台からの全景    ↑打吹城本丸跡からの全景
  1. 2010/10/14(木) 23:21:13|
  2. 景観|
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遥かなまち、くらよし探訪(Ⅹ)

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ようこそ、遥かなまちへ!

 10月7日(木)。本日はプロジェクト研究2の第2回授業日です。P2メンバーのふたり、Nさん&Kさんは、授業として倉吉を訪れるのは初めて。いつも以上に賑やかな車内となりました。
 倉吉到着後は、まず昨日も見学させていただいた重伝建地区内建物の修復現場へ。根継などの古材を残す手法について再度詳しくお話を伺うことができました。そのままみんなで重伝建地区を歩きつつ、一行の足は倉吉市市役所へ。文化財課にて、Sさんに今後の「看板建築修景」事業の進め方についてお尋ねするのが主な目的です。
 看板建築の修景については、どこまでやれるか、まだまだ未知数ですが、ひとまず建物の実測までの道筋はなんとか見えつつあります。じつは実測初挑戦のわたしたち…先生、先輩方、ご指導どうぞよろしくお願い致します! でもまずは、教本片手に勉強していこうと思います。
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(左:工事現場見学 右:観光課にて)

 そのあとは、Sさんのご紹介により、倉吉市産業部商工観光課へ赴き、「遥かなまち観光係」のSさんに倉吉市の観光事業についてお話していただくことに! 現在の「遥かな町へ」に関する観光事業を調査することは、昭和レトロ街構想に向けての基礎研究の1つです。赤瓦、『遥かな町へ』関連の取り組み、レトロ探索など、現在おこなっている観光事業について、幅広くお話を伺わせていただくなかで、「倉吉市の魅力」をあらためて考えさせられました。Sさんは倉吉を、観光地としての魅力だけでない、「生活の匂い」が残る落ち着いたまちとして、もっともっと全国に発信していきたい、と語ってくださいました。
 また、「レトロ」はどの時代をターゲットにしたものなのか?という話題にもなり、倉吉市では。だいたい江戸~昭和など広く設定しているが、時代というより、「今はもう見られないもの」「懐かしいと感じてもらえるもの」ということを重視しているとのことでした。わたしたちが目指しているのは「昭和レトロ」をテーマとしたまちづくりですが、「失われつつあるものを保存し、まちの財産にする」という基本の考え方はどちらも同じ。現在の観光事業とリンクして、より倉吉の魅力を発信できる構想になれば…と思います。

 文化財課Sさん、ならびに、観光課Sさんには、貴重な御時間を割いていただき、本当にありがとうございました。

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  1. 2010/10/14(木) 10:11:19|
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第1回「歩け、あるけ、アルケオロジー」

 1年生後期のプロジェクト研究2が動き始めました。このテーマは、2008年後期でも使いましたが、あのときは弥生土器の野焼きをしました。今回は、もちろん摩尼寺「奥の院」の発掘調査に加わってもらいます。1年生4名のミッションは、11月末までにⅠ区(下の加工段、約10㎡)を掘りあげ、遺構検出をしてもらいます(もちろん教師と上級生が指導します)。その活動が、10月7日(木)にスタートしました。まずは、題目と授業計画をシラバスから転載しておきます。

<テ ー マ>
     歩け、あるけ、アルケオロジー
     -摩尼寺「奥の院」の発掘調査-

<授業計画>
 この夏休みから、ずっと鳥取市の摩尼寺「奥の院」の発掘調査を続けています。摩尼寺は1200年前の平安時代初めころ、大津市にある天台宗の総本山「比叡山延暦寺」の高僧、円仁が開いたと伝承される密教の寺院です。いまの境内は山のふもとにありますが、江戸時代の初めまで、山頂に近い平坦地に境内を設けていました。そこが遺跡となって残っており、少しずつ地面を掘り下げていくと、上のほうで室町時代、下のほうで平安時代の建物跡がでてきました。夏休み以来の調査は、すでにほとんど終わりに近づいています。ただ、小さなトレンチ(発掘調査区)を2~3残しており、その調査に携わることによって、発掘調査の基礎を学んでほしいと思っています。土を少しずつ少しずつ掻いていくと、地面の下から建物跡がでてきます。そこには土器などの遺物が散乱しています。それらは古代の人びとの生活や信仰の痕跡にほかなりません。「埋もれた文化財」に接することによって、古代のロマンを感じてほしいものです。ちなみに「アルケオロジー」とは「考古学」のことです。

  10月~11月中旬: 遺跡の見学、発掘調査体験
  11月中旬~12月: 土器などの遺物の整理と分析
  1月: プレゼンテーションの準備(パワーポイント作成)

1年生登場


 では、次に、情報システム学科T.Sくんのレポートをお届けします。

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  1. 2010/10/13(水) 22:21:43|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩⅠ)

掘立柱跡


最下層の掘立柱!?

 10月7日(木)。この日も地山を目指すため、「C区西壁突出トレンチ」と「B区L字トレンチ南壁」の掘り下げをおこないました。併行して「岩陰トレンチ(Ⅲ区)」の掘り下げもおこないました。

 C区西壁突出トレンチは上層基壇土の盛土あたりのレベルを掘り下げていくと、平らな礎石のような石を発見。上層建物に関係する礎石かもしれません。さらに掘り下げ、石の下の断面をみれば元位置が動いたものかの判別ができるでしょう。今までこのトレンチでは遺物の発見がなく、一同不安だったのですが、上層基壇土と推定される土層から土器片が発見されました。しかし、肝心の凝灰岩盤は未だに姿をあらわしません。このまま掘り進めれば、いずれC区西半の凝灰岩盤のレベルに到達するでしょうが、まだ岩盤のレベルには遠いため、C区の岩盤に連続する壁際のトレンチを設けて、岩盤を追っていくことになりました。果たして凝灰岩はどのように繋がっているのでしょうか...

C区西壁突出トレンチの礎石
↑C区西壁突出トレンチの礎石

 同じく、地山を目指し掘り進んでいたB区L字トレンチ南壁ですが、こちらも地山らしきものはみつからず、凝灰岩混りの整地土がひたすら続くため、これ以上の深堀は危険と判断し、断面の作図に移行することになりました。深掘りする以前には水平に上層・下層の基壇土が堆積していましたが、その下側では斜面に平行な斜め方向の堆積をしています。これは加工段を造営する際の整地土とみなされます。もちろん下層に対応するものです。そして、火輪など3石が投棄された状態で検出された推定「礎石抜取穴」のさらに2層下に掘立柱の堀形と柱痕跡の断面が見事に残っています。上下層とも、礎石もしくは礎石抜取穴、あるいは岩盤に穿たれたホゾ穴などは少なからず検出してきましたが、掘立柱の痕跡をみつけたのは初めてのことです。加工段成形当初、山側の柱は岩盤のピットにおさめ、谷側では掘立柱にしていた可能性を示唆する証拠であり、注目に値します。すなわち、この加工段に建設された仏堂は、以下の3期にわたる変遷を遂げていた可能性が高くなったのです。

  Ⅰa期(下層前半);山側が岩盤ピット、谷側は掘立柱。
  Ⅰb期(下層後半):山側が岩盤ピット、谷側は礎石建。
  Ⅱ期(上層)   :山側、谷側とも礎石建。

 つまり、一番古い建物は掘立柱であり、凝灰岩盤に空くピット(ホゾ穴)と複合しています。掘立柱の腐朽後、その廃絶面を整地した上で、掘立柱に近接する位置に礎石を据え付け、下層の廃絶後は、礎石の抜取を上層のタタキでパックし、異なる平面原理をもつ礎石建物に建て替えたものと考えられます。下層の場合、未だ一ヶ所の検出ではありますが、礎石とほぼ同じ位置で掘立柱の跡がみつかったことに注目すべきでしょう。最下層掘立柱建物の平面計画を利用し、礎石建に変更した可能性があるからです。

 岩陰下トレンチ(Ⅲ区)↓の掘り下げは、太い樹根に阻まれ、作業は遅々として進みません。前回、表面の土を剥いだ際、現代の貨幣(10円玉等)が発見されたのですが、今回僅かに掘り下げた面でもまたみつかりました。したがって、表土を剥いだ後に出てきた硬い土層は昭和戦後以後の盛土と判断され、今後は一気に掘り下げることになりそうです。

 さて、この日は後期プロジェクト研究2「歩け、あるけ、アルケオロジー」の1年生がはじめて現場にあがってきました。以前から報告している下側の加工段(Ⅰ区)の発掘調査は彼ら1年生が担当します。現場に到着後はいったん発掘中のⅡ区と岩陰周辺(Ⅲ区)を見学後、ついにⅠ区での表土剥ぎに着手しました。そのレポートは別にお伝えします。はじめて発掘調査を体験する1年生の顔が輝いて見えました。これから頑張って作業を進めなければなりませんね。(轟)

Ⅲ区


  1. 2010/10/13(水) 10:50:08|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅩ)

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地山をもとめて

 10月6日(水)。この日の作業は、以下の通りです。

  1 下層遺構のレベル測量
  2 B区L字トレンチ南壁の深掘り
  3 C区西壁突出トレンチの深掘り

 地山(凝灰岩盤)をもとめて掘り下げ始めたB区L字トレンチ南壁の深掘りは、ついに表土から85センチに達しました(↑)。以前、武蔵が地山を探して掘り下げた同トレンチ北側より10センチも深いです。この日は、昨日検出した凝灰岩盤を追って掘り下げていったのですが、作業を開始してまもなくそれはぱったりと途切れてしまいました。途切れた箇所から岩盤を追って徐々に掘り下げていくと、ほぼ直角に下ることが判明。85センチ下げてもまだ岩盤は垂直に整地土の中へ続いていることが明らかとなりました。深掘りを担当していたナオキもこれには仰天!いったいこの凝灰岩盤はどうなっているのでしょうか。
 この日、B区L字トレンチ南壁の深掘りを始めてすぐに、下層基壇土から須恵器と思われる土器を発見。この土器の厚みは7mmもあり、以前、下層基壇土から出た須恵器と厚みが近く同じ土層から出ているので、これも平安期のものと思われます。

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 一方、昨日実測が終わったC区西壁突出トレンチも地山を探して掘り下げを再開。B区L字トレンチ南壁の深掘りが上記の状態なので、地山捜索の頼みの綱はこの突出トレンチです。まずは、昨日発見した凝灰岩を綺麗に露出させ岩盤かどうかを確認していきました(↑)。凝灰岩を露出させていくと、岩がゴロゴロと動きます。残念ながらこれら凝灰岩はすべて浮いており、岩盤ではありませんでした。また、これらは凝灰岩ではなく、安山岩であることも明らかに。しかしながら、これらは密集して出てきており、敷石のようにも見えます。もしかしたら礎石を据えるための根石かもしれません。この状況を先生に確認していただくため掘り下げはここでストップ。
 気づけばあたりは薄暗くなり始めていたので、今日の作業はここまで。両トレンチとも、思うように作業が進みません。B区L字トレンチ南壁の深掘りは、整地土が硬いのなんの。パワーが売りのナオキも、この深掘りには大苦戦していました。また、C区西壁突出トレンチは足場が斜面なので、体勢をくずさずに力いっぱいマンジュウをふるのはこれまた至難の業。なんとか早い段階で地山を発見したいものです。(Mr.エアポート)

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左:B区L字トレンチ南壁から出た須恵器 右:深掘りに苦戦するナオキ

  1. 2010/10/12(火) 12:53:50|
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摩尼寺「奥の院」発掘調査日誌(ⅩⅩⅩⅩⅨ)

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2つの地山確認トレンチ

 10月5日(火)。この日の作業は以下の通りで、各々が分担して作業を進めていきました。

  1:礎石位置をトランシットで測量
  2:「C区南壁」の断面作図
  3:B区L字トレンチ南壁
  4:C区西壁突出トレンチの深堀り

 B区L字トレンチの中央部のレベルをとり、地山の確認のため半割りしナオキさんが掘り下げていきました。凝灰岩が混じった整地土がかなり固いため、なかなか作業が進まず、思いっきりマンジュウを入れると周辺の凝灰岩などが整地土とともに砕けてしまうのですが、凝灰岩盤のまわりからオレンジ色の地山と思われる層が出てきました。しかし、いきなり一気に掘り下げることはできないため次回からはこの層を追っていくことにします。無事、岩盤に到達できればいいのですが...
 そして前回先生が線引きされた「C区南壁」↓の断面作図をおこないました。見たところ、この断面はところどころに穴(撹乱?)の落ち込みがあり、山側の斜面に向かうにつれて激しくそれが見られました。

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 上の作業と併行して、トランシットで上層と下層の礎石の位置を計測。石の3~4点をとっていき、礎石の写真の撮影していきました。実測図が正確ならこんな作業は必要ないのですが、なにぶん初心者ばかりが平面実測したばかりに、つなぎ目でずれが判明しており、重要な遺構をトランシットで測りなおし、誤差を修正することになったのです。しかし、この日も雨が降ったり止んだりと、石の多さでこの日はA区のみの計測となりました。この作業は建物の平面をまとめるにとても重要な作業なため、早めにおこなわなければなりません。いずれ遺構内の生きていると思われる重要な礎石のポイントをすべておさえ、発掘区外に見られる礎石状の石も計測していかなくてはなりません。

 そしてC区西壁を山側に延長した「C区西壁突出トレンチ」の平面を実測・レベル測量し、掘り下げる準備ができました。ここのトレンチでは地山となる凝灰岩盤を目指し、以前掘り出した山の斜面の凝灰岩の岩盤らしきものとの繋がるのかを確かめるために掘り下げることになりました。トレンチは斜面となっており、土を掘る量が多いため地山確認まで時間がかかりそうです。(轟)
  1. 2010/10/11(月) 16:34:38|
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