
11月18日(木)のプロジェクト研究2は、発掘した銀貨を拓本する予定だったのですが、急遽、倉吉市にある長谷寺を見学することになりました。長谷寺は中国三十三観音霊場第30番で、わたしたちがが発掘調査している摩尼寺「奥の院」に建てられていたと思われる「懸造」の構造をもっているということで、遺跡にどのような建物が建っていたのかイメージできるようにと、このような機会を設けていただきました。現地に着くと、先輩方は実測調査されていましたが、わたしたち1年生は浅川先生と一緒に長谷寺の本堂を見学することになりました。
しかし、本堂に入ると何か違和感があります。その原因がわからずもやもやしていると、先生のほうから、「この長谷寺の内陣は入って正面に位置しているのではなく、山がある方にあるのだよ」という説明がありました。そのとき違和感の正体がわかりました。先生のおっしゃる通り、長谷寺の内陣は正面に位置していなかったのです。実際に行ってみるとわかるのですが、本堂を正面から見て左側に山がありました。その山には西国三十三ヵ所と、四国八十八ヵ所の尊像が祀ってあります。しかし、とある理由により西国三十三箇所観音霊場の第八番札所、奈良の長谷寺の尊像だけ本堂の左手に祀っています。
話を建築に戻しまして、本堂は昔かやぶき屋根だったのではないかということでした。また、山の斜面に加工段を作って平地にし、上に建物が建てられています。イメージしづらい方は京都の清水寺を想像していただくとよいかと思います。このような建物を「舞台造(ぶたいづくり)」といいます。そして今回は、内陣の中を特別に見学することができました。内陣の中には厨子があり、厨子の中にはご本尊の十一面観音菩薩が祀ってあります。本堂内を見学した次は、「舞台造」の床下を見学しました。柱を一本一本見てみるとつなぎ目がたくさんありました。このつなぎ目を「根継(ねつぎ)」と言います。湿気やシロアリにやられた部分を削り取り、新たな木を継ぎ足しています。そこでひとつ疑問がわいてきました。
「どうやって継ぎ足したのであろうか?」
先生にお尋ねしたところ「まず、根継したいところを持ち上げてぶら下げながら削り取るんです。現代では車のジャッキのような小型の油圧式ジャッキでリフトアップするんだけど、昔にはそんな便利なものはないからきっと梃子の原理かなんかで持ち上げたんだろう」と、いうことでした。その光景を想像しながら私は一人感動していました。説明の後、先生は他の現場に行かれるということで、わたしたちは本堂以外の建物も見ることにしました。
本堂の正面には仁王門がありました。仁王門は1680年ごろに建てられ、仁王門には立派な阿吽の仁王像がありました。阿吽の仁王像は延宝4年(1676年)にたてられたそうです。阿形の仁王像は密迹(みっしゃく)金剛、吽形の仁王像は那羅延(ならえん)金剛という名前でした。仁王門を出て少し歩いた先に井戸を発見しました。井戸には神様が住んでいるといわれているため、埋め立てされていませんでした。
今回、長谷寺を見学させていただいて、摩尼寺本来の景観がイメージができたのと同時に、長谷寺の歴史的背景が少しわかって個人的に楽しむことができました。このような機会を与えてくださったおかげで気持ちを新たにすることができました。ありがとうございました。 (環境マネジメント学科1年R.T)
- 2010/11/28(日) 05:49:05|
- 建築|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0