Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

タジン鍋(Ⅱ)

11タジン鍋01赤


 タジン鍋は「調理」よりも「再調理」に向いています。煮込みなどをたくさん作っておくんです。冷えた煮込みを暖めるために煮込みなおすと、ダシ醤油の味が具材にしみ込みすぎて、塩辛くなってしまいますね。大根などは、表面だけ煮汁が沁みて、芯の部分に白身が残っていると、とても美味しい。煮込みすぎると白身が失われ、大根本来の味が失われてしまいます。
 作り置きした煮込みの具材をタジン鍋に移して弱火で熱すると、蒸し焼き状態になります。具材そのものは熱くなって中からスープがしみ出してくるだけでなく、具材の底にちょこっとお焦げができる。煮込み過ぎには決してならないので、具材本来の味とお焦げになった別の味の両方を楽しめます。

 というわけで、奈良の実家でもタジン鍋は便利だと判断し、サティの生活実感工房までまたタジン鍋を買いに行きました。今回のはIH用です。残念ながら、エスニックなデザインの鍋はなくて、工業デザイン風のものを買いました。IH用の鍋の蓋には穴があいていません。これは、IH用タジン鍋が土鍋ほど熱くならないからではなないかと思っています。土鍋の場合、早めに火をとめて余熱で調理するのがコツですが、IH用鍋は土鍋よりも長い時間、火にかけておく必要があります。

11タジン鍋02

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  1. 2011/01/31(月) 00:02:58|
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ドーハのアジア杯(Ⅷ)

 日本代表、優勝おめでとうございます!

 あぁぁぁぁ~、疲れた・・・

 前半の不調をみて、後半は4-1-4-1にシステムを変更するとばかり思っていた。藤本をさげて細貝を入れるパターンでね。岩政投入ときいたとき、「えっ、まさかの3-5-2(5-3-2)!??」と顔がひきつったが、長友を左のウィングハーフにあげる采配とは、いや恐れ入りました。
 完璧なベンチワークでしたね。日本代表始まって以来の画期的な采配だったと思います。

 選手もみな素晴らしかった。本当におめでとう!

 日本が優勝したことも、もちろん嬉しいけれども、オーストラリアのサッカーがアジアの頂点に立たなかったことにも安堵しています。ありゃ、サッカーじゃないわ。ラグビーのでっかい選手つれてきて、最初から最後までパワープレーやってんのと同じではありませんか。英国の古典的なキック・アンド・ラッシュ戦法からほとんど進化してないと言ったら言い過ぎでしょうか?

 世界ではスペインが勝ち、アジアでは日本が勝った。ポゼンッションに重きをおくパス・サッカーが世界の主流となり、その流れをアジアのなかで日本が示したことがなにより大きな財産だと思います。

 ザッケローニはきっと思っているよ。いまの日本代表は、イタリア代表よりも強い、とね。
 南米選手権が待ち遠しいね!                                 (完)

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  1. 2011/01/30(日) 04:06:48|
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ドーハのアジア杯(Ⅶ)

 またしても、決戦の日を迎えました。
 香川の骨折が心配です。ドルトムントには申し訳ないけれども、ゆっくり療養して完治させてほしいものです。アジアカップよりも重要なトーナメントは山ほどあり、そこで活躍してもらわなければならないのですから、手術後もあせらずリハビリに励んでください。
 南米選手権も休んだほうがいいかもしれません。ドルトムントが派遣しない可能性もあるでしょう。

 思い起こせば、韓国戦の延長、香川なしでよく戦いました。5バックにしたこと以外、不満はありません。わたしは、何度も書いてきましたが、ザッケローニを支持しています。
 相手はオーストラリア。どうせ闘うなら、ヒディンク率いる全盛期のオーストラリアとやりたかったですね。かの名将とザッケローニの戦いがみたかった。ヒディングの切るカードにザッケローニがどう対応するのか。ジーコとの違いは何なのか、検証してみたかった・・・

 日本が勝つような予感がしています。ただ、それは予感であって、結果ではない。勝とうと負けようと、ポゼッション・フットボールへの挑戦を諦めないでほしい。韓国やオーストラリアなどの強豪に、日本のポゼッション・フットボールがどこまで通用するか、はっきりさせておくべきです。かりに1点リードして終盤を迎えたとしても、守備に重心をおくのではなく、ポゼッションを続けて敵陣でのキープ時間を長くしてほしい。高さを活かしたパワープレーには、3ボランチで対応してほしい。5バックはいけません。最終ラインを下げすぎてはいけないし、センターフォワードを下げるなどもってのほかです。かりに前田を交替させたとしても、岡崎を最前線に残しておきたい。
 きっとやってくれるでしょう。藤本が活躍しそうな気がします。


http://sankei.jp.msn.com/sports/photos/110128/scr11012821150022-p1.htm
↑このサイト、おもしろいですね。

  1. 2011/01/29(土) 09:52:37|
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木綿街道・旧石橋酒蔵「空間」再生ワークショップのお知らせ

20110213ワークショップポスター



 昨年末から係わりはじめた出雲市平田町で、「木綿街道・旧石橋酒蔵『空間』の再生ワークショップ ~ Sake Ishibasi Renovation・Conversion ~」が、国土交通省・まちづくり担い手事業の一環として2月13日(日)に開催されます。以下、要項です。

■主催:木綿街道振興会

■とき: 2/13(日) 13:00~17:30 
 ※現地視察は午前のうちにご自由に視察ください。振興会のスタッフがご案内します。
 現地視察 2/13(日)10:00~12:00

■ところ: 出雲市平田町(木綿街道内) 旧石橋酒蔵

■参加人員:30名程度 一般公募

■内容
13:00~ 趣旨説明
13:30~ 講演「木綿街道の町並み保全と町家外観カルテの作成」(仮題)
        講師: 浅川・清水(鳥取環境大学建築・環境デザイン学科)
        コメンテーター: 眞田(倉吉市教育委員会)
14:45~ 休憩 
15:00~ ワークショップ 
  各グループ(6名×5グループ)にわかれ、以下の課題について検討し意見を出す。
   ①「旧石橋酒蔵の活用提案」
   ②「平田・木綿街道をどういったまちにするか」
   ③「重要伝統的建造物群保存地区へ向けてどのような取り組みをしていくべきか」
   ④「住民への働きかけなど意識をもってもらうためにはどうしたらいいのか」など
16:30~ 発表会 <座敷>
17:15~ 総評・ワークショップ終了
17:30   終了

■詳細は以下のサイトをご参照ください。 http://momen-kaidou.jp/

01石橋01瓶アート

  1. 2011/01/29(土) 00:00:25|
  2. 講演・研究会|
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雪景(Ⅰ)

10雪景01昨夜


 ごらんのとおりの大雪です。今年3度目・・・いや断続的に降り続いているから何度目とも言い難いですね。
 上は昨夜(深夜)、下は昼前です。

 一晩で30~40センチ積もりました。
 学内道路の運転すら大変です。
 ただ、昨年までほど憂鬱ではないのね。
 家を変わったことが大きいんです。
 暖かい家はいい。

10雪景02今朝


10雪景03雲山


  1. 2011/01/28(金) 00:01:59|
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2010年度後期プロジェクト研究発表会

全体2


 ここ数日、21日(金)の記事ばかりアップしていますが、その日はまた2010年度後期プロジェクト研究2&4発表会の日でもありました。以下に、1年生の感想を掲載します。

P2(1年): 歩け、あるけ、アルケオロジー -摩尼寺奥の院の発掘調査-

①「はじめに」~「眼鏡レンズ」
 発掘とついているだけで楽しそうと判断し、選んだプロ研Ⅱ。しかし、その内容はとても「楽しい」と一言で片付けられるような内容ではありませんでした。雨の日でさえも休むことなく、発掘調査をおこないました。正直、とてもつらかったです。しかし、時間がたつと山道にも慣れて、少しずつ発掘調査が楽しくなってきました。
 発掘調査が終わって、発表のためのパワポをつくるのも大変でした。私はデザインの才能がないため、パワポも上手につくることができず苦労をしましたが、最後にはなんとか完成することができました。(しかし、先生や先輩方の協力なしに完成することはできませんでした・・・笑)
 あと、プロ研発表のときに、最後の最後までハプニングがあったのは予想外でした。しかし、発掘調査なんてなかなかできることじゃないので、とてもいい経験ができたと思います。
 次からのプロ研に、今回のプロ研で学んだことを活かして行きたいと思います。(田中)

②「石仏の頭」
 私は「歩け、あるけ、アルケオロジー」という言葉に惹かれて、この研究をしてみたいと思いました。発掘調査は私にとって未知の世界で楽しみでした。現場を初めて見た時、予想していたのより大きかったので、この研究のスケールの大きさに驚きました。発掘を始めてみると土を掘ることが楽しくなりました。木の根を切ることには心が痛みましたが、毎週山に登り地面を掘ったことは一生の思い出になるでしょう。
 発掘調査が終わり、発表に向けての資料収集やパワーポイント作成に関して、今回のプロ研でかなりレベルアップしたと思っています。先生、先輩方、一年メンバー、多くの人に助けられ、多くのことを学ぶことができた後期プロ研でした。 (上田)

P2発表風景


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  1. 2011/01/27(木) 00:00:55|
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ドーハのアジア杯(Ⅵ)

 ごらんのとおりの結果です。

 あんまり喜べなかったですね。
 日本のほうがはるかに良いサッカーをしているのに、1点リードされた韓国がパワープレーをしかけてきた途端、5-3-2の守備的布陣に変えてしまった。その結果、デフェンスラインが下がりすぎてしまい、最後の最後に1点とられて追いつかれたのが残念でなりません。
 悪夢のような98仏W杯予選の日韓戦を思い起こしてしまいました。国立での屈辱的な逆転負けをみなさんも覚えてらっしゃるでしょう。山口のループシュートで先制した1点を守ろうと、加茂監督は後半途中から前戦のロペスを下げ、3人めのストッパーとして秋田をピッチに送り込んだ。韓国はロペスが怖くてしかたなかったのに、その脅威が消えて、マークについていた選手が前まであがってきてミドルシュートを決めて大逆転。監督更迭の弾きがねとなった試合でしたね。

 戦法を変える必要はなかったのです。スペインなら絶対に変えたりしない。攻撃的でありつづけることによって、敵の攻め手を摘み取ってしまえるんだから。守りに入るから、ああいうところで本田拓哉がファウルしてしまうんです。最後までポゼッション・フットボールを続けて欲しかった。

 香川の交替にも「何故?」と思いましたよ。たしかに香川の調子はもうひとつ良くなかったけれども、最後は香川が決めて勝つような予感がしていたので、これも残念でした。結果として、代わりに入った細貝が2点めを決めたのだからよしとしないといけないのだけれども、わたしなら、前田を下げて細貝を入れた。【註:香川は怪我での交替だったようですね】
 足のつった長谷部の代わりに、わたしなら、李を入れましたね。前線に驚異を残さないと、敵はディフェンスまで前にあがってくる。その結果の一失点です。【註:長谷部も怪我で、香川&長谷部の決勝出場が微妙になっているようですね】

 PK戦は負けるだろうと思っていたら、勝っちまいました。
 勝ったけれども、喜びはわいてこなかった。だって、PK戦の勝利は、国際試合において「引き分け」扱いなんですよ。120分以内ではっきりと勝ち負けを決して欲しかった。

 残念ですが、決勝こそはオジェックのオーストラリアを粉砕してくれると信じて、今夜は、もう寝ます。
 おやすみさない・・・

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  1. 2011/01/26(水) 01:44:57|
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ドーハのアジア杯(Ⅴ)

 決戦まであと半日になりました。
 隣国の選手たちは「これは戦争だ」と息巻いているらしいですが、わたしに言わせれば、これはスペイン対オランダの代理戦争だ。小兵ながらスキルに優るポゼッション・フットボールと、フィジカルに長けたプレッシング・フットボールの戦いだということです。
 昨年10月の親善試合は、ソウルでのアウェイ戦でしたが、日本が試合を支配していました。あきらかに韓国よりも質の高いサッカーを日本がしていた。それをパク・チソンはベンチで眺めてた。松井のPKを見逃した審判の罪状を棚上げするにしても、事実上は負けの試合だとパクは思っていたことでしょう。そのパクが今回は出場する。代表100試合めで、おまけに、アジア大会を最後に代表を引退するとも言っているようです。

 韓国は凄まじいプレスをしかけ、ハードタックルをかましてくるでしょう。それをすり抜ける方法はといえば、ワンタッチ・パスを繰り返すボール・ポゼッションしかありません。スペインのレベルは遙か向こうにあるとはいえ、日本が韓国相手にポゼッション・フットボールをどこまでやり通せるのか、が最大の焦点です。ソウルでの戦いのように、速いパスでゲームを支配すれば、相手は走り疲れてくるでしょう。パク・チソンを抑えられるか、といえば、まぁ不可能ではない。メッシを零封した集中守備さえ機能すればなんとかなる。

 問題は後と前だ。永友-今野-岩政-内田の4バックはカタール戦の4人より安定感があるでしょうが、その後に大きな穴が・・・ザッケローニはゴールキーパーを変えてくるか、心中するか、見物ですね。
 前は前田。この、機能していない大型フォワードをどこまで引っ張るのか。シリア戦やカタール戦を振り返ればあきらかなように、前田がピッチを去り10人になったときのほうが香川が躍動している。前田をどこまで使い、だれと変えるのかが勝敗の鍵を握っているような気がします。

  1. 2011/01/25(火) 10:25:46|
  2. サッカー|
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尾家住宅、県指定文化財に答申!

 1月21日、鳥取県文化財保護審議会が開かれ、尾家住宅が県の保護文化財に答申された。昨年の河本家住宅の重文指定に続いて、ASALABの調査した民家が指定文化財になった。しかし、わたしたちはこれで満足しているわけではない。尾家住宅は「松甫園」およびその関連施設(敷地・建造物など)が国の「名勝」指定されており、建造物もまた国指定重要文化財の価値をもつのは自明のことだと考えているからである。県指定は最終目標としての国指定のプロセスとして受けとめている。

 下の記事では新たに県指定となった6件の文化財をとりあげているが、尾家はシンガリの一行のみ。サキガケの「旧日の丸自動車法勝寺鉄道」は、わたしが研究所在籍時代に調査・編集した『鳥取県の近代化遺産』(1998)に含まれているものである。鉄道の車両やトンネルが文化財としてみとめられる時代になった。調査から指定まで13年。長いようで短い時間ですね。すっかり肥えてしまったけれども、気持ちの上では、まだあのころとなにも変わっていない。
 尾家住宅の報告書刊行は2007年だった。法勝寺鉄道が要した時間の半分で指定を受けたことになる。繰り返すけれども、まだそれは過程でしかない。

日本海朝刊110122
↑日本海新聞2011年1月22日
  1. 2011/01/25(火) 00:39:21|
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お年玉年賀状くじ当選番号発表!

 1月23日(日)、平成23年お年玉付き年賀はがきの当選番号が抽選・発表されました。当選番号は以下のとおりです。

   1等 651694 
   2等 403580
       228949
       022471
   3等   8363
   4等     69
           02

 早速、わが家でも番号をチェックしました。結果は4等が5枚。昨年は期待値を3枚もうわまわる8枚でしたが、今年は期待値どおりの5枚でした。まぁまぁのスタートですね。
 以下の皆様に深く御礼申し上げます。

  4等下2桁69: 佃様、玉田様
  4等下2桁02: 河合様、真鍋様、山本様

 さっそく郵便局に行って「記念切手シート」もらっちゃいましょう!

01兔の切手

  1. 2011/01/24(月) 02:04:31|
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摩尼寺「奥の院」調査で学生表彰!

 発掘調査がはじまってから、下あごのヒゲを剃るのをやめました(さすがに就職面接のときは剃りましたが)。昨年の推定「卑弥呼の館」復元プロジェクトのときも伸ばしていたような。願掛けと言うほどでもありませんが、大きなプロジェクトの最中は、修行に明け暮れる野伏のごとく研究に邁進したいという願いをこめて、ヒゲを伸ばします。でも、この日はちゃんと剃ったほうが良かったなぁ・・・。失敗です。
 21日(金)、プロジェクト研究2・4発表会の昼休みに、平成22年度学生年度表彰式がおこなわれました。環境大学では年に一度、個人もしくは団体で、優れた課外活動や社会活動をした学生の表彰をしています。本年度は、あわせて16の個人・団体が受賞しました。わたしは摩尼寺「奥の院」発掘調査プロジェクトのリーダーとして「課外活動(文化)」部門で受賞しました。先生によると、団体で申請したそうですが、委員会等から「研究室単位はよくない」との指摘があったそうで、個人としてわたしが受賞することになったのです。形式的には個人表彰となりましたが、実際はASALABが一団となっておこなった大プロジェクトです。ですから、副賞の賞金は、昼休みの昼食会で活用させていただきました。久しぶりにゼミのメンバーで「たかや」に赴き、美味しいお蕎麦を頂戴した次第です。ちなみに大盛りを食べたのは竹蔵だけでした・・・

01たかや01


 現場の埋め戻しをしてからはやひと月と半月。私自身あまりにも印象が深い調査だったため、ガリを片手に、実測図面を抱えて現場を奔走していたのが、つい先日のように思われてなりません。現場に鍬入れしたのが8月3日。それから約4ヶ月もの間、摩尼寺「奥の院」で発掘調査に従事したわけですが、いかんせん現場が山奥にあるため、ベルトコンベア等の機材が搬入できず、学生の人数も限られていたので、毎日少しずつ少しずつ遺跡を掘り下げていきました。夏の猛暑に秋の長雨で、現場は遅々として進まず、同じような失敗を繰り返しては先生に叱られました。今回の調査ほど「挫折」の二文字を身近に感じたことはありません。学部時代、「何事も一所懸命に頑張れば実を結ぶ」という精神のもと調査・研究に邁進してまいりましたが、今回いくら一所懸命に頑張っても思い通りにならないという現実を身をもって思い知らされました。それでも、こうしてなんとか現場を終わらせることができ、現在調査のまとめがおこなえているのは、先生をはじめ、ゼミのメンバー、地域住民の方々や多くの関連機関の皆様の協力のお陰です。本当にありがとうございました。また、Lablogを通してたくさんの方々から応援の言葉を頂戴いたしました。
 今回の経験を糧に、心身ともに更なる飛躍を目指したいと思います。さて、来月の7日が修士論文の締め切りです。ここが正念場!最後まで頑張ります。(Mr.エアポート)

  1. 2011/01/23(日) 02:39:39|
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ドーハのアジア杯(Ⅳ)

 あの角刈り太眉の馬来西亜人には、以前にも痛いめにあいましたよね。またしても強烈な笛を吹いてくれました。まるでプロレスみたいじゃないですか。レフェリーを巻き込んで悪辣な反則をくりかえすヒールを、最後の最後にベビーフェイスがやっつける。正義は勝つのです、プロレスにおいては。
 サッカーでは負けるのが通例です。正義を負かすために審判は笛を吹いているんだから。かつてポルトガルも、イタリアも、スペインも目を覆いたくなるほどの「誤審」の餌食となって半島から去っていきましたが、今夜の日本は砂漠の地にとどまってしまいました。「誤審」を上まわるパフォーマンスをみせた結果として、プロレスのような物語が生まれたわけです。どきどきはらはらして、最後には勝利し、ほんとうに良かった。

 日本の選手はたいしたもんです。トーゥリオがいれば、もう少し安心してみてられるんでしょうが、吉田も伊野波も、よい勉強になったことでしょう。香川と永友は欧州のビッグクラブでもレギュラーになれるレベルに近づいてますね。
 次はイランだろうとわたしは踏んでます。韓国はイランを苦手としてますからね。

  ・・・あっ、いまウズベキスタン、キーパーを替えましたよ・・・


 日本もキーパーだけは感心できませんねぇ。西川は出場した時間を0点でおさえてます。川嶋ははや4失点。4バックは永友、今野、岩政、内田でいいんだけど、キーパーがね・・・西川を先発にしてくれないかな。

 しかし、わたしはザッケローニを支持しています。

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  1. 2011/01/22(土) 02:34:59|
  2. サッカー|
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光フレッツ

 こんばんわ。
 窓の外では、あいかわらずぼたん雪がちらついています。

 ここは大覚寺。お寺じゃありません。新居(鳥取)の地名です。
 今週ようやくその「家」に光フレッツ回線が引かれ、ネットに接続しました。
 鳥取の「家」にネット環境を完備したのは初めてのこと。鳥取の「家」からブログをアップする初夜なんです・・・ちょっとした記念日になりました。

 ネットのない「家」は寝に帰るだけのところでしたが、昨年11月の引っ越しから世界が激変・・・地デジがあり、新しいオーディオもある。キッチンは使いやすく、料理熱は日々高まるばかり。大根、蕪、牛蒡、蓮根など根菜料理のバリエーションが増えました。おかげで胃腸は快調、Gary Peacock現象は著しく減少し、体重も安定しています。この9年半、鳥取ではほぼシャワーに頼っていたのですが、いまは蓬の薬湯に毎日入浴しています。トイレも洋式で綺麗になりました。毎日、ピカピカに磨いています。

 そこにネットが加わった。職場に行く必要がない、とまでは言いませんが、深夜までいる必要はなくなりました。ネットからの情報で「家」でも原稿が書きやすい・・・と言いたいところなんですが、じつは「家」は快適すぎて、この正月からあんまり仕事が進んでません。「家」にいるのが楽しく、家事に埋没してました。少々反省。

 昨年の今ごろは恐怖の「校正マシーン」だったんだ。

 ネット環境が整った今こそ復活しないとね。さっそく仕事をはじめましょうか。では。

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  1. 2011/01/21(金) 00:09:44|
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2011新年会

01新年会02


モルツ 熱燗 タジン鍋

 センター入試2日めの16日(日)、朝から雪が降り続き、360°真っ白に覆われていました。通路の選択ミスで、案外積ったところを短い足で歩いてしまい、雪がひっつきまわることもしばしばある中、先生宅で新年会をしました。お宅まで車で行きましたが、運転は大変そうでした。雪で前が見えにくくなって、瞬間どこを彷徨い走っているのかと思いました。でも先輩の素晴らしい運転さばきにより、無事到着しました。しかし、更なる難関が・・・雪の占領具合が半端なくて駐車スペースがなかなか確保できず、スコップやスコップもどきを使っての雪かきスタート。外はやっぱり寒い。また、夜だというのに空がやけに明るくて驚きました。
 
01新年会01お歳暮
 寒さで冷えた体を暖かい部屋で回復させつつ新年会開始。まずは2期生の宮本さんからお歳暮にいただいたプレミアアム・モルツで乾杯! 先生がベランダのシートの下に隠しておいた缶ビールは雪に覆われてびんびんに冷えていましたが、なにぶん寒波の日でしたから、ぐいぐい飲むというわけにもいかず、まもなく日本酒の熱燗にチェンジ・・・熱燗をいただくと目がスースーしました。ここからは、先生が早くから仕込んで用意してくださった料理がお目見えしました。最初にまいりましたのがヒジキと蓮根のお総菜、そして納豆と大根の皮などを混ぜ合わせたオリジナル料理。先生のように料理が得意ではないので、自分ではどの材料と材料を合わせるのがいいかなど判断し難く、こういう組み合わせ方もあるのだなと勉強になりました。続きまして大根など入った煮物が先生絶賛のタジン鍋に入って登場。味がしっかりしみ込んでいて、若干やけどしそうになりましたが、美味しかったです。壷みたいな形のタジン鍋は便利でいいなと思いました。次は、牛すじ・手羽元・もつとキャベツの煮込み鍋。きっかわ先輩に豪快にカットされたキャベツは、存在感を大いに醸し出し、みんなにも好評でした。どの料理も机に置いたと思ったら四方から箸が行き交い、あっという間にお皿の底に到達するという見事な光景でした。

01新年会03タジン鍋

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  1. 2011/01/20(木) 00:00:27|
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ドーハのアジア杯(Ⅲ)

 途中で眠ってしまいました。
 雪見酒でよい気分になりましてね、タジン鍋は美味しいし・・・
 前夜、我が家で新年会をやっていると、学生からは「サウジだからなぁ」とかなんとか不安の声が聞かれたりしたのですが、わたしは「いや、弱いよ」と答えるのみ。
 前回も書きましたが、アジア杯のレベルは高くないですし、そのレベルのチームのなかでヨルダンとシリアに負けているのですから、サウジアラビアという名前ほどの力はないのです。イタリアやフランスが弱くなってしまったのと同じようなものです。なによりプレースピードが遅すぎる。

 前夜、「ヤベッチFC」で松井と本田が故障のため欠場するという情報を知り、二人には申し訳ないけれども、「それは結構だ」と思った次第です。昨年の南アW杯では、あきらかに松井のほうが岡崎より良かった。しかし、今回は岡崎のほうが良い。前田との相性も、岡崎のほうが良い。昨夜の5-0という大勝利は、図らずも、前田と岡崎の相性の良さを実証し、岡崎の躍進だけでなく、前田を蘇生させた画期として意義深いものだと思います。2試合めまで前田は孤立していて、このままならトップは本田でトップ下を香川にするほうがよいだろうと思ってましたが、これで事実上、前田&岡崎の2トップが成立したと言えるでしょう。
 本田の欠場についても、そんなに不安視しておりませんでした。初戦の終盤に出た藤本が好調であることは分かっておりました。そして、レッズのエース柏木のゲームメイクをみてみたいという欲求があって、先発メンバーをみたとき「よしよし」と喜んだのですが、出来はよくなかったですね。前戦でうろうろおろおろするばかりで、ボールを失うシーンが目立ちました。あと2~3年したら、遠藤のポジションを奪うぐらいの成長をみせてほしいものですが、今回は、残念ながら、控えに甘んじるでしょう。

 わたしはザッケローニを支持しております。こんなに落ち着いてみていられる監督は少ないですよね。選手選考は適切ですし、ベンチワークも見事。戦術は分かりやすくてしっかりしてます。これで就任以来、5戦3勝2敗ですよ。得点8、失点2。素晴らしいじゃありませんか!
 次は開催国のカタールです。たしかに「開催国」というのは難物です。おかしなジャッジに苦しむかもしれませんが、実力ではあきらかに日本が上なので、ハラハラさせてくれながら勝ってくれればいうことありません。前半で3点もとっちゃうとまた眠ってしまうので、もう少しドキドキしたいですね。

  1. 2011/01/19(水) 00:05:54|
  2. サッカー|
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P2&P4発表会のお知らせ

 2010年度後期プロジェクト研究2&4発表会の会場とスケジュールをお知らせします。

   1.日時: 2011年1月21日(金)11:00~11:45
   2.会場: 鳥取環境大学13講義室
   3.スケジュール

11:00~11:15
 P4(2年): はるかなまち倉吉探訪と「昭和レトロ街」構想

   仲佐・加納「看板建築の再生-昭和レトロ喫茶店へのコンバージョン-」

  倉吉重要伝統的建造物群保存地区の本町通商店街に「昭和レトロ街」を構想し、
  その中に昭和ムード満点の喫茶店を設計しました。戦前に建築、戦後に改修
  された看板建築を「昭和の町家」に復原修景するとともに、その内部を喫茶店
  にコンバージョンします。とても楽しい案になっています。御期待ください!


11:15~11:45
 P2(1年): 歩け、あるけ、アルケオロジー -摩尼寺奥の院の発掘調査-

  ①田中  「はじめに」~「眼鏡レンズ」
  ②上田  「石仏の頭」
  ③立川  「こね鉢」
  ④佐々木 「宋銭と青磁香炉」~「おわりに」

  摩尼寺奥の院遺跡で出土した特殊な遺物の謎を1年生4名が解いてみせます。
  はたして「奥の院」はいつごろ成立し、いつ終わりを迎えたのでしょうか?

  1. 2011/01/18(火) 00:00:32|
  2. 講演・研究会|
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木綿街道のこと(Ⅳ)

片原


「木綿街道」悉皆調査(その2)

 2.片原町エリア

 片原町(↑)は新町の通りと直行してつながり、東西方向に通る街道筋に位置している。「木綿街道」は新町から片原町、宮の町と続いており、新町と並んで伝統的な町並みを良く残すエリアである。南側には、街道と同様に矩の手に折れた平田船川が東西の街道筋と平行して流れる。この「片原」という名称は、もともとは街道の北側のみに家並みがあったことに由来する。南側は原っぱで、家が建つのは安政四年(1857)以降のことであるという。また、明治九年(1876)には「片原大火」があり、26棟もの建物が焼失したという。
 町内には「岡屋小路」「出し小路」と呼ばれる2本の路地が設けられているが、新町のそれとは違って河道と街道とを結ぶものではなく、街道から北側の区画への連絡道としての意味合いが強い。ただ、街道を挟んで南側にも河道へとつながる公道が設置されており、やはり水運による物資の運搬に重要であったことを物語っている。

川並片原  小路2  カケダシ2
<左>船川対岸より片原町を望む <中>「出し小路」 <右>船川と街道を結ぶ通路

 街道沿いには約40棟の町家や長屋、土蔵等が軒を連ねている。切妻土蔵造妻入の町家は4棟で、新町に比べると少ない。うち2棟は現在も店舗併用住宅として使われている。町内の北側東端にならんで建っている飯塚酒店(明治初期)と來間屋生姜糖本舗(明治九年)である。ともに明治期の建築で、妻壁に海鼠壁の装飾がみられる。外部の改修がなされているものの、景観を損ねるものではないだろう。とくに飯塚酒店のミセ部分には、蔀戸(しとみど)が使われていたであろう痕跡が残されており、興味深い。この2棟の立地は、近年拡張された片原町と宮の町を区切る道路からよく見え、木綿街道の玄関口としてアイストップの役割を担っている。他の2棟(共に明治3年か?)は片原町中央付近に並んで建っている。他の2棟は住宅および車庫として使われており、外壁に鉄板を張るなど外観の改修が目立つ。形態はよく残っているものの、2棟の両側には新しい年代の住宅に建て替えられており、町並みとしては孤立している感が否めない。

來間飯塚  妻入町家
<左>來間屋生姜糖本舗(手前)と飯塚酒店(奥) <右>連立する妻入型町家

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  1. 2011/01/17(月) 13:03:02|
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木綿街道のこと(Ⅲ)

新町通り


「木綿街道」悉皆調査(その1)

 1月8日(土)からの3日間、2週間ぶりに平田木綿街道へ赴きました。今回の目的は、新町および片原町の「木綿街道」沿いに立つ全戸を対象とした町並み外観調査。各戸の外観や形態、保全度について記録すると共に、所有者の方がたから改修時期や建築年代等についてヒアリングし、調書に書き込んでいきます。余談ですが、昨年10月に重伝建地区の拡張が決まった倉吉でも、H14~16年度におこなわれた旧陣屋町エリアの町家調査において同様の悉皆調査と主要な建物の詳細調査が浅川研究室によって実施されています。
 この悉皆調査は言わば町並み調査の予備調査に位置づけられ、調査票を作成することでデータを蓄積するとともに、木綿街道に残る町家や民家などの歴史的建造物の現状を理解することを目的としています。そしてとくに価値があると判断した建造物については、今後詳細調査をおこなっていく予定です。

 1.新町エリア

 新町は南北に通る街道筋で、江戸期から明治中期の平田町(その後、2度の合併により現在は出雲市に属する)においては松江杵築往還の松江側の入り口に位置していた。西側には街道に平行して平田船川が流れ、街道と河道をつなぐ小路が3本備わっている。街道沿いには町家や長屋、土蔵等約50棟が連立し、平田の町並みの特徴でもある切妻土蔵造妻入りの町家は10棟確認された。(↑新町通り南端より北を見る)

川並 本石橋家 石橋酒造
<左>船川対岸より新町を望む <中>本石橋家住宅 <右>その分家にあたる旧石橋酒造

そのうち、かつて地主であった本石橋家と、その分家で造り酒屋を営んでいた旧石橋酒造の邸宅については築200年以上といわれる。その2棟を除いては、所有者からの聞き取りによれば明治初期~大正期の建築とのことであるが、何れも口伝によるもので確かなものではない。多くは間口二間半で多少の改変は見られるものの、二間のミセ部分と半間の通り土間で構成されている。正面には下屋がつき、2階は庇付の窓が設けられており、漆喰塗りの大壁構造となっている。海鼠壁は、2階外壁および庇上の妻壁に見られるが、建築年代との関係についてはより詳細な調査が必要となるであろう。また、町内には二つの醤油醸造本(加藤醤油店、岡茂一郎商店)があるが、いずれも海鼠壁をもつ妻入町家をそれぞれ2棟所有しており、街道内の活性化とともに町並み形成に貢献している。

妻入り  妻入り町家と小路  雪の木綿街道
<左>切妻土蔵造妻入りの町家(明治期?)が軒を連ねる 
<中>海鼠壁のある妻入町家(大正期)と船側へつながる小路 
<右>加藤醤油店主屋


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  1. 2011/01/16(日) 12:40:42|
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ドーハのアジア杯(Ⅱ)

 一年でいちばん長い日が、いま、ようやく、終わりました。
 日日是修行。しんどいですわ。

 今日はガッツボーズもでませんでした。ヒアリングがトラブルなしに終わったら自然にガッツポーズがでたもんです。それぐらい鬱陶しい仕事なんですが、徐々に慣れてきてしまったみたいですね・・・日本代表がアジアカップで得点したぐらいじゃガッツポーズでないよね・・・

 ところで、あの審判はいったい何だったのでしょうかね??
 「日本を勝たせない」ことがかれのミッションなのだろう、と思ってみていたら、岡崎のPKはとるわ、シリア選手に赤紙を出すわ、で、両チームに大打撃をあたえ、試合後は、シリアの監督が審判を殴らんばかりに荒れ狂ってましたからね。
 どういうことなのかな??

  「おまえのジャッジはひどい」

といいたいのか、それとも、

  「話が違うだろ!」

と怒っているのか。

 アジアカップを数試合テレビで視ました。そんなにレベルの高いトーナメントじゃありません。昨夜のオーストラリア対韓国にしても、たいしたことない。両チームともそんな強くないでしょう?

 贔屓でみるわけじゃないけど、守備の組織と中盤の構成では日本が頭ひとつ抜けている気がします。
 日本は優勝したっておかしくない。ただ、ああいう審判がおるわけです。なによりアウェーなんだから、勝てるとは限らない。けれども、このレベルの大会なら優勝してもらわなきゃ困りますよね。
 とはいうものの、アジアカップで勝てばよいというわけでもありません。トルシェもジーコもアジアカップを獲ったけれど、ワールドカップは駄目でしたからね。逆のほうがよいんです。アジアカップは駄目だったけど、ワールドカップは良くやった、と言われるほうがいい。

 サウジを蹴散らして予選リーグを1位通過すると、まずは開催国カタールの可能性が高い。そのあとの準決勝がオーストラリアか韓国でしょ。
 開催国ってのはヤですね・・・実力差と関係ないところで勝敗が決まってしまうかもしれない。
 そうか、予選リーグを2位で通過するという手もありますね。サウジに引き分ければいいんだ。
 サウジに引き分けたりしたら、また日本のマスコミは叩くでしょうね。

 わたしはザッケローニを支持しています。日本の国民性によくあった監督だと思います。辛抱強くみまもりたい。アジアカップよりも、南米選手権での手腕に期待したいですね。

  1. 2011/01/15(土) 19:36:04|
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第13回「歩け、あるけ、アルケオロジー」

01カオナシ03


 ごらんのような工芸品をある学生さんからお土産にいただきました。フィリピンの工芸品です。外国の工芸品は「民族芸術」の作品でもあります。国内ならどうなるか、と言えば、「民俗芸術」なんて言葉はないなぁ・・・「民芸」でいいのか。「民芸」と「工芸」の違いはなんなのか、よく分かりません。
 昨日のタジン鍋も、マグリブ(北アフリカ)で常用される調理具というにとどまらず、「民族芸術」の作品でもありますね。実用性が高くて、暖かく、力強いデザインを感じ取れるでしょう。
 ごらんの工芸品の顔をみて、わたしは『千と千尋の神隠し』にでてくるカオナシを思いおこしました。わたしにとって、カオナシはよく分からんお化けだったんですが、「淋しいんだよ、千尋以外だれも相手にしてくれないから、千尋にだけなついてるんだ」と娘に教えられた記憶があります。さて、・・・

          プロジェクト研究2&4発表会のお知らせ(予報)

 プロジェクト研究2&4が再開しました。再開したと思ったら、来週の金曜日(21日)はもう発表会です。ですから、昨日は1年生も2年生も発表練習をしました。大雪に閉じこめられていたからでしょうか、みんな準備がよく進んでいました。まだ当日の会場・時間が教務課から通知されていませんが、学生たちは以下のような発表をしますので、みなさんぜひとも聴きにきてください。

P2: 歩け、あるけ、アルケオロジー -摩尼寺奥の院の発掘調査-

 4人の1年生が摩尼寺奥の院遺跡で出土した特殊な遺物について考察し、遺跡との係わりを探ります。

  ①田中  「眼鏡レンズ」
  ②佐々木 「宋銭と青磁香炉」
  ③立川  「こね鉢」
  ④上田  「石仏頭部」

P4: はるかなまち倉吉探訪と「昭和レトロ街」構想

 2年生二人(仲佐・加納)が上級生と協力して、倉吉重要伝統的建造物群保存地区の本町通商店街に「昭和レトロ街」を構想し、その中に昭和ムード満点の喫茶店を設計しました。戦前に建築、戦後に改修された看板建築を「昭和の町家」に復原修景するとともに、その内部を喫茶店にコンバージョンします。とても楽しい案になっています。御期待ください!

 会場とスケジュールが正式に決まりましたら、再度ブログに掲示しますので。

01カオナシ02
  1. 2011/01/14(金) 00:58:11|
  2. 講演・研究会|
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タジン鍋

01タジン鍋01


 「さんまとハバネロ」のシーズンがやってきました。昨年一昨年と、業者さんに連絡して取り寄せておりましたが、なんと、宮長のバッカス(酒屋さんです)で発見。レジ近くの大きなバスケットに他の缶詰とごちゃごちゃにしておいてあったので、目にみえる14個の「さんまとハバネロ」全缶買い占めました。1缶100円。通販価格より20円以上安いと思われます。

01タジン鍋03ハバネロ ですが、研究室では例の鍋をやっておりません。じつは我が家に秘密兵器を仕入れておりましてね・・・タジン鍋です。正月休みに帰省している娘とサティの雑貨屋さんを覗く機会があり、そこに色あざやかなタジン鍋が各種並んでおりまして、娘は欲しそうにするのです。若い女性たちのあいだでは、こんなものが流行っているんだなぁ。
 おじさんたちは知らないでしょうから、紹介しておきましょうか。タジン鍋とは、北アフリカで使われるトンガリ帽子蓋付き平底鍋のことです。蓋には小さい穴があいていて、蒸気が抜けるようになってます。土鍋なので、焦げにくい。油をひかなくていいんですね。水を注がなくても大丈夫です。平底鍋に野菜を各種盛り上げ、羊肉か鶏肉をのせて、香辛料をふりかける。あとは蓋して弱火で熱すれば、肉から油、野菜から水がでてきて、蒸し煮込み料理のできあがり。
 若い女性に人気があるのは、第一に油を使わないから。ダイエット効果があるわけです。第二に独身生活に適しています。鍋がちょうど一人前サイズなんですね。野菜を盛り上げても、蓋して煮込めばしんなりなって、ご飯のオカズにちょうどよいぐらいの量になります。

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  1. 2011/01/13(木) 13:20:23|
  2. 食文化|
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ドーハのアジア杯(Ⅰ)

威風堂々

 前半終了間際、ヨルダン選手の蹴ったボールが吉田の足にあたってゴールした瞬間、「今日は吉田のゲームになるな」と直感した。わるい例を引き合いに出すならば、昨年の南亜W杯のブラジルvsオランダ戦におけるフェリペ・メロのような役割を、吉凶どちらかで、吉田が演じることになるだろうという予感である。

 吉田麻也という選手をわたしはまったく知らなかった。怪我人だらけのCB陣にあって、ヨルダン戦のストッパーがだれになるか注目されたが、「吉田」というアナウンスに首を傾げつつ、その選手を映す画面をみて驚いた。身長187㎝(189㎝とする記事もある)。こんな大柄なストッパーが日本にいたんだ・・・グランパスからオランダのVVVに移籍した選手だと聞かされ、「あぁ、そういえば」とは思うものの、名前と顔がまったく一致しない。しかし、画面をみると、精悍な顔付きをしている。日本が待ちに待った大型センターバックの出現かと胸騒ぎした。

 前半の中ごろ、吉田はバネのきいたボレーシュートでヨルダンのゴールネットをあっさり揺らしてみせた。胸騒ぎの予感が現実に変わったと喜んだ瞬間、オフサイドの判定。あれはオフサイドなのだろうか? 吉田より前に選手はたしかにいたが、吉田のシュートと前の選手の位置取りには関係がない。中東ではなく、東アジアが開催地であったならば、すんなりと得点が許されるケースではなかったか。しばし時間が流れ、前半の終わりを迎えて、こんどは吉田のつま先からオウンゴールが生まれた。日本は1点を追う展開を強いられる。
 後半、香川がトップ下に入り、日本の攻撃は威力を増していった。1-1においつくパターンだ。あれだけ攻め続けていれば、いずれ点が入るだろうと余裕をもってみていたが、2枚カードを切っても、なおゴールが奪えない。解説者が「3枚めのカードが切りにくい状態になりましたね」と繰り返した後半30分すぎから、この日はこのまま負けるかもしれない、という不安がよぎりはじめた。右サイドバックの内田を下げて得意の3バック(3-4-3)にシステムを変え、攻撃陣を1枚増やせばよいのではないか、と思っていみていたのだが、ザッケローニは動かなかった。
 
 一方、吉田はといえば、オウンゴールが尾をひいているのだろう、後半になってミスが目立った。フィードの悪さが目につく。

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  1. 2011/01/12(水) 13:02:16|
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摩尼山へ初詣

2011初詣01マニ01地蔵02


 奈良では添御縣坐(そうのみあがたにいます)神社と秋篠寺に初詣に行きました。
 わたしが奈良で初詣していたころ、鳥取は大雪だったようです。テレビに米子や大山や山陰海岸の豪雪がなんど映しだされたことか・・・天気予報をいつも気にしていて、帰鳥するタイミングを見計らっていたのですが、予報は雪マークの連続でしたね。帰りの鳥取自動車道も吹雪いていて、恐怖と戦いながらハンドルを切ってました。なんとか戻ってこれて一安心。

 さっそく摩尼寺に初詣です。まずは茶屋の喫茶部で一休み。美味しい珈琲をいただきながら、元旦の大雪の話を聞いていました。紅白歌合戦はみたのだそうです。それから雪はしんしんと降り積もり、一晩で1メートル近い積雪があって、ついに元旦に停電になり、石油ストーブで寒さを凌いだとのこと。
 その雪も溶けはじめていました。参道の石段を上り始めると、あろうことか、雲のあいまに御天道様が顔を出されましてね。ごらんのとおり、赤い帽子をさらに変えた仏さまも嬉しそうです。

2011初詣01マニ02参道


 参道を駆け上がって境内で拝礼し、とても清々しい気持ちになりました。昨年あれだけお世話になった摩尼山にようやく新年の挨拶ができてうれしかったですね。おみくじも引きましたよ。奈良で詣でた社寺におみくじがなかったので、摩尼寺が初おみくじです。まぁまぁの運勢だそうです。
 山陰山嶺の雪景色は綺麗ですね。生まれてきて良かったと思いました。昨年、何回も摩尼山でそういう気持ちを味わせていただきました。今年もよろしくお願いします。

 下山後、大覚寺のマンションに近い前田神社にも詣でました。人気のない小さな境内です。いわゆる鎮守の杜ですね。もちろん土地神さまにもご加護をお願いした次第です。

2011初詣01マニ03本堂


 
  1. 2011/01/11(火) 13:07:53|
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日本のいちばん暑い町

 正月気分も消えうせつつある今日このごろ、ひょっとして成人の日だったかな?
 ・・・遅ればせながら、ここでもう一枚年賀の絵はがきをみなさまにお届けしましょう。

 毎年、メールで現場の写真を送ってきてくださる若い技師さんの撮影したものです。
 
 あえてどこなのかは言いません。

 建築史や庭園史を学ぶ者なら、だれだって分かりますよね、この写真がどこに
 ある何という建物なのか。
 わたしの賀状に使った町並みが分かる人は限られているでしょうが、
 この写真をみて首を傾げるような弟子はみな破門だぁ・・・だはは・・・

 ヒント?

 それでは、技師さんからのメールを引用しておきましょうか。

   「日本一暑い町で元気にやっています」

 えっ、まだ分からない!? では、もう一つだけ。

   国士無双∫

2011日本のいちばん暑い町

 
  1. 2011/01/10(月) 12:14:01|
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仮想ライブ(Ⅱ)

 『VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家』と題するちあきなおみの仮想ライブ・アルバムは、とりあえずアマゾンのレビューを読んでいただき、叶うならば注文し、聴いていただければ、それでなにも言うことはない。
 ちあきなおみのアルバムを短期間に数枚取り寄せて聴いたのだが、こうして、あまり文章を書きたくなくなってしまう。そういう歌手だということがしみじみ分かった。幻の名唱「朝日のあたる家(朝日楼)」をタイトルに含むこのアルバムにしても、その副題曲だけでなく、どの曲をとりあげても甲乙つけがたい。愚かな説明は省略するので、ただただ彼女の音楽を聴いて欲しいと願うばかりだ。いつものことだが、ライナーノーツから少しだけ引用しておきたい。佐々友成氏の文章を抜粋・要約させていただく。

 歌をうたわなくなったちあきなおみのすべてを納めた10枚組の全集を、レコード会社の枠をこえて出そうという企画が動き出したのが2002年。その編集作業のさなかに、5曲の未発表ライブ曲が発見された。「朝日のあたる家」「酒と泪と男と女」「ダンチョネ節」「ラ・ボエーム 」「アコーディオン弾き」の5曲は十分リマスタリングに耐えうる音源であり、もちろん全集に加えられたが、さらにその5曲を中心に全集の圧縮盤というべきアルバムが仮想ライブ形式で企画・編集され、店頭に並んだ。復帰を熱望するファンの声にスタッフが全身全霊をこめて応え制作したのが、この作品なのである。
 曲目ラインナップは「続き」に掲載しておく。もはや黙るしかない。昨日まで紹介してきた青江美奈の作品は、聴けば聴くほど元気になる。聴く者はあかるい気持ちになって、前向きの自分を獲得できるだろう。しかし、すでに青江はこの世にいない。ちあきはこの世にいるのに、衆目のまえに姿をあらわさない。そして、残された音源を聴くたびに、聴く者はちあきの歌の上手さに衝撃をうける。衝撃をうけるどころか、心に楔を打たれる。悲しく重い何かを、ちあきは閑かに訴えかけてくるのだ。その、悲しく重い何かが、彼女の引退と関係しているように思えてならない。偏見かもしれないが・・・


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  1. 2011/01/09(日) 00:24:26|
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仮想ライブ(Ⅰ)

 『The Shadow of Love』から2年経った1995年、青江美奈は再びニューヨークに渡り、凄腕のジャズ・ミュージシャンをバックに熱唱し、『passion mina in N.Y.』を世に出した。こんどは英語のスタンダードではなく、自分の持ち歌を日本語で歌い、そのバックをジャズ・ミュージシャンで固めている。しかも、「仮想ライブ」の形式をとる先駆的なアルバムがここに誕生した。青江は95年の渡米時、ニューヨーク・レインボールームでのチャリティー・ディナーショウに出演しており、おそらく拍手や挨拶は、そのコンサートの録音を使っているのだろうが、すべての歌と演奏はスタジオ録音である。こちらのアルバムもラインナップにご注目いただきたい。

  1. オープニング“Moanin'”~伊勢佐木町ブルース
  2. 長崎ブルース
  3. 池袋の夜
  4. 国際線待合室
  5. New York State Of Mind
  6. 上を向いて歩こう
  7. Love Is Forever
  8. 白樺の小径
  9. 淋しい時だけそばにいて
  10. 恍惚のブルース
  11. 女とお酒のぶるーす~エンディング“Moanin'”

 なにより驚くのは、仮想ライブのオープニングとエンディングに「モーニン(Moanin)」をもってきていることだ。ご存じのように、「モーニン」はアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのテーマ曲である。 アルバム『モーニン』(1958)を発表したころのメッセンジャーズは、テナーサックスのベニー・ゴルソンが事実上音楽監督の立場にあったが、バンドのスターはリー・モーガン(tp)だった。モーガンは60年代になって『ザ・サイドワインダー』(1963)で大ブレイクする。いわゆるリズム&ブルース寄りの8ビートジャズであり、ジャズの正統を好む人たちからは蔑まれてきた感なきにしもあらずだが、この流れは脈々としていまも「フュージョン」に受け継がれている。ありがたいことに、この分野ではギターが重要な役割を果たす。ジャズでは超マイナーな存在でしかないギターが、ファンキージャズでは表にでてくる。グラント・グリーンやコーネル・デュプリーの演奏がただちに頭をかすめるが、『passion mina in N.Y.』ではデビッド・スピノザが大活躍している(とくに「長崎ブルース」の演奏が◎)。

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  1. 2011/01/08(土) 00:01:01|
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恋の影

 年末の大分をレンタカーでドライブしている間、取り寄せたばかりの2枚のCDをずっと聴いていた。いずれも、青江美奈のニューヨークでの録音アルバムである。一枚は『The Shadow of Love』、もう一枚は『Passion mina in N.Y.』。
 青江美奈はもともとジャズ・シンガーであった。岩波洋三のライナーノーツによると、クラブ歌手時代の芸名は「鈴原志麻」といったらしい。1965年、ビクターレコードにスカウトされ、青江美奈として「恍惚のブルース」でデビューする。以来、森進一と並ぶハスキー&ため息路線の演歌歌手代表として昭和の歌謡界に君臨したことはだれでも知っていよう。演歌歌手としてのイメージが強烈だが、ちあきなおみ以上に、歌のルーツにあるのはジャズであり、『The Shadow of Love』(1993)でその真骨頂を聴くことができる。名をあかさなければ、歌い手を「ヘレン・メリル」と答えるリスナーすらいなくはないだろう。とりあえず『The Shadow of Love』の曲目ラインアップをご覧下さい。

   1. Cry Me A River
   2. It's Only A Paper Moon
   3. The Man I Love
   4. Love Letters
   5. Lover, Come Back To Me
   6. Bourbon Street Blues
   7. Harbour Lights
   8. When The Band Begin To Play
   9. What A Differance A Day Made
   10. Green Eyes
   11. Gray Shade Of Love
   12. Sentimental Jorney
   13. Honmoku Blues

 これらのスタンダードを名うてのミュージシャンをバックに青江美奈は英語で見事に歌っている。フレディ・コールとマル・ウォルドロンがほぼ交互にピアノとアレンジを担当しており、コールはときにボーカルも務める。青江とコールの声質はよく似ていて、息もぴったり。さすがにマルは歌っていないけれども、「マル・ウォルドロン」というネームは、ジャズ好きにとって、「セロニアス・モンク」や「エリック・ドルフィ」に匹敵するほどの重みがある。マルがピアノを弾き、アレンジをして、青江美奈が歌っているという情報をえた段階で「即買い」を決断しなきゃ男じゃない。

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  1. 2011/01/07(金) 00:17:08|
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六郷満山の中心と周辺(Ⅶ)

大分と山陰の比較

 六郷満山を中心とする大分の山岳寺院「奥の院」でみた岩屋(いわや)と掛屋(かけや)には驚かされ続けた。もう少し早くこの地を訪れていたならば、摩尼寺奥の院の発掘調査段階から遺構の見方も変わっていただろうと反省する一方で、学生たちの卒業研究・修士研究に間に合ったことを安堵している。
 最後にいろいろ書きとめておきたいことがある。まず大分と山陰が決定的にちがうのは、いうまでもなく、磨崖仏の存否である。大分の場合、仏龕(ぶつがん)のように浅い岩窟に仏を浮き彫りにしており、それを庇護し礼拝するための「かけや」を「いわや」の前に設ける。一方、山陰に磨崖仏はない。不動院岩屋堂や焼火神社のように大きな岩窟を掘って、そのなかに懸像の仏堂をまるごと納めている。いまに残る山陰の懸造には「仏堂」としての独立性がつよく、対して、大分の懸造は「いわや」の前室としての性格が強い。しかし、摩尼寺奥の院の場合、岩窟や岩陰に石仏・木彫仏・石塔などを安置している。摩崖仏ではないけれども、信仰の対象を岩窟の内側におさめる点はやや大分に近く、とりわけ宇佐の龍岩寺奥の院との親近性は否定できないであろう。したがって摩尼寺においても、岩陰・岩窟の正面に「かけや」が存在した可能性を当然想定しなければならないし、じっさいにⅢ区では岩陰の直下で柱穴を検出している。
 次に年代の問題である。大分の古い磨崖仏の制作年代は平安後期~鎌倉前期であるという。そのほとんどが天台宗と係わりをもつようだが、大分で訪れた寺院に円仁再興伝承はみられなかった。山陰の有力寺院には円仁再興伝承があるけれども、それを疑問視する意見も根強くあり、昨年の摩尼寺奥の院の発掘調査においても、下層遺構の造営年代は10世紀以降にくだるという見通しをえている。興味深いのは、大分における磨崖仏の勃興年代と三仏寺投入堂の建築年代(1100年前後)がほぼ重なりあうことで、これをそのまま受け入れるならば、天台宗による地方山岳寺院の再整備は11~12世紀ころまでくだる可能性があるだろう。
 これと関連して、高瀬石仏の一根三茎仏を興味深く捉えている。近畿の白鳳~天平時代の流行 -それはもちろん唐618-917からの直接もしくは間接の影響によって生まれた文化である- が、平安時代の中期以降になって、地方で華開いたという見方ができるかもしれない。柳田国男の「周圏論」を応用して解釈してみよう。磨崖仏が大分で彫られたころの中国(宋960-1279)では、石窟寺院はすでに流行遅れになってしまっていた。南北朝から初唐・盛唐にかけて隆盛した石窟寺院の諸要素(石窟・磨崖仏・掛屋など)が、300年ばかり後の辺境日本、とりわけその山嶺地域で矮小化し日本化しながら開花した。こういう理解は、科研題目の「石窟寺院への憧憬」に偏向したものだという誹りを免れないであろうが、ここでは現状での拙い見通しを示したまでで、もっと説得力のある解釈が可能であるならば、ぜひともご教示いただきたいと願っている。

10富貴寺大堂03内部01


 さて、奥の院に存在する磨崖仏や加工段が平安時代中期以降にくだるにしても、仏寺としての開山伝承は7~8世紀まで遡る。六郷満山では仁聞菩薩、山陰では役行者が開山に係わる僧侶(修行者)の代表である。六郷満山諸寺の場合、宇佐神宮の境内にあった弥勒寺の僧侶が峯入りの行場としてあちこちに道場を設けたのが起源であろうと言われる。宇佐神宮が現在地に遷座したのは神亀2年(725)。その境内に弥勒寺が移転されたのは天平10年(738)。宇佐八幡神の化身とされる仁聞菩薩が六郷満山28寺を開創したと伝承されるのは、養老2年(718)のことである。奥の院「本殿」に代表される顕著な神仏習合の有り様はその時代まで遡るのであろうか。また、磨崖仏が彫りだされる以前の六郷満山「奥の院」は、はたしてどのような姿をしていたのだろうか。一方、摩尼寺奥の院では奈良時代に遡りうる土器が複数出土しており、奈良時代以前に人びとの活動があった可能性はもちろん否定できない。ただし、そこが「行場」と呼べるものであったかどうかは定かではない。
 建築史からみた場合、ひとつ注意しておきたいことがある。それは、比叡山延暦寺においてすら、最澄開山寺における根本中堂が「卑小の草庵」にすぎなかったことである。円仁の時代でも、それは大差なかったであろう。とすれば、奈良時代~平安時代中期の山陰や大分の山嶺に仏堂が存在したとしても、それは「草庵」風にイメージ化されなければならないであろう。

10富貴寺大堂01全景01


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  1. 2011/01/06(木) 03:48:46|
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六郷満山の中心と周辺(Ⅵ)

01元宮八幡まがい仏01全景


「いわや」と「かけや」

 国東半島六郷満山諸寺院の「奥の院」を駆けめぐりながら、案内の看板をなんどかみるにつけ、「岩屋(いわや)」と「掛屋(かけや)」という言葉が対比的に、そして、ごく自然に使われていることを知った。さすが磨崖仏と懸造仏堂の本場だけのことはある。
 「いわや」という概念は山陰でも常用されている。若桜の不動院岩屋堂の「岩屋」がそれであり、柿原の窟堂も「いわやどう」と読む。絶壁に掘り込んだ横穴を仏堂とする場合、その全体を「いわや」と呼ぶわけだ。一方、「かけや」という言葉については、管見のかぎり、鳥取や島根で聞いたことがない。しかし、それが懸造の建物をさすのはあきらかであり、日本語として、「かけや」以上にふさわしい用語を探すのも難しいだろう。「いわや」と「かけや」はそれぞれが独立した概念というよりも、複合的に意識されたものであるのもほぼ間違いない。「いわや」を掘って仏像を祀る場合、その正面に「かけや」をつくって風雨を避け、かけやのなかで人びとは礼拝する。それが六郷満山をはじめとする大分の山岳寺院「奥の院」ではあたりまえになっている。わずか3泊4日の大分視察ではあったが、その事実を知ったことの意味は大きい。山陰では「岩屋の前には掛屋があったのだろう」という推定の域をでないのだけれども、大分では「岩屋の前には掛屋があった」と言い切ってもよいのである。
 ここでは、あと4つの例を紹介しておこう。

01元宮八幡まがい仏02痕跡


1.元宮磨崖仏

 豊後高田市の重要文化的景観「田染荘小崎」に近い字(あざ)真中に境内を構える元宮八幡神社(田染八幡神社)に隣接する小さな磨崖仏群(国史跡↑↑)。絶壁をわずかに掘って仏龕とし、不動明王を中心にして、向かって右に矜羯羅(こんがら)童子と毘沙門天、左に持国天と地蔵菩薩を配する。矜羯羅童子は不動明王の脇侍である。いまは欠落してしまっているが、不動明王と持国天のあいだにも、不動明王の脇侍「制咤迦(せいたか)王子」の小像がかつて存在した。石仏は室町時代の作と推定されている。2001年に覆屋をかけているが、これはあくまで現代のものであり。崖面にはほぼ左右対称に仏像群の上下に木材仕口穴の痕跡を残す(↑)。仏像上部の仕口痕跡が水平ではなく、上下しているので、「掛屋」は小さな入母屋もしくは寄棟を半割したものであった可能性が高いであろう。

02天念寺01講堂・神社01


2.長岩屋山天念寺

 豊後高田市長岩屋の絶壁に沿ってたつ寺院と神社の複合施設。他の多くの寺院と同様、養老二年(718)仁門菩薩の開基と伝える。中央に身濯神社(みそそぎじんじゃ、旧六所権現)を置き、向かって左に茅葺き妻入の講堂掛屋、右に本堂岩屋を配する。
 
02天念寺02川中不動尊02看板 絶壁の背後には「天念寺耶馬」とよばれる奇岩秀峰が連なり、「峯入り」と称する山岳修練の最も重要な寺院であり、かつては十二坊を備えた。岩屋堂形式の講堂では、旧正月七日に赤鬼と黒鬼が松明を持って暴れまわり、国家安泰・五穀豊穣・万民快楽を祈願する「修正鬼会」が開かれる。右手の本堂岩屋には主尊に薬師如来座像、脇侍に月光菩薩立像、吉祥天立像などの平安仏を安置する。ここにも、当然、掛屋が存在したであろう。道路を挟んで正面を流れる長岩屋川の中には「川中不動」と呼ばれる磨崖仏もある。大雨のたびに氾濫を繰り返してきた長岩屋川の水害除けを祈願して江戸時代中期に刻まれたものという。川中不動尊は修復中、講堂・神社も屋根葺替えや修理の最中であった。
  参考サイト:http://blogs.yahoo.co.jp/ruriironohahasama/15529161.html 

02天念寺02川中不動尊01
↑川中不動尊 ↓天念寺本堂
02天念寺03本堂01

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  1. 2011/01/05(水) 02:46:22|
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木綿街道のこと(Ⅱ)

町並み


師走に動き出した町並み調査

 山陰地方では記録的な大雪となった大晦日・・・を前に、12月28日から29日にかけて出雲市平田町へ行ってきました。今回の目的は、平田の旧市街地に所在する「木綿街道」の視察と、その町並みの外観調査です。先日、「住まいまちづくり担い手」事業の一環でアドバイザに就任された先生が訪問した際、その町並みを高く評価するとともに、地元住民の保存活用に対する姿勢に感心され、このたびわたしが試験的な町並み調査をおこなうことに相成りました。余談ではありますが、出雲は私が2年前まで勤めていた土地でして、よく傍を通り過ぎておりました。そのこともあり、この出雲市平田町内にあのような町並みが残されていたことに衝撃を受け、自分のアンテナ感度の悪さを痛感しております・・・
 さて、この「木綿街道」という名称は、旧来からそう呼ばれていたわけではなく、10年前に地元の振興会が地域おこしを目的に命名されたそうです。ただ、街道自体は「松江杵築往還」として江戸期には形成されており、松江から宍道湖の北岸を西進し平田を経て杵築(大社)を結ぶ街道として賑わいをみせていました。
 木綿街道の範囲は、平田町内の新町・片原町・宮之町あたりを指しており、とくに新町・片原町を中心とした街道沿いに集中して切妻の土蔵造妻入りの町家群が軒を連ね、棟の来待石(きまちいし)や海鼠壁(なまこかべ)の装飾、出雲瓦と呼ばれる黒いぶしの瓦などにより独特の景観を形成しています。これまで、いろいろな町並みを見てきましたが、国の重伝建地区に選定されている福岡県の筑後吉井や宮崎県日向市の美々津の町並みを思い起こしました。

 海鼠壁 瓦
〈左〉海鼠壁と来待石 〈右〉出雲瓦と出雲格子

 また、かつて平田は出雲平野部の物資集散地として宍道湖を利用した水上交通路の要衝であり、木綿街道の外側には「船川」と呼ばれる河道が流れています。しかもその片側の護岸は、かつて宍道湖の護岸だったといい、周辺の田畑は宍道湖を埋め立たものなのです。町内にはそれを物語るように、「カケダシ」(地元の方は「掛け出し」とも「架け出し」とも書いていた)と呼ばれる足場が所々にみられます。船着場や洗濯場として使われた川面に張り出した部分で、川とともに生きた人々の生活を偲ばせる、趣ある佇まいを見せています。また、町家を貫通してカケダシと街道をつなぐ通路や、「小路(ショウジ)」と呼ばれる河川から町内を結ぶ路地、排水のために各建物間に設けられた「庇合い(ヒアイ)」、かつての宍道湖護岸として残る石垣などが「川並み」を形成する重要なファクターとなっています。

 カケダシ 川並
〈左〉カケダシ 〈右〉宮之町ウラの川並み
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  1. 2011/01/04(火) 00:00:37|
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