師走に動き出した町並み調査 山陰地方では記録的な大雪となった大晦日・・・を前に、12月28日から29日にかけて出雲市平田町へ行ってきました。今回の目的は、平田の旧市街地に所在する「木綿街道」の視察と、その町並みの外観調査です。先日、「住まいまちづくり担い手」事業の一環でアドバイザに就任された先生が訪問した際、その町並みを高く評価するとともに、地元住民の保存活用に対する姿勢に感心され、このたびわたしが試験的な町並み調査をおこなうことに相成りました。余談ではありますが、出雲は私が2年前まで勤めていた土地でして、よく傍を通り過ぎておりました。そのこともあり、この出雲市平田町内にあのような町並みが残されていたことに衝撃を受け、自分のアンテナ感度の悪さを痛感しております・・・
さて、この「木綿街道」という名称は、旧来からそう呼ばれていたわけではなく、10年前に地元の振興会が地域おこしを目的に命名されたそうです。ただ、街道自体は「松江杵築往還」として江戸期には形成されており、松江から宍道湖の北岸を西進し平田を経て杵築(大社)を結ぶ街道として賑わいをみせていました。
木綿街道の範囲は、平田町内の新町・片原町・宮之町あたりを指しており、とくに新町・片原町を中心とした街道沿いに集中して切妻の土蔵造妻入りの町家群が軒を連ね、棟の来待石(きまちいし)や海鼠壁(なまこかべ)の装飾、出雲瓦と呼ばれる黒いぶしの瓦などにより独特の景観を形成しています。これまで、いろいろな町並みを見てきましたが、国の重伝建地区に選定されている福岡県の筑後吉井や宮崎県日向市の美々津の町並みを思い起こしました。

〈左〉海鼠壁と来待石 〈右〉出雲瓦と出雲格子
また、かつて平田は出雲平野部の物資集散地として宍道湖を利用した水上交通路の要衝であり、木綿街道の外側には「船川」と呼ばれる河道が流れています。しかもその片側の護岸は、かつて宍道湖の護岸だったといい、周辺の田畑は宍道湖を埋め立たものなのです。町内にはそれを物語るように、「カケダシ」(地元の方は「掛け出し」とも「架け出し」とも書いていた)と呼ばれる足場が所々にみられます。船着場や洗濯場として使われた川面に張り出した部分で、川とともに生きた人々の生活を偲ばせる、趣ある佇まいを見せています。また、町家を貫通してカケダシと街道をつなぐ通路や、「小路(ショウジ)」と呼ばれる河川から町内を結ぶ路地、排水のために各建物間に設けられた「庇合い(ヒアイ)」、かつての宍道湖護岸として残る石垣などが「川並み」を形成する重要なファクターとなっています。

〈左〉カケダシ 〈右〉宮之町ウラの川並み
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- 2011/01/04(火) 00:00:37|
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