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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

弁当箱の中蓋など

 念願のスロージョギング1時間コース、走りました。
 正確には30分走って、散髪。ラヂオで「ちあきなおみ」を聴いた例の散髪屋です。それからサティ(イオンって言わないといけなのか?)の生活空間工房に行って、取り寄せを依頼していた弁当箱の中蓋をもらいうけ、帰路はまた半時間走って、パールデューというケーキ屋さんに寄り、さきほど帰宅しました。なぜ弁当箱の中蓋なのかというと、ビニール製なのでレンジでチンするときは外してくださいと注意されていたにも拘わらず、このまえ大学でチンしてしまい、哀れ中蓋はクラゲのような軟体動物と化してしまったのです。その中蓋の新品が届いたというわけ。1枚150円と安いので、2枚購入。

F1000016.jpg ジョギング中、いろんなひとから電話がかかってきましてね・・・騒動は依然納まりませんが、生活空間工房のレジ前に展示された商品の言葉に、ハタと目が覚めました。たしかに、そうだ。結果は同じだからね。世の中、自分の思うようにはなりません。気持ちを切り替えて、湯を浴び、「江」を視ながら、長イモたっぷりのお好み焼きをいただきましょう。

 「上海」の障壁はなかなか高かったのです。ネットの格安ツアーで探し始めると、3~4万円のツアーが最初にずらりとでてくるんですが、「キャンセル待ち」状態のものばかり。3月中は無理でしょう。卒業旅行のシーズンだからね。「キャンセル待ち」をかけても、絶望的であるのはあきらかだし、その現実を旅行社はメールで知らせてきました。
 こうなると、料金をひきあげて検索するしかありません。少しずつ予算をあげていくと、ようやくスカイゲート社に空きがあることが分かり、逡巡することなく、契約しました。JTBより少し安いですね。上海にも、蝶野正洋仕様のサウナスーツと真っ黒いジョギングシューズをもっていきますよ。

 バンド(外灘)を走るんだ!




  1. 2011/02/28(月) 00:05:28|
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ヘダウェイHEC-700SAV

01ヘダウェイ02


 無性に旅がしたくなって、奈良ファミリーのJTBに行った。前夜から「上海」が頭を駆けめぐりはじめた。「東京」でもよいのだが、「上海」のほうがわずかに優位にある。中国語を話したいのだ。タクシーの運転手やレストランのウエイトレスと、懐かしい上海訛の普通話で会話したい。小龍包のハシゴをして、上海蟹をたんとたいらげ、豫圓のスターバックスでコーヒーを飲んでから土産物を買い、母校(同済大学)のキャンパスをうろついたりするんだ。
 東京にも、捨てがたい魅力がある。それがなんなのかは、ここでは書けない。サッカーや音楽に匹敵するもう一つの大切な趣味があって、東京はそれを充たしてくれる。ヒントはラーメン?・・・ともかく大都会の空気に晒されたいと思う。別に目的地があるわけではない。ホテルで原稿を書きながら、骨休みに、ぶらりぶらりと街を歩く。路地を徘徊する。そうそう、上海では「弄(ノン)」というのが小路の呼称だ。弄で弄ばれたりして。

 奈良ファミリーのJTBは、じつに18人待ちという混雑ぶりで、同じフロアの楽器屋をひやかすことにした。顔なじみの若い店長に「エレガット、ない?」と訊ねると、店長は困った顔をした。「高価なものはありませんで、練習用なら1台だけ」と弁解しつつもってきたのが、ヘダウェイHEC-700SAV。六弦倶楽部の御歴々からは「なんだ、またオンボロ買っちゃって!?」とばかにされそうですが、弦高が低く(弦がフレットに微かに触れるか触れないか微妙な感触)、コードワークにもアドリブにも向いている。大都会を彷徨したい気分がギターを買う衝動に結びついたのかどうか分からないが、さぁ、清水の舞台から飛び降りるしかねぇぜっ、えい、やぁ・・・買いました。じつは、長く愛用してきたホセ・アントニオのネックが内倒れしつつあり、「駅前の楽器屋さん」にみせたところ、復旧は容易でないとのこと。仕方ないから、最近はネックの細いヘダウェイ(金属弦のフォークギター)を練習器にしていたんですが、弾きにくいのなんの。今度のヘダウェイ、すなわちナイロン弦のエレガットのほうがはるかに優れものですから、練習中のAmメドレーに磨きがかかるでしょう?
 お値段は、本日、決算最終日につき「決算大特価」の¥39.800【ソフトケース・ギタースタンド・弦1セット・シールド付】。ヤマハNCX2000の1/10の値段ですね。NCX2000は、遠い日のマドンナになってしまったなぁ・・・いや、恋は遠い日の花火ではない。

01ヘダウェイ03バーボン


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  1. 2011/02/27(日) 00:13:51|
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訃報

 先日、湯梨浜町の尾崎家住宅が県指定文化財になったと報告したばかりだが、さんざんお世話になった尾崎家の御当主が逝去されたという悲報に言葉を失った。23日(水)のことである。その連絡では、「葬儀は密葬で行われるそうで、花輪などは一切受けとられないとのこと(中略)対外的には、別に日を改めて告別式だけが行われるようです」とあった。安楽寺での告別式は今日(26日)午後1時半からということなのだが、すでに予定が詰まっていたので、24日(木)の昼過ぎにご焼香に伺おうと喪服に着替えつつ、とりあえず先に電話連絡だけしておこうとして何度かつながらず、ようやく受話器をとってもらったところ、見知らぬ声の婦人から「さきほど葬儀は終わり、いま火葬場に向かっているところ」だと知らされた。これにはまいった。23日のうちに無理をしてでもご焼香にあがるべきだった。
 悩んだあげく、弔問を断念した。いわゆる「もがり(殯)」の段階ならば、ご遺体にお目にかかることができるわけだが、その段階を過ぎてしまっている。後日ご焼香に伺うことに決め、弔電を打った。告別式には、研究室を代表してタクオが出席することになり、京都から宮本がはせ参じるという情報も伝わってきている。

 ご当主ご逝去の報に接し、幾多のご厚情を思いおこしつつ、痛惜の念に震えております。尾崎家の住宅・庭園・道場の調査で、多くの学生が成長していきました。感謝の気持ちでいっぱいです。そのご恩返しもできぬまま、旅立たれたこと、まことに無念です。
 謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。   
                                      ASALAB一同

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  1. 2011/02/26(土) 00:39:45|
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「重伝建地区拡張にともなう倉吉の町並み整備を考える」会のお知らせ

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 3月2日(水)夕方、2010年度鳥取県環境学術研究費助成研究「倉吉重要伝統的建造物群保存地区拡大にむけての実践的研究」の成果報告会を開催します(卒業研究の発表会を兼ねています)。平成22年10月に重要伝統的建造物群保存地区拡張の決定を果たした倉吉の町並みについて、鳥取環境大学生が独自の町並み整備構想を提案し、その後、意見交換をおこないます。

 開催まであと1週間少しということで、急な告知ではありますが、学生4名がそれぞれ自分たちなりの町並み構想を発表させていただきますので、ぜひぜひご参加いただければ幸いです。
 上はチラシの表面の圧縮画像で、下に表裏ともサムネイルで掲示しておりますので、クリックしていただきますと、拡大されます。以下に、裏面に記載されているスケジュールを載せておきます。(きっかわ)


2010 年度鳥取環境大学卒業研究発表会
「重伝建拡張にともなう倉吉の町並み整備を考える」


日時 2011 年3 月2 日(水)18:00 ~ 20:00
会場 くら用心(倉吉市東仲町2580 番地)
次第
18:00 -  ご挨拶
  浅川 滋男(鳥取環境大学 建築・環境デザイン学科教授)
18:15 -  研究成果発表
  1.吉川 友実
   重要伝統的建造物群保存地区拡張にともなう町並み整備の課題と展望
  2.竹内 信之
   彼方へのとびら -倉吉「昭和レトロ街」構想-
  3.仲佐 望・加納 愛惟
   「喫茶Gorinto」への看板建築再生計画
19:05 -  休憩
19:15 -  意見交換
  司会:眞田 廣幸(倉吉市教育委員会 文化財課次長)
20:00 -  終了

事務局 鳥取環境大学 浅川研究室(担当 吉川・竹内・清水)


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  1. 2011/02/25(金) 00:01:09|
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老人

 出版されたばかりの『村上春樹雑文集』を抱えて特急にのりこんだ。「ノルウェイの森」の稿で述べたように、わたしは村上春樹の小説を苦手にしている。ただし、随想については、比較的好んで読んできたほうかもしれない、と書こうとして、しばし再考するに、やはりそれほど読んでいませんね。同じ村上なら、龍さんのほうのエッセイをよく読んだでしょう。サッカーについて、村上龍は少なからず批評を残してますからね。春樹さんの場合、音楽のエッセイだけは気に留めてきた。若い頃、自らジャズ喫茶を経営していただけのことはあって、龍さんよりもはるかに造詣が深い。『意味がなければスイングはない』がジャズ系音楽批評の代表作だが、『村上春樹雑文集』にも「音楽について」の章があり、そこからぼちぼち読み始めた。「ビリー・ホリディの話」は傑作だね。これが、ジャズだ・・・ところが、他のいくつかの随想(とくに音楽以外の作品)については、途中で読むのをやめてしまう場合があった。じつは、これまでもかれの「雑文」を読みながら中途で読書を放棄し、眠りに落ちてしまうことを何度も経験している。特急列車の自由席でもまた、わたしは静かに眠りに落ちた。

 村上春樹は自らを「長編小説家」と呼ぶとおり、長い文章を書く小説家だ。それが批評・随想・紀行文などにも影響している。『意味がなければスイングはない』はとても面白い音楽批評だが、一篇一篇がなにぶん長いので、途中でへこたれそうになる。「文章はリズムだ、グルーブ感だ」と彼は『翻訳夜話』で書いていたけれども、いくら躍動感のある即興演奏でも、同じパターンなら飽きてくるでしょう。心地よい振動の電車に揺られているようなもんだから、読んでいくうちに睡魔に襲われ、本をおいて目を閉じてしまうのである。だから、眠りたいときには、村上春樹を読むのが良いとさえときに思う。(雑文の)文章が長くても、それを読破させる筆力のある文筆家はいくらもいる。立花隆や陳舜臣を読むと、途中で「もういいや」と本を放り出すのに、司馬遼太郎だと、長い作品でも吸い寄せられるように活字をおうのはなぜだろうか。

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  1. 2011/02/24(木) 12:21:04|
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2010年度大学院修士研究発表会

 2月17日(木)。2010年度大学院修士課程研究発表会がおこなわれました。発表者は全体で5名。ASALABでは今城・岡垣が論文の部で発表しました。以下、各々の感想です。

質疑応答-今城


今城(論文):山岳信仰と文化的景観-大山・隠岐・三徳山およびその関連資産をめぐって-

 いよいよやってきました、修士研究の発表会。わたしの苦手な「発表会」です。昨年の修士1年次中間発表も2年次中間発表もことごとくフリーズしてきたため、最後くらいは・・・と思いつつ、パワーポイントを準備してきました。大方の発表内容はこれまでの研究をなぞっていく流れだったので、自分に「大丈夫!」と言い聞かせて、当日はできるだけ間を取りつつ、早口にならないように努めました。が、発表終了3分前のベルが聞こえたとき、何故かちょっと焦ってしまい、やっぱり最後は早口になってしまったと思い、反省です・・・。
 発表タイトルは「山岳信仰と文化的景観-大山・隠岐・三徳山およびその関連資産をめぐって-」。昨年2月のシンポジウムの内容や、この夏に4ヶ月間係わった「奥の院」の文化的景観についての内容を盛り込みました。思えば、学部4年次の卒業研究から文化的景観に関わり、4年次は若桜町の文化的景観について卒業論文をまとめました。修士課程に進学してからは、世界遺産条約の文化的景観も勉強しつつ、シンポジウムや発掘調査に関わる中で、最終的に山陰における「山岳信仰と文化的景観」の研究としてなんとか着地できました。いえ、させていただきました。私一人の力では到底到達し得なかった修士研究のまとめという位置に、教授や研究室メンバーをはじめ、関わってくださった皆様の力をお借りして、なんとか立つことができました。この場を借りて、深くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 発表会が終わった現在もなかなか息つく暇もなく、発表会2日後には毎年恒例のデザイン学科の展示会が始まり、2月末までには修士論文を修正して提出し直さなければなりません。6年間に及んだ長い大学生・大学院生としての生活もあと残りわずか。悔いが残らないように、残り少ない時間を精一杯使い切りたいと思います。(今城)

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岡垣(論文):摩尼寺「奥の院」-発掘調査と復元研究-

 発掘調査が始まって以来、願掛けとして生やし始めた髭ともお別れ。くしくも私が髭を剃った日は、25年にかけて髭を生やし続けたプロレスラー蝶野の断髭式でもあった。髭といえば蝶野のトレードマークなわけで、彼は剃り終わった後「裸になったみたいで恥ずかしい」とコメントしていた。う~ん、確かに恥ずかしい。髭なんかに願を掛けたがために、髭自体に「これぞ研究の蓄積なり!」みたいな変な思い入れがあったので、そぎ落として発表会に臨むのは確かにスッポンポンで挑むようで恥ずかしかった。
 とはいえ、髭のようにそぎ落としたらなくなるような研究成果であるわけがなく、この8ヶ月間に叩き込まれたものは、骨の髄までしみ込んでいる。たとえ裸一貫であろうとも、発表会を戦い抜ける自信は十分にあった。と思って挑んだ前日の発表練習。先生からは「自信なさそうな発表に聞こえる」とチクリ。続けて「今回、専門家は会場にいないんだから、もっとのびのびと発表すればいいじゃないか」とアドバイスをいただいた。そうだ、この感じは公開検討会のときの発表に似ている。専門家に囲まれたあの時のプレッシャーだ。確かに、今回の発表会で聴講される他の先生方は考古学の専門家ではない。やっぱり指導教官が一番のプレッシャーだ。「オレが質問してやろうか」なんて冗談をおっしゃられたときは、笑顔で返したが背中を冷や汗がツーっとはった。そんなこんなで、発表会当日。専門用語はなるべく避けるよう努力し、どうしても使うときはスライドに注を入れたり、ひとつひとつ説明しながら発表した。それでも専門的な内容に偏り、聞きづらい発表となってしまったというのが自己反省点である。しかし発表の後、多くの先生方から廊下ですれ違うたびに「私もこう思う」とか「なるほど、そういうことだったのか」と声をかけていただいた。わかりにくい発表に対するお世辞かもしれないが、興味を持っていただいたのは確かであり、この言葉にただただ安堵した。先生からも「昨日よりはだいぶマシ」とお褒めの言葉を頂戴した。
 この半年はとても濃いものであった。正直何度もサジを投げたくなった。それでも、熱心に指導してくださる先生や支えてくれる仲間に勇気付けられ、また、多くの専門家の皆様、地域住民の方々の協力のお陰でなんとか乗り切ることができました。本当に感謝の限りです。来年度から社会人となり、今とは違うジャンルの建築関連の職につくわけだが、知らない業務でも、きっとちょっとやそっとのことではへこたれないだろう。そんな気がする。そしてどういう形であれ、いつかまたこの世界に戻ってきたいと思う。やっぱり髭面が落ち着くのだ。(岡垣)

  1. 2011/02/23(水) 12:33:21|
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別れのサンバ



 さらに暖かい一日になりました。そんな天気に誘われて、ついにスロージョギングを再開。30分コースですが、やはり気持ちよいですね。あとでホームドクターに血圧を計ってもらったところ、ちゃんと下がっているから、たいしたもんです。
 それにしても、書類が進まない。文章を書くことを趣味としているわたしにも、こんな時があるんだ・・・と言い訳しつつ、これから2500回目のブログを書きます。

 長谷川きよしが「別れのサンバ」を発表したのは、1Q69年だというから、わたしは中学生で、ギターを始めて2~3年のころか・・・当時は和製ホセ・フェリシアーノという触れ込みで、盲目の天才ギタリスト兼歌手の出現におののいた。クラシック・ギターが素地にあり、シャンソン、ボサノバ、フラメンコ等々を吸収しているから、ごらんのとおり(↑)、手がつけられないギターを弾く。
 「別れのサンバ」はなんどか練習した。上の映像では3カポのAmキーで演奏しているが、69年ころはカポ無しCmキーで弾いていた。難しかった。そこいらのフォーク歌手が弾くギターとはまったく異質で、わたしの音楽歴にあって、初めてジャズっぽいコードを学んだのは、ジェイムズ・テイラーではなく、長谷川きよしだったんだという事実にいま気づいた次第です。
 Cmで伴奏すると「黒いオルフェ」のようなマイナー・ボサノバに聞こえた曲が、Amだとフラメンコ色のつよい響きになりますね。というか、このギターはフラメンコギターなんでしょう(自分で弾いたことないから自信ないけど)し、開放弦を活かす奏法もまたフラメンコ的と言ってよいのでしょうか。ジャズやボサノバでは開放弦はあまり使いませんからね。Amキーの場合、6弦(E)5弦(A)4弦(D)がいずれも基本コードのルート音に使えるので、間奏でアドリブ(リード)が弾きやすいという利点もありますね。なんて、分かったようなこと書いてますが、真似しろと言われても、これはできんな。69年バージョンでもへとへとでしたが、上の演奏はハナからギブアップです。

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  1. 2011/02/22(火) 12:44:44|
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紅い春

01赤い梅


 すでに〆切を過ぎて、「待ってください」と担当の女性職員に泣きついている書類を抱えているにもかかわらず、筆がまったく進まないので、ぶらりと散歩にでたんです。もう春ですね、近畿では。土手の大きな梅樹の「紅い花」が満開となり、小中学校のグラウンドは少年野球やテニスで賑わっていて、「うららか」という形容詞がぴったりの季節を迎えています。
 正月このかた、まるでカマクラのなかで生活しているようでした。一月いっぱいで積雪の峠は超えたものの、2月になっても週末になると吹雪がくり返し、そうしたなかで入試や公聴会や会議や占拠などをこなしてきたのですが、修士論文の報告会を終えて、がくっと疲れがでてしまいました。因幡弁でいうところの「けんびき」状態なんでしょう。
 奈良に戻ってきても、頭が働きません。こんなときこそスロージョギングなんでしょうが、豪雪の影響で運動していないから、いきなり走る度胸がなく、スローウォーキングから始めた次第です。ただ、わたしには家事がある。ストレス解消は料理三昧に限ります。ずいぶんいろんなものを作りました。
 ひとつだけ報告しておきましょう。ピンクの林檎ジャムができあがりました。

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  1. 2011/02/21(月) 12:14:24|
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鵜鷺

ウサギ遠景


 古代出雲歴史博物館での打ち合わせを経て、一行は鵜鷺(うさぎ)地区へと向かいました。卯年にウサギという名の集落を訪れるなんて、今年はきっと良い歳になるでしょう。それにしても、「鵜鷺」と書いて「うさぎ」とはこれ如何に?
 鵜鷺地区は島根半島の西端にあり、出雲大社と北山をはさんで反対側、日本海に面した漁村です。鵜鷺という地名は地図上にはなく、鵜峠(うど)地区と鷺浦(さぎうら)地区を合わせたエリアの総称です。かつては北前船の寄港地として栄えましたが、漁港自体は小さく、住戸は北山と海辺の間のわずかな平坦地に密集して、集落は海岸線と平行に展開し、扇形を呈しています。その町割りは特徴的で、海岸線から放射状に数本の道が設けられて平入りの民家が軒を連ねます。そしてそれらの道に対して垂直に(海岸線と平行に)一本の道が集落を貫いているため、さながら妻入民家の町並み(↓)と勘違いしてしまいました。

ウサギ町並み


 町家等の建造物をみると、建築年代はそれほど古くはないものの、北前船で財を成したためか、一軒一軒の規模が大きく、なかには海鼠壁(なまこかべ)や鏝絵(こてえ↓)などの装飾や養蚕のために備えられた越屋根、風除けの竹壁(間立て=次頁上の写真)などもみられます。
 今回、鵜鷺地区の視察には、「鵜鷺元気な会」会長の藤井さんにご案内いただきました。この会は地元活性化を目的に住民が立ち上げた組織で、HPによる情報発信や、地区内の空家を借り上げて宿泊施設として活用するほか、社会福祉協議会の補助制度を利用するなど木綿街道の振興会同様まちおこしを模索されています。ただ、極端な人口減少に悩まされています。最盛期には1700人ほどだったのが、今では260人にまで減っているとのこと。高齢化率も6割を超え、集落の半数以上が空家となっています。そういった状況が背景にあるからこそ、歴史的町並み景観がよく残ったのでしょうが、今後どのように定住人口問題を解決していくのか。全国の過疎地域に特有な課題をこの地区は象徴的に抱えています。
 先生は、「とてもよい集落だが」と前おきしつつ、

    「巨大化した板井原のようだな・・・」

という感想を漏らしておられました。板井原の良いところもそうでないところも、鵜鷺は大きなスケールで抱え込んでいるという意味だと思われます。

ウサギこてえ


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  1. 2011/02/20(日) 12:57:55|
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木綿街道のこと(Ⅵ)

朝御飯


持田醤油店の朝ごはん

 平田にて一泊して2月14日(土)。世間はヴァレンタインデーですが、ASALABは女子メンバーからはキットカットを頂戴しました・・・先生は帰鳥後いろいろあったみたいですが、これ以上書くとご家庭の崩壊をまねくかもしれないので・・・

 前日はワークショップの緊張と大いに盛り上がった懇親会のせいか、先生からいただいた『NUMBER』誌(アジア杯特集号)を1ページも読みきれずに眠りに落ちてしまいました・・・おまけに少々2日酔い。そんな寝ぼけ頭も、持田醤油店の朝御飯で一気に覚醒しました。以前にも少し紹介しましたが、再びレポートさせていただきます。
 木綿街道の持田醤油店では近隣の民宿と提携して朝御飯を提供しています。いわばB&Bを民宿(ベッド)と醤油店(ブレックファースト)で役割分担しながら実践している点、特筆すべきでしょう。メニューは、「焼きおにぎり」に「シジミの味噌汁」、それに日替わりで小鉢と漬物が付きます(↑)。この日の日替わりは、「赤貝の醤油煮」と蒲鉾、それに大奥様特製の「生姜の漬物」です。焼きおにぎりをみた瞬間、先生は「中国粽子(ちまき)だ!」と反応されました。たしかに、米を竹皮で包む外観は中国粽とよく似ていますが、中に入っているのは焼きおにぎりです。加藤醤油特製のさしみ醤油をサッと垂らして塗ったおにぎりを焼いたもので、なんとも香ばしい味がしています。中国粽子の場合、鶏肉とゴボウを煮込んだ油っぽい餅米の炊き込みご飯を竹皮にくるんで蒸すものですから、中身には若干のちがいがありますね。また、宍道湖といえばシジミですが、かつては赤貝もよくとれたそうで、「赤貝の醤油煮」も自店の醤油を使って調理されており、甘辛く煮た貝が焼きおにぎりによく合います。生姜の漬物もはじめていただきました。このように、地元の特産物を使った郷土料理を振舞っておられる姿勢がすばらしいですね。味も格別で、先生は「板井原のかまどめしに匹敵する」と絶賛されていました。米子で日野川の大ナマズをくいっぱぐれた憂さも晴れたご様子でした。

川並


 食事はミセ(前土間)ではなく、奥座敷で振舞われます。持田醤油店の大奥様も気さくな方で、アットホームな雰囲気。また、座敷奥の縁側からは船川を望むことができます(↑)。普段は締め切っておられるようですが、夏の季節は開放したら気持ちが良いだろうなと想像してしまいました。(タクオ)【続】

  1. 2011/02/19(土) 12:59:53|
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木綿街道のこと(Ⅴ)

講演1


旧石橋酒造「空間」の再生ワークショップ

 2月13日(日)、出雲市平田町の木綿街道を訪れました。今回は私にとって四度目の平田訪問になりますが、その目的は副題のとおりワークショップへの参加と、昨年末よりおこなった調査成果の報告です。会場には、町内外から約40名以上の方々が集まり、旧石橋酒造のハナレ座敷も往年の賑わいを取り戻したかのよう(↓)。摩尼寺奥の院発掘現場での写真撮影でもお世話になった山村さんも来られ、研究室からはエアポート、部長、きっかわ、ヒノッキーの4名が参加しました。ちなみに竹蔵・轟は卒業研究展に備え大学で留守番です・・・。
 ワークショップは2段階構成で、前半に講演としてASALABからの調査報告、そしてコメンテータの眞田さん(倉吉市教育委員会)が重伝建地区の実状を倉吉の経験に基づいてお話しされました。後半に「旧石橋酒造の活用と木綿街道の今後について」をテーマにワークショップが行われました。
 成果報告の前には主催者である木綿街道振興会から概要説明があり、2001年に発足してからの活動と「住まい・まちづくり担い手事業」での活用実験の報告がありました。改めて感じたのは、振興会や地元の方々の熱意と行動力。清掃活動やカフェの実験的営業、大学とのアートを通じた交流など多岐にわたって「まちおこし」を模索されています。なにより、諦めることなく行動し続けるその持続力がすばらしく、その根底にあるのは地元への愛着であり、その思いがにじみ出るようなお話しに発表前から胸が熱くなりました。
 そして調査成果の報告へと相成るわけですが、まず先生よりアドバイザになるに至った経緯と研究室のこれまでの調査実績についてのご説明。研究室発行の倉吉町並み調査の報告書を紹介し、町並み保全の方向性にかかわらず、報告書を積み重ねていくことの重要性について説かれました。そしてその第一ステップとして今回の調査がある、ということで成果報告へ。その頃には、会場もほぼ満席状態でやや緊張・・・。発表では、文化庁の「伝建制度」にスポットをあてて重伝建地区の定義や選定の仕組みなどを説明し、年末年始の木綿街道悉皆調査の成果を分布図等で報告するとともに、町並みをいかに保全していくかを提案させていただきました。結論から言えば、木綿街道およびその周辺の町並みは重伝建地区に値する価値を持っており、今後地区内に登録文化財を増やすことが必要だということ、また旧石橋酒造は市の所有になるならば、奇抜な「活用」を図るよりも、なにより「公開」することが重要だということを述べました。

石橋酒造

↑会場の旧石橋酒造[18世紀後期(推定)]

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  1. 2011/02/18(金) 13:09:53|
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蒼い時(Ⅱ)

 自己を外側から冷徹にみつめる能力に加え、若くして「一瞬の死」を経験したという告白から邪推するに、山口百恵は生きながら4次元世界を浮遊できる「力」をもっているのかもしれない。山口百恵は時空を超越できる。そんな魔力を隠すために引退したのだと書いたら、みなに嗤われるだけだろう。しかし、『蒼い時』の前半部分では、自ら近未来を予知する能力があると述べている。人生のさまざまな分岐点において、AかBかの選択を迫られたとき、いつでも選択すべき未来がみえて、未来予想図のとおりの結果に落ち着くというのである。だから、「スター誕生」で何回予選を繰り返そうと、阿久悠の厳しいコメントに晒されようと、「落ちる気がしなかった」という。結婚を機に「引退」か「仕事を続ける」かで迷ったときも、「引退」を選ぶことで幸福になるという予感があったから、引退するのだと彼女は言い切る。
 いままで何度も芸能界復帰の要請があった。にも拘わらず、復帰を拒絶してきたのは、彼女の選択が正しかったことの証にほかならない。家庭にいることで、彼女は平凡ながらも、子供のころ経験できなかった家庭の幸福を感じているにちがいない。

 いまなぜ、さして興味をもたなかった山口百恵の『蒼い時』を読んだのかと言えば、すべての原因は、ちあきなおみにある。ちあきなおみのCDを何枚も購入し、毎夜のようにユーチューブの映像を探っているうちに、若干19歳で紅白のトリを務めた山口百恵の映像にであった。そういえば、山口百恵も引退したまま表舞台に姿をあらわさない。なぜだろう。その訳を知れば、ちあきが芸能界に復帰しない理由のヒントがつかめるかもしれないと思ったのである。『蒼い時』を読んで、ちあきなおみが歌を歌わなくなった理由が分かったということは決してない。しかし、山口もちあきも、芸能界に戻りたいならいつでも戻れる卓越した表現者である。それが表舞台に姿をみせないのは、いまいる生活世界の住み心地がよいからだろう。なにも苦労して、あんな世界に戻らなくても、今の生活で十分楽しい、と感じているだけのことではないか。
 ありきたりの結論かもしれないが、いまのところ、そんなことしか思い浮かばない。

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  1. 2011/02/17(木) 12:44:15|
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蒼い時(Ⅰ)

 一時期愛読していた平岡正明が『山口百恵は菩薩である』(1983)を出したとき、何を血迷ったのか、と嘆かわしくなり、書店に平積みされている単行本の塊を目にしても、手にとることすらせず、新書コーナーを足早に通りすぎ去った。2歳年下で同じ山羊座の山口百恵を美女だと思ったこともなければ、彼女の歌が好きだったこともなく、中国留学中(1982-84)には、引退後の山口百恵(サンコウパイフイ)の中国内におけるあまりの人気に閉口していた。「なぜ復帰しないのか?」と何度も問われ、「そんなこと知らない、興味がない」と答えるだけだった。

 山口百恵は宇宙人かもしれない、と今は思っている。彼女の自伝『蒼い時』所収の「死」と題する随想に以下のような一節が含まれている。

   ある時、夢とも現(うつつ)とも区別がつかないまま、不思議な情景を見た。
   何を考えるでもなく、ただぼんやりと、自分のベッドに腰かけていた。
   瞬間、段をひとつふみはずしたような衝撃を感じた。その次には、
   信じられないことがおきていた。自分の足元に自分が座っていたのだ。私は
   自分を眼下に見下ろしていた。その部屋の空気の中に、自分の匂いが消え、
   気配すらも消えてしまっていた。下の部屋では、母と妹が何の変わりもなく
   話しているのが見えた。哀しい思いに胸を衝かれたとたん、またさっきと
   同じ衝撃を覚えた。気がつくと、私は自分のベッドに腰かけていた。

 それは、「肉体と魂とが完全に離れてしまった感じ」であり、一瞬の臨死体験だったのかもしれない、とも彼女は述べている。人類が宇宙飛行を経験するはるか以前、かのユングは臨死体験の後に「地球は蒼かった」という感想を披露した。自分の魂が肉体から離れてゆき、はるか大宇宙に飛び立って、地球を見下ろしたとき、そう見えたというのだ。これもまた臨死体験のひとつであって、山口のそれはユングの小型バージョンのように思える。

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  1. 2011/02/16(水) 12:33:21|
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ハッピー・ヴァレンタイン!

 マァ~イ、ファ~ニーィ、ヴァーレンタイン・・・
 みなさん、義理チョコもらいましたかん?

 お返しは、平田の木綿街道でもう買ったので、明日にでもわたせますが、儀式だから一月まちましょうかね。
 疲れた、つかれた、もう寝ます。





  1. 2011/02/15(火) 02:13:27|
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ナマズの消えた庄屋

 米子の今井書店で開催された大学の公開講座を終え、数年ぶりに駅前の「庄屋」をひやかした。もちろん、お目当ては日野川の大ナマズである。「ナマズはありますか」と問うと、「あります」とのことなんで、顔はほころび、では「姿づくりの刺身を」と注文したところ、「刺身はありません」と言われて、思わず絶句した。「蒲焼きか唐揚げならできますが、刺身はやらなくなりました」という。「なにぶん川魚なので、寄生虫がいるかもしれません・・・もちろん、そういう問題がおきたわけじゃないんですが、もしおきたら大変だからやめることにしたんです」と店の女性は言う。唐揚げか蒲焼きを薦められたのだが、あのやわらかくて、癖のない・・・口のなかで溶けてしまう刺身の味が忘れられないから、「寄生虫なんか怖くないんで、一尾まるごと刺身にしてくれませんか」と懇願したのだが、すでに水槽は撤去され、生きたナマズの姿はどこにもなかった。蒲焼き、唐揚げの場合、冷凍ものだということであり、食指は動かず、赤カレイのお造りを頼むことにした。この冬、カレイの煮付けは十尾以上調理し、自らたいらげているが、刺身ははじめての経験だった。もちろん美味しいが、ナマズの味がまた恋しくなった。
 残念でしかたない。「庄屋」の大ナマズは、山陰食文化の大いなる財産だと思っていたのに・・・あの刺身を味わえなくなってしまったなんて。
 
 ナマズは中国貴州の少数民族地帯で、毎日食べていた。泥臭くて、不味い川魚だった。その後、黒龍江省の鏡泊湖の民宿で大きなナマズをよく食べた。こちらは、まぁまぁの味がした。日野川のナマズは、そこいらの中国ナマズとはレベルが違う。冷たい清流がはぐくんだ清澄な味がして、2期生の西河♂くんの大好物だった。「先生、いいですか」とにこやかに笑いながら、かれは何度もナマズの刺身をおかわりした。昨日のことのように思い出す。

 村上龍の『料理小説短編集』にもナマズが出てくる。ニューヨークのレストランで、美女とともにビルマのナマズを食べる話だ。食欲と性欲が交錯するオチに心臓を射抜かれたのもまた昨日のことのようだ。

 庄屋の前後に、二人の人物と再会した。予期せぬ再会で、奇妙な夜だった。

01公開講座>
↑公開講座のあと、年度末の表彰式がおこなわれ、表彰者とともに記念撮影。
  1. 2011/02/14(月) 00:29:48|
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ピンクの林檎ジャム

01林檎の皮


 相も変わらず、下手の横好きで、料理三昧の毎日です。まったく外食しなくなって、こういう連休の日でも、大学に弁当もってきてるもんで、学生たちはきっと羨ましく思っていることでしょう。

 じつは「料理のリサイクル」がテーマの一つなんです。たとえば、鰈の煮付けを作ると、煮汁が余る。その煮汁を薄めて大根とゴボテンを煮込むと抜群の煮物ができます。大根ならブリだろうと思われるかもしれませんが、ブリは油が多くて、ちょっと魚臭い。鯛のあら煮も旨いけれど、その煮汁はやっぱり魚臭いんです。冬の日本海で獲れる大きな子持ち鰈はほんとうに美味しい。世の中でこれほど美味なものはない、と思っています。白身も美味いし、子(卵)も美味い。フォアグラなんかより、ずっと鰈の子のほうが美味いとわたしは信じてます。そして、鰈の煮汁でつくる煮物は癖がなくて、こくがある。
 さて、煮物を食べ尽くしても、まだスープが残ってますね。わたしは、そのスープにジャガイモを放り込みます。おいしい芋の煮っ転がしができて、スープもほぼなくなってしまう。煮付け→煮物→煮っ転がしで、すべての具材を消費できるわけです。

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  1. 2011/02/13(日) 00:00:01|
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出雲大社の檜皮葺き

110208朝日(大阪)夕刊01モノクロ


 正月4日、高の原サティのスタバで新聞記者さんのインタビューをうけた。出雲大社遷宮中の現場に入れてもらえるので大きな記事を書きたい。しかも、「科学技術の視点」から記事を書きたいので、何に焦点を当てたらよいのか、教えて欲しいとの依頼である。

  「檜皮葺きしかないでしょうね」

とそのとき助言した。
 遷宮と言っても、出雲大社の場合、伊勢神宮のような建て替えではなく、屋根の葺き替えにすぎないわけだから、屋根葺き以外にぬきんでた素材を探すのは難しい。「檜皮葺き」の研究そのものがあまり進んでいないし、檜皮葺き建築の中でも出雲大社本殿のそれはきわめて特殊なものだから、「科学的」ではないかもしれないが、「技術的」な記事は書けるだろうと答えたら、その通りの筋書きになって、2月8日夕刊(大阪)の一面を飾る大きな記事になった。

110208朝日(大阪)夕刊02カラー  出雲大社本殿の檜皮葺き屋根は、茅葺きと見まがうばかりに、勾配がきつい。わたしは、出雲大社本殿建築の起源を8世紀以前の高床倉庫(2間×2間)が格式化したものと思っている。ここにいう格式化は「宮殿化」とほぼ同義であり、意匠や平面に宮殿(内裏)の要素を取り込むことによって、倉庫は神殿へと変身する。茅葺き屋根を檜皮葺きに変えたのも、「倉庫の宮殿化」の一要素だという理解であって、その根拠については、『出雲大社の建築考古学』をお読みいただきたい。
 記事本文でのわたしの発言は、「高さを確保するとともに、水の流れが良くなり雨漏り対策にもなっている」という機能論的な解釈に終始している。実際のインタビューでは、もっと踏み込んだ見解を述べていて、電話での再取材でも、以下のことを繰り返し強調した。すなわち、起源論としてとらえるならば、「元は茅葺きだったものが檜皮葺きに変わった」結果として急勾配になり、それは「棟高を確保するばかりか、雨仕舞いにも有効だった」というのが本来のコメントなのだが、肝心要の部分を、たぶんデスクが削ってしまったのだろう。
 まぁ、いいさ・・・いつもは全国版の夕刊記事は、翌日の地方の朝刊に転載されることが多いのだけれども、今回、鳥取の朝刊記事には掲載されていないようです。

  1. 2011/02/12(土) 00:16:38|
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2011卒業研究公聴会

 2月8日(火)。まる1日かけて、7期生の卒業研究公聴会が開催されました。
 発表者は、大森・竹内・吉川の3名です。着実に卒業までのカウントダウンが始まっていることをひしひしと感じています。LABLOGでは、各々の発表に対する感想と、発表用パワーポイントのなかで一番見せたいスライドを1枚、掲載することとしました。

・吉川(論文): 重要伝統的建造物群保存地区拡張にともなう町並み整備の課題と展望
           -遥かなまち、くらよし探訪-

 発表当日の大事な日にあわただしく準備していたことで、開始時刻に遅刻するという最悪の失態を見せてしまい、わざわざ足を運んでくださっている先生方、学生のみなさんに大変申し訳なく思っています。そういう始まりで、焦ってばかりで言葉もたどたどしく、しかも(練習している段階からあきらかではありましたが)内容を詰め込みすぎて喋りきれないという中間発表時の反省も活かされず……。けれども、卒業研究完遂までの1つのミッションをひとまず終えたという気持ちです。この後、倉吉での住民の皆様方の前での発表が待っています。今度は自分の考えや想いを届けることに集中できるくらい、余白をもって挑めるようにトライ致します。とにかく、まずは、ご指導いただいた主査の浅川教授と、副査のC先生、ゼミ生、そして聞き届けてくださった皆様に深く感謝致してます!(吉川)

20110208---y.jpg



・竹内(制作): 彼方へのとびら -谷口ジローの風景としての「昭和レトロ街」構想-
 卒業研究公聴会は反省することばかりでした。発表後の質疑に答えることができず……無念。決して満足のいく発表ではありませんでしたが、皆の「良かったよ」という優しい言葉に今までの苦労が報われた気がします。ここまで無事にたどり着けたのは、厳しくも優しくご指導下さった浅川先生と研究室の皆が支えてくれたおかげです。本当にありがとうございます。
 しかし、まだすべてが終わった訳ではありません。むしろこれからが本番! 私の卒業研究発表の場は環境大学から研究の舞台「遥かなまち倉吉」へ。倉吉の住民の方や行政の方の前で研究の成果を発表させていただき、やっと私の卒業研究公聴会は幕を下ろします。でもまあ、兎にも角にも公聴会が無事に終わってよかった。ほんの少しだけ、一時の安息を味わわせていただきます。それが終われば、模型制作に着手しますので。(竹内)

20110208--t.jpg


・大森(制作)「帝釈天のみあらか -岩陰仏堂に複合する懸造建築の復元」
 発掘調査の現場撤収から3ヶ月程たち、急ピッチで進めてきた卒業研究がついに公聴会を迎えました。正直どのような発表になるのか心配で、前日の練習ではパワーポイントのスライドが見にくい上、発表時間をオーバーしていしまい、いかに発表内容を圧縮し、伝えることができるかどうか心配でした。先生や先輩方が帰られてからは、再びプロジェクターを使って、一人きりの発表練習をしたり、見えにくいスライドを修正したり、本当にこれでいいのかと見直して、発表前は緊張のあまり、別に邪魔をするつもりはなかったが、研究室でひとり発表練習する竹ちんの横でウロチョロして怒られたりと・・・落ち着かない。
 そんな心境で挑んだ発表自体はたぶん問題なかったと思いますが、失敗は質疑応答でした。発表後に緊張の糸が切れたかの如く頭の中が真っ白になってしまい、聴講されていた先生方の質問に対して上手く答えることができませんでした。今落ち着いて考えてみても、なぜあの質問にあの回答をしたのか…悔やまれるところはありました。しかし、無事に公聴会を終えられたのも、先生や先輩方のご指導の賜物だとひしひしと感じたのは言うまでもなく、聴講者は少なかったですが、自分がやってきたことをしっかり示せたと思います。(大森)

公聴会大森パワポらすと

  1. 2011/02/11(金) 00:20:23|
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『ちあきなおみ』

 ある医院の待合い室で『週間朝日』のページをめくっていた。最近は老眼鏡がないと、週刊誌すら読めない。鞄のなかだけでなく、自宅や職場のあちこちに老眼鏡をおいている。その日は、人民解放軍の弾倉袋に結びつけたケースから折りたたみ式の小型老眼鏡をとりだし、活字をおっていた。
 あるページに「ちあきなおみ」の6文字を発見した。高名なフェミニストがちあきについてなにやら小難しいことを書いている。その記事はコラムであり、診断待ちの時間に前後の号を追ってみると、少なくとも4号にわたって、ちあきに係わる記事が連載されている。しかし、その連載記事は孫引きであった。フェミニストが自ら調べあげたものではなく、『ちあきなおみ』という単行本の内容を素材にして評論めいた発言をしているにすぎない。

 『ちあきなおみ』という書名の単行本が存在することは、わたしにとって大きな衝撃だった。
 著者は石田伸也というフリーライター。わたしより5歳若いから、まだ50歳になっていないんだな・・・本のタイトルは『ちあきなおみ』でよいと思うのだが、正式にはだらだらしたキャッチコピーがまとわりついて、以下のようになっている

   ちあきなおみ 喝采、蘇る。 沈黙15年、初めて明かされる歌姫の真実

 版元は徳間書店、出版年月日は 2008年3月19日。その年、ちあきは還暦を迎えている。
 おもしろかった。余計なお説教を取り払えば、こんなにも読みやすくなる。ちあきなおみという歌手の半生について認識が深まった。著者の石田氏に感謝したい。

[『ちあきなおみ』]の続きを読む
  1. 2011/02/10(木) 00:00:57|
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2011 卒業研究展のお知らせ

DM1


 大学院中間発表、無事に終わりました。いやいや、発表時間をオーバーしてしまったことを思うと、無事とはいえませんね。おかげで司会をされていた先生にもご迷惑をおかけしました・・・今度は休む間もなく平田のワークショップでの調査報告がありますので、今回の内容をさらにアップデートして望みたいと思います。さて、明日はいよいよ「卒業研究公聴会」です。4年間の集大成、ゼミ生の3人には気負わずに臨んで欲しいですね。
その卒業研究、および修士研究の展示が、来たる2月19日(土)~24日(木)、とりぎん文化会館ホールのフリースペースで開催されます。正式には、

  鳥取環境大学 建築・環境デザイン学科 大学院環境デザイン領域 
  卒業・修了研究展


というタイトルの展覧会でして、ASALABからは岡垣、今城、吉川、大森、竹内が出陳します。どうか、ご期待ください。ポスター及びDMが出来上がりましたので掲載いたします。詳細は「続き」をご参照ください。 

 今年の卒業・修了研究展は、例年よりもに比べて一週間ほど早い開催でして4年生は公聴会が終われば一息つく間もなくパネルの製作にとりかからなければなりません。あ、竹蔵は模型も作製とのこと・・・なんでも強力な助っ人が手伝ってくれるそうです。 チェスト!!

 以下、ASALABゼミ生の研究題目をここでも掲載しておきます。是非、会場までお越しください!(タクオ)

【卒業研究】
 ・大森(制作) ◎帝釈天のみあらか -岩陰仏堂に複合する懸造建築の復元
 ・竹内(制作) ◎彼方へのとびら -谷口ジローの風景としての「昭和レトロ街」構想-
 ・吉川(論文) ◎重要伝統的建造物群保存地区拡張にともなう町並み整備の課題と展望
           -遥かなまち、くらよし探訪-

【修士研究】
 ・今城(論文) ◎山岳信仰と文化的景観 -大山・隠岐・三徳山およびその関連資産をめぐって-
 ・岡垣(論文) ◎摩尼寺「奥の院」 -発掘調査と復元研究-

DM2
↑クリックすると拡大表示されます

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  1. 2011/02/09(水) 00:00:56|
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釜あげ蕎麦堪能!

IMG_0470.jpg  2月5日(日)、集中講義「産業企業研究」の2回めで、青谷のダイキン研修所から倉吉を経由して、花回廊を見学しました。昼食は、お馴染み倉吉本町通り商店街の高田酒造で蕎麦をいただくことになっていて、倉吉には何度か行ったことがありましたが、まだお蕎麦までありつけていなかったので、とても楽しみでした。現場視察で町並みを歩きつつ・・・とともにお腹の減り具合も完ぺきな態勢を整え、高田酒造へ。「ひわだ屋」という看板とタヌキ、フクロウがお出迎え。お店の一角がお蕎麦屋さんになっています。木のぬくもりのお座敷の雰囲気がなんとも和やかで、居心地が良いなと思いました。机も半円だったりして可愛いなと思いながら、今回はお店の方のお任せということで、何蕎麦が来るかわからなかったので、しばし待機。手元に到着したお蕎麦は、メニューを見て食べてみたいなと思っていた「釜あげ蕎麦」。麺は平たくて柔らかく、つかむと一口サイズの長さになっていて、食べやすかったです。ちなみに、左の写真はN先生が注文した盛りそばの大盛りです。
 外が寒かったので、温かい釜あげ蕎麦」は丁度良く、とても美味しかったです。また倉吉に行くことがあったら、町並みを楽しみつつ、のんびりお蕎麦を頂きたいですね。(ヒノッキー)


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  1. 2011/02/08(火) 00:26:38|
  2. 研究室|
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さよなら、ニフティ

 別れの季節ですね。
 ちあきなおみに「紅とんぼ」という哀歌があります。
 船村徹作曲のど演歌ですが、わたしはこの歌が好きだ・・・



 思い起こせば5年前、あれは「楼観」再考の年であり、脳動静脈奇形の年でもありました。

 ニフティとの付き合いはもっと以前に遡ります。たぶん10年以上、自宅と出張先のアドレスとして、わたしの人生を支えてくれました。ネパールやスリランカや北京飯店・・・などでブログをアップできたのも、このサーバーのおかげです。
 2月1日でニフティとの契約を解除しました。そのまま使っても、月額250円しかかからないのですが、新しいアドレスがあるんだから、もっていても仕方ない。新しいアドレスは、地デジを買って光フレッツも頼んだら自動的についてきたので、「無料」と言っていいものです。
 
 今のいままで新しいアドレスのトラブルに巻き込まれていました。鳥取では送信できたのに、奈良で送信できなくなってしまった。ずいぶん時間を要したのですが、

   「outlookで受信できるが、送信できない」

で解決策を検索したところ、いろいろサイトが紹介してあります。

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  1. 2011/02/07(月) 00:00:59|
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サス研拠点施設を見学して

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 1月29日午前の集中講義「産業企業研究」では、2月末の竣工を目指し、只今工事中の本学サステイナビリティ研究所について、設計事務所や建設会社の方がたの講義を聴き、現場を視察しました。LABLOGの読者の方ならまだ記憶に残っておられるかと思いますが、昨年5月にサス研の学生アイデアコンペが開かれ、ASALABも「ブロッサム・ギャラリー」を作品として提案し、優秀賞を獲得しました。コンペ当時は主催側の運営にずいぶん悩まされました…じつは私は昨年この授業の単位をとっているのですが、上のコンペのこともあり、この日のみ今年度も授業に参加することにしたのです。

 「サステイナビリティ研究所の設計」と題する最初の講義で設計者によるサス研の基本計画が説明されました。木構造の良さを素直に生かした素朴なデザインをめざし、以下の4つの視点から検討をおこなったとのことだそうです。

  1)本学との建築景観の調和
  2)木材の利活用の工夫
  3)自然エネルギーの活用
  4)コンパクト化とコスト縮減

 また、学生コンペで提案されたアイデアもいくつか取り込まれているようで、一体どれほどの学生のアイデアが実現したのか、実際コンペに参加した者としては気になるところではあります。
 建設中の建物は私たちが普段活動している研究棟からも外観を見ることができるのですが、コンペの参加者に対してすら公開されることがなかったので、内部がどのようになっているのかという好奇心はふくらむばかりでして、いざ現場へ。建築を学ぶ学生にとって、竣工前で施工中の現場にお邪魔できるというのは大変貴重なことです。竣工してしまえば誰でも見ることも入ることもできてしまいますからね。現場に到着するやいなや、早速内部の見学に。すでに躯体は組みあがり、内装の施工をおこなっている最中で、私たちが見学した際には職人さんたちが床板を張っておられました。

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  1. 2011/02/06(日) 00:00:16|
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2010年度卒業研究公聴会・大学院中間発表会のお知らせ

 今年度も残すところあと2ヶ月、卒業シーズンがやってまいりました。来たる卒業研究公聴会を翌週に控え、もちろん研究室はフル稼働中。4階のゼミ室はまさに教育研究棟の「不夜城」と化し、各々が連日連夜パソコン・文献・カレンダーと睨み合っております。また公聴会の前日、大学院修士課程1年次の中間発表会も開催されます。かくいう私も、にらめっこ・・・
以下、2月7~8日のスケジュールを取り急ぎお知らせいたします。


大学院修士課程1年次中間発表会

 2月7日(月)の13時より開催されます。会場は14講義室。今年の修士1年生は全学年で10名。環境デザイン領域からは4名が発表に臨みます。ちなみに、ASALABは私一人です。私の題目と発表時間・会場は以下のとおりです。

15:00-15:20  清水 拓生(論文)
14講義室 
  ◎平田「木綿街道」の町家と町並み -伝統的建造物群の予備調査報告-


卒業研究公聴会

2月8日(火)に行われます。会場は論文組が13講義室、制作組は学生センター多目的室です。

11:21-11:41  吉川 友実(論文)
13講義室
 ◎重要伝統的建造物群保存地区拡張にともなう町並み整備の課題と展望
   -遥かなまち、くらよし探訪-
  
13:00-13:20  大森 祥平(制作)
多目的室
 ◎帝釈天のみあらか -岩陰仏堂に複合する懸造建築の復元

13:21-13:41  竹内 信之(制作)
多目的室
 ◎彼方へのとびら -谷口ジローの風景としての「昭和レトロ街」構想-

   
 皆々さまのご来場をお待ちしております。

  1. 2011/02/05(土) 00:47:02|
  2. 講演・研究会|
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五臓圓ビルを見学して

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 皆さんこんにちは。久々の登場、竹蔵です。昨夜の記事には溜飲がおりましたね、だはは・・・

 さて、1月29日に開講された集中講義「産業企業研究」では、午前中に本学サステナビリティ研究所の建設現場、午後に登録文化財「五臓圓ビル」の修復現場を見学しました。本来なら午前の授業からレポートを始めるべきでしょうが、なにぶん一昨日のブログが本文のイントロということで、午後の活動からまず報告させていただきます。

 五臓圓ビルは鳥取市内の智頭街道と二階町筋が交差する角地に建っています。鳥取市に現存する最古のRC造建築で、昨年登録文化財になりました。五臓圓ビルは、竣工した昭和6年当時、群を抜くモダン建築でした。鳥取大地震(昭和18年)と鳥取大火(昭和27年)にも耐え抜き、築後80周年を迎えようとしています。そのぶん老朽化も激しく、まちのなかでは取り壊しの声もあがっていました。しかし、智頭街道商店街の有志の方々がまちづくり会社「いちろく」を立ち上げ、粘り強く尽力して保存・活用を実現した経緯があります。五臓圓ビルの建つ智頭街道商店街は空洞化に悩み、なにか地域の活性化のきっかけになるようなものを求めてもいました。「昭和史の生き証人」である五臓圓ビルをこの地域活性化の拠点とするべく、現在修復・改修の総仕上げがおこなわれ、3月に修復工事が完了しオープンする予定です。

 今回、特別に工事中の内部を見学させていただきました。しかし、中に入る前からその姿に仰天。壁に貼られた6000枚のタイルとピンクの塗装の様式建築の意匠は存在感抜群。改修されたその姿は昭和の時代へと人びとをタイムスリップさせてくれる魅力が! その姿に少々興奮。一昨日紹介されていたように、見学の前に五臓圓薬局さんで味見させていただいた超高級滋養強壮剤も効いている?……なんて思いながらも建物内の見学へ。ヘルメットをお借りしいざ出発。1階から順に常村さんに案内していただきながら見てまわります。私は今回初めてビルの中に入らせていただいたのですが、工事は予想以上に進んでいました。なかでも劣化が激しかったという3階部分は、H型鋼による補強が露出していますが、塗料などが工夫されてうまくデザインされており、もともと使われていた建具をそのまま利用するなど、できるだけ創建当初のものを残すよう努力がなされていました。登録有形文化財ということで、内装については比較的規制がゆるく、大胆な改造がなされていました。

01五臓圓003カフェ

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  1. 2011/02/04(金) 00:21:37|
  2. 建築|
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2011節分

2011節分01


 大雪の一月も終わり、早くも節分ですね。みなさま、如何お過ごしでしょうか?
 研究室では、今年も、青鬼が赤鬼にいじめられています。曰く、

   R: 摩尼山にあれだけ通ったのに、こんな論文しか書けないの!?

    B: すいません。

   R: こういうのを雑文っていうのよ、いい歳して、恥ずかしくないの?

    B: だから、すいません・・・

   R: すいませんで済んだら、自衛隊も、鳥取県警も、確認申請も要らないの!

    B: おっしゃるとおりです。

   R: だいたい、最近、下ネタばっかりでしょ、なにが赤鬼五臓圓よ!?

    B: ちっ、ちがいますよ。あれは、赤い天狗の・・・
  
   R: また、始末書かかせるわよ!

    B: ゴミ・ステーションで懲りました。それだけは、ご勘弁を・・・


2011節分02
鬼はぁそとぉ、福はぁうちぃ

  
   R: お弁当つくるのは結構だけどね、校正の仕事は進んでるの!?

    B: いや、その、あの・・・
  
   R: 余計な原稿かいてるから、肝心の仕事が進まないのよ!

    B: 余計な原稿って??
  
   R: ブログでしょ、このブログ。本業が進まないんなら、こんなブログ、
     閉めちゃいなさいよ・・・ったく、くだらない!

    B: ・・・・

   R: なによ、黙りこくって。まるでホカノさんか竹ちゃんみたいじゃないの?
     すこしは、あの人たちの気持ちがわかりましたか!?

    B: ・・・・はい。 


  1. 2011/02/03(木) 00:02:42|
  2. 研究室|
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五臓圓エンブレム

02五臓圓02エンブレム01  昨日の日記の一番下の写真で、左端に立つ長身の男が何かを指さしているのにお気づきの方はいらっしゃったでしょうか。あれは「五臓圓ビル再生プロジェクト」パンフに掲載された五臓圓薬局のエンブレムです。五臓圓については、明後日、竹蔵が見学の感想文を公表しますが、そのプロローグとしてエンブレムのお話を少々・・・
 五臓圓薬局を経営する森下家は、藩政時代から智頭街道で生薬等の商いを営んでいました。屋号を「石見屋」と言います。とくに有名な販売品は「三心五臓圓」。初代のころ、僧より伝授された滋養強壮の家伝薬だそうです。下見の日に推薦されたのは「三心五臓圓」ではなく、「大木五臓圓」でした。値段は1万2千円以上します。
 4代目の森下清治が昭和6年(1931)に五臓園ビルを建設し、智頭街道だけでなく、鳥取市街地全体のランドマーク的な存在となりました。そのビルの階段に埋め込まれた鋳鉄金物のエンブレムが上の写真です。アールデコを想わせる奥ゆかしいデザインですね。「森下」の二文字に加え、「三心五臓」を図案化したもので、じつは下の写真とも関係があることをご理解いただけますでしょうか。エンブレムと天狗には相関性がある・・・

02五臓圓01人参01

 「大木五臓圓」には流石に手がでなかったのですが、それではと出されたのが上の「人参五臓圓」。同じく滋養強壮薬でして、値段は3千数百円です。しばらく逡巡したあげく、「買います」と答えると周囲にどよめきが・・・まだ必要なのかと問われますと「ノー」とは言えない、言いたくない。が、それ以上に地域振興のための寄付金だなんて、偉そうなことを思っていたりするわけです。全国各地の町並み保全地区やら山岳寺院を訪れると、わたしはできるだけ「お土産」や「お守り」を買うようにしています。

02五臓圓01人参02   「人参五臓圓」を買ったのは下見にいった先週の水曜日。金曜の夜、研究室で開封しました。ゲル状の浅田飴をイメージしてください。学生諸君とこうして舐めたわけです。「眠れなくなるぜ、おい」なんてはしゃぎながら、卒論や修論の追い込みで疲れ切っている学生諸君はみんな滋養強壮薬に飛びついてくる。で、スプーンに水飴を絡ませ、舐めちゃいましてね・・・飴を舐めると少々甘いが、湯に溶かすとその甘さが消えて漢方っぽくなります。
 いやぁ、それから大変でしたよ、ぐふふ・・・
 左のエアポート君などは、修士論文を途中で放棄し、部長さんを誘って帰宅しようとするんですから、どうしようもありません。この顔みたらわかりますでしょう?

 翌日午後、みんなで五臓圓ビルの修復現場を視察したんですが、その前に薬局で「三心五臓」を味見させていただきました。うぅぅぅん、やっばり値段の差だけのことはありますね。「三心五臓」のほうが「人参五臓圓」よりまろやかな味がしています。しかし、12000円だからなぁ・・・手がでないなぁ・・・弥生町で3回飲めるもんな・・・


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  1. 2011/02/02(水) 00:24:22|
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卒業写真

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 というわけで、今年も卒業アルバム用写真撮影の季節となりました。
 昨年は「さんまとハバネロ」鍋を囲む写真でしたが、今年はごらんのとおりです。わたしの手作り弁当を狙う竹蔵の割り箸・・・2010年度の主役は竹蔵でした。今だから申し上げられるのですが、作夏、竹蔵は研究室の大きなハードディスクを破壊してしまいましてね。4年分のデータが吹っ飛んでしまったのです。おそらく8割程度のデータを回収しましたが、復旧に要したエネルギーと費用は莫大なものでした。

01卒業アルバム01コメント この日も、竹蔵のメールで起こされました。卒業研究が遅れてるんです。昨夜から図録の紙面校正を7回ぐらい付き合わされました。やってもやっても駄目だしです。でも、だんだん良くなってきてますが・・・例年1名こういう学生がいますね。ここ3年を振りかえると、キム姉→アシガル→竹蔵ですか。
 左は卒業アルバムに掲載される教員コメントです。何回ハンコ押してもうまくいかなくて、このありさまです。卒業生のみなさん、ごめんなさい!
 さて、上の句についてひと言説明しておきましょうか。今年度の活動のなかでは、なんといっても摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査が想い出深いものですが、その現場で思い浮かんだ珠玉の一句でございます。


     雉打つに 巻紙落ちて 奥の院


 因幡以外の方には、おわかりいただけぬかもしれませんねぇ・・・じつは、年賀状の左上にこの珠玉の一句を使っているのですが、お気づきの方は少なかったことでしょう。
 下の「五臓圓」については、明日以降、詳細に述べることになるでしょう、ぐふふ。
 
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  1. 2011/02/01(火) 00:20:37|
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本家魯班13世

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