
昨年、奈良の五條新町が倉吉とともに重伝建に答申されたという報道に接し、てっきり倉吉と同じ「拡張」だとばかり思いこんでいた。五條といえば、町並み保存の世界では「大関」クラスである。わたしが奈文研に入所したころ、すでに『五條 -町並調査の記録』(1977)が学報として刊行されていた。高山、奈良井、五條の3ヶ所が入所以前に世に出た伝建の学報であった。だから、とっくの昔に選定済みだとばかり思い込んでいたのだが、「灯台もと暗し」とはこのことで、身近な文化財の世界の動きを知らないでいた。五條新町は2010年、重伝建になったばかりである。
五條新町に着いたのは昼下がりで、この日もまたわたしはお腹を空かせていた。絶対に蕎麦を食べてやる。そのあと、またコーヒーも飲むんだ。と、空いたお腹に言い聞かせながら新町通りに入った。いきなり土蔵造の町家の群れに圧倒され、期待に胸は高鳴る。こういうところには必ず蕎麦屋があるはずだ。やった、それらしき店を発見した。「源兵衛」という割烹料亭だ。蕎麦屋ではないが、美味しい和食をいただけるなら空いた腹も許してくれるだろうと、門をくぐったが行く手を竹の結界が遮る。看板をよくみると、昼の営業は1時半までで、夕方は5時からだという。腕時計に目をやる。時刻は午後2時をすぎたところ・・・街に戻って歩を進めるしかない。

まもなく左手に「町並み伝承館」があらわれた。改装された町家の中に入って、受付の女性に「この建物のなかにカフェはないのですか」とたずねた。「ありません」と彼女は答える。「新町通りにお蕎麦屋さんとか、源兵衛さん以外のレストランとか、喫茶店とかはあるんでしょう?」とくいさがったのだが、答えはやはり「ありません」。新町通りはかつての紀州街道であり、近くに「本陣」という地名が残っていることからも窺われるが、紀州の殿様の参勤交替路として賑わったのだろう。通りの両側に軒を連ねる町家はなべて「ミセ」をもっていたといい、いまもその名残がないとは言えないけれども、飲食店は国道24号線に吸収され尽くしてしまったようだ。
ちょっとした絶望感にさいなまれた。お腹が空いているのだ。でも、一つだけ嬉しい発見をした。「町並み伝承館」はもちろん古い町家の再活用で、町並み訪問者への情報提供の場として機能しているのだが、土間側の一画に市の文化財課重伝建推進係が入っている(↓)。所轄の行政部局が町家にオフィスを設けているのを初めてみた。おそらく全国的にこういう動きがあるのだろう。平田で開催されたワークショップの後の懇親会で、自治会長さんが観光課?は「元石橋酒造」に入るべきだと何度も説いていたが、わたしもそれが良いと思っていた。自治体が買い取った町家を町並み情報センターにして、その担当部局のオフィスをおく。ベストの活用である。それにカフェがくっつけば、ベリー・ベストなんだが、五條は残念ながらベストどまり。わたしのお腹は空いたままだ。
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- 2011/03/10(木) 00:17:40|
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