新天地 「豫園」から三輪タクシーに乗って、淮海中路の「新天地」をめざした。運転手は32歳の若い男だった。「仕事がないんだ」と愚痴をこぼしている。もともと政治経済に興味があり、東日本大地震のこともやけに詳しく知っている。会話は民主党の政治にまで及んだ。
「民主党の政府はどんなもんだい?」
「自民党が駄目なことは国民の多くが分かっていて、政権交代がなされたん
だけれども、民主党もやはり駄目だった。だれもかれもが足の引っ張り合い
ばかりして、重要事項がなにも決まらないんだ・・・」
今回の大地震が日本の政治を蘇生させる契機になってほしい、とわたしは話した。震災復興は、与党も野党もなく、挙国一致で取り組まなければならない。大震災復興への取り組みをモデルにして、他の諸問題も同様の手法で解決していってほしいのである。与野党も派閥もなく、適材適所に有能な人材を配し、山積する課題に取り組み、克服していくしかない。これは「大連立」の発想に近いものだ。まかりまちがえば、共産党一党独裁に近い政権になりかねないが、いまドン底にある日本の政治経済を立て直すには、それ以外にないのではないか・・・

・・・などと話しているうちに、三輪車は「新天地」に着いた。そこはフランス租界の「里弄」地区を再開発した、文字通りの新天地である。解放後、租界の里弄住宅群は中国人の居住区になった。里弄住宅は外観上、「石庫門」と呼ばれる石造の門に象徴され、その住宅形式をまた「石庫門」と呼ぶ。「石庫門」という愛称のフランス式長屋住宅が路地のまわりにびっしり軒を連ねていたわけだ。1983年、同済大学の中国人学生に招待されて、石庫門式の里弄住宅で昼食をごちそうになったことがある。狭い都市住宅ではあったが、センスのよい内装の意匠に心を奪われた。
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- 2011/03/16(水) 23:55:55|
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