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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

マクタン通信(Ⅸ)

81カルカル08教会01


カルカルの町並み

 シヴォ・シティはフィリピン第2の都市で、マニラのイントラムノスのような広範囲の歴史的市街地エリアはないけれども、海に近い独立広場の周辺にサントニーニョ教会、シヴォ大聖堂、マゼラン・クロス、サンペドロ要塞などの植民地遺産が集中して残っている。これらの遺産については、いろんなところで紹介されているだろうから、今夜はカルカル(Carcar)の町並みについて少しだけ話しておこう。
 カルカルはシヴォ・シティの南約40キロにあり、アレクサンドリア聖カトリーヌ教会を中心とする小さな町だ。アレクサンドリア聖カトリーヌ教会は1870年代の建築だが、道路に沿って立ち並ぶコロニアル洋式の住宅は、その表札に記された年代を信じるならば、1600年前後の木造建築である。

81カルカル03


 1600年といえば、関ヶ原の戦だ。時代は桃山から江戸に向かいつつあり、鎖国を目の前に控えていた。世界史に目を転じると、アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊が大敗したのが1588年。スペインからの独立をめざすオランダが東インド会社を設立したのが1602年のことである。東方アジア海域の覇権を、オランダがスペインから奪いとろうとしていた時期に日本は鎖国に入る。ご存じのように、欧米列強のなかではオランダだけが平戸島に租界地を許される。
 カルカルの住宅群はスペイン支配末期の遺産であり、日本でいえば桃山の木造建築ということになるので、もしカルカルが日本にあったとすれば、「重要文化財」クラスの扱いがなされていただろう。ただし、木造住宅建築の年代が「1600年前後」と言われて、それを鵜呑みにする建築史研究者は多くはない。民家史からみれば、そこまで遡る住宅は例外的な存在である。雨が多く、蒸し暑いフィリピンで、400年も前の木造建築が今まで存続しえるのか、どうか・・・ただ、わたしには西洋建築の年代を判定する力がない。ここに示した一連の写真を彩る細部の意匠がどの時代の洋式に見合うのかを判断する基準をもっていないのである。

 年代はさておき、カルカル木造住宅の意匠は見事なものだ。もしこの国が中国であったなら、上海の新天地や田子坊のような「保全」的再開発を敢行し、フィリピン有数の観光地に変身させていただろう。かりに日本であったとしても、重要伝統的建造物群に選定されるのは間違いなく、神戸北野のような洒落た街になっていたかもしれない。それだけの潜在力を有する植民地景観遺産なのだけれども、いまはただの住宅群であり、このまま劣化が進めば、歴史的な町並みが崩壊してしまうにちがいない。

81カルカル01

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  1. 2011/04/12(火) 00:00:29|
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asa

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