FC2ブログ

Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

滑る鰐淵の崖

R0017967韓竈


 雲州平田「木綿街道」のイベントに一部の学生が先週末から参加しており、それに前後して町家の調査も始まったりして、わたしも途中から合流しました。イベントや調査の成果については、まもなく学生が報告してくれるでしょうから、今日は韓竈神社(からかま)と鰐淵寺のお話をしておきましょう。
 9日のお昼に大量のお稲荷さんとかき揚げ天麩羅をいただいた調査隊一行は、午後から韓竈神社と鰐淵寺浮浪滝をめざしました。唐川町の韓竈神社に向かう途中、助手席にいたキム3号が何気に訊いてくるのです。

  「神社やお寺はどうして山の上に多いんですか?」

 なかなか本質を突いた質問ですね。

  「山そのものがカミだとか、山に精霊が棲むと昔から思われてきたからだよ」

というのが小生の答え。もともと山嶺や山林は俗世間から離れた聖なる場所であり、なかでも巨岩、洞穴、岩陰、大木、滝、泉などの特殊な自然物や場所に精霊が宿ると信じられていた。そういう場所に建築が建てられると神道や仏教の境内になってしまうわけです。つまり、もとは自然崇拝の場所であったところが神道に取り込まれれば神社となり、仏教に取り込まれれば寺院となる。それだけのことだと思っています。

R0017953韓竈


 韓竈神社は、岩陰にたつ一間社流造本殿の手前脇に巨石があり、その裂け目を神門としています。わたしのような肥満人はなかなか門をすり抜けられない。その岩門までの山道が急でしてね。石段で整備されてるんですが、勾配が45度前後あるんではないか、と思われるほどでして、汗が噴き出てたいへんでした。
 韓竈神社の由緒は古く、『出雲国風土記』(733)と『延喜式』(927)の両方に社名がみえます。祭神は素蓋嗚命(スサノオノミコト)なんですが、スサノオが「新羅に渡られ 我が国に植林法を伝えられるとともに鉄器文化を開拓されたと伝えられていることと関係があろう」という説が案内板に書いてありました。また、『雲陽誌』(1717)にひく古老伝には、「素蓋嗚命が乗り給いし船なりとて、二間四方ほどの平石あり、これを<岩船>という。この岩は本社の上へ西方より屋根の如くさしかざしたる故に雨露も当たらず世俗に<屋方石>という。又 岩船のつづきに周二丈余り 高さ六間ほどの丸き立岩あり これを<帆柱石>という」と記されているそうです。この船に係わる伝承は(船に乗ってやってきた)渡来人の姿を想像させるものであり、それは「韓竈」という神社名にそのまま映し出されているように思われてなりません。近隣の漁村「十六島(ウップルイ)」もまた渡来系の言語文化をあらわすものという説があるので、どうも平田から唐川あたりの海岸線に新羅の影がうっすらとみえてなりませんね。

R0017980鰐淵

[滑る鰐淵の崖]の続きを読む
  1. 2011/08/10(水) 14:50:08|
  2. 景観|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

asa

07 | 2011/08 | 09
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search