Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

つけ爪(Ⅱ)

 3日ばかり前、親指の爪が割れた。先端がふっとんだ、と表現したほうがよいかもしれない。六弦倶楽部の練習会が近づくと、約束したように、爪が消える。練習を積むから、爪の局部に疲労が蓄積してしまい、なにかのはずみに、その部分で爪が折れてしまうのである。
 昨日、2年ぶりにネイルサロンに行った。2年前も「コハクチョウとギターの夕べ」の直前だった。いま2年前に書いた「つけ爪」という記事を読み返してみた。あのとき、まず高の原のサティに行って、「男子禁制」サロンで怪訝な顔をされ、西大寺にある奈良ファミリーのライバル店を紹介してもらった。

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 2年前にサティで断られたことを忘れていて、わたしはまた高の原の店をたずねた。今回もいぶかしげな顔をされたが、「家内が同席しますが、それでまずいですか」と訊ねると、「それなら良いです」と受け入れられた。2年前の記事でわたしは「つけ爪」をいたく誉めている。「今後は生爪でギターを弾くことはないだろう」とまで書いているではないか。いまの気持ちとは全く異なる。弦(とくにナイロン弦)を爪弾いて、いちばん良い音がするのは生爪に決まっている。できるだけ生爪で弾きたい。その爪が消えてしまった場合、つけ爪は極力薄くする必要がある。2年前、西大寺店の爪は薄く、鳥取の爪は厚かった。厚いのは駄目。よい音がしない。固いピックを使っているのと同じなのだから、ナイロン弦にあうはずがない。そのことを承知していて、今回も「できるだけ薄い親指のつけ爪」をお願いしたのだが、とても厚い爪になってしまい、がっくりしている。厚くなったひとつの原因は「色」にあるだろう。色づけコーティングのジェルを重ね塗りするから厚くなる。前回は数本つけ爪したので、単価のもっとも安い無色透明バージョンを選んだのだが、今回は親指だけで安くあがる。色無しなら840円、色ありで1050円。値段に大差はないので、色をつけることにした。透明だと、生爪とつけ爪の境が汚くみえる。もっとも目立たない色をお願いした。それは「肌色のラメ入り」だった。ラメのない方がある方よりも目立つのだという。それは男性の肌が女性よりも黒いからだとネイル・アーティストに説明された。指示に従うしかない。

 じつは中指と人差指の爪も短くなっている。しかし、つけ爪はしないことにした。弦にひっかかる程度の爪が残っているからだ。なんどもいうが、ナイロン弦の場合、生爪がいちばんよい音がする。あと数日あれば、いまよりながくなる。おそらくなんとかなるだろうと期待しているのだが、失敗したらしたで、それだけのことだ。

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  1. 2011/10/31(月) 00:18:25|
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第5回「猫」プロ

「猫」プロ研第5回の活動内容は以下の通りです。
 
01 NHK BSプレミアム第4話: 夏目 漱石
  「『吾輩は猫である』-夏目家困窮を救った名前のない猫との物語」

 漱石のデビュー作『吾輩は猫である』は、近代日本を代表する小説です。英語教師、珍野苦沙弥の家にやってきた黒猫が、苦沙弥先生はじめ珍野家にまつわる人々をばっさばっさと観察・形容していく様は、いま読んでも腹を抱えて笑わずにはいられません。じつは夏目家には本当に名前のない黒猫がいました。この猫は足の裏まで真っ黒だったことから、出入りの按摩師に「福猫」認定されます。痛快な「吾輩は猫である」の作風とは裏腹に、執筆当時の漱石はロンドン留学後の精神不安定も癒えず、どん底の日々を送っていたのですが、その後の漱石の人生は、たしかに新たな方向を得ていくことになるのです。この不思議な話を、夏目家の物語と「猫」の物語を交差させながら、フィクション的ドラマに仕上げています。

02 「本日の音楽」(ダイアナ・クラール『ライブ・イン・パリ』=「続き」参照)を聴きながら、第4話の感想を書く。

03 ブログ(活動記録)分担のジャンケン勝負

04 「猫本50冊」のデータベース作成にむけて、上級生の指導をうけながらソフト「ファイルメーカーPro」でフォーマットを試作し、若干の書籍データを入力してみる(4409演習室)。また、教師の2年生Oさんは音楽に関する意見交換。Oさんがパット・メセニーにこだわっており、教師たちに不安がひろがるも、さっそくスコア(楽譜)を取り寄せることになった。


 第4話の感想

夏目家の黒猫が福猫だと言われてからの家族の態度の変化は面白かったです。「我輩は猫である」のモデルになった黒猫も名前がないので本当にモデルだと思いました。本の内容が少し出ていましたが、猫目線で人間を見ていたので面白そうでした。最後の漱石に変わって猫が血を吐いて死んでしまった話は不思議でした。夏目漱石さんは最初病気だったのに猫で癒されたり、猫で小説がヒットしたり、猫が替わりに死んでくれたりと、猫で彼の人生は大きく変わったように思います。まさに猫無しには生きていけなかったことでしょう。(建築・環境デザイン学科2年F.E)

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  1. 2011/10/30(日) 00:40:23|
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木綿街道のこと(ⅩⅩ)

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大型カメラでの撮影

 今回、本石橋・酒石橋両家の方々へのヒアリングと本石橋家の調査をおこなったことで、以下のような調査成果を得ました。

1)本石橋家の家伝によると、酒石橋は宝暦ころに建てられ、本石橋はそれよりも100年ぐらい古い建物だという。また、本石橋家も酒石橋も火災で焼失したことはない。火事で焼けたのは、本家の隣にあった長崎屋(現交流感)で、本石橋家は備蓄していた大半の木材を長崎屋の再建に提供した。(2棟の所在する新町では、「新町大火(1783)」の記録あり)。

2)両家ともカミノマの座敷面と縁の段差が非常に大きく、現在の敷居の下に虫喰いした古い敷居が残っていることが判明。柱は古い敷居の上にのっている。

3)本石橋家の場合、双子柱で古い部分と新しい部分を継ぎ足しているのがあきらかで、旧石橋酒造の大黒柱などは非常に古い光沢がみられる。(↑)

 以上の諸点は注目すべきであり、オモヤの印象は江戸後期~明治頃にみえるけれども、本石橋家の古い部分は17世紀後半(元禄頃?)、酒石橋家の古い部分は18世紀中期(宝暦頃?)の可能性を想定しておくべきと思われます。まだ憶測の域は出ませんが、隠れたところに当初の材と構造が残っている可能性は十分考えられます。本石橋家については、大黒柱が5.5寸角と建物規模に比べて著しく小さいなどの特徴も見られることから、それらを周辺民家・町家の特徴と比較分析する必要があるでしょう。いずれにしても、2棟の建築年代や両家の沿革を知る上で重要な調査成果を得ることができ、非常に実りのおおい調査となりました。
 なお、ヒアリング調査と併行して調査報告書用のグラビア写真の撮影もおこないました(↓)。撮影は、摩尼寺「奥の院」発掘調査の撮影も担当していただいたカメラマンのYさん。普段から大型カメラで国宝・重要文化財建造物の写真を撮っておられる方ですので、仕上がりが楽しみです!
 最後になりますが、急なお願いにも変わらず調査を快諾していただいた本石橋家、旧石橋酒造の皆様、そして撮影を引き受けてくださったYさんにこの場をお借りして御礼申し上げます。(タクヲ)

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  1. 2011/10/29(土) 00:39:32|
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木綿街道のこと(ⅩⅨ)

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町家の調査(8)

本石橋と酒石橋
 報告が遅くなりました・・・2月26日のシンポ予報のほうが先んじてしまいましたが、10月15日(土)から3日間。木綿街道の調査をおこなってきました。今回は本石橋家(登録文化財↑)と旧石橋酒造(酒石橋)のヒアリングが主目的です。この2棟については、かたや所有者が東京在住、一方は出雲市の所有ということで、実際に生活していた方々への聞き取りができておりませんでした。そのため、建築年代を特定する資料としては様式・技術・風蝕などから得られる情報に限られていました。そして今回、本石橋家の方が帰省されるということで、教授も奈良から片道5時間以上かけて(お疲れ様でした・・・)平田に飛んで来られ、2軒まとめて調査した次第です。調査員は他に、私を含めて2名。大学の後期日程にはいってしまい、学生は日々の授業が忙しく、調査員を確保できませんでした。ところがどっこい、木綿街道ワークショップで知り合った出雲市内の設計事務所に勤務している若手所員HくんとAくんが助っ人で参戦してくれ、本石橋家の実測調査を手伝っていただきました。A&Hくん、ありがとう!
 さてさて、調査の話に戻りましょう。今回ヒアリング調査をした本石橋と酒石橋は本家と分家の間柄であり、本家筋は商売ができないが、大地主であったため米が有り余るほどあり、その米を使って分家が酒造業を始めたのだそうです。このため、あとでまた述べますが、本家のほうが分家よりも100年ぐらい早くスタートしたと伝えられています。いずれにしても、木綿街道内でおそらく主屋の建立年代がもっとも遡るであろう2軒と推定されます。
 2軒の建築年代をめぐっては、旧石橋酒造における先の痕跡調査(木綿街道のことⅩⅧ 参照)によって「宝暦」=18世紀中期頃の可能性を指摘しています。その後、本石橋家の登録文化財申請の調書を確認することができ、「宝暦」の建築という家伝があることが判明しました。ただし、申請時の調書の判定では、本石橋家の年代は江戸時代後期~末期とされています。(続)

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  1. 2011/10/28(金) 00:00:58|
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あなうらめしや(Ⅲ)

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トラットリア

 午前に摩尼山「奥の院」ボーリング調査(初日)、午後は「猫」プロ研(第4回)と続いた10月20日(木)、前期にお世話になったOさん及びT工務店のS所長&オカチャンへの御礼の夕食会を催しました。会場は、鳥取市下段にある古民家レストラン「トラットリア 伊谷屋」です。
 Oさんは、「医食同源」プロジェクトで古民家再生を計画した古民家のオーナーさんです。Sさんは「医食同源」プロジェクトの共同推進者であるとともに、夏休みには私と白帯くんのインターンシップ先をご紹介いただきました。今回はその御礼の気持ちとともに御礼の品を持って行きました。
 そのインターンシップですが、白帯くんは鳥取市の株式会社中電工で1週間、私は隣のゼミのKさんと一緒に竹中工務店広島支店で2週間の現場実習をさせてただきました。インターンシップの学内報告会はさきほど終わったところです。

 さて、「トラットリア 伊谷屋」もまた古民家を活用したレストランです。ただし、大きな内部改修等はしていません。民家の良さをそのまま活かした「家カフェ」ならぬ「家リストランテ」でして、ごらんのとおり、写真だけみても、イタリア料理を食べているとはとても思えないでしょう。
 内部の雰囲気は懐かしい感じがして、落ち着くところでした。畳部屋の卓袱台を囲んでいただいたお料理は、鳥取の地元の旬の野菜、キノコ、魚、肉などを使った和風のイタリア料理であり、とても美味しかったです。また、酒類にワインをおいていないのも特徴です。地酒(清酒)とあうイタリア料理をモットーとされており、この夜も吟醸酒をいただきました(先生ひとりグラッパがどうの、アマーレットがどうの、と叫ばれてましたが)。研究室のメンバーでは、車を運転しないわたしが代表して清酒を飲むことになりました。お酒のセレクトは、「体の2/3はお酒でできています!」と豪語するオーナーの奥様によるものです。ふだん日本酒はあまり飲まないのですが、口にしてみるとスッキリした味で飲みやすく、お薦めのとおり、お料理とも相性が良く、とても美味しかったです。ごちそうさまでした。
 お土産にいただいたパンは自家製の天然酵母でつくったものだとおっしゃっていました。これも美味しかったです。
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  1. 2011/10/27(木) 00:00:45|
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あなうらめしや(Ⅱ)

カレーうどんの栄華

 一通のメールが触媒となって、無性にカレーうどんが食べたくなった。「カレーうどんが食べたくなった」と返信すると、相手もまた「食べたくなった」と言って返々信を打ち返してきた。

 300円でカレーうどんを食べさせてくれる店が弥生町にある。ぼくは学生二人をひきつれて、その店に行くことにした。どんな料理も300円の居酒屋だ。カレーうどんを注文したのは、わたしだけだった。タクヲは肉や野菜をビールのあてにして満足している。ヒノッキーは焼きうどんを注文した。馬鹿だな。ここのカレーうどんが、どんなに美味いか、やつらは知らない。ヤマイチのカレーうどんはカレーのルーをうどんにぶっかけてるだけだが、ここエイガでは出汁でカレーを割っている。これが関西風カレーうどんの定番だ。できれば、白ネギをたっぷりからませて欲しいところだが、値段が値段だけに無理は言えない。
 店は閑散としている。しかし、大将は、午前1時から4時ころまでがいちばん儲かると教えてくれた。「ボーイズバー」の出前が多くなるのだという。この時間に女性たちはホストクラブもどきのバーにたむろしていて、しかも、おやじどもより、ずっと気っ風がよいんだそうである。お金の使いっぷりが派手なんだ。灯りの消えた弥生町にも、活力漲るスポットがあるということを初めて知ったが、もちろん私どもが立ち寄れる場所ではない。

 そういえば、先週の古民家イタリアレストランでは、「鳥取の離婚率が高い」という話題がでた。奈良なんかに比べても、ずっと離婚率が高いのだそうである。その原因は、男どもが働くまともな職場が少ないからだろうという。要するに、男のサラリーが低いのである。甲斐性のある男が少ないから、女たちは男から離れていく、というのが最年長者Oさんの見解であった。Oさんは病院を経営しているので、女性看護師の給料をよく知っている。彼女たちの給料にみあうだけの額を稼げる職場が県内には多くない。だから、家庭における男性の地位は低く、離婚率が高くなるのだとOさんは力説した。
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  1. 2011/10/26(水) 00:43:23|
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『大山・隠岐・三徳山』報告書、刊行!

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 平成21年度鳥取県環境学術研究費助成研究による国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-」の報告書が、ついに刊行されました。ブログへのアップを先生より言われ続けてはや2週間以上・・・じつはこの1週間、大阪にインターンシップに行ってまして、2日前に帰ってきたところです。
 本書は国際シンポジウムの成果であるとともに、限界集落などを扱った『「文化的景観」の解釈と応用による地域保全手法の検討』、世界自然遺産ハロン湾の調査成果『文化的景観としての水上集落論』とともに、文化的景観3部作を構成する最後の1作でもあります。

 以下に図書情報と目次を掲載します。

  書名: 大山・隠岐・三徳山 ―山岳信仰と文化的景観-
  編集・発行者: 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科(担当 浅川研究室)
            &鳥取県教育委員会文化財課歴史遺産室
  印刷所:富士印刷株式会社  発行日:2011年9月30日  総頁数:112ページ

  目次と執筆分担

 1.シンポジウムの開催にあたって(浅川)
 2.山陰の山岳信仰と建築遺産
  2-1 伯耆の山岳信仰(眞田)
  2-2 慈覚大師円仁が残した山陰の仏教(野本)
  2-3 石窟寺院への憧憬(今城・大給)
       -岩窟・絶壁型仏堂の類型と源流- 
 3.密教諸山と文化的景観
  3-1 中国五台山の仏教建築と文化的景観(楊 鴻)
  3-2 文化的景観と世界遺産(平澤)
  3-3 複合遺産としての大山・隠岐・三徳山(浅川)
  3-4 討論(司会:中原)  
 4.シンポジウムを終えて(中原)

 5.余論:文化的景観としての摩尼寺「奥の院」遺跡(今城)   
  あとがき(浅川)
  巻末附録
  1.「文化的景観」関係修士論文概要
     (岡垣「摩尼寺奥の院-発掘調査と復元研究-」)
  2.楊鴻先生中文講演原稿「中国五台山佛教建築與文化景観」
  3.シンポジウム・パンフレット

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*入手ご希望の方には頒布いたします。この記事のコメント欄、または「拍手」のコメント欄などにご連絡ください。そのさい必ず電子メールアドレスをお知らせください。「管理人のみ閲覧」のコメント及び「拍手」コメントの場合は、個人情報は完全に保護されます。(ヒノッキー)
↑(左)裏表紙、(右)表紙

【要注意】 下のコメント欄に、本書入手希望ながら電子メールアドレスの連絡がなかった方々にメッセージを記しております。どうか、お見逃しなく!
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  1. 2011/10/25(火) 00:00:10|
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第4回「猫」プロ

 「猫」プロ研第4回の活動内容は以下の通りです。

1.NHK BS プレミアム第3話「愛猫だけが見ていた人気脚本家の涙」を視聴。

2.「本日の音楽」(J.テイラー『ワンマンバンド』=「続き」参照)を聴きながら、第3話の感想を書く。

3.ブログ(活動記録)分担のジャンケン勝負


第3話の概要  向田 邦子(むこうだ くにこ)
 「愛猫だけが見ていた人気脚本家の涙」

 猫を愛した芸術家は数多い。創作に身を削る日々のなかで、猫は支えとなり、その存在なしでは生まれなかった作品もある。時代を彩った芸術家と愛猫の関係を描く映像評伝の第3回は脚本家・向田邦子。強く、凛々しく、才気みなぎる女性で、「ひとには涙をみせない」が美学だった。しかし、秘密の恋、勘当されていた父の死、がんとの闘いなど、人知れず涙を流していた。愛猫だけが見た「向田邦子の涙の半世紀」を、若手女優ミムラが熱演。

第3話の感想
 向田邦子さん、とても美人で驚きました。
 些細なことで父と喧嘩し、30年も暮らした家を出ることになった邦子さんが猫を連れていったのはどういう思いがあったのでしょうか。とても気になりました。やはり長年暮らしていた家を出ることになり、寂しさを紛らわせるためでしょうか。
 脚本を書くことはもちろんガンとの闘病生活の支えになったのは猫だと思いました。猫なしでは「向田邦子」という人間は誕生しなかったのでは? 大げさかもしれませんね。
 しかしそれほど猫は人に影響を与えると思いました。最後まで自分を貫いた向田邦子さんは素晴らしかったです。(環境政策学科1年N.M)
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  1. 2011/10/24(月) 00:00:55|
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摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究(Ⅳ)

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オーガーボーリング調査(Ⅱ)

 昨日の続きで21日(金)も朝の9時30分に門脇茶屋に集合し、摩尼寺「奥の院」遺跡に登って行きました。登るのは2回目になるので、1日目に比べてしんどくはなかったのですが、苔の生えた丸太の橋を渡るのは毎回落ちそうで怖いです。発掘現場に到着し調査道具の準備をしていると、ナオキさんがクワガタを見つけてきました。夏でもないのにクワガタがいるのには驚きました。さて、調査を開始。

 昨日に引き続き、自分の担当はトレンチで掘った土を順番にサンプルを採っていき、その土の中に土器や凝灰岩片などが混ざっていないのかを調べていきます。昨日と工程が一緒だったので、サンプリングのペースが速くなりました。地層に含まれる凝灰岩はいきおい少なくなってきて、掘削はじつにスムーズに進んでいきます。
 地表面下3mに近づいたところで、昼になり、みんなで休憩がてら昼食を食べました。自分の弁当を昆虫たちが狙っており、食べるのに苦労しました。食後、自分は山頂まで登りました。摩尼山の頂上に登ったことがなかったので、初登頂です。頂上まで険しい道のりで急斜面なため足場が悪く危険を感じました。頂上に着くと、帝釈天からのぞむ景色は絶景。感動しました。(高所恐怖症のため岩場に乗り出し下は覗きませんでしたが)


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↑地表面下3mを超えたため、ロッドを1本足しているところ。↓ボーリングの穴は直径20㎝。この寸法で2.5m以上掘り下げた。
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  1. 2011/10/23(日) 00:16:35|
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摩尼寺「奥の院」遺跡の環境考古学的研究(Ⅲ)

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オーガーボーリング調査(Ⅰ)

 10月21日(木)午前。摩尼寺「奥の院」遺跡Ⅰ区・Ⅱ区でボーリング調査が始まりました。この調査に先んじて、複数の測量会社等への業務委託を試みたのですが、現場が山頂近くに位置し、地盤に凝灰岩礫を多数含むことから、調査を受ける企業がついにあらわれず、とうとう研究室のメンバー自ら取り組むことになりました。とくにW社の対応は「鼻で嗤う」ような態度であり、先生はご機嫌斜めでしたが、最終的にはA社が器材を貸与し、掘削方法を指導するということで落ち着きました。調査では、A社土壌担当のFさんに加え、オーガーボーリング経験のある考古学者Sさんにもご指導いただきました。
 ほんらいボーリング調査は、地表面からおこなうべきであり、8月下旬のボーリング測点杭打ちでも昨年度の調査区から外れた4ヶ所を設定していましたが、地盤の固さを考慮すると掘削が非常に難しいと想定されたので、今回は昨年度の調査で深掘りした部分の埋土と土嚢をとりあげ、トレンチ底からの掘削としました。
 A社からお借りしたのはハサミスコとハンドオーガーです。ハサミスコというのは、大型のハサミのようなスコップで、地面に突き刺して土壌をはさみあげるものです(↓)。一方、ハンドオーガーはT字に組んだパイプの先端に刃先に間があるドリルがついており、手動で回転させて掘り進めながら、土壌を採取していきます(↑)。作業の方法は、

   1)レベル測量によってトレンチ底の標高を算出
   2)ハサミスコもしくはハンドオーガーで土壌採取
   3)凝灰岩や遺物の有無を確認
   4)採取された土壌の一部をジッパー付袋に保管
   5)ラベルに標高、土壌の色・質、日付などの情報を黒マジックで
     書いてジッパー付袋に入れる

の繰り返しでした。
 まずはⅡ区エリアから試掘を開始。礫や凝灰岩が土層に混じっている場合、ハンドオーガーでは掘り下げが難しいので、とりあえずハサミスコを使って掘り下げました。ただ、1回で数センチしか下げられないため、ハンドオーガーに切り替えることに。するとすると、大方の予想に反し、するするドリルが地面にくい込んでいきます。予想外の結果に参加者全員の顔がほころびます。そして、なにより作業がおもしろく、楽しい・・・作業効率も大幅にアップし、午前中だけで1m以上掘り進めることができました。9回目の掘り下げから、礫をけずる音がしなくなる変化があり、土の色も茶灰粘質土から淡赤灰褐砂質土に変わっていることが確認できました。先生はいったん「地山かも」と判断されましたが、まもなく「まだ下かも」と修正されました。

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↑↓ハサミスコは最初の2回だけ使った。
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  1. 2011/10/22(土) 04:57:22|
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シンポジウム「木綿街道の町並み保全にむけて」予報(1)

 この週末、生活時間のほぼすべてをかけて、シンポジウム「雲州平田『木綿街道』の町並み保全にむけて-現状と課題-」(仮題)の準備をしていた。昨年末から続けている「木綿街道」の町家と町並みの調査成果報告会を兼ねて、県内外から優秀な研究者・行政担当官を招聘し、2月末にシンポジウムをおこなう予定にしている。
 まずは人選。ずいぶん考えたが、招聘者5名が固まったので、それぞれの方にあったり、電話したり、メールしたりの繰り返しで、日程は平成24年2月26日(日)の午後と決まり、シンポジウムの構成もほぼ確定しつつある。シンポ会場は、もちろん石橋酒造。
 そして、今日は5時間以上かけて奈良から平田に移動した。夕方7時過ぎにようやく石橋酒造に到着。木綿街道振興会事務局のメンバー、そして調査のため2日前から平田入りしていたタクヲ&アシガルと合流し、シンポの構成を煮詰めていった。すでに、構成の大枠を示すレジメは完成しているが、掲載は控えよう。さらに煮詰まって、派遣申請等の書類処理が終わったら、正式なチラシをアップする予定である。

 8時過ぎから夕食。事務局Hさんの手料理はほんとうに美味しい。今夜は鍋だった。地酒もうまい。
 そうそう、木綿街道の事務局に地元の若者H君が加わっていた。H君はS根大学の4年生で、都市計画を専攻している。卒論は漠然と平田のことについてやりたいというので、「都市計画道路の拡幅などで撤去される町家の移築計画」に取り組んだらどうか、と提案したら、結構その気になっちゃいまして、ひょっとしたら環境大とのコラボが実現するかもしれない。正直、都市計画の話をすると頼りない感じもあったのだが、話題がサッカーになると俄然目が輝いてきた。いまは休憩中らしいが、中高校時代はストッパーとしてならしたそうだ。好きなセンターバックはピケ(バルサ)。わたしはボランチの選手が最も好きだが、ゲームメークのできるストッパーも大好きで、ひょっとしたら、サッカーでも意気投合するかもしれない。

 出会いは大切だね。



  1. 2011/10/16(日) 23:33:12|
  2. 景観|
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哀悼、柳ジョージ

 昨夜、柳ジョージの死を知った。
 カラオケで「酔って候」をよく唱う。「あれ、唱ってください」と頼まれることもある。「酔って候」の元が司馬遼太郎の同名短編小説であることは良く知られていよう。柳ジョージは大変な読書家であり、とりわけ司馬遼太郎の歴史小説を愛した。司馬の知識と筆力に優る文筆家を探すのは難しい。歌詞の元が司馬の作品である一方で、メロディはクラプトンのヒット曲「フォエバーマン」の影響をうけているとわたしは思っている。
 柳自身「フォエバーマン」をカバーしているし、前にも述べたように、私もまたカラオケで「フォエバーマン」をよく唱う。ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・イン・マイ・マインド」はいつまでたっても上手くならないけれども、「フォエバーマン」なら少々の自信はあるぜ(笑)。

 昼間から「酔って候」と「フォエバーマン」をガットギターで爪弾いていた。


   酒と女が大好きで、粋な詩(うた)も雪見詩(ゆきみうた)
   いつでも、酔って候~


 さようなら、日本のクラプトン。




  1. 2011/10/15(土) 23:18:45|
  2. 音楽|
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第3回「猫」プロ

 「猫」プロ研第3回の活動内容は以下の通りです。

1.BSプレミアム第2話「おまえなしでは生きていけない~『ノラや』老いを迎えた作家が猫失踪で知った孤独の物語」を視聴。

2.本日の音楽(中川イサト「クラレンス」=「続き」を参照)を聴きながら、第2話の感想を書く。

3.ブログ(活動記録)分担のジャンケン勝負


第2話の概要 内田 百(うちだ ひゃっけん)
「『ノラや』老いを迎えた作家が猫失踪で知った孤独の物語」

 明治生まれの文筆家、内田百。師匠は夏目漱石で、親友は芥川龍之介。常に借金取りに追われながらも、宮城道雄に箏を習い、沢山の鳥を飼い、用事がなくともただ汽車に乗るためだけに遠出する。自ら望んでいたはずの芸術院会員に推薦されると「イヤダカラ、イヤダ」と断る。来客が苦手なので家の門に「面会謝絶」と掲げ、写真が嫌いなので撮られるときは大抵「への字口」をつくる。万事がこの調子で、自分の流儀を決して崩さなかった百だが、たったひとつ、その心を14年にも渡って大きく揺さぶり続けた存在がある。百66歳の時、家に突然やって来た野良猫の「ノラ」。思うが儘に生きてきた作家が、このノラの失踪によって泣き暮らし、何も手に付かなくなってしまった・・・

第2話の感想
 第2回の物語は猫によって人生が大きく変わった内田百の物語であった。百は頑固者で自分の流儀を決して崩さない少し変わり者であると思った。そんな彼が突然やって来た野良猫の「ノラ」出会い、ノラと毎日を過ごすにつれて穏やかで柔らかい表情に変化しつつあるように感じた。ノラの急な失踪はノラに対して強い愛情を抱いていた百にとってはすごくつらいものだと思った。
 百の「猫は素っ気ないからいい。」という言葉にすごく共感した。猫のいいところは人間に媚びず自分勝手でわがままで、好きなことしかしないところだと思う。(環境政策経営学科 Y.Y)


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  1. 2011/10/14(金) 23:40:57|
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月太郎さんへ(Ⅴ)

 月太郎さん、お元気にされていますか?
 米子鬼太郎空港以来、1年半もご無沙汰しておりますね。そして、調べてみたところ、ブログでの挨拶は「月太郎さんへ(Ⅳ)」以来、2年ぶりになります。
 先日、Kさんからメールをいただきました。「ブラーザー軒」をkeyDで演ろうとのお誘いですね。ありがとうございます。Kさんの指示にしたがい、月太郎さんに「了解です」のメールをさしあげたのですが、その返信メールがまだ届かないので、たぶんわたしのメールは届いていないのだと思います。ですから、このブログにお返事を書くことにしました。

 当日はフラットマンドリンをもっていきます。フラマン、久しぶりに弾けるので、とても嬉しいですが、心配なところあります。また弦が錆びて、調弦がおかしくなっているかもしれません。当日はコード進行を間違わないようにしたいので、ぜひともコード付き歌詞をご用意ください。

 米子水鳥公園で開催される第4回「コハクチョウとギターの調べ」(六弦倶楽部第20回練習会)、とても楽しみにしています。月太郎さんとの競演も嬉しいですし、わたしも、ひょっとしたらソロで高田渡をやるかもしれませんよ。
 もし可能でしたら、下のコメント欄か、拍手のコメント欄にご返信いただければ幸いです。
 ではまた。




  1. 2011/10/13(木) 23:26:48|
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神倉と冠巌(Ⅱ)

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「堂屋敷」の発掘調査

 冠巌にちかい「堂屋敷」の発掘トレンチは横長で、面積は約30㎡。調査期間は、わずか2週間であり、すでに調査は完了し、ブルーシートがかけられていた。当初は「清掃程度の調査」予定だったものを、2週間かけて一部は地山面を検出するところまでもっていったのだそうである。若干の疑問を感じた。以下、2点にまとめて述べる。

 1)「建物になるかもしれない」と判断する遺構があり、礎石?風の石列がたしかに並んでいるが、その石はあまりに小さく、基壇の縁石状のものの破損ではないかと思われる(おそらく原位置からは動いている)。柱を立てるには小さすぎて、3寸~3寸5分角の材を立てるのも難しい。ただし、他の石列がほぼ直角に折れていて、建物と係わる可能性なきにしもあらずではあるけれども、建物の存在を積極的に裏付ける物証とは言い難いであろう。礎石ならば、その据え付け痕跡を検出しなければならないし、1ヶ所でもよいから断面調査が必要。
 2)集石遺構が2ヶ所で出土しているが、生きている(原位置から動いていない)石の識別ができていない。とくに奥側の排水溝(深掘りトレンチ)中央付近にみられる集石を「地山の一部」とみる解釈には同意できない。集石遺構のようにみえる凝灰岩片の固まりは、加工段の成形に伴って切り出された岩盤の破片であり、それを集中投棄したものと推定される。実際その壁面をみると、明るいベージュ色と暗いベージュ色に分かれており、後者が前者を切り込んでいる。暗いベージュ色の土層は、非常におおきな廃棄ドコウであって、そこに凝灰岩片や炭などが大量に投棄されたものとみるべきであろう。断面を再精査すべきと思われる。


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  1. 2011/10/12(水) 00:26:14|
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神倉と冠巌(Ⅰ)

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「神倉造」の発見

 7日(金)、三朝町神倉(かんのくら)の山上にある冠巌(かんむりいわ)の発掘調査現場を視察した。

 神倉は三徳山を挟んで、三仏寺の真裏に位置する集落である(標高300m)。「倉」の元字は「坐」であり、神の坐ます領域を意味する。集落の奥まった山麓に神倉神社が鎮座する。まずは本殿を参拝。喩えようのない様式をしている。1間四方の平面本体を切妻造妻入の屋根が覆う、その正面に唐破風の向拝がつく。これが単純な切妻造なら「変形の大社造」という表現も可能であろう。双堂形式の美保神社本殿1棟分が小型化したとみることもできるからだ。春日造に近いともいえる。しかし、春日造の場合、向拝は裳階風であり、唐破風になっていない。となれば、「神倉造」という様式名を与えてもわるくはないかもしれない。繋虹梁と木鼻の絵様が細い。しかも、渦が縦長の形をしている。私見ながら、様式上、18世紀中期以前とみてよいのではないか。棟札資料の存否が気になるところである。

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 神社の脇から山を登る。道はあるようで、ない。樹々をロープで繋いでいて、しばらくあがっていくと、踏み分け道に出た。急勾配の道だ。息を切らせながら、20分ばかり歩くと、発掘現場にたどり着いた。「堂屋敷」と呼ばれている狭い加工段である(標高400m)。すでにして、へとへとである。現場は、昨年発掘調査した摩尼寺「奥の院」遺跡のⅠ区によく似ている。この現場の視察計画は9月から立てていて、ミャンマー帰国直後の20日前後を予定していたのだが、おりしも来襲した台風15号の猛威と私自身の体調不良のため断念。この日、ようやく念願が叶った。(続)


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  1. 2011/10/11(火) 00:07:19|
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フットサル・ミックスからオープン・キャンパスへ

 8日(土)のフットサル・ミックス(@市民体育館)は、結局、1分3敗に終わりました。ゲームが始まるまえ、わたしは選手たちに以下のような指示をしたんです。

   相手チームの女子がボールをもったら、取りに行ってはいけない。  
   女子にはボールをもたせること。シュートさせて構わないから、
   そのシュートをカットしよう。
   あとは、攻め急がず、コートをひろく使って、ボールをつなぐ
   ことを意識しよう。

 河鹿の不参加が大きく響きましたね。河鹿はサッカー県リーグの試合が倉吉であり、兵教大メイファーツ以来、楽しみにしていた男女混合試合を棒にふってしまったのです。結果、経験者でつねにフィールドにいたのはタクヲ一人。わたしはGKスタートで、あとはフィールドに1試合(7分間)でただけです。が、疲れた。
 まず、こういうメンバー構成では「ボールをつなぐ」ことができない。前戦はヒノッキーとおぎんの強力2トップ??なんですが、女子2トップにボールがわたっても、敵の野郎どもは女子相手にボールを奪いにくる。はしたない。なんで、ボールをもたせてやって、シュートさせてくれないのか?

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  1. 2011/10/10(月) 00:32:45|
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フットサル・ミックスにむけて(Ⅱ)

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 この記事は、7日(金)に書いたものです。

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 いよいよ明日に迫ったフットサルミックス!
 今日は前日なので、いつもより、一層気合を入れて練習に励みました。今回、サッカー経験者の1年生(猫プロ研のメンバー)が新たな戦力として加わりました。ニックネームは、愛五郎です。

 スタート時点でのメンバーは、以下のとおりです。

  アソックス: 先生、白帯、ヒノッキー
  サソックス: 愛五郎、匠、おぎん
  フリーマン: タクヲ(攻撃しているチームに加わるが、シュート不可)

 先取点はサソックスがあっさり奪いましたが、アソックスも先生が奮起して同点に追いつきます。
 しばらくして、スギボーと私キム3号があらわれ、ジャンケンの結果、以下のようなチーム編成になりました。タクヲさんは相変わらずフリーマンです。

  アソックス: 先生、白帯、ヒノッキー、キム3号
  サソックス: 愛五郎、匠、おぎん、スギボー

 人数が増えたのでフィールドを広くしました。私キム3号は開始5分に猛攻撃をしかけ、2点連取。さらに先生も1点とって、前半は4-3のアソックス・リードで折り返しました。

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↑午後から冠巌の登山、駐車場サッカーの連続にへばる教師(ハーフタイム)。向こうに、初参加のおぎんがみえる。

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  1. 2011/10/09(日) 00:00:24|
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第2回「猫」プロ

 「猫」プロ研第2回の活動内容は以下のとおりです。

1.BSプレミアム「おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~」の概要説明。
2.第1話「藤田嗣治」を視聴。
3.本日の音楽(T・シールマンス「ブルーゼット」=「続き」を参照)を聴きながら、第1話の感想文を書く。
4.書記が作成した名簿の確認と訂正。
5.活動記録分担のジャンケン勝負!!


第1話の概要  6月27日(月)20:00~21:00放送
藤田 嗣治(ふじた つぐはる)
「パリの孤独を愛し、成功に導いた猫たちの物語」

 1868年(明治19年)生まれの藤田嗣治は26歳の時にパリに留学します。当初は絵も売れず生活も困窮しますが、毎日14時間も絵を描く生活を続け、ついに1920年代、エコール・ド・パリの時代には、時代の寵児ともてはやされます。その成功の秘密は乳白色と呼ばれた独特の色合いと、生涯にわたり数千枚を描き続けた猫にあったといっても過言ではありません。生涯に5人の妻をめとった藤田ですが、いつの時代にも猫を飼っていたそうで、猫には代々「ミケ」という名をつけていたそうです。女より猫を愛した藤田の物語です。

第1話の感想
 初回は20世紀のパリで成功を収めた藤田嗣治と猫の物語であった。乳白色という色合いが印象的な作品が多い画家として知っていたが、彼の画家としての成功の裏に猫の存在があったことを知り、猫が人の生涯(生活)を左右する存在であることを認識した。そして、猫のその秘めたパワーをこれからの視聴の中で感じ取り、猫の魅力を見出したいと思った。
 藤田嗣治の描く絵に登場する猫は躍動感があり、その目は描き手である藤田嗣治の感情を含んでいるように感じた。彼は猫についてこう言っていた。「猫は友達だ。野獣性と家畜性があるからかわいい。かわいがれば大人しいが、時には引っかいたりもする。猫は耳と尻尾をつけた女性である。」この言葉からも分かるように彼にとっての猫は友達であり恋人であり仕事のパートナーでもあった。この番組のタイトルである「おまえなしでは生きていけない」が少し分かった気がした。(建築・環境デザイン学科 KN)

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  1. 2011/10/08(土) 00:00:34|
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第9回鳥取県建築系教育関係者交流会と日仏景観会議

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 10月1日(土)、刷り上がりたての報告書『はるかなまち、その未来』を30部ほど携えて、倉吉へ。年次定例の「鳥取県内建築系教育関係者交流会」が倉吉で開催されるのです。本会は、鳥取県内で建築系の学部や学科のある教育機関(鳥取短期大学、米子高専、鳥取工業高校、鳥取環境大学)と建築学会鳥取支所および建築士会を対象に、毎年各機関もちまわりで開催されます。
 9回目となる今年は鳥取短期大学(倉吉市)が担当でして、倉吉での開催となったわけです。今回のテーマは「地域の伝統的建築遺産のへの取り組みについて」。各校がそれぞれの取り組みを紹介し、意見交換を交わすことで情報の共有をはかることを目的としています。このテーマで、会場が倉吉・・・とあっては浅川研究室の取り組みを紹介しないわけにはいきません。もちろん内容は『はるかなまち、その未来』を中心とした倉吉での調査研究活動についてです。ただただ、教授はこの日、予定があわず出席することができなかったので、急きょ私が代役として研究成果報告をさせていただきました。
 交流会には20名ほどの教育関係者・建築家の方々が出席され、やや緊張・・・しましたが、資料として配布した報告書に則しての発表でしたのでなんとか無難に報告ができたと思っております。また、現在実施している雲州平田「木綿街道」の町並み調査のほか、鳥取市里仁の古民家再生プロジェクト「医食同源」や、青谷上寺地遺跡出土部材によるマキムク復元プロジェクトなど、地域の文化財に根ざした研究活動についても紹介。ひとまず代役を務めきれたでしょうか・・・
 他校の報告では、伝建群の活性化策として学生によるカフェの提案(鳥短大)や米子市公会堂の保存活動(米子高専)など、それぞれの地域をフィールドとした活動が紹介されました。こういった取り組みは、やはり継続しておこなわれるべきですね。

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  1. 2011/10/07(金) 01:33:07|
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フットサルミックスにむけて(Ⅰ)

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 水曜日は午後から後期初回のゼミがあり、その状態のまま島根県の方々を迎え、「青木遺跡建築模型復元」の最終打ち合わせをおこないました。その後、後期最初の駐車場ミニ・サッカーへ。なにせ、フットサルミックス・ミニカップを3日後に控えていますからね。
 本日当初の組み分けは以下のとおりです。

  アソックス: 先生、スギボー(新人教員)、白帯
  スローソックス: タクヲ、アシガル、ヒノッキー

 試合前まで雨が降っていたため足元が滑りやすく、ボールをコントロールするのが難しく感じました。早々に白帯がバテてしまい、ゴール前に座り込んでいました。前半は3対3で終わったのですが、白帯がついにダウン。試合に出られなくなってしまいました。このまま、アソックスが不利のまま試合が始まると思いきや、エース河鹿の登場です。白帯はリタイアし、河鹿が後半から出場しました。この段階でのチーム編成は以下のとおりです。

  アソックス: 先生、スギボー、河鹿
  スローソックス: タクヲ、アシガル、ヒノッキー

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  1. 2011/10/06(木) 01:11:05|
  2. サッカー|
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フットサルミックス・ミニカップ迫る!

 以前お知らせしていたフットサルミックスが「フットサルミニカップ」という正式名称に決まり(怖ろしいことに、月1の定例リーグ戦になるとの情報も伝わってきております)、さらにまた以下のような規則等が幹事のアントニオ多英さんから送信されてきました。

1.日時: 10/8(土)18時~21時
2.会場: 市民体育館1面 (20時~もう1面可能)
3.参加チーム: 4~5チ-ム参加予定
4.試合形式: 1ゲ-ム7分の総当たり
5.ルール
 ①女子のゴ-ルは2点  ②フィ-ルドに常に女子2名以上参加  ③審判なし。
 ④バックパス、4秒ル-ルは見ません。  ⑤スライディング禁止。
6.その他
 ⑥ビブスかユニフォ-ムを着用のこと。  ⑦レガ-スは自己責任で。
 ⑧参加費1人200円
7.運営方針
 点付けはしますが、順位付けはしません。フットサルを楽しみましょう!!

 いちばん問題なのは、「②フィ-ルドに常に女子2名以上参加」ですな。恥ずかしながら、今年度後期の浅川ゼミ(2年~修士)の内訳を申し上げますと、女子が5名もおります。「秘密の花園」ってほどのもんじゃござんせんが、フットサルやってくれそな女子は~~どう数えても、おぎんとヒノッキーの2名だけだな・・・さきほど、白帯くんにカツラかぶってこいよ、と頼んだですが、断られちゃったしな・・・
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  1. 2011/10/05(水) 12:07:44|
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『はるかなまち、その未来』報告書、刊行!

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 平成22年度鳥取県環境学術研究費助成研究の成果報告書が刊行されました。「倉吉重要伝統的建造物群保存地区拡大に向けての実践的研究 -看板建築の復原・活用と『昭和レトロ街』構想-」と題する研究で、具体的には昨年度卒業したきっかわ嬢と竹蔵くんの卒業研究を改訂・編集したものです。
 倉吉をフィールドとした調査研究は、わたしが学部時代の頃から継続しており、研究室発行の倉吉関係刊行物としては4冊目にあたります。2007年度発行の『ふるきかぜ あたらしきかぜ -倉吉本町通アーケード商店街の町並み分析と再生計画』(倉吉市教育委員会)の続編ともいうべき報告書でして、2006~07年に提案した町並み保全のあり方を、まちづくりの視点も絡めてより実践的に展開しています。
 表紙は竹蔵が制作した「昭和レトロ街」再現アーケードのCGを裏表紙まで引き延ばして載せています(↑左:背表紙 右:表紙)。竹ちゃん、よかったね!
 また、調査では漫画『遙かな町へ』にみられる風景を実際の場所で再現し、写真に納めています。それらの一部をグラビアに漫画のコマ割風に載せていますので、『遙かな町へ』を片手に、本書をご覧になるのもおもしろいかもしれません。以下に目次と図書情報を掲載しておきます。(タクヲ)

          『はるかなまち、その未来』
倉吉重要伝統的建造物群保存地区拡大に向けての実践的研究
    -看板建築の復原・活用と「昭和レトロ街」構想-


目 次

 第1章 研究の目的と概要
 第2章 遙かなまち、倉吉探訪
 第3章 町並み変化に関する調査と意見交換会
 第4章 町並み整備の課題と展望
 第5章 町並み整備とまちづくりへの提言
 あとがき
  
 図版  森家住宅(旧山市洋服店)実測図・再生計画図
 附録1 倉吉関係卒業論文概要再録
 附録2 『遙かな町へ』風景データベース一覧

図書情報

 書 名: はるかなまち、その未来
 発行者: 鳥取環境大学浅川研究室
 印刷所: 富士印刷株式会社
 発行日: 2011年3月31日
 総頁数: 96ページ

* 入手ご希望の方には頒布いたしますので、この記事のコメント欄、あるいは「拍手」のコメント欄などにご連絡ください。「管理人のみ閲覧」のコメント、及び「拍手」コメントの場合、個人情報は完全に保護されますので、ご安心ください。
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  1. 2011/10/04(火) 01:59:11|
  2. 研究室|
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茴香余話

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最後の茴香

 ついにウイキョウ(茴香=フェンネル)の株を引く抜くときが来た。葉は落ち、花は枯れている。それでも、なにかに使いたかったぼくは、鯖の姿焼きの腹に茴香の茎を詰めこんだ。以前、フランス田舎料理のテレビ番組を視ていて、フェンネルを魚腹に詰め込むシーンがあったので、それを再現したかった。じつは一月ばかり前、バジルを葉っぱのついた茎のまま鯖腹に詰めた。とてもよい香りがして、息子には「イタリア料理やん!?」と誉められた。たしかにバジルには、イタリアのイメージがつきまとう。さて、茴香ではどうか。
 結果を述べると、なんの匂いもしなかった。やはり茎では駄目だ。乾燥していてもよいから、葉っぱでないと、あの薬もどきの強烈な香りはしない。しかし、鯖の姿焼きは美味いね。猫も大喜びさ。

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↓中央が抜く直前の茴香、左端が鬼灯。
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食べる鬼灯(ホオズキ)

 茴香の隣のプランターには「ほおづき」を植えている(↑)・・・と書いて、漢字名称を調べようと、ネットで検索したところ、まず「もしかして: ほおずき」ときた。「ほおづき」ではなくて、「ほおずき」が正しい綴りなのだ。その漢字は、「鬼灯」もしくは「酸漿」である。「鬼灯」は仏教習俗と関連している。ほおずきの実のガクが提灯のような形をしており、盆の送り迎えにお供えするところから来ているのであろう。

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  1. 2011/10/03(月) 00:43:40|
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十月の朝顔

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 春以来のガーデニング熱も夏とともに去りつつあるが、グリーンカーテンはいまなお健在で、キウリこそ採れなくなったものの、小さなゴーヤはまだ実を垂らしているし、遅咲きの西洋アサガオがマリンブルーの大輪を咲かせている。すっかり涼しくなってしまったおかげで、アサガオの花を午後でもみることができる。
 というわけで、久しぶりの週末を奈良で過ごしている。あいかわらずの厨房係でして、庭で採れたゴーヤやらパプリカやらをまとめてたいらげるには、いつものように、天麩羅が最適だ。
 昨日は、衣を冷凍室にしばらくいれておいた。半分、氷っている。油であげる少し前に取り出して、少々水を足してやると解凍し、冷たい衣が完成。冷蔵庫に100円の一口ちくわを発見し、ゴーヤやらパプリカの輪切りのまんなかに竹輪を挟んで爪楊枝を刺してとめ、串カツ風ミニ掻き揚げにした。タマネギもミョウガもみんな爪楊枝の串刺しにした。形が崩れなくていいね。ミニトマトの天麩羅も美味しい。天麩羅が上手くいくときは、衣が余り気味だ。温度が低く、水っぽい衣がよいように感じています。

 串カツ風の掻き揚げは昼食で、家族みなよく食べてくれました。それから「鬼平犯科長」スペシャルの録画をみていたら、眠りに落ちた。目覚めて、買い物にいく。夜は鶏ミンチのキノコ鍋。これもあっさりして美味しいですよ。ここだけの秘密なんですが、鶏ミンチのレシピを教えましょう。鶏ミンチを2パックほど買ってきて、卵1個、パン粉適量、生姜汁適量(多めがよい)、椎茸と青ネギのみじん切りを適量・・・加えて、揉みまぜます。まぁ塩胡椒も適当、酒も適量。ミンチがやわらかくなりすぎないように、パン粉で調整します。わたしはここまで作って、夕暮のスロージョギングへ。
 二月ぶりのジョギングです。蝶野正洋仕様のサウナスーツを着るのも久方ぶりだ。今夏は風邪を3度もひいて走れなかったんです。最初は30分コースから。いつものように、前半の15分がきつかったけど、走れば走るほど、調子はよくなっていく。8日に「フットサル・ミックス」がせまってきているので、体調をアップしなきゃいけません。気持ちよく走れた。次回は45分以上走るぞ。



011マンドリン01ヤンゴン
↑ヤンゴンの楽器屋さんで。ボディはフィリピンの「ラウド」と似ているが、6コース6弦。つまりギターと同じだが、店主は「マンドリン」と表現した。調弦はマンドリン風でも、ギター風でもよいという。ラウドが複弦を捨て、単弦になったものか? 複弦(12弦)なら買ったかもしれない。
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  1. 2011/10/02(日) 02:35:49|
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緬甸浄土紀行(Ⅴ)

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悲報

 29日、バガンで日本人女性がバイクタクシーの運転手に殺害された。2007年のヤンゴンにおける日本人ジャーナリストの殺害は、軍事政権の発砲によるものだったが、2009年以後「民主化」が進んでいるなかでの惨事に言葉を失った。
 そうこうしていると、今度はFIFAが2018年W杯ロシア大会の予選からミャンマーを排除することを発表したというニュースが飛び込んできた。ミャンマーはこの7月におこなわれたブラジル大会2次予選のホーム試合で観衆が暴動をおこし、試合が打ち切られていた。

 悪いニュースの連射だ。こういうネガティブな報道に接し、国際的なミャンマーの印象が著しく悪化することをとても心配している。
 軍事政権の支配がながく続き、その勢力がいまも力を失っていないという現実があり、ストレスのはけ口として僧や民衆のデモがおきたり、サッカーファンがフーリガン化したり、貧困に悩む人民が悪事をはたらくこともたしかにある。しかし、それ以上にミャンマーは魅力に満ちた国である。仏教の教えにしたがう穏やかな国民性に深い感銘をうける。実際に訪問してみると、治安の悪さをそれほど感じるわけではない。
 タクタクの運転手に殺害された女性とその家族については深い哀悼の気持ちをあらわしたい。しかしながら、一人旅の女性が危険であるのは、ミャンマーだけの話ではないはずだ。ミャンマーがとくに危険な国であるという印象が偏見にちかいかたちで定着していくことをわたしは畏れている。




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  1. 2011/10/01(土) 04:28:31|
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asa

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