「神倉造」の発見 7日(金)、三朝町神倉(かんのくら)の山上にある冠巌(かんむりいわ)の発掘調査現場を視察した。
神倉は三徳山を挟んで、三仏寺の真裏に位置する集落である(標高300m)。「倉」の元字は「坐」であり、神の坐ます領域を意味する。集落の奥まった山麓に神倉神社が鎮座する。まずは本殿を参拝。喩えようのない様式をしている。1間四方の平面本体を切妻造妻入の屋根が覆う、その正面に唐破風の向拝がつく。これが単純な切妻造なら「変形の大社造」という表現も可能であろう。双堂形式の美保神社本殿1棟分が小型化したとみることもできるからだ。春日造に近いともいえる。しかし、春日造の場合、向拝は裳階風であり、唐破風になっていない。となれば、「神倉造」という様式名を与えてもわるくはないかもしれない。繋虹梁と木鼻の絵様が細い。しかも、渦が縦長の形をしている。私見ながら、様式上、18世紀中期以前とみてよいのではないか。棟札資料の存否が気になるところである。

神社の脇から山を登る。道はあるようで、ない。樹々をロープで繋いでいて、しばらくあがっていくと、踏み分け道に出た。急勾配の道だ。息を切らせながら、20分ばかり歩くと、発掘現場にたどり着いた。「堂屋敷」と呼ばれている狭い加工段である(標高400m)。すでにして、へとへとである。現場は、昨年発掘調査した摩尼寺「奥の院」遺跡のⅠ区によく似ている。この現場の視察計画は9月から立てていて、ミャンマー帰国直後の20日前後を予定していたのだが、おりしも来襲した台風15号の猛威と私自身の体調不良のため断念。この日、ようやく念願が叶った。(続)
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- 2011/10/11(火) 00:07:19|
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