キジル千仏洞 クチャのキジル千仏洞(3~9世紀)は中国最古の石窟寺院として知られています。もちろん国級重点文物保護単位。「キジル」とはウイグル語で「赤」のこと。赤い岩肌にちなんで名づけられたようです。石窟は東区、西区、後山区、内区に分けられており、今回見学したのは西区です。まず4人で27窟・32窟・38窟・34窟・47窟・8窟・10窟の順に見学しました。以下、年代と型式を整理しておきます。
27窟(7世紀) 中心柱窟
32窟(5世紀) 中心柱窟
38窟(4世紀) 中心柱窟
34窟(3世紀) 僧房窟。5世紀に中心柱窟となった。
47窟(4世紀) 中心柱窟
08窟(7世紀) 中心柱窟
10窟(5世紀) 僧房窟
仏教考古学専攻のSさんと先生は高額の見学料を払い、1973年発見の新1号窟も見学されました。新1窟の詳細を私は知りませんが、後室に涅槃像(塑像)の残る唯一の窟だそうです。他の窟では、涅槃台だけが残り、涅槃像はなくなっています。キジル千仏洞に石窟は全部で339ヶ所確認されており、うち256の窟の門扉に番号が付けられています。今回見る7つの石窟は見学が可能な石窟ですが、保存状態が良いものから破壊されたり、盗掘にあったものまでさまざまで、壁画をみることでできる石窟は80ヶ所ぐらいにとどまるそうです。また、キジル千仏洞の仏像は全て塑像のため、崩壊しやすく、89基残るのみです。小乗仏教の遺跡とされ、壁画には釈迦の前世の物語について描かれています。
今回見学した石窟でも壁画の残骸を見ることができました。また、本尊仏背面の壁面は「中心柱」とされ、石窟全体を構造的に支える役割を果たしています。「中心柱」の両側に通路がある、主室と後室をつないでいます。その後室に涅槃台のあるものが多いのですが、涅槃像は新1窟でしかみられません。カメラの持ち込みを禁じられたため、写真撮影できなかったのが残念でなりません。
最初に見学した27窟も「中心柱窟」にあたります。27番は初唐(7世紀)に造られたもので、中心に釈迦立像、両側には釈迦座像を安置していましたが、地震や宗教戦争などの影響で全て失われました。壁画もはぎ取られています。仏壇の中には小さな穴が見受けられました。これは木の棒を差し込んで像を支える役割をするものだとのこと。他には入口の上には弥勒菩薩の説法図が黒と白で描かれ、立体感を見せていました。門扉両側には金剛力士像のための壇、後室には涅槃台や火葬図なども見ることができました。前室は前側半分が崩れています。
32窟は5世紀の中心柱窟。ここにも、木の棒を差し込む穴が沢山見られ、棒の上に粘土を塗って山を造り、須弥山としていたそうです。上に残る壁画はひし形で描かれ、因縁物語を表しています。
38窟では、美大の学生が卒業研究のため壁画を模写していました。4世紀に造られた中心柱窟で、壁画には様々な楽器が描かれており、「音楽窟」とも呼ばれています。笙、シンバル、シチリキ、4絃琵琶、ネックレス(も楽器だったそうです)、ハープ、竪琴、リーラー(琵琶の一種)などが描かれていました。入口には弥勒菩薩の説法図も残っています。天神は男性ですが、姿がとても綺麗で「中国のビーナス」と称されているそうです。天井には天象図に月、風の神、双頭のガルーダを描きます。トハラ語も見ることができました。まだ研究中で、解読はされていませんが、他の石窟では見られない文字だとのことです。38番を出ると、上に天井梁のような在の痕跡も確認できました。前室の構造を想像させます。

↑パンフのスキャンです
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- 2011/11/27(日) 23:52:27|
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