スバシ仏教寺院址 チェルターグ山南麓にひろがる「スバシ古城」は都市遺跡ではなく、亀茲国最大の寺院遺跡であり、その一部に石窟を含んでいます。7世紀初、玄奘三蔵が滞在した寺であろうとも言われています。『大唐西域記』に描かれた亀茲の街と寺はまさにここにあったのでしょう。
スバシの「ス」は水、「バシ」は頭を意味します。スバシは「水の頭(水の源)」という意味です。その名の通り、西寺区と東寺区の2つの区域を切り裂くように、クチャ河が流れています。もとは河のある場所にもスバシ仏教寺院が存在していたのですが、1958年の大洪水により、中央部が流され、今のように2つに分かれたそうです。西寺区は東西170m×南北685mにわたり、南塔や石窟を中心とした施設が多く点在し、陶器や鉄器、経典などの出土もしています。東寺区は西寺区より少し狭く、東西146m×南北535mで、寺院、僧房、北塔、石窟などがみられるとのこと。

今回見学したのは西寺区です。まず招古里大寺へ。ここは版築を使わず日干し煉瓦と砂・木材を混ぜて構築された石窟を含む寺院で、3~4世紀に造られました。中には少し壁画が残っていました。石窟は、東寺区も同様とのことですが、すでに前室、中室は風化し、後室のみが残っています。またこの下には亀茲国王の娘や孫を一緒に埋葬した墓がありました。高さは12mとのこと。上から辺りを一望することができ、見渡す広大な景色は圧倒的で、カメラで風景を撮る手が止まりませんでした。
さらに進んで僧房窟へ。ここも同じ3 ~4世紀に造られたもので、僧房窟の左側に礼拝窟、また中央には以前、高さ4mもの立像が安置されていたそうです。間近で見ると迫力満点で、とても素晴らしかったです。
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- 2011/12/03(土) 00:53:04|
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